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マスター:STANZA
シナリオ形態:イベント
難易度:やや易
形態:
参加人数:11人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2016/01/30


みんなの思い出



オープニング




「メイr――」
 部下の名を呼ぼうとして、ハージェンは途中で声を呑み込んだ。
 そうだ、彼はもういない。

 今までは何も考える必要がなかった。
 あれが欲しい、それを排除しろ、これはいらない、何でもいいからどうにかしろ。
 その時の気分や感情のままに命じるだけで、メイラスが全て上手くやってくれた。

 しかし、他の部下はそれだけでは動かない。
 いつ、何を、どうやって、どんな理由で、どうしたいのか。
 命令の結果と、それが周囲に与える影響、失敗のリスクと対処法。
 その全てを自分で考えて細かく指示を出さなければ、望んだ結果は得られなくなった。

 面倒だった。
 だが同時に楽しくもあった。

 考えることで、おぼろげながら見えて来た気がする。
 今まで自分が望んできたものは、本当に欲しかったものなのか――

 ハージェンは相変わらず贅肉の塊を持て余していた。
 手首に巻かれた組紐は肉の襞に呑み込まれて殆ど見えない。
 自分では歩こうとせず、四人の「足」に椅子を運ばせていた。

 だが今は、自分を支える彼等の名を知っている。
 ハージェンにしてみれば、それだけでも革命的と言える変化だった。




 一方、そのメイラスは収容施設の独房に大人しく収まっていた。
 少なくとも今のところ――表面上は。

 独房は透過を無効化する強化ガラスによって通常の空間と隔てられている。
 廊下からは室内のほぼ全ての場所が丸見えになっていた。

 ソファに座るメイラスに向けて、ガラスの向こうから銃口が向けられる。
 放たれたアウルの衝撃は、ガラスに波紋を投げただけで消えた。
 それでも二発、三発と、打ち込まれるアウルの弾丸。

「気が済んだか」
 門木章治(jz0029)は銃を構えたまま動かない黒咎のひとり、サトルに声をかける。
 サトルはそれには答えず、黙ったまま銃口を下げた。
 しかし、その目は変わらずメイラスに据えられている。
「いつか、殺してやる」
 静かな声で言った。
 個人的な報復が許されないことは知っている。
 やろうとしても、この強化ガラスに阻まれることも今知った。
 でも、それでも。
「先生」
 顔を上げたサトルは門木を見る。
「僕を先生の弟子にして下さい」
 自分の手で武器を強化して、このガラスの向こうにいるメイラスの頭を吹っ飛ばすのだと、サトルは言った。
「ああ、いいよ」
「「えぇっ!?」」
 あっさり承諾した門木に、黒咎の残る二人マサトとアヤが声を上げる。
「いいのかよ!?」
「先生、復讐に荷担するわけ!?」
 だが、門木は首を振った。
「そうじゃない。ただ、そうする事でしか心の整理が付けられないなら、やってみればいい」
 マサトとアヤは、既に自分なりに折り合いを付けられたようだ。
 それなら、それでいい。
 そうでないなら、気が済むまでやればいい。
「大丈夫だ、サトルが武器を強化するなら、俺はこのガラスを強化してやる。そう簡単に破らせはしない」
 どんな事であれ、目標や生き甲斐はあったほうがいい。
 それが危険だと言うなら、危険な道に踏み込まないように導くのは大人の仕事だ。


「さて、そろそろ帰るか」
 門木は三人に声をかけた。
 時は師走、新しい年はもう目前に迫っている。

 帰ったら皆で大掃除をして門松を飾り、お節料理を作って、年越し蕎麦の準備をして。
 年が明けたら初詣に書き初め、正月遊び――

 まだまだ憂いは残っているが、正月くらいは全て忘れて楽しもう。



リプレイ本文

 冬休みに入ったばかりの風雲荘は、普段の賑やかさが嘘のように静まりかえっていた。
 正月を控えて多くの者が実家に帰ったり、仲間と何処かに出かけているらしい。
 が、このアパートで年末年始を過ごす予定の者も少なくない、筈なのだが――

「誰もいないのか…」
 がらんとしたリビングを見渡して、門木が呟く。
 それは独り言のつもりだったのだが、思いがけず声が返って来た。
「あ、皆さん正月用品の買い出しに…」
 日当たりの良い窓際のソファ、その前に置かれたテーブルに、正月行事やお節料理の作り方に関する本が積み上げられている。
 その向こうにカノン(jb2648)の姿があった。
 どうやら勉強中らしいが、顔を隠すように持った本が逆さまであることは指摘するべきか否か。
 あれからずっと、カノンの様子がおかしい事には気付いていた。
 歩けば何もない所で転ぶし、料理をすれば皮とヘタを鍋に入れて身を捨てようとするし、ご飯を炊くのに炊飯と間違えて保温スイッチを入れるし、洗った皿は勝手に割れるし、戸棚を開ければパスタの雨を降らせるし、もはや注意散漫を超えて超能力のレベルだ。
 しかも本人はどうやらそれに気付いていない様子。
(誰も怪我がないからまだ良いけど…なぁ)
 やはり、自分が余計な事を言ったせいだろうか。
 あれから顔を合わせると微妙に気まずいし、何だか避けられているような気もするし。
「留守番、頼まれたのか」
 その問いに、カノンは逆さまの本から顔を上げずに頷く。
「先生も一緒に行かれたものとばかり…」
「いや、聞いてない」
 ハブられた、いや空気を読まれたのか。
 あれは他の誰にも聞かれていない筈だが、そう言えば皆の目の前で拉致監禁(違)とか、やらかしていた気がするし。
 しかし、その気遣いは恐らく逆効果だろう。
 あれから数日経っても返事がないという事は、つまり脈がないものと解釈するのが妥当であって――
「ごめん、邪魔したな」
 皆には悪いが、この状況で二人きりとか無理。
「ゆっくりしてていいよ。俺は先にキッチンの方を片付けてるから、何かあったら呼んで」
「あ、いえ、私もお手伝い――」
 カノンがそう言って立ち上がった途端、本の山が雪崩を起こした。
 崩れた本に足を取られて転ぶ流れが綺麗に決まるまでがお約束、そして倒れる寸前で無事に抱き止めるのもお約束。
「大丈夫か?」

 と、そこにタイミング良く誰かが現れるのもお約束。
 鍵のかかっていない玄関のドアを開けて、シェリー・アルマス(jc1667)が顔を出す。
「こんにちは、お邪魔しまー…、したー」
 くるっとターン&そっ閉じ。
「あっ、ちょっ、待て、待て待て待て…っ!」
「でも、お邪魔ですよね?」
 じー。
 ちょっとだけドアを開けたシェリーは、その隙間から片目で中を覗く。
「いや、これは単なる事故と言うか――」
「わかりました、そういう事にしておきますね」
 では改めてお邪魔しますー。
「アヤ達なら出てるぞ」
 崩れた本を片付けながら門木が声をかけて来たが、それは見ればわかるし、今日は彼等に会いに来たわけではなかった。
「風雲荘の管理人って先生? それともリュールさん?」
「俺で構わないが、どうした?」
「お部屋ください!」
 久々の入居希望者だった。
「アヤ達と遊ぶ時にお泊まり出来た方が便利だし、帰りの時間とか気にすることもなくなるかなって」
 引っ越しは今のところ考えていないけれど、別荘として使っても良いって聞いたし。
「ここって和室ですよね。羊や兎のもふグッズはあんまり似合わないだろうし…」
「そうでもないぞ、リフォームも自由だしな」
 本の片付けを終えてから、門木が鍵を取りに立ち上がる。
 借りた時のまま返せとか、傷を付けたら弁償とか、うるさい事も言わない。
 男子の部屋しか見た事はないが、女子も多分それぞれ好きなように改造しているのだろう。
「そっかー、じゃあちょっと考えてみようかな」
 とりあえずは猫グッズを持ち込んで、自分がいない時は女子の溜まり場として使って貰おう。
 そして手渡されたのは216号室の鍵。
「215号室も空いてるみたいですけど…?」
「奇数の部屋は男子用だ。女子は偶数、南向きの部屋になる」
 風雲荘は女子が優遇されるのだ。
「スペアはひとつ付いてるが、足りなかったら自分で作ってくれ」
「わかりました!」
 そう答えると、シェリーはさっさと階段を上がって行く。
「あ、案内とか大丈夫ですから」
 何かわからない事があったらアヤ達が帰って来てから訊けば良いし、邪魔しちゃ悪いし。
「ごゆっくりー!」


 しかし、あまりゆっくりしている時間はなかった。
 と言うか、だからそういうアレでは――なんて主張しても誰も信じてくれない気はしますが、それはさておき。

「ただいま、タロに新しいベッド買って来たよ」
 柴犬のタロを連れて散歩に行っていた七ツ狩 ヨル(jb2630)は、途中でペットショップに寄って来たらしい。
「正月には色んなものを新しくするのが良いって聞いたから」
 室内に置かれた犬小屋に置かれたベッドはかなりくたびれていた。
「小屋の掃除が終わったら取り替えてやるんだ」
「ボクはコレやね」
 一緒に行っていた蛇蝎神 黒龍(jb3200)の買い物は、犬用おせちの材料とレシピ本。
「レトルトで売っとるもんもあるけど、やっぱり手作りがええやろ思うて。ヒト用は皆が作るやろしね」
 しかし、まずは先に大掃除だ。

「…と、いうわけで大掃除の手伝いに来ました」
 天宮 佳槻(jb1989)の予想では、風雲荘は掃除のし甲斐がありすぎる程に散らかっている筈だった。
 夏合宿の時に見た科学準備室の惨状、そして門木もその母親も家事をするタイプには見えないという事実(?)からして、まともに掃除してるかどうか怪しいと踏んだのだ。
 それに、ここに住んでいる友人達もやれば出来る子なのだろうが、やる気になるかどうかがそもそも疑問だった。
 その一人、ゼロ=シュバイツァー(jb7501)は屋根裏にいる筈なのだが、今日は姿が見えない。
 ソースの香りも漂って来ない。
 いつもなら皆が集まる場所には真っ先に現れるのに、どうしたのだろう。
 そう思いつつ門木の部屋を覗くと、意外にも綺麗に片付いていた。
「どうしたんですか」
 思わずそう尋ねた佳槻に、門木は苦笑いを返す。
「科学準備室は殆ど物置だったからな。ここは人も来るし、見苦しくない程度には片付けてる」
「この状態が今後も続くことを願っていますよ」
 共有スペースも思ったほど散らかっていないところを見ると、このアパートにはズボラばかりが住んでいるわけではなさそうだ。
 いや寧ろズボラは少数派か。
「そうねぇ。マメな人も多いし、いつも気が付いた気には片付けるようにしてるから」
 マメな人その1、点喰 因(jb4659)は慣れた手つきで着物の袖をたすき掛けにしながら周囲をざっと見渡してみる。
「そんなに汚れてる所もなさそうだし、軽く拭く程度で済みそうかなぁ」
 普段から気を付けて綺麗にしていれば、大掃除と言ってもそれほどの労力は使わずに済むのだ。
 と言ってもこれだけの広さだし、人手は多いほど助かる。
「皆で手分けして、ちゃちゃっと終わらせようねー」
「ええ、全員でやればすぐに終わるでしょう」
 ユウ(jb5639)は買い物から戻って早速こたつに潜り込もうとしていたリュールの身柄を確保して、その手にハンディモップを握らせた。
 彼女はここの住人ではないが、何かあった時には住人と同じくらいの脅威のスピードで駆けつけてくれる頼もしい助っ人だ。
 特にリュールの事が絡むとキャラが変わるとかなんとか――
「一年の終わりと始まり、皆さんと楽しみたいですね。勿論、掃除も楽しみのひとつですよ?」
 そう言われて、リュールは何を馬鹿な事をと言わんばかりに鼻の頭に皺を寄せた。
 近頃すっかりぐうたら隠居生活が板に付いてしまったリュールは、普通に誘っても動こうとはしないのだ。
 しかしユウは動じなかった。
「少し動いた後の方が、お菓子も美味しくなりますよ?」
 操縦法は既に完璧に把握している。
 彼女を動かすためには、最近ではこの台詞が最も効果的だった。
 さっさとこたつを片付けて退路を断ち、お茶もお菓子も取り上げる。
「掃除は高い所から低いところへが基本です。まずは上から埃を落としていきましょう」
 終わったら、さっき買って来たイチゴのクリームタルトでお茶しましょうねー。
「んむ、では章治兄さまも一緒にお掃除しましょう…ですよ?」
 華桜りりか(jb6883)が門木の袖を引っ張る、が。
「ちょーっと待った!」
 ミハイル・エッカート(jb0544)がそれを制した。
「悪いが章治は俺が預かる」
「へ?」
 間抜けな声を出した門木に、ミハイルはイイ笑顔で親指を立てて見せた。
「例のアレな、話を付けて来たぜ!」


 話は数日前に遡る。
「章治、実は折り入って相談したい事があるんだがな」
 そう言ってミハイルが見せたのは、分厚い請求書の束だった。
 そこに書かれているのは、ワインにブランデー、ウィスキーから純米大吟醸まで、何れ劣らぬ高級酒ばかり。
 日常的に飲んでいる酒とは一桁、いや二桁は違う金額と共に、請求先として書かれているのは門木の名前だった。
「いや、すまん、これだけの金額だし、俺の名前じゃツケは効かないと思ってな。章治なら学校の先生だし、店にも顔が利くだろうし、信用も…」
 勿論それはミハイルが個人的に楽しむ為に買ったものではない。
「本物の味ってやつを皆にも楽しんで貰いたいと思ってな。ああ、そりゃあ喜んでたよ、こんな美味い酒は飲んだことないってな!」
「そうか。実は俺も飲んだことがないんだが」
 もう一滴も残ってないんですよね?
 いや、べつに酒はそれほど好きというわけでもないけれど、でも一度くらいは飲んでみたかったなー。
「だから悪かったって、この通り!」
 両手を合わせて拝み倒すミハイルに、門木は諦めの溜息をひとつ。
「それで、これはどうするんだ。俺に払えと?」
「これくらい余裕だよな? 学園では重要なポストに就いてるわけだし」
 それに強化で消える久遠を考えれば、門木の収入にはその分も反映されている筈だ。
 しかし――
「無理」
「ええっ!?」
「俺、暫く休んでたし…依頼の報酬も殆ど自腹だし」
 それに皆が考えているほど、科学室勤務による特別手当ての類は美味しくないのだ。
「どうするんだ章治、言っておくが俺も金はないぞ」
 あったらツケになどせず、その場でどーんと現金払いしているだろう。
「かといって踏み倒すわけにもいかないし…」
 というわけで。

「今日から大晦日まで、酒屋で配達の無償奉仕だ」
「そうか、頑張れ」
「何言ってるんだ、章治もやるんだよ」
「は?」
「俺ひとりじゃ手が足りん、連帯責任だ」
「ちょ、待て、それは何かおかしくないか!?」
「気のせいだ」
「俺は飲んでないし、頭脳労働専門…っ」
「たまには体を動かせ、そうすりゃ頭の動きも更に良くなる」
 まあ、それは一理あるけれど――
「お二人とも、いってらっしゃい…です」
 疲れた時のエネルギー補給にと二人のポケットにチョコを詰め込んで、りりかが笑顔で手を振った。


「ミハさん無粋やなぁ」
 それを見送って、黒龍はそっと溜息。
 せっかく二人きりにしてやろうと思ったのにー。
 しかし正月の準備を滞りなく進める為には、この方が良いのかもしれない。
 ドジのレベルを超えた超常現象は、ほぼ決まって門木と一緒にいる時に起きていた。
 特に何か話しかけられた時が危ない。
 これで少しは落ち着くだろう――多分、きっと、そうだといいな。

「天井は任せてください」
 佳槻は固く絞った雑巾を手に陽光の翼で舞い上がる。
「ここはハタキや乾いた雑巾を使うと埃やカビの胞子が散って大変な事になりますから」
 だから、それを落とさないように濡れ雑巾で、拭くというより押し付ける感じで。
「伊達に毎年、カフェの掃除を一人でやってる訳ではありませんよ」
 そちらの掃除は既に終わらせた。
 それに厳密に言えば一人でやっているわけでもないし。
「鳳凰、水」
 その一言で、鳳凰が水の入ったバケツを運んで来てくれる。
 掃除道具の名前は全て覚えたし、近頃では何も言わなくても必要な道具を持って来てくれるようになった。
 仮にも神獣の筈だが、率先して手伝ってくれるのだから、本人(?)もきっと楽しんでいるのだろう。
 天井を拭き終わったところから、ラグを外して陽に干し、家具を寄せて下のフローリングを拭き、窓ガラスは両面きちんと拭き跡が残らないように。
「自分の部屋は各自で責任持って片付けるとして、ここはこんなもので良いかねぇ」
 最後の仕上げに、因が部屋のあちこちに正月用の花を飾る。
「後はどこか立て付けが悪い所があれば、おねーさんが出張修理するよー」
 因の本職は指物師、しかもその腕は折紙付きだ。
「勿論お代はいらないよ、同じ屋根の下に住むことになったのも何かの縁だしねぇ」
 言ってみれば家族サービスのようなものか。
「何もなければ実家に帰っちゃうけど、いいのかなー?」
「あ、それじゃお願い出来ますか?」
 シェリーが手を挙げる。
「さっき入居したばかりなんだけど、窓が半分くらいしか開かなくて」
「あー、南向きはねぇ、そうねるよねぇ」
 日当たりが良い分、老朽化も早くなるのが玉に瑕。
 でも大丈夫、このアパートに因さんがいる限り、どんなボロでもあと百年は使えるように直してあげるから。
「帰るところがあるお人もいれば、ここがそうの人もいるだろうしねぇ」
 そのどちらも安心して暮らせるように。
 この家が、皆の拠り所であり続けられるように。


「ミハイル」
「おう」
 酒屋の倉庫、ビールの空きケースを椅子代わりにした門木が声をかける。
「暇だな」
「おう…」
 答えたミハイルは店との境界に立って聞き耳を立てていたが、注文の電話が鳴る気配は一向になかった。
 配達は一件ナンボの歩合制だが、注文がなければ仕事は出来ない。
 よって借金も返せない。
「この分だと春までかかりそうだな…いや、夏か。ビールが美味い季節になれば注文も増えるだろう」
「冗談じゃない、そんなに待てるか!」
 ウロウロと檻の中の熊のように歩き回ったミハイルは「そうだ」と手を打った。
「待っているだけで客が来るほど世の中は甘くない、ここは攻めの姿勢で行くぞ!」
 工務店でモデルをやったあの経験と実績を、今こそ役立てるのだ!
「あのポスター、評判だっただろ? な? そうだと言ってくれ章治!」
「お、おう」
 あれは確かに想定を上回る絶大な効果があった。
 ただし非常に偏った一部の層に対してのみ、だった気もするが。
「今度は大丈夫だ。尻は出さないし、ちゃんと一般受けするように考えるからな!」

 風雲荘に戻った二人は、和室の一角にセットを作り始めた。
「炬燵にミカンは良いとして、問題は酒と肴だな」
 酒屋に提供して貰おうと思ったが「これ以上借金を膨らませるつもりか」と言われては黙って引き下がるしかない。
 撮影用に借りた酒は開封厳禁、肴はスーパーのセール品だ。
「仕方ない、水でも飲んで我慢するか」
 しかし、肩を落としたミハイルの前にそっと差し出される日本酒とチョコケーキ。
「よかったら、どうぞ」
 珍妙な組み合わせの差し入れは、冬休み返上で働く二人への佳槻からの心遣いだ。
 本当はささやかな望みの為に用意したものだが、今年も用無しだろうから――という思いは心にしまっておく。
 飾り物にするくらいなら、喜んでくれそうな人達に渡した方が酒もケーキも本望だろう。
「日本酒にチョコは意外に合うらしいですよ」
「ああ、知ってる」
 礼を言ってケーキの箱を開けた門木が微笑む。
「うちにはチョコ娘がいるからな、一通りの組み合わせは実験済みだ」
「んぅ? 呼ばれた気がしたの…です」
 と、噂をすれば影。
 チョコの単語が耳に入ったのか、それとも匂いを嗅ぎ付けたのか――
「ポスターを作るの、です?」
 ならば自分も何か手伝おうと、りりかはデジカメを持って来る。
「おう、じゃあ撮影頼んでも良いか。今回のテーマは『仕事帰りに同僚と一杯』だ」
 ただし飲み屋ではなく家飲みのシチュで。
「俺と章治なら、上司に誘われた新入社員ってとこか。中途採用ならいけるだろ」
 ミハイルは上着を脱いでネクタイを緩める。
「章治、白衣は不可だぞ。あの格好だと酒が何か別の怪しい液体に見えてくる」
「わかってる…これで良いだろ」
 一度自室に戻った門木は、着流しに羽織という出で立ちで現れた。
 どうやら最近はこれがお気に入りらしい。
「おお、似合うじゃないか。まるで昔の文豪だな」
 これで絵面のイケ渋ダンディ度が大幅アップ、だがしかし。
「オッサン二人じゃ華が足りないか」
 やはり酒の席には女性が必須と、ミハイルはカメラを構えていたりりかを手招きする。
 なに、性役割の強要? 未成年に酒を注がせるポスターなんてプロ市民が黙ってない?
 言いたい奴には言わせておけ。
 それに少なくとも後者は全くの的外れだ、モデルは全員成人しているからな。
「んと、あたしも着替えて来たほうがいい、です?」
「いや、そのままでいい。役割としては…そうだな、急に来られて少し迷惑に思いながらも兄の同僚なら仕方ないと精一杯のもてなしをしてくれる良く出来た妹、ってところか」
 そんな都合の良い妹がいるかって?
 いないから作るのだ、そういう美味しい設定を。
「では、兄さま…どうぞなの…」
 普段着にかつぎを被ったラフな格好で徳利を手に取り、門木の猪口に熱燗を注ぐ。
 そのポーズで一枚パチリ。
「章治は熱燗苦手じゃなかったか?」
「いや、まあ冷やの方が好みだが」
「なら飲むふりだけでいい。撮影が終わったら、このまま飲み会に突入しようぜ」
「ポスターは作らなくていいの、です?」
 あ、そうだった。
 経費節約の為に撮影からデザイン、レイアウト、そして印刷まで、全て自分でやることにしたんだっけ。
「同じデザインでチラシも作って、配ってみたらどうかと思うの…ですよ?」
「なるほど、それは良いな」
「配るのは、あたしもお手伝いするの…」
 そのお陰か、酒屋には翌日から注文が急増し、りりかまで配達の手伝いをする羽目になったとか。


 そして師走も残り二日。
「さてと、そろそろ実家に戻ろうかねぇ」
 すっかり綺麗になった風雲荘を見て、因は満足げに頷く。
 けれど、このまま帰ってしまうのも少し心配だった。
「お正月はみんなハッスル(?)するだろーし、兵糧だけ仕込んでからにしようかなぁ」
 お節料理はユウが準備を始めているが、一人で全部作るのは流石に大変だろう。
 初めて挑戦するらしいカノンにも手伝いが必要だろうし、リュールは全く何もやる気がなさそうだし。
「うん、帰るのは明日でいいね」
 たすき掛けを解いて割烹着を着込み、台所に立つ。
 お節の他に日持ちがするご飯のおかずや、お餅に飽きた時にも合わせて食べられるような味の濃い漬物などを、せっせと量産。
 あれ、のし餅とかは買ってあるんだっけ?
「そう言えば、まだでしたね」
 ユウが答える。
「買いに行って来ましょうか」
「ああ、でも折角だから皆で餅つきしてみるのも良いかねぇ」
 さて、道具は…まあ普通はないだろう。
 確か実家に余っているものがあった筈だから、誰かに取りに来て貰おうか。
 後は餅米を用意して…そうそう、餅取り粉も必要だし、餡やきなこも用意しておかないと。
 あれ、そう言えばアパートに残る面子で餅つきの手順やら何やら、ちゃんとわかっている人はいるのだろうか。
 ちょっと心配になってきたけど、きっと大丈夫、何とかなる…多分。


 大晦日の午後、年内に済ませておくべき仕事もあらかた片付いた頃。
 カノンはこっそりとリュールの元を訪ねていた。
「あの、少し良いでしょうか…」
「どうした?」
 まるでこれから決戦に赴くようなその表情を見て、リュールは僅かに眉を寄せる。
「あれが何かやらかしたか」
「い、いえ、あの…っ」
 まあ、やらかしたと言えば確かにそうかもしれないけれど。
 何しろお陰で「愛してる」が脳内でグルグル回り、その結果こんな台詞が飛び出して来ることになったわけで。

「――息子さんを私に下さい!」

 ややあって、リュールが答える。
「…これはまた、えらく直球で来たものだな」
 その声には笑いを噛み殺しているような響きがあった。
「欲しければ勝手に持って行け。私に断りを入れる必要も、気兼ねすることもない」
「あの、でも…私なんかが、いただいてしまって…」
「欲しいのだろう?」
「いえ、あの」
 欲しいとか欲しくないとか、そういう事ではあるような、ないような。
「要らんのか」
 返事はないが、耳まで真っ赤にして下を向いたところを見ると、まあ答えはそういう事なのだろう。
「迷いがあるならやめておけ。だが、そうでないなら――」
 リュールは意地の悪いニヤニヤ笑いを引っ込めて真顔になった。
 一度だけ、親馬鹿を承知で言わせて貰おう。
「あれは私の、自慢の息子だ。決して後悔はさせない」
「…はい」
 それは、知っている。
 迷う余地など、どこにもなかった。


 夜も遅くなって、何も知らない息子が帰って来た。
 だがリュールは何も言わない、教えてやらない。
 何かを知っているそぶりも見せずに、いつもと同じようにぐーたらしていた。
 ただし、普段の五割増し程度に機嫌が良いのは誰の目にも明らかだったが。

(何があったか知りませんが、この様子なら上手く行きそうですね)
 ただいまダルドフ×リュールのラブラブ計画を絶賛遂行中のユウは内心でほくそ笑む。
 こっそり服のサイズも測っておいたし、柄の好みも把握済み、色々と手配も完了している。
 いつもはダルドフの話題を出すとあからさまにイヤそうな顔をするが、今度はきっと大丈夫。
 それに、あれは照れているだけだ。
(ただの照れ隠し、所謂ツンデレですよね)
 ああ可愛い(うっとり
 だめだこのひと、はやくなんとかしないと。
 あ、ほら鍋、鍋が噴きこぼれてますよ!
「あっ」
 そうそう、年越し蕎麦の準備をしている最中でしたね。
 大丈夫、少し茹ですぎただけで――あれ?
 ぶちぶち切れる。
 普通に食べるぶんには問題なさそうな気もするが、縁起物としてそれはどうなんだろう。
 細く長く、健康と長寿を祈って食べるのが年越し蕎麦。
 他にも諸説あるが、ブツ切りの蕎麦は何となく縁起が悪そうだ。
 しかし、新しく茹で直す分のストックはないし――
「細くて長ければ、パスタでも良いんじゃないか?」
 振り向けば、風呂上がりの一杯を取りに来た門木が冷蔵庫の前に立っていた。
 ただし、取り出したのはビールではなくコーヒー牛乳というお子様っぷりだったが。
「この前ちょっと盛大にぶちまけてな」
 乾麺だから大丈夫だろうと拾っておいたものがある。
 一度床に落ちたとは言え、熱湯で茹でるのだから問題はないだろう。
「年越しパスタ、ですか?」
「あまり聞かないが、そういうのも良いんじゃないかな…と、思う」
「そうですね」
 暫く考え、ユウは頷いた。
「和風パスタなら作りおきの汁を使って簡単に出来そうですし」
「悪いな」
 なお茹ですぎた蕎麦は油で揚げてかりんとうにすればリュールも喜ぶと入れ知恵してみる。
 ネットで調べれば、他にもレシピは色々ある様だ。

 やがてTVの歌合戦が佳境に入る頃。
「年越しパスタが出来ましたよ」
 ユウがキッチンから顔を出す。
 両手で持った大きなお盆は、因が本職として作ったものだ。
 小さめの皿に取り分けられたパスタをテーブルに並べると、盆に彫られた野薔薇の装飾が露わになる。
 アート作品としてそのまま壁に飾っても違和感がないほどの見事な出来映えだった。
 そう言えばテーブルクロスもソファのカバーも、カーテンや炬燵がけ、座布団やクッションも、あちこちに置かれたぬいぐるみも、殆どがアパートに住む誰かの手で作られたものだ。
 そこに本人がいなくても、なんとなく一緒にいる気分になれる、かなー…なんて。
「この時間ですから量は少なめに。その代わり、蕎麦で色々作ってみました」
 パスタはめんつゆベースに小松菜とベーコン、しめじを和えたもの。
 蕎麦はかりんとうの他にケーキとクッキー、団子に変身していた。
 かりんとうは酒の肴にも合いそうだ。
「よし、今日こそこのまま飲み会に突入するぞ、年越しで酒盛りだ!」
 既にすっかり出来上がった様子のミハイルが一升瓶を片手に吠える。
 借金は無事に帰したし、売り上げアップに貢献したボーナスとして酒もたんまり貰って来たし――もっとも、その貢献の大部分はりりかのお陰ではあるけれど。
「よし、飲めりりか、俺が注いでやる!」
「ありがとうなの…です」
 色々な酒を試してみて、実は日本酒の味があまり好みではない事を知ってしまったけれど、お猪口に一杯くらいなら。
「リュールもどうだ、甘い酒もあるぞ」
「そうだな、たまには付き合うか」
「おっ、今日は珍しく機嫌が良いじゃないか。宝くじにでも当たったか?」
「まあ、そんなところだ」
 レア度と幸運度からすれば、それ以上かもしれない。
「いずれお前達にも教えてやる…いや、あれが自分で言うか」
 ちらりと息子を見るが、裏取引()の事など知る由もない彼は部屋の隅でひとり寂しく手酌でちびちび。
「章治兄さま、お酌するの、ですよ?」
「ああ…ありがとう」
 おつまみのチョコを携えて、りりかが隣に座る。
 風雲荘の年越しは意外に静かなものだった。
 カウントダウンの大騒ぎも特になく、気が付けばいつの間にか零時を回っている。
「あけましておめでとうございます、です」
「ん、おめでとう。今年もよろしくな」
 門木はりりかの頭を撫でようとして、ふと手を止めた。
「いや、もう大人なんだよな」
 子供扱いは良くないとわかっていても、いつもの癖でつい手が伸びてしまう。
「うぅん…それは大人でも、していいの…」
 と言うより撫でて貰えなくなったら泣くかもしれない。
「それとこれとは、別なの」
 それに、いくつになっても兄は妹の頭を撫でるもの、なのです。多分。
「…そうか、じゃあ遠慮なく」
 なでなでなで。
「でも、あたしも大人になったのだし、今年は何か成長できるような年にしたいの…です」
 いつまでも、このままではいられない。
 自分も変わらなくては。
「そう、あたしも成長しなくてはいけないと思うの…」
 どう変わっていけばいいのか、それはまだわからないし、不安もあるけれど。
「そうか、でも焦ることはないぞ」
 ゆっくりでいいし、無理に変わる必要もない。
 変わらないほうが良いこともあるし――例えば、この風雲荘のように。
 初詣では、ずっとこのまま皆が集まる場所であり続けられるようにと、そう祈っておこうか。


「誰も来ないね」
 夜明け間近の屋根の上、温かいカフェオレのカップを両手で包むように持ったヨルは、じっと東の方を見つめていた。
「みんな遅くまで飲んどったから、起きれんかったんやろね」
 頭のすぐ後ろで黒龍の声がする。
 ペンギンの着ぐるみを着込んでカイロをそこらじゅうに貼り付けて、背中から黒龍にぎゅーされた上に毛布ですっぽりくるまっていても、まだ寒い。
 けれど初日の出は見たい。
 いや、見ねばならぬという謎の使命感。
 ただ見るだけなら部屋の中からでいいし、殆ど毎日のように見ていた。
 しかし今日の日の出は特別なのだ。
 やがて星空が朝焼けの色に染まり、水平線にかかる雲の縁が明るく輝き始める。
 その隙間から、大きな赤い光が溢れてきた。
 見つめるうちに光はどんどん大きく、眩しくなり、やがて直視出来ないほどになる。
「明けましておめでとう、黒」
「ん、おめでとうやね」
 やはり時計が零時を回っただけでは、年が明けたという実感が湧かなかった。
 こうして陽が昇り、世界が明るく照らされないと。

 そして、新しい年が始まる。

「しまった、初日の出――!」
 目が覚めた時にはもう手遅れだった。
 カーテンの向こうには明るい光が溢れ、時計の針は昼過ぎを指している。
 いくら正月でも寝過ぎだと、門木は慌ててベッドから起き上がった。
 とりあえずラフな服装に着替えてリビングに出てみる。
「なんだ、また誰も――」
 言いかけた時、部屋の隅でシャランと軽い鈴の音が聞こえた。
 見れば晴れ着姿のカノンが立ち上がり、軽く小首を傾げるように頭を下げている。
 また誰かが気を利かせたのだろうか、他の皆はもう初詣に出かけたようだ。
「あ…もしか、して。待っててくれた、の、かな」
 頷いたカノンは、淡い空色に枝垂れ桜が流れるように配された晴れ着姿。
 しかし、何か変だ。
 着方が間違っているというわけではなく――
「…あ…」
 そうだ、袖が短い。
 その意味するところは、門木も知っていた。
「…そうか。ごめん、俺…お前の家族の事とか何も知らなくて…訊きもしないで、勝手に気持ち押し付けて…ほんと、ごめん!」
 踵を返して部屋に引き籠もろうとする、が。
 それを追いかけようとしたのだろう、背後で盛大に転ぶ気配を感じて振り返る。
 ああもう、どうしてそこで転ぶかな!
 気付いたら戻らないわけにいかないじゃないか!
「大丈夫か?」
 無事を確認し、きちんと立たせて、今度こそ立ち去ろうとする。
 しかし、その腕をしっかり掴まれた。
「…それ、意味わかって着てるんだよな?」
 こくり。
「だったら、もう誰かと結婚して――」
 ふるふる。
「え?」
 ごめん話が見えない。
 ちょっと考える時間くれるかな。

 ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。

 あー。
 もしかして。
 そういうこと、か。

「あの、さ」
 こくん。
「俺、まだ何も言ってないよ」
 かくり。
「愛してるとは言ったけど…プロポーズは、してない」
「…ぇ」
「してない、まだ」
「…、………っ!」
 なるほど、わかった。
 どうやら頭の中で「愛してる」が渦巻きすぎて、一段上がって勝手に昇格しちゃったらしい。
「いや、俺も考えてはいたけど…もし、想いが通じたら…折を見て…とか、さ」
 でも言う前に返事が来ちゃったってどういう事ですか。
「そういうの、一生に一度しか言えないこと、だからさ…どんな風に言おうか、とか…場所とか、セッティングとか…色々、考えてたのに」
 その全てが一瞬で木っ端微塵なんですけど。
「だから、責任とってくれるかな」
「え、あの、どう…とれば」

「俺と結婚してください」

 返事は聞くまでもないと思うけど、一応聞かせてくれるかな。
「俺の翼は片方しかないけど…お前が翼をくれるなら、俺はどこまでも飛べる。お前が飛べなくなった時は、俺が支える。だから、一生…傍にいてほしい」
「…はい」
 はっきりとした声で答えが返る。
 それに、もうひとつおまけが付いていた。
「先生…いえ、これからは、ナーシュ、と呼んでもいいですか?」
 あ、やばい。どうしよう。
 これ耳が幸せすぎる。
「もう一回…いい?」
「…ナーシュ」
「俺、もう死んでもいいかも」
「それは、困ります」
「うん……ありがとう、カノン」
 そっと抱き締め、耳元でもう一度囁いた。
「愛してる」


 一方こちらは初詣組。
「リュールさん、とても良くお似合いですよ」
 ユウにカメラを向けられ、鳥居の前に立ったリュールはこれ以上ないほどの仏頂面をして見せた。
 そんな顔をしたらせっかくの綺麗な着物が台無し…と、普通ならそう考えるところだろう。
 しかしユウは違っていた。
 どんなに嫌がってもそれは照れ隠し、ダルドフもまたそれをわかっていて、だから当たり前の笑顔よりも喜ぶに違いないと思い込んだら一直線。
 まあダルドフの方が惚れた弱味で罵られても蹴飛ばされても元嫁らぶ一直線なのは恐らく間違いない。
 しかしリュールの方はどうなのだろう。
 と言うかそもそもオカンが振袖ってどうなの。
 今現在で結婚していない状態のことを未婚と呼ぶなら、確かにリュールは未婚だろう。
 しかし年齢的にどうなんですか、中身は九百歳超え、見た目もそろそろ三十路に突入しようかというところなのに。
「似合えば良いんですよ」
 確かに、アイスブルーの地に大柄な雪の結晶を散らし、寒色系の薔薇で彩られた振袖はよく似合っている。
 その隣に並んだユウは群青色の地に星のような小花を散らし、金銀の蝶が舞う少し大人びた柄だ。
 二人で並んだ姿も写真に収め、さあ次はおみくじでも引きましょうか。

 そこには既に、淡いピンクに桜模様の振袖を着たりりかの姿があった。
「んむぅ…吉、だったの…」
 心正しく、行いを素直に。
 特に異性問題を慎み、家庭を大切に。
 願いは叶うが、待ち人は来たらず、失せ物は出でず。
「いいのか、よくないのか…よくわからない結果なの」
 吉は大吉の次に良い運勢とする神社が多いようだが、あまり良くない方に分類される神社もあるようだ。
 さて、久遠ヶ原の神社はどちらだろう。
 引いたおみくじを木の枝に結んでいると、後ろから声をかけられた。
「華桜先輩、明けましておめでとうございます」
 振り向くと、振袖姿の少女――北條 茉祐子(jb9584)が丁寧に頭を下げている。
「依頼で何度かご一緒させていただいて…その節は色々とお世話になりました」
 着物は白地に雪輪紋と梅の小紋、帯は蘇芳地に花唐草文様のものを文庫結びに、髪は三つ編みをねじって丸めたシニヨンに、両サイドは編み込みにして、藤の花が揺れる簪を挿してあった。
「これからアパートに伺おうと思っていたところなんですよ」
 そう言って、茉祐子は手土産の袋を掲げて見せる。
「それなら、一緒に帰りましょう…です」
 皆もそろそろお参りを終えただろうし、帰ったら餅つきをする予定だし。
「お餅つきですか、楽しそうですね。私も仲間に入れて貰って良いでしょうか?」
「もちろん、歓迎なの…ですよ?」
 正月行事とか詳しそうだし、寧ろ積極的に勧誘したいところ。
 餅つきの作法とか、教えてもらえると助かります、はい。


「では、改めまして…明けましておめでとうございます。今年が皆様に実り多き年でありますように」
 お年賀の菓子折りを差し出しながら、茉祐子はアパートの住人達に向けて深々と頭を下げた。
「中身はカステラと栗ぜんざいの詰め合わせです。リュールさんは、甘い物がお好きなのですよね…?」
「ああ、よく覚えていてくれたな。この間の菓子は美味かったぞ」
 遠慮なく受け取ったリュールは、これも手作りなのだろうかと菓子折を見る。
「あ、それは市販のもので…もし良かったら、また今度お裾分けさせていただきますね」
「ありがとう、楽しみにしている」
 次に、リュールは一向に何の報告もして来ない息子の袖を引っ張った。
「こら、何か私に言う事はないのか」
「え、あ、いや、あの…っ」
 その様子だけで全てを察したオカンは息子の背を突き飛ばす。
「世話になっている者達に、きっちり報告して来い」
「今!? ここで!?」
「今日は正月で、めでたい日なのだろう? めでたい事にめでたい事を重ねれば、めでたさ百倍だ」
「それはそうです、けど」
 それ公開処刑って言いませんか。
「つべこべ言わずに観念しろ」
 というわけで、ご報告させて頂きますね。
「えーと、婚約しました?」
 あまりに怒濤の急展開過ぎて指輪を用意する暇もなかったけれど、多分そういう事で良いんだと思います。
 良いんですよね?
「章治このやろう、いつの間に!?」
 ミハイルに背中をどーんと叩かれるが、気が付いたらそういう事になっていたのだ。
 まったく、人生何が起きるかわからない。
 わからないから面白い。
「これから皆さんでお餅つきをされるのでしたよね」
 何かを思い付いたように茉祐子が手を叩く。
「でしたら、紅白のお餅を作ってみてはどうでしょう。私、家に戻って食紅とってきますね」
 そう言って、茉祐子はアパートを飛び出して行った。


 その頃シェリーは黒咎の三人とテリオスを連れて、のんびり東北ぶらり旅。
「家族と離れての初の正月、かな?」
 そう言えば黒咎の三人も、これが家族と離れて過ごす初めての正月だ。
 アヤとマサトは他にも家族がいるが、他に居場所がないサトルに合わせて残ってくれたらしい。
 テリオスは正月そのものを知らないだろうから、その社会勉強も兼ねて、目指すはダルドフの住む町の神社だ。
 初詣の為にわざわざそんな遠くまで、と思わなくもないけれど――
「せっかくのお休みなんだし、みんなで出かけることも滅多にないんだし、少しくらい遠くに行ってみたいじゃない」
 お弁当のおかずは、朝に食べたおせち料理の重箱から少しずつ頂いて来た。
 おにぎりは自分で作ったから、後は飲み物を買うだけで食事の手配は完了だ。
「ダルドフさんのところでもお節料理は作ってるだろうし、もしかしたらそこでも分けてもらえるかな?」
 なんて、いえいえ、ごはんをたかりに行くわけじゃありませんよー。
 でも、ごはんに誘ってもらえるなら遠慮はしませんけどね!
「そう言えばアヤ達もテリオスさんも、ダルドフさんは初めてだっけ?」
 じゃあ軽く説明しておこうか。
「ダルドフさんはねー、熊だよ!」
 はい説明おわりー。
「マジか!」
 はい。
「マジだった!」
 だから言ったでしょ?
 というわけで、熊さんこんにちはー!
「初詣のついでに寄ってみました。明けましておめでとうございます!」
 黒咎の三人とテリオスを紹介して――
「あ、私の事は覚えて…ませんよね、この前はあんまりお話出来なかったし」
「うむ、某にパンダの知り合いはおらぬのぅ」
 あ、いけない。今はぱんだの着ぐるみを着込んでいたのだった。
「あの時は黒羊で、リュールさんと一緒に…」
「おお、あの時の!」
 あ、思い出してくれましたか。
 でも残念ながら今回は一緒じゃないのです。
「その代わり、後でユウさんがとっておきのお土産を持って来てくれるそうですよ」
 だから新年会をお楽しみに!
 さて、後は神社にお参りして、適当にそこらをブラブラして…
 ダルドフさん、夕食に招待してくれてもいいのよ?(ちらっ


 そして翌日。
 風雲荘は昨日の騒ぎが嘘のように静まりかえっていた。
 多分みんな、騒ぎすぎたために疲れて動けないのだろう。
「こたつにミカンそしてカフェオレ…しあわせ」
 こたつむりになったヨルは、くってりしながらここ数日のこと、そして少し前のことを思い返していた。
 昨日の餅は、雑煮に入れて食べた。
 少し食べすぎてお腹が重く、油断すると瞼が下がってくるけれど――
 結局、メイラスを殺す事はなかった。
 彼はクリスマスも正月も何も関係ないところで、変化のない毎日をただ無為に過ごしているのだろう。
 彼は捕虜と言うより囚人に近い身分なのだから、何の楽しみもないのは仕方がない。
 その結果に関して、黒咎には申し訳ない気持ちもある。
 けれどハージェンと知り合う切っ掛けにもなった。
「これで本当に良かったのかは、きっともっと先にならないと判らないんだろう」
「うん」
「俺の夢が叶う日はまだ遠いけれど、その一歩は踏み出せた気がする」
「うん、せやね」
 その話を聞きながら、黒龍は軽く相槌を打つ。
 ここ最近、ヨルが急に大人びてきたように感じる。
 彼の成長は黒龍にとって愉しみでもあり喜びでもあった。
 しかし同時に少し寂しくもある。
 どこか遠く、手の届かないところへ行ってしまいそうで――
「…そういえば、夢を見たんだ」
「ああ、昨日は初夢の日やったね。どんなん見たん?」
「カドキのタイムマシンで過去に行く夢」
 その表情を見て、どうやら楽しい夢ではなかったらしいと察しを付ける。
 のそのそと炬燵を出た黒龍は、ヨルの隣に潜り込んだ。
 少し狭いけれど、ぴったりくっつくには丁度良い。
「とてもとても悲しかったけど、大事な人を思い出せた」
「うん」
「少しは強くなれたのかな、俺」
「ヨルくんは元から強いよ。けど思い出が増えた分だけ、また強くなったのかもしれんね」
「思い出が増えると、強くなれるの?」
「ボクはそう思うとる。思い出が増えるゆうんは、大事なもんが増えるゆうことやからね」
「大事なものをなくした思い出でも?」
「せやね」
 出来れば楽しい思い出のほうが良いけれど。
「黒に庇われた時、なんであんなに嫌だったのかも判った」
「ああ、暫く口きいてくれんかったね」
「黒はいなくなっちゃ嫌だよ。自分だけ死ぬなんて許さない」
「うん」
 また同じ状況になったら、同じことをするだろうけれど。
 でも今度は、逆に庇われてしまうかもしれない。
 いや、その前に――
「ヨルくんが、そんなことさせへんやろ?」
「させない」
 楽しい思い出を増やして、もっともっと、強くなろう。
「クリスマス…誕生日は一緒にすごせなかったけども。これからも色んな時間を一緒にすごして生きたいな」
 抱き締めたまま、頬に軽く口付ける。
「黒はどんな夢見たの? そっちのも聞かせてよ」
「ん、せやね」
 それは昔むかしの――


 その日の午後、暫く姿を見せなかったゼロが久しぶりに顔を出した。
「先生、ちーとばかし顔貸せや」
 いつもと違う呼び名で門木に声をかけてくる。
「ただし動きやすい服装でな」
「何をするつもりだ?」
 首を傾げながらも後に続き、着いたのは学園の廃墟だった。
「天魔の力、俺が見せたるわ」
 周囲に人影がないことを確認し、ゼロが立ち止まる。
「先生のとはちゃうけどな。ま、見といて損はないやろ」
 言葉と同時にゼロの髪が白銀に染まる。
 その身を漆黒のアウルが包み、その周囲を白銀の稲妻が飛び交う。
 まだ何もしていないのに、指一本動かしていないのに、その威圧感だけで吹き飛ばされそうだ。
 これがゼロの、天魔双方の血が覚醒した本当の姿なのか。
 しかし、この状態は――
「ゼロ、戻れるのか?」
 元の意識はあるのだろうか。
 なくなっているとしたら、次の瞬間に自分は終わる。
「天国から地獄なんて、冗談じゃないぞ…」
 その耳に、獣の様な雄叫びが突き刺さった。
 門木は音圧だけで後ろに吹っ飛ばされる。
「グオォアァァァッッッッ!!」
 その声が止んだ時、ゼロの姿は元に戻っていた。
 息は荒く、目は血走っているから――どうにか、といったところか。
「構えろ、門木章治」
「え?」
「戦闘訓練や、ガチのな」
 お前は心の強さは手に入れた。
 しかし本当の強さは心だけでも力だけでも成り立たない。
「どーも自分の周りには過保護な奴が多いからな。こっち方面は俺が面倒見たる。容赦なくな」
「待てよ、俺は…」
 種族こそ天使だが、ただの一般人だ。
 甘さと弱さを武器にするしかないヘナチョコだ。
「守られるだけも心配かけたくもないんやろ?」
「それは…」
「ならそれ相応の強さが必要や。『できる事をやればいい』もうその段階は終わりや。腹括ったんやろ?」
「ああ、だが無理なものは無理だ」
 悲しいかな、人には明確に向き不向きというものがある。
 いくら鍛えても、この打たれ弱さはどうにもならない。
 怪我をすれば却って足手纏いだし、大切な人を悲しませるだろう。
「だから、逃げる」
「なんやて? それじゃ守れんやろ」
「そうでもない」
 自分は逃げ切るだけでいい。
 それで敵の注意が逸れることもあるだろう。
「足手纏いがいなければ後は自分でどうにかする。俺が惚れたのはそういう女だ」
「さらっと惚気かい。動けん状態やったら?」
「抱えて逃げる」
「なら俺の足から逃げ切ってみせるんやな!」
 言葉と同時にゼロが突っ込んで来る。
 門木も足には自信があったが、ゼロはそれ以上に速かった。
 吹っ飛ばされ、後ろの瓦礫に叩き付けられる。
「どうした、逃げ切るんやなかったんか!」
 ゼロは倒れた門木をヒールで治療し、立たせようとした――が。
 動けない。
 呼吸する度に背中に激痛が走る。
「なんでや、タックルかましただけやのに」
 それは、一般人だから。
 打たれ弱いから。
 周囲の過保護にはそれなりの理由があるのだ。
「言った、だろ…無理、だって」
 とりあえず、ありったけの治療スキルぶち込んでくれるかな。
 それでどうにか、歩ける程度には回復する筈だ。
「足を、鍛える訓練なら…有難いが。それ以上の、荒っぽい事は…勘弁してくれ」
「なら、これからも風雲荘にいる間は鍛えたるわ」
 加減は覚えた。
 次からは怪我をさせないように――その分、厳しく。

「それはそうと、このまま帰ったら流石に怪我がバレるよな」
 かといって治るまで帰らないわけにもいかないし。
 これは、久しぶりに説教だろうか。
 それはそれで、楽しみではあるのだけれど――え、だめ?


 門木がこっそり家に戻った頃。
 ひとり廃墟に残ったゼロは、咳の発作に襲われていた。
「…チッ。まだ使いこなせへんか。俺もまだまだか」
 それが収まった時、掌にはべっとりと赤いものがこびりついていた。


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: −
重体: −
面白かった!:7人

Eternal Wing・
ミハイル・エッカート(jb0544)

卒業 男 インフィルトレイター
陰のレイゾンデイト・
天宮 佳槻(jb1989)

大学部1年1組 男 陰陽師
夜明けのその先へ・
七ツ狩 ヨル(jb2630)

大学部1年4組 男 ナイトウォーカー
天蛇の片翼・
カノン・エルナシア(jb2648)

大学部6年5組 女 ディバインナイト
By Your Side・
蛇蝎神 黒龍(jb3200)

大学部6年4組 男 ナイトウォーカー
212号室の職人さん・
点喰 因(jb4659)

大学部7年4組 女 阿修羅
優しき強さを抱く・
ユウ(jb5639)

大学部5年7組 女 阿修羅
Cherry Blossom・
華桜りりか(jb6883)

卒業 女 陰陽師
縛られない風へ・
ゼロ=シュバイツァー(jb7501)

卒業 男 阿修羅
守り刀・
北條 茉祐子(jb9584)

高等部3年22組 女 アカシックレコーダー:タイプB
もふもふコレクター・
シェリー・アルマス(jc1667)

大学部1年197組 女 アストラルヴァンガード