「来るか…」
夜明け前、ファーフナー(
jb7826)は海に向かって日の出を待っていた。
大晦日の太陽も元旦の太陽も何ら違いはない筈だ。
こうして海を染めていく赤色を眺めていても、特に拝みたくなるような衝動は湧き上がってこない。
しかし、周囲には昇る朝日に向かって手を合わせている者の姿が多く見受けられた。
恐らくそれは気の持ちよう、有り難いと思えば違って見えるものなのだろう。
普段、何も気に止めない光景も、意識を向けて見れば意味のあるものになる。
「確かこの国では、鰯の頭さえ信仰の対象となるのだったか」
これから向かう海底神社も然り、信心のない身には「何を酔狂な」と思うばかりだが、それを口に出すほど野暮ではないし、他人の思いを否定もしない。
それに信心に関係なく気軽に参加出来るのが初詣、日本の神様は太っ腹なのだ。
空に朝の光が溢れる頃には、船の準備も整っていた。
「ひゃっはー、海でござるよ、海!」
エイネ アクライア(
jb6014)は出航前から大興奮、甲板の上を船首から船尾まで犬コロの様に走り回っている。
なお、既に準備万端サラシに褌という出で立ちだった。
\うーーみーー!!/
「海底神社はどこでござるか?!」
いや、まだ出港してないから。
「動き出したでござるよ! まだでござるか!?」
桟橋から5m離れただけなんだけど。
「ここでござるか!!」
いいから落ち着きなさい。
お座り、伏せ、待て!
「くぅ〜ん」
もう少しだから、大人しくしててねー。
「…多分、ウェットスーツなんか着こんだらかえって浮くよな」
礼野 智美(
ja3600)は噂など信じてはいないが、素潜りで初詣に挑むつもりだった。
「ここは久遠ヶ原なんだし、三年前参加した地方神事だって水着だったし、うん大丈夫」
いざ船に乗り込んでみれば、寧ろ水着の方が浮いて見える気もするけれど、多分気のせい。
全く潜る気のなさそうな人達も乗っているが、あれがギャラリーらしい。
彼等は海から上がった参拝者達にタオルを用意したり、暖を取るための手伝いもしてくれるようだ。
「スキューバダイビング楽しみです♪ でもその前に温まるお料理を準備しておきましょうか♪」
食材を入れたクーラーボックスを持ち込んだ木嶋香里(
jb7748)は、まず料理の仕込みにかかった。
船の調理場を借りて、関東風と関西風、それぞれの雑煮を仕込んでおく。
後は食べる直前に焼いた餅を入れて温め直すだけだ。
「え、それはサポートの皆さんが? ではお願いしても良いでしょうか」
皆より先に上がって準備に入ろうと思っていたけれど、お陰でゆっくりと海中散歩を楽しむことが出来そうだ。
間もなく現場に到着するというアナウンスを聞いて、智美は一本に編んだ髪を頭上で纏め、念入りな準備運動を始めた。
スーツに身を包んだ者達も、それぞれに装備の点検を始める。
やがて船のエンジンが止まると、耳に入るのは静かな波の音ばかり――になる筈だったのだが。
「ここ!」
「で!」
「ござるな!!」
エンジン音よりも大きな声が響く。
エイネは船上を走り回って準備運動もばっちり、後は海に飛び込むだけだ。
「ええーい、砂原殿、何をぽやぽやしているでござるか! 早く神社を目指して潜行開始でござるよ!!」
どーーーん!
え、待って今なにが起きたの?
ちょっとそこカメラ戻してくれるかな。
「わあさむい(棒」
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)は迷っていた。
叶えたい願いはあるけど、素潜りでめっちゃ寒いのヤだしー。
こうして甲板に立ってるだけでも寒いのに、服を脱いで水に入るとか正気じゃないしー。
でもやっぱり願いのためには脱ぐしかないのかなー…などと、うだうだもだもだ葛藤していた、その時。
「qあwせdrftgyふじこlp!?」
背中から突き飛ばされて強制ダイブ。
寒い冷たい寧ろ痛い、しかしこれでもう何も怖くない。
船に上がったらもう二度と潜れない自信があるから、この場で水中誰得ストリップ。
大丈夫、こんな事もあろうかと下にサーフパンツ穿いてるから。
それ以外の全てを脱いで、ジェンティアンは海底へと潜って行く。
魚達の出迎えを受けて、気分は上々――この寒さと息継ぎの不安、そして迫り来るジンベエザメの巨大な影さえなければ。
「や、ついて来なくていいからね!?」
危険はないって言うけど微妙に怖いとスピードアップ。
行く手にはコブダイの久子さんの姿も見えた、けれど。
「ごめん、女の子とは種族不問で仲良くしたいけど、今の僕には時間が無いんだ」
決して魚類を差別してるわけではない。
「エアドームで一息ついた後に、またお会いしようお嬢さん!」
しかし、それが彼と久子さんが交わした最後の言葉となったのである。
「スキューバダイビングの装備を借りれば、カナヅチもお参りできるわね♪」
須藤 緋音(
jc0576)は静かに海の中に潜って行く。
潜る為の努力は特に必要ない、ただ水に身を委ねるだけで勝手に沈んで行く、それがカナヅチ。
(海の中に神社があるなんて、なんて素敵…『根性見せれば願いが叶う』らしいけれど、装備を付けても私の願いは叶いそうだわ)
と言うかそれは既に叶っていた。
緋音の願いはこうして海に潜って魚と一緒に泳ぐこと。
これまでは眺めているだけだったけれど、それだけでも充分に幸せだったけれど、今はこうして――
(あぁ、夢みたい! 装備があるから頬をつねるわけにはいかないけど、夢じゃないのよね。素敵、素敵、素敵!)
向こうからゆっっくりと泳いで来るのは、コブダイの久子さんだろうか――
「今日は貴重な体験を楽しみますよ♪」
料理の準備を終えて海に入った香里は、群れ泳ぐ魚達に混じって遊泳を楽しんでいた。
ウェットスーツを着込んでも身体の線は隠しきれなかったが、海の中では人の目も気にならない。
「素敵な光景ですね♪」
竜宮城というのは、こんな感じなのだろうか。
ジェンティアンを突き落とした直後に自分も飛び込んだエイネは、海底に向かって真っ直ぐ進んで行く。
「おぉー、冷たいでござるな!」
でも、故郷の冬の海の方が遥かに冷たい。
その海で鍛えた泳ぎは大得意で、その華麗なフォームとスピードにより魚雷悪魔との異名を取っていたとは本人の談。
(むむっ、こやつは噂の久子殿でござろうか?)
エイネは緋音と香里にぷにょぷにょされている大きなコブダイに近付いた。
(…触っても良いでござる?)
目線とボディランゲージで伝えると、久子さんの方から頭を寄せて来る。
(ほう、これは中々面白い手触りでござるなぁ)
ぷにょぷにょぷにょぷにょ…
暫くその感触を楽しませて貰った後は、お礼に持って来た餌をあげて。
(さて、拙者はそろそろ行くでござる。失礼仕ったでござるよ)
軽く手を振り、再び海底神社を目指す。
「私達もそろそろ行きましょうか」
「そうね、神主さんもいらっしゃったみたいだし」
身振りで会話を交わし、緋音と香里も久子さんに手を振ってその場を離れた。
(魚も改めてよく見てみると、色々な種類がいるのだな)
ファーフナーはゆっくりと海底を歩きながら、普段は触れる機会のない水中の世界に見入っていた。
泳ぐ事は必要に迫られて、或いは訓練や任務でという人生を送って来た為に、水の中をゆっくりと見る機会など殆どなかった気がする。
そんな趣のない人生の1ページに、こうしてのんびり魚を見て楽しむ経験を書き加えてみるのも悪くない。
(人が存在しない場所にも、様々な生命が存在しているものだな)
動物とは互いに先入観を持たずに付き合える。
人を相手にするよりも遥かに気楽だ。
「お前は向こうでも食べ物をねだっていたようだが」
寄って来た久子さんの旺盛な食欲に感心しながら餌をやってみる。
「俺は今、楽しんでいるのか…」
こうして懐かれるのも、悪くないかもしれない。
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)の身体は、その多くが機械化されている。
と言っても見た目は普通の人間と殆ど変わるところがなく、風呂もシャワーも問題ない程度には防水加工が施されていた。
しかしそれでもやはり水は苦手であり、特に海は鬼門だった――二年前までは。
昨年初頭にスキルを応用した水陸両用義体が完成た結果、ある程度は水中活動も可能になり、活動範囲もぐんと広がった。
「それは有難いことだし、文句を付ける余地はねーんだ」
ただ一点、デザインがアレなことを除けば。
「だからって別に、初詣で願掛けとか願い事とか…いや、しないとは言ってねーけど」
せっかくの機会だし、ついでだからお参りもする。
しかしメインは水深20メートルでの活動試験、及びそれに関する全データの提出という「お仕事」だった。
ラファルは高額な試作義体を無償で貸与される代わりに、諸々のデータの提出を義務化されている。
プライバシーなにそれ美味しいの、である。
しかし流石に頭の中まで読まれることはないし、仕事のついでに何をしようと文句を言われる筋合いはない。
せっかくの機会だから利用し倒してやろうと考える事は自由なのだ。
「しかし今回は変化の術も使えねーのか」
いつもなら見た目だけは美少女のままでいられるのに、おのれー。
よって海に入るぎりぎりまでは「変身」せず、神主が飛び込んだことを確認してから、それを追う様に――
「擬装解除水陸両用モード「ラッガイ」起動」
ペンギンらしく魚達と戯れてもみたい所だが、それは時間が余った時に。
「根性見せたほうが願い叶いそうかな…。願い事も有るしなあ」
入念な準備運動を済ませた逢見仙也(
jc1616)は、神主に続いて海に飛び込んだ。
身に着けているものは褌ひとつ、寄って来る魚達には見向きもせずに海底神社へと直行する。
途中でエアドームに寄っておみくじを引き、絵馬を書き、お神酒を回収して神社へ向かった。
寄り道している暇はない。
仲間との暖かい交流? 海の生き物とのふれあいを楽しむ?
そんなことより命が大事、そもそも蛇は変温動物ですからね、寒い中ゆっくりしてたら永遠の冬眠に入りますよ。
願いの為根性見せるつもりで褌で潜っただけですから。そこまで出来ません。
お祓いもいらないから、先にお参り済ませちゃって良いですよね。
「今より良い魔装が手に入りますように!」
防具の新調、強化を願って神社を離脱、中吉のおみくじと絵馬を鳥居に結んでさっさと浮上。
後は皆さんごゆっくり!
鳥居をくぐる前にきちんと一礼し、ジェンティアンは神主の前に立つ。
背後に巨大な鮫の気配を感じるのはきっと気のせい。
途中でドームに寄ったエイネも「もっと強くなる!」と書かれた絵馬を鳥居に結んでその下をくぐった。
「日頃はお祓いする姉上や母上サポートする側だし」
たまには受ける側に回ってみたいと、智美はエアドームでぎりぎりまで息継ぎしてから列に並ぶ。
「…お祓い中に息が苦しくなって離れるのは神様に対しても失礼だし」
ラファル、ファーフナー、香里、緋音、それに他の参加者達も揃ったところで、厳かに神事が執り行われた。
祝詞を唱える声はゴボゴボとしか聞こえないが、きっと神様には届いているのだろう。
防水加工を施した御幣が振られ、その動きに合わせる様に久子さんがゆっくりと泳ぎ回っている。
そこに流れる時間はとれも緩やかで――
(神主さんハリアップ!!)
あ、無理。これ以上息止めてたら自分が神様の所に行く羽目になる。
ジェンティアンは慌ててドームに飛び込んだ。
「く、苦しい、ていうか寒い寒い寒い」
ガタガタ震える手で御神酒をぐいっと駆けつけ三杯。
大丈夫! 撃退士は酔っぱにはならないよ、あはははは!
そんな中、概ね順調にお祓いは続く。
しかしゴボゴボ言う音が眠気を誘い、エイネはうとうと船を漕ぎ始める。
それに気付いたファーフナーは、その背を軽く小突いてみた。
(…はっ?!)
危ない、このまま寝たら土左衛門になる所でござった!
(かたじけのうござる!)
喋れないけど、伝われこの気持ち!
自身にとっては馴染みのないその行事を、ファーフナーはじっと観察していた。
皆は何を祈っているのだろうか。
(誰しもが内に秘めた願いがある。現実は厳しいが…)
厳しいからこそ、人はこうして祈るのだろう。
智美は首に提げた小さながまぐちから小銭を出して、賽銭箱に入れた。
ラファルの願いは恋人との関係が発展する事と、この義体がもっとかっこよくなる事。
(○ッガイがせめてギラズー○くらいには…!)
復活したジェンティアンは、練り上げたアウルでブルーローズのミニブーケを作って神前に供えた。
その花言葉は「願いは叶う」だ。
「大切なはとこが幸せでありますように」
自分の事は自分でどうにかする。
でも、彼女の事はどうにも出来ないから。
それに、この続かない息も。
「今年1年も良い年になって欲しいです♪」
香里はそう祈りながら手を合わせた。
どの願いも叶えばいいと、ファーフナーは思う。
そして自身の願いは……
「ぐはッ」
お参りを済ませたジェンティアンが引いたおみくじは、何と大凶。
「いや、逆に考えるんだ」
身の回りに起きる凶事を全部自分が引き受けたと思えば大事なはとこは安心安全。
やったね早速願いが叶ったよ!
それを鳥居に結び付け、一礼してから海上へ。
が、その背後から巨大なジンベエザメが――
「や、だからついて来なくていいってば!」
サメ子ちゃんはお帰り下さい!
「私はもう暫くここにいようかしら」
緋音はすっかりエアドームが気に入った様だ。
「だって海の中で休憩できるのよ? 本当に夢みたい!」
360度どこを見ても海。
きっと一日中眺めていても飽きないだろう。
そんなわけには行かない事はわかっているけれど。
尚、浮き上がる気配が微塵もないので誰かサルベージお願いします。
一足先に船に戻った仙也は、乾いた服に着替えて全速力で船室に籠もった。
そこにはテーブルに布団をかけて板を置いた、炬燵っぽい何かが置かれている。
熱源は自分自身の体温のみだが、防寒着を着て入っていればきっと暖かい、はず。
外で何か花火が上がったみたいだけど、動きたくないでござる。
「新年一発目、めでたく行こうか」
着替えを済ませたジェンティアンが、船の上でファイアワークスを打ち上げる。
「でも寒いっ!!」
「そんな時にはこれをどうぞ♪」
凍える身体に香里の心遣いが染みる。
「暖かいお雑煮で冷えた身体を温めてくださいね♪」
関西風で良かったかな。
「皆さんもお好きな方をどうぞ♪」
そんな中、出来るだけきちんと身支度を調えた智美は神主の元へ。
「寒い中神事行ってくれたんだし、神社の維持費にでも使ってもらえれば」
白い封筒に入れた心付けを手渡す。
これからもずっと、海の安全と皆の願いを守ってほしいと想いを込めて。