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マスター:STANZA
シナリオ形態:イベント
難易度:普通
形態:
参加人数:21人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2016/01/19


みんなの思い出



オープニング



 ※このシナリオは初夢シナリオです。
  オープニングは架空のものであり、ゲームの世界観に一切影響を与えません。



 時間、それは常に過去から未来への一方通行。
 誰の上にも等しく同じ速さで流れ、早送りもスキップも出来ないものだ。

 出来ないものだと、考えられていた。

 彼――門木章治(jz0029)がタイムマシンを発明するまでは。


 それは偶然の出来事だった。
 強化には失敗が付き物とは言え、せめてもう少し成功率を上げたい。
 目の前で真っ白になり、砂のように崩れ落ちる生徒達の姿を見るのはもうたくさんだ。
 そう考えた門木は、アイテムの強化に使う錬成窯そのものの強化に着手した。
 その結果、予想もしないことが起きたのだ。

 ――錬成窯がタイムマシンに変異しました――

 何がどうしてそうなったのかは、門木にもわからない。
 わかるようなら、失敗も変異もとっくに確率ゼロになっている筈だ。
 ついでに原理もわからない。
 しかし何故か、それがタイムマシンであることと、その使い方だけは、見た瞬間に理解したのだ。
 まるで分厚いマニュアルの内容が全て、一瞬にして頭の中に流れ込んで来たかのように。

 助手のひとりに操作法を伝授した門木は、自ら被験者となってマシンの試運転を繰り返し、その仕様と安全性を確かめた。
 その結果、わかったことがある。

 このタイムマシンで時間を超えられるのは本人の精神のみで、肉体はそのまま現在に留まる。
 そして飛ばされた精神は、器となる肉体――つまり「その時間に存在する本人」に憑依することによって、その時間での活動が可能となる。
 器になれるのは本人の肉体のみ。
 よって恐竜時代や一万年後の未来など、時間移動を行う本人が存在しない時間へ行くことは出来ないのだ。

 つまり、門木が自分が生まれる前の両親の様子を知りたいと思っても、エラーとなってマシンは作動しない。
 10歳当時の時間に戻りたいと考えた場合は、外見10歳中身おっさんのナーシュきゅんになる。
 未来に行こうとした場合は、エラーの有無で寿命がわかってしまう――かもしれない。

 行ける時間についてはそうした制限があるが、行ける場所に制限はない。
 移動手段が存在するなら、どこでも好きな場所へ行ける。
 本来なら自分がその時間にいなかった場所へも。

 あの時、自分があの場所にいれば。
 或いはあの場所にさえ行かなければ。
 その後の人生は今と違っていたかもしれない。
 それとも結局は何も変わらないのだろうか。

 それを確かめることも出来る。
 望むなら、変えることも。

 ただし変えた結果が「今」に反映されるかどうかはわからない。
 同様に、そこで見た未来がやがて訪れることが約束された確実なものである保証もない。

「それでも構わないなら、使ってみるといい」
 門木はそれを学生達に解放した。
 大丈夫、装置自体の安全性は確認してある。
 飛んだ先の安全までは保証出来ないし、もしそこで死んでしまったらどうなるのか――それもわからないが。

 時間制限は特にない。
 戻りたいと思えば、過去とのリンクは即座に解除される。
 なお、どれだけ長く飛んでいようとも、現在の時間ではほんの一瞬だ。
 一夜のうちに夢の中で一生分の経験をするような感覚と思えば良いだろう。

 ちょっと先の未来を先取りしてみても、50年後でも百年後でも、大切な誰かがまだ元気だった頃にでも。
 他の誰かと一緒に飛んで、体験を共有する事も可能だ。



「さて、準備は良いか?」
 タイムマシンの傍らに立ち、門木が声をかけた。



リプレイ本文

●シグリッド=リンドベリ(jb5318)の今

「タイムマシン作っちゃうとか流石章兄なのです」
 キラキラと光る尊敬の眼差しで、シグリッドは門木を見つめた。
「いや、出来たのは偶然なんだがな」
 一歩間違えばコーラか何かになっていたかもしれない突然変異。
 上手く作動したのは奇跡と言う他はない。
「どうだ、お前も使ってみないか?」
 問われて、シグリッドはぷるぷると首を振った。
「安全性は確認済みだが……そうだな、タイムマシンなんてどう考えても怪しすぎる」
「いえ、そうじゃないのです。ちゃんと実験したなら、それは大丈夫なのですよ」
 実験の時に門木はどんな未来を見たのだろう。
 脳裏に浮かんだ想像図を振り払うように、シグリッドは再び首を振る。
「……でも過去はあんまり良い思い出ないし、未来は見たら立ち直れない気がするのです(まがお」
 未来は不確定なものだから、もしかしたら望んだ通りの世界に行けるのかもしれない。
 けれど、もしそうだとしても――いや、だとしたら余計に、現実に戻った時の絶望が深くなりそうだった。
「ぼく章に、じゃなかったせんせーのお手伝いしてようかな……」
 興味がないと言えば嘘になるが、それより少しでも長く一緒にいられる方が嬉しいから。
「何をどう手伝えば良いのか、さっぱりわかりませんけど……あ、お茶淹れるくらいなら出来るのです……!」
 科学室の事なら自分の家と同じくらいに知っている。
 ストックしてあるお菓子の種類と量からそれぞれの賞味期限まで完璧に把握済みだ。
 何しろ最低でも一日三回、朝とお昼と放課後に毎日入り浸ってますからね!
「あ、そう言えばお茶に丁度良い一口サイズの豆大福があったのです」
 順番待ちの人に出したら喜んでもらるだろうか。
「そうだな、お前が対応してくれるなら俺は機械の操作に専念出来る」
 門木に言われて、シグリッドはせっせとお茶の仕度を始めた。
 皆にそれを配るうちに、機械の方も準備が出来たようだ。

 シグリッドは学生番号の順に並べられた予約者のリストを読み上げる。
「では最初のかた、どうぞなのですよー」





●雫(ja1894)の過去

「上手く行けば記憶を取り戻せるかも……」
 そんな淡い期待を胸に、雫は過去に飛んだ。
 軽い衝撃を感じて目を開けると、そこは数年前に記憶を失った場所――の、筈だった。
 見渡すと、周囲はどこにでもある様な商店街。
 今日は休日なのだろうか、平和そのものといった風で大勢の人々が散策を楽しんでいた。
 しかしここが何処なのか、何故自分はここにいるのか、何も覚えていない。
 店のガラスに映った自分の姿は今よりも幼く、服装も今とは違っていた。
 そこから考えて、今が過去である事は確かなようだが――
「襲われる前に戻れば記憶も戻るかもと思ったのに駄目だなんて……しかも、力も学園に来た当初並に下がってる」
 ふと思い付いてヒヒイロカネをさぐると、そこには唯一「月読」と銘の入った阿修羅曼珠のみが格納されていた。
 それは雫が記憶をなくした時に持っていた唯一の手がかりだった。
「とにかく、ここでじっとしていても始まりませんね」
 自分の家はこの近くなのだろうか。
 誰か自分の事を知っている人はいないだろうか。
 手がかりを求めて歩き出した、その時。

 近くの防災無線から、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。
 天魔の襲撃だ。
 人々に避難を促すアナウンスが繰り返し流れ、平和だった街はたちまちパニックの渦に呑み込まれた。
 反射敵に、雫は撃退士としての行動を取った。
 一般人の避難を誘導し、襲い来る敵の矢面に立つ。
 能力は低下しているし得物は一振りの刀のみ、どうやらスキルも使えそうにない。
 それでも。
 敵の攻撃をかわし、その身に刃を突き立てる。
 この自分が知らない身体の使い方を、中にいる自分は知っていた。
「力は失っても知識があれば何とかなりますね」
 そうして敵を倒しながら進んだところに、大きな山があった。
 いや、山のように見える人がいた。

「ここは童の来るところではない。他の者に見付からんうちに、去ね」
 顔は見えなかったが、あれは――

「あ……戻って来た?」
 気が付けば、そこは科学室。
 戻る直前、自分に書き置きを残した。
 苗字と家族、住所をどこかに書き残すようにと。
 あれはどうなっただろうと思い返せば、脳裏に甦る「不破」という文字。
 他には何も思い出せないが、それが自分の姓なのだろうか。
「そう言えば、あそこで会ったのはダルドフさん……ですよね」
 彼は覚えているだろうか。

「さあ、覚えてはおらぬのぅ」
 ダルドフはそう答えたが、さて、それは本当だろうか――


●亀山 淳紅(ja2261)とカーディス=キャットフィールド(ja7927)の未来

 それはワールドツアーが始まって一ヶ月後のこと。
 今や猫マネージャーのカーディスと共に世界を飛び回る歌謡いとなった淳紅は、ホテルの一室で机に向かっていた。
 備え付けの便箋に、遠い祖国で待つ妻と子供達の名をしたためる。

『元気にしていますか?
 あまり帰れてなくてすみません
 子供達はまだ自分の顔を覚えてくれているでしょうか』

 このツアー中は勿論、淳紅は普段からあまり家に帰れない生活が続いていた。
 長年の夢であった声楽家となり、しかも今や世界を代表するトップスター。
 ポップス界の重鎮とのコラボを目玉にカーネギーホールで行われたコンサートも連日の満員御礼、明日は追加公演が行われる予定だった。
 多くの人が自分の歌を楽しみにしてくれる。
 それは歌謡いとしては紛れもなく幸福なことだ。
 しかし、ひとりの夫として、父親としては――

「帰ったら泣かれるかもしれへんなぁ」
 上が女の子、下が男の子。
 世間では理想的な組み合わせと言われる一姫二太郎だ。
 スマホの待ち受けにしている写真は、家を出る時に家族で撮ったものだ。
 子供の成長は早いと言うし、帰ったら見違えるほど大きくなっているかもしれない。
 おじさん誰、とか言われたらもう立ち直れないかもしれないけれど。

『せめて歌だけでも覚えていてくれれば、猫マネージャーに泣かされつつツアーを続ける自分の心も癒されるというものです』

 淳紅は舞台に立ち続ける。
 自分の歌を楽しみに待っていてくれる人がいるかぎり、それが紛争地帯だろうと鳥も通わぬ秘境だろうと。

 天魔との戦いが終わっても、この世界には争いが絶えなかった。
 外に敵がいなくなれば、今度はその刃を身内に向ける――それが人の悲しい宿命なのかもしれない。
 そんな世界でも、そんな世界だからこそ、自分の歌が必要なのだ。

「とは言うても、コレ流石にきっついわ……」
 淳紅は椅子の背にもたれかかり、天井を仰ぐ。
 そこにノックの音がした。

「亀山さん〜お疲れ様です」
 もふもふの黒猫忍者、今や淳紅のマネージャーとなったカーディスがドアから顔を覗かせる。
 その手には黒い革表紙の手帳が握られていた。
 嫌な予感。
「早速ですが次のお仕事が入りましたよ」
 ああ、やっぱり。
「次はですね〜……ん? なんです? お休みがほしい、ですって?」
 キラリ、黒猫の目が光る。
 ニャーディス君は優秀なマネージャーである。
 が、優秀すぎるのが玉に瑕。
「ダメですよ〜スケジュールぎっちりなんですから! 世界ツアー中に何言ってるんです!」
「せやかてこのツアーも最初は一ヶ月で終わる筈やってんで?」
 その一ヶ月は既に過ぎた。
 なのにまだ、あと一ヶ月は帰れないことが確定している。
 ツアーの最中にもどんどん追加で仕事を入れた結果がこれだ。
「良いじゃないですか〜、人気者の証拠なのですよ〜」
 そう言って、猫マネは書き込みで真っ黒になった手帳のページを見せた。
「これだけの人が、亀山さんの歌を楽しみに待っているのです」
 とは言え、流石にこのスケジュールは過密すぎたか。
(仕方ないですね〜)
 そろそろ飴と鞭の、飴の方が必要な時期かもしれない。
「ではツアー終了後に一週間のお休みを入れておきましょう」
 日本への航空券と、ついでに家族へのお土産も手配して。
「これからパリとウィーンにも行きますし、お子さんがたにはそこで画材や楽器を選んで差し上げるのが良いでしょうか〜」
 では、それを励みに残りの一ヶ月がんばりましょーね♪
「っしゃ、歌いにいくでーばりばりー! 望んだ仕事は楽しけり、やでっ!」
 ちょろ(

 交渉を終えて自室に戻ったカーディスもまた、机に向かってペンを走らせていた。
 書いているのは実家の両親に向けた手紙だ。

『イギリスのお父さんお母さんお元気ですか?
 私は元気に亀山さんのマネージャーをしております。
 近頃寒くなってまいりましたが、どうぞお体に気をつけて。
 カーディス』

 便箋にはロンドンで行われるコンサートのチケットを添えて。
 自分の仕事、見に来てくれるだろうか――


●ミハイル・エッカート(jb0544)の過去

 そこは、とあるホテルの一室。
 ホテルと言っても観光客が利用するような洒落た部屋ではない。
 ここは裏道に一歩入れば血と硝煙の匂いが身体に纏い付いて来るような街だ。
 そしてこの部屋にも、その同じ匂いが層となって折り重なっている。
 見た目は清潔で、家具や調度もそれなりのしつらえだ。
 だが、壁や窓は完全防音、もし音が漏れたとしても従業員が顔色を変えて飛んで来る事はない。
 ここは、そういう部屋だ。
 この上にまたひとつ、新たな層が作られたとしても、誰も気に留めはしない。

 今から十年近く前。
 彼はここで恋人を撃ち殺した。
 そして今、彼の意識はその当時の身体に宿っている。
 変えられない過去を変えるために。

「それ、弾入ってないぞ」
 銃を手に取った恋人に背を向けたまま、ミハイルは静かに言った。
「誰が抜いたかは知らんが気付かないはずがない。君の愛銃なのだから」
 背後で銃口が揺らぐ気配がした。
「それは貴方の願望でしょう?」
 懸命に冷静さを保とうとする声。
「違う、事実だ」
 ミハイルは彼女に向き直った。
 あの時は躊躇うことなく、自分に銃を向た彼女を撃った。
 殺られる前に殺る、その鉄則を忠実に守った。
 だが今ならわかる。例えその銃に弾が入っていたとしても、彼女には撃てない――撃つ気がないと。
「逃げてくれないか。俺のことはいい」
 一緒に逃げよう、とは言えなかった。
 もう恋人同士には戻れない。
 だが、どこかで生きていてほしかった。
 例え夢の中でもいいから。
「俺は大丈夫だ」
 この失敗に対して何らかの処分は下るだろう。
 だが自分まで殺されることはない。
 しかし彼女は震える声で告げた。
「私はもうダメ。でも貴方は生きて。私を忘れて……」
 枕の下に、ミハイルは銃を隠していた。
 阻止する間も与えずに、彼女はそれを奪い取り――自分の頭に銃口を押し当てた。
 銃声と共に、脇の壁面に赤と薄茶色の混じった花が咲く。

 やはり、何も変わらなかった。
 しかし不思議と悔しさは感じない。
 取り乱すこともない。
 怒りも涙も後悔も、全て時の向こうに置いて来てしまったのか。

「俺、前に進めるようになったぜ。好きな人ができた。君に少し似てた。振られたけどな。たいした進歩だろ」

 そう語りかけてみる。
 奇跡的に綺麗なままで遺されたその顔が、そっと微笑んだような気がした。


●ユーラン・アキラ(jb0955)の過去

「やつに会って真実を確かめないと……」
 彼の恋人が堕天使に殺された、その理由が知りたい。
 あの時の自分は正気ではなかったから。

 それは二年前。
 この学園に来たばかりの頃。

 彼女と例の堕天使は、久遠ヶ原学園に通う撃退士だった。
 三人はいつでも行動を共にするほど仲が良かった――筈だ。
 だから、あの日も一緒に同じ依頼を受けていた。
 敵は当時としては強敵の部類に入る天使。
 しかし、アキラは臆することなく向かって行く。
「どんな強敵だって、必ずどこかに弱点がある筈だ。そこを衝けば――!」
 諦めずに粘れば、いつか必ず隙が出来る。
 そこを狙って天使を地上に追い落とし、追い詰め――
「今だ!」
 しかしアキラは気付いていなかった。
 いつの間にか、自分が敵の術中に囚われていたことに。
「アキラ、やめろ! それは……!」
 気付いた堕天使が制した時にはもう、彼の得物は敵の身体を深く刺し貫いていた。
 次の瞬間、術が解ける。

 アキラの目に映ったのは、今まさに事切れようとする恋人の姿だった。

 呆然とそれを見つめるアキラの耳に、天使の高笑いが響く。
 その声は渦を巻きながら頭の中に流れ込み、全てを壊していった。
 理性も、感情も、記憶も、何もかも。

「違う、お前がやったんじゃない。やったのは……俺だ」
 気が付けば、戦いは終わっていた。
 天使は去り、残されたのはアキラと堕天使、そして彼女の亡骸。
 アキラと彼女は敵の罠に嵌まり、幻覚によって互いを敵だと信じ込んだ。
 そして――

「彼女を殺したのは俺だ、憎むなら俺を憎め!」
 友の言葉にすがり、全て忘れた。

 それが真相だった。

 かつて友であった堕天使は、真実と共にアキラの前から姿を消した。
 その行方は今もわからない。
 あの時の天使がどうなったのかも、知るすべはなかった。

「……あ……ぅ、あ……っ、あぁ……っ」
 忘れていた感触が甦る。
 彼女を刺した時の確かな手応え。

 アキラは吠えた。
 泣いているのか、ただ叫んでいるだけなのか、自分でもわからなかった。


●天宮 佳槻(jb1989)の過去

「……あの時もう一つの選択をしていたら?」
 三年と数ヶ月前、彼は学園の中等部に編入したばかりだった。

 その頃の彼は、路地裏の酒場で食事を摂ることが多かった。
 酒場と言っても昼の間は殆ど食堂と言ってよく、未成年が出入りしていても何ら咎められることもない。
 食事は美味かったのか、それとも不味かったのか、よく覚えていない。
 あまり流行っている様子にも見えなかったから、それほど美味くはなかったのだろう。
 だが当時の彼にとっては食事の質にこだわる理由はなく、ただ腹が満たされればそれで充分だった。
 だから他の店でも学園の食堂でも、食事の場はどこでもよかったのだが――ただ、そこの寂れた様子が妙に居心地が良かったことは覚えている。
 その居心地の良さも、すぐに失われてしまうのだが。

 あれは十一月の半ば、その季節にしてはやけに冷たい風が吹いた日。
「又のお越しを」
 馴染みの声を背に、佳槻は店を出た。
 本当ならその日、店を出ることはなかった筈だ。
 薄暗い路地に立って携帯電話を取り出し、日付を確かめる。

 そう、確かにこの日だった。

「坊主、おめぇここに住む気はねぇか?」
 店主にそう声をかけられたあの日、自分は黙って頷いた。
 その時から、ここは自分の家になった。

 けれど、その後間もなく店主は不意に姿を消した。
 店は見知らぬ誰かの手に渡り、全く違う顔を見せ始め――自分の居場所もなくなった。

 もし、あの時に首を横に振っていたら?
 その選択の先では何か変わっているのだろうか?
 それとも多少経過が変わっただけで、特に変わらないのだろうか?

 そんな思いを抱き、僅かな荷物を背に負って、佳槻は店主に別れを告げる。
 当てもなく歩き始めたその姿は、夜の街に吸い込まれていった。

「結局、何も変わらないのか」
 時間旅行から戻った佳槻は、酒場の前に立って軽く溜息を吐いた。
 もしかしたら、何かが変わっているかもしれない。
 昔のままのあの店に戻っているかもしれない。
 そんな淡い期待は儚くも消えた。

 ただひとりの存在が何かを劇的に変える、そんなドラマのような出来事は、そう容易く起きるものではないらしい。
 だからこそ、それは奇跡と呼ばれるのだろう。

 だが、奇跡はいつか起きるものだ。
 いつの日か、奇跡と呼ぶに相応しい場面で。


●七ツ狩 ヨル(jb2630)の過去

「俺ね、ある時より前の記憶が無いんだ」
 装置に入る前、ヨルはそう言った。
「思い出すのは殆ど諦めてたけど……やっぱり、気になって」
 思い出せないのはその必要がないからだと考えることで、自分を納得させてきた。
「でも、忘れていい記憶なんてないよね」
 忘れたいことはある。
 忘れてしまったこともあるだろう。
 でもそれは、一度自分で受け止めた上で、心のどこかにそっと隠したものだ。
 無自覚に奪われたまま、その存在さえ思い出せないのとは……多分、違うから。

 目を開けると、そこはぼんやりと薄暗い世界だった。
 周囲は森だろうか。
 両目で見る空はどんよりと暗く、大地も木々も、全てが色褪せて見える。
 目の前には、誰かの背中。
 ヨルはその人に手を引かれ、懸命に足を動かしていた。
 自分と同じ色の長い髪が、目の前で激しく左右に揺れている。
「ヨル、走って。走らないと殺される」
 自分の名を知る、自分にそっくりな誰かが振り向き、内容に比べて熱量の足りていない声で言った。
 言われるままに走ること数分。
 漸く二人で身を隠せる岩の窪みを見付け、息を整える。
「ヨル、頭でも打ったの」
 様子がおかしい事を察して、相手の方から尋ねて来た。
「私は貴方の姉。貴方は私の、たった一人の家族」
 記憶がないことを正直に告げると、そんな答えが返って来る。
 自分達が今、上位の悪魔――貴族と呼ばれる者達の『狩り遊び』の獲物として逃げ回っていることも。
「逃げ切れば私達の勝ち。報酬は次の狩りまでの命。わかった?」
 わからない。
 わかりたくもない。
「戦おう。逃げてばかりいたって、埒があかない」
 思わず出た言葉に、姉は耳を疑った。
 いつもの気弱な弟なら、今頃は泣き出しているだろう。
 その変化は嬉しくもあるが、戦おうにも今の彼等には武器がない。
 あったとしても、抵抗など許される筈もなかった。

 追っ手の気配を察し、二人は静かにその場を離れた。
 しかし、やがて崖の上へと追い詰められてしまう。
「ヨル、貴方だけでも逃げて」
 姉がヨルを崖下に突き落とすのと、その身体が朱に染まったのは、殆ど同時だった。
「……お姉、ちゃん……」
 そうだ、自分は姉をそう呼んでいた。

「お姉ちゃん!」

 最後に見えたのは、重くのしかかるような暗い空だった。


●蛇蝎神 黒龍(jb3200)の過去

 それは、いつのことだったか。
 冥界から衝動的に人間界に来て、様々な場所を旅した。
 人に遭い、物に遭い、良し悪しを喰み砕き、すぐさま飽いた。
「人の世界も、所詮はこんなものか」
 その頃はまだ、考えも話し方も今とは違っていた。
 絶望し、かといって元の世界へ帰ることも、新たな世界へ旅立つことも出来ず。
 結局は道化となって、その後もくだらぬ世界を渡り歩いた。
 くだらないと、思っていた。

 そんな時、あの男に出会った。

 彼は黒龍が冥魔であることを知っていた。
 知りつつも、そしらぬ顔で傍に置いた。

 男の印象は、丸めた背中と節くれた指。
 貌はどうしても思い出せない。
 こうして過去に戻り、その傍らに座した今も、男は顔を上げようともせず自分の仕事に没頭していた。
 それはいつもと変わらない光景。
 男は問わず、語らず、ただその在り方のみを黒龍に見せた。

「つまらん」
 最初の頃はそう思っていた。
 見るべきものがないと。
 だが、何故かそこを離れることが出来なかった。

 男の生業は、本を含めた書物の修理や改修だった。
 やがて黒龍は、その実直で堅実な仕事ぶりに「匠」という言葉を見出すようになる。
 派手さはないが、面白いと思うようになった。

 自分にも出来そうだと思って手を出してみるが、その度に特大の雷を落とされた。
 書物の魂に触れることも出来ぬ者が気安く手を出すなと言われた。
 それでも、そのうちに簡単な手伝いを任されるようになった。

「お前はこの世界をつまらんと言った」
 手を動かしながら、男がぽつりと零したことがある。
「それはお前が、今しか見ておらぬからだ」
 しかし、この中には全てがある。
 過去も未来も、良いも悪いも、人が想像することの全てが。
 そう言って、仕上げたばかりの本に岩のような手を触れた。

 その時から、読書が黒龍の趣味となった。

「結局また、貌は見えへんかったね」
 ひとり呟き、黒龍は仕事に戻る。
 男から引き継いだ、書物の修理と改修が彼の生業だ。

 本には過去や未来、夢が詰まっている。
 それを失わないように、今日も――


●詠代 涼介(jb5343)の過去

 それは数年前、涼介の『恩人』が命を落とした日。

(そういや俺は病気だったな……)
 ベッドで目を覚ました涼介は、まだ何も起きていないことを確かめる。
 その日、彼が入院していた病院は悪魔の襲撃を受けた。
 そしてあの人は、その悪魔から自分を守って命を落とした。
(でも、その時この場所に俺がいなければ――)
 こっそりベッドから抜け出して、パジャマのまま人気のない場所を彷徨う。
 自分には襲撃そのものを止めることは出来ない。
 しかし。
(これであの人が俺を庇って命を落とすことはなくなる)
 なくなる筈だと、そう思っていた。

 だが「そいつ」は現れた。
(こいつ……病院を狙ったのではなく俺を!?)
 何故だ。
 この時の自分は撃退士でも何でもない、病を患ったただの子供だ。
 悪魔にとって、狙う価値など欠片もない筈。
(違う、俺じゃない……)
 目の前に立ち塞がった「その人」の姿を見て、涼介は確信した。
(俺は餌だ。俺なんかよりもずっと狙う価値のある人をおびき出すための!)
 そこから先は見なくてもわかる。
 脳裏に焼き付いた光景が、今また目の前で繰り返された。
 寸分違わず、そっくり同じように。

 ただひとつ違っているのは、自分がその頃の何も知らない子供ではないということ。
 全てを理解した上で、それを見届けたということ。

「……過去に戻った甲斐は、無かったな」
 結局、何も変わらなかった。
 変えられなかった。

 しかし、涼介が気付いていない事実がひとつある。
 当時の新聞記事から、本来書かれているはずの『病院が襲撃され多数の犠牲者が出た』という一文が消えていた。
 本来なら失われていた筈の、多くの命が救われたのだろう。

 誰よりも助けたかった人の命は、救えなかったけれど――


●華桜りりか(jb6883)の過去

「あたしは自分の知らない過去へ行って家族を見てみたい。あたしの事を好きだったか聞いてみたいの……」
 少し怖いけれど、思いきって過去に跳んでみる。

 目を開けると、世界がとても大きく見えた。
 いや、違う。自分が縮んでいるのだ。
 目を上げると、そこには夢で見たことのある大きな桜の木があった。
 りりかは今、可愛らしい着物を着て、庭の見える縁側に腰をかけている。
 すぐそばに小さな池があった。
 縁側から飛び降りて、下駄をカラコロ鳴らしながら飛び石を渡る。
 そっと覗き込むと、水面に小さな女の子の姿が映った。
(これがあたしの小さい時?)
 まだ小学校に上がる前か、その直後――六歳くらいだろうか。
 この頃から桜が大好きだったようで、着物も帯も髪飾りも、どれも桜のモチーフで埋められている。
 そして、見上げれば満開の桜。

「りりぃ、やっぱり此処にいたのか……本当に桜が好きだな」
 ふいに聞こえた声に、りりかは振り返る。
(誰?)
 中学生くらいの男の子――少し自分に似ている気がする。
 緑の瞳に、肩まで伸びた黒から緑に変化する髪。
 目つきはお世辞にも良いとは言えないが、りりかはその瞳に不思議な温もりを感じた。
「如何した、父上にでも怒られたか?」
 ふわりと頭を撫でられると、幸せが身体じゅうに染み渡る。
「あ…に…さま?」
「ん?」
「あにさま、りりぃ……すき?」
「当たり前だろう、世界で一番りりぃの事を好きなのは、この俺だ」
 堂々と言ってのける。
「ほら、其処では首が痛くなる」
 この方が桜が見やすいだろうと、兄はりりかを抱き上げた。
 そうだ、いつも夢で見ていたのは、この高さから見た桜の花――

 兄の腕に抱かれたまま、眠ってしまったのだろう。
 戻った時にはその記憶も薄れ、寂しいけれど暖かな思いだけが心に残っていた。
「大丈夫か?」
 先程とは違う手が、かつぎ越しにりりかの頭を撫でる。
「章治兄さま……」
 大丈夫だと、りりかは目元の涙をそっと拭った。

 今、自分には兄や姉、弟や妹が大勢いる。
 それも皆、大切な家族だ。

 いつか遭うことがあったら、伝えたい。
 あなたの宝物は幸せに暮らしています、と――


●ファーフナー(jb7826)の過去

 やって来たのは、とある過去の一地点。

 それを変えるのでもなく。
 真実を知るためでもなく。

 ただ、これまで目を逸らしてきた自身に流れる血と、自身の感情から逃げ出さず、向き合い、受け入れるために。

 いつかの遠いクリスマス。
 サンタクロースの服が赤いのは、血で染まっているからだと知った夜。
 家宅捜索の現場に、彼は立ち会っていた。
 ほんの数時間前までは曲がりなりにも家庭と呼ばれていた筈のものは、最早ただの色褪せた箱にすぎなかった。
 中にあったものは全て、自分の手で打ち壊した。

 もう、逃げることはない。
 犯した罪に見合うだけの罰と言うには軽すぎる年月を、ファーフナーは獄中で過ごした。
 自分の他には誰もいない、目にするものもない、壁の中。
 思いは常に自分の中で回り続ける。
 ここでは誰かを憎むことで誤魔化すことも出来なかった。
 恨みも、憎しみも、後悔も、寂しさも、哀しみも、痛みも、苦しみも、全て自分で引き受けるしかなかった。
 認めるしかなかった。

 そうしたところで、もう遅いことはわかっていたけれど。

 数年後、法によって許された彼は塀の外に出た。
 その足で向かったのは、未だ赦されざる罪が眠る場所。

 すっかり廃墟と化したその場所に、かつての痕跡はない。
 しかし彼は迷うことなくその一点に向かい、百合の花を一輪、そっと手向ける。

 安らかに眠れ、などと言えた義理ではないかもしれないが、それでも。

 長く天涯孤独だった自分に、優しい時間と温かさをくれた、ただひとりの存在。
 感謝の言葉を花に添え、ファーフナーはその場に腰を下ろした。

 懐には、出所の際に形見として渡された日記帳が入っている。
 ずしりと重い感触が、それを押さえた掌から伝わって来た。

 そのページは、まだ一度も開かれていない。


●とあるヴァニタスの過去

「タイムマシンとは往々にして不完全なもの。でもだからこそ美しいものが見られる……そう思うんや」

 浅茅 いばら(jb8764)は、とある小学校の正門前で女の子の姿を探していた。
「リコは今、二年生の筈やな」
 どんな子だったのだろう、見ただけでわかるだろうか。
「せやけど遅いな……」
 見落としたかと思った頃、外の様子をおずおずと伺うようにして出て来る女の子の姿が目に留まった。
 その髪は今と違って黒い色をしているが、間違いない――
「リコや」
 声をかけようと思った矢先、リコが転んだ。
 後ろから走って来た男の子に突き飛ばされたのだ。
「こら、何するんや!」
 いばらが駆け寄ると、その子は一目散に逃げて行った。
「なんや、あいつ……女の子いじめて何が楽しいんや」
 その後ろ姿に呟きながら、リコに向かってそっと手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
 だが、リコはそれに答えず黙って立ち上がった。
 ランドセルから飛び出した中身を、慣れた様子で拾い集める。
「いつも、こんなことされとるんか?」
 それを手伝いながら尋ねると、リコは小さく頷いた。
「膝、擦り剥いとるな」
 近くの水道で洗い流し、絆創膏を貼ってやると、リコは漸く気を許してくれたようだ。

「りこ、ばかでぐずだから、しょうがないの」
 話を聞けば、リコは勉強も運動もあまり得意ではないらしい。
 おまけに何をされてもニコニコと笑っているものだから、いじめの対象として格好のカモにされているようだ。
 そればかりか、家庭でもあまり良い扱いを受けていないのではないか。
 出来ることなら救い出したい。
 今すぐにでも。
 でも、それは出来ない。
「りこ、へーきだから。おにーさん、ありがとう」
 丁寧にお辞儀をして帰ろうとしたリコの頭を、いばらはそっと撫でてやる。
「大丈夫、あんたは強い子や。お兄ちゃんが保証したる」
 絶対に幸せになるから。
 これから良いことが沢山あるから。
「辛かったら、これみてうちを思いだしや」
 いばらは自分の髪を一本引き抜いて、リコの手首に結んでやった。

 今はこれくらいしか出来ないけれど。
 いつかきっと、迎えに来るから――それまで、待っていて。


●アヴニール(jb8821)の過去

「現実は変わらない。そこから続く未来……現在も変わらないじゃろう」
 それは、わかっている。
「でも、それでも、もう一度会いたいのじゃ……」

 我の大切な、家族に。

 今、アヴニールは懐かしい屋敷にいた。
 両親はどこかへ出掛けているのだろう、だがすぐに帰って来る事はわかっていた。
「ふむ、では今のうちじゃな」
 アヴニールは長い髪を紐で縛り、どこからともなく取り出したエプロンを身に着ける。
「現実でとても良くしてくれる人が居っての。掃除も覚えたのじゃ」
 まるでメイドのようなその格好に、心配性の執事は大慌てで止めにかかった。
「なに、お嬢様にそのような事はさせられません、とな?」
 執事の鼻先でハタキをパタパタ振りながら、アヴニールは笑った。
 召使いの仕事を奪うなと言われれば、それも一理あると思う。
 しかし父も母も、それを咎めたりはしないだろう。
 寧ろ喜んでくれるに違いない。
「それに、このような事は一度限りじゃ」
 だから我が侭を聞いてほしいと言われ、何かを感じ取ったのか――執事は黙って引き下がった。

 広い屋敷の中、玄関ホールと普段皆で使う部屋の掃除を終えた頃、両親が帰って来た。
「綺麗じゃろ? 我が掃除、片付け、したのじゃ」
 なかなかのモノじゃろう?
 そう言って鼻を高くする娘の姿に、両親の笑顔が零れる。
「このテーブルも我が拭いたのじゃ」
 クロスをかけて花を飾ったのも。
 その食卓に運ばれて来た料理は決して贅沢なものではなかった。
 しかし、想いを込めて丁寧に作られたものであった事が、今となっては実感できる。
「こうして皆と食事出来る事は嬉しいモノじゃな」
 母には突然どうしたのだと笑われたが、その笑い声も現実では既に遠い。
 皆で食卓を囲む。こんな当たり前の事がもう出来なくるなど考えた事も無かった。

 これが永遠に続けばと思う。
(然し、我は我を『今』で、生きるのじゃ。全て受入れ前を向いての)
 だから、此処で笑顔で。

「世話になったのう」
 今に戻ったアヴニールは、そう礼を言って、笑った。


●ファウスト(jb8866)の過去

 それはいつも通り、SNSの親馬鹿超会議が盛り上がっている時のことだった。
 ファウストとダルドフによる孫と娘(ただしどちらも同一人物)の自慢合戦が、何の弾みか互いの嫁自慢と相成った。
「ファウの字よ、それほどまでに自慢するのであれば、ぬしの嫁御にも会うてみたいものよのぅ」
 そして二人は今、彼女に会うべく時空を超えてファウストの家にいた。

 そこは今から数百年前のドイツ。
 とある村外れの一軒家は、怖ろしい三白眼の魔法使いが住む家として有名だった。
 勿論、好んで近寄る者などいない――彼女ひとりを除いては。

 いきなりドアが開いた時、戸口に太陽が落ちて来たのかと思った。
 麦の穂にも似た金色の髪はそれほどに眩く、奔放に輝いていた。
 そばかすの目立つ鼻の頭に皺を寄せ、開口一番。
「今日も作り過ぎたから持ってき……ってなんで家の中に熊がいるわけ?!」
「貴様、来る時はノックをしろと何度言えば。後、そいつは熊に似てるが熊じゃない」
 わかった、これケンカップルだ。
 ダルドフのところは一方的に蹴りや肘鉄が飛んで来る形だが、こちらは互いに言葉の応酬を楽しんでいるようだ。
 簡単な自己紹介を終えたダルドフは、空気を読んでそっと部屋の隅に移動した――と言ってもそのサイズゆえ、完全に気配を消すことは不可能だったが。
「どう、今日のキルシュトルテ。自信作よ」
 そう言って差し出されたそれに対して、かつてのファウストなら「何かの一つ覚えだな」などと心にもないことを言ってしまっただろう。
 しかし、今日は違う。
 あの時は言えなかった素直な気持ちを、一言だけ。
「……そうだな。この先何百年経っても、これ以上の物は食べられまい」
 しかし、彼女の返事は。

「どうしたの、気持ち悪い。熱でもあるんじゃない?」

 酷い言われようだが、それを耳に心地良く感じてしまうあたり、かなりの重傷だ。
 昔も、そして今も変わらず――


●ジョン・ドゥ(jb9083)の未来

 彼はひとり、遠い未来へやって来た。
 それはかつて自分が地球に流れ着き、最初の一歩を記した場所。
 以前は手入れの行き届いた散策路が通じていたそこは、今や人が踏み込むこともない、それどころか獣道さえ見当たらないほどの緑生い茂る山になっていた。

「少し未来に来すぎたか、何処に埋めたのかわかりゃしねぇな」
 ジョンはそこで、何かを探していた。
 ここに来る前、未来の自分に向けて言伝をしてあった。
 この日、この場所に来るから、自分に何か告げる事があれば書いておけ――と。
 言伝を見た少し未来の自分がその通りにしているなら、それはタイムカプセルのように金属の箱に入れて、この山に埋められている筈なのだが。

 返信に何が書いてあるのか。
 未来を知るのは良い事なのか。
 スリルのようなものを感じつつ、箱を探す。
「あった、これか――!」
 漸く探し当てた小さな箱は、全体が錆び付いていた。
 それを何とかこじ開けて、中の紙を見る。

「…フフフフ…ハハハ、ハーッハッハッハッハッハ! 未来でも私は相変わらずのようで何より…!」

 ひとしきり笑うと、ジョンは満足げにその時間を後にした。
 手の中には何も書かれていない、真っ白な紙。
 それが未来の自分からの返信だった。

「ああ、そんな気がしていた……私ならこんな考えさせる返答を置くとな」
 白紙の意味は「未来は不定故、未来でなく今の自分が決めろ」という事なのだろう。
 我ながら「らしい」答えだ。

 その姿と同じように、彼の思考は過去も未来も変わることがなかった。


●黒羽 風香(jc1325)の過去

「時間旅行……昔に戻れば、もう一度お父様とお母様に?」
 会えるなら会いたい、伝えたい事もあるから。

 かつて風香は黒羽のお屋敷と呼ばれる大きな武家屋敷に住んでいた。
 両親もまだ健在で、天神流の修練に習い事、勉強その他と毎日が忙しく充実していた日々。
 あれはまだ七歳くらいの頃だっただろうか。
 従兄のお兄さんが気になるお年頃で――いや、それは今でも変わらない、寧ろ今の方がより強く想っているけれど。

「お嬢様! 風香お嬢様!」
 誰かが自分を呼ぶ声で、風香は我に返った。
 気が付けば自分の体はずいぶん小さくなっている。
 あの時に戻ったのだ。
 今、風香は道場の外壁に貼り付いていた。
 漏れ聞こえる声で、従兄が鍛錬に励んでいることがわかる。
 しかし窓は目線の上にあり、背伸びをしても中の様子は伺えなかった。
「お嬢様、またそのような所に」
 探しに来たのは生まれた時から身の回りの世話をしてくれている老婦人。
 風香は彼女を「ばあや」と呼んでいた。
「お花のお稽古の時間でございますよ、さあさ、お早くお着替えを」
 そうだ、従兄の稽古の様子が見たいと思っても、この時間はいつもばあやに邪魔される。
 いや、邪魔をしていたわけではない。
 彼女は職務に忠実だっただけだ。

 そうして皆に守られ、大切にされ、けれどその自覚もなかった幸せな日々。
 あの頃の自分は表情も豊かで、よくコロコロと笑っていた。
 そして、よく泣きもした。
 お別れの瞬間にも泣いてばかりで――

 でも、今度は伝えよう。
 あの時には言えなかった「ありがとう」の言葉を。

 生んで、育てて、最期まで護ってくれて……お陰で未来の私は幸せです。
 だから安心してください、と。


●フローライト・アルハザード(jc1519)の未来

 子供達の笑い声で、フローライトは目を覚ました。
 いや、眠っていたわけではない。
 過去から飛ばされた意識がその瞬間、この身体に入り込んだのだ。
「ここは、どこだ」
 呟いて周囲を見る。
 壁に掛けられたカレンダーは数十年先のものだ。
 机の上には書きかけの書類。
 そこには恩人の名を冠した孤児院の名と、院長として自分の名が書かれていた。
「そうか、未来の私は孤児院を開いているのだな」
 かつて自分を救ってくれた人が、そうしていたように。
 自分の服装はかつての彼女を思わせるものだった。
 あの頃は生活も苦しく皆がやっと生きているような状態だったが、今この孤児院の経営は順調で、資金にも多少の余裕があるようだ。
 棚や壁の至る所に額に納めた写真がかけられている。
「思い出とやらを重んじる程に丸くなるのか、私は」
 というか、これは誰だ。
 子供達に囲まれて楽しそうに満面の笑みを浮かべているこの女性は。
「私か……私だな、どう見ても」
 子供とのふれあいでそうなったのか、これまでの経験で変わったのか。
「驚くことばかりだな」
 しかし人の世の平穏の為には、子は健やかでなければならない。
 その考えは理解できるし、亡き人の願いでもある。
 ならば、この時代で孤児院を開いているのは納得がいく。
「しかしその思いだけで、私はこんなふうに笑えるだろうか……」
 写真の中の自分は、確かに笑っているのだが。
 今はまだ、どうにも実感が湧かなかった。

「せんせーっ!」
「せんせー、あそぼー!」
 外で遊んでいた子供達が雪崩れ込んで来る。
 どうやら自分は彼等にとって良き先生であるらしい。
 しかし困った。
 彼等の名前がわからない。
「ああ、わかった。何をして遊ぶのだ」
 おまけに普段の口調で受け答えをすると、皆が目を丸くした。
「せんせー、どうしたの?」
「おなかいたいの?」
「おいしゃさん、よんでこようか?」
 いや、それには及ばない。
(そうか、子供達にそんな心配をされてしまうほど、未来の私は――)

 戻ろう。
 いつの日か再び、ここでこの子達に会えることを信じて。


●逢見仙也(jc1616)の過去

 仙也は無心に槍を振るっていた。
 端から見れば、それはただ稽古熱心なだけの姿に見えたことだろう。
 しかし実情は違う。
 今、仙也は過去の自分の中にいた。
 11歳か、12歳か、子供の身体は勝手が違う。
 動きに慣れておかなければ、いざという時に思い通りに動けないだろう。

 早朝の自主練を終え、日課の稽古を受ける。
 師匠は育ての父――生みの母の婚約者だった男だ。
 しかし母は別の男、しかも天使を愛し、そして仙也が生まれた。

 その二人がこの日、自分を連れに来たらしい。
 結局は父が何かをし、そのお陰で自分はここに残ることが出来たらしいのだが。
 らしいと言うのは、仙也にはその時の記憶が曖昧だからだ。

 実際には何があったのか、それを知りたくてここに来た。
 そして稽古を終えた仙也はよく手入れされた槍を手に玄関先へ向かう。
 知らない顔がふたつ、尋ねて来た。
 それは仙也の元の名を呼び、親しげに近付いて来る。
 仙也もまたそれに応え、嬉しそうに近寄って行った。

「父さん、母さん、会えて嬉しいよ」
 そして、さようなら。
 もう二度と会うことはない。
 槍の切っ先が弧を描き、二人を纏めて斬り払う。
 何が起きたのかわからない様子で目を見開く二人の身体に、仙也は容赦なくとどめの一撃を加えた。
「真っ当な悪魔の頃なら、はぐれ悪魔と木っ端天使なんて話にならんわ」
 穂先から滴る血を払い、丁寧に拭って刀掛に戻すと、仙也は父の元を訪れた。

 今自分がしてきた事を話し、後始末を願う。
 そして告げた。
 当時の自分には知る由もない事を。
「俺はいずれ天魔ハーフとして覚醒し、その為に追放されます」
 それに伴って家も潰される。
「もしも父上と戦うことになれば、全力で御相手します。それと……家に槍以外の武器が欲しかったな」
 それだけ言って、仙也の精神は身体を離れた。


●不知火あけび(jc1857)の過去

「私のヒーローに会って来ます!」

 不知火は忍者の流れを汲む古い一族だ。
 古い家系というものは、往々にしてその内部に様々なしがらみを抱えているもの。
 それは、あけびの家も例外ではなかった。

 当主の座に座る祖父が安泰で、次代を継ぐ父が息災だった頃、あけびはよく笑う子供だった。
 父は血縁の情を見せず、幼い子供にさえ「依頼遂行のみ考え他者への信頼を捨てよ」と説くような厳しい人だったが、家の空気は悪くなかった。
 しかし父が重い病に臥した途端、次期当主の座を狙う叔父やその取り巻き達が威張り始めた。
 家の空気は険悪な色に染まり、まるで父の死を心待ちにするかのような気配を感じたあけびは笑わなくなった。
 その構図と力関係は膠着状態を保ったまま、今でも変わらずに続いている。

 しかし、そんな中でひとりだけ、異彩を放つ者がいた。
 あけびが11歳のころ、父の部下だった男。
 母が「まるで武士の様だ」と笑った、あの人。
 険悪な空気の中、彼だけは馬鹿みたいに父への忠誠を語り、義理人情や世界平和を説いた。
 そのお陰で今の自分があると言っても過言ではないだろう。

 名前は何て言ったっけ。
 顔も声も、朧気にしか思い出せない。
 けれど、光り輝く刀を持っていたことだけは覚えている。
 その彼に会って、お礼を言いたかった。

 過去に戻ったあけびは屋敷の中を探す。
 その途中で、遭いたくない人にも大勢遭った。
 寧ろ遭いたくない人ばかりで泣きそうになった。
 けれど。

「どうした、おチビさん?」
 頭を撫でられて、思い出した。
 この掌が自分に幸せをくれたことを。
「見付けた、私のヒーロー!」
「ヒーロー? はは、お前は相変わらず面白い事を言うな」
 少し寂しそうに、その人は笑った。
「私、あなたにお礼を言いに来たの! あなたのお陰で、私――」
 だが、彼は首を振る。
「俺は、そんなご立派なものじゃない」
 もう一度あけびの頭を撫でると、彼は言った。
「あけび……お前は笑ってろ」
 その背から一対の翼が現れる。
 頭の中に声が響いた。

 俺はお前を、自分の使徒にしようとしていたんだ。
 でも、お前に撃退士の素養がある事を知って諦めるしかなかった――

 あけびの意識は、現実に引き戻された。





●過去と未来、そして今

 夢の時間旅行は、どうだっただろうか。

 良い夢ならば、きっとそれは正夢だ。
 そうでないなら、ただの夢。
 いやな夢はバクにでも食わせて忘れよう。

 この現実だって、もしかしたら夢かもしれない――


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: −
重体: −
面白かった!:12人

歴戦の戦姫・
不破 雫(ja1894)

中等部2年1組 女 阿修羅
歌謡い・
亀山 淳紅(ja2261)

卒業 男 ダアト
二月といえば海・
カーディス=キャットフィールド(ja7927)

卒業 男 鬼道忍軍
Eternal Wing・
ミハイル・エッカート(jb0544)

卒業 男 インフィルトレイター
『久遠ヶ原卒業試験』参加撃退士・
ユーラン・アキラ(jb0955)

卒業 男 バハムートテイマー
陰のレイゾンデイト・
天宮 佳槻(jb1989)

大学部1年1組 男 陰陽師
夜明けのその先へ・
七ツ狩 ヨル(jb2630)

大学部1年4組 男 ナイトウォーカー
By Your Side・
蛇蝎神 黒龍(jb3200)

大学部6年4組 男 ナイトウォーカー
208号室の渡り鳥・
鏑木愛梨沙(jb3903)

大学部7年162組 女 アストラルヴァンガード
撃退士・
シグリッド=リンドベリ (jb5318)

高等部3年1組 男 バハムートテイマー
セーレの大好き・
詠代 涼介(jb5343)

大学部4年2組 男 バハムートテイマー
Cherry Blossom・
華桜りりか(jb6883)

卒業 女 陰陽師
されど、朝は来る・
ファーフナー(jb7826)

大学部5年5組 男 アカシックレコーダー:タイプA
Half of Rose・
浅茅 いばら(jb8764)

高等部3年1組 男 阿修羅
家族と共に在る命・
アヴニール(jb8821)

中等部3年9組 女 インフィルトレイター
託されし時の守護者・
ファウスト(jb8866)

大学部5年4組 男 ダアト
大切な思い出を紡ぐ・
ジョン・ドゥ(jb9083)

卒業 男 陰陽師
少女を助けし白き意思・
黒羽 風香(jc1325)

大学部2年166組 女 インフィルトレイター
守穏の衛士・
フローライト・アルハザード(jc1519)

大学部5年60組 女 ディバインナイト
童の一種・
逢見仙也(jc1616)

卒業 男 ディバインナイト
明ける陽の花・
不知火あけび(jc1857)

大学部1年1組 女 鬼道忍軍