「ここは片付けちゃって良いんだよね?」
奥の厨房から顔を出した星杜 焔(
ja5378)の声に、依頼人の流は「お願いします」と軽く頭を下げた。
「お父さんの味を…とても素敵なことです」
「ん、なかなか粋なお考えだ」
五十鈴 響(
ja6602)の言葉に、百目鬼 揺籠(
jb8361)が頷く。
「まずは、今ある帳簿を見せて頂けますか?」
倉庫の一角にある事務机に案内された響は、雑然と積まれた帳簿類に目を落とした。
その内容と聞き込みメモを照らし合わせれば、作られていた菓子の特徴や傾向が掴めるだろう。
ただ、ひとりではとても無理な量だし、漠然と書き出しただけでは取り留めのないものになってしまいそうだ。
「では、こうしてはどうでしょう」
点喰 因(
jb4659)が机の上に大きな模造紙を広げる。
「月単位の大まかなカレンダーを作って、一般的な季節行事を書き入れて…」
そこに皆が集めた地域行事や季節菓子の情報、帳簿から割り出した仕入れの多い材料などを書いて。
「こういう纏め方もありかと。ご協力いただければ幸い」
「良いわね、とても素敵だと思うわ」
神埼 累(
ja8133)が頷く。
「有意義な資料が出来るように、しっかり調べなくちゃ」
「じゃあ、ユウはお掃除しよっかな」
厨房が片付かなければ試作も出来ないと、ユウ・ターナー(
jb5471)は焔の手伝いに回った。
「俺は料理抜きん出て出来るわけでねぇですし、ひとまずは雑用でもやらせてもらいましょうかね」
何か使えるようなものは残っていないかと、揺籠は大きな業務用の冷蔵庫を開ける。
脇から中を覗き込んだ焔が、いくつかの塊を手に取ってみた。
流石に食べる気は起きないが、見た目の保存状態はそう悪くない。
捨てる前に写真を撮っておけば良いだろうか。
一方、城前 陸(
jb8739)は外に出て情報収集に当たっていた。
まずは亡き父親の和菓子職人仲間を訪ねて、その話を聞く。
「流さんのお父様は、どんな思いで菓子作りに取り組まれていたのでしょうか」
洋菓子ではなく和菓子なのは何故か、得意な菓子は、それに息子に対する思いなども。
「もうひとつ、もしご存じでしたら教えて頂きたいのですが…」
これはオフレコで、結果は後のお楽しみ。
そして逢見仙也(
jc1616)は、大きなクーラーボックスを抱えて近所の商店街へ。
今日は試食会――と言っても、出す菓子はスーパーで買ったものだが。
「どこにでもある量産品の方が味も比べ易いだろう」
黄身しぐれ、煉切、錦玉、羊羹、水饅頭など店の定番商品を調べて、それと同じ市販品を揃え、店の味を知っている人に食べ比べてもらうのだ。
「どうだ、店の味とは違うか」
見た目は、食感は。
そう問われて、集まった客達は用意されたお茶をすすりながら口々に言った。
「もっとこう、上品な甘さだったねぇ」
「こんなパサパサじゃなかったよ」
「いくら食べても飽きない味だったね」
様々な意見を紙に書き出し、比較元となったサンプルと原材料の一覧を添えておけば、実際に作る時の参考になるだろう。
オリジナルの菓子については、こちらから問いかけて記憶を引き出していく。
仙也はイラストのコピーを見せて、何か覚えがないかを訊ねた。
「煎餅のようだった? ああ、周りにまぶしてある粒々か」
形と大きさから見てアラレだろうか。
「そう言えば店にある飾りも手作りだって言ってなかったか?」
「ああ、レジの横にあった飴細工とかな」
客達は思い出話で好き勝手に盛り上がる。
何か少しでもヒントになればと、仙也はそれを片っ端からメモしていった。
「…俺も父さんの料理が恋しくて料理を始めたんだよ」
厨房を片付けながら、焔は流に声をかけた。
「最初は失敗ばかりだったし、何も判らない子供だったから、勝手に施設のもの使って怒られたりもしたね」
「ああ、それは俺にも覚えがあります」
「…父さんの料亭で出してた和菓子も美味しかったなあ」
「追い付けたと、思いますか?」
流の問いに、焔は「うーん」と首を傾げた。
自分では良い所まで行っている、とは思うけれど。
「父さんには、まだまだって言われそう…かな」
「そういうものかもしれませんね」
自分も追い付ける気がしないと、流が笑う。
けれど、追い付きたい。
受け継いだものを守りたい。
「流さんの目的はなにかしら?」
ふいに、累が訊ねた。
それは言ってある筈なのに、何を今更――と、流は怪訝な顔をする。
「お父様の味を再現する事も、このお店をまた開く事も、勿論とっても大切なこと」
それはわかっていると、累。
「ただ、本来それは目標…目的に向うための過程であって、ゴールではないでしょう?」
「え…」
「今のままだと、お菓子を再現してお店を開いた後で、流さんの足が止まってしまうんじゃないかって…生意気な事を言ってごめんなさい、ね」
「あ、いいえ…!」
流はぶんぶんと首を振る。
「正直、考えてませんでした」
そうか、だから…彼女が音信不通になったのは、そのせいか?
将来の事が、まるで見えてないから?
「お父様を亡くされたばかりで、今はそんな余裕もないかも知れないけれど…」
「いいえ、ありがとうございます!」
目から鱗とは、このことか。
試食会が終わる頃には自分なりの答えを出せていると良いのだが。
厨房を片付けながら調理の手順や器具の使い方のクセなど確認し、帳簿を調べて仕入れ量の推移を見たり、実際の在庫と照らし合わせてみたり。
「ここから基本の材料配合のパターン候補をいくつか割り出せそうだね」
流の記憶にも訊ねながら、焔が作業を進めていく。
累は帳簿に無造作に挟まれていた領収証を整理し、帳簿と倉庫にある食材を照し合せていった。
きっちり帳尻を合わせてから、使えるものは残し、それ以外は廃棄処分。
そこから割り出した仕入れ先のリストを揺籠に手渡す。
「お得意様は、この辺りね」
「わかりやした、じゃあちょいと行って来やす」
揺籠はそこに示された卸元へひとっ走り、足りない食材の買付けに。
「ついでに何か話でも聞けりゃ御の字なんですがねぇ」
冷蔵庫や倉庫にあったもの以外にも、得意先なら帳簿に載らない細かい買い物をしていた可能性がある。
「――とまぁ、こういった事情なんですがね。ひとつこれまでの売買履歴なんかを見せて貰うわけにゃいかねぇでしょうか?」
それに、自分の所から仕入れた食材が使われてる和菓子を食べたことがないとも考えにくい。
「味なんかぁ覚えちゃいませんかね?」
覚えてる?
そりゃ良い、客とはまた違う視点の意見が聞けそうだ。
店の片付けが一段落した後、響と因は客のところへ。
「改めてになりますが、お話聞かせて戴いてもよろしいでしょうか?」
因は冷蔵庫にあった菓子の写真などを見せながら話を聞いて、その元の形を絵にしていく。
写真がないものは食べた時の印象を聞きながら元の絵を清書していった。
「なるほど、色はもう少し淡く…出来るだけ天然のものを使っていらしたんですね」
目を惹く鮮やかさはないが、素朴で上品な感じといったところか。
その傍らで、響は時折質問を挟みながら話の内容をメモに取る。
「流さんのお父さんはどんな方だっったのでしょう」
「気さくな人だったよ、子連れで行くとオマケしてくれたりね」
しかし菓子作りに関しては頑固で妥協を許さなかったようだ。
「後継ぎに関しては、何か仰っていましたか?」
「一度だけ、酒の席でこぼした事があったっけなぁ」
やはり息子には店を継いでほしかったようだ。
けれど儲かる商売でもないからと、結局は言い出せなくて――
調査が一通り終わったところで、それぞれが成果を持ち寄って、試作の前に意見交換を。
「皆さんのお話を総合すれば、より近いものが出来上がると思いますし」
因が作りかけの菓子暦を壁に貼る。
季節を問わない定番商品の情報は別口に纏めれば良いだろう。
「ええ、ええ、和菓子も一人で作るもんじゃありませんよね」
揺籠はその仕事ぶりに目を細める。
彼にとって、因は縁を辿れば江戸時代にまで遡る、家業の興りを手伝いもした悪友のきしゃご――五代後の末裔だ。
それだけに、こういった手伝いには感慨深いものがある。
しかも因と共にとなれば尚更だ。
「何というか、自身の昔を振り返る様でつい」
揺籠の視線を感じて、因は手伝いの理由をぽつりと零してみる。
他人事とは思えなかった、という事か。
「作風の特徴としては、『中に何か入っている』『動物が丸っこくてかわいらしい』『そのイベントの象徴的なモチーフを取り入れている』といったところかな」
焔の意見を筆頭に,各自がそれぞれの感じたところを発現していく。
「私の感じたこととしては、抽象的というより、情景そのものを表現しているなと思います」
そう言ったのは響だ。
「細かい部分も作り込んでますね」
それは因の再現イラストを見た感想。
「目にも楽しくて、色んな方に親しまれやすいイメージです」
「美味しい、は勿論だけれど。上品な味、お洒落な味、ほっとする味…かしら」
累は店のイメージを思い浮かべてみる。
温かくて居心地の良い、家庭的な雰囲気だろうか。
「…ユウは普段洋菓子ばかり作ってるけど、和菓子の雅さや洗練された粋な感じって独特ですっごく綺麗…♪」
ユウの頭の中では既に完成品が出来上がっている様子。
「名月は、黄色いお饅頭の中に黄身餡だから十五夜を意識してる気がするし…兎さんの焼き印でも捺してみよっかな」
秋の山里の栗は赤飯で作ったいが饅頭だろうか。
「それとも道明寺粉生地に栗餡を包んで、外側に炒って色付けしたしんびき粉をまぶして、そのイガから見えるように甘い渋皮栗を覗かせる…とか?」
柿っぽいのは本物の干し柿に栗きんとんを詰めて、林檎はそのまま林檎大福なんてどうだろう。
「林檎大福?」
「そう、色付けした大福に林檎と白餡を混ぜたモノを入れちゃうの!」
流の問いに、ユウは胸を張って答える。
「籠には秋〜冬らしさを出す為に柿の葉とか敷くとイイかも♪」
新緑は素直に錦玉羹に緑のモミジの練切を入れて。
「忘れがちだけど…大事なのはその和菓子が作られ売られていた季節を意識すること…かなぁ」
例えば、その季節感の彩となりそうな装飾――先程の籠に敷く柿の葉のように、和菓子以外のモノを添えるとか。
「え、私…ですか?」
次に話を振られた陸は慌てて首を振る。
「いえ、私が考えると『亀の甲羅が割れて鶴が飛び出る(音楽付き)』とか、すごい方向性の違うものになりそう…あっ」
言っちゃった。
「そういうのも良いんじゃないかな。ほら、例の記念品とか」
かく言う焔が想像したのは、流と同じ文字が使われている流水の要素を取り入れたもの。
「ユウもそれ考えてたよっ!」
青い羊羹に金箔や銀箔を入れて、まるで星みたいに。
「星のように永遠に輝け…って感じかなぁ?」
「透明な羊羹の中に思い出をモチーフにしたものを詰め込むとか」
名前と関係していそうだとは、仙也も考えていた。
相手の名前が緑なら、流水と新緑の二つを基に作ったのではないだろうか。
「それと、菓子は飴細工かもしれない」
客の話では、店には季節ごとに見事な飴細工が飾ってあったという。
「今もそこにあるな」
和菓子の技術で作る飴細工は熱や湿気にも強いらしい。
「そう言やぁ、結構な量の水飴が買われてましたねぇ」
揺籠が言った。
他に水飴を使う菓子は見当たらないし、用途はそれに違いない。
「ところで、相手の名前は?」
仙也の問いに流は何故か口ごもる。
「だって今更…なあ」
きっと、もう戻っては来ないのだろうし。
そして翌日。
ご近所の常連客や仕入れ元の人々を招いての試食会。
当日は早朝からの仕込みと会場の準備で、皆が忙しく立ち働いていた。
「餡子はきっと圧力鍋使わず作っているんですよね…」
陸は大きな土鍋に入れた小豆を火にかける。
白餡用はいんげん豆、うぐいす餡には青えんどう。
「作るのは楽しいのですが、これが毎日となると辛いですねえ」
「私も下拵えのお手伝いくらいは出来る、かしら」
累の申し出を断る理由はなかった。
「思い出の味はとても大切なものだよね」
忙しく手を動かしながら、焔が呟く。
誰かがそれを取り戻したいと願うなら、全力で力になりたい。
自らの思い出の味を求め鍛えた料理の腕を、今こそ存分に振るう時だ。
店の外では因と揺籠が客を出迎える準備を。
「茶会のようにしてもいいですかねぇ」
店先に緋毛氈を敷いた縁台を出して、茶店のように設えて。
そうして作られた店の空気と再現された菓子の数々は、客達にも好評だった。
以前と全く同じというわけにはいかないことは客の方でも承知している。
それでも「これだ」と言えるものが、試行錯誤を繰り返すうちに出来上がってきた。
「流さんはこれから、どういう和菓子を作りたいってありますか?」
因が訊ねる。
「物には流行り廃りがあり、特に人の生活に近いなら丸のまま残る伝統って、そう無いと思うんです」
自身にも改めて言い聞かせるように。
「それに親の元で学べた私も、教え通り指物こさえても、自分が灰汁の様に出てしまって。『継ぐ』って手ごわいもんです」
今日の手伝いで、少しでも『継ぐ』ための助けに、杖になれたらと――
「…すみません、動機が烏滸がましくて」
その肩にそっと手を置き、揺籠が言った。
「継ぐのは何も菓子の味だけじゃねぇ。昔ながらの店ってのは、それだけ多くの人と繋がって、支えられてきてるってことでさぁ」
「伝統はそのままだけではつながってかなくて、作る方が毎回いかしていくものかと」
音楽も同じだと、響。
「守ろうと思った時点でそれは伝統ではない。それは日々の生活でさりげなく受け継がれているもの――という言葉を聞いたことがあります」
だから気負わなくても大丈夫だと言い、陸はひとりの女性の手を引いて来た。
「留花(ルカ)さんと仰るのですよね」
それは音信不通となっていた流の婚約者。
陸に呼ばれた彼女は今日、ずっと彼の様子を見ていたのだ。
そして運ばれて来る、花と流水をモチーフにした豪華な飴細工。
「式菓子があって結婚式がないのでは、本末転倒だと思うのです」
そのサプライズに、流は声も出なかった。
「して、ここで流サン決意表明をひとつ」
「え、いや、あの…っ」
揺籠に背を叩かれる。
「しゃんとしなせ。修行の後できっと、この人たちに世話んなる」
「は、はい…!」
ついでにこの場で結婚式を挙げちゃっても良いのよ?
「流おにーちゃんのパパがきっと心を込めて作ってたモノ」
器は出来た。
後はそこに魂を入れるだけだ。
「流おにーちゃんもその大切な心が込められばイイな…」
「流さんがお父様と同じ心を持っていれば、復元できる日は来ると思うのだよ」
ユウの言葉に焔が頷く。
大丈夫、共に歩んでくれる人が隣にいるなら――