「というわけで五日後先生を訪ねるんだけど」
避難しているリュール達を訪ねた雨野 挫斬(
ja0919)は、簡単な経緯を説明した後でそう付け加えた。
「伝言や渡したい物があるなら仲介するんで出発までに用意しといてね」
「ああ、手間をかけてすまんな」
しかし母から息子への伝言は特にない。
それよりも――
「ひとつ訊きたい事がある」
思いがけず返されて、挫斬は僅かに身構えた。
「なに?」
「あれの武器は何だと思う?」
「あれって、門木先生よね。武器って…どういうこと?」
強化や改造の技術の事だろうか。
現に天界もそれを欲しがり、その為に今の状況になっているのだから。
しかし、リュールは首を振った。
「それは単なる道具にすぎん」
武器とは強敵に対抗し得る強味の事だ。
その武器は二つ。
それを活かせなければ、望む結末を手にするのは難しいだろうと、リュールは言った。
しかし、その答えを教えてはくれない。
ただヒントをひとつ、投げて寄越しただけで――
その頃、シグリッド=リンドベリ(
jb5318)と華桜りりか(
jb6883)は、交代でテリオスに電話をかけ続けていた。
いつもなら数コールで出てくれるのに(ただし無言で)、今日はなかなか繋がらない。
どうしたのだろう、まさかメイラスに苛められているのだろうか。
ずっと監視されていて、出たくても出られないとか?
「章治兄さま、どうかご無事である事を願っているの…」
耳元でコール音を聞きながら、りりかが呟く。
怪我は大丈夫か、ちゃんと治療してもらえたのだろうか。
食事はどうしているのだろう。
と、りりかがシグリッドの袖を引いた。
軽く飛び跳ねる様にしながら耳に当てたスマホを指差す。
どうやら繋がった様だ。
「まずは章治兄さまの状況を知りたいの、です」
どこにいるのか、怪我をしていないか、何か不便はないか――
その問いに素っ気なく答えるテリオスの声は、とても疲れている様に聞こえた。
「テリオスさん、なんだか元気がないの、です…?」
『べつに』
時間がないからさっさと済ませろと言われ、りりかは続ける。
「章治兄さまがどういう状況に置かれているか、詳しく知りたいの、です。それに、メイラスさんが何かひどい事をしていたり、しない…です?」
その答えを聞いて、りりかの表情が固く強ばった。
どうしよう、何と言えば面会を許可してもらえるだろうか。
「何も食べないでいたら、身体にも考える力にも良くない影響が出て、成果を上げにくくなるかもしれないの」
だが、テリオスは電話の向こうで鼻を鳴らした。
『交渉する相手を間違えているぞ』
彼に決定権はない。
彼から上司に伺いを立てる事も出来ない――そんな事をしたら、内通が明るみに出てしまう。
『どうせゲートの位置は掴んでいるのだろう?』
その程度の機転も利かない相手なら、組むメリットはない。
『切られたくなければ、さっさと勝手に乗り込んで来い』
そう言って通話を切ろうとした所に、シグリッドが割り込んだ。
「あっ、待って…まだお話、大丈夫です…?」
切られない所を見ると、まだ時間はあるらしい。
「そのゲートを作った人を教えてほしいのです」
『私だが』
「えっ」
ゲートの作成には多くのエネルギーが必要だ。
テリオスは既に使徒を三人も抱えていて、そんな余裕はない筈なのに――
『ただの天使など消耗品だからな』
自嘲気味な返事が返る。
「大丈夫、なのです?」
心身への負担は勿論だが、こうして協力してもらっている事も。
「協力はとても有り難いのです。でも、もしテリオスおにーさんの不都合になるようなら無理はしないで下さいね…?」
返事はない。
という事は、かなり無理をしているのだろう。
(章兄も、都合が悪い時には返事してくれない事が多いのです…)
結局、その日はそれ以上の質問は出来なかった。
「カドキが止めてくれたから怪我しなくて済んだ…怪我してる皆の分も、出来る事を頑張らないと」
二人の話を聞いた七ツ狩 ヨル(
jb2630)は、まずゲート周辺の地理を調べておくことにした。
「こっちが把握してるってバレてるなら、堂々と動いても問題ないよね」
寧ろそれを期待されているのだろう。
知った上でどう動くか、それを試されているのかもしれないとは、入院中のカノン(
jb2648)が言っていた事だが。
(でも、その前に高松の所に行かないと)
門木はデータを消して行ったから、今メイラスの連絡先を知っているのは彼だけだろう。
今後必要となるかもしれないし、依頼を出してくれた事への礼もまだ言っていなかったし――
しかし、そこには先客がいた。
「やっぱり能天使程度じゃ紘輝を使徒にはできないの?」
挫斬は昼間から酒を飲みながら、高松を相手にクダを巻く。
「ああ、もっと上位の一握りの連中しか――ってお前、なに勝手に上がり込んで酒かっ喰らってんだよ!?」
しかし挫斬は気にしない、高松の文句にはもう慣れた。
「それはそれとしてハージェンの事メイラスに聞いてみたら?」
「は? なんで俺が」
「協力者の上司だもの。気にならない?」
「ならねーよ」
「あ、私が知りたがってたってメイラスに言っても良いわよ…って、ならないの?」
「使えねー奴の事なんか気にしてどうすんだよ」
「それはそうだけど察しなさいよ、私が知りたいの」
「だったら最初からそう言えバカ」
バカは余計だが、とりあえず続ける。
「私達とメイラスの関係は秘密っていうかまだ協力関係じゃないから敵同士よね。そんな私達に直接上司の情報を流したら裏切よ。でも紘輝は使徒希望の協力者。つまり身内。なら上司の事を教えても問題ない」
そして、と挫斬はさも当然の様に続ける。
「私は紘輝の恋人」
「おい!」
「つまり身内」
「なに勝手に決めてんだよ!」
「なら教えられた上司の話をしても問題ないわ。身内の身内は身内だもの」
「問題なくねえだろ!」
「つまりメイラスが私達に直接言い辛い事も紘輝経由なら伝えられるのよ」
「人の話を聞け!」
「でもこんな駆引きは趣味じゃないのよね」
「だから――っ」
しかし挫斬に抱き付かれ、続く言葉は行き場を失う。
「同じ駆引きならやっぱり恋の駆引きがいいなぁ〜」
「駆け引きってのは相手の腹ん中が見えねぇ時にするもんだ、ばーか」
「なに、それってつまり――」
「ごちそうさま、ってことで良いのかな」
その声に、二人は同時に顔を上げる。
開けっ放しだった玄関先に、ヨルが立っていた。
「ごめん、邪魔した?」
「いや、丁度良かった」
ヨルは挫斬を振り解いて歩み寄って来た高松に要件を伝える。
「それで、今からゲートの周辺を調べて来ようと思うんだけど」
「だったら私も行くわ」
挫斬が言った。
「私もその辺りの事は調べようと思ってたし。あ、紘輝はその間にメイラスから上司の事を聞き出しておいてね」
なお拒否権はないので、そのつもりで。
「重体だからって、全然動けないわけじゃないものね」
門木の現状を聞いた鏑木愛梨沙(
jb3903)は、まずリュールの元へ向かった。
「リュール…母様」
怒られるだろうかと、恐る恐る口にしてみる。
そう呼ばれても、リュールは特に反応を返さなかった。
呼びたければ好きにすればいい、という事だろうか。
「ええと、着替えを取りに行きたいから、章治兄様の部屋に入っても良い?」
「構わないが…愛梨沙」
名前を呼ばれ、やはり母様呼びは拙かっただろうかとリュールを見る。
しかし、そうではなかった。
「お前は、あれがいなくなったらどうする」
「え…?」
「支えがなくなっても、お前は自分の足で立っていられるのか?」
頼ってもいい、甘えてもいい。
だが、覚悟はしておけ――リュールはそう言った。
そして訪れた門木の部屋で、愛梨沙はその言葉を再び突き付けられる。
部屋の中は綺麗に片付けられていた。
普段からそう散らかっている方ではないが、それにしても片付きすぎている。
だがその中でひとつだけ、出しっ放しになっているものがあった。
机の上に置かれた小さな鍵。
これは、何を意味するのだろう――?
「門木せん…章治にーちゃん、何もないといいのだけど…」
青空・アルベール(
ja0732)は病院の売店で門木への差入れを買い漁っていた。
「そんなわけにもいかねーよな。早めに助けてあげないと…」
それにテリオスの事も心配だった。
「電話の声、なんか消えそうだったのだ…」
無理していなければいいのだけれど。
いや、それも――そんなわけにもいかない、か。
そしてもう一人の入院患者、ユウ(
jb5639)はベッドの上で書類の山に埋もれていた。
退院までの時間を有意義に使おうと、取り寄せた報告書を読み漁る。
「メイラスは相手を駒として動かすことが大好きなのですね」
しかも状況において相手が苦しむ顔を好む加虐趣味を持っているようだ。
「しかし、先生においてはどこか自身の意思で痛み与えることを行っている気がします」
肉体的にも、精神的にも。
それは何故か。
「何か個人的な怨みでもあるのでしょうか」
そう思って読み進めると、それらしき原因に行き当たった、気がする。
「先生は悪魔の血と、半身に現れた蛇の鱗のせいで捨てられた。本当は殺される所だったのに、それを免れたのは父親が祟りを怖れたからで――」
それでも、やはり殺しておくべきと後になって考えを変えたのだろうか。
しかし自身で行えば祟りに遭う、だから他人に命じた?
その他人というのがメイラスの父親だったとしたら――
「でも先生は生き延びた。メイラスの父親は失敗の責任を問われて殺されそうになり、逆に先生の父親を返り討ちにしたのでしょうか」
その際に蛇の祟りを受けた、とか。
祟りと言うからには、何かしらの不利益――病気や外見的な変化があったのだろう。
「それはメイラスにも影響を与え、だからこそ、先生はメイラスに取って特別?」
そのシナリオは、かなり良く出来ているように思えた。
ひとつ、重大な見落としさえなければ。
生まれた赤ん坊を捨てた「父親」は、生物学上の父ではなく、後にテリオスの父となった天使である。
そして彼はまだ生きている。テリオスに「完璧であれ」と叩き込んだのもこの男だ。
もうひとつ、最下級の天使である彼が、上位の大天使であるメイラスの父に命令出来る筈がない。
更にもうひとつ言えば――テリオスが言っていた。
赤ん坊の実の父親を殺したのは、自分の父であると。
「ややこしいですね…」
複雑怪奇な泥沼状態だが、先の線が消えた事は確かだ。
「とは言え、やはりメイラスの先生に対する態度には、何かあると思わざるを得ません」
と、ここで何かのスイッチが入った。
「まさか、ツンヤンデレメイラスがリュールさんに横恋慕…そう、ずっと昔、ダルドフさんがスリムだった頃に」
ちょっと待ってユウさん、あなた何処へ行こうとしてるの。
「しつこいメイラスにリュールさんが困っている所にダルドフさんが颯爽と登場、そして物語はリュールさんを巡る一大ラブロマンスへ…!」
そこで破れたメイラスは、その腹いせに先生を――
「…そんな筈は、ありませんね」
この迸る妄想は、きっと薬の副作用のせいだ。
そういう事にしておこう。
ともあれ、メイラスの態度には更に注意を向ける必要がある。
それだけは多分、確かだ。
そして五日が過ぎた。
「さて、今回は腹芸か。おもろそうやな」
やっと出番かと張り切るゼロ=シュバイツァー(
jb7501)、神のたこ焼きを懐に忍ばせ、ソースの香りと共に颯爽と登場!
そして一行はゲートへ向かう。
高松経由でメイラスに連絡し、面会と差入れの許可は取った。
「あっさり許可したってことは、やっぱり俺達の訪問に何か期待してるって事だよね」
仲間を先導しながらヨルが呟く。
挫斬と行った事前調査によって、ゲート周辺の地理は把握していた。
今の所、特に危険がない事も判明している。
「外が無防備ってことは、中の警備によっぽど自信があるのかな」
入ったら逃がさない、とか。
特に戦闘の用意はして来なかったが、大丈夫だろうか。
やがてゲートの入口が見えて来る。
その傍らにはテリオスの姿があった。
撃退士達の姿を見ると、彼は無言で踵を返してゲートの中に消える。
それを追って内部に侵入しても、特に制止もなく、目隠しや武装解除を要求される事もなかった。
「ん? なんやゲートの中やのに、やけに身体が軽いで?」
ゼロが不思議そうに腕を回す。
普通なら行動にペナルティを受ける筈だが、ここにはそれがないらしい。
内部の作りは実にシンプルだった。
シンプルだが、攻略は一筋縄でいきそうもない。
そこは一面に広がる乳白色の世界で、壁も通路もなく、ただ床に配された見えないワープゾーンでのみ移動が可能な作りになっていた。
何度か移動する間にも目に入る景色は変わらず、自分達が何処に向かっているのかもわからない。
「私の案内がなければ、ここを抜ける事は不可能だ」
テリオスがそう言った直後、漸く景色が変わった。
突如現れた薄暮の空と、季節を無視した花々が咲き乱れる庭。
聞こえて来る、低い呻き声。
「…アロンとはまた別の方向で趣味が悪いよね、メイラス」
これが例のコピーの声かと、ヨルが鼻の頭に皺を寄せる。
「でも効果的だ。腹立つけど」
それは向こうに見える一軒の家から漏れ聞こえて来るようだった。
一行が近付くと、テラスに面した窓が開き、人影がふらりと現れる。
軽く片手を挙げたその姿は――
「章兄…っ」
「章治兄さま…」
「章治兄様!」
三人の妹分が転がるように駆け寄って行く。
何か間違っている気がするが、それを気にしている余裕はなかった。
「なんで首の怪我そのままなんですか章兄…!」
泣きながら怒るシグリッドは、次の瞬間に青くなる。
そのままどころか傷口は更に広がり、未だに治る気配さえ見せていなかった。
「章兄、この手…!」
爪の先が赤く染まっている。
どうやら無意識に引っ掻き、傷口を広げているらしい。
それに、痩せていた。
暫く食事を摂らなかったからという以上に、やつれていた。
「大丈夫…です?」
りりかが問うが、大丈夫ではない事は一目瞭然。
「章治兄さまがけがをする事になってごめんなさい、です。あたしが頼りないから章治兄さまがたくさん頑張る事になったの…」
「章治兄様…護りたいのに護られちゃった、ごめんね……」
愛梨沙も申し訳なさそうに頭を垂れる。
しかし、門木はそんな三人の頭を順番に撫でて言った。
「お前達はよくやってくれたよ」
頼りなくて、守られてばかりなのは自分のほうで。
「怪我させて、ごめんな」
後方に控える仲間達を見て、全員の無事を確認する。
姿が見えない者については考えないことにした。
「とにかく、治療をさせてほしいの」
瞳を潤ませて、りりかが懇願する。
「…好きな人に、傷が残るのはあんまり好きじゃない」
ゆっくりと近付いて来たヨルが、怒ったように救急箱を突き出した。
「カドキは、俺の家族でしょ?」
「章兄のこと大好きなの、ちょっとでも信じてくれるならもう少し自分の事大事にしてください…大好きな人が怪我してるの、自分が怪我する何倍も辛いのですよ…」
年少組に言われると、おじさんは弱い。
「ごめん」
あっさり折れたところで、りりかが春の香を吹き込んだ。
「無茶しよったな、きっつぁん」
軽く肩を叩きながら、ゼロが祝福を与えてくれる。
何となく逆に呪われそうなイメージがあるのは、きっと気のせいだと思いたい。
「でも、その無茶のおかげで助かりました」
ユウが努めて冷静を保ちながら礼を言った。
微笑んだつもりでも表情が硬くなるのは仕方がない。この呻き声が聞こえている限り、相当な努力をしないと平常心を保てそうもなかった。
「せやな、よう独りで頑張ってくれとる」
しかし、それももう暫くの辛抱だ――と言いたい所だが、果たしてそう上手く行くかどうか。
「大丈夫、すぐに助けるのだ」
青空がレトルト食品やカップ麺が入った袋を床に下ろす。
その中にはお手製の猫のマスコットが忍ばせてあった。
「はい。待ってる人がいるんだから早まっちゃだめよ」
挫斬が持って来たのは、リュールから託された愛用の工具箱。
愛梨沙は着替えを手渡し、代わりに汚れた上着を受け取る。
ヨルはふわふわパンにカフェオレ、耳栓と携帯音楽プレーヤーを。
『でも、こっちはフェイクだから。救急箱の包帯を切って耳栓にして』
そう、こっそりと告げる。
シグリッドはパウンドケーキを、りりかは勿論チョコと、それに日持ちのする菓子、ポットに入れた飲み物など。。
そしてゼロは――
「腹減ってるならたこ焼きやな!」
どーん!
でもちょっと待って。五日間の絶食明けに、いきなりたこ焼きってどうなの。
「ならこいつはメイラスに食わせるか。で、あいつはどこにおるんや?」
生命探知で周囲を探ってみる。
「なんや、おらんのか?」
「メイラス様は別室だ」
テリオスが答えた。
「お前達が望むなら案内しよう。だが、ここでの面会は終わりだ」
それを聞いて、仲間達は一斉に門木を見る。
「行ってくれ」
門木は大丈夫だと頷き、軽く手を振った。
「その前に、ひとつ訊いて良い?」
愛梨沙が顔を上げる。
「兄様の部屋にあった、あの鍵は何?」
「ああ、あれか――」
門木は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「帰るまで、そのままにしておいてくれるか」
それは皆に充てた手紙を入れた、机の引き出しの鍵。
裏を返せば、帰らなかったら使えという事だ。
その意味を察して、何人かがこの世の終わりのような表情になった。
「万が一の保険みたいなものだ」
だからそんな顔をするなと頭を撫でて、門木は一行を送り出す。
「兄様、頑張ってね。こっちも頑張って兄様が戻れる様にするから」
鍵は絶対に使わないから。
その間、カノンは少し離れた位置から動かずにいた。
門木は今、感情を押し殺してまで戦っている。
それは必要な事ではあるが――
(早くその必要がないようにしないと)
その為に今自分がすべきなのは、駆け寄って声をかける事ではない。
カノンはそのまま、部屋を出るテリオスの後に続いた。
「ようこそ、撃退士の諸君」
案内されたのは、少し離れた廊下の突き当たり。
わざとらしく恭しい態度で頭を下げたメイラスの背後には、檻に入った醜悪なモノがぶら下がっていた。
思わず頭に血が上りそうになったユウは、大きく息を吐いて心に生えた棘をなだめる。
「ああ、これが目障りかな?」
メイラスが手にした杖を一振りすると、それは元の頭陀袋に戻ってどさりと床に落ちた。
「以前にも、このような事を?」
訊ねたユウに、メイラスが嗤う。
「元同僚の気質など、把握しているのが当然だろう」
空気が重く沈んでいた。
(あかんな、呑まれとるんか)
このままでは向こうのペースに持って行かれる、そう考えたゼロは口を挟んだ。
「どーも初めまして。たこ焼き食うか?」
その人を食ったような物言いで、空気が変わる。
いや、ソースの香りに染まる――実際は、冷えたたこ焼きがそこまで匂う事はないが、ほら、そこは神だから。
その機を逃さず、挫斬が何かをメイラスに押し付けた。
「はい、お土産よ。改造前後だから参考にするのね」
ほんの僅かだけ攻撃力が違う、カッターナイフが二つ。
と言っても殺傷力は無に等しく、敵に渡しても問題のないレベルだ。
「そもそもなんで今、門木先生を連れてったのだ?」
青空が尋ねた。
天界の事情は知らないし、わからない。
何かごたごたしているのかもしれないし、もしかしたら何かの好機なのかもしれない。
色々と事情があるのかもしれないけれど――
「私はどうしても、君が何考えてるのかよくわかんない」
目的の為に何かアクションを起こそうとしているのだろうか。
それとも。
「これも、ただの暇つぶし…?」
「わかっているではないか」
メイラスは再び嗤った。
「つまらん能天使のお守りをするのは退屈でな」
その答えが本音かどうかはわからない。
ただ「ハージェン向けの答え」ではない事だけは確かだ。
つまり、ここには盗聴の危険はない。
(そう言えば、章治にーちゃんも皆と普通に接してたのだ)
ならば遠慮なく。
「この前のハージェンとの戦い、メイラス的にはどうだった?」
「どう、とは?」
「あの時、ハージェンのバリアが機能しなかったのだ。もしかしたらメイラスが手を加えてたり…しないかな」
しかし、メイラスはさも馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
愚かな質問だと思われたのか、それとも――
「バリアを張る事も忘れるほど震え上がっていたのだろう、あれは」
そもそもハージェンは敵に接近される事を想定していない。
接近を許したとすればそれはかなりの強敵であり、本気で立ち向かわなければならない相手という事になる。
「じゃあ、もしかして私達がハージェンを倒すかもしれない可能性も考えて、た?」
メイラスは答えない。
「いや、それより俺らに戦わせて、あいつの弱点やら何やら探ろうとしてたんと違うか?」
ゼロが横槍を入れる。
それに対するメイラスの表情を見ると、当たらずとも遠からずといった所か。
「もしや、ハージェンのあの状態は長くは続かないのでは?」
カノンが問う。
自分達はハージェンに本気を使わせた。もう少し粘れば、或いは時間切れで弱体化する可能性もあったのではないだろうか。
「面白い事を考える奴がいたものだな」
メイラスが興味を示した。
「それで? もしそうなら、貴様の考えではどうなる?」
しかし、促されてもカノンは答えない。
代わりにメモを手渡した。
「答えはゲートの外で」
「用心深いことだが、私が素直に応じると思うのか?」
「面白そうだと興味を惹かれるなら――乗って来るかと」
それには答えず、メイラスは他の者達に目を向けた。
「他になければ、話し合いはこれで終わりだ」
それとも殺し合いに移るかと言ったメイラスに、ゼロが答える。
「まあそう急くなて、せっかく来たんやし茶のひとつでもどうや、ん?」
立場が逆とか気にしない。
とは言え、ここは給湯室も見当たらなかった。
風呂もトイレも調理場も、テレビもゲームコーナーも卓球台もない。
「あのセンセも意地張ってまうし、ここは使いやすいようにした方がええのと違うか?」
最後の二つはともかく、生活環境を整えれば仕事にも身が入るだろう。
「ってことで、どうや。ここを共同研究所にせぇへんか?」
門木単独ではなく、人界と天界の技術を合わせればもっと効率的に成果を提出できるし、メイラスがそのトップになれば情報操作もしやすいだろう。
「人界と天界双方の情報が手に入るんやで? 美味い話やろ?」
「それと」
ヨルが付け加える。
「強化武器の実験台には俺達を使って欲しい。成果を見せないとハージェンも納得しないでしょ?」
ただのサーバントや人間達では威力もわからない――というのは、周辺の街への被害防止とハージェンとの接触機会を作る為の方便だが。
「ねえ、もし強化武器持ちの大天使を目の前で倒して見せたら、ハージェンも俺達を認めてくれるかな?」
まともに話をする気になるだろうかと、ヨルはメイラスの顔色を伺う。
だが、メイラスはまた嗤った。
「なるほど、悪くない」
二人を見る。
「私はてっきり、お前達はあの男を助け出しに来たものと考えていたが」
「どういう意味?」
「技術の提供、それは即ち人間への裏切り行為だ」
人間界に居場所はなくなり、かといって天界に戻る事も出来ない。
「つまり、死ぬまでここを出られない」
「最初から、カドキを返すつもりはないってこと?」
ヨルの瞳に殺気が宿る。
「そうではない」
メイラスは相変わらず嗤っている。
「言っただろう、私は退屈なのだと。貴様らがこの状況をどう乗り切るのか――私の興味はそれに尽きる」
技術など、手に入れば僥倖程度のものでしかない。
どうせ全てはハージェンのものになるのだから。
「ゲームの価値は、それをどれだけ楽しめるかで決まるものだ」
勝敗など些事にすぎない。
「じゃあ、返す気はあるんだね?」
「全ては貴様らの出方次第だ」
ヨルの言葉にメイラスが頷く。
「わかった。悔しいけど、カドキは預ける…今日のところは」
「最後にひとつだけ」
知ってたら教えて欲しいと青空が尋ねた。
「ハージェンがあの状態から元に戻るまで、どれくらい?」
「今の状態を見る限り、一ヶ月程度はかかるだろう」
門木が成果を出すまでの期限と一致しているのは偶然だろうか。
「ハージェンは、とにかく今の自分の地位を守りたいのよね?」
愛梨沙が呟く。
「うーん、大人しく天界に引っ込んでて静観してれば、いずれあたし達撃退士が人界にちょっかいを出してる天使を少しずつでも削っていくわけだから、地位を脅かす相手が居なくなっていく気がするんだけどなぁ。こっちは別に天界にまで攻め込みたいわけじゃないし」
「ならば、奴にそう言ってみるがいい」
「会わせてくれるの?」
しかしメイラスは答えなかった。
甘えるな、という事か。
「まぁええわ」
ゼロがこれ見よがしに肩を竦めた。
「でもな? ずっと自分が上の立場で物言えると思うなよ? 首に手をかけてるってことはこっちの手も届くって事忘れんなよ? まぁ俺は個人的に自分とは仲良くなれると思っとるんやけどな」
「それはどうも、痛み入ります」
憎たらしいほど馬鹿丁寧な礼が返る。
つまり、帰れという意味だ。
「ね、面会は今日だけって事はないでしょ?」
テリオスに出口まで案内されながら、愛梨沙が尋ねる。
「何日かに一度、場所を決めて食料や着替えなんかを届けられるように出来ない?」
勿論、可能なら今日のように直接会いに来たいけれど、それが無理ならテリオス経由でも。
だが、テリオスは首を振った。
「そんな悠長に構えている暇はないと思うが」
期限は一ヶ月、既に今日で六日目だ。
交渉次第では延ばす事も出来るだろうが、今日その話は出なかった。
それに、と付け加える。
「天使は普通、補給が数日途絶えただけで、あそこまで痩せたりしない」
耳栓など気休めだ。
幻聴が聞こえるようになったら、気休めにもならない。
「でも、ぼくはテリオスおにーさんの事も心配なのですよ…」
出口の手前で、シグリッドは南瓜のパウンドケーキと国語辞典を手渡した。
「ぼくが作ったのでお口に合うか解りませんが…あと、なんだか色々誤解されてる気がするので」
大事な所には付箋を貼っておいたから、ちゃんと見てね?
「ぼくは章兄にも、テリオスおにーさんにもちゃんと幸せになって欲しいのです」
傷ついたり悲しい思いはして欲しくない。
一緒に楽しいことをいっぱいしたいし、笑って欲しい。
「テリオスさんは、どちらに付きたいの、です?」
チョコと手紙を手渡しながら、りりかが尋ねた。
自分達の方か、それともメイラスの側か。
「天界に階級制度がある限り、上級天使には逆らえない」
それはメイラスも、そしてハージェンも同じだ。
「お前達はそれを変えようとしている、私はそう感じたのだが…違うのか」
さほど期待しているわけでないが――そう言い残して、テリオスは去って行った。
ゲートの外、仲間達と少し距離を置いた場所。
「答えを」
カノンはメイラスを促す。
質問は「天界の掟に小なりと言えど背いた能天使を告発し、処断する事はどの程度の功績になるか――いや、メイラスならどれほどの功績とすることができるか」だった。
メイラスは門木をハージェンを動かす為の餌として使ったのではないか。
ハージェンを動かしたのは、彼がこの件でのし上がるならおこぼれにあずかり、のし上がれないなら踏み台にするつもりなのではないか。
カノンはそう予測していた。
政治的な手段だけでは弱いなら、門木を取り返そうとする自分達の動きに乗じて「反逆者を討つ」か。
本気を使い切ったハージェンを倒す事が出来るなら、その選択肢も考えられる。
しかし、メイラスの答えは「否」だった。
「先程も似たような事を訊かれたが」
はーじぇんさんにあたしたちが勝てたら面白いと思わない、です?
あわてる姿を見れたら面白くない…です?
もっと上へ行きたいとは思わない、です?
「どんなに功績を上げようと、この背にもう一枚の翼が生える事も、この翼が白くなる事もない」
つまり、天使として不完全な者に出世の道など有り得ないという事だ。
「そんな下らぬ連中の頂点に立ちたいと望むほど、私は愚かではないつもりだ」
「ならば何故、何が目的で」
「簡単だ、全てを壊したい――それだけだよ」
しかし、ただ暴れるだけでは面白くないし、力が及ばなければ潰されるだけだ。
「だから貴様らを巻き込んだ」
不確定要素として、予想外の展開を楽しむ為に。
「当たり前すぎる未来など、存在する価値はないと思わないか?」
普通に戦っても、その先にあるのは想定内の普通の未来だ。
「そうだ、良い事を教えよう」
メイラスは嗤った。
「奴の本気は、保ってせいぜい三分だ。それを過ぎれば赤子同然になる」
さあ、この情報を得てどう動く。
予想通りか、それとも――それを超えて来るか。
「楽しみにしているよ、次の一手を」
メイラスは、また嗤った。
「結局、中の様子は殆ど確認できなかったわね」
帰りがけ、挫斬は余り残念でもなさそうな様子で呟いた。
それよりも、気にかかっている事がある。
「先生が持ってる二つの武器、ねえ」
普通、それは戦いには全く役に立たない、寧ろ邪魔なものだと思われているらしい。
『勝ち負けの問題ではない、最後に笑えるかどうかだ』
リュールはそうも言った。
鈍感、甘さ、優しさ、体力のなさ、咄嗟に思い付いただけでもこれだけある。
その答えとは、一体――?