久遠ヶ原学園、科学室。
依頼を受けた者達は皆、一旦そこに集まっていた。
「なんや期日は三日後かいな。ま、俺は今すぐにでも一向に構わんけどな」
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が少しばかり拍子抜けした様子で腕を組み、机の端に腰を掛ける。
「依頼書にはそう書いてあった筈だが」
しかし、門木の言葉にゼロは首を振った。
「見た覚えないで?」
さては依頼を出した高松が書き忘れたか――いや、わざとか。
だが、その程度の悪ふざけなら可愛いものだ。
最初の頃と比べれば随分と変わったものだが、変わったと言えば――
「…章兄なんだか雰囲気、変わりましたよね?」
「うん、変わった…」
門木の様子をじっと見ていたシグリッド=リンドベリ (
jb5318)と七ツ狩 ヨル(
jb2630)が、右と左から同じ事を言う。
「ううん、強くなったのかな」
そう付け足したヨルに、門木は少し照れくさそうに微笑を返した。
しかし二人はそこから一転、突き落としにかかる。
「…でも一人で行っちゃおうとするのは相変わらずカドキだよね」
「…章兄はほんと頑固なのです」
言い出したら聞かないんだからと、シグリッドはむくれ顔。
こくこくと頷く華桜りりか(
jb6883)も加わって、三方向からブーイングの嵐だ。
更に後ろにはツッコミハリセンを持ったユウ(
jb5639)がニッコリ笑顔で立っている事は振り向かなくてもわかる。
「折角リュールさんがこちらに来てくれたのに、今度は章兄が居なくなってどうするんです…」
頬を膨らませたままま、シグリッドがジト目で見た。
「いや、あの」
「俺達仲間がいるでしょ、一人だけで戦いに行こうとしないでよ」
ヨルは門木のほっぺをびろーん。
「決して独りで背負わないでくださいね」
レイラ(
ja0365)からは心配そうな、少し寂しそうにも見える真剣な眼差しを向けられた。
しかし青空・アルベール(
ja0732)とカノン(
jb2648)は何も言わない。
特に普段ならこんな時、真っ先に「そこに座りなさい」を発動する筈のカノンは門木の方を見てもいなかった。
心配していない筈はない、と思う。
それでも何も言わないのは、きっと――信じて、任せてくれているからだ。
(だったら、俺が自分を信じないでどうする)
強くならなくてどうする。
「きっつぁん、ええ顔になってきよったな! 漢の顔や!」
どーん!
その背中を、ゼロが思いきり叩いた。
「げほっ!?」
「他のモンに迷惑をかけんように、一人で何とかしようとしたんやろ?」
その姿勢は評価に値する。
「まぁいきなり人を頼れって言われても難しいしな。出来ることちゃんと探すんは悪いことやないと思うで? な、きっつあん♪」
「お、おう」
本当はまず自分が情報を集めて、それを皆に伝えてから対策を練るつもりだったのだが。
「でも、それじゃハージェンの能力は調べられないでしょ?」
雨野 挫斬(
ja0919)が言った。
「勝負を受ければ私達はそいつを丸裸に出来るわ」
「うん、能天使なんてそう直接動くような階級じゃないし、ハージェンと直接対峙出来るのは僥倖だね」
ヨルが頷く。
「多分、メイラスが上手い事唆したんだと思うけど…」
「あたしとしては、テリオスはまだしもメイラスはまったく信用出来ないけど」
門木の方を心配そうに見ながら、鏑木愛梨沙(
jb3903)が頬を膨らませた。
「今回の事もあいつが余計な事を言ったせいみたいだしね。ホント、ヤな奴よね」
「まあ、俺も好きにはなれないが」
門木が苦笑いを漏らす。
「真意はどうあれ、奴が動いてくれた事は都合が良い」
「そうですね」
暫し考えを巡らせたカノンが言った。
「メイラスがわざわざハージェンに先生への興味を抱かせたのは、恐らく目的を達成するために使えると判断したからでしょう」
ならば、自分達もそれに乗ることはできる筈だ。
「うん、きっとハージェンはどこかに付け入る隙があるんだと思う」
それを掴まなければと、ヨル。
正直、まともに戦っても勝ち目はない。
ハージェンを退け、門木の確保を諦めさせることはまず無理だろう。
無理と言えば門木自身を引き止める事もまず無理だ。
ならば、今はその覚悟に乗って打てる手を打つしかない。
「覚悟のうえとは言え先生を…渡すことにはなるでしょうね」
カノンが自分に言い聞かせるように呟いた。
「ですが、あちらからは『先生自身に来い』としか言われていません」
向こうの求める技術を支える設備も環境も何もかも、自分達の手にある。
交渉でこちらが優位に立てそうな材料は、今のところそれ以外にないだろう。
「とにかく、もっと情報を集める必要があると思うのだ」
青空が言った。
戦うにしろ、それを避けるにしろ、まだまだ材料が少なすぎる。
「ひとつ、約束してくれるか」
話が一段落したところで、門木が言った。
「奴等の前に出たら、俺には一切話しかけないでほしい。お前達は金で雇ったただの駒だ――いいな?」
スマホも携帯も置いて行く。万一の事を考えて中のデータも消去しておいた。
その他、私物は一切持って行かない。
「章兄…」
シグリッドがまたしても涙目になっている。
その手には、何かがしっかりと握られていた。
「ん?」
「あ、あの…っ」
両手で差し出されたのは、目の覚めるような青い色のお守り袋。
「本当はお誕生日に渡すつもりだったんですけど」
「うん、ありがとう。受け取っておくな」
でも今は、身に着ける事は出来ない。
「俺との関係を知ったら、ハージェンはお前を狙うかもしれない」
人質に取るか、或いは見せしめに殺そうとするか。
「皆も何か持っていたら、外してくれ」
カノンは既に外しているようだが、恐らくそれを考えてのことだろう。
メイラスが余計な事を言えば全てが水の泡だが、そこは彼を信じるしかない。
「じゃあ、これは…?」
愛梨沙が恐る恐る差し出したのは、ドクターコート。
「あたしも付いていきたいけど、ダメなんだよね。なら、せめて少しでも身を守れるようにって」
それに、居場所を特定できるようにGPSの発信器も縫い込んである。
「着ていって、くれる?」
「他にネームとかメッセージとか縫い付けてなければ、それくらいは良いんじゃない?」
挫斬が言った。
「多分、身体検査で没収されると思うけど…だからコレも飲んどいてね」
ずいっと差し出される、カプセル入りの発信器。
「どこかに埋め込む事も考えたけど、新しい傷があったら目立っちゃうし」
だからダミーをわざと目立つ場所に仕込んで、本命は腹の中というわけだ。
「大丈夫よ、それが出て来る頃にはちゃんと探し当ててるから」
もしかしたら既に救出した後かもしれない。
そう言った後で、挫斬はこっそりと門木に耳打ち。
「先生に何かあったら悲しむどころか後追いしかねない子もいるんだから、自分の命を第一にね」
そこまでは――と言いかけて、門木は思い直した。
視線の先にはシグリッド、だが彼の場合は後追いよりも、闇落ちして全てを呑み込むラスボス化しそうなげふん。
「そっちじゃないでしょ」
挫斬は門木の顔を別の方向に向けさせる。
「強そうに見える子の方が、案外ポッキリ折れたりするのよ?」
女心がわかってないんだから、まったく。
「殺されるぐらいなら簡単な強化ぐらいならしちゃっていいと思うわ」
「ああ」
そう答えたが、技術や知識の一欠片さえ見せるつもりはなかった。
勿論、死ぬつもりも殺されるつもりもない。
「ちゃんと誕生日のお祝いしたいので、なるべく早くみんなで迎えに行きますから」
シグリッドが真っ直ぐに見上げてくる。
「章兄だいすきなのです、おねがいですから無茶だけはしないでくださいね…!」
「わかってる、だから泣くな」
銀色の前髪を掻き上げて、額におまじないのキスを。
その背中に熱い視線を感じて振り向けば、りりかが羨ましそうにじーっと見ている。
「章治兄さま、しぐりっどさんだけなの、です…?」
「ん、そうだな」
不公平は弟妹喧嘩の元――この二人は喧嘩などしそうもないけれど。
頭を撫でてから、そっと額に口付ける。
と、今度は愛梨沙に袖を引っ張られ、その額にも軽く口付けを。
「センセ…ナーシュ兄様、気をつけてね…?」
「ありがとう。ありがたいけど…その呼び方はやめてくれないかな」
兄様は良いけど、その、ね。
どうしても譲れない、大事なところだから。
「俺のことを気にかけてくれるなら、そこは尊重してほしい」
「ほんと、言うようになったじゃない」
挫斬がくすりと笑う。
「あ、私は遠慮しとくわよ?」
「わかってる」
そう言うと、門木は挫斬の脇を抜けてレイラのところへ。
「門木先生?」
「まだ、きちんと謝ってなかったから」
正面に立ち、身体を殆ど直角に折り曲げる。
「ごめん」
わかってやれなくて。
受け止められなくて。
苦しい思いをさせて。
「それから…ありがとう」
また顔を見せてくれて。
謝る機会をくれて。
「復帰早々に厳しい事になりそうだが…また、よろしくな」
額に軽く口付け、離れる。
以上、説教三日くらいで許してもらえるだろうか。
その肝心な相手には触れようともしないのは、触れたが最後、決意も覚悟も音を立てて崩れ去るのが確実だから、だそうな。
「章治兄さまが携帯を持って行かないなら、間を取り持ってくれる人が必要なの、ですね」
というわけで、りりかとシグリッドはテリオスに連絡を入れた。
立場的に難しいとは思うけれど――
「能天使さんについて、教えてほしいの…」
褒めるのと煽るのと、どちらが効果的か。
攻撃の種類や危険なスキルの予備動作など。
だが、答えは簡潔に一言。
『知らん』
最下級の天使であるテリオスに対して、相手は三階級上の能天使。
階級意識の強いハージェンにとって、ただの天使は下僕にも等しい存在だった。
指令は全てメイラスから下され、テリオスはその姿を直接見る事さえ難しいのだ。
「じゃあ、もしも章兄が連れて行かれたら様子とか教えてもらえませんか」
返事はない。
が、多分これはOKだと判断できる程度には、もう付き合いも長くなっていた。
「ありがとうございます、お礼にこれあげるのですよ」
うちの子可愛いでしょうオーラを電波に乗せて、猫のマシュマロもふもふ画像を送り付ける。
「…またみんなで一緒に、遊びt…あっ」
切られた。
遊びっていう単語が出た瞬間に切られた。
これ、相当トラウマになってませんか…?
一方、挫斬は黒咎達とリュールを安全な場所へと移動させた。
「前例があるし念の為ね。安心して。先生は護るわ」
そう言い置いて、今度は高松を探しに行く。
「あ、いたいた」
「んだよ、勝手に人の部屋に上がって来ん――って、おい!?」
ぎゅっと抱きしめ、その顔を自分の胸に埋めて囁く。
「知らせてくれてありがとね。だからご褒美をあげる」
「なにがご褒美だ、んな薄っぺら――」
いつもの減らず口にも動じずに、挫斬は抱きしめた腕に更に力を込めた。
「でも1人で抱え込んでるのは紘輝も一緒。私が紘輝に頼ったみたいに紘輝も借りだなんて思わずに皆や私に頼っていいのよ」
「…ほっとけよ、ばーか、ぶーす」
「はいはい、じゃあね」
軽くあしらい、挫斬は身を翻す。
その背中に、高松はぽつりと呟いた。
「死ぬなよ」
自分を殺すまでは。
そして三日後。
「さて、きっつあんの男気無駄にするわけにもいかんからな」
指の関節をバキバキ鳴らしながら、ゼロが戦場の真ん中に立つ。
その後ろには仲間達、更に一番後方には門木の姿があった。
約束通り、誰も声をかけない。
振り向きもしない。
いや、そんな余裕もなかった。
「ハージェンは体制派の力ある者、メイラスは叛意を隠す者、ですか」
レイラは遥か遠方に現れた異様な姿に見入る。
今、そこには能天使の姿しかなかった。
「…ハージェンさんは美味しいもの好きなのでしょうか、今までの天使さんと比べて体形が…」
シグリッドが目を丸くする。
正直、あまり強そうには見えない…気がする。
しかし他の者達には、その姿は少し違って見えるようだ。
いや、姿が違うわけではない。
その内面から滲み出る、目に見えない何かが――
「あいつ、ちょっと怖いな」
それが青空のハージェンに対する第一印象だった。
「能天使…どういう形にしてもいずれは立ちはだかる壁ですが、今は…」
カノンはその存在感に圧倒されそうになる。
「いえ、今できる範囲のことをするしかありません」
ここで何かを掴まなければ、きっと先へは進めないだろう。
勿論、門木を取り返す事も出来ない。
その隣で、ユウは――既に戦っていた。
全身に溢れた鳥肌と、流れ出る冷や汗、そして立ち震え始める体。
それを抑える為、懸命に。
戦場に近付いても、ハージェンの姿を実際に目にするまでは、特に何も感じなかった。
権天使ウルと対峙した時には、ビリビリと伝わるような威圧感を感じたのに。
今回の相手はそれを更に上回る実力を持つ筈ではなかったのか。
自分の感覚が鈍ったのだろうか。
センサーがおかしくなってしまったのだろうか。
しかし、そうではなかった。
(体が自衛の為に気づかないようにしていたわけですね…気を抜くと立っていることすらままならないなんて)
それでも、何も気取られることのないよう真っ直ぐに立っていた。
気を緩めると勝手に逃げ出しそうになる足を叱咤しながら。
「約束ではアンタ1人の筈よ! それとも能天使様は人間如きを恐れて約束を破るわけ?」
挫斬は臆せずに声をかける。
メイラスの姿は見えないが、椅子を運ぶ四人の天使達が邪魔だった。
しかし聞こえている筈なのに、答えはない。
「もしかして…」
りりかが小声で囁いた。
餌である人間は勿論、堕天使や悪魔も遥か下に見ているのではないか。
事実、ハージェンは天使達に支えられ、上空から撃退士達を見下ろしていた。
「昔、御簾の向こうにいる偉い人には直接話しかけられなかった、みたいなやつかな」
青空が言うように、どうやら会話をするには間に立つ者が必要らしい。
その役目を担う者は――
「メイラス」
現れた黒い姿を見てヨルが呟く。
「俺達がゲームに応じた事を確認して、こっちに戻ったのかな」
彼がその「高貴な」言葉を伝える役目を負っているのだろうか。
(黒翼のメイラスを従えたり、堕天使の能力を取り入れようとしたり、秩序と言う割に案外柔軟なんだよね)
それが聡明さから来るのか、単なる自己保身か。
会話をすることで少しでも見極めたい。
「まず最初に訊きたいんだけど」
挫斬が言った。
「先生を生かして手に入れようとする理由は何? 手に入れてどうするの?」
「訊かなくてもわかりそうなものだが?」
やはり答えるのはメイラスのようだ。
しかも上司にお伺いを立てている気配もない。
「私はそこの能天使様に訊いてるんだけど…まあいいわ」
そこに拘っていては先に進めないようだし。
「でも残念ね。改造は先生だけじゃなく道具も必要なのよ。ふふ、設計図もなく現物も見ずに作れるかしら?」
「そいつの頭の中には入っているのだろう? 設計図も、現物の記憶も」
メイラスが門木を指差した。
「入っていないと言うなら、今ここで殺すまでだ」
「でも、作るには時間がかかる…ます」
少しでも心証を良くしようと、ヨルは出来るだけ丁寧な言葉で話そうとする。
が、慣れない敬語はなんだかおかしな事になっていた。
「少しでも早く手に入れたいなら、こっちの道具を使ったほうが良いんじゃ…良いのではないでしょうか」
「もってこいは無理よ。大きくて運べないもの。だからそっちが見に来なさい」
挫斬が続ける。
「どう? 一度学園を観光しに来ない? 結構楽しいわよ?」
しかし。
「心遣いは痛み入るが、その必要はない」
メイラスは笑った。
「我々には資源も人手も豊富にある。足りないのは頭だけだ――そして、それさえあれば貴様らの持つ設備よりも遥かに高度なものを作り上げて見せよう」
「あの言い分は、ハッタリやあらへんな」
相手の様子を観察していたゼロが小声で囁く。
「そっちに行ってもカドキが協力しないと言ったら、どうす…どうしますか?」
「天界へ連れて行く。そして天界に戻った堕天使は例外なく速やかに処刑する、それが掟だ」
「掟…」
秩序を重んじる者なら、それに背く事は出来ない筈だ。
ならば、監禁場所は天界ではない――?
「何故、能天使である貴方がこのような機会を与えてくれ…くださったのですか?」
「ただの退屈しのぎだ」
「貴方が考える『秩序』を聞かせてほ…ください」
「全てがあるべき場所にあること、すなわち安定と安泰、そして退屈だな」
「退屈だからゲームをしようって言うのに、退屈である事を求めるの?」
わけがわからないと、青空が首を振った。
だが、どうやらゲームを避けるわけにはいかないようだ。
「『ゲーム』ならばルールを決めて勝負するのが筋といものでしょう?」
レイラが言った。
だが、こちらと直接会話をする気もないほど下に見ている者が、交渉になど応じるだろうか。
「んう…きっと、持ち上げて気分を良くしてあげれば、あたしたちの言うことも少しは聞いてくれると思うの、です?」
「なら俺が派手に持ち上げたろか!」
りりかの提案に、ゼロが乗っかった。
「相変わらずきっつあんはいろんなやつにモテるのぉ。で? そこのカエルもそういう趣味か?」
うんうん、そうやって持ち上げて…持ち上げて、ない!?
「ってカエル呼ばわり!?」
シグリッドが青くなる。
「ゼロおにーさんはなんで煽ってるんですか…!」
でも知ってる、止めたところで口を噤むわけがないって。
とは言っても、ここで交渉決裂は拙い。拙すぎる。
「失礼ですよ…! あ、いえ、失礼しました…! あの、今の無礼な人は、後できつく叱っておきますから…!」
だから聞かなかったことにしてくれないかな。
「ゼロさんは、お口ちゃっくなの、ですよ?」
大魔王様に「めっ」されて、ゼロはひとまず大人しくなった。
「ハージェンさんはとてもお強いとお伺いしているの…とても高い地位をお持ちだとも…」
気を取り直してりりかが続ける。
「なので、ゲームの勝敗の条件をあたしたちに決めさせて頂けない、です?」
きっとどんな条件でもハージェンが勝つだろう、いや、勝つに決まっていると、更に持ち上げた。
「ハージェンさんを椅子から立たせる事が出来たら此方の勝ちなの、です」
「それから、私達が戦闘不能になった時点で追い打ちをしないことも約束してほしいのである」
青空が続ける。
ゲームをするのか、殺し合いをするのか。
「私は別に、君と殺し合いするつもりはないから」
ハージェンにしても最初から自分達を殺すつもりなら、わざわざゲームにする必要はないだろう。
そもそも、欲しいものは問答無用で奪って行けるだけの力はある筈だ。
「どっちにせよ、そっちがとびきり強いなら関係ないよな」
しかし返事はなかった。
本人は勿論、仲介役のメイラスからも。
「こっちを対等な相手と見ないうちは、聞く耳さえ持たない感じな」
ならば聞く耳を持たせるにはどうすればいいか。
「戦って、示すしかないでしょう」
カノンが言った。
「少なくともハージェンに『確かに先生には利用する価値がある』と思わせねばなりません」
門木ばかりでなく、人間界も含めて。
「なら、この勝負はただの様子見ではなく、こちらの価値を見せる戦いです」
「やっぱり、そうなるかな」
青空は改造ショットガン【Dhampir】を握り締めた。
「約束通り、私は手を出さない」
後方に下がりながら、メイラスが言った。
「だが、この四人は椅子の付属品――つまり人の数には入らないのでな」
無視しろということか。
「その代わり、地上に降りてくださるそうだ…地べたを這いつくばる者どもでも手が届くようにな」
もっとも、それでも触れる事は出来ないだろうが。
「ホント、ヤな奴」
よほど腹に据えかねるのか、同じ事をもう一度呟きながら、愛梨沙は仲間達にアウルの衣で加護を与える。
(テリオスのおにーさんがこっちにこなくて良かったのです…出来れば戦いたくないし)
シグリッドはスレイプニルのスーちゃんを喚び出して、その咆吼で味方を鼓舞し、白い霧を纏わせた。
自身はホーリーヴェールで抵抗を上げ、攻撃に備える。
りりかは自身の周囲に小さな透明の盾を展開し、腕に抱えた日本人形の射程ぎりぎりまで後ろに下がった。
ユウはその足で思いきり地面を踏みつけ、震える膝を黙らせる。
ヨルは阻霊符を発動するとダークフィリアで潜行し、気配を消しつつ仲間達の影に潜んだ。
「多分、一撃でも貰ったらアウトだ」
自分は勿論、仲間達も防御によほどの自信がない限りは厳しいだろう。
「何れにしても彼らの思惑を超えられなければ門木先生の未来は…」
今は疾走するのみと、レイラは自身の射程を遥かに超えた後方まで下がる。
動画モードに設定したデジカメを戦場全体が見渡せるように設置し、双眼鏡でハージェンの様子を探った。
多くの者が後方に下がり、全体攻撃に備えて散らばる中、敵の真っ正面から突っ込んで行く影が三つ。
「きゃはは! 人間の力を教えてあげる!」
挫斬は死活を活性化させ、戦槌を振りかざして走る。
カノンはディバインランスを盾代わりに、愚直とも思えるほど真っ直ぐに。
「堕天使はハージェンにとって人間以上に自分を揺るがすはずがない相手」
しかし、一発だけでも耐えつつ接近の意思を見せれば――それが強化された武器や防具の力であると思わせる事が出来れば。
認めるしかないだろう。その技術の価値と、重要性を。
「今日の祭りは花火からや! ハデにいこか!」
ゼロは射程内まで接近し、アンタレスの劫火で全てを焼き払おうとする。
しかし――
先に花火を上げたのはハージェンの方だった。
三人は巨大な光の刃で纏めて撫で切りにされ、吹っ飛ばされる。
扇形に広がったそれは勢いを衰えさせることなく、後方の仲間達をも次々に薙ぎ倒していった。
その威力は、たったの一撃で全ての者を地に伏せさせるほど。
「予備動作も、何も見えなかったのだ…」
青空は必死に上体を起こし、ハージェンの頭に反撃の狙いを付ける。
しかし相手の周囲にはバリアでも張られているのか、その攻撃が届いた様子はなかった。
「やってくれるやないか」
起き上がったゼロは、りりかが差し伸べる回復の手を振り払って飛び出していく。
「りんりんはシグ坊を何とかしたってや」
「ぼくは、大丈夫なのです…!」
還ってしまったスーちゃんを再び喚び出して、シグリッドはちらりと後ろを振り返る。
無関係なふりをしろと言われても、それは無理な相談だった。
「章治兄さまは、だいじょうぶなの」
りりかもやはり気になっていたようだが、遥か後ろに立つ彼のところまでは流石に攻撃も届かなかったようだ。
「章治兄さまはに何かあったら許さないの、です」
とは言え、今の攻撃は射程も長く範囲も広い。しかも貫通する。
それを逃れたのは充分に距離を取っていたレイラと、気配を消してハージェンの背後に回り込もうとしていたヨルの二人だけ。
「今のがまだ本気でないとすると…」
レイラは目立たないように場所を変えながら呟いた。
「本気になったら、溜め込んだカロリーを一気に消費してスリムにでもなるのでしょうか?」
いや、まさかそんな。
「だったらその本気とやら、見せてもらうでぇ!」
ゼロが血を吐く大鎌を天に翳し、地獄の劫火を呼び覚ます。
だが、その炎は透明なドーム状のバリアに阻まれ、ハージェンの身体を焼くことはなかった――はずなのに。
「びィギャあァァァあぁぁーーーーーっっ!!!」
頭の天辺から突き抜けるような悲鳴が響き渡る。
ただし潰れた濁声の。
「なんや、カエルが蒸し焼きになっとるんか?」
どう見ても美味そうではないがと思いつつ、ゼロは炎のドームに目を懲らす。
そこにはハージェンに迫る挫斬とユウの姿があった。
二人とも先程の攻撃を逆手に取り、逆風を行く者で一気に距離を詰めたのだ。
「とったわよ! 子豚ちゃん! 解体してハムにしてあげる!」
挫斬の挑発も大概酷いが、そこにはハージェンの目を他の仲間から逸らせる狙いもあった。
「アハハハ! さぁ死にたくなければ全力を出しなさい!」
挫斬は巨大な肉塊の頭上から戦槌を振り下ろす。
肉に埋もれた頭がますます陥没し、肩の間にすっぽりと嵌まり込んだ。
その隙に体内にアウルを巡らせ本来に近い姿を取り戻したユウは、エクレールを構えて至近距離からの烈風突を叩き込む。
肉の塊が椅子から弾き飛ばされ、身体に開いた穴からは黄色い脂肪がドロリと溢れ出した。
防御手段はあのバリア以外にないのだろうか。
しかし血は流れず、ダメージを受けた様子もない。これほどレート差の開いた攻撃でさえ、分厚い脂肪に吸収されてしまうのだろうか。
身体の自由は利くようだが、ハージェンはそこに転がったまま「何が起きたのかさっぱりわからない」とでも言いたげな表情をしていた。
それでもユウは構わずに、漆黒の剣で追撃に移る。
正面から一閃、そして背後からはヘルゴートで強化したヨルが闇討ちを仕掛けた。
ハージェンが提案を受け入れていれば、既に「ゲーム」は終わっていた筈だ。
しかし。
あちこちから脂肪の塊をはみ出させながら、ハージェンは立ち上がる。
その様子を見た青空の背筋に電流が走った。
「みんな離れるのだ!」
その声に、ハージェンの周りにいた者達は一斉の飛び退る。
肉の塊が何かを呟いていた。
「…クルナ…ワレニ、チカヅクナ…フレルナ…」
次の瞬間。
「来るなあぁぁぁッ!!」
ハージェンの身体が爆発した――ように見えた。
炸裂する眩い光が薄れ、撃退士達が薄目を開けた時、そこには――
もう、肉の塊はなかった。
あるのは、すらりと引き締まり均整の取れた筋肉質の身体。
レイラさん、ビンゴです。
あ、ここは笑うところじゃないから。
気持ちはわかるけど。
いや、間近で相対したユウにとっては、笑うどころではなかっただろう。
先程感じたものよりも、更に深く強い恐怖が身体を縛り上げる。
本気を出したハージェンの腕には長く鋭い金属質の爪が生えていた。
肘と膝、そして踵にも刃物が仕込まれている。
接近戦を得意とする格闘タイプか。
そう思った瞬間、ユウの身体はその長い爪に刺し貫かれていた。
更に奥へと押し込み、引き抜いて、蹴り上げる。
次に標的とされた挫斬もまた串刺しにされ、引き抜きざまに投げ捨てられた。
「家畜ふぜいが…この私に、触れるなあぁぁぁっ!!!」
秩序を乱すものを次々と排除しても、過ぎると逆に疲れないだろうか。
だらだらするだけなら、それこそ人界でもできるのに。
青空はそう思っていた。
だが、違う。
「きっと、怖いんだ…」
その地位を奪われるのが。
奪われて、蹴落とされて、転げ落ちるのが。
だから必死になって秩序を守ろうとするのだ。
食い下がる挫斬を払い除け、ハージェンは残る撃退士達に目を向けた。
どうやら潜行したヨルの存在には気付いていないようだ。
このまま背中から攻撃を仕掛ければ、或いは――
だが、その頭の中に声が響いた。
『ヨル、お前に頼みがある』
「カドキ…?」
皆を無事に連れ帰ってくれと言われ、ヨルは改めて戦場を見た。
ハージェンの死角からレイラが飛び出して来る。
縮地で一気に距離を詰め、その身体にネビロスの操糸を絡ませて薙ぎ払った。
が、ハージェンはその糸を易々と引き千切り、攻撃をかわすとカウンターで右手の爪を叩き込む。
次いで左手、最後に足で蹴り飛ばし、次の標的へ向かった。
「動かないで、今ヒールをかけるから」
立ち上がろうとしたカノンに駆け寄った愛梨沙は、その身体に手を翳す。
しかしハージェンはその目の前に迫っていた。
振り下ろされる爪が左右から同時に襲う。
だが二人はそれを耐えきった。
「ほう?」
称賛とも嘲罵ともつかない声をあげ、ハージェンは宙に舞う。
真上から撃ち出され、叩き付けられる無数の刃に、防御は殆ど役に立たなかった。
その結果も見ずに、ハージェンはシグリッドの前へ。
「させないの、ですよ…」
「シグ坊を弄ってええんは俺だけや!」
りりかは蟲毒を、ゼロは氷塵を放つ。
ハージェンにバステは効かないようだが、それでも二人は諦めなかった。
りりかはシグリッドを庇うように立ち、更にその前にはゼロが立ちはだかる。
長い爪が振り下ろされる瞬間、青空はその攻撃を逸らそうと卯の花腐しを撃ち放った。
が、ハージェンは何もなかったように攻撃を続け、遂には青空の前に。
潜在ノ蜘蛛で逆転を狙うが、こうなったハージェンには全く歯が立たなかった。
やがて、戦場に立っている者はハージェンとメイラス、そして門木の三人だけとなる。
それでも、青空は諦めなかった。
「弱い私達がなんでこんなに無謀な戦いをするのかわからねーだろ?」
聞いていなくてもいい、言わせてもらう。
「この世界が本当に好きだから、だよ」
何の反応もないが、それでも。
「第一! テリオスなんか遊園地も知らなかった! いったい天界の娯楽事情どうなってんのだ!!」
そこか、そこなのか。
「つまんねーとこだから、こんな妙なゲームしようってなるのだよ!」
確かに、ハージェン自身も退屈だからと言っていたが。
「こっちには天界なんて比じゃないくらい楽しいこといっぱいあるよ。それこそ君を、飽きさせなどしないくらいには!」
だがハージェンはそれを完璧に無視して、メイラスに告げた。
「このゴミどもを始末しておけ」
そして二人の堕天使に目を向ける。
「反逆者の始末は、この手で付けねばなるまいな」
ハージェンは倒れたまま動かない二人の頭上に、鋭く長い爪を振り上げた。