「この手の依頼、だんだん難易度が上がっていってるよなぁ…今度は繁華街か」
礼野 智美(
ja3600)は購買の中を忙しなく歩き回っていた。
「メガホンくらいあるよな…夏近いし、学園の購買って色々意外な物おいてるし」
出来れば投網も確保したい所だが、流石にそれは無理か。
それどころかメガホンもない。
と、そこに後ろから声をかけられた。
「大丈夫です、そんなの買うことないですよー」
振り向くと、そこには両手に拡声器を持った神酒坂ねずみ(
jb4993)の姿が。
職員室から拝借して来たけど、緊急事態だし手続きとか細かい事は後で良いよね、という事で、はい。
「おひとつどうぞー」
「ありがとう、助かった。まずは二手に分かれて避難を呼びかけよう」
ついでに体育倉庫あたりから、投網代わりに何かのネットでも借りて来ようかと思ったが――
「流石にそんな時間はないか」
前に上手く行ったものが、今度も上手く行くとは限らない。
今回は範囲攻撃を持つ仲間も多いことだし、網はなくても問題ないだろう。
一足先に現場に着いた智美は、拡声器のボリュームをいっぱいに上げる。
「久遠ヶ原の撃退士です! 天魔が現れましたので一般人の方は近くの避難所に至急移動して下さい。避難所はすぐそこです!」
自力で動ける者には道を示し、動けない者には手を貸して――と、その目に地面に倒れ伏し、もがき苦しむ男の姿が見えた。
「大丈夫ですか、しっかり!」
ぱっと見た限り、男に外傷はない。
という事は、例の消化液――イカスミを注入されたのか。
「御堂さん、手当てをお願いします!」
呼ばれて御堂・玲獅(
ja0388)が駆けつけるが、ヒールは何の効果もない。
「クリアランスは?」
「待って下さい、今――」
最初にセットしたスキルの中に、それは入っていなかった。
使う為には何かと入れ替える必要がある。
だが、その間に男は動きを止めた。
外見に変化はないが、恐らくもう内臓がやられていたのだろう。
「これ…一度注入されたら助けるの無理なのか?」
智美の疑問に答えられるだけの材料はない。
「今は助ける方法はないものと思って、一刻も早く人々を遠ざけるしかないでしょう」
ふざけた外見の敵だが、一般人が掴まったらそれで終わりだ。
「はーい皆さーん、表にいないほうがいいですからねー。建物に入って下さいねー」
別の場所では、ねずみが走りながら声をかける。
見た限り、物的破壊力に優れた敵ではなさそうだ。
これなら阻霊符を使っておけば、近くの建物に入るだけで被害は防げるだろう。
「避難所とか、そこに着くまでにやられちゃったらシャレになりませんよねー」
腰を抜かした老婦人を助け起こしながら、ねずみはにっこり笑う。
(それにしても、某イカゲームができない人の怨嗟が聞こえてくるようなディアボロですね)
あの小物のイカも一つ一つ作ったんだろうか。
「…マメですねえ…」
と言うか、暇なのだろうか。
「もう大丈夫だ、安心して落ち着いて避難してくれ」
穂原多門(
ja0895)は群がるイカ達を牽制しながら、人々に呼びかけた。
(中々に厄介な敵なようだが、こちらにも守らなければならぬものがある)
易々と骨を晒してやるわけにはいかない。
「必ず守り抜いて見せる、だから信じて任せて欲しい」
それが言葉だけの安請け合いではない事を示す為に、纏わり付いて来るトビイカを剣で斬り払い、包囲を抜ける道を開いて行く。
「魔法攻撃かァ…苦手な分類だけど、うまく扱えるかしらねェ…」
黒百合(
ja0422)はまだその場に残る人々に避難を促しながら、雷霆の書でトビイカを撃ち落としつつイカ頭に近付いて行った。
「これは相当混乱しているな」
現場の状況を見たファーフナー(
jb7826)は、まず人々に触手を伸ばしかけたイカ頭に遠距離から牽制の一撃。
(下手に攻撃を仕掛ければ、却ってパニックを起こしかねないか)
ファーフナーは暫し考えた末に、月花の忍術書を選んだ。
月光を纏う如き花びらが舞う幻想的で美しいそのさまは、それが高い殺傷力を持った攻撃である事を殆ど感じさせない。
その光景に気を取られている人々を仲間に託し、人の流れと反対に走ったファーフナーは挑発する様に攻撃を続ける。
(魂ではなく骨に固執する悪魔か)
個人の嗜好のためのディアボロを作る、その己の欲望に忠実に生きるさまは悪魔らしいとも言えるか。
(じわじわと溶かされ死んでいくとは、拷問だな)
しかしなぜ海洋生物の形状をしているのか――いや、考えても詮無いことか。
「まずは敵の意識を人々から逸らす必要がありますね」
樒 和紗(
jb6970)は、わざと敵の目につく場所に飛び込んで行く。
「幸い俺達は溶かされることは無いようですし」
それなら自分の身を盾にすることも厭わないと、人々の前に立って破魔弓を構えた。
足元に目を落とせば、赤黒い色の水溜まりが出来ている。
それは数分前まで誰かの肉体を形作っていたものだ。
残った骨とそこに引っかかった衣服は、イカ頭の触手に巻かれて宙吊りになっていた。
「体の中から溶かされては如何しようもありません」
これ以上被害が広がる前に何とかしなければ。
「イカ焼きになりたくなけりゃ早く帰んな……って、もう遅いけどね」
上空に飛んだアサニエル(
jb5431)が地上の様子を見下ろしている。
人々の避難はまだ完全とは言えないが、もう時間がない。
「ところで、人型のイカって一杯二杯で数えていいのかね」
ちょっと気になる。
「まぁどうでもいいんだけどね」
眼下の敵はファーフナーと和紗の動きによって良い感じに纏まりつつあった。
範囲攻撃で一掃するなら二手に分かれるのが良さそうだ。
「さあ、BBQを始めようか。海産物は良く火を通さないとね」
地上の仲間達に合図を送り、アサニエルは上空から巨大な火球を投げ付ける。
着弾と同時に炸裂したそれは、広範囲でイカの丸焼きを作っていった。
それを皮切りに、範囲攻撃の猛攻が始まった。
「俺が前衛を務めます。範囲攻撃を行う方は、俺を壁に使って下さい」
自らに防御陣をかけた多門が前衛に立ち、防御に不安がありそうな仲間にもそれを分け与える。
「じゃあ、遠慮なく使わせて貰うわねェ♪」
多門の後ろに身を隠した黒百合はその中心にイカ頭の姿を捉え、アンタレスを発動。
「楽しい範囲攻撃の御時間だわァ…さてェ、何匹倒せるかしらねェ…♪」
燃え盛る劫火が更にこんがりとイカ達を焼き上げる。
「良い焼き色が付いたわねェ♪」
ただし匂いは生臭く、食欲をそそられないこと甚だしい。
もっとも、これは煮ても焼いても食べられないのだから、良い匂いなど漂って来たら却って困るかもしれないが。
もうひとつ、集団で固まっている所は玲獅がヴァルキリージャベリンで一直線に切り開く。
その道に走り込んだ和紗は荒れ狂う暴風の様な猛射撃を浴びせた。
トビイカの刺身が出来そうな嵐を隠れ蓑に、和紗は敵陣の奥深くまで斬り込んで行く。
「俺達の相手をして貰いますよ。拒否権はありません」
イカ頭に狙いを定め、和紗は至近距離で弓を引き絞る。
その声を耳にして――イカの耳がどこにあるのか知らないが――イカ頭は初めて和紗の存在を認識した。
途端に触手を伸ばして来るが、もう遅い。
二度目のバレットストームが触手を細切れに切り刻み、和紗は再び気配を殺してイカ頭の背後に回り込んだ。
反撃を受けないように距離を取り、蒼い光を纏った一撃を放つ。
イカ頭はその触手に骸骨を絡めたまま、それを抱く様にぺしゃりと崩れ落ちた。
まだ飛んでいるイカ達にはファーフナーがファイアワークスを放った。
踊り狂う炎で焼かれた直後、今度は氷の夜想曲で急速冷凍。
イカ達は凍り付いたのか、それとも眠りに落ちたのか、浮力を失っていった。
ぼとぼと落ちて来るイカの雨をぬって、智美は残った人々を誘導していく。
「もう逃げ遅れた人はいないでしょうか」
生命探知を使った玲獅は、目に見える敵の姿と生命反応の位置を重ねてみる。
「ひとつ、数が合いませんね」
植え込みの陰に隠れているらしいそれは、敵か、それとも逃げ遅れか。
「俺が見て来る」
智美が確認に行こうとした矢先、イカ頭もその存在に気付いた様だ。
イカ頭の触手が伸びる。
玲獅はそれをシールゾーンで封じようとするが、結界の中にあってもその動きは止まらなかった。
「ならば、これはどうですか」
イカ頭がタコ頭――ブラッドウォリアー等の改良型であるならば、バステには弱いかもしれない。
そう考えた玲獅は星の輝きで辺りを照らすが、トビイカ達がそれを嫌う様に身を退く動きを見せただけで、イカ頭はそれに見向きもしなかった。
「だったら、これはどう?」
上空からアサニエルが審判の鎖を放つ。
「軟体動物でも逃げられないくらいに締め上げてあげるよ」
アウルを練り上げた聖なる鎖で念入りに縛り上げ、智美に言った。
「その陰に子供が隠れてる、保護を頼むよ」
「わかった」
縮地で飛び出した智美は、子供の身体を抱え込むと全力でその場を離れる。
「あいつらに見付からずに、よく頑張ったな」
避難所にはこの子の保護者もいるだろうか。
「残りは全て敵です、迅速に片付けましょう」
白蛇の盾を構えた玲獅が前に出た。
集中攻撃の甲斐あって、トビイカの方はもう数えるほどしか残っていない。
ただ、イカ頭はまだ四体が健在、しかも互いに距離を置いていた。
「ここはひとつに纏めたいところですねー」
とは言え、ねずみは注目スキルを持っていない。
「持ってなくても注目させるでござる!」
それには――撃つ。とにかく撃つ。撃って撃って撃ちまくる。
物陰から物陰へちょこまかと動き回り、わざとヘイトを稼ぐように。
「撃つべし、撃つべし」
ほーら鬱陶しいだろう、叩き潰したくなってくるだろう。
「イカさんこちら、ですよー」
イカやタコは知能が高いと言われているが、やはり所詮は無脊椎動物。
まんまと乗せられ囮に集まって来る。
そこを黒百合がコメットで重圧を与え、逃がさないように全員で取り囲んだ。
「私も攻撃に参加させて頂いてよろしいでしょうか」
仲間の了承を得た玲獅は、火炎放射器の炎を出しっ放しにしてイカ頭を炙り続ける――いや、それは本物の炎ではないけれど、ビジュアル的にはどう見ても豪快な炙り焼き。
苦し紛れに延ばされた触手は、前に出た多門が剣で切り刻んでいく。
その切り口からは粘性の高い液体が滲み出て、足元にドロドロの水溜まりを作った。
「これは、迂闊に足を踏み入れたら滑りそうですね」
イカ頭の周囲には既に大きな水溜まりが出来ている。
「ならば近付かずに倒すまでだな」
ファーフナーは忍術書で月光の花を舞わせ、その触手と言いコートと言い、所構わず切り刻んで行った。
和紗は休みなく弓を引き続け、智美は忍法「髪芝居」でその動きを封じつつ、水溜まりを避けながら近付き炎熱の鉄槌を振るう。
「物理攻撃半減は、俺には痛いな」
魔法攻撃が出来る装備はこの鉄槌の他にない。
「物理が効くなら遠距離から安全に叩けるんだけど」
とは言え、触手は既に殆ど斬り落とされ、取り巻きのイカも火炎放射器で飛んで火に入る何とやら。
足元にさえ気を付ければ、懐に飛び込むリスクもそう多くはなかった。
「他に攻撃手段がないのが救いかしらねェ?」
擬似電流を伴ったアウルの砲撃で並んだ二体を纏めて吹っ飛ばした黒百合が、その髪を真っ白に染めながら口角を上げる。
もう一体を多門がフォースで弾き飛ばし、残る一体は――
忍法「胡蝶」で朦朧を狙ったねずみが背後に回り込み胴体にアシッドショットを放つ。
「まー頭がイカなら視界広いんで背後修正とかはなさそーですけどねー」
でも多分、撹乱にはなる。
そして再度「胡蝶」を仕掛け、近付いて胴体に変移抜刀術・咬切、アサルトライフルから形成された刀で居合いの様に斬り付ける。
「鋭き牙は止められまい、ですよー」
「もう、他に的の反応はない様です」
生命探知で確認した玲獅が、ほっと息を吐く。
「結局、これを作った悪魔は姿を現しませんでしたね」
戦闘中もその存在に注意を払い、気にかけていた多門が呟く。
彼等の足元には、生臭い死骸の山が出来ていた。
大部分がトビイカのものだが、なかにはイカ頭の人型ディアボロと――そして白骨化した犠牲者の遺体がいくつか。
「骨は大事ですけれど…」
それを見つめて、和紗が呟いた。
「人はその身が形作る表情に寄って意思疎通を図り、喜びや哀しみといった感情を生み出すのです」
これを奪おうとした悪魔は、それをどう考えているのだろう。
『そんなものに興味ないわ』
和紗の頭の中に、誰かの声が響いた。
「どうしました?」
「今、誰かの……女の子の声が」
多門の問いに、和紗は周囲を見渡す。
そこには誰もいない――少なくとも、見える範囲には。
「悪魔が遺体を奪いに来ているのかもしれませんね」
多門が言い、警戒を強める。
襲って来る気配はない様だが――
「とにかく、ご遺体をこのままにはしておけませんね」
玲獅が言った。
コートに触手というマニアックな格好に、イカ頭。
そんなふざけた敵に命を奪われるなんて……しかもイカスミを注入されて身体の中から溶かされるなんて。
こんな最期を迎えたら、きっと死んでも死にきれない。
自分の人生は何だったのだろうと、無常感に苛まれずにはいられないだろう。
「俺、シートとか手配して来ますね」
智美が飛び出して行く。
せめて手厚く葬ってやる事くらいしか出来ない事が悔しかった。
「まあでも、これ以上の被害が出る事は防げたんだ……とりあえずはね」
アサニエルが小さく肩を竦める。
「これを作った張本人が出て来ないって事は、まだ他にも似た様な事件が起きる可能性があるって事かもしれないけど」
ひとまずは、ご苦労様だ。
「誰か怪我した人はいる? 遠慮しないで、治せるものはさっさと治しといた方が良いだろ?」
それを聞いて何人かの者が手を挙げる。
人数が多いなら、玲獅に癒しの風を使って貰った方が良いだろうか。
「俺は避難所の方が気になりますから、ちょっと行って来ますね」
人手が必要になったら呼んでくれと言い残し、和紗は避難所へと向かう。
怪我の状況を確認がてら様子を見て、不安な人がいれば声をかけて安心させてやりたい。
「じゃ、私もひとまずそっちに行こうかしらァ…」
黒百合が後に続く。
避難の際に転んだ程度の傷なら救急箱でも充分に対処出来るだろう。
そちらが落ち着いたら、現場を片付けて、残党が居ないか確認して。
撃退署からも応援が来るだろうし、撃退士がそこまでする必要は、ないのかもしれないけれど。
きっとこれで終わりではないのだろう。
悪魔は今も何処かで様子を見ているに違いない。
そいつに、隙を見せたくはないから――