先日の事件から数日後。
雨野 挫斬(
ja0919)は、いつもの様に高松を拉致していた。
だが今日は、いつもの喫茶店ではない。
髪型もいつもとは違っていた。
「はい、前のお金」
人目に付かない校舎の裏に引き込んで、高松の手に数枚の札を握らせる。
「いらねぇよ、そんなの」
「いいから受け取って」
その手を払い除けようとした高松のポケットに強引にねじ込んで、挫斬は一歩退いた。
「んと、本当は話聞いて欲しいけど私と一緒にいるのを誰かに見られると迷惑かかるし、話したら泣いちゃいそうだからもう行くね」
「んだよそれ、迷惑ならとっくにかけられてるっつーの」
頭を掻きむしり、高松は鼻の頭に皺を寄せる。
「メシには付き合わされるし、荷物持ちはさせられるし、教室まで追っかけて来るし」
「ごめん、嫌だったかな」
「んなこと言ってねーだろ」
ぷいと横を向き、高松は続けた。
「だいたいお前、顔なんか殆ど映ってねーし」
後ろ姿だけで挫斬だとわかるのは自分くらいなものだ、なんて事は言ってやらない。
だが挫斬には、高松の言葉を耳に入れる余裕もない様だ。
「紘輝君に色々話せって言っておいてごめん。でも話してくれるならちゃんと聞くからよければまた会ってね」
くるりと踵を返し、走り去ろうとする。
しかし、その腕を高松が引っ掴んだ。
「待てよ、忘れもんだぜ?」
そのまま引き寄せ、唇を重ねる。
「ったく、チョーシ狂うぜ。お前そんなんで俺を殺せんのか?」
腕を掴んだまま、耳元で囁いた。
「あいつは今までの敵とは違う。甘さも弱点もないし、こっちの穴は必ず突いて来る奴だ」
舐めてかかればどうなるか、それはもう身に染みて理解しただろう。
「俺を失望させんじゃねぇぞ」
それだけ言うと、高松は自分から去って行った。
ひとりアパートに戻った挫斬は酒に逃げる。
だが、酔う暇もなく新たな事件が起きたとの報せが入った。
「撃退士全員に迷惑かけた責任とらないと」
例えそれが偽りの汚名でも、雪ぐのは簡単な事ではない。
下手に動けばまた逆に利用される危険があった。
しかし、それでも。
「落とし前は付けさせて貰うわ」
呼び出しに応じて向かった科学室には、既に全員が顔を揃えていた。
「子供たちを連れて行くなんてひどいの…」
華桜りりか(
jb6883)は、今日も怒っていた。
そうは見えなくても、怒っていた。
いや、顔に出ているか否かの違いがあるだけで、誰もが怒りに震えている。
「一般人を誘拐するなんて、許せないのだよ!」
フィノシュトラ(
jb2752)はストレートに表に出すタイプ。
「大規模な襲撃の次には子供らの誘拐…次から次へ、よくも…」
カノン(
jb2648)の場合は表情よりも声の低さに表れていた。
捏造によって戦友を貶めた事も含め、つくづく腹の立つ相手だと拳を握る。
それに加えて――
「章治兄さまを連れて来い…?」
りりかが不安そうに門木を見る。
「三人の身柄を握られている以上、従うしかないでしょうね」
そうしなければ話が進まないだろうと、カノンが答えた。
「んぅ…お一人で待って頂くよりは傍に居て頂いて護る方が…まだ安心、です?」
「それに…何となくですが、今更不意打ち急襲で命を奪って終わり、にするとも思えませんから」
「メイラスのことだから、きっと面倒くさい罠を仕掛けているのだ」
こくり、青空・アルベール(
ja0732)が頷く。
「リュールさんのことを侮辱して先生を怒らせたり傷付けたり、汚い事をして来そうなのだよ?」
「…それならそれで、構わない」
憤慨するフィノシュトラに、門木は小さく笑みを返した。
「…そういうのは、慣れてるしな」
「そんなのに慣れちゃだめなのですよ…!」
シグリッド=リンドベリ(
jb5318)が、またしても涙目になっている。
しかしどんなに切れ味が鋭くても、言葉で命を奪う事は出来ない――少なくとも、直接には。
「…だから、大丈夫だ」
足手纏いにしかならない自信はあるが、それは大体いつもの事だった。
大まかな方針を決め、撃退士達は準備に取りかかる。
幸いと言うべきか、今回は準備にかける時間の余裕があった。
もっとも、その余裕は敵から与えられたものだ。
「いくら準備を整えても無駄だとでも言いたいのか。まったく嫌味な野郎だぜ」
だったら後悔させてやると、ミハイル・エッカート(
jb0544)は早速仕込みにかかった。
「またメイラスが妙な動画を撮ってるかもしれないからな。投降サイトにUPされたらこっちもやってやろう」
目には目を、動画には動画を――お約束の台詞「おわかりいただけただろうか」付きで。
もっとも、馬鹿正直にカメラを構えていれば、また前回の様に捏造のネタにされかねない。
「だが、これならバレないだろう」
ワイシャツの上からスマホを胸に固定し、上にネクタイを被せ、カメラのレンズ部分に穴を開ける。
ネクタイとスマホがずれないように貼り付ければ、隠しカメラの出来上がりだ。
他に必要なのは、門木の改造か。
「いくら皆が護衛に付くと言っても、多少は自衛も出来ないとな」
手持ちの魔装を門木の手に押し付ける。
ついでにイケメンにしてしまえと言うミハイルに、七ツ狩 ヨル(
jb2630)が頷いた。
「人は見かけじゃないって言うけど、きちんとした格好しないと舐められるから」
それにメイラスが何を企んでいるとしても、身なりを整えておいて悪い事はない筈だ
「あと、俺は子供達の素性を調べておくよ。色んな事情とかも」
何かわかったら連絡を入れると言い残し、ヨルは調査に出かけて行った。
「私もちょっと話を聞いて来るわ」
挫斬がそれに続く。
メイラスからの伝言を伝えて来たのは、拉致された被害者の幼馴染だ。
撃退士など信用出来ないと言われても良い。
信じなくても良い。
ただ、力を貸してくれれば。
そうしたら、必ず結果を出して見せるから。
そして、指定された当日。
(本当は連れて行きたくないのです…)
現地へ向かう途中、いつもの様に門木に貼り付いたシグリッドは、その上着のポケットにお守りを忍び込ませた。
(ぼくはいいので、章治おにーさんが怪我しませんように…!)
ところが。
「…こら」
気付いた門木が、その頭をコツンと叩く。
「…俺は、大丈夫だよ」
「でも…っ」
それでも不安げなシグリッドの手にお守りを握らせ、門木はその頭を掻き回した。
「…お前が倒れたら、誰が守ってくれるんだ?」
「それは、他の皆が…」
「…一人でも減ったら、残りの者達の負担が増えるだろう。それに、お前達が一番に守るべきは、俺じゃない」
門木はこれでも普通の人間よりは打たれ強い方だ。
「…俺は、最後で良い。それくらい、凌いでみせるから」
「章治兄さま…」
それを聞いていたりりかは、しかし傍を離れようとしなかった。
やっと帰って来たという嬉しさと、心配と不安がないまぜになって、手を離す事が出来ない。
せめて戦いが始まるまでは、このままで。
「メイラス、下種な天使…何れ相応しい裁きを与えるとしましょう」
現場に着いたレイラ(
ja0365)が周囲を見回すが、その姿はどこにも見えない。
鏑木愛梨沙(
jb3903)が生命探知を使ってみるが、圏内にそれらしい反応はなかった。
その代わり、そこで待ち受けていたのは――
「メイラス、ではないようですね」
宙に浮かんだ見知らぬ天使をカノンが見据える。
淡い緑色の髪に、白い一対の翼。全体に気弱そうな印象。メイラスとは真逆のタイプか。
他に人影はなかった。人質の姿も見えない。
「何処かに隠れているのでしょうか」
レイラが阻霊符を取り出す。
しかし、それをミハイルが止めた。
「余計な連中が沸いて出たら始末に負えないだろう」
今はまだ、様子を見た方が良い。
「で、そっちはメイラスの手先か、そこの児童略取の誘拐犯。誰だか知らんが、人質はどうした?」
ミハイルの言葉に、天使が答えた。
男性にしては細く高い声で、それでも精一杯に威厳を保つ様に。
「まずはその堕天使をこちらに寄越せ」
後方に控えた門木を顎で指す。
「人質と交換というわけか」
「交換ではない、これは命令だ」
「なら従う義務はない、俺達はお前の部下でも奴隷でもないんだからな」
「獲物ふぜいが偉そうな口をきくものだ」
天使は薄笑いを浮かべ、ミハイルを見下ろす。
「だが、そうだな。獲物に抵抗を許さぬ狩りは、ただの屠殺――ならば存分に足掻くが良い」
天使が軽く手を上げると、小柄な人影が地中から現れた。
それは行方不明になった子供達の姿。
ただし、その数は30人あまりに水増しされている。
本物は三人、残りは全てコピーサーバントだろう。
それが一斉に襲いかかって来る。
「あの子達、背中に黒い翼が生えてるのだ」
闇雲に武器を振り回し、力任せにぶつかって来るだけの攻撃を受け止めながら、青空が言った。
もう既に、使徒にされているという事か。
何かの術をかけられて、騙されて、手駒にされたという事か。
「お前ら、やっちまったな。天使の手先になったのか」
ミハイルが声をかけてみるが、返事はない。
口止めされているのだろう。喋れば本物だとバレてしまうから。
「これらは我が使徒、黒咎。本物はこの中にいる。見つけ出せたなら、返してやろう」
なに、そう難しい事ではない。
一度でも攻撃を当てれば偽物は人形に戻る。
「それで、私達が子供に攻撃を加えている様子を撮影して、またネットに流すつもりですか?」
レイラが言った。
今回もメイラスが絡んでいるなら、それくらいの事はやって来るだろう。
黒咎の攻撃を受け流しながら周囲の様子に目を配り、この現場を撮影するのに適した位置を探す。
メイラスがいるとすれば、その辺りだが。
「上手く撮影出来ない様に、発煙手榴弾を投げて妨害しておきましょうか」
だが、青空が止めた。
「大丈夫、攻撃はしねーのだ!」
こちらから攻撃しなければ、メイラスにとっての「良い画」は撮れないだろう。
それに、メイラスを下手に刺激しない方が良い。
「今ここで出て来られたら、何も出来ないのだよ?」
フィノシュトラが言う様に、今回は大物相手はしない計画だ。
まずは出来るだけ時間を稼いで、少しでも多くの情報を得ておかなければ。
(…私達が、助けられなかったのだから、今度こそ、なのだよ…)
シグリッドはストレイシオンのシロちゃんを召喚、まずはホーリーヴェールで特殊抵抗を上げる。
門木の盾になりつつ、子供達に声をかけてみた。
「助けに来たのです、ぼく達と一緒に戻りましょう…!」
どれが本物かわからないから、声が届く限りの全員に向かって、何度でも。
その声は、彼等の耳に届いている筈だった。
なのに何の反応もない。
それどころか黒咎達は皆、何かに憑かれた様な目をして撃退士達に向かって来る。
しかしその鬼気迫る様子とは裏腹に、彼等の攻撃は拍子抜けする程に弱かった。
こんなもので撃退士を倒せる筈がない事は、メイラスもわかっているだろう。
(なのにどうして…?)
だが、何を企んでいようと自分のやる事は変わらない。
「今度は…絶対守るのです…!」
門木も、子供達も――門木がそれを望むなら、他の誰であろうと。
「戦う前にいくつか確認したいんだけど」
黒咎を仲間に任せ、ヨルが抑揚のない声で問う。
普段から殆ど動かない表情筋も、今は動く事を忘れた様に凝り固まっていた。
代わりに腹の中では何か熱いものが渦を巻いている。
それは子供達を使徒に変えたメイラスと、彼らの親を守り切れなかった自分自身に対する怒りの感情だった。
「まず君は誰。メイラスの仲間?」
返事はない。
「ああ、そうか。人に名前を訊く時は、まず自分から…だったね」
ヨルは自分の名を名乗り、悪魔である事を告げた。
「種族としては敵対してるけど、俺は敵じゃない」
まだ、今のところは。
敵になるかどうかは、相手の返答と行動次第だ。
しかしそれでも、天使は答えない。
何か個人的に、悪魔に対する怨みでもあるのだろうか。
そこで代わりにミハイルが煽ってみた。
「で、弱そうな使徒をごっそり抱えて何しに来た? その戦力で門木先生を連れて来いと言われたか。メイラスの捨て駒だな!」
「我が名はテリオス」
天使が答える。
「あの子達に何をしたの」
だが、ヨルの質問には相変わらず黙ったまま。
やはり何か、悪魔に対して個人的に思うところがあるのかもしれない。
「あの子達、メイラスに何かされてる事は確かよ」
代わりに挫斬が小声で囁く。
三人の一人、サトルの拉致現場を見ていたカズから得た情報だ。
「何をされたのか、そこまではわからないけど」
「アロンの杖は幻覚を見せる能力がある、今回もそれか」
ミハイルは以前その術中に嵌まった時の事を思い返してみる。
だとしたら、それを破る事は容易ではないだろう。
「貴方はどうしてこんな事を…」
りりかが訊ねる。
「それに…章治兄さまを連れて来いなんてどういう事、です?」
返って来た返事は意外なものだった。
「その堕天使は、私の兄だ」
「章治おにーさんの、弟…?」
シグリッドは思わず門木を見る。
だが本人はもっと驚いた顔をしていた。
「えっと、でも…章治おにーさんの弟さん…? あんまり似てないのです、ね?」
門木を見る。テリオスを見る。首を傾げる。
脳内フィルタで年齢を近付けてみても、やっぱり似ていない。
「本当に兄弟なの、です?」
と言うか、本人がそう言っているだけで、そもそも証拠がない。
「弟だって証明できるもの、あるのです?」
出来れば嘘であってほしい。
だって、あの性格の悪いメイラスに付き従っているなんて、このミドリ色の人もきっと性格悪いに違いない、なんて思っちゃったし。
(そんな奴と、章治おにーさんが兄弟だなんて…!)
証拠があっても信じられないし、信じたくない。
しかし、テリオスは言った。
「似ていないのも道理だろう、半分は他人だ。父親が違う」
「え…」
「それに、証拠はない。だが、その男が堕天使である事は紛れもない事実。ならばこの場で滅するのが天界の掟だ」
人違いでも構わないと、テリオスは手にした槍の先で門木を差す。
「完璧である事が、我が一族の誇り。貴様はその中に事故によって紛れ込んだ欠陥品だ」
証拠はないと言いつつ、確証があるかの様な口ぶりだった。
「そのような姿で、よく恥ずかしげもなく生き延びたものだな。だが、ここまでだ。一族の跡取りであるこの私が、責任を持って始末してくれよう」
まだ距離は遠い。
だが、その射線を塞いでカノンが前に立った。
「ならば私も堕天使、粛清の対象です。まずは私を倒してからどうぞ――貴方にそれが出来るとは思えませんが」
使徒を三人も抱えているなら、相当に弱体化している筈だ。
恐らくメイラスも、彼に勝ち目があるとは考えていないだろう。
ならば、何故?
「私としては言語道断ですが、天使の考え方として人を力の吸収対象としてのみ見て、それに与することを否定する考えが存在することは承知しています」
相手の考えを引き出す為に、積極的に煽っていく。
「ですが、貴方がメイラスに何を言われたかは知りませんが、その断罪をするのに人を攫い、心を操り手駒に変え、人質よろしく並べることが「天使の正義」ですか?」
黙って聞く義理はないだろうが、あの天使が半分とは言え門木と血が繋がっているという話が事実ならば、何かしら似た部分があるかもしれない。
それに、見たところ育ちは良さそうだ。
人の話の腰を折らないという基本的な躾は出来ているだろう――もっとも、こちらを「対等な相手」と認識していれば、だが。
「傲慢でありながら、それを誇りと囀る建前さえ投げ捨てましたか」
これで頭に血が上るなら、余り期待は出来ないだろう。
「堕天使を、天使の秩序から外れた者を堕落と罵るならば好きになさい!」
カノンは語気を強めて言い放つ。
「私は罵られて恥じ入るような生き方はしていない! 貴方は、今の戦い方に何ら疑問も恥もありませんか!?」
さあ、どう出て来る。無視か、それとも――
「私も何ら恥じ入るような生き方はしていない。裏切者に何と言われようと、私はこの天界の秩序を守り、維持する為にこの身を捧げる事を誇りに思う」
その為ならば肉親を切り捨てる事にも躊躇いはないと、天使は言い切った。
「もっとも、そこの堕天使を肉親だと思った事はないが」
「じゃあ、貴方なら死ぬの?」
盾を構えつつ、愛梨沙は無意識に天使の微笑を使う。
「貴方がセンセと同じ立場だったら、自分が完璧ではない姿で生まれて親から捨てられたら…あなたは大人しく死を選ぶの?」
「それが己の身に起きた事ならば」
しかし、愛梨沙は首を振った。
「既に大人になり『完璧である事こそ大事』みたいな考え方を教え込まれた『貴方』ではなく、そんな事知らない子供…ううん赤ん坊の『貴方』でもホントに死ねる?」
「赤子に選択権はなかろう」
天使は煩わしそうな目を向けるが、愛梨沙は構わず続けた。
「何も知らずにただいきなり捨てられて命の危機に瀕したら…きっと誰だって『生きたい』と思うはずだわ」
堕天だってそうだ。
「何もしていないのにいきなり命を狙われて、堕天するしか助かる方法が無いならそれを選ぶのは仕方の無い事よ? 馬鹿としか言い様のない高すぎるプライドの持ち主でもない限りね」
しかし天使は首を振る。
「私を挑発するつもりなら無駄な事だ。私はそのような欠陥品とは違う」
白く大きな一対の翼、整った顔立ち、優雅な所作。
内面は感情に流される事もなく、頭の回転が良く弁舌に優れ、かつ上司の命令に忠実な手駒。
どこをとっても落ち度のない、天使のスタンダードだ。
「でも、どこが完璧なの、です?」
りりかが言った。
(保険をかけて、お一人で何も出来ないような方に章治兄さまに何かを言う事は許さないの…)
黒咎からの攻撃を凌ぎつつ、テリオスに迫る。
「完璧なら人に使われる事なんておかしいの…一人で何もかも出来るの、でしょう?」
「使われているのではない、仕えているのだ」
ものは言い様、負け惜しみにも聞こえるが、下級天使が上級天使に仕えるのは当然の事だ。
例え下級の天使の方が能力的に優れていたとしても。
「だとしても、子供たちを利用しようとするなんて、ひどいの…」
「人質を取ったり、家族を汚点だといって切り捨てるような人は完璧なんかじゃなくて、ただの見ないふりをしているだけだと思うのだよ!」
「わかっていない様だな」
フィノシュトラの言葉に、天使は哀れむ様な目を向ける。
「家族とは、それに相応しい者だけが居場所を与えられるものだ。我が一族に欠陥品の座る椅子はない」
「そんなことないのだよ!」
家族になるのに資格はいらない。
何も出来なくても良い、偉くなくても、立派でなくても、そこに居てくれるだけで良い――寧ろ欠点だらけだからこそ愛おしい、それが家族というものではないのか。
「自分を完璧だっていうのなら、あの子達を解放して正々堂々、私たちと闘ってほしいのだよ!」
「メイラスだって片翼の不完全だろう」
なのに何故、そんな不完全な存在に付き従っているのかとミハイルが問う。
しかしメイラスは大天使。
階級が上なら何でも偉い、それが天界株式会社なのだ。
「片翼で産まれたのはカドキのせいじゃない」
無視されても構わずに、ヨルが言った。
「今まで生き延びた一番の原因は、最初に『捨てた』両親のせいでしょ」
そう、捨てられたのだ。
殺す事は簡単だった筈なのに、そうはしなかった。
そこに意味があるのではないか。
「ねえ、何故だと思う?」
返事はない。
だが、テリオスの反応は今までと明らかに違っていた。
動揺している、と言っても良いかもしれない。
「両親に訊いてみたこと、ある?」
そもそも両親のどちらかが話して聞かせなければ、弟であるテリオスが兄の存在を知る事は難しいだろう。
「カドキのこと、誰に聞いたの?」
返事がなくても構わず続ける。
「堕天使になったのだって、カドキの意思じゃなく堕とされたって聞いてるけど」
それでも罪になるのだろうか。
だが、やはり返事はない――と諦めかけた矢先。
「フィリアス」
テリオスが呟いた。
「母はいつも、私をそう呼んでいた。…奴に付ける筈だった名だ」
その母も既に亡い。
最後まで、母は捨てた筈の兄の名で弟を呼び続けていた。
「それがどういう事か、わかるか」
相変わらずヨルの存在など眼中にないかの様に呟く。
その視線は門木に据えられたまま微動だにしなかった。
「わからなくていい」
その瞬間、テリオスは弾かれた様に飛び出し、門木の頭上に槍を振りかざす。
「私は貴様を排除する、ただそれだけだ!」
しかし、門木を取り囲む仲間達がそれを許す筈もなかった。
「させないの、ですよ?」
りりかがマジックシールドを展開、槍の一振りを受け止めたところに、カノンが反撃に出る。
が、背後で息を呑む気配を感じて、すんでのところでその手を止めた。
ディバインランスの切っ先を向けたまま、カノンは背後の会話に耳を傾ける。
「章治おにーさんは、どうしたいのです?」
シグリッドに問われ、門木はテリオスを見た。
初めて会った、それまでは存在さえ知らなかった、血の繋がった弟。
正直、どうしたいのかも、どうすれば良いのかもわからない。
けれど、ひとつだけはっきりしている事があった。
「…話が、したい」
産みの親や、その家族に興味はないけれど。
きっと、きちんと話せば通じる相手だと思うから。
「それじゃ、まずは私が試してみるな!」
ニコニコと満面の笑顔で、青空が話しかける。
「テリオス、すげーきれーな髪の色な」
まるで天気の話でもするかの様に、あっけらかんと、無防備に。
「門木先生も昔綺麗な緑だったんだって。辛いこと苦しいことがあってあの色になったんだって」
今では殆ど黒に近い色になっているけれど。
「でも私、先生の髪好きだよ」
頑張ってきた証の色だから。
「完璧って、よくわかんねーけど、そんなに大事?」
テリオスは返事をしない。
だが、その沈黙は今までとは僅かに質が違っている様な気がした。
一方、挫斬はひたすら黒咎達の相手をしていた。
「アンタ達が私達を恨むのは当然だけど手段を間違えちゃ駄目。アンタ達に力を与えたのは親の仇よ。そんな事しなくても復讐させてあげるから戻ってきなさい」
だが、声は届いている筈なのに反応がない。
「私の声じゃ駄目なのかしら」
ならばと、試しに録音してきた縁者の声を聞かせてみた。
『サトル! 何やってんだよ、このバカ!!』
『帰って来いマサト!』
『アヤちゃん!!』
親友、兄、そして母親。
彼等の声に対して反応を示したのは、僅かに三人。
他は全てコピーだ。
コピーには強く残る記憶も引き継がれる様だが、彼等の場合は復讐に対する思いが強すぎて、他の記憶や感情が消えてしまったらしい。
その中の銃を持った一人に近付き、挫斬は腕を掴んだ。
「捕まえた」
「きゃっ!」
思わず声を上げた黒銃アヤはその手を振り解こうとするが、挫斬は離さない。
「汚い手で触らないで! よくも、よくもパパを…っ!」
残る二人のうち、咎槍マサトはミハイルが取り押さえた。
「離せよクソ天使! ちくしょうブッ殺してやるっ!!」
そして黒剣サトルには、ヨルが意志疎通で話しかける。
『サトル、だよね。俺の声聞こえる?』
頭の中に突然響いた声に、サトルは思わず剣を取り落とした。
「な、なんだ、これ!?」
『落ち着いて、俺達は撃退士――』
「うそだ! 撃退士なんて、どこにもいないじゃないか!」
周りにいるのは、母親の仇と同じ姿をした天使ばかり――そう彼等の目には見えている様だ。
「なるほど、そういう事ね」
挫斬は着ていた物を破り捨てて上半身裸になり、アヤの手を自分の背中に回した。
「私は人間よ。ほら翼ないでしょ。私は天使じゃなくて――」
髪型を動画を撮影していた時の状態に戻す。
「アンタ達の親が死ぬのを撮影してた方よ」
挫斬達が本物の身柄を確保したところで、他の仲間達はコピーの掃討を開始する。
レイラは遠慮なく蛍丸で薙ぎ払い、愛梨沙はメイラスの介入を警戒しながら説得とコピーの撃破を。
「貴方達はメイラスに騙されて利用されてるのよっ」
黒咎も、テリオスも。
だが黒咎はまだしも、テリオスがそれを認める筈がない。
認めるとすれば、それは「こちら側」に来る時だろうが、それをメイラスが許すだろうか。
「うーん、それは難しいと思うのだよ?」
フィノシュトラは攻撃には加わらず、防御と警戒に専念していた。
「メイラスのことだから、テリオスさんを攻撃しようとしたところを子供たちに庇わせるとか、やりかねないのだよ!」
いや、テリオスへの攻撃は自重しているから、それはない――とも限らないか。
撃退士が攻撃しないなら、代わりに自分で攻撃するくらいの事は平気でやって来るだろう。
それに門木を連れて来いと言っておきながら、未だに目立った動きがない事も気にかかる。
「きっと何か、罠がある筈なのだよ…」
一方、青空は本物の黒咎達に対して出来る限り声をかけながら、コピーを撃ち倒していった。
信じて貰えないかもしれない。
更に悪質な罠が待ち構えているかもしれない。
(でも、私は、もうまっすぐ伝えることしかできねーのだ…)
子供だから理解できないとは思わない。
「学園に所属してる堕天使があんな事件起こせるわけがねーのだ! あんな風に人を殺すのはどー考えても天界の天使の仕業であろ!」
どうかメイラスを疑って。
術の中にどっぷり使った状態は心地良いかもしれないけれど、それはただのマヤカシだから。
「助けられなかったから。せめて君たちは助けたい。じゃないと、君たちのおとーさんおかーさんに顔向けできねーのだよ…」
だが、その程度でメイラスの術は破れなかった。
「目を覚まして。そしたら私を解体させてあげるから。それに皆も待ってるよ」
挫斬はもう一度、声を聞かせる。
今度は先程よりも長く、切々と語りかけるバージョンで。
しかし、アヤはそれを無視して挫斬の腕を無理やり振り解き、至近距離で銃を撃ち放った。
「パパを返してよ!!」
ところが。
銃口を押し付ける様にして急所を狙ったのに、挫斬の身体には掠り傷程度のダメージしか与えられなかった。
「うそ…だって、この力があれば仇が討てるって…天使を倒せるって!」
残念ながら、それは嘘だ。
「幻術だな。騙されてるぞ」
ミハイルもまた、マサトの手をとって身体を触らせてみる。
「ほらよ、胸も羽もないだろ。声だってこの通りおにーさんだぞ」
おじさんとか言ったら撃つぞ?
しかし術が強力なのか思い込みが激しいのか、感覚のギャップを指摘してみても、本人はそれを認識していない様だ。
『斧槍持った女天使はいるかな。もしいるならそれが俺だ』
ヨルは更に声を送ってみるが、サトルの目にはどれも同じに見えている様だ。
『じゃあ、手を上げたのはわかるね? それが俺。攻撃するなら俺にして』
しかしサトルは戸惑っている。
術は解けないが、何かしらの違和感は感じている様だ。
『俺はその女天使じゃない。まずあの時の女天使自体メイラスが作った偽物だ。…けれど君の家族を守れなかった、それは事実だから』
ヨルは気配を消して近付き、ありったけの謝罪を込めて抱き締めた。
「何すんだよ、離せ!」
しかし、暴れても離さない。
漸く解放されたと思ったら、今度はりりかに抱き締められた。
その服や髪にはチョコの甘く幸せな香りが染みついている。
ついでに、そのポケットにチョコを一粒、そっと滑り込ませた。
「貴方たちへこうげきを加える気はないの…サトルさん、カズさんが心配しているの…ですよ?」
それに、もし望むなら。
「母さまにはなる事はできないけど、姉にならなれると思うの…」
「いっ、いらねえ! そんなもん!」
突き飛ばし、剣を拾って構える。
だが、その構えはまるで子供のチャンバラごっこだ。
そんなものが戦闘のプロに通用する筈もなかった。
その時。
「メイラス!?」
生命探知に何かが引っかかったと、愛梨沙の警告が響く。
殆ど同時に、残っていた三体のコピーがメイラスに姿を変えた。
それが一斉に動き出し、黒咎達を浚って行く。
ミハイルが腕を掴んでいた黒槍マサトを除いた二人が奪われてしまった。
「やっぱり仕掛けてきたのだよ!?」
フィノシュトラが身構えるが、コピーとは言えメイラスが三体、更には本体も何処かに潜んでいるとなれば、三人一緒に救出するのは難しい。
次に繋がる手応えは感じた。
ここは撤退するのが正しい判断だろう。
「すまん、すぐに取り返してやるから――」
ミハイルが手を離すと、マサトは自分から仲間のもとへ走り去った。
「章治おにーさん、急ぐのですよ…!」
スレイプニルを呼び出したシグリッドが門木の手を引く。
その姿を隠す様に、ヨルが周囲を闇に包んだ。
「次には必ずお迎えするの…あたしの香りを覚えていて下さい、です」
「誰も傷つけちゃダメだ。絶対助けに行くから、その力で誰かを殺したりしちゃダメだからな!」
りりかと青空は、偽メイラスに押さえ付けられた黒咎達に向かって声をかける。
このまま残して行くのは不安もあるが、門木を連れたままでは分が悪すぎた。
しかし――
「もう帰るのか?」
メイラスの本体が姿を現す。
「ゲームの本番はこれからだというのに、残念だよ」
まだゲームなどと言っているのか。
「やっと姿を現しましたね」
レイラが前に出る。
「今日は撮影は行わないのですか」
「あれは既に決着が付いている…私の勝ちでな」
同じ勝負は二度としないと、メイラスは笑う。
「さて、新しいゲームを始めようか」