●出陣前
科学室の奥では、いつもの様に作戦会議が行われていた。
前回までは遠慮がちに部屋の隅で小さくなっていた門木も、今日は堂々と皆の輪の中にいる。
「先生、ずっと留守番だったから鬱憤がたまってるんじゃないか?」
ミハイル・エッカート(
jb0544)は、からかう様な調子でその肩を軽く叩いた。
「だがそれを晴らすような役割ではないぞ」
今回、門木は人質の身代わりとして拘束される。
皆の勝利を祈り、ただ待つ事しか出来ないという点では、今までと殆ど変わらないだろう。
だが、それが僅かでも皆の役に立つなら。
皆の負担を少しでも減らす事が出来るなら。
「ホントはセンセが傷付くようなことなんてさせたくないけど…」
心配そうに言った鏑木愛梨沙(
jb3903)に、門木は首を振る。
「…大丈夫だ、痛いのは慣れてる」
その途端、シグリッド=リンドベリ(
jb5318)が思いっきり抱き付いてきた。
「せんせーは我慢できても周りのぼくたちはこれっぽっちも大丈夫じゃないです…!」
ひっついてなでなでむぎゅーっとしながら、シグリッドは白衣のポケットに何かをこっそり滑り込ませる。
可愛い猫の絵が付いた、身代わりのお守りだ。
(せんせーは絶対に守るのです…!)
でも万が一の時は、このお守りが身代わりになってくれますように――!
それには気付かなかった様だが、門木はプラチナブロンドの頭をぽふぽふと叩いた。
「…うん、そうだな…ごめん。でも」
見上げた瞳に、笑顔が飛び込んで来る。
「…俺は、怪我なんかしない。心配も、してない」
皆に任せておけば、きっと全てが上手く行く。
だから、大丈夫だ。
「では、作戦を確認しておきますね」
レイラ(
ja0365)が言った。
門木が人質になる代わりに、五人の人質を解放させる。
一番手がメイラスと戦闘している間にリュールを説得、成功した時点でゲームは放棄。
門木とリュールをメイラス及びサーバント群から守り脱出。
「リュールが動いてくれなきゃこの作戦は成功しない…」
青空・アルベール(
ja0732)が眉を寄せる。
「ううん、ここが正念場だね」
「だから説得を頑張るのだよ!」
不安を吹き飛ばす様に、フィノシュトラ(
jb2752)が思いきり明るく言った。
今までずっと、リュールをこちら側に引き込む事を目標に戦って来たのだ。
その意思と想いは一貫して変わらない。
だから、きっと通じる筈だ。
「じゃあ、行って来ますねー」
もふもふ、シグリッドは留守番のタロを撫でる。
タロもリュールがいなくて寂しい思いをしているのだろう、きゅぅんと甘えた声を上げた。
「必ずリュールさんを連れて皆で無事に戻るのですよー」
そしてこの親子に正しい犬の飼い方を教えるのだ。
きっとそれが、この戦いを終えた彼等にとっての最初のミッションになる――
●戦場へ
「…とうとうこの時が来ましたね」
レグルス・グラウシード(
ja8064)が、「処刑台」に括り付けられた五人の人質にじっと視線を据える。
その脇には撃退士側が要求した通りのフィールドが作られていた。
縦横10スクエア四方の平面が壁で仕切られ、高さ3mの位置に天井が設けられている――筈だが、何も見えない。
壁は全て透明だった。
触ってみて初めて、そこに壁がある事がわかる。
「こいつは確かに、透過も破壊も出来ないんだろうな?」
ミハイルの問いにはリュールが答えた。
「自分で確かめてみるが良かろう」
「ああ、そうさせて貰おうか」
一歩下がってスナイパーライフルを構える。
発射されたアウルの弾丸は目の前で弾け、衝撃が波紋の様に広がって行った――まるでそこに、水の壁でもかるかの様に。
二発、三発と試してみる。
それでも衝撃波は壁を突き抜ける気配さえなかった。
「なるほど、少なくとも一撃で壊せる強度ではなさそうだな」
透過の方はフィノシュトラが調べてみる。
阻霊符を切り、手を伸ばしてみても、それが壁を突き抜ける事はなかった。
敵側で阻霊符に類したものを使っていない限り、この壁自体が透過を阻止する素材で作られている事は間違いなさそうだ。
そうして調べている間にも、フィノシュトラは意思疎通でリュールに話しかけていた。
『リュールさん、聞こえたら意思疎通で返事してほしいのだよ!』
表向きはリュールの事など全く眼中にないかの様に、そちらを見る事もなく。
一方のリュールも、声の主を見る事はなかった。
それどころか返事もしない…つまりは完全無視だ。
しかし、これまでの経験から撃退士達は学んでいた。
敵として現れた時の彼女が、一度の呼びかけで素直に返事を寄越す事など奇跡に近い、と。
返事がないなら、返って来るまでしつこく呼び続けるまでだ。
それでも反応がなければ、相手が本物ではない事を疑うべきだろう。
(あの人形みたいな奴の姿が見えない)
七ツ狩 ヨル(
jb2630)が、さりげなく周囲を見渡す。
先日のコピーサーバントを、この機会に投入しない事は考えにくい。
既に何かに姿を変えているか、或いは何処か別の場所――例えば、学園に紛れ込んでいるのだろうか。
(コウキには一応、注意を伝えておいたけど)
リュールと接触した経験を持つ高松も、敵に狙われる可能性がある。
もしも自分達が留守の間に、このメンバーの誰かや門木が訊ねて来る様な事があれば、それは偽物だ。
もっとも、彼が自分の話を信じたかどうか、その言葉や表情からは読み取れなかったけれど。
「人質の五人は、間違いなく本物の人間です」
異界認識で確認したレグルスが小声で囁く。
前回の戦いを見た限りでは、コピーサーバントは相手の装備やレベルまでそっくりコピー出来る様だ。
だとしたら自身のレベルを上げる必要はないだろうし、普通の人間に化けているならレベルなど無意味。
どちらにしても、レグルスの実力なら確実に見破る事が出来る。
「じゃあ、まずは人質解放の交渉からだね」
青空・アルベール(
ja0732)が頷き、一歩前に出た。
「そっちの条件に、五人の人質と門木先生を交換しても良いってあったよね?」
やはり答えるのはリュールの役目の様だ。
上司に確認しているのだろう、僅かの間を置いて「そうだ」と返事が来る。
「だったら門木先生を引き渡す代わりに、人質の解放は勿論、その避難完了を待ってゲームを開始するって事でどうかな」
言葉の上では提案の形だが、実際は要求だ。
「っていうか人質が避難途中で襲われたらゲームどころじゃねーし、ルールとしてはここは最低限だと思うのだ」
譲れないし、譲らない。
時間稼ぎの為にも。
「よかろう」
リュールが頷いたのを見て、門木が歩き出そうとする――が、その白衣の裾をシグリッドが引っ張った。
「まだ、だめなのです…!」
引き渡しは、人質の解放を確認してからだ。
それに、もうひとつ条件がある。
「こちらからも処刑場へ何人か待機させて欲しいのです」
ゲームである以上は、人質の扱いも公平であるべきだ。
今、処刑場の周囲はサーバントが取り囲んでいる。
「だったら、こちらからも待機組から何人か置かせて貰わないと不公平なのですよ?」
それでもまだ不公平なくらいだ。
何しろ敵は、ざっと見ただけでも30体はいるのだから。
「それで? あわよくば横から取り返そうと言うのか?」
リュールが低い声で言った。
「お前達が下手な動きをすれば人質の命はない」
「でも、それはルール違反なのです」
シグリッドは食い下がる。
「ぼく達はルールを守ります。そちらもルールを守るなら、ぼく達がそこにいても問題はない筈ですよね?」
それでも駄目だと言うなら、門木を人質には出せない。
だが、そこにミハイルが口を挟んだ。
「いや、どう考えても先生を出すのは割に合わない。あの五人には運が悪かったと思って諦めて貰おう」
「えっ、ちょっと待って下さい!」
今度はレグルスだ。
「僕は一般の人を危険に晒すのは反対です!」
「だが、一般人と先生とでは背負っている重みが違う!」
「あ、あの、喧嘩はだめなのですっ」
「やかましい、先生の腕を潰すくらいなら俺のを潰せ!」
「ミハイル、気持ちは分かるけど、それは意味ないやつ…!」
青空まで加わって、芝居とは思えない程のエキサイトぶりだ。
「人質の交換が無理なら、勝って取り返せば良いのだ…ルールを守って、一度も負ける事なく」
「出来ると思うのか、相手はあのメイラスだぞ!」
例え嘘でも、力が及ばないと認めるのは悔しいが――
『今、仲間が時間稼ぎしてる。この間に決めて』
ヨルが意思疎通で話しかける。
『俺達は今回でゲームを破棄する。たった二人で大天使に勝ち続けろなんていくらなんでも無理ゲーだし』
目ではじっとメイラスを見つめながら、意識はリュールへ。
『…でも、カドキも一般人も絶対リュールに傷つけさせたくはないから。だから俺達はここからゲーム以外の方法で抗う』
それにはリュールの協力が不可欠だ。
『リュールさんに…門木先生を助けて、堕天してもらいたいのだよ?』
フィノシュトラが言った。
『リュールさんは、今、幸せに見えないのだよ? 天使だから、ルールを守らなきゃいけないから、示しがつかないから…そんな理由で、自分を諦めちゃってるように見えるのだよ!』
相変わらず、返事はない。
聞こえているのか不安になるレベルでガン無視されている。
あれは本当に、本物なのだろうか?
『リュール、最後の夜に何があって何をしてくれたか、覚えてる?』
愛梨沙が訊ねてみた。
これで正しい答えが返って来るなら、本物だと思って良いだろう。
それは愛梨沙の他にはリュールと門木しか知らない筈の事なのだから。
しかしそれでも返事はない。
代わりに、足元に大きな穴が空いた――ただし愛梨沙ではなく、喧嘩をしている仲間達の。
「猿芝居はやめろ、猿ども」
魔法を撃ち込んだのはメイラスだった。
「要求は聞いてやる」
煩そうに眉を寄せ、吐き出す様に言う。
「これ以上無駄に時間を潰すなら、その五人を今すぐに殺すぞ」
メイラス、意外に短気なのだろうか、それとも思い通りに事が運ばないとキレるタイプか。
かくして五人の人質は撃退署の保護の元、無事に戦場を離脱して行く。
だが、その場にはまだ数台の車輌がエンジンをかけたままに残されていた。
「無関係な者の立ち入りを許可した覚えはないが」
リュールの問いに、雨野 挫斬(
ja0919)が答える。
「ならそっちもゲームに関係ない貴方とリュール以外は撤退させてよ。勿論ちゃんと撤退したか確認はさせて貰うわよ」
「勝手にするが良い」
これ以上進行を遅らせて、上司の機嫌を損ねるのは得策ではない。
リュールは門木に向き直り、処刑台を顎で示した。
仲間達に周囲を守られる様にして、門木はゆっくりと歩き出す。
後に続いたリュールの背に、挫斬が声をかけた。
「あの上司、下等な生き物とは目も合わせたくないって感じよね」
交渉は全て部下に任せ、自分はただ命令を下すだけ。
「私達の事、ただの餌くらいにしか思ってないみたい」
それはそうと――
「ねぇ、お母さんは息子を殺せるの?」
その問いに、リュールは抑揚のない声で答えた。
「あれはただの拾い子だ、必要とあらば斬り捨てる」
それを耳にした門木の肩が、僅かに震える。
「そんなの、嘘なのだよ!」
フィノシュトラが、門木とリュールの両方に聞こえる様に声に出して言った。
「先生、信じちゃだめなのだよ!?」
「…うん、わかってる」
頷いた門木の背に、レイラが腕を伸ばした。
「信じてください」
そのまま、前に回してそっと抱き締めた。
「先生と私たちの未来を、私たちのお母さんのいる未来を」
「…大丈夫、心配は…してない」
少なくとも、自分の心配は。
振りほどいたと思われない様に緩慢な動作で腕から抜け出し、向き直った門木はレイラの頭をぽんぽんと軽く叩く。
それよりも初戦に名乗りを上げたミハイルとカノン(
jb2648)の方が気にかかった。
特にカノンは、立候補を表明してからというもの一言も口をきいていない。
普段にも増して硬く険しい表情で、ずっと黙りこくっていた。
「…カノン」
遠慮がちに声をかけられて、カノンは表情を和らげる。
以前、笑顔をもっと見たいと言われた事を思い出し、微笑んで見せた。
「先生…勝って、貴方もリュールさんも助けます。もう少々御辛抱を」
それはリュールへの意思表明と、彼女を通して聞いているであろうメイラスへの挑発――だが、偽らざる本心でもある。
門木も頑張って微笑んで見せた…が、こちらは余り上手く行ったとは言い難かった。
「…無理も、無茶も…思う存分、やって来い」
止めても聞かない事はわかっているし、それに頼る必要がある以上、自分に止める資格はない。
止めないけれど。
だから。
「…必ず、無事に帰って来いよ」
返事の代わりに、カノンは再び微笑む。
先程よりも柔らかく、自然に。
その頬に、門木は軽く唇を触れた。
途端に周囲の空気が凍り付くと同時に爆発炎上し、悲鳴と溜息と口笛が同時に飛び交う。
それは恐らく、周囲を混乱させるという意味では「くさや爆弾」並の威力を発揮したのではなかろうか。
しかし当の門木は平然としている。
それどころか、皆が何故騒いでいるのか全く理解していない様子だ。
「…俺、何か変な事…したか?」
ほっぺにキスって、挨拶とか幸運を祈るおまじないとか、そういう意味じゃないの?
前にシグ君がしてくれた事もあるし――夢の中だったけど。
「…手の方が、良かったか」
いや、そうじゃなくて。
「…ああ、そうか。公平に、しないとな」
何かを勝手に超理解した門木は、つかつかとミハイルに歩み寄る。
「ちょ、待て先生、まさか俺にも!?」
「…すまん、気付かなくて」
「何をだ!?」
ミハイルにはおまじないも神頼みも不要に思えるが、きっとそういう事ではないのだろう。
いくら強くても、やはり不安はあるもの――
「違うのですよせんせー! 皆が騒いだのはそういう意味じゃ…!」
シグリッドが慌てて引き止める。
リュールも表情には出さないが、きっと心の中では頭を抱えていることだろう。
って言うかシリアスどこ行った。
「帰ったら私達で特別講義を開かなきゃね」
青空が、ふにゃんと笑う。
受講生は門木と…やはり今ひとつ理解していない様子のヨルくん、だろうか。
「正しい犬の飼い方講座もあるし、忙しくなりそうなのだ」
青空は二戦目の担当だが、そこまで長引かせはしない。
(門木先生の足ひとつだってやらせたくないし、こんな悪趣味なゲームは速く打ち切らせてーのだ)
こんな時ヒーローはもっと強くてかっこよく解決するのかもしれない。
自分にその力はないけれど、一人で頑張る必要はないのだろう。
強くなくても、かっこよくなくても良い。
守りたいものを全力で守る、それがヒーローだ。
「…リュールを信じるよ。きっと想いは同じだと思うから」
かけた言葉に返事はないけれど、言葉にした想いだけが真実ではないから。
「俺が戦えなくなったら、皆、後は頼む」
おまじないを無事に回避したミハイルは、微妙に門木との距離をとりつつ冷や汗を拭く。
「先生は何も気にするな。これも仕事のうちだからな、毅然としてろ」
自分のせいだなんて思うなと、釘を刺した。
「…お前達も、な。俺に何があっても、それはお前達のせいじゃない」
全て自分が望んだ結果だ。
「でも絶対に怪我なんかさせないのだよ!」
「私達が守り抜きます」
フィノシュトラとレイラが言う。
他の皆も口には出さないが同じ気持ちだろう。
「…わがまま、きいてくれて…ありがとうな」
それだけ言うと、門木は処刑台へと自ら歩いて行った。
●試合開始
(一般人とは違って一撃で殺されることはない)
戦場に立ったミハイルは、門木に据えた視線をメイラスへと戻す。
(だからといって先生を傷つけてもいいわけじゃない)
メイラスとの距離は8、互いに背後の壁と1mの距離を残して向き合っていた。
この距離なら開始直後に距離を詰められる。
(頑なに肌を見せようとしないのが気になる。まずはあの服を引き裂いてやるか)
当たるも八卦当たらぬも八卦、何が起こるかわからないギャンブルだが。
その隣ではカノンがディバインランスを構える。
(ここからが本当の勝負、ですね。状況をひっくり返すのはどちらか…見せましょう)
今までずっと、防御に徹してきた。
メイラスがそれを覚えているなら、積極的に攻撃する事で意表を突ける筈だ。
開始の合図と共に二人は飛び出す。
だがメイラスはその場を動かなかった。
先手を取ったミハイルは得物をワイヤーに切り替え、鬼神一閃でCRを下げた一撃で服を切り裂く。
片袖が千切れ、黒い包帯の様に垂れ下がった。
「おっと、悪いな。服を台無しにするつもりはなかったんだが」
だが剥き出しになった白い肌を見ても、特に表情が変わる事もなければ激昂する事もない。
メイラスは蔑む様な視線を投げただけで、ミハイルの腕を無造作に杖で振り払った。
黒ずくめの服に、特に深い意味はないのだろうか。
「全身真っ黒か、俺と趣味が合いそうだ」
しかしメイラスは時間稼ぎの小話にも乗って来る気配はない。
そこに飛び込んで来たカノンが、まずは遠い間合いからランスを一閃。
更に踏み込んで、目にも止まらぬ素早い突きを繰り出す。
それは全て周囲に張られたバリアによって防がれたが、カノンは諦めなかった。
(このバリアも耐久力には限度がある筈)
それに少しでも戦いに意識を向けさせれば、救出もやり易くなる。
メイラスとて彼等が本気で勝ちに来るとは思っていないだろうが、それでも「もしかしたら」を考えさせるためには時間稼ぎだけの戦い方では通用しない。
せめてバリアを破り、一太刀なりとも浴びせなければ。
それと同時に、リュールにも呼びかけてみる。
「私は、別に勝算や希望があって堕天したわけではありません。出来るかではなく、そうしたいと思い、決めたまでです。自らの生き方と生き場所を決めるのに、それ以上の理由が要りますか!?」
その声はリュールの元へも届いている筈だが、相変わらず眉のひとつも動かさない。
仲間の説得はまだ続いていた。
『きっと、リュールさんが門木先生のことを想っているように、門木先生も、私たちも、リュールさんに幸せになってほしいと思っているのだよ!』
フィノシュトラは心の中で叫び続ける。
『だから…私たちの手を、取ってほしいのだよ!』
『多分今が堕天出来るラストチャンスだ』
ヨルがそれを引き取って続けた。
『一緒に行こう。今の天界に抗うのなら、一緒に抗おうよ』
リュールはこちらに背を向けたまま動かない。
その背中から、愛梨沙が声に出して言った。
「リュール、何度でも言うわ。お願い、堕天してあたし達と一緒に来て。センセと一緒に居てあげて。親に子を殺させようとする様な理不尽な連中に従う必要なんて無いじゃない!」
「必要は、ある」
初めて返事が返って来た。
「それが天界の掟だ」
「そんな掟、間違ってる!」
だが、間違っていようと正しかろうと、その集団に属する以上は従わなければならないもの、それが掟だ。
『だったら堕天すれば良い』
ヨルが言った。
『集団の一員でなくなれば、もう守る必要はないよね』
こちらには、そんな下らない掟はない。
『俺達やカドキやタロが欲しいのは踏み台じゃない。カドキやタロのお母さんと、新しい仲間なんだ』
恥ずかしいなら、答えなくても良いけれど――
『リュールにとって、一番大事で一番幸せになって欲しい人、それは誰?』
その人の為にまだ出来る事があるなら、諦めないでほしい。
「ぼくたちがこうやって依頼に出ると、お留守番のせんせーはいつもすごく辛そうなのです」
今度はシグリッドだ。
「お母さんが傍に居て、心配性なせんせーの心の支えになって欲しいのですよ」
「もう母親が必要な歳でもあるまい」
「歳とかそういうの、関係ないのです」
親にとっては、いくつになっても子供は子供だと聞く。
それに。
「大事な人と当たり前に一緒に過ごせるのって、すごい事なんだってぼくは思うのです」
自分には家族がいて、それこそ当たり前に一緒に暮らして来たけれど。
その当たり前を、二度と取り戻せなくなってしまった人達が大勢いる。
「でも、せんせーとリュールさんはまだ間に合うのです。一緒に学園に来てくれませんか、ぼく出来る事はなんでもします…!」
それでも、リュールの心は動かない様に見えた。
こちらの企みをメイラスに見透かされない為に、声に出しての説得には拒絶を続ける様に頼んである。
その裏で、意思疎通では本音を話してくれる様にと。
もし承諾のサインが出れば、フィノシュトラがリュールの名を声に出して呼ぶ事になっていた。
しかし、まだ合図はない。
という事は、この拒絶は演技ではないという事だ。
「本当にそれでいいのですか?」
レイラが問いかける。
「たとえその先の道が過酷だとしても、希望の道を選んで欲しい」
手をとってほしい。
「一緒に行きましょう、お母さん」
だがリュールは鼻で笑う。
「お前の母になった覚えはないし、今後もそのつもりはない」
頑固だ。
もう時間がない。
戦場では、まだゲームが続いていた。
だが、何かがおかしい。
「え、どうして…ミハイルさんとカノンさんが戦ってるんですか!?」
レグルスが声を上げる。
ミハイルのアサルトライフルは、防御の構えを取ったカノンに向けられていた。
そのランスには、カラーボール代わりの卵に詰められていた派手な色のヘアカラーがべったりと付いている。
「まさか、メイラスと間違えてる!?」
触れた相手に強力な幻覚を見せる、それがアロンの杖に秘められた最後の能力。
今のミハイルには呼びかけるカノンの声も届かない。
その姿を、メイラスは背後から眺めていた――いや、高みの見物と言った方が良いだろうか。
「自分が攻撃している相手の正体を知ったら、あれはどんな顔をするのだろうな?」
効果が切れた時が楽しみだと、喉の奥で小さく笑う。
だが、その効果は彼が思ったほど長続きはしなかった。
(おかしい、何故メイラスは攻撃して来ない――)
違和感を感じ、ミハイルは銃口を上げた。
うなじの毛がチリチリと逆立ち、背後に大きな危険が迫っている事を伝える。
咄嗟に横に跳び、振り向きざまに引き金を引いた。
手応えあり。
その瞬間、幻覚は破れた。
すぐ脇を一条の光線が突き抜けて行く。
「自らの手で仲間を死に至らしめた瞬間の表情というものを、見てみたかったのだが」
メイラスが笑う。
「つまらんな」
呟きと共に、周囲に衝撃波が走る。
アロンが見せたものとは桁外れの威力に、ミハイルは思わず膝を付いた。
「貴様は気に食わぬ」
次いで反撃をものともせずに急接近したメイラスは得物を槍に換え、頭上から振り下ろす。
電撃を伴ったかに見えるその攻撃に、ミハイルの全身は金縛りにあった様に動かなくなった。
更に槍を振り上げたメイラスの前にカノンが回り込む。
だが――
「邪魔だ」
再び杖に持ち替えたメイラスは、迸る光線で二人を纏めて刺し貫いた。
「もう、いいでしょう!」
勝負はあったと、レグルスが叫ぶ。
本当は今すぐにでも、二人の所に駆け寄って治療してやりたい。
しかし。
((;´・ω・)僕の力は、癒しの力…今じゃない! 僕が闘うのは!)
まだ説得は終わっていない。
「とにかく武器を収めて下さい!」
一回戦はこちらの負けだ、それで良い。
その言葉に、メイラスは素直に引き下がった。
だがこれで、今度は門木の身に危険が及ぶ事になる。
リュールが処刑台に向き直り、杖を掲げた。
門木の右足にぴたりと狙いを付ける。
そうしつつ、リュールは初めて自分から声を送った。
『お前は私を信じると言ったな』
頭に響いて来た声に、青空は顔を上げる。
『この期に及んでもまだ、そう言えるのか』
迷いもなく頷いた青空は、その言葉を皆に伝えた。
まだリュールから承諾の返事はない。
けれど――
信じる。
だからこそ、ここまで来た。
揺らぐ事なく、想いを貫いて。
フィノシュトラが叫んだ。
「リュールさん! 私達を信じて欲しいのだよ!」
●脱出
それが合図だった。
リュールの杖から鋭い光線が迸る。
レーザーの様に収束したそれは、門木の右足を繋いだ鎖を断ち切った。
「おや、手が滑った様だな」
しれっと言い放ったその瞬間を待ち構えていたかの様に、周囲を取り囲んだサーバント達が一斉に動き出す。
しかも、その一部がリュールに姿を変えた。
甲冑型に化けて紛れ込んでいたコピーサーバントが、更にコピーを重ねたのだ。
「下がれ、巻き添えになれば命はないぞ」
本物が、駆け寄ろうとする撃退士達を押しとどめる。
コピーとは言え10人のリュールに一斉掃射を喰らえば、恐らく残骸さえ残らないだろう。
しかし彼等は知っていた――リュールが接近戦に弱い事を。
火力は高いが、それさえ封じてしまえば脅威ではない。
縮地で飛び出したレイラは、リュールに迫ろうとする偽物を烈風突で突き飛ばす。
更に青空がバレットストームで付近を掃射、ヨルが属性攻撃を乗せた荒れ狂う炎の渦に巻き込み、吹っ飛ばした。
「殺させない。カドキも、リュールも」
シグリッドはストレイシオンのシロを召喚、全力移動で偽物の群れにに突っ込み、インパクトブロウで薙ぎ払い、弾き飛ばす。
ある程度のダメージを与えれば、コピーは素体の状態に戻る様だ。
しかし偽物を斥けても、まだ甲冑型が残っている。
それはリュールばかりではなく、門木まで狙おうとしていた。
「絶対に守るんだから!」
愛梨沙は門木の前に割り込むと、ルミナリィシールドを構えてブレスシールドを展開。
飛び込んだ挫斬が庇護の翼で二人を庇う。
「手出しはさせないのだよ!」
フィノシュトラはリュールの前に立ち、片っ端から魔法で攻撃していった。
しかしそれでも、敵の攻撃を完全に防ぐ事は出来ない。
特にリュールは集中的に狙われた事もあり、かなりのダメージを受けていた。
ヒールの届く距離にいる愛梨沙はガードに忙しく、治療にまで手が回らない。
だが――
「僕の力よ! 魂の輝きを、救われるべき者に与えよッ」
それを見越してじっと耐えていたレグルスが立ち上がり、サクリファイスで自分の生命力をリュールに分け与える。
「(lll´・ω・)ううっ…苦しいけど、が、がんばりますッ!」
ヒールが届かない場所からも、これなら素早く回復させる事が出来る。
走るよりも速くて確実だ。
「僕は…誰も、犠牲にしたくないッ!」
誰かを犠牲にするくらいなら、自分の身を削る方が余程マシだった。
生命力が減った分はヒールで自己回復し、もう一度。
「これが、…僕の闘い方です!」
とりあえずの危機を脱すれば、後は合流してからで良い。
「いちいち相手なんてしてられないわ、さっさと車に乗り込みましょ!」
混乱の中、挫斬が撤退を促す。
だが門木はまだ鎖に繋がれたままだ。
「外れないのです…!」
シロにマスターガードを命じつつ、シグリッドは門木の拘束具を引っ張ったり叩いたり。
しかし、そんな事で外れる筈もない。
「杭ごと担いで行く?」
攻撃は最大の防御作戦を展開しながらヨルが訊ねる。
が、言い終わるより早くリュールの豪快な魔法が残った三本の鎖を断ち切った。
枷は嵌まったままだが、そんなものは後でゆっくり外せば良い。
「センセ、歩ける?」
駆け寄った愛梨沙が肩を貸そうとするが、どうやら大丈夫な様だ。
「メイラスが来ないうちに、早く!」
青空が促す。
が、彼はまだ戦場にいた。
「お前達には、この方が堪えるだろう?」
メイラスは倒れて動かないミハイルの身体に、槍の穂先を向けた。
「ルールを破り、ゲームを破棄したのはお前達だ」
二ヶ所しかない出入口はサーバントに塞がれている。
カノンの残った体力では、ミハイルを抱えて脱出する事は難しい。
が、そこにレイラが走り込み、サーバントを突き飛ばして出口を作った。
続いて飛び込んだ青空がミハイルを担ぎ上げ、メイラスの意識がそちらを剥いた瞬間に、最後の力を振り絞ったカノンがフォースを撃ち、斥けた。
その身体を支えたレイラが、そのまま肩を貸して脱出。
後はもう、脇目もふらずに逃げるだけだ。
門木とリュール、そして負傷した二人を真ん中に、一行は走った。
挫斬はタウントで敵の注意を引きながら、ヨルは潜航しつつ銃撃で牽制、レグルスは先頭で、愛梨沙は殿で盾を構え――
他の仲間達もかなりの怪我を負っていたが、そんな事を気にしている場合ではなかった。
転がる様に車に飛び乗り、エンジンが悲鳴を上げる程にアクセルを踏み込む。
逃げる獲物には興味を失ったのか、それとも更に悪質なゲームを思い付いたのか――
メイラスは、それ以上追っては来なかった。
●エピローグ
「そんな訳で、とりあえずリュールは学園で保護する事になったわ」
待遇その他、詳細はまだ未定だが。
手を出したらタダではおかないと、挫斬はいつものカフェへと拉致した高松に釘を刺す。
そして本題。
「答えは保留よ。頭を下げる程好きじゃないけど終らせたくない程度には好き。だから今迄通りでいきましょう」
高松は相変わらず、生意気な態度で「ふん」と鼻を鳴らす。
「今後頭を下げてもいい程好きになったらその時はお願いするわ」
どう?
ガッカリした?
「そうそう、そっちが頭を下げたら彼女になってあげる程度には好きだけどどうする?」
その言葉に、黙ってコーヒーを飲み干した高松は伝票を取り上げて立ち上がった。
「そういうの、自意識過剰って言うんだぜ。と・し・ま!」
ほんっと、ムカつく!!