●科学室にて
「また、人命を賭けて、ゲームと称しますか……」
提示された内容を聞いて、カノン(
jb2648)は静かに怒りを燃やす。
「しかもそれを、リュールさんにさせ続けますか」
気に入らない。
「天界の秩序と使命に殉じるというなら、自らの手を使えばいいものを……!」
その冷たい炎に触れそうになって、門木は思わず身を引いた。
「……ごめん」
「あ、いいえ。先生が謝る必要は……」
「……でも、迷惑をかけてるのは…俺の身内だ」
その言葉に、カノンは首を振る。
「それが天界のやり方ですから」
上の命令には従うしかないのだ。
他に選択肢があるとすれば、堕天か――或いは死か。
死を選ばせるつもりは毛頭ない。
これはそんな現状に風穴をあける為の戦いでもあるのだ。
「それにしても、遊び半分みたいに続くね」
青空・アルベール(
ja0732)も、面白くなさそうに眉を寄せた。
「リュールはどう考えてるんだろ……」
どうだろうと、自分の気持ちはずっと同じだけれど。
(家族は同じ場所にいるべきだと思うから)
同じ屋根の下で、同じものを食べて、同じものを見て笑ったり、泣いたり……
もし遠く離れて暮らしていたとしても、心は同じ場所にある。
多分それが、家族というものだ。
リュールの心は今、どこにあるのだろう。
もし別の場所にあるなら、心だけでも一緒にいて欲しい。
勿論、最終的には丸ごと全部、こちら側に来て貰うつもりだけれど。
「カドキ、リュールに何か伝えたい事…ある?」
七ツ狩 ヨル(
jb2630)が訊ねた。
「素直な気持ちがあれば教えてください」
レイラ(
ja0365)にも言われ、門木は考え込む。
会いたい、触れたい、声を聞きたい。
もう二度と離れたくない。
だが彼女が欲しいのは、そんな甘ったれた言葉ではないのだろう。
「……俺の事は心配いらないから。俺はもう、大丈夫だからと…」
そう伝えて貰って、良いだろうか。
「それだけで、良いの?」
ヨルの問いに、門木は頷く。
「……だから安心して、自分の望む通りに生きて欲しい、と」
互いの道は、きっとどこかで繋がる筈だから。
「わかりました、お伝え出来る様に頑張りますね」
レイラは固く握られた拳にそっと触れる。
門木の様子はどう見ても大丈夫そうではないが、本人がそれを隠したいなら、気付かないふりをした方が良いのだろう。
「大丈夫ですよ、想いは心と心を繋いで必ず届きますから」
そう励まして、立ち上がった。
「せんせー、心配しなくていいのですよー」
シグリッド=リンドベリ(
jb5318)が、いつもの様にその頭をなでなでする。
その表情は心なしか以前よりも頼もしく、引き締まって見えた。
(作った笑顔じゃなくて、今度は心から笑って欲しいのです)
だから、戦闘は苦手だけど……頑張る。
(優しい先生が無関係な人を危険に晒しても取り返したいって願うなら)
でも実際にそうなってしまったら……取り返す為に誰かが犠牲になってしまったら。
いや、そうはならないと信じているからこそ、願いを口にしたのだろう。
だから――
(被害を最小限に抑え、リュールさんにこちら側に来ていただけるように全力で頑張るのです)
撃退士として。
撃退士だから。
芽生え始めた自覚が背中を押す。
けれど不安にさせてはいけないから、ふにゃっと笑って。
「いってきますー」
「……気を付けて、な」
皆の背中に声をかけ、送り出す。
後はもう、無事を祈って待つ事しか出来ない。
いつも笑顔でいて欲しいのに。
もっと笑った顔が見たいのに。
それを曇らせてしまうのは、いつも自分だ。
母を助けたいなんて――しかも、どんな犠牲を払ってでも、なんて。
言うべきではなかったのだろうか。
だが、嘘は言いたくなかった。
こうして真摯に向き合ってくれる仲間達には、自分も正直でありたいと。
「……ぃ、っ…」
彼等の姿が見えなくなった途端、胃の辺りがきゅっと縮む様に痛んだ。
人間用の胃薬、天使には効くのだろうか。
●ゲーム開始
指定されたゲートの入口は、マンホール程度の大きさしかなかった。
入口の大きさは、それが形作る結界の大きさに比例する。
だが、ゲート内の広さとは相関がない事は、今までの経験から見ても確かな様だ。
「そんなに広くはないとしても、人質を無事に助ける為には効率よく回らないとね」
雨野 挫斬(
ja0919)が手順を確認する。
まずは二手に分かれて四人の人質を迅速に助け出すこと。
救出した人質は外で待機している撃退署員に預ける他、彼等には必要に応じて溢れ出たサーバントからの保護や救急搬送を行って貰う。
今回はゲームの性質が異なる事もあり、撃退署との交渉は難しくなかった。
ただ問題は、敵がそれをルール違反だとして難癖を付けて来ないか、だが。
まあ、その時はその時だ。
今は人質を無事に保護する事だけを考えれば良い。
(目の前で人が無残に死んでいく、助けようとした命が散るのは勘弁だ)
突入を前に装備の最終確認をしていたミハイル・エッカート(
jb0544)は、そう考えている自分に気付いて苦笑いを漏らした。
(以前の俺はこんなこと欠片も思わなかったぞ)
誰のせいだ、まったく。
(ミッションに関係なければ女子供が死のうが、心動かさなかった俺が……変わったもんだぜ)
昔の自分が見たら、弱くなったと笑うだろうか。
だが、悪くない。
「誰も死なせないし、殺させないのだよ!」
フィノシュトラ(
jb2752)はストップウォッチを握り締めた。
「望まない戦い――でも、それでも守らなければならない矜持があります」
叶うならば命懸けでそれを示したいと、レイラは思う。
そして、リュールには道を。
「センセが大好きで大切に思っているお母さんなリュール。絶対にこっち側に来て貰わないとね」
鏑木愛梨沙(
jb3903)の最優先課題は、門木を悲しませない事。
その為には人質を無事に救出する事は勿論、リュールに自分達を信頼して貰う事も大切だ。
(センセがとても大事に思っているリュール。そしてリュールもセンセを大切に思っている)
そんな二人を、このまま敵対する立場のままにはしておけない。
(絶対にリュールにはこっちに来て貰うんだから!)
それに、あまり考えたくはないけれど……
(もしリュールがこのままあっちの立場のまま死んだりでもしたらセンセが悲しむ。そんなのヤダしね)
若くて超美人なお母さんが傍にいたら、攻略(何の)がますます難しくなりそうな気がするけれど、それはそれ。
やがて準備を整えた彼等は、円陣を組む様にゲート入口を取り囲んだ。
「じゃあ、行くよ?」
阻霊符を発動させると、挫斬は先頭を切ってゲートに飛び込んで行く。
殆ど落下の感覚もないままに、その足は床についた。
程よくクッションの効いた材質で出来た床は、淡いベージュ色をしている。
そこには三つの白い矢印が書かれていた。
矢印が示すのは左右に分かれた道と、目の前に真っ直ぐ伸びる道。
「どっちに行く?」
続けて飛び込んで来た仲間達に訊ねる。
「真ん中は、真っ直ぐ奥に向かってる」
ヨルが答えた。
「ヒントから考えると、サーバントがいないところがリュールの部屋かな」
そこにはコアもあると、手紙には書いてあった。
「コアは大抵、ゲートの中心あたりにあるから…」
真ん中はとりあえず後回しにして、まずは左右に分かれた方が良いだろう。
「私達は右へ行くね」
カラースプレーの缶を振りながら、青空が言った。
「じゃあ私達は左なのだよ!」
突入と同時にストップウォッチを押したフィノシュトラは左へ。
不測の事態が起きた時には光信機で互いに連絡を取りあうことを確認して、彼等は五人ずつに別れた。
●A班
歩き出す前に、レグルス・グラウシード(
ja8064)はまず、人質の救出に備えて自身の周囲に現世への定着で結界を張る。
「行きましょう」
無機質な白い壁に挟まれた通路が、右手の奥まで続いていた。
途中の何箇所かに、左手に折れる通路らしき壁の切れ目が見える。
通路の幅は二人が両手を広げて並んだ程度。
突き当たりの壁までは100m程の距離だろうかと、カノンはその構造をメモに取る。
それだけ見れば決して広くはないが、だからといって見た目通りの広さであるとは限らない。
目に見えるものだけを頼りにするのが危険である事は、今までの経験から学んでいた。
「敵は規則正しく、均等な間隔を置いて配置されている様です」
生命探知を使ったレグルスが言った。
だとすると、通路も規則正しく……例えば碁盤の目の様に作られているのだろうか。
その中に反応の偏りがあれば、人質は恐らくそこに捕らわれている。
「きっと、多くの敵が守っている筈ですからね」
だが、今はまだ探知の圏外である様だ。
「とにかく、先に進むしかないね」
青空は気配を殺しながら先頭を歩き、周囲に魔糸を張り巡らせて奇襲を警戒する。
同時に、通った道や退路が一目で解る様に、壁にはチョークやスプレーで目印を付けていった。
だが、スプレーを噴くシューッという音は、静かなゲート内では驚くほど大きく聞こえ――
その音に反応したのか、或いは最初からそこで待ち伏せていたのか。
近くの脇道から二体の敵が飛び出して来た。
「どうしますか?」
ディバインランスを構え、カノンが前に出る。
一旦退いて遣り過ごすか、別の道に逃げ込むか、或いは蹴散らして強引に進むか。
だが、そうしている間に背後からも敵が現れ、挟み撃ちにされてしまった。
一箇所、逃げ場は残されている様だが、この状況から見れば罠を疑った方が良いだろう。
「無駄な回り道をしている時間はありませんね」
ちらりと時計を見たレイラが答えた。
まだ時間はある。とは言え、この先にどんな不測の事態が待ち受けているかも知れない。
「そうだね、ここは速度を優先した方が良いかも」
ヨルが頷く。
いくら気配を殺して静かに動いても、敵に見付からずに遣り過ごせるとは思えなかった。
どうせ見付かるなら、堂々と姿を晒して行く方が時間の短縮にもなるだろう。
慎重になりすぎて時間切れになっては、元も子もない。
「行こう」
チームの中で最大の火力を誇るヨルが口火を切った。
一行は通路を塞ぐ敵を押し退け、打ち払いながら強引に突き進む。
止めを刺す必要も、その暇もない。
今はただ行く手を塞いだものを排除して先に進むだけだ。
暫く進んだ所で、レグルスが再び生命探知を試みる。
その範囲ぎりぎりに、密度の高い反応があった。
「きっと、人質はそこです」
その指差した方角に向けて、一行は急いだ。
進んだ先の広場では、多くの敵が守りを固めていた。
扇形に陣形を組み。こちらに向けて盾を構えた鎧が隙間なく並んでいる。
それが三列。
だが、突破に時間をかけている暇はなかった。
レイラが飛び出し、扇形の中心を薙ぎ払う。
動きを止めた所で皆の攻撃を集中させ、まずは前列に穴を開け、それが塞がらないうちに間髪を入れず二列目、三列目――その向こうに、人質の姿が見えた。
身動きが取れない様に、周囲を三体の敵に囲まれている。
「あれを倒さないと、手も届かないね」
青空は中の一体に目標を定め、水の刃を撃ち放つ。
それと同時に闇の翼で敵陣を飛び越えたヨルが上空から飛び込み、横合いからの攻撃と同時に勢いよく吹っ飛ばした。
人質を守る一角が崩れたその瞬間。
縮地で飛び出したレイラが人質を掻っ攫う。
退路を断とうとして押し寄せる敵をカノンがフォースで押し退けた僅かな隙に、レイラは後方まで駆け抜けた。
だが、その無事を見届けたカノンを押し潰そうとする様に、四方八方から敵が迫る。
再び押し返そうとするも力及ばず、敵の波に呑み込まれたかに見えた瞬間。
青空が卯の花腐しでその矛先を逸らす。
水の刃が走り抜けたその中心から、天使の翼が飛び出して来た。
「ありがとうございます、助かりました」
「うん、無事で良かったのだよ」
人質を奪い返し、五人はひとまず安全な場所に下がる。
これでまず一人。
怪我などはしていない様だが、意識はなかった。
「眠らされているだけの様です」
念の為にライトヒールをかけたレグルスが、安心した様にほっと息を吐く。
しかし、ここから先はどうしよう。
この人を抱えたまま次の人質を捜しに行くのか、それとも一旦外に運び出してから再び戻るのか。
運び出すにしても全員で戻るのか、それとも二手に分かれて残りは捜索を続行するのか――
「どちらにしても、人質を運ぶのは僕の役目になりそうですね」
レグルスが言った。
人質は、今はまだ何らかの方法でゲート内の環境から守られている様だが、その効果がいつまでも続くとは限らない。
人質は常に結界で守っておく必要があるだろう。
「先に逃がすなら護衛は必要だね」
青空が言った。
しかし半端な数では返り討ちに遭う危険がある。
かといって全員で戻ったのでは時間が厳しそうだ。
「このまま行こう」
ヨルが言った。
「人質を連れたままじゃ、大変かもしれないけど」
「大丈夫です、何があってもこの人達を護るのが僕の仕事ですから」
決まりだ。
一行は人質を背負ったレグルスを中心に陣形を組み直すと、残る人質の捜索に戻った。
●B班
左へ向かう班でも、愛梨沙がまず現世への定着を使った。
続いて生命探知を使い、敵の配置を探る。
「このサーバント足音がしないし、気を付けないとね」
とは言え、こちらの作戦は『ガンガンいこうぜ』になるらしい。
見付からない限りは基本的にスルーだが、見付かったら高火力で蹴散らして、速攻でカタを付ける。
「急いでとらえられている人質の人を助けるのだよ!」
フィノシュトラは磐石の魔法書を手に先頭を走った。
「足を引っ張らないようにがんばります…!」
猫図鑑を手にしたシグリッドは足早に仲間達の後に続く。
ゲート内で戦うのは初めてだが、普段通りに自分の出来る事をやれば良いのだ。
出来ない事は誰かがカバーしてくれるし、自分だって助けられてばかりではない。
例えば今、ここで召喚獣を扱えるのは自分ひとりなのだ。
ただ、彼等を喚べる時間も回数も限られている。
10分から15分という長丁場の中、どのタイミングで喚ぶかは慎重に判断する必要があるだろう。
「今はまだ、我慢した方が良さそうなのです…!」
行く手を敵が塞いでいるが、相手が反応する前にミハイルが放つアウルの銃弾がそれを撃ち倒していく。
「この程度で俺を止められると思うなよ!」
はい、ごもっともです。
火力が少々足りないのは、まだ抑えている為だ。
その代わり、直後に距離を詰めたフィノシュトラが射程ぎりぎりから魔法攻撃を叩き込んでいく。
「どんどん攻撃していくのだよ!」
遠方からの素早い各個撃破で、前衛が敵の元に辿り着く頃には軽く一撃を当てるだけで押し退けられる程度には弱っている。
挫斬はそれをヴォーゲンシールドで打ち払いながら、一気に走り抜けた。
「見えた、あそこね」
そこにもやはり、敵が密集して守りを固めている場所があった。
人質はその奥だ。
シグリッドはストレイシオンを召喚し、人質の救出に備える。
防御効果で仲間を護りつつ、敵が作った扇形陣形の真ん中にブレスを浴びせた。
愛梨沙は交響珠で追撃、敵を押し退けて人質の所へ急ごうとするが。
まるでゴムに開けた穴が塞がる様に、一体の鎧が倒れた場所は他の鎧が埋めてしまう。
一体ずつ叩いていたのでは、埒があかない。
「はじめて使うのでどれくらい効くのかわかりませんが…」
麻痺してくれれば儲けもの、シグリッドはストレイシオンにサンダーボルトを命じた。
直線状に伸びる雷が、居並ぶ鎧達を薙ぎ払う。
動きを封じる効果は五分五分程度といったところだが、それだけで充分だった。
フィノシュトラの援護を受けつつ、挫斬と愛梨沙が強引に突破する。
人質を守る鎧は、ミハイルがダークショットで吹っ飛ばした。
人質を確保し、二人は後方に下がる。
念の為にフィノシュトラが魂縛をかければ、万が一愛梨沙の結界から出てしまう事があっても大丈夫だ。
「後は急いで外まで運ばないとだね?」
彼等の行動に迷いはない。
攻撃も速攻なら退避も速攻、五分ごとにセットしたシグリッドのタイマーも、まだ時間を知らせて来ない。
この調子なら一度全員で戻っても、二人目を探す余裕は充分にあるだろう。
「人質は俺が預かろう、銃なら片手でも撃てるからな」
ミハイルが肩に担ぎ、走り出す。
ストレイシオンの防御効果とダークショットのCR効果が残っているうちに強行突破だ。
先頭に立ち、挫斬は自分に注目を集める。
そのすぐ後ろに続くミハイルを、愛梨沙はヴォーゲンシールドで守護。
フィノシュトラとシグリッドは後方を固め、一気に走り抜ける。
あっと言う間に入口へ戻り、待機していた撃退署員に人質を預けた。
どうやらA班はまだ戻っていない様だが、特に連絡もないところを見ると、何か問題が起きた訳ではなさそうだ。
信じて任せ、彼等は再びゲートに戻って行った。
●再びA班
「時間が押して来ましたね、急ぎましょう」
二人目の人質を前に、レイラが再び先陣を切る。
後方から青空の援護を受けつつ薙ぎ払い、或いは烈風突で弾き飛ばし、魔法の大鎌で刈り取って――
それでも残った敵は、カノンがフォースで弾き飛ばした。
「サーバントが相手では、攻撃面ではあまり役立てませんが……」
ならば、その動きを制限する壁に徹すれば良い。
迫り来る敵を押し返し、作った道を青空が駆け抜ける。
人質を守る敵に迫る直前、ヨルが再びの急降下ランカーでそれを吹っ飛ばした。
「確保したのだ!」
そのまま人質を担いでレグルスに並び、青空は出口を目指す。
目印のペイントを頼りに来た道を戻るが、通路の壁には何本もの線が描かれていた。
しかも逆向きの矢印が同時に描かれた場所もある。
どうやら戦いながら夢中で駆け抜けるうちに、同じ場所を何度も通ったり、回り道をしていた様だ。
「多分、こちらの方が近道だと思います」
カノンが別の道を指差す。
途中からメモを取る余裕はなくなっていたが、大体の構造は頭の中に入っていた。
「わかった、行ってみよう」
時計を見た青空が頷く。
庇護の翼をいつでも使えるように準備したカノンを先頭に、二番手にレイラ、そのすぐ後ろに人質を抱えた青空とレグルスが続き、殿のヨルは時折背後を気にしながら先を急いだ。
●再びB班
「五分、経過しました」
携帯の震えを感じたシグリッドが皆に報告した時、B班は既に二人目の救助を終えてゲートの出口を目指している所だった。
「これなら、リュールさんの所には余裕で行けそうなのだよ!」
フィノシュトラが頷く。
が、油断大敵。
脇の通路から飛び出して来る鎧が二体。
その不意打ちに近い攻撃を、挫斬が庇護の翼で受け止める。
次いでタウントで引き付けながら、道を塞ぐ様に盾を構えた。
「先に行ってて。私はちょっと、この子達と遊んで行くから」
すぐに追い付くから――だが、そのフラグは立てた途端に折られてしまった。
仲間達の集中攻撃を受けて、二体は殆ど動きを止める。
その隙に一気に駆け抜け、一行はゲートの外へ――
●コアへ
「残り七分なのだよ!」
漸くゲートの外に現れたA班の姿を見て、フィノシュトラは「早く早く」と手招きする。
これで人質のうち四人を解放、残る一人はコアの付近でリュールが守っている筈だ。
「ゲートから敵が来る可能性もありますから、皆さんはここを離れて下さい」
用意されたストレッチャーに人質を寝かせ、レグルスが撃退署の職員に声をかけた。
ここから先は全員でコアを目指す。
無事に救助された四人が病院へ搬送される様子を見届ける間もなく、彼等はゲート内部へ飛び込んで行った。
今度は真ん中に伸びる道を真っ直ぐに進む。
やがて行く手に円形の広場が見えて来た。
壁も扉もないその奥に、背景から白く浮き上がる様な姿がある。
リュールだ。
後ろには人質の姿も見えた。
突入に備えて各自がナイトビジョンの装備を確認、持たない者はミハイルに借り、それでも足りない分は――まあ、何とかなるだろう。
青空は夜目を使い、更に侵入のスキルで気配を殺した。
だが、まず最初に行うのは話し合いだ。
「遅かったな」
彼等の姿を見て、リュールは言った。
「でも、まだ時間はある筈なのだよ?」
フィノシュトラがストップウォッチを見せる。
その表示はまだ残り時間が五分以上ある事を示していた。
「いや、真っ先にここへ来るかと思ったのだがな」
その口調は、心なしかいつもよりも柔らかく聞こえる。
やはり、ここに監視の目はない様だ。
それを確認し、ミハイルが直球を投げた。
「いちおう言ってみようか。人質返してくれないか?」
「断る」
まあ、そう来るだろうとは思っていた。
「それはそうと、率直なところを聞きたいんだがな」
外には会話が漏れないなら教えてくれないだろうか。
「門木先生――エルナハシュを、どう思ってる?」
「どう、とは?」
「何でも良い」
何かあるだろう。母として、息子として、他にも色々と。
だが、リュールは素っ気なく「別に」と答えるのみ。
そう答える者はまず間違いなくツンデレである、と思うのは何かの見過ぎだろうか。
「リュールがどう思っていようが、先生はなぁ……まあ、内緒だな!」
大の男がぽつりと、いや力強く答えた本音だ。
だが、それは本人には伝わらないと思うからこそ言える事だろう。
どんな犠牲を払ってでも取り戻したい、なんて。
まあ、誰かが言うなら止めはしないが。
本音などというものは、誰かがお節介を焼かなければ伝わらないのだろうし。
「本気でゲームに勝ってやろうとしてるんだ。そこは俺たちの頑張りで察してくれたら助かるぜ」
その会話を、シグリッドはドキドキしながら聞いていた。
(せんせーのお母さんだと思うとちょっと緊張するのですよ…)
でも勇気を出して声をかけてみる。
「あ、あの、はじめまして」
ぺこりと頭を下げた。
「せんせーはリュールさんが大好きなのです、リュールさんが居ないとせんせーは心から笑ってくれないと思うのです」
学園に来て初めて出来た目標、それは門木を幸せにすること。
「ぼくはせんせーに笑顔でいて欲しいのです、リュールさんはどうしたらこちらにきてくれますか…?」
その顔をじっと見つめ、リュールは僅かに目を細める。
目尻にうっすらと浮かんだのは笑い皺だろうか。
本当はとてもよく笑う人なのかもしれない。
「リュールさん、貴女の理想はこのようなことなのですか?」
門木の言葉を伝えた上で、レイラが訊ねた。
「本当に貴女はそれでいいのですか?」
思い出してほしい、幼いナーシュを育てた頃の自分を。
「私は、リュールさんに誰かを傷つけてほしくないし、傷つけたくないのだよ?」
フィノシュトラが願う様に語りかけた。
「そしてリュールさんが笑って門木先生と会える未来を願っているのだよ?」
理想だとしても、願わければ現実にならない。
「だから、私たちにゲームを任せてほしいのだよ!」
「任せる?」
細く形の良い眉が動いた。
「ね〜、ゲームだけだとつまんないから賭けない?」
今度は挫斬だ。
「ずばり勝った方は負けた方の言う事を何でも一つ聞くってのはどう? 毎回そっちに付き合ってるんだからたまにはそっちも付き合ってよ?」
冗談なのか本気なのか。
リュールは本気と受け取った様だ。
しかし、それは彼女の一存では決められない事。
「じゃあ、このゲームの仕掛け人って誰なの?」
ヨルが訊ねた。
ゲームの内容が、とてもリュールの発案とは思えなかった。
「手紙も、最初のやつは別の誰かが書いたものだって、カドキが言ってた」
わざわざリュールの名前を使ってきた事から、部下ではなく上司だろうとは思うのだが。
「あのさ、ずっと思ってたんだけど…俺達一緒に戦えないかな?」
答えないリュールに、ここで直球。
「堕天する気ないかなって事、なんだけど」
だが、リュールは首を振った。
「そちらに行けば、私は無力な……寿命も近い、ただの足手纏いな年寄りだ」
自分に出来る事は、もう殆ど残ってはいない。
「あれはもう、私の手を離れた。お前達がいれば、あの子は大丈夫だ」
「そんなことない!」
青空が叫び、手を差し伸べる。
「絶対に迎え入れるから!」
家族は同じ場所にいるべきだと思うから。
「だからリュールも、出来ることがあったら協力して。手を、伸ばしてほしい!」
守るから。
門木もリュールも、自分達が絶対に守るから。
しかし。
「私に出来るのは、お前達の踏み台になる事くらいだ」
小さく微笑み、杖を構える。
「何処まで跳べるか、それを見届ける事は叶わぬだろうが――」
交渉は決裂、戦闘は避けられない様だ。
治療のふりをして、ヨルはダークフィリアを使う。
青空とミハイルは自前の潜航スキルがあるから、カノンと愛梨沙、それにレグルスで良いだろうか。
「…先生は、『無関係な人を巻き込んだとしても』お母さんを取り戻したい、と言った」
レグルスは自分に言い聞かせる様に小声で呟く。
「それが、正しいか、間違っているか、僕にはわからない……お母さんなんて、僕にはいなかったから」
けれど。
「巻き込まれた人が『誰も傷つかなければ』…それできっと、いいはずなんだ!」
そう信じて、護る。
(だって、あの人たちだって! 誰かの親であり、子どものはずだから! 他の「家族」を犠牲にして成り立つ幸せなんて、僕は認めたくないから!)
「だから、絶対護ってみせる!」
その瞬間、テラーエリアの闇が周囲を覆い尽くした。
同時に全員が動く。
レイラとミハイルはリュールとの距離を詰め、愛梨沙とレグルスは盾を構えて人質の元へ走った。
青空は彼等と逆の方向に位置取り、リュールの背に狙いを定める。
挫斬はタウントを使いつつ人質の前に。
こちらが動く前に範囲攻撃で一気に態勢を崩しにかかると読んだカノンは、空振りでも良いと庇護の翼を使った。
その読み通り、リュールの杖が白く輝きを増す。
だが、そこから何かが放たれる直前、ミハイルがその鳩尾にアサルトライフルの銃床を打ち付けた。
「きゃっ!」
――えっ!?
なんか可愛い声出た!?
「今の……」
誰だと訊ねるまでもなく、声の主はリュールだった。
もしかして、接近戦はまるっきり弱いのではないだろうか、この人。
だが、ミハイルが驚いている間に人質の救出は無事に終了。
フィノシュトラが魂縛をかけ、レグルスがその身体をしっかりと抱え込む。
「チェックメイト、であるよ!」
青空が言った。
●黒い天使
「この賭け、私達の勝ちだね」
勝ったからには約束通りに言う事を聞いて貰おうと、挫斬が迫る。
だが、それに答えたのは男の声だった。
「なるほど、確かにこのゲームは貴様らの勝ちだ」
コアからゆらりと現れる、黒い影。
「だが、貴様の提案は当初の条件にはない。それを呑むには新たなゲームが必要だな」
メイラスと名乗った影は言った。
「この場から無事に逃げおおせる事が出来た、その時には……そうだな、次のゲームを貴様らに考えさせてやろう」
状況のセッティングもルールも、全て思い通りだ。
「悪くなかろう?」
返事も聞かぬ間に、メイラスは手にした杖を振りかざす。
それは見覚えのあるもので――
「そう、アロンにこの杖を与えたのは私だ。もっとも、奴は充分に使いこなせはしなかった様だが」
次の瞬間、全方位に向けて眩い光が迸る。
だが、撃退士達は素早く反応した。
「絶対に守る!」
ブレスシールドを展開した愛梨沙がレグルスの前に立ちはだかる。
挫斬とカノンは庇護の翼で庇い、青空はその攻撃を僅かでも逸らそうと卯の花腐しを撃ち込んだ。
だが、二発目を喰らえば耐えきれるかどうか。
青空は気を失いかけたヨルを抱えて走る。
その後に全員が続いた。
コアを破壊する余裕もない。
今はとにかく、全員で逃げ切ること。
無事にゲートを出れば、こちらの勝ちだ。
●帰還
メイラスは追って来なかった。
出来るだけの治療を施して学園に戻った彼等を、校門から飛び出して来た門木が出迎えた。
「センセ、あたし達頑張ったよ〜」
思わずその腕に抱き付いた愛梨沙だったが。
「センセ!?」
膝が砕けた様に座り込んだ門木に釣られ、愛梨沙も一緒にヘタリ込む。
「……よかった…」
皆かなりボロボロだが、深手を負ってはいない様だ。
「ただいま、なのですよ」
俯いたその頭をシグリッドが撫でる。
下を向いたまま、門木はこくりと頷いた。
どうやら今は顔を上げられない様だ。
その様子を見て、ミハイルがニヤリと笑う。
「今日の奢りは、学食で我慢してやるか」
この調子では、店の予約まではとても頭が回らなかっただろうから――
●後日
「紘くん、デートしよう!」
もう恒例となった感のある、挫斬の高松訪問。
「というわけでリュールの連絡先か居場所が欲しいのよ」
強引に誘った喫茶店で、これまた強引なお願い。
「だから今度は教えてくれないかしら? ついでにリュールの上司についても知ってたら教えてくれると嬉しいな」
対価は前と同じ。
もっとも天使の死はリュールではなく、その上司になるが。
「ついでに借りを幾つか帳消しにしてあげる。どう? お姉さんのお願い聞いてくれる?」
だが、電話は通じないし居場所も知らない。
中村を仲介に会った事はあるが、もうその手も使えない。
上司の事も何も知らなかった。
「もっと上の奴が出て来たら教えてくれよ」
大天使程度では話にならない。
もっと上の――
「え、何?」
「何でもねぇよ」
高松はぷいと横を向き、それっきり何も言わなかった。