「桜か…」
闇の翼で上空に舞い上がったファーフナー(
jb7826)は、地上を見下ろしてぽつりと呟いた。
(これまで花を楽しむ余裕などなかった)
それに身元を隠すため、写真に残すという行為とも無縁だったが――
(まあ、これも仕事だ)
ファーフナーは町を全体をフレームに収めると、カメラのシャッターを切った。
町内全域をくまなく回る事は出来ないが、これで少しは全体の雰囲気が分かるだろう。
地上では他の仲間達が撮影の準備を始めていた。
「形見のカメラ…か。壊したら大変だな」
それを預かった大路 幸仁(
ja7861)は、首にかけたストラップの強度を確認し、本体を両手でしっかりと持ち直す。
「…でも、これに撮る、ってことも、大事な意味があるんだろうな」
友達の形見に、彼が見ることができなかった画を入れる。
そうすれば、彼と一緒に桜を楽しむ事が出来ると、そう考えたのだろうか。
皆、各自で自前のカメラも持って来ているし、それで撮る写真も故郷の風景を残す意味では大切な一枚となるだろう。
けれど、やはりこのカメラで撮る風景は特別なのだ。
「壊れたら替りは無いんだ」
死守する。絶対に…例え自分の身を挺してでも。
ビデオの方はシグリッド=リンドベリ (
jb5318)が預かっていた。
「おじいさんに故郷の風景と薫りをお届けするのですよ…!」
町の入口から神社に向かう道すがら、ずっと撮影を続ける。
「町へ戻る疑似体験ができるといいなって」
行き交う車も人影もなく、しんと静まりかえっているのが寂しいけれど、代わりに鳥の声はよく聞こえた。
「鳥さん達が一足先に帰って来て、皆さんの帰りを待ってるみたいなのですよー」
スズメやシジュウカラ、ウグイス、メジロ――
「いつもこんな感じだったのかな…!」
フェリス・マイヤー(
ja7872)が、近くの枝に留まった鳥にピントを合わせる。
道路脇の家は雑草に覆われていたけれど、その中から伸びたハクモクレンが青い空に真っ白なコントラストを添えていた。
きっとこの木々も、二年前はもう少し小さかったのだろう。
その成長を感じられる様な写真を撮る事が出来れば。
「懐かしいのと一緒に、こう、目新しい発見とかもあるといいよねぇ」
依頼人の目線に合わせて、背伸びをしながらシャッターを切った。
彼の心にある、いつもあったであろう光景と同じものを撮るのは無理かもしれない。
でも、少しでも希望を持って貰える様なものを撮る事が出来れば。
帰る場所は、確かにここにあるのに。
「帰れないっていうの…苦しいよな」
礼野 智美(
ja3600)が撃退士を志した理由はいくつかあるが、中でも地元を護りたいという思いは強かった。
この町にも、そんな思いを抱いていた撃退士がいたのだろうか。
ゲートを破壊し、人々を護っても、すぐに平和と安全が戻る訳ではない。
どうにもならない事とは言え、故郷を無人のままに放置せざるを得ないというのは、どんなにか悔しいだろう。
「まだ本当の意味で、この町の戦いは終わっては居ないのね…」
道端に咲く花や、爽やかに晴れ渡った空、柔らかな木漏れ日。
春の訪れを感じさせる瞬間を写真に収めながら、ケイ・リヒャルト(
ja0004)は特別な友人であるセレス・ダリエ(
ja0189)と共に町を歩く。
「ねぇ、セレス。あんな所に自生のムスカリが…」
ケイが指で指し示す先、電柱の根元に数本の青紫色をした花が咲いていた。
「きっと何処からか種が飛んできたのね」
「種、ですか」
ムスカリは球根で増えるものだと思っていたけれど。
「ええ、種で増やす事も出来るのよ」
言いつつ、ケイはその花をアップで撮る。
次に少し引いて、電柱の住所表記と一緒に写る様に。
「自然は力強く根付いている…復興の兆しだと良いわね」
暫く歩くと、満開の桜に囲まれたグラウンドが見え始めた。
「…あれが、小学校…で、ござい…ます…ね…」
地図と照らし合わせ、寿 誉(
jb2184)が確かめる。
ここの桜も、今まで毎年の様に卒業生を見送り、新入生を見守って来たのだろう。
「時は、過ぎれど…思いと、想いは…違わず…で、ござい…ます…ね…」
少しでも多くの思い出を持ち帰ろうと、誉は校門から玄関、グラウンドを回って写真に収めていく。
「幼き…日の…想い、出を…ご学、友と…過ご、された、日々…を…」
一方で、セレスも独自の視点で学校の風景を撮影していった。
玄関は厳重に施錠され、中に入る事は出来ない様だが、一階の教室なら窓越しに撮影が出来るだろう。
窓から覗き込んだ教室内には、子供達が描いた絵や習字の作品が張り出されたままになっていた。
整然と並んだ机の脇には体操着や給食着の袋が下げられ、黒板には最後の授業が行われた日の日直の名前がある。
まるでそこだけ時が止まっているかの様だ。
毎日学校に来て、授業を受けて、給食を食べて、友達と遊んで。
「…私に、とっては…日常、でも…あの方、達に、とっては…遠い…日々…なの…です…ね… 」
覗き込んだ誉が呟いた。
一通りの撮影を終えると、今度は学校前の駄菓子屋から商店街へ。
元々古い木造の建物だったその店は、数本の柱だけを残して崩れ落ちていた。
そこに向けて、ファーフナーはシャッターを切る。
そんな様子は見たくないかもしれない。
だが「故郷に帰る」実感が欲しいのならば、破壊されていようが、全て隠さず、有りのままを写真に収めよう。
「形あるものは、いつかは必ず壊れる。命あるものは、いつか必ず終焉を迎える。…遅かれ早かれ、故郷に居ようが居るまいが、不変の摂理だ」
それを受け入れる事で初めて踏み出せる一歩もあるだろう。
「そうだな」
智美が頷く。
「現状を知らなければ、復興計画も立てられない」
その為の資料になる様に、頼まれた場所以外にも公共施設や目に付いた場所は全て、時間の許す限り撮影して行こう。
学校から商店街への道程は、誉が動画撮影の担当になった。
目線を子供の高さに合わせれば、自然と子供の頃を思い出させる様な画になるだろう。
それには最も小柄な彼女が適任だった。
「…皆様、通われた…道のり、なので…しょう…ね…」
ここを抜けて住宅街に入ると、間もなく依頼人の家が見えて来る筈だ。
商店街が通学路とは、さぞかし寄り道や買い食いの誘惑が大きかったことだろう。
「…私の…知らない…もの、が…多う、ござい、ます…」
誉は子供が好きそうな路地裏にも回ってみる。
だが、狭い路地が好きなのは子供だけではなかった。
「出たわよ」
いち早く気付いたケイが、物陰から飛び出した巨大な影をマライカで撃ち抜く。
セレスはその背を守る様に背後に回り、雷霆の書を開いた。
最初の一匹が姿を現すと、続いて路地の至る所から五匹十匹と、まさにネズミ算の如くに湧いて来る。
誉は撮影を一時中断すると、ビデオカメラを懐に抱え込んだ。
カメラを預かっていた幸仁もまた、カメラをしっかりと抱えて仲間の元へ走り込む。
とにかくカメラの死守が第一だ、その為なら自分が傷付いても構わなかった。
「大丈夫! 邪魔な鼠は、このあたしが許さないのです!」
フェリスがシールドを発動、二人の前に立ち塞がる。
「こんなろー! 邪魔はさせんのだー!」
ふんぬー!
本当はこんな敵、全部一人で片付けてやるとかカッコイイこと言ってみたい!
言ってみたいけど!
「ああっ無双できるほど力ないのがちょとくやしい!(ビタンビタン」
しかし味方との連携が綺麗に決まるのもまた気持ちが良いものだ。
隣に立った智美がコンポジットボウで、反対側をガードしたファーフナーがリボルバーで、近付かれる前に撃つ。
「プーちゃん、ブレス!」
シグリッドはその空いた隙間を埋める様に立ち、弾幕を逃れて近付きそうな敵をヒリュウに命じて弾き飛ばした。
その壁の後ろでカメラを守りつつ、幸仁も穿蛇扇風を投げて反撃、誉も魔法書での攻撃の合間に炸裂符を投げ込んでいく。
向こうではケイとセレスが背中合わせに戦っていた。
ケイはまずナパームショットを撃ち込み、次いで弓銃に持ち替え各個撃破、セレスはその死角を補う様に魔法を放つ。
周囲の建物や草木にはこれ以上の被害を出さない様に、狙いは慎重に。
数は多いが、気を緩めさえしなければ苦戦する様な相手ではない。
ものの数分で周囲の敵は一掃され、再び撮影が開始される。
路地の手前から撮り直し、今度は別の路地に入って少し迷ってみたりもしながら商店街を抜け――
やがて一行は依頼人の家の前に辿り着いた。
大きな栗の木はまだ葉を落としたままだったが、よく見れば小さな新芽が膨らみ初めている。
「家は壊されてしまったけれど、この木は今も生きている」
きっと、家族が帰ってくる日を待っているのだ。
「壊れちゃったのもあるけど、それだけじゃないよね。かえったときに、ちゃんと迎えてくれる木もあるもん」
フェリスの言葉に頷き、幸仁はその幹に手を触れる。
「いつか帰れるように必ずするから、どうか元気でいてくれ」
静かに声をかけた。
その根元には誰にも拾われる事のない栗の実が、イガと共に沢山落ちている。
「これは流石に、拾っても食べられないかな」
幸仁がそのひとつを拾い上げ、やっぱりだめだと首を振った。
しかし。
「芽が出ているものもあるな」
智美がその根元を土ごと掘り上げ、ハンカチで包んだ。
「仮設住宅でどこまで育てられるかわからないが」
故郷との繋がりを感じる縁になれば良い。
鉢植えで育てきれなくなる頃には、この家も建て替えられていることだろう。
その時に植え替えてやればいい。
「…それまで…待っていて…下さい、ませ…」
誉が栗の木を見上げてシャッターを切る。
枝を透かして見える青空が、やけに眩しかった。
そして次に、友人の家へ。
まだ新しい門扉の奥からは、大きく成長したユキヤナギの白い花が滝の様に溢れ出している。
形見のカメラを受け取ったフェリスは、その花越しに洒落たデザインの真新しい家を写真に収めた。
「ご本人のかわりに、光景、焼き付けてね」
続けて、ビデオカメラを手に周囲をぐるりと一周。
(天国のその人にも届きますように)
心の中で、そっと手を合わせた。
そこから少し歩くと、最後の目的地である神社の桜並木が見えて来る。
セレスはまず、その手前で一枚。
手にしているのは使い捨てのフィルムカメラ。アナログは合成には不向きだが、現像された写真はまた違った感慨があるものだろう。
桜のトンネルをくぐりながら更にもう何枚か撮る。
そこは空が見える隙間もない程に、桜の花で埋め尽くされていた。
やがてトンネルの向こうに、赤い大きな鳥居が見えて来た。
「さて、場所を特定できるもの…といったら、社そのものか」
鳥居や狛犬、燈籠…それに色褪せた絵馬や、その下に結びつけられたおみくじ。
故人と依頼主は幼馴染み、神社で遊んだこともあるのだろう。
「どこに懐かしさを感じるか、他人にはわからんからな」
それぞれの場所で良い枝ぶりの桜を選び、出来たものから選んで貰えば良いだろうか。
「故人のため…てのは結局、何もできなかった自分自身を慰めるためのものだが」
本人も承知の上で、なお何かせずにはいられないのだろう。
「亡くなった方の供養は残された人の為にといいますし、自己満足大事だと思うのです」
シグリッドが頷く。
何かせずにいられないのは、きっと自分達も同じだ。
その想いを、知ってしまったから。
「ええと、お友達の身長は礼野さんと同じくらいだったそうです」
それを聞いて、智美が頷いた。
「なら、俺がそこに立てばアングルも決めやすいか?」
「はい、そうして貰えると助かります…!」
角度に光源、背景に入れるもの。
それらを考えて――
「この影だと違和感でるな…向きはこっちか」
カメラを構えた幸仁は、場所を変え角度を変えて試行錯誤。
(失えば嘆くことは当たり前で、嘆かないでと言うのは、きっと直接自分と関わってないから出る言葉なのだろう)
泣くことで感情が整理できるのなら、泣いてしまったほうがいいこともある。
ただ嘆きが深すぎて立ち上がれないといけないから、その時は支えになれるようにしたい。
(彼が支えにできるような何かを…渡したいんだ)
「レフ板があれば良かったかな」
「なら、これでどうですか!」
フェリスがランタンシールドをぺかー。
それでも足りなければ星の輝きでなんとか…なんとか…違和感ない感じで!
智美もモデルを兼ねつつ、自身でも様々な場所を写真に収めていく。
桜は全て縦長で、社や鳥居が一緒に写る場所を狙って――
別の場所では、きちんと拝殿を済ませたケイが独自の撮影を行っていた。
「皆と違う角度から撮れると面白いかもしれないわね」
色々な写真があれば、他の写真とも合成できるかもしれない。
そうでなくても、ここに来られない人達の為にも少しでも多く、故郷の風景を持ち帰りたかった。
故郷の桜や…それに町の現状が、この町の人達の「何か」になるのならば――
(自身ではどうすることもできない力によって、故郷を離れる。人生とはそもそも理不尽なものだが…)
必要な写真を撮り終えたファーフナーは、暫し桜の下で物思いに耽る。
彼もまた、自身ではどうする事も出来ない理由によって故国を追われた過去を持っていた。
だが、すぐにその感傷を振り払う。
(どうも桜という花は、人を感傷的にさせる魔力がある様だ)
それは、ただ一枝の花でも同じなのだろうか。
「桜さん、お花少しだけ分けてくださいね」
シグリッドは元気な枝を一本、サバイバルナイフで切り取ろうとするが。
「いや、切れ味はこちらの方が良いだろう」
智美は桜の前で二礼二拍手一礼。
「木花咲夜姫、この桜より枝をいただく事をお許し下さい」
そして鬼神一閃!
切り口が鋭ければ、木への負担も雑菌が入る可能性も減る。
それでも念の為に殺菌剤を塗り、シグリッドは更に念を入れてアルミホイルを巻いて、雨水が入らない様にしてやった。
切り取った枝は蕾も多く、上手くすれば挿し木にも使えるかもしれない。
それから暫くして。
仮設住宅の一角にある集会所で、小さな写真展が開かれることとなった。
ふるさと写真展と名付けられたその会場を飾るのは、生徒達が写した数々の写真。
室内のモニターには、ケイがピアノで春らしい音楽を入れたビデオが映し出されていた。
そして入口の脇には、花瓶に挿した桜の枝と、鉢植えの小さな栗の木。
来場者にはラミネート加工された桜の押し花で作った栞が手渡される事になっていたが、それも生徒達が作ってくれたものだ。
勿論、彼等自身もこの写真展を見に来ていた。
そこで見付けたのは、一枚の合成写真。
桜の前に立つ男は以前と同じ表情をしている。
しかし不思議な事に今、その顔はとても嬉しそうに微笑んで見えた。