指定されたキャンプ場に到着した館山市の使節団を待っていたのは、輝く金髪を持った女性。
「ようこそ、南房総市へ。私がここを統べる天使、アールマティ・アータルです」
柔和な微笑みと共に、人々へそう告げる。
それは、南房総市の主が人類の前に始めて姿を現した瞬間だった。
キャンプ場には、すでに複数のテーブルが設置されていて。
大天使に案内されて、そのうちの一つに着いた館山市の代表団へ、彼女は問う。
「さて。では、先の降伏勧告の返答を伺いましょう」、と。
その言葉に対し、館山市の代表――副市長――を直接護衛している数名の撃退士のうちの一人、陽波 透次(
ja0280)が反応した。
「人の尊厳を脅かすのなら、戦います」
控えないか撃退士、と大天使の後ろで備えていた使徒・零式が透次を制そうとするも、逆に大天使はそれをやんわりと制する。
「続きをお言いなさい、撃退士」
「人から心を奪う事は絶対に許容出来ない。あれは……あんなのは、人の死に方じゃない」
言葉を紡ぐ少年の心に去来するのは、かつて出会った天使たちの記憶。――彼らは、皆仲間想いで。それは撃退士や人類と何ら変わらないもので。
「僕らは家畜じゃないんです。対等な存在と思って貰えないのなら、戦うしかない」
どうすれば分かり合えるのだろう、と透次は思う。
自分の知る天使と元人間の使徒は、愛し合っていた。――ならば、天界と人類もそのように出来るのではないか。
天魔との共存を願う少年の、求める声。アールマティは顎に手をやり考える。豊かな胸が腕に潰されてたわむ。
「……少年。あなたには、天界の同盟者として魔界の者らと戦う気はありますか」
しかして、その口から放たれた二度目の問いは、透次の予想の外で。
「……どうしてですか?」
「簡単なこと。私たち天界が感情を吸収するのは、偏に魔界や冥界との戦争のため。ならば、それが早く終われば、それだけ人類への手出しも早く終えられるでしょう。その協力があなた方に出来るのですか?」
響きには決して厳しい色は含まれない。あくまで、優しく問いかけるような声色の大天使。
しかして、問われた側は一様に言葉を失っていた。天界への協力など、想定したこともないことだったからだ。
――やはり、行動理念的に相容れないな。
天風 静流(
ja0373)は、そんな状況を見て思う。……最も、降伏勧告と同様に、今の申し出をこちらが受けるとは、先方も思ってはいまいが。
一同が押し黙る中、進み出たのは眼鏡の少年だった。
「初めまして、黒井 明斗(
jb0525)と申します。一件、よろしいですか」
「伺いましょう」
自身の言葉に相手が首肯するのを確認してから、明斗は続ける。
「今、ここで結論を出すのも難しい。そこでどうでしょう、定期的なホットラインを構築するというのは」
いずれ必要となる落としどころのために、交渉のテーブルを常に用意しておいてはどうか。明斗は熱心に、それを大天使へと説いた。
話の通じそうな相手。だからこその提案。
……しかし、提案を否定する者があった。
それは、アールマティの後ろに控えていた三人のメイド服のうちの一人。
「戦力において勝るわたくしたちが、どうして交渉の余地などを残さないといけませんの?」
お嬢様のような静かで優雅な口調、顔には笑顔を讃えているが、その少女から紡がれたのは、間違いなく拒否の言葉。
「アールマティ様の使徒、水立 セシルと申します。わたくしたちには、そちらを問答無用で屈服させる力がある。ならば、我々が受け付ける交渉はただ一つ、あなた方の降伏だけですわ」
外見に似つかわしくない、激しさを伴った言葉。そもそも天界にとっては、問答無用に征服しないだけでも、十分に寛容なのだ。
「……暴力には抵抗します。話し合いの、継続を」
それでもなお、明斗はアールマティへと訴えかけたが――、
「降伏していただけないのであれば、交渉は決裂ですね」
当の大天使は、さも当然と言うように、交渉の打ち切りを宣言したのであった。
交渉こそ物別れに終わったが、予定されたティーパーティは催されることになった。
主催者の大天使曰く『それはそれ、これはこれ』だそうである。
両陣営が手出しの厳禁を誓う中、奇妙な雰囲気の宴が始まった。
各テーブルにお茶菓子を運ぶのは、メイド服を着用していた三人の使徒。
難しい顔をほんのり赤らめながらトレイを運ぶ使徒・零式も例外ではなかったが、そんな彼女に近付く影が一つ。
「おい、コラ」
声の主は月詠 神削(
ja5265)。本来なら女性的な美しさを湛える顔立ちを引き立てるはずの両の瞳が、今回は妙に据わっている。
「な、なんだ? 今は忙しいからあとに――」
「言いたいことがある。そこに正座しろ」
「は、はい」
その威圧に気圧されたか零式がその場に正座したのを確認した神削は、その座った少女を据わった目のまま見下ろして。
「零式……芸風が変わったと思っていたが、今回のその服は何だ? 以前のシリアスなお前はどこへ行った?」
「……は?」
メイド服の少女を睨み付けながら、放つのは理不尽を通り越した言葉。
神削は、かつて零式と交戦したことがある。そのとき、彼はこの使徒の刃にかかって重傷を負っていた。
「あのときのお前は、確かに強かった……なのに、今は!」
そして少年は滔々と語る。芸風の変わった彼女に敗れた自分が、いかに周囲から蔑まれているのかを。ネタ塗れのシュトラッサーに負けた自分の悲哀がわかるのかと。
――まぁ、殆どが妄想なのだろうが。
「だから、その服を今すぐ脱げ! それ脱げ! やれ脱げ!」
「や、ちょっ!? やめないか……っ!?」
あんまりな物言いの上にメイド服を剥ごうとする神削に対し、さすがに零式が抵抗を始めたところで……
「はいはい、そこまでですの」
掴みかかっていた少年は逆に首根っこを掴まれて、ずるずると引きずられていく。メイド服姿の写真を撮っていたのだが、さすがに状況を見かねた橋場・R・アトリアーナ(
ja1403)による強制中断により、使徒の少女は下着姿の刑を免れた。
――心中、お察ししますの。
神削を引きずりながらも、普段は凛々しい使徒の今の格好を思い浮かべ、上司に苦労しているのであろう彼女に思わず同情するアトリアーナであった。
「メイドさんにはお触り禁止だよー?」
大天使の使徒・水立 百合は、零式と同じメイド服姿で給仕をしながら、そんな彼女たちを眺めてからからと笑う。
「では、メイドさん。僕の暇つぶしに付き合ってくれませんか。なに、お触りも仕掛けもありません」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)の声に振り向いた百合は、その手で玩ばれているトランプに気付き。
「ぉ、手品? 付き合う付き合うー」
「光栄です。では、まず一枚、好きなのに名前を書いて下さい」
百合がトランプに名前を書き入れるや、始まったのは奇術。カードがあったと思えば消え、消えたと思えばあり。かと言うと次の瞬間には百合のメイド服のポケットから出てきたり。
トランプに名前を書いた本人は、奇術に翻弄されっぱなしだ。ぱちぱちと小さく手を鳴らし、本気で感動している。
「すごいすごい! 一体どうやってんの?」
「どうやっても何も、お触りも仕掛けもございません。……ああ、名乗るのが遅くなって申し訳ありません。僕は奇術士エイルズと申します」
「あたしは水立 百合。アールマティ様の使徒。いやぁ、面白かった。また機会があったら見せてね!」
本来は敵味方という立場を憶えているのか、いないのか。百合はそう言って、エイルズレトラへと微笑みかけた。
気を取り直して仕事を再開し、お茶菓子を配膳していく零式に次に話しかけるのは、ラグナ・グラウシード(
ja3538)だ。
紳士的な身のこなしで彼女に近付くや、
「よく似合っているぞ。貴殿は美しいな!」
「そ、そうか?」
突然の声かけを実行する。
奇襲とはいえ使徒すら圧倒する突然のハイテンションだが、以前の冬服フェスタから引き続き、ラグナは『零式が自分に惚れている』と思っているので、この青年の側から考えれば理解できなくもない。
――使徒のお前の愛を受け入れてやることはできない。だがッ! その心意気、私は買うッ!
……理解できなくもない、と思われる。
あまりのことに気圧されて困る零式を救ったのは、彼女の上司……ではもちろんなかった。
「お給仕お疲れ様ですわ。零式さん、どうぞこちらへ」
「そうそう。働いてばかりじゃ損だろ。こっちで美味い茶でも飲もうぜ」
そよそよと吹く海風に金髪をふわつかせる長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)と、がっしりした身体をメイド服に包んだ一川 夏海(
jb6806)が、ぐいぐい攻めるラグナから使徒を強引に引き離した。
「い、いや、私は仕事中……」
「いいからいいから♪」
二人が案内したテーブルには、すでにみずほ謹製の紅茶が三人分並んでいる。彼女が魔法瓶で持ち込んだ、自慢の逸品だ。
みずほは手元の魔法瓶を開いて、その中身をティーカップへと注ぎ入れていく。白いミルクが紅いウバの泉と絡んで、徐々に優しげな色のミルクティーへと変わっていく。
「天魔と我々も同じだと思っておりますわ」
「同じ?」
「えぇ……混ざり合う事で新たな何かを産み出せる、と」
視線は注がれるミルクを見つめつつ呟いたみずほは、魔法瓶の傾きを元に戻すとそのフタを締めた。
「さぁ、どうぞ。味は保証いたしますわ」
勧められたものを断るほど、失礼なことはない。
嘆息しながらも持ち上げたカップに一口つける零式だったが、その表情がたちまち驚きに満ちる。
「……美味い」
シンプルながら最高の褒め言葉に、金髪の少女が微笑む。
「俺のほうも食ってくれ。さっき焼き上がったばかりの自信作だ」
夏海が示すのは、皿に載せられたミートパイ。こんがりと焼き上がっているそれは、自信作の名に恥じぬ出来栄えで。
「メイド長自慢の一品、召し上がるといいぜ」
「そ、そうか」
男のがっしりした身体を包むメイド服や自らをメイド長と名乗る言については、一先ず置いておくことにした零式は、しかし皿を手に取るや、迷うこと無くミートパイを口に運んだ。
「お、おぉ……」
焼き上がりを如実に表すサクッとした食感に、使徒も思わず唸らずにはいられない。
「美味い……」
黒髪の少女の一言に、夏海はニカッと笑みを浮かべ。
「だろ?」
そして、さらなる喫食を薦めたのであった。
宴と聞いて、酒瓶を持参して乗り込んできたら、そこはお茶会だった。
あれ、と首を傾げつつも、とりあえずお茶菓子と酒が合わなかったために、仕方なく酒を諦めて紅茶をやっているのは鷺谷 明(
ja0776)である。
愉しければ良い享楽主義者の彼であるが、さすがにお茶菓子に酒を合わせるわけにはいかなかったらしい。
「愉しまれてますか?」
不意に、明にかかる声。見れば、使徒の一人がメイド服姿で微笑んでいる。確か、さっきの交渉で名乗っていた。水立 セシルとか言ったか。
「ご持参のお酒、飲みませんの?」
「飲みたいのは山々だが、場に全く合わなかったものでね」
傍らのテーブルに置かれた酒瓶を眺める少女に、少年は苦笑しつつ返す。
セシルのほうも、微笑みを崩さないまま。
「それは失礼を。言っていただければ、それに合う料理をお出ししましたのに」
「さっきも言ったが、場に合わない。次の機会にしておくよ」
視線を向けられた酒瓶を手で弄りつつ、それから、彼はふっと笑みを零した。
「次の機会、か。結構なことに戦は続く。……終わるのも一興だがね」
「終わらせるのは、果たしてどちらでしょうね?」
戦いは続く。果たして、この場で酒を飲める『次の機会』は、果たしていつになるのか。
「我らが勝つか、貴様らが勝つか。賽の目に託すとしよう」
明の言葉に、セシルは「そうですわね」と短く答えたのであった。
「貴様、アスハ・ロットハー……いやまてっ、やめっ、撮るなあぁ!?」
みずほのお茶会を辞して仕事に戻った使徒を待っていたのは、アトリアーナとアスハ・A・R(
ja8432)による好奇の目だった。……というか、スマホですっげー撮ってますけど。
「また、楽しげな物を着ているな、サキモリ。良く似合っている、ぞ」
「命令とはいえ、大変ですの……。でも、とても似合ってるので、記念に撮っておきますの」
だから撮るな!? という零式の抗議を無視し、本人が恥ずかしがる格好を記録媒体に収めていく二人。
最も、アトリアーナのほうは、以前に苦杯を舐めさせられているので、その意趣返しと考えられなくも――
「今度は後ろですの。ささっ、ひらり半回転して、ですの!」
「誰がするかっ!?」
……いや、明るい顔を見るに、どうもそんな陰険なことを考えているわけではないようだ。
一方、いつもは仏頂面をしつつ敵対してくる相手が、このような目に遭っていることに、アスハも思うところがあるようで、
「恥じらっているその顔も新鮮、か」
「趣味が悪いぞ!?」
そんなことを言って、ツッコミを受けている。
「貴様ら、いい加減に……っ」
コスプレ会場かと言わんばかりの撮影されっぷりに、さしもの黒髪の少女も堪忍袋の緒が切れそうになったところで……、
「なんか、にぎやかです」
手にお茶菓子の載ったトレイを持ちながら、とてとてと近付いて来る幼い少女――点喰 瑠璃(
jb3512)に気付いて、怒りを収めざるを得なかった。給仕のお手伝いをしていたのだろう。
「おねーさん、なんでそんなにこわい顔してるんですか?」
「ぐっ……い、いや、何でもないぞ?」
撃退士とはいえ、相手は幼女。さすがに、そんな子の前で怒ったところを見せるわけにもいかず。
ぐぐっと堪える零式だが、それは撮影者には格好の標的で。
「珍しいものを撮れた、な」
「永久保存版、ですの!」
「にあってますよ!」
アスハとアトリアーナの言葉に、またも怒る寸前までボルテージを高められる零式だったが、しかし瑠璃に純粋で純真な笑顔を向けられ、何とか耐えるしかないのであった。
咲村 氷雅(
jb0731)は、天使エティエンヌエルと話し込んでいた。
最初は彼の作った兵器や、聖槍・四国勢の武具についての話を聞こうと思った彼であったが、それらは部外秘であり、さすがに撃退士には話せないという。
ならばと零式が携えてきた新しい武器――変形する刀、千葉切――についての話を振ったところ、これが予想外の盛り上がりを見せたのだ。
「打ち方は秘密ですが、出来は悪くは無いと思うのです」
語る天使に、少年が頷く。
実は氷雅は、日本でも珍しくなった刀鍛冶の資格を持っている。
もちろん相手が作成しているのは鍛冶師の作るモノとは違うのだが、それでも同じモノ作りのプロとして、共感できる言葉は多いようだ。
だから、ひとりの刀鍛冶として、エティエンヌエルの言葉に答えていた。
「切れ味は恐らく申し分無い。だがそれは変形前の話だ。切れ味を発揮できる形状を、わざわざ手放してどうする」
千葉切は、通常の日本刀モードの他、使い手の背の丈ほどもある大型ブレードに変形できるようになっている。
最もそれは、その巨大さから繊細な扱いに向かず、そのために斬るというより叩き割るといった用法を迫られるであろうことは、見た目から容易に察しがついた。
――切れない刀は、刀とはいえない。
二二歳、刀鍛冶。心からの感想。
「形状には気を遣ったつもりでしたが、やはりそう見えますか」
「俺ならば、もう少し洗練させることが出来る」
俺の作品を、いずれお前たちにも披露する機会があるかも知れないな。
そんなことを天使と話しながら、氷雅は、新しいスキルの案について、変形とか面白いかも知れないな、とか思った。
天使や使徒と話し込む撃退士があれば、給仕の手伝いをする撃退士もある。
使徒たちに対抗してメイド服を持ち込んだのは、雪室 チルル(
ja0220)。小さな身体で炎天下の会場を行き来しては、クッキーの載った皿やら紅茶やらを配膳していく。
普段は大型エストックを手に敵に切り込んでいく勇猛な女の子だが、その軽々とした身のこなしは、剣をトレイに持ち替えた今日も健在らしい。
「紅茶のおかわりはどうよね?」
チルルが紅茶を差し出した相手は、大天使アールマティ。
「まぁ……これはこれは。いただきますね」
慣れない丁寧語を微笑ましく思ったか、大天使が微笑む。
「あっちで話し込んでいる零式より、働いているように見えますね。感謝いたします」
「えっへん!」
大天使に感謝され、どやぁっとしつつ小さな胸を張った少女は、それから空いたティーポットを持って、キャンプ場の事務所へと戻り始めたのであった。
火影の魔女は、へにょれていた。
会場である海浜キャンプ場の日差しに負けてヘタっているのは、パウリーネ(
jb8709)だ。
対話しようという心がけは素晴らしい。素晴らしい、が。
「何故こんな日、こんな時間に行おうと考えた……」
日差しが燦々。自称・魔女は日傘の下で気だるいカンジ。
「大丈夫ですの?」
不意にかけられた声に顔をわずかに向ければ、そこにはメイド服の使徒。セシルとか言ったか。
「我輩のことか? 見てのとおり、日差しで溶けているだけだ。気にするな」
よくあることだ。消え入りそうな声で呟いてから、
「ゴメン嘘です飲み物下さい」
「ですわよね」
続かない強がりに苦笑するセシルが差し出す冷たいティーカップ。それを受け取ったパウリーネは、中身を一気に飲み干す。
「もっと……」
「今のが手持ちの最後の一杯ですけれど……あら?」
メイドの手伝いをしてくれている唯・ケインズ(
jc0360)が通りかかるのを見たセシルが、彼女を手招きする。
「紅茶、あります?」
「えぇ、まだありますわ」
答える唯の顔が楽しげなのは、彼女が生粋のお嬢様で、こういった給仕の仕事を始めてするからか。
慣れた手付きでティーカップへと紅い液体を注ぎ入れた少女は、
「せっかくの場ですから、もっと楽しみませんと?」
「日差しが和らいだら、そうしたいものだね……」
受け取った相手がごくごくと飲み干すのを、楽しげに眺め、お代わりを注いであげるのであった。
……なお、その日の天気予報は日没まで快晴。
がんばれ、パウリーネ。
チルルの戻る先、キャンプ場の事務所のキッチンにいるのは、数名の南房総市民。四〇絡みの女性に三〇代前半の男性など、年齢・性別は様々だ。
「もうすぐミートパイ、焼き上がるぜ。出来たら持ってっていいな?」
「お願いします。いやぁ、助かりますよ一川さん」
楽しそうに笑う市民たちに混じって自称・メイド長であるところの夏海が働いていたりする中、流し台で使用済みの食器と格闘している天宮 佳槻(
jb1989)は、市民たちの様子に違和感を覚えていた。
――支配され搾取を受ける側だというのに、それに対する感情が見えてこない。
一川さんに対して笑いかけることが出来るぐらいには、感情が残されているようであるのに、市民たちの顔に例えば『嫌々手伝っている』だとか、そういった負の感情が読み取れない。
むしろ、嬉々として自らここでの手伝いに馳せ参じた風すらある。
「ここの生活ってどんな感じなんですか?」
手は休めず、あくまで世間話の体での佳槻の問いかけ。答えたのは、クッキーを並べている四〇代前半と思われる女性だった。
「どうって、普通だけどねぇ」
「普通、ですか」
「そうそう。アールマティ様が来られる前から変わらないわよ」
返ってくる声色は、決して嫌悪感を含んでいない。
佳槻はすすいだ瞬間キュキュッとしたのを確認してから、その皿を布巾で拭いていく。
「滋賀や静岡とは違う感じですか? ……向こうは利用されてましたけど」
少年からの重ねられた問いに、女性は少し考えてから、
「他所のことは詳しくはわからないけどねぇ。ココは平和なものよ」
聞けば、大天使アールマティは支配の開始から『最低限度の感情吸収しか行わない』旨を宣言しており、そのとおりに根こそぎ感情を奪っていくそぶりを見せないという。
そのため、市内では争いごとが無くなったぐらいで、基本的に市民生活は変化が無いというのだ。
「……つまり、皆さんは自分からここに残っていると?」
闘争心を削られる程度の感情吸収でしかないのならば、この南房総市に残っているのは、自らの意思ということになりはしないか?
「大天使様が仰られたのは、ただ一点。アールマティ様を心から信じること。……ただそれだけで生まれ育った町にいられるのなら、まぁ安いものよねぇ。他のトコと違って、変わらずに生活させていただけているわけだし」
狂信と引き換えの市民生活。
大天使アールマティ・アータルが狂信と寛容とを以って統治する町、千葉県南房総市。
「何かあったら大天使様の為に戦いたいですか?」
「すでに戦っている連中もいるってハナシだけどね、そうね、戦いたいかしらね」
この生活を壊すようなら、人間が相手でもと笑って。
それから女性は、食器を下げてきた唯に、クッキーの配膳をお願いしたのであった。
その大天使アールマティは、数名の撃退士や使節団の人間と話をしていた。
「人間について、どう思っているのですか?」
天羽 伊都(
jb2199)が問いかけるのは、大天使の認識。そして、彼女の人となり。
海風に髪をなびかせる金髪の大天使は、柔和な微笑みを思春期の少年へ向ける。
「冥魔と戦争するための資源――そう言ったら、怒るのでしょうね。もちろん冗談ですよ」
館山市の副市長がギョッとし、伊都や静流、佐藤 としお(
ja2489)といった副市長の護衛を務める撃退士たちが殺気立つのを察したか、アールマティは微笑みを崩さぬまま顎に手をやる。
「貴重な糧の提供者、といったところでしょうか。それなりには感謝を以って接しているつもりですよ」
皆さんの生活を崩さぬように支配するのは、いわば感謝の表れです。
穏健派の極みとも言える大天使の言葉が響く。
「もし、圧制を敷いているのであれば、撃退士がこれに抵抗するのは当然」
ここで金髪の美女は紅茶を一口飲み、一息つけてから。
「でも、ここ南房総市に関しては、火種をなるべく起こさないようにはしているつもりです」
……と。そう締め括った。
この穏健な大天使と同じテーブルを囲んでいた副市長他数名の人間に、微妙な空気が流れる。すわ、降伏を拒絶したのは間違いではなかったのかと。
降伏しても、そんな穏健な支配であるのならと。
……だが、伊都には、相手の言に違和感があった。
「それはつまり、人間が牛や豚の食肉に向ける『いただきます』と、どう違うのですか」
感謝はしている。でも糧にする。
つまるところ、小なりとはいえ、人間を自分たちのための資源と見ていることに変わりは無いのではないか。
これに対する大天使の答えは、肯定だった。
「相違は無いと思います。しかし、牛や豚は一部でも身を切れば死にますが、感情はそうではない。一部だけ頂いても、人は死にません」
「感情を奪うことは、人の死と同じではないのか」
二人の会話に口を挟んだのは、今まで話を聞いていた静流。率直な疑問を、大天使の認識を問う。
「感情とは、人間らしさ。人間らしさを奪われてなお、その人は生きているのか?」
「生物的な生を保っているのなら、それは生きているということではないのですか。それの何が問題なのか、理解に苦しみます」
微笑んだ顔に困った表情を乗せるアールマティ。心底『理解できない』といった風だ。
認識の相違に、場に剣呑な空気が流れる。
……だが、それも長くは続かなかった。
「失礼。お許しを頂けるのならば、その胸に触れさせて貰えませんか?」
「はい?」
「は?」
ホワイトスーツを着こんでキメ顔をしながら、大天使と仕事で通りかかったのであろう百合を凍りつかせたのは、袋井 雅人(
jb1469)である。
今回の参加目的を、大天使の胸――それは、確かにかなり魅力的なサイズだ――を揉むことに定めた思春期の少年の、直球どころか剛速球。
その衝撃から最初に復帰した百合が、空いたティーカップの載ったトレイをテーブルに置いて雅人の胸倉へと掴みかかる。
「アンタ、何言っちゃってんの!? 女性に対して失礼にも程があるでしょう!?」
「だ、だから失礼って……ぐえっ」
思春期だったとしても色々と問題のある発言。百合の怒りは最もである。
「そ、そうですよ! それはちょっとマズいです!」
空のトレイを手に百合を手伝っていたグラサージュ・ブリゼ(
jb9587)も、慌てて百合を雅人から引き離そうとしつつ割って入る。
しかし、それを制する者があった。
「やめなさい、百合。そちらの撃退士の方も、落ち着いて」
「しかし、アールマティ様!」
「私の胸を所望、と言いましたか? ……良いでしょう。お好きになさい」
金髪の美女の発言に、またもや場が凍る。
――というか、言い出した雅人ですら『ぇ、いいんですか』といった顔で固まっている。少年的には、このタイミングでの発言は場を和ませるためだったのだから、当然の反応だ。……いやまぁ、揉むために参加したのは本当なんだけど。
「どうしたのです。揉まないのですか」
寛容と敬虔の大天使が、揉みにこない少年に首を傾げる。
「ぇ、と。じゃ、じゃあ、失礼して」
「失礼すんなバカ! 最低!」
百合の罵声を受けつつ、雅人は動き出した。
大天使に正対し、目測でFを超える大きな二つのそれへと、そっと触れ。
そして……。
もみもみ、もみもみ。
ホントに揉んだ。
途端に雅人の手に返ってくるのは、ハリと弾力を備えた感触。見た目どおりの立派な胸である。
「んっ……はぁ、んんぅ……」
くすぐったいのか、艶かしい声を出す大天使。
……声が響くたびに百合が殺気を放ち、場の空気を微妙なものにしていっているのだが。
やがて、数分間が終わる。
「ありがとうございましたー!」
「ありがとうじゃない! よくもアールマティ様に変態なマネを!」
百合ちゃん、カンカンである。当然である。
――このままだと、また変な空気になっちゃいそう!
危機を感じたグラサージュは、咄嗟に百合が置いたトレイを掴み。
「グラサージュ・ブリゼ、やりまーす!」
紅髪の少女は、カップを宙に投げる。
それも一つだけではない。二つ、三つと空中にカップを追加していく。
当然、その頃には最初に投げたカップは引力に従って落下を開始するのだが、グラサージュは器用に、他の二つが空中にある瞬間を突いて、落ちてきたカップを再び放り投げた。
「よっ、ほっ!」
見事なジャグリングだった。その腕前も、繰り出すタイミングも。
百合が嘆息する。自分に見た目の似た少女の行為が、場を和ませるためだとわかるからだ。
「ブリゼさん、もひとついける?」
「グラサージュでいいよ百合さんっ。もちろん、どんと来いっ」
「あたしのことも百合でいいよ。じゃ、いくよっ」
必死に場を和ませようとしているグラサージュに、百合が折れた。
百合がカップを放ると、それはすぐさま空中を舞う列に加わる。一つ増えたところで造作も無いと言うように、グラサージュはジャグリングし続けた。
場で拍手が沸き起こる。見れば、大天使のテーブルのみならず、周囲の他のテーブルでも。
「ぉ、零式発見。ねぇグラサージュ、例のネコミミ尻尾貸して。さっき言ってたでしょ、ちょっとやってくる」
騒ぎに加わらず働く少女を見た百合は、仕事しつつ二人で打ち合わせたイタズラを実行するため、場を離れて忍び寄っていった。
メイド服を着させられた上、ネコミミと尻尾まで付けられてしまい、真っ赤になってぷるぷるしている零式を、天宮 葉月(
jb7258)は気の毒に思った。
そして、自分の問いはそんな姿の相手にするものではないな、とも。
「使徒として戦う理由? それはヒトを感情から解放するためだと……」
「どうして?」
どうして、ヒトを感情から解放したいのか。そこが肝要。そこが知りたい。
「……」
対する答えは、沈黙。
言いにくい、言いたくない……それとも、言えない?
「私が戦う理由はね、近しい人を守りたいから、かな」
だから葉月は、まず自分のことを語る。相手に名乗ってもらいたいなら、まずは自分から名乗る。それと同じこと。
「聞かせてほしい。戦う理由。あなたの気持ちを」
「戦う理由……私の?」
言葉が泳ぐ。たゆたう。それはまるで、大好きな玩具を見失った子供のように。
「……今は、語る言葉を持たない」
どうにか取り繕っての言葉であることは、葉月にもわかった。
零式ちゃんは、もしかして――戦う理由を、見失っているのかも知れない。
そう思った。
「……本当の名前、教えて?」
優しく語る少女は、話題を変えた。前の問いは、彼女ならばきっといつか答えてくれる。
だから、いつも訊こうと思っていたこと。知る機会の得られなかったことを。今、ここで訊こう。
「私は天宮 葉月。あなたは?」
最初の問いに答えられなかった負い目は、確かにある。
あったが、それ以上に、相手の真摯で真剣な心に、動かされた。
葉月の言葉に、零式は。――少女は、気付いたら。
「……咲森 麻衣」
さきもりまい、という自身の名を明かしていたのだった。
「偉大な大天使様ァ。快諾感謝しますわァ……撮影した写真も送付させて頂きますからァ♪」
「よくわかりませんが、よろしくお願いしますね」
差し出された菓子折りを手にニコニコする大天使アールマティ。
その彼女の前に、三人の使徒が並んでいた。――黒百合(
ja0422)の用意した衣装を着させられて。
ノリノリで巫女服を着る百合。
気持ちの見えぬ笑顔でセーラー服を着るセシル。
そして、ネコミミ尻尾の上にチアガールの衣装まで着させられ、もはや言葉も無い零式。
ポーズを取らされる三人の姿を撮影するのは、アトリアーナや黒百合、アスハに氷雅といった面々。
他の面子も、大体が車座になってその様子を眺めている。
「ぐぐぐ……」
ポーズを取るたび、零式のたわわな胸がたゆんと揺れる。それを防護するはずのチア衣装の生地は薄く、それがさらに彼女の羞恥を煽る。
「ささ、もっとポーズを取ってェ。もっとエッチにぃ♪」
「殺す……後日、絶対ぃ……っ」
黒百合の要求に、もはやそれだけ言うのが精一杯の、黒髪の使徒。
「やっぱ、平和が一番。どこか歩み寄れる所があればいいよね」
としおのそんな呟きは、海風に乗って消えていった。
一枚の集合写真がある。
お茶会の最後に撮影された、二八名全員を写したそれ。
それは、敵対する二者が紡いだ、夏の記憶だった。
終