バスで一時間ほど揺られただろうか。
閑散とした田舎町には既に稲刈りを終えて裸状態になった田園地帯が広がっていた。その様子に礼野 智美(
ja3600)はまず安堵する。
「稲の刈り取りが済んでいて本当によかった……。見たところはぜ干ししている田んぼもなさそうだしこれならば」
充分に戦えそうだ。智美は刀の鞘を掴んで今宵の戦闘への緊張を解きほぐそうとする。
ぽんと、黄色いボールが弾けて視界に入ってくる。
周囲にはボールで遊んでいる子供も見受けられたがその中の何人かはどこか虚ろな視線を宙に注いでいた。三週間の睡眠不足は子供にも悪影響を及ぼしているのだ。
「あら? 何やってるの? お姉さんも混ぜて」
その子供達へと歩み寄っていったのはエリシア・ジェネリエスト(
jb2911)だった。ローズピンクの長髪をかき上げた大人の女性の登場に子供達がうろたえている。
「……ジェネリエストさん、頼みますからそういうのはやめてもらえますか。子供達の成長に悪影響です」
「ちょっと遊んでみたくなっただけよぉ」
エリシアは手を振るって智美の牽制の声を受け止める。
「あとの人員が揃うのを町役場で待ちましょう」
「もう来てるって」
エリシアの声に智美は額に手をやる。
「……頼みますから連携は崩さないでくださいよ」
麗奈=Z=オルフェウス(
jc1389)は町役場に村民の避難をまず提言した。
今回のバク型ディアボロ、報告にあった巨大さから鑑みるに夜半出歩く村民が一人でもいれば危うい。そう考えての行動だった。
村長と共に村人の誘導を手伝うのは藍那 禊(
jc1218)である。欠伸を漏らしつつ、「眠れない、ねぇ」とこぼした。
「しょうみ、俺からしてみれば安眠妨害っつうんは、これ敵って感じやな」
「本当ね。睡眠妨害はお肌の敵。デリカシーのない子達だこと」
「気ぃ合うやん。眠れんってのは辛いと思うわ。今回、少しでも速くの解決が望まれるなぁ」
禊が中空を睨む。その視線の先に、夜半現れるというバク型を視て。
夜の帳が落ち、人々が本来ならば寝静まる時間となった。
午後十時。
報告通り、北方を向いて三体のバク型ディアボロが出現した。それを真下から眺めていた智美が口走る。
「……この巨大さなら、疲れを理由に幻覚を見たと思いたくもなるよな」
バク型が尻尾をゆらゆらと揺らし、前方にある巨大な鼻を持ち上げる。
その瞬間、村の中央部に立ちそびえる不動産ビルの屋上から三つの影が躍り出た。
麗奈が両の手から星の散りを辺りに散布して光源を確保する。エリシアが接近戦を試みようと腕を振るおうとした。
それと同時に放たれた光弾がエリシアと麗奈の合間を縫うように撃たれる。突然の射撃音にエリシアは少しばかり驚いた。
弾丸はバク型の背中へと突き刺さる。今しがた放った狙撃の手応えをUnknown(
jb7615)は金色の瞳を細めた。
「むぅ……あまり効果的ではないか」
「当たったら危ないでしょうに!」
エリシアの声音にスナイパーライフルを掲げたアンノウンは顎をしゃくった。
「当たらなかったのだからいいではないか。文句は後で聞く。我輩の狙撃でまずは手始めに、という手はずだったであろう。どこをどう狙撃するかは我輩の采配次第だ」
アンノウンは腕を組んでスナイパーライフルを捨て去り、近接型の斧へと持ち帰る。
「やぁねぇ」と麗奈が口元を隠しつつ雅に笑った。
前後あるがほぼ作戦通りであった。
「バク型ディアボロは光源に弱く、それで落下する」
エリシアを始め、今次作戦に向かう撃退士達が顔をつき合わせていた。町役場の会議室を貸し切ったのは長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)の提案だ。
「落下したディアボロはわたくし達が引き受ける」
みずほを含む地上班は三人。全員近接戦闘でバク型を仕留める手はずだった。
「我輩は、飛翔した後に関しては任せてもらおう。なに、睡眠不足のままの、イヤーな状態では終わらせんさ」
アンノウンが声にする。エリシアは、「配置は以下の通り」と予め決めておいた配置図に視線を落とす。
「地上班はバク型の出現位置のすぐ下で待機。高空班は町の中心にある不動産関係のビルから一斉に飛翔し、バク型に包囲陣形を取ります」
「うまくいってくれりゃ儲けもんだな。バク型がそう容易く壊れてくれるものならば」
「厄介なバク型は、わたくしのこの拳で打ち破ります」
みずほの言葉に智美と禊が同調する。
「俺も、三週間の不眠を強いたバク型に慈悲はない」
「眠れへんのは辛いやろ。とっとと終わらせようや」
禊が欠伸する。エリシアはもう一度だけ確認した。
「決行は夜十時より。麗奈さんがトワイライトで光源を確保したのを合図として攻撃開始とします」
「よろしゅうお願いします」と麗奈が手を開いたり閉じたりする。
「今次作戦の成功を祈り、僭越ながらわたくしから紅茶を用意致しました」
「紅茶とか。我輩、飲んでも味分からんけれど」
アンノウンはそう言いつつも香りを嗅ごうとしている。一同は紅茶で喉を潤し、夜の戦いへの戦闘意識を高めた。
アンノウンの狙撃、というイレギュラーはあったもののバク型への接近は可能であった。
エリシアは片手から放射線状に光の瀑布を打ち出す。
光に目が眩みバク型が赤い眼窩をぎらつかせつつ緩やかに落下してゆく。
「ふふっ、目も眩むほどだった?」
「うわっ、鼻動くと顔怖い。何アレ」
アンノウンがバク型の顔を確認して声を震わせる。
落下したバク型の巨躯を受け止めたのは田園地帯であった。一瞬だけ重力が反転したような衝撃音が響き渡り一同のスケール感を麻痺させる。
金色の光纏を放ち、炎の威容を漂わせて智美が刀の鯉口を切る。
「行くぞ!」
呼気一閃、放たれた銀色の一撃がバク型の背中を切り裂いた。
「剣技、破山」
もがくバク型が長い尻尾をそのまま叩き落そうとする。智美を叩き潰さんと迫ったその尻尾はしかし、直後に弾き返された。
「ほんま……、でっかいだけのノロマやなぁ」
禊が智美の前に出て盾を掲げる。「感謝する」と智美の素っ気ない言葉が投げられた。しかし禊は耳栓をしているため聞こえないようだ。
禊は事前に示し合わせたハンドサインで「離脱」を指示する。
智美と禊が同時に飛び退った。弾き返された尻尾は中天を指し示したかと思うと、再び重力に負けてよろりと落ちてくる。
その尻尾が落ちる前にバク型へと即座に接近した影があった。
みずほが風をも切って疾走し、バク型の露になった腹部へと拳を叩き込んだ。
「わたくしのゴングが鳴りましたわ! 勝負ですわ!」
光を纏った拳の応酬にバク型は攻撃さえも忘れて痛みにのたうつ。
「動きが止まりましたわね……。では行きますわよ!」
輝く黄金の拳がバク型の巨体を浮き上がらせ、衝撃波で田園地帯が根こそぎ剥ぎ取られた。吹き飛んだバク型が地表へと二三度バウンドしたかと思うと突然に弾け飛んだ。プスプスと空気の漏れるような音の後の爆発音にみずほが息を呑んでいる。
「耳栓、したほうがええね」
禊が前に出てみずほへと耳栓を勧める。目を瞠っていたみずほは、「ええ、そのようね」と受け取った。
「一体撃破!」
「順番はすぐ来るから慌てないで待っていてね♪」
麗奈が他の二体の動きを翻弄するようにちまちまと攻撃を放っていた。
智美の張り上げた声に上空のエリシアが手を振り払う。
「今度はあなたよ。もう上は取らせないわ。……堕ちて?」
エリシアの放った光の拡散にバク型が赤い目を瞬かせるも先ほどの個体の落下を学習したのか少しだけ中空で耐え忍ぼうとする。
だがそれを許さないのはいつの間にか下段に回っていたアンノウンの振り上げた戦斧の一撃であった。一瞬、筋肉が倍に膨れ上がりその手に備えた斧の一撃を強固にする。
「へーへー、ザコキャラ名誉挽回といきますね」
腹腔を打ち抜かれたバク型がよろよろと落下していく。その目がアンノウンを捉え、音響攻撃が放たれた。音の網の中に囚われるかに思われたアンノウンだったが翼を広げてそれを寸前で回避する。
「おおアンノウン! 惑わされてしまうとは情けない! ……っていうと思った、かい!」
わざとおどけた動作で首をひねり、アンノウンが続け様の一撃を腹部へと打ち込んだ。
「アッラ〜、貴様の肉は何色? 何味? ……あー、味は分からんからやっぱいいわ。でもよ、夢は美味いよなぁ、知ってる!」
バク型が地表でバウンドする。その巨体に似合わぬ、まさしくボールのような動きだった。
「背中が!」
「見え見えですわっ!」
智美とみずほが疾駆し、バク型の背中を斬りつけた智美の一撃に相乗するようにみずほの拳がアッパーを食らわせる。黄金のアッパーカットは中空でのバク型の破壊に繋がった。
無論、その時には既に地上班は距離を取っている。上空班も次の獲物へと目標を変えていた。
「眠れないのは辛いからねぇ……。今日でおねんねしてもらうわよ? 永遠にね♪」
バク型が動き出そうとするが先んじて設置していた光源がその動きを阻んだ。麗奈は笑みを浮かべる。
「駄目よぉ。今さらどこか行こうなんて虫のいいハ・ナ・シ。あるわけないでしょう?」
背面に回った麗奈が攻撃を加える。対処しようと尻尾による薙ぎ払いが襲おうとしたが、その時には既にエリシアの放った光のかく乱効果が効いていた。
「最後の獲物、落ちるわよ!」
地上班が一斉に飛びかかる。落下時、バク型は赤い目を見開いて口腔を開けた。
その大口から音響攻撃が放たれる。しかし、智美とみずほは二手に分かれてその攻撃を回避していた。真下には禊がリボルバーを手に待機している。
リボルバーをそのまま真上のバク型へと撃ち込んだ。弾丸が炸裂し、一瞬だけ宙に浮き上がろうとする。それを制するように智美の剣が放たれる。
「夢を害するのは!」
引き裂かれた表皮へとさらに高空へと跳躍していたみずほが黄金の拳を固めて飛び込んだ。
「おやめなさい! これで……KOですわ!」
叩き込まれた拳の弾丸に赤い目がしばたたかれる。大きくバウンドした形となったバク型はそのまま今宵の月を背にして内側から膨れ上がって爆発する。
夜に虹がかかったように、ピンク色の血潮が稲の刈られた田園へと降り注いだ。
「これが、奴の食ってきた夢の光、というわけか」
「美しい、とは形容したくありませんけれど、人の夢は時に美しく、儚いものですからね」
「センチになるつもりはあらへんけれど、人の夢食った代償やな」
地上班が作戦遂行を確認する。高空班はエリシアを筆頭に、「やったようね」と手応えを感じた。
「我輩の攻撃のキレも冴え渡っておったからな。――おやすみ悪魔、おやすみヒトの子。安らかに睡るといい」
アンノウンが腕を組んでフッと笑みを浮かべた。
「さて、残るは……」
翌日、ディアボロによる被害を受けた人々のためのカウンセリングと麗奈が題する「お昼寝会」というものが催された。
どうしても眠れない。トラウマになったという者達へは麗奈が率先してカウンセリング会を開いている。それと並行して、大広間で眠っている人々を見やるエリシアと智美が声にしていた。
「眠れないというのは辛かったでしょうね」
「ああ。眠りを害するディアボロか。連中も絡め手を使ってくる」
「でも私達は……」
智美の敵意を剥き出しにした声に返そうとしたエリシアが小さな子供が目を擦っているのを発見して歩み寄った。
「どうしたの? 眠れないの? 我慢するのは辛かったでしょう? 私が最高の夜を与えてあげる」
男の子の背中をさすりながら去ってゆくエリシアに智美は苦笑する。
「まったく……」
それにしても眠くなってきた、と眠りにつく人々の影響か智美も欠伸する。
毛布を広げて眠っている人々の中には既に夢の船を漕ぎ出している禊の姿も垣間見えた。
みずほは麗奈と共にカウンセリングの行列を眺めながら欠伸を漏らしている。
「眠くなってきましたわねー」
「ご婦人にはこのアロマがお勧めよ。あっ、ホットミルクも眠る前に飲むととても気分が和むわ。どうぞ、ご自由に。さ、おねぇさんのリラックスタイムよ♪ なーんてね♪」
麗奈は人々相手に茶目っ気を披露する。
町役場の屋上付近でアンノウンはパタパタと翼を揺らして浮遊しつつ眠っていた。
「うたた寝、うたた寝ーっと」
撃退士は眠りの怪物が去った事を各々の心に刻む。
ふと、今宵の眠りは恐らく安息であるという確かな約束が胸を過ぎったのに笑みを浮かべた。