飛翔個体と円盤吸血鬼が埋め尽くすのは、冗談としか言いようのないほど、雑多な空域であった。
乱立する廃棄居住区。牙のように聳え立つ尖塔。踏み切り台のランプの赤色光が明滅を繰り返し、この場所が既にヒトの領域ではないことを告げている。
「さぁ、撃退士。来るといい。戦場を奏でるのは貴様らの血と饗宴。遣い共は放った。あとは貴様らがどれほど悪足掻きするかどうかを観るだけよ」
ゲート最奥に位置する天魔、ソニックウェイヴの複眼の先にはこの地を踏み締める撃退士たちが映り込んでいる。エイリアン型二体からの連絡映像でも確認済みの七人は逃げも隠れもしない。最早、事ここに至り、この戦場では敗走、遁走、何一つあり得ない。
全てを決するのだ。
そうと決めた眼差しを湛えた七人はそれぞれの得物を構えた。
「道理を分からぬもの。それこそが不条理そのものだ」
断じた桜庭愛(
jc1977)の声音には慈悲の欠片もない。視界に入る全てを蹂躙し、破壊し、その価値観を突きつける。
「まったくもって、その通りかもしれない。何も今すぐ完全に分かり合えるなんて思っちゃいねぇよ。それでも、多少マシな世の中くらいは後世に残せるだろ」
星の意匠が施されたトンファーを構え、向坂 玲治(
ja6214)が呼気を詰める。ソニックウェイヴの本丸へと辿り着くまでに、四体の円盤型に二体のエイリアン型……、視野に入れつつ紡がれた言葉に耳を向ける。
「ソニックウェイヴさん……貴方は今の世界に疑問を持っている。……自分がこの世界に馴染まないと感じている。……そして、そんな自分を倒して欲しいと願っている! 私にはそう思えてなりません!」
水無瀬 文歌(
jb7507)の語調にソニックウェイヴは僅かに関知を向ける。
「我が願い、宿願を語るか。撃退士、分かり合えぬヒトの子風情が……!」
「その論調には賛同もあるが、蟲の長よ。多くを語るよりも行動したほうが早いだろう。聴くのは命が残っていたら、だ」
ジョン・ドゥ(
jb9083)の放った殺気にソニックウェイヴは、ほうと感嘆する。
「分かっている者もいるのか。そうだとも。この戦場で多くを語ることを許されているのは、勝者のみ。敗者は這い蹲り、この廃棄区画第七号と同じく、ゴミとして消え行け」
「おべっかも、ましてや話し合いももういいよ。僕は行かせてもらう。ただ斬り合いの刹那のために」
鬼羅を掲げた鬼塚 刀夜(
jc2355)がソニックウェイヴへと敵を見る眼を向ける。
蟲の悪魔はタクトの如く、レイピアを振るった。
直後、廃棄区画を激震させる爆撃が拡張する。円盤吸血鬼の絶え間ない銃撃に景色が霞み、毒の霧が鋼鉄を蝕んだ。
「散るぞ! 各員、分かっているな?」
玲治の号令に全員が毒の霧を引き裂き、廃棄区画を跳躍した。
「まったく……相手を倒すためとはいえ、自ら敵の巣の中に入ることになるとは……」
眉根を寄せた雫(
ja1894)は召喚陣を形作り、スレイプニールを放つ。廃棄区画は全てが全て敵の関知範囲ではない。その巨大さ、広がりから鑑みて死角は確実に存在した。
尖塔の陰に身を隠し、雫はスレイプニールがエイリアン型の攻撃を抜けたのを確認してから照り輝く太陽剣を掲げた。
「その身体、両断します!」
体重を剣の重量に預け、ほとんど追突の形で雫はエイリアン型の射程に入った。援護に入ろうとした円盤吸血鬼へと氷の砲撃が放たれる。
「ついに大ボス登場ってわけね! あたいが、ひねり潰してあげる!」
雪室 チルル(
ja0220)の放つ一撃そのものは大雑把であるものの、円盤吸血鬼は攻撃の機会を渋っていた。
その好機へと潜り込んだのは明王の刃。千刃が閃き、影を引き裂いて顕現する。
愛の背後の空間が歪み、巨大な明王が悪鬼の如き眼差しを伴って円盤吸血鬼を睥睨する。
一睨みだけで円盤吸血鬼は攻撃の手を緩めた。その僅かな隙を見逃さず、玲治と刀夜が空間を跳ね上がる。
廃棄区画の最奥、玉座にてこの戦場を奏でる元凶を討つために。
エイリアン型が刀夜の行く手を遮ろうとした。その個体の額に浮かぶ眼球を正確無比な弓矢が射抜く。
ジョンは静かな瞳のまま、指を鳴らした。
矢から黒く濁った炎が滲み出てエイリアン型を焼き切っていく。その炎の照り返しを受け、愛の明王が吼えた。
降魔の剣が円盤を引き裂き、その余波で廃棄区画を叩き潰していく。砂塵が舞い、エイリアン型の視野が削がれた。
「地獄? この程度が? 笑わせるよ、「蚊」の王さま♪ それとも虫だからかな? この程度の縮図、この程度の世界観。これで人の世を語るのなんて、なんて傲慢。顧みるまでもなく、この廃棄区画そのものがお前の世界の矮小さを示している。矮小な世界に溺れて、沈殿し、その末に本物の戦争を知れ」
愛が軽く手を振るうだけで刃の暴風が放たれ、円盤吸血鬼を破砕していく。廃棄区そのものが激震し、ソニックウェイヴが静かに――嗤った。
「よく吼えるものだ。容易くヒトは感情に流される。怒り、嫉み、強欲……全て、ヒトの子が持つ醜き世界。なれば我はそれを否定する。感情程度に流され、世を荒らすのは果たしてどちらか」
直上から落雷のように強烈な一撃が打ち込まれた。ソニックウェイヴがレイピアでそれを受け止める。突きつけた玲治が薄く笑う。
「あんまし口ばっかり達者だと、舌ぁ噛むぜ!」
「同感だよ。話し上手は戦い上手じゃない」
降り立った刀夜が右手側から攻め立てる。玲治は左手側に回り込み、痺れる一撃を見舞った。ソニックウェイヴの銀色の躯体が振動し、直下の地面が抉れ、砂埃が舞う。
鬼の血を覚醒させた刀夜がアウルの輝きを放ちつつ刃を振り翳した。打突からの薙ぎ払いの一閃。ソニックウェイヴのレイピアが駆動し、百の突きを見舞う。
刀夜は突き技をいなしつつ、その懐へと潜り込んだ。レイピアの弱点は咄嗟の機転の利かない点だ。殊に、その射線は突き以外では大きく限られる。
切り払おうとした刀夜の刃に応戦したのはもう一方の手が繰る糸である。へぇ、と彼女は口元を緩める。
「モッくんと同じ技を使うんだ。主だから当然かな? ソニック君、やるのなら太刀でやろうよ。……って言っても無駄か。だってもう、射線に入っている」
刀夜がステップを踏んでよろめいた。その空間を射抜いたのはジョンの矢である。
ソニックウェイヴが糸の結界陣を張り、玲治共々、その矢を弾いた。
「片腕でもいただけるかと思っていたんだが、浅かったか」
翼で位置取るジョンが次の手を練ろうとする。左腕に浮かんだどす黒い瘴気にソニックウェイヴが習い性の結界陣を張り巡らせた。四方八方の瓦礫から糸が展開し、ジョンを遠ざける。
「照準を……!」
「その腕に宿る何か……相当な脅威と判断した。ゆえに、策は取らせてもらうぞ。侮っているわけではないからな」
「その脳内まで虫けらってわけじゃねぇってことか。ジョンさん、俺らで結界を解くように追い込む。ちょっと待ってくれ」
「まだ剣でやれるんだ。ちょっと楽しみかな」
「楽しみ……? 狂っているのか?」
「狂う? 馬鹿を言っちゃいけない。一度刀を取り、剣に生きると決めた以上、誰だって刃の死狂いだ。僕も君も、何も変わりはしない。たとえ虐殺の徒であっても、話にも上がらないほどの鬼畜生であったとしても、刃を交えるのならば僕からしてみれば等しく――均一だ」
「均一、か。この闘争とはほど遠い代物だな」
「――そうでしょうか」
差し挟まれた声は文歌のものであった。鳳凰を召喚した彼女はエイリアン型の眼球を撃ち抜いた。
「この眼は、貴方に通じているのでしょう? ソニックウェイヴさん。私には貴方が言っているような拒絶の意思も、私たちを憎む根源も、全部同じに思えてなりません」
「同じ、だと?」
「ヒトの仔を蔑み、その果てに待つのが争いだと、闘争しか存在しないのだと、決め付けている。違うから争う。異なるから奪い合う。……それはある側面では真理だが、正しくはない」
ジョンの言葉にソニックウェイヴが振り仰ぐ。その視界の中いっぱいに、刃が交錯し、円盤吸血鬼を撃墜する愛の姿が大写しになった。
「本当の戦争を見せてあげるよ。ただし、これはお前の望む否定ではなく、お前に殺され、搾取された人々の怒りの否定と知れ」
「……結局は合い争うのだろう。何も変わるまい!」
「いいえ。確かに異なるがゆえに争いが起きるのも事実です。でも、それが全てじゃない。違っていても相手を理解しようとする人はいます。この世は、貴方が思うほど地獄ではない」
猪突してきたエイリアン型を大剣の前に一蹴し、雫が声を振り絞る。
「……そして、どんなに頑張ってもこの世を極楽浄土になんて出来やしない。私たちができるのは、少し辛いこの世を、互いが理解し合おうと努力して、少しでも住みやすい世界に変えることくらいです」
「ソニックウェイヴさんっ、貴方も心のどこかでは、変えたいと思っているんじゃないですか? こんな……代わり映えのしない灰色の世界から、外に出たいと思う、貴方なりの抵抗だったんじゃないですか?」
ソニックウェイヴは自らの世界を仰ぐ。自分の全て、廃棄区画第七号――。
そこから這い出るために、自分が闘争していただと?
「……認められん」
「認めなくてもいい。お前が否定するのならば、私たちはお前を、――肯定する」
ソニックウェイヴが腕を払い愛へと糸による全力攻撃を放つ。全包囲から放たれた糸の「否定」の意思を愛は刃による「肯定」へと変えた。
息を切らし、ソニックウェイヴが言葉を繰る。
「あり得ん……どうしたところで、その結末だけは……あり得てはならないのだ!」
「他が許せてもそれは許せねぇ、か。案外、底が見えたな、ソニックウェイヴさんよ。お前も結局のところ、自分の世界から抜け出したいだけの……ちっぽけな天魔だった、って話だよ」
玲治の言葉振りにソニックウェイヴが糸の天蓋で反撃する。その否定を刀夜が身体をひねり、全身を駆使した刃で叩き割った。
「僕は認めているよ。刃を交わせば、自然に、ね。そんなに難しくもない」
糸の結界陣が緩んだ。その隙を逃さず、ジョンの指先から放たれた赤い光条がソニックウェイヴをよろめかせる。
「……誰かに認められたいだけの、ただの小さな悪魔に過ぎない。殺し、殺されの否定に結論を置くのは簡単だ。拒絶すればいい。本当に難しいのは、その先を描くこと。お前にはそれが見えていたはずだ。見えていて、虐殺と否定で己を塗り潰そうとした。……俺には、目の前でもがくだけの、小さな存在にしか見えない。それがたとえ人の仔と天魔の紡ぐ結末の縮図であっても。俺は、それが、その選択を誤らずに待つことを愛おしいとさえ思う」
己の内奥から滲み出た激痛にソニックウェイヴが戸惑い、膝を折りかける。
刀夜が肉迫し、その左腕を根元から叩き切った。血飛沫の舞う中、降り立ったチルルが氷の砲撃を見舞う。
「お前も……否定するのか」
「分かんないわよ! 難しいことなんか! でも、大ボスだって言うんなら、最後まで立っていたらどう!」
その言葉に鼓舞されたように、ソニックウェイヴは糸の結界をまるで筋繊維のように織り込み、自身と地面を縫い付けた。
これで進むことも、ましてや退くこともできない。
「……その通りだな。それだけは確かだ。我は! 天魔、ソニックウェイヴ! 最後まで立とう!」
「……潔いのは嫌いじゃねぇぜっ!」
レイピアの銀閃を掻い潜り、玲治の打撃がソニックウェイヴを殴り据える。蟲の天魔は体内の血液循環を転位させた。
赤く、鉄錆のように照り輝く表皮を得たソニックウェイヴの装甲に、殴りつけていた玲治がうろたえる。
「堅ぇっ?」
「油断は、死を招くぞ!」
レイピアが奔り、玲治を突き刺そうとするが、その刃は寸前で止まった。
ジョンの左腕から闇の瘴気が浮かび上がり、連動した闇の腕がソニックウェイヴを掴む。
生命力を直に奪う攻撃だ。赤い表皮の内側から筋肉が切り離されていく。
ダメ押しに雫の重力の逆十字が突き立った。動きを鈍らせたソニックウェイヴへと、剣の鬼をその姿に想起させた勢いの刀夜が刃を軋らせる。
「これが、お前を肯定する――!」
「俺たちの、答えって奴だ!」
縫い付けられた足場が崩され、ソニックウェイヴは玉座へと背筋をぶつける。己の中に巣食う否定の念。
それらを全て、輝かしい未来の変革に「肯定」された。
「否定」や「怨念」による結末でないのが恨めしい。彼らは彼らの信じるもののために、戦い抜き、自分を認めてみせたのだ。
争いという否定でしかない行為を、どこかの一点で希望に変わる肯定に。
「……だが、許容はできかねる。誰が裏切り、誰がこの世に地獄を見るとも限らないのだ」
「でも、貴方だって、見たいはずでしょう? 変わった世界を。今よりかは……多分少しだけでも前に進めるかもしれない、私たちを」
文歌の言葉には明確なものはない。約束された未来でも、確約された明日でもない。
ただ、今日よりかはマシな明日を願いたいという、ほんのささやかな願い。
ささやか過ぎて、自分にはどうにも眩しい。
「痛みにも、出口にもならない答えだ。……だが、それが人の仔の描く明日だというのならば、善だと嘯くのならば、天魔は、我は、悪でいいとも」
全身から放たれた糸が廃棄区画の天井を縫いつける。天蓋が揺さぶられ、砂塵と激震が空間を支配した。
「何を!」
「廃棄、とは、要らないから廃棄なのだ。その価値観を前に、我の持つ古い価値観は要らない、だろう」
「自滅する気か……!」
忌々しげに放った玲治にソニックウェイヴは仰向けのまま哄笑を上げる。
「貴様らの描く明日に、我は必要ない。……心底、目に余る者たちだ。ヒトというのは」
「脱出するぞ! 総員、この廃棄区画を棄てる!」
その号令に文歌が逡巡を浮かべた。
「でもっ、ソニックウェイヴさんは!」
「奴は……自分で望んだんだ。だから」
天蓋がこの身を噛み砕かんと迫ってくる。撃退士たちが脱出したのを確認し、ソニックウェイヴは空を埋め尽くす灰色を、地に墜とした。
自分の世界そのもの。狭く苦しい価値観の全てに抱かれ、ソニックウェイヴは絶命する。
灰色の廃棄区画の合間から望んだ最期の景色は、眩しくて見ていられなかった。
崩壊した廃棄区画第七号を目に焼きつけ、撃退士たちはそれぞれの思いを胸に仕舞う。
ともすれば分かり合えたかもしれない。変革を、変わることをただ怖がっていただけの、小さな天魔。
「ソニックウェイヴさんっ。貴方のこと、これからも忘れません。地獄から、私たちの創る世界を見ていてください。そしていずれ、貴方のような人と一緒に……」
生きられる未来を。ただそれだけを切に願う者たちは、この時はただ痛みと共に。