最早、その意識の一点は搾られ思考するのも儘ならない。
這い進む異形の小山。肉塊が赤紫の煙を放出しつつ木々を飲み込み、さらなる進化を果たそうとする。
身体に樹木が生えた。しかしすぐに枯れ行き、不格好に生えた樹木から牙が形作られてそこからまた毒の煙が噴出する。
無間地獄であった。果てがないのだ。進化の行き着く先も分からず、闇雲な強化を続ける個体――クリムゾンサーペントは一事のみを考えようとした。
主であるクリムゾンレイのこと。主は何故、今際の際にこの秘術を授けてくれたのか。
進化の全てを捧げてくれたに等しいのに、胸に空いたのは虚無のみ。
虚無から闇が生まれ、クリムゾンサーペントが咆哮する。
ここは嫌だ、と呻く。焼け爛れたように熱いだけの身体に、考えた矢先から霧散する思考。
涙が真紅の血膿となって零れ出る。
その時、クリムゾンサーペントが見つけたのは主であるクリムゾンレイの姿であった。
まさか、とその無限進化の身体が立ち止まる。急制動をかけただけで地滑りが起こった。
クリムゾンレイがゆっくりと、制御を失った部下を手招く。
そちらに救いがあるのか、とクリムゾンサーペントは身体を反転させた。這っただけなのに地面が穢れ、微生物すらも吸収し尽くす。
吹く風が削げのように激痛を伴うので、その痛みへの呪詛として毒の霧を吐く。
主が誘導したのは火山口の多い隣接するはげ山であった。
生物はいない。しかし、吹きつける山風がクリムゾンサーペントの存在そのものを拒むように肉体を痛めつける。
声を発しようとした。
主に、救いの言葉を。
だが、その言葉は喉の奥に飲み込まれ、代わりに出たのは口腔内へと吸い込まれていくオレンジ色の粒子であった。
熱量を溜め込んだクリムゾンサーペントの眼窩が輝き、クリムゾンレイへと一条の光線が放たれる。
瞬間、クリムゾンレイの皮膜が剥がれ、現れたのは銀髪の雫(
ja1894)であった。
その唇が、哀れ、と言葉を紡ぐ。
「身の丈に合わない物を得た結果がこれですか」
クリムゾンサーペントは混乱していた。主であると思った存在が撃退士であった。
その混乱は精神を焼く怒りへと変動し、直後に僅かに残っていた自意識は霧散する。
吼え立てた声は完全に獣のそれだ。
クリムゾンサーペントが雫を追い立てようと身体をよじる。
だがその大質量ゆえか、あるいは既に張られていたのか、クリムゾンサーペントの肉腫のような身体は火口へと滑り落ちていった。
自由落下に任せればそのまま灼熱に焼かれていたであろう。
クリムゾンサーペントの肉体の部位が跳ね上がり、まるで鉤のように火口に落下する身体を留めた。
その視界を横切ったのは向坂 玲治(
ja6214)である。
白銀の槍が突き上げられ、クリムゾンサーペントの額を貫いた。
「さっさと決めようぜ、ヴァニタスの果て。お前も俺も、辛いだろうからよ」
一撃の下に決着をつけたはずであったが、頭部形状が瞬時に変化する。槍を囲い込むように肉腫が浮かび上がり、玲治をその場に縫い付けた。
引き抜くことも儘ならぬ中、クリムゾンサーペントの口腔内へとオレンジ色の粒子が吸収されていく。
光線の予兆だ、と判じた玲治が離脱しようとするがそれも敵わず発射が予感される。
その時、二つの影が挟み込むように出現し、火口に飛び込んだ。
「姫叔父! 向坂さんが!」
「分かっている!」
不知火あけび(
jc1857)と不知火藤忠(
jc2194)の刃が交差し、玲治を拘束していた肉の触手を引き裂いた。
蹴り上げて離脱した玲治のすぐ脇を光線が掠める。
天に向けて放出されるその行方を眺めていたのは岩石に胡坐するラファル A ユーティライネン(
jb4620)であった。
「おーおーっ、しばらく見ねぇうちに随分と哀れな姿になっちまったもんだよなぁ。だが、でかくなろうがどうなろうが関係ねぇ。俺たちが、ぶっ潰す」
刀を担いだラファルへと抱きつこうとするのはクフィル C ユーティライネン(
jb4962)であった。
それをさらりとかわしてラファルが戦場に赴こうとするのをクフィルが声にする。
「ラーちゃん追っかけて3000里ー、お姉ちゃん、どこへでも行くでー」
「進化なんつーお題目でその姿になっちまったんだろうが、俺は容赦しねぇ。行くぜ、総員、攻撃開始だ!」
「あれ? ガン無視?」
駆け出したラファルとあけびが並走し、変化の術でクリムゾンレイの姿を借りていた雫も戦線に並び立つ。
「あの光線……予備動作は粒子の吸収かな。でも、ラルと私と」
「私の剣なら!」
「とっちめられるってもんだぜ!」
加速度を得た三人が火口へと飛び込んだ。
クリムゾンサーペントが口腔内にオレンジ色の光を凝縮している。
ラファルが身体偽装を解除し、戦闘用の義肢を射出した。
「六神分離合体! ゴッドラファル! 喰らい知りやがれ!」
六体の分離攻撃がクリムゾンサーペントへと突き刺さる。刃がその肉を削り、光線を放出しかけていた口腔内へと二体が飛び込んだ。
それ相応の能力を誇るラファルの分離体が光線の放射を遮断し、結果、膨大な熱量がクリムゾンサーペントの頭部を焼き切った。燻る黒煙が頭蓋から上がる。
「進化だなんて言っても所詮はディアボロだな。そんな無学なてめーらにこのラファル様が本当の進化ってもんを教育してやるぜ!」
火口の岩壁を蹴りつけ、三人が空間に残像すら刻みつつその剣を掲げる。
雫の大剣が急加速と共にクリムゾンサーペントの頭部を斬りつける。それに留まらず、あけびの軍刀が閃いた。
首筋を狙い澄ました攻撃が頚動脈を掻っ切る。
構築されたナノマシンの刃がラファルの手から放たれ、剣閃を次がせた。
その総数にして、十一の太刀筋。
剣術の極みに達した者たちが発するその剣は一撃のみでも通常の敵を圧倒する。
それが十一も重なった。
クリムゾンサーペントの頭部は細切れになっていた。
浮かび上がった弱点と思しき肉腫も切り裂かれており、スプリンクラーのように血飛沫を舞い上がらせる。
三人が岩壁を蹴りつけて火口からの脱出を果たす。
これでクリムゾンサーペントは完全に死したはずだ。そう、誰もが疑わなかったその時である。
切断面から緑色の粘液を引いて、新たなる頭部が出現した。
誰が予測できただろう。新たな頭部はまるで誕生の喜びを噛み締めるかのように甲高く鳴いた。
それだけで地面が鳴動する。
「何だ?」
うろたえる玲治に藤忠が薙刀を腰だめに構える。
「……浅かったのか? いやこれは……」
地表を埋め尽くしたのは灼熱の魔術式であった。
大地に赤い血潮が宿り、次の瞬間、放出されたのは熱伝導魔術である。
予見はされていた。
サーペントの頃から使っていた魔術は引き続き使用するであろうと。
だが、その規模は桁違いである。
山一つを巻き込んだ熱伝導魔術は巨大な火口の熱量を得て最大規模の粉塵爆発を引き起こした。
鳴動する山が地すべりを引き起こし、崩れ落ちていく。
火口が刺激されたせいか、炎が噴き出し、さながら地獄絵図のようにフィールドが塗り変わった。
クリムゾンサーペントが火口から姿を現す。
新たに誕生した頭部は三つ首であった。
全く新しい頭部が三つ。六つの眼窩が空間を睥睨する。
「……隠し玉って奴かよ」
苦々しく言い放った玲治は盾で迫り来る炎を防御していた。藤忠が額に滲んだ汗を拭う。
「これが進化の果て……無限進化だと言うのか」
クリムゾンサーペントの眼光が六人の撃退士たちを見据えた。その口腔内へとオレンジ色の粒子が続け様に吸収されていく。
――光線が来る。
予感した神経に離脱を叫ばせようとするが、灼熱地獄と化した地面からの即時離脱は難しかった。
今にも発射されそうになったその瞬間、射抜く速度の弓矢と蒼穹を衝く歌声がクリムゾンサーペントの頭部を叩き据えた。
ハッとした全員の視線の先に狙撃展開していた水無瀬 文歌(
jb7507)がマイク武装を片手に声を発する。
「これが進化と、呼べるのでしょうか……。私は違うと思います。これは、進化の意味を見失った、悲しい貴方に捧げる鎮魂歌です」
三つ首の一つが文歌へと光線を一射する。それを軽いステップで回避した文歌が新たなるステージを得た。
ここは地獄かもしれない。
だが、アイドルたる文歌からしてみれば、それはどこでも、自分が輝ける一番のステージである。
「アイドルですからっ、これくらいの動きはできますっ」
透き通る歌声がマイク魔具を通して拡張された。
歌声の中でクリムゾンサーペントの動きが鈍る。
その期を逃すほど、ここにいる者たちは弱くなかった。
「押し通すぞ! もう一度、奴を火口に叩き込む!」
「応よ!」
藤忠の張り上げた声と玲治の声が相乗し、白銀の槍と薙刀が交差する太刀筋を生み出した。
血の凝った紫色に変色した箇所を狙い澄まし、一撃ずつではあるが確実に後退させていく。
クリムゾンサーペントが三つ首を巡らせ二人へと攻撃を見舞おうとする。
その背後から首を刈る刃が閃いた。
「うちなー、ラーちゃんに悪いことする奴は許せへんねん」
二メートルを越す長大な刃がその長さに似合わず、緻密な動きを可能にした。クリムゾンサーペントの首が刈られ、さらにクフィルが印を結んだ。
「鳳凰召喚、っと。あんま嘗めんといてな。うちだってやる時はやるんやから」
召喚された鳳凰と共に砂塵が巻き起こった。
膨張した肉塊の動きが鈍った隙を突き、クフィルの刃が血の凝った箇所を切り裂いていく。
前方に集中しなければ確実に攻め落とされる中、後方からのクフィルの奇襲にクリムゾンサーペントはまるでついていけない。
ここに来てその有り余る巨躯が仇となった。
無限進化の極地にある肉体から毒の霧を放出しようとするが、それを阻んだのはラファルを始めとする三人であった。
「もう一回だ! 今度こそこいつをぶち落とすぞ!」
駆け出したあけびへと首が照準する。
それを阻んだのは藤忠の霊符であった。口腔内に放たれた霊符が光線を相殺させる。
「あまり時間をかけるのはお互いによくないらしい。……早く終わらせてやる」
霊符が呪術を帯びた。途端、肉塊が削げ落ち、腐った末端が異臭を放つ。
「姫叔父! その攻撃は……」
あけびの声が響く中、藤忠が印を結ぶ。
「たとえ、俺に返ってくるかもしれない攻撃でも……! 無限進化という地獄からお前を終わらせてやれるのなら本望だ」
腐り落ちた肉体に白銀の槍が突き刺さった。そのままの勢いを殺さず、玲治が吼える。
「穿てェッ!」
肉塊が一気に後退し、火口付近で新たなる節足を発現させ、辛うじて持ち堪えようとする。
その身体にダメ押しを与えたのはクフィルと文歌であった。
文歌の番えた矢が頭部の脆い目を射抜いたのと、クフィルの奇襲攻撃が咲いたのは同時。
「首もう一本、もーらい」
物干し竿の放った銀閃が舞い遊び、クリムゾンサーペントの首を刈る。
残ったのは最後の一本だけであった。
その一本の頭部が膨張し、頭蓋に複数の目を生成する。
全方位を見据えた目が照り輝き、最初に捉えた光景は眼前に迫った雫の剣であった。
叩く勢いで刃が頭部を打ち据える。
「アイドルはっ! みんなを幸せにするんですっ!」
拡張された歌声が誕生したばかりの眼球をそれぞれ刺激する。
「向坂っ!」
「ラスト、一撃!」
藤忠と玲治の連携攻撃が肉塊を打ち抜いた。浮き上がった肉塊の落下先は灼熱のマグマである。
クリムゾンサーペントの危機回避能力が全身に新たな進化を促す。
鉤爪のように触手が発生し、火口への自由落下をギリギリで回避させた。
だが、それは、視界に入った三人の撃退士からしてみれば、最後の好機を意味する。
「もういっぺん、十一連斬りかますぞ! 気合は残ってるな?」
「オーケーだよ、ラル! 終わらせないと、この進化は、悲しいだけだから」
「星の偉大さを忘れ、自らのエゴで冒涜した天魔よ。ここで潰えなさい」
雫の加速斬りが一閃を浴びせる。さらにあけびの影から幾つもの手裏剣が生み出され、クリムゾンサーペントの肉体を削りつつ、その刃が閃いた。
ラファルの手からナノマシンの凝縮体の刀が生成され、その身を火口へと躍らせる。
「この一閃にかける、それが」
「俺たちの!」
「勝利、です!」
首が細切れにされ、頭部を失ったクリムゾンサーペントが傾ぐ。
鉤爪の触手が外れ、火口へと真っ逆さまに落ちていった。
あらゆる生命体を吸収したその身体が惑星の抱く熱量に焼かれていく。
灼熱のマグマに沈み行く愚者を見下ろしながら、三人が火口から逃れた。
「情況、終了っ!」
緊張に晒されていた神経がようやく解け、全員が恐るべき敵との対峙に息をつく。
クフィルがラファルへと抱きついた。
「やったやん! ラーちゃん」
キスをしようとするクフィルをラファルは辟易しつつ首を逸らす。
「面倒かけやがって……。これが進化だって言うのなら、進化ってのは足掻きだな。それも、とてつもない悪足掻きだ」
「でもそれを繰り返すのが、生物なのかもしれないな。俺たちとてともすると足掻きの最中なのかもしれない。足掻く方向が違うだけで……。クリムゾンレイは、奴の進化に満足したのだろうか」
こぼした藤忠の声にあけびが首肯する。
「進化の末路がこれかぁ……。進化って、もっと希望に満ち溢れたものじゃないのかな。手段と目的を取り違えたら、私たちもこんな風になるのかな……」
這い登りかけた恐怖に玲治は言い放つ。
「なって堪るかよ。進化の真髄って奴がこれだとすれば、笑えねぇ冗談だ。歩むのみさ。明日に向けて、な」
踵を返した玲治に、雫はぽつりと呟いた。
「……時間をかけてゆっくりと進む進化でさえ、行き着くところは自滅なのに。天魔の対抗策として人類が得たのがアウルという進化だとすれば、それさえも自滅の道を辿っている。少しずつでも、確実に変わっていくことが、きっと正しいのでしょうね」
人の身では明日を目指すことしかできない。
だがその明日に希望を見出すこともまた、人にしかできない。
――それが進化だというのならば、進化とは……。
撃退士たちはただ、提示された結果に、歩みを止めないことでしか応じることはできなかった。