「進化の果て……まるで神様気取りですね」
吐き捨てた雫(
ja1894)は標的となる天魔、クリムゾンレイの牙城を視界に入れていた。
ディアマンを切り捨て、それでもなお進化にこだわる個体。どこまで本気なのか、と同行していた向坂 玲治(
ja6214)は口火を切った。
「同業者、ってほど親密でなかったにせよ、同じ悪魔を切るって奴だ。まともな精神だとは思えないよな」
「天魔に、まともな精神を期待するほうが無理な話です」
違いない、と玲治は笑おうとしたが、ここに集約された因縁を感じ取ってまともに笑えなかった。
進化というものに特別な感情を見出す悪魔。その悪魔の行く末は。
「因縁全部、ここに持ってきやがったんだ。俺たちが仕留めなくって誰がするんだって話だよな」
「可能性だけであの天魔は人という存在の物差しを計れるのだと思い込んでいる。私は、そうではないのだと言いたい。人は、可能性と計算だけで成り立っているわけではないのだと」
「そりゃ、その通りだ。計算だけで成り立っているのだとすれば、ここまでは来れなかったさ。案外、トカゲのままで止まっているのは向こうさんのほうかもな」
人間と天魔。
その可能性をかけた戦いは最終局面を迎えようとしていた。
不知火あけび(
jc1857)は軍刀に視線を落とし、ぎゅっと握り締めた。
「クリムゾンレイに関しての情報は与えられた通り。進化を追及する変わり者の天魔、というのが俺の感想だが、あけびはこれまでに奴の放った相手と戦ってきたのだろう? 何か感じるものはあったか?」
そう尋ねていたのは不知火藤忠(
jc2194)である。
あけびは面を上げて、そうだね、と言葉を継いだ。
「どうあっても、たとえ勝っても負けても、クリムゾンレイって天魔は可能性を見た、って満足するんだと思う。でもそれって、勝手だよ。進化って言うものを分かったつもりになっているだけの、神様気取りの小さな天魔。トカゲから進化していないのは、あっちのほうだと、私は思う」
「随分と手厳しいじゃないか」
雅に笑ってみせた藤忠にあけびは軍刀を掲げて口にする。
「そういう、勝手な思い込みを斬るために、私はここにいるんだと思う。傲慢とその先にあるだけの、自己満足。私は絶対に、クリムゾンレイに自己完結させるわけにはいかない。私たちに進化なんていう問答を吹っかけたこと、後悔させてやる」
「怖い怖い。だが、俺も思ったさ。クリムゾンレイとやらの書状を読んで、な。こいつは神を気取りたいだけの、ただの小さな天魔に過ぎない。進化も、可能性も、全ては人が信じるところより生じるもの。その側面を切り取って、自分の満足のいくようにデザインしようとしている。こいつは身勝手で、自分のことしか考えていない、下の下という評価でしかない天魔だとね」
「姫叔父だって厳しいじゃない」
「そうか? ……だがまぁ、俺は、かわいそうだとさえ思う」
「かわいそう?」
「予測の範囲内だけで行動するしかないディアボロに進化なんていうラベルを貼られて、それで可能性を見る。身勝手なのはクリムゾンレイもそうだが、学園もかもしれない。あんなものは進化でも何でもない。ただの争いの火種だ」
「そう、だね。姫叔父の言う通りかもしれない。戦いが進化だって言うのなら、それは多分、悲しいだけだろうから」
戦うためだけにここに来た。
サーペントの意識は既にその一点に注がれている。ゲートの守りを与ったのも、主、クリムゾンレイの意志をこの現世に伝えるためだ。
「進化こそが幸福。人間も天魔も、そのためだけにこの場所までやってきた。ならば、主の言葉通りに、我は戦おう。それこそが、真の幸福へと続く道標ならば」
「――残念ながら、そんな道標はたとえ案内役がいたって御免だな」
不意に割って入った声音にサーペントが構えた途端、降り立ったのは爆撃のような槍の一撃であった。
地面に巨大な陥没痕が出現し、使役するディアボロたちが当惑する。
粉塵を引き裂いて出現した雫がリザードマンへと襲いかかった。
「撃退士……!」
振り払おうとしたサーペントへと白銀の槍が放たれる。
レイピアで受け止めた槍の穂が揺らいだ。
「よう、トカゲ野郎。お前らの進化とやら、拝ましてもらいに来たぜ。言っておくが速攻でカタをつける。今までの戦闘を分かってんのなら、進化ってのはとんでもなく厄介だからよ」
「やらせると、思っているのか? 貴様らが主に刃が届くなど……」
義手から熱伝導の神経を這わせようとするサーペントへと横合いから薙刀の刃が閃く。
習い性でかわしたサーペントが後退するが、藤忠の操る薙刀の機動力が遥かに高い。
レイピアの射程を熟知し切った藤忠の薙刀術はサーペントに接近を許さなかった。
「この距離では……」
「やり辛いこと、この上ないだろう? そして、この期を逃す俺たちではない」
雫が引き剥がしたリザードマンが炎の槍を突き出そうとする。
その背後に回っていたのはあけびであった。
「速攻で片づけちゃおう。進化って言うの、させないから」
「ええ、同意です」
挟み撃ちの状態に陥ったリザードマンへと二つの刃が閃く。
手にした槍を断ち切り、もう一閃が首を裂いた。
刈られたリザードマンが傾ぐと、もう一体が血に酔ったように吼える。
「血のにおいに敏感だから、一体を片付けたらすぐにもう一体に寄らないと。進化で時間稼ぎされちゃう」
「ですが、その心配もなさそうです。向かってくる相手の動きを注視してみてください」
あけびがその場に佇んでリザードマンを見やると、明らかに攻撃姿勢に入っているにもかかわらず、相手はなかなか前に出ようとしない。
「……怪しいね」
「見え見えの罠です。進化したと言うのならば罠の体得くらいは用心すべきでしょう」
「じゃあ、逆にかけちゃおうか。サポートお願い」
「了解です」
雫が駆け抜け、リザードマンへと接近する。明らかにこちらの誘導を狙ったリザードマンの立ち振る舞いに、雫は手を払った。
黒の逆十字が構築され、リザードマンに重力をかけていく。
動きの鈍ったリザードマンへと雫が脚部に力を込めた。大剣を掲げ、咆哮と共に投擲する。
さすがに投げるのは意想外だったのか、刀身が盾の防御を貫通し本体へと通った。
リザードマンが膝を折り、その眼前に炎の魔術による空間を噛み砕くような罠が発生した。
「自分への被ダメージを予見した罠かぁ。確かに原始人みたいな頭脳じゃないよね」
回り込んだあけびへとリザードマンが振り返り様の攻撃を見舞おうとして、その手首から先を引き裂かれた。
あけびが双刃を携え、リザードマンの首を切りさばく。
血の海に沈んだリザードマンをあけびは見やり藤忠に口笛で撃破の報を飛ばす。
「ご自慢のディアボロはどうやらもう使い物にはならないようだな」
藤忠のちまちました攻撃と連携して玲治の大振りの槍がサーペントを引き剥がす。
サーペントが攻撃網を張ろうとすると、透明な盾がことごとく弾くのだ。
「ちょこざいな、撃退士」
「そりゃこっちの台詞だ、トカゲ頭。とっととやられちゃくれねぇかねぇ。本丸に行くまでに体力温存しておきたいんだよ」
「何の……貴様らなど主に通すわけがない!」
サーペントが義手を地面につけて熱伝導を構築した。小石、砂塵に至るまで熱が宿り、粉塵爆発を発生させようとする。
それを遮ったのは藤忠の踏み込みであった。薙刀の刃がサーペントの首にかかろうとする。
当然、サーペントはそれを弾き返そうとした。だが、その途端、星をあしらえたアウルの刃が肩口へと突き刺さる。
粉塵爆発の勢いが失せ、抜刀・星乱を携えた藤忠が肉薄していた。
「仙也から譲り受けた俺の抜刀とあけびの軍刀の切れ味はいいぞ? とくと味わえ」
星乱の刀身がサーペントの義手の継ぎ目へと至った。サーペントはおっとり刀でレイピアを構え直す。
「やらせはせん! やらせるわけには……!」
「悪いけれどっ、もうここまで来てるんだから」
背後から振りかけられた声に反応する前に、あけびの軍刀が心臓を射抜いた。
サーペントは激しくかっ血する。
「僅かに逸れたか。だが戦闘続行は絶望的だろう」
「姫叔父も、玲治さんも、疲労は」
「ああ、許容範囲内だ。そっちは?」
「私と不知火さんは大丈夫です。少し回復すればすぐにでも」
「――ああ、行こう」
撃退士たちの視線の先にはゲートが大口を開けて存在感を放っていた。
「来たか」
玉座より重い腰を上げたクリムゾンレイの視線の先には、前衛、後衛の陣を敷いた撃退士四名の姿がある。
クリムゾンレイはフッと口元を綻ばせた。
「ここまで来たということは、進化は、そちらを選んだ、ということか」
高圧的な声音にあけびが言い返す。
「神様気取りのつもり? あなたがどれほど進化とやらにこだわって、私たちを道具としてしか見ていなくても、私は違うと言い続ける。あなたの自己満足の進化なんて、この世には存在しない」
「同じく。人の可能性を小さな尺度に落とし込んだ天魔の所業、俺個人の意見を述べるのならば――許すまじ、と判ずる。とは言え、これもまた、人の判断に過ぎないがな」
藤忠が石化させたサーペントを投げ捨てる。満身創痍の部下は吐息と共に口にしていた。
「主……申し訳の言葉も立ちません」
「いや、よい、サーペント。そこで座して見ていろ。何せ、跪き、座しているほうが、わたしの攻撃からは逃れやすいのだからな」
鎧が生きているかのように砲撃の口を撃退士に一斉に向けた。
銃剣を携えたクリムゾンレイが己を鼓舞する。
「さぁ、進化を見せてくれ。わたしとお前たち、どちらが進化の可能性に選ばれたのか。可能性は無限だ。無限の輝きの果てをわたしは知りたい」
一斉掃射の魔術砲撃が撃退士たちへと襲いかかった。
だがその砲撃網より速く、雫と玲治が駆け抜ける。
「その速度、魔術の加護を借りたか。だがわたしと打ち合えるか?」
「やってみせます!」
氷の魔術が逆巻く中で雫とクリムゾンレイが鍔迫り合いを繰り広げる。
玲治が横合いから槍の穂を突き上げた。
「まずは一発!」
玲治の方向へとクリムゾンレイは一顧だにしない。その代わり、砲塔が照準した。
ハッとした玲治が後退した途端、長距離砲撃が空間を引き裂いた。
「あの鎧、生きてんのか……?」
「いや、死角を自動照準するようにできているだけの単純な代物だ。だがこの程度でも、苦戦するか? 撃退士よ」
「冗談!」
弾き合った雫とクリムゾンレイがそれぞれ飛び退る。
クリムゾンレイへと猪突するが如く接近したのはあけびであった。
白銀の攻撃網が軍刀の残像さえも空間に刻み込み、クリムゾンレイへと叩き込まれる。
「殺すつもり、というのは大いに伝わった。だが、足りないな、人の子よ」
哄笑を上げたクリムゾンレイの剣があけびへと突き刺さった。
確実に取った、とクリムゾンレイが認識した途端、その姿が影のように消えていく。
「俺の張っておいた円卓の騎士、それに加えてあけびそのものの決死の打ち込み……充分だ。これで随分と戦いやすくなった」
玲治の声音が背後から聞こえてきたのを関知してクリムゾンレイが砲撃を叩き込もうとする。
だが、その時には雫の打っておいた布石が機能していた。
氷の魔術が完遂され、砲口を塞いでいく。
目詰まりを起こした砲撃の鎧が熱暴走した。瞬く間に灼熱に染まっていく鎧の温度にクリムゾンレイ自身が耐えられない。
舌打ち混じりに鎧の機能の一部を廃棄した時には、眼前に二人の撃退士が連携を取っていた。
「姫叔父、今だよ!」
「ああ、進化の天魔よ。俺の妹分と友人が随分と世話になったようだな。人の可能性を測る器がお前にはない。あまり強い言葉は吐きたくないんだが――トカゲ風情が、調子に乗るなよ?」
星乱の刃と軍刀の刃が重なり合い、クリムゾンレイの鎧の一点へと注がれた。
狙うは氷の魔術で弱り、熱暴走で脆くなった鎧の機関部。
その部位へと正確無比に放たれた二刃が鎧の機能を完全に停止させた。
蒸気を棚引かせ鎧が砲塔をくねらせる。既にクリムゾンレイの制御からは離れたようであった。
さらにダメ押しのように幻想の蛇が絡みつく。その牙がかかった途端、クリムゾンレイの意識が混濁した。
「毒、か……こんな小手先で……」
「小手先、かな? 進化というのは小手先も上手くなるものだ。それを理解していないお前に、進化は語れない」
藤忠が指を鳴らすと、一旦全員が寄り集まった。脚部に風神の加護を受け、最後の一撃のために姿勢を沈み込ませる。
「行くぞ、皆の衆。進化をうそぶく天魔に鉄槌を下す」
「俺の一撃と!」
奔った白銀の槍がまずクリムゾンレイの鎧を引っぺがした。機関部より剥がれた鎧は身体と密着していたのか、皮膚が爛れ、血が迸る。
「私の剣と!」
雫の払った大剣がクリムゾンレイの銃剣へと叩き込まれた。大きく仰け反った形のクリムゾンレイへと、最後の二人が呼吸を合わせる。
「行くぞ、あけび!」
「進化しないと、倒しちゃうよ?」
星乱の刃がクリムゾンレイの身体を貫通し、さらに咲いた軍刀の一閃がクリムゾンレイの頚動脈を掻っ切っていた。
あけびが鞘に収めた瞬間、クリムゾンレイが倒れ伏す。
「進化を語った報いだ。神様のように気取れる奴なんて、一人だっていないのさ」
玲治がコアへと照準する。
最早、クリムゾンレイに反撃の手段はないかに思われていた。
「そう、か。わたしはここまでか。だが、これも可能性、の一つ。進化は、わたしの代では終わらない」
「おいおい、まさかまだ仲間がいる、なんて言わないだろうな?」
「わたしに仲間は非ず。いるのは志を共にした同朋のみ。サーペント! 聞こえているな?」
石化したサーペントへとクリムゾンレイが声を飛ばす。その意味を誰も理解できていなかった。
「何を――」
「わたしを継げ」
クリムゾンレイの手が地面を伝い、熱神経がサーペントへと至る。
まさか、と全員が息を呑んだ途端、石化が解除され、サーペントが咆哮した。獣の雄叫びである。
「何をしやがった……」
「サーペントに与えた。わたしの頭脳と進化の叡智を。奴は無限に進化する。行け、進化のいや果てへ」
サーペントの背筋が割れ、粘液を引いて翼が出現する。
あけびと藤忠が攻撃を叩き込もうとしたが、それを寸前で回避し、サーペントは飛翔していた。
ゲートから飛び立ったその後姿を、全員が硬直して目にしていた。
「クリムゾンレイは……」
コアを破壊するまでもなく、進化を語った悪魔は事切れていた。まさしく全てを捧げたのだろう。
進化の体現者は遥か西方、灼熱の日が落ちる山々へと消えていく。
「つわものどもが、夢の後、か」
ゲートの跡地を見やり、玲治が呟く。
だが、まだ終わっていない。
最後の業が残っていた。