「ったくよー、妙なディアボロもいたもんだよな」
文句を漏らしつつラファル A ユーティライネン(
jb4620)は周辺を散策していた。怪奇譚は一箇所のみで他に目撃例がないかを下調べしていたのである。
追従する雫(
ja1894)が顎に手を添える。
「こちらの動きを模倣するディアボロ……まさしく影、ですよね」
「そんでもってすげー速さで追いかけてくるんだろ? ホラーだよ、ホラー」
ラファルの言葉に宿ったのはどこかしら冗談めかした響きである。ペンギン帽をピンと弾き、現場を検分する。
「裏路地、って言っても、さほど他と違うところもなし、ですね」
「迷い込んじまうのかねぇ。まぁ、それも今日までのつもりでやろうぜ。封鎖線を一応張っておいて、酒飲みが入ってこないようにする。そっから先は、俺たちのターンと洒落込む」
手を払ったラファルに雫はぎゅっと拳を握り締めた。
「絶対に、犠牲者の死を無駄にはしない」
「ここからならよく見える」
軒並み背丈の揃った家屋の中でまだ高いほうのマンションから見下ろした佐藤 としお(
ja2489)は双眼鏡片手にそう呟いた。
あまり本調子ではないが、狙撃程度ならば支援が可能である。
「囮役が影を引き付け、待ち伏せ役が一気にカタをつける、か。分かりやすくていい」
そうこぼしたのはファーフナー(
jb7826)である。としおと同じく双眼鏡で現地を確認していた。
「でも、分からないのは影に没したらそのまま質量も関係なく潰されてしまうってことなんですよね。影型が人を食った、と解釈しても?」
「それは一面ではそうだろうが、影型は所詮、ディアボロ。その形状さえも、影という性質も、それは天魔のもたらした災厄に過ぎない。影が人を食う、という事象のみを切り取って考えるべきではないだろうな」
つまり影型を普通の影だとか、そういう風に捉えるのは危険だということだ。
としおは双眼鏡を構え直し嘆息を漏らす。
「射程はきっちり捉えている。射線上にも問題はない。問題があるとすれば、影型の追跡がどこまで素早いか、かな」
「追跡速度は一度ロックオンすればその対象を真似るという。二人の囮役が用意されているとのことだったが、その場合どちらをロックオンするのか。いや、最悪の場合を想定しておくべきであろうな」
「最悪って言うと、二人ともロックオンされて、追跡速度に変わりはない、と?」
ファーフナーは双眼鏡から視線を外し、首肯する。
「そのために俺たちがいるわけだ。囮と待ち伏せだけではどうしようもない隔たりがある。それを埋めるのが」
「僕らの役目、というわけか」
言葉尻を引き継いだとしおがスナイパーライフルを構える。
その照準を覗き込んだ彼は確信めいて声にする。
「追ってくる影……ホラーだけれど、大丈夫。僕らのほうが、強い」
「とんだ影法師もいたもんだ。さて、シャイな連中を引きずり出してやるか」
向坂 玲治(
ja6214)の言葉に応じたのはローニア レグルス(
jc1480)だった。
「どこまでも追跡してくる、という怪異か。恐ろしく万能そうでありながら、その走行距離は五十メートル。この裏路地はさしずめ、奴らの巣だな」
「巣の中でぶちかましてやろうじゃないか。そうでないと、連中、どこまでも追ってくるんだろ?」
玲治は現場の壁をさする。僅かに残る血のシミが、この場で巻き起こった惨劇を物語っている。
それでも、目を凝らさなければ見えないほどの血痕だ。
この影法師たちは相当用意周到だな、と感じ取る。
「こいつら、恐ろしく静けさを演出しながらも、きっちり獲物は食っている、というわけか」
「静寂はある一面では恐怖に変わる。喧しくないのは助かることもあるが、今回の敵の場合、静かに人を屠る影の怪物」
「どこの国にだってありそうな怪異だが、それも今日までだ。ありきたりな怪談は終わりにしようぜ」
「影、模倣、か。子供や赤ん坊が時に、自分の影を怖がって泣くこともあるという。それは自らに最も近い存在が、自らを模倣し、それでいて離れられないという呪縛の中にあるからかもしれない」
「影に怯えていたんじゃ、人間、何にもできないさ。俺は影に怯えない明日を作りたい。それだけだよ」
独りごちた玲治の背中を見送りつつ、ローニアは壁をさすった。
「恐怖が狂気に変わる前に。影を討つ」
標的は見定まっていた。
影型三体が宵闇の中で浮かび上がり、裏路地に入ってきた無様な獲物を捉える。
一人は少女、一人は携帯端末をいじる青年。
どちらも追跡可能範囲に入った瞬間、影型が屹立した。
少女が胡乱そうにこちらを見やる。
その動作を真似てやってから、影型が攻撃に入ろうとした。
青年はわけが分からないのか、こちらに声さえもかけてくる。
「アノ、スイマセン、ココは……」
その首筋を掻っ切ろうとして、青年が尻餅をついた。
運のいい奴め。
そう感じつつ影型が尻餅さえも模倣する。
少女が不意に逃げ出した。
好機だと思ったのだろう。
影型三体が追跡に入る。
しかし少女にはどうしても追いつけない。あまりに速度に速度調整機能が誤作動を起こした。
何故、こんなにも速く――。
そう感じた影型の不意を突くように、先ほどの青年が割って入った。
「その程度の速度か? 女子供にも追いつけないとはな」
何かの悪い冗談のように、青年が影型を追跡する。
青年――ローニアは片手を繰った。
逆十字架の重力が中空に形成される。
少女――雫はその攻撃網の形成を見やり、さらなる速度に身を浸した。
「私が普通に走るよりは速いようですが、縮地の速度変更に追いつけていないようですね。所詮はその程度の模倣能力、と言ったところでしょうか」
地を蹴りつけて雫が五十メートルを走り切る。
攻撃範囲外に出た雫を追いかけようと影型が手を伸ばした瞬間、ローニアの放った重力がその身体を押し潰した。
「さて、ダークハンド。影が影に縫いとめられる感触はどうだ?」
玲治と雫が同時に影の拳を形成し、影型を完全に束縛していた。
爪と手を伸ばして必死に逃れようとする影型の頭部に弾丸がめり込む。
それは狙撃地点にいるとしおの放った正確無比の攻撃であった。
「うっひゃー……暗いし怖いなー。囮は大変そうだけれど、僕にできることを最善でっ!」
再び発射された弾丸が影型を射抜く。
影型は怨嗟の声を撒き散らした。
その声音を聞きつけて、空中から展開したのはファーフナーである。
飛翔し、両手に銃を保持する。
「影と言っても銃弾は通用する、さらに言えば影が影に捉えられることもある、か。エセ怪異の影にはご退場を願おうか」
銃撃と共に見舞われたのは炎の塊である。
影型の中央から発火し、三体を照らし出した。
白日に照らされると影型の形状が克明となる。
影型は足元で繋がっており、その部位が波打つように基点となっていた。
「恐らくあれが、奴らを分けるところだろうな。弱点と、言い換えてもいいかもしれない」
玲治は太刀を突き出し、そのまま影型の接合点に向けて渾身の一撃を放った。
切断された影型が裏通りから分断されて落下する。
五十メートルの楔から逃れた影型は這い回るだけで、あまりに脆弱であった。
その影型へとぬっと歩み寄ったのはラファルである。
「舐めた真似してくれるじゃねーか。影は大人しく、地面にへばりついてりゃいいんだよ」
影型が爪を立てて攻撃に転じようとする。
それを弾いたのはラファルの偽装解除であった。鋼鉄の武器庫が次々と展開されていき、影型を遥かに上回る質量と化す。
「俺たちに会ったのが運のツキだったな。鋼鉄を馳走してやるぜ! 遠慮するなよ。たっぷり食らいな!」
ラファルの足元から引き出されたのは大型の車輪武器である。
高速回転したそれが滑走し、瞬時に影型の背後を突いた。
「ライジングホイール起動! さらに、だぜ、影の怪異よぉ! 超絶速度様児戯非最恐怖片鱗舌鼓打剣技!」
早口で紡がれた技の名前と共に、影型が発生した衝撃波で壁に追い込まれた。
それだけでも既に影型は満身創痍だ。
ボロボロのその身体へと、ラファルの形成した刃が突き刺さる。
壁に相手を固定したまま、摩り下ろすように接触させた刃で影型を削ぎとって行く。
遂には内側に注ぎ込まれたナノマシンの作用によって相手は内側から破裂した。
「てめぇが今まで食っていた連中と同じように、影も形も残さねぇ」
一体撃破の報にローニアと雫はもう一体への各個撃破を目指していた。
雫が影型の背後に回り込み、剣を突き上げる。
フラッシュライトを点灯させたローニアが影型の爪を軽やかに回避しつつ、炎を叩き込んだ。
燃焼する影型の弱い部位が露出する。
「雫!」
玲治の声と呼応して雫が剣を大きく引いて攻撃を見舞おうとする。
即座に返ってきた爪を空中で止めたのはファーフナーの鞭であった。
「悪いが、反撃というのは貴様らには全く不可能だ」
弱点部位を玲治の太刀と雫の剣が同時に切り落とした。
分断された影型へとラファルが視線を向ける。
――否。それは「死線」でもある。
ラファルの目に浮かび上がったのはこの世ならざるウロボロスの文様。
「てめぇらに使ってやるのはもったいないほどだがな。幻視しろ! 俺たちの動きは追えねぇよ。てめぇらじゃ、な」
動きの鈍った相手の後頭部を雫が足蹴にした。
「こうも無力化されると、形無し、という奴ですね。影の怪異、ここで滅びろ!」
首を刎ね飛ばした剣の一閃。
影型が沈黙し、倒れ伏した。
二体目の撃破。最後の一体はあろうことか、五十メートルの裏路地を逆走しようとする。
それを目にした玲治が、おいおい、と声にする。
「追いかけるのがお前らの専売特許だろ? 逃げる、って選択肢はないんだぜ」
ローニア、玲治がその背後に追いすがる。
「だがまぁ、後悔しながら死んでもらうのには適している。向坂」
「分かってるよ。こいつには懺悔して終わってもらうぜ!」
回り込んだ玲治が太刀を振り翳し、その腹腔へと一閃を叩き込んだ。
だがわざと刃を返した峰打ちである。
吹き飛んだ影型にファーフナーの銃撃が入り、その鳩尾へとローニアのパイルバンカーが突き刺さった。
影型が宙を舞い、裏路地から追い出される。
落下地点に待ち構えているのは刃を形成したラファルである。
「来な。ラファルさんがとどめをさしてやんよ」
影型は覚悟を決めたように振り返り、ラファルの剣術を真似ようとする。
それを遮ったのは地を蹴った雫であった。
刀身に相手の爪を映し返し、模倣を防ぐ。
「一人ならば、どうにかできたかもしれませんね。でも私たちは、一人で戦っているわけじゃないんです」
刀身が影型の背部へと回り込み、その背筋を叩いた。
影型は吸い込まれるように、ラファルの刃にかかる。
流し込まれたナノマシンが影型を膨張させる。
「壁のシミに、なりやがれっ!」
振るったその一閃に併せて内側から粉砕した影型が裏路地にぶちまけられる。
玲治が太刀を仕舞って声にした。
「情況終了!」
影の怪異の被害者への弔い酒を、ファーフナーが用意していた。
「酒飲み共だ。線香や花よりもこっちのほうが似合うだろう」
裏路地に撒かれた弔い酒に雫が手を合わせる。
「悲しいですね……。生きていた証拠も残らないなんて」
「誰かの胸で生きている、と言えれば楽だが、実際にはそうではない。被害者の家族は一生探し続けることだろう。ある意味では、死んだ、と伝えられるよりも惨い」
としおは屋上から取って返し、ラーメンを求めて先に帰っていたらしい。玲治が報告を受けていた。
「不良品を壊すのは初めてではないからな。自らの影を、俺も葬ってきた」
「どういうことだ? それ」
尋ねた玲治にローニアは言いやる。
「九十九人の同型機……いわゆる兄弟機を潰してきてな。自分の影を破壊するのには慣れっこだ」
嘘か真かは分からないが、ローニアの無表情からはどちらも読み取れなかった。
「俺は退散するぜ。湿っぽいのは性に合わねぇ」
ラファルが口笛混じりに歩き出す。
夜道は危険、と玲治は声をかけようとして、その危険な連中を自分たちは倒したのだと思い知る。
「ある意味、俺たちに夜道は気をつけろってのは間違いか」
「野暮、とも言うな」
ローニアの言葉に同調して玲治は踏み出した。
影の怪異は消え去り、今日からは少しばかり、影に怯えずに済みそうだ。