「……この地形図と、我々の持つ技術があれば、迷う事は無い。仮に迷ったとしても、私には飛行能力がある。だから、職員が同行する必要もない」
アルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)、黒髪と黒のコート、それらと対照的な白き肌を持つ美少女が、センター職員たちを説得していた。
「言葉は悪いが、足手まといになるのは目に見えている。ゆえに、我々のみで行動するようにはできないか?」
「……仰る事はもっともです。私たちも、職員を危険に巻き込むのは本意ではありません。ですが……」と、センター長はそれに反論を述べる。
「お言葉ですが……ただ単に、現場に案内するためだけではなく……現場に赴き、『普段』とは異なる様子・様相をお知らせする事も、必要ではないでしょうか?」
「まあ、実際に場所を熟知している人間と一緒に行くのとそうでないのとでは、確かに違うモンだからねえ」アサニエル(
jb5431)が、センター長の言葉にうなずく。
「自分も、怖くないわけじゃあありません。ですが……かつては戦場カメラマンとして、戦いの場に身を置いた者として、あえてお願いします。案内するために、同行の許可をください」
近江の言葉に、アルドラはうなずき返答した。
「……了解した。止めはしない」
命知らずとしか言えんが……と、静かな呟きを付け加えて。
場所は、湿地帯から離れ、山の尾根に続く舗装道路の途中。そこには、森の中に向かう小さな獣道の入り口があった。
都会のそれに比べると、やはり木々の生える「勢い」が違う。木々の「活きがいい」とでもいうべきか。
「……じゃ、確認するよ」アサニエルが、一行を前に言う。
「佐野 七海(
ja2637)と水無月 ヒロ(
jb5185)、アルドラの三人が、近江さんと一緒に、囮として先行。その後ろから、あたしと円城寺 了(
jc0062)とが、距離を置いて一緒に行動。しんがりに、西條 弥彦(
jb9624)」
そう言って、地図を見直す。
「で、『影』を見つけた場所にたどり着いたら、アルドラは『ハイドアンドシーク』で影の中に紛れて潜行。囮の皆はそのまま歩き回り、その何者かをおびき出す。そいつが現れたら、近江さんは下がってもらい、全員で叩く……と」
「……それにしても」アサニエルに続き、了……知性を感じさせる、黒髪の女性が、やれやれとばかりにかぶりを振りつぶやいた。
「その『影』とやらの情報が少なすぎるのが、いささか厄介ですね」
「まさに……雲をつかむような話だな」彼女とともに、考え込むは弥彦。
「その……動物の死体ですが」淡々とした口調で、弥彦は同行することになった近江へと問いかける。
「発見された動物は、先刻に報告を受けたもので間違いないですね?」
「ええ、それで間違いありません。キタキツネ12体、エゾシカ5体、エゾリス十数体、クマ1体。他に、絶滅危惧種のタンチョウも5羽が犠牲になってるのをセンターにて確認済みです」
言いつつ、近江は森へと視線を向ける。彼は職員ではないものの、この界隈をよく歩き回り、職員と同程度に地理には詳しかったため、今回同行することになったのだ。
「今のところ、森の様子は変わり無いですね。今日は天気もいいし、動物たちの様子も穏やかだ」
森をざっと見た近江は、そう皆へと告げる。
「そ、そうですか? なんだか暗くて怖いんですけど……」
森の奥を覗き込んだヒロの言葉に、近江は背中をぽんっと叩く事でそれに答えた。
「暗いのが怖いかな? 大丈夫、あれはただの影だよ」
そう言われても、未知の森林へと足を踏み入れる事に躊躇している様子のヒロだった。
七海……盲目の美少女は、近江に手を握られていた。
「七海ちゃん……だね? よろしくお願いするよ」
「……えと、今日は、よろしく、お願いします……」
声をかけられ、消え入るような声で返答する七海。
白い杖を突きつつ、近江とともに歩きはじめると、ヒロとアルドラの足音がそれに続く。
「お、お化けなんてないさ〜、お化けなんてうっそさ〜」
この調子っ外れな歌声は、ヒロのもの。怖さを和らげるためにわざと声を出してる様子であったが、
「ああ、ごめん。静かにしてくれないかな? それだと、周りに何かがいても聞こえないからね」
と、近江に言われて意気消沈するヒロの様子が、七海にもなんとなく伝わってくる。
それを聞いて呆れたかのように、アルドラの溜息もまた聞こえた。
「……でも……」
近江ではないが、確かに森の中からの「音」を、七海は聞き取り、感じ取った
小動物たちが生きて、走り回る時の「音」。風が、木々の葉の間を吹きそよぐ時の「音」。
そして、それ以上に「匂い」も。草木の匂い、土、腐葉土の匂い、苔の匂いに湿地特有の匂い。
ここにも多種多様な「音」や「匂い」が存在する。……いや、自然の醸し出すそれらは、ある意味とても「清々しい」。
頬に当たるそよ風も、その清々しさをより高めてくれるかのよう。
近江が自然の中を歩き、その写真を撮る理由が、七海にはなんとなく理解できたような気がした。
少し距離を取って、アサニエルたちがその後に続く。
少しでも違和感を覚えたら、アサニエルは『生命探知』にて探りを入れるつもりだが、今のところその必要はなかった。
……違和感どころか、清々しさすら覚える。まるで大きな生命の息吹の中に入り込んで、安らぎに包まれているかのよう。木々の緑色も目に優しく、大自然の美しい一面が視覚いっぱいに入り込んでくる。
了が、アサニエルに続き歩を進める。一番後ろが弥彦。
ちらりとアサニエルが後ろを見ると、了もまた目前の自然に魅了されている様子だった。弥彦も、警戒を怠らずに周囲に目を向けているが……それとともに、草木の広がる様には目を奪われているのが見て取れる。
そして、しばらく歩き……。
現場に到着した。
「あそこに、『影』とやらが?」
「ええ。ちょうどあの木の側に立っていました」
弥彦は近江からの答えを聞き、そして頭の中で今一度確認し、考えていた。
地図上で、近江が影の写真を撮った場所……今立っているこの場所から、戸尾雪が発見された『トラックの運転手が影を目撃した場所』との距離を比べてみると、それほど離れているわけではない。
『影』はおそらく、近くに寄った動物を無差別に襲い……殺しているのだろう。
「……今のところは、この周辺には何も変わったところは無いみたいだね」
アサニエルの言葉に、弥彦もうなずく。
「それで? これからどうする?」
アルドラが問う。
「このまま、適当にこの辺りを歩き回るしかないだろうね。とりあえずは……もう少し奥の方へと歩いてみようじゃないか」
問いに、アサニエルが答えた。少しの休憩の後、一行は再び歩き出した。
緑の迷宮……森林や原生林をそのように形容する一文を、アルドラは思い出していた。
確かに、周囲は同じような景色。時折地図を見直し、現在地の確認をするも、なかなか「慣れ」ない。自分たちの現在地が、正確に地図のどこの位置なのか。それを把握するのをこうやって実行してみると、考えているより大変だと実感していた。
加えて、今は潜行のスキルを使っている。目撃地から『ハイドアンドシーク』で潜行しつつ、囮のヒロ、七海、近江に付いていくが……。今のところ、異常はない。
森に入り込んで、どのくらい経過しただろうか。
日が傾きかけ、木々に長い影が出始めたころ。
『それ』を、彼らは発見した。
『それ』は、かつては大きくたくましい存在。爪は鋭く、牙とともに多くの命を奪い、血肉をすすっただろう。
しかし今は、静かに宙に向けられているのみ。
「…………」
『それ』……死体となったクマに対し、了はひざまずいて手を合わせた。
「……例の『影』の仕業?」アサニエルが問う。
「おそらく。私やセンターの職員が見つけたのと、同じ状態です」
近江の答えを聞いて、アサニエルはクマの死体に、続き周囲に視線を向けた。
先刻より、のどかな空気が変わらず漂っている。
しかし。
「……何かが、近づいてきます!」
七海の言葉に、全員が緊張した。
撃退士たちは即座に動き、円形になってクマの死体とともにいる近江を囲んだ。
やがて、獣道の先、やってきた方角と反対の、これから向かおうとしている方向から……何か動くものが迫ってきた。それもかなりの速さで。
身構えた撃退士は、そいつを迎撃せんとにらみつけ……藪からいきなり飛び出した「そいつ」を見据えた。
「!……こいつはっ!?」
そいつも、死体のクマ同様に鋭い爪と牙を持つ者。
野生の狩人ともいえるそいつは、撃退士たちを見てきょとんと首を傾げた。
「……な、なあんだ。キツネさんかあ」
ヒロの安堵とともに、皆は胸をなでおろしたが。
「ぁ……動物?……違う! 別の『何か』が、居ます!」
七海の叫びとともに、キタキツネの背後に『それ』が。
黒い人影。言われなければ気づかない程度に、存在感が無い。
だが、「認識」してしまった今。不意にそこから……ものすごい「害意」が漂い来るのを感じ取った。
「『あれ』です! 『あれ』が、私が見た『影』です!」
近江の叫びが、森の中に響く。
それを聞いた撃退士……弥彦はすぐに行動に移った。
携えていたリボルバーを『影』に向け、引き金を引いたのだ。
『!?』
『影』の右肩に、弾丸は命中した。しかし、そいつは全く動じる事無く……。
木の「影」に溶け込んだ。
リボルバーの銃声に驚いたキツネは、何事かとあちこちに視線を向けている。
が、次の瞬間。キツネの、撃退士全員の予想もつかない事態が発生した。
全員の視覚が、奪われたのだ。
否、不自然にして奇妙な『暗闇』が、いきなりその場に発生したのだ。
「くっ……動物に気を取られるとは、不覚!」
アサニエルが歯噛みする。そしてすぐに、キツネの悲痛な断末魔の鳴き声が。
間違いない、『影』だ! それに気づき、アサニエルの心は冷静なそれに。
「な、何が! 敵はどこにっ!?」
ヒロは、パニくるとともに白と黒の光芒……『ケイオスドレスト』に己の身を包んだ。
すでに『ハイドアンドシーク』にて闇の中に潜行しているアルドラは、影の中、漆黒の中を動き回る。
「……奴は、まだ離れている……だが、どこに……?」
間違いない、これは『影』の仕業。しかしまさか、このような手を用いるとは。
「うわああっ!」
ヒロの声が響いた。彼が地面に転がされる音が響く。
「こ、これはいったい!」
さすがに近江も、この状況には驚きと恐怖とを隠し切れない。
「静かに! ……佐野さん、6時の方向!」
が、弥彦の声が、暗闇に響き……彼の声を聴いた七海が、近江の手を引きその場から逃れた。
「……はい、敵の位置……後ろです!」
見えない敵の位置を、その感覚で感じ取った七海。
「任せろ!」
その声を聞き、黒をまとい影に入り込んだ悪魔が、『アブラメリンの書』を取り出し、それを掲げた。
アルドラの魔法書から顕現した、鮮血色の捻れ槍。それらは暗闇の中、光なき空間を切り裂き飛ぶ。
刺突音が響き、アルドラは手ごたえを実感した。
「……まだ動いている……今は離れていく? いや……」
弥彦は、敵に撃ち込んだマーキングの効果が続いてくれるようにと願った。敵は離れていく。それは感じ取れる。
しかし、そいつの気配は離れていく感がしない。どういう事だ?
「……気を付けて! 円城寺さん、襲ってきます!」
七海の言葉に、了が己の武器……黒い投信の片刃の直刀「夜刀神」の柄を握り、鞘を払う。
「……はっ!」
暗闇を、斬撃が薙ぎ払う。確かな手ごたえが、剣を通して了の手に伝わってきた。
それとともに、何かがのたうち回る音が。
次第に暗闇が晴れていくと……漆黒の『そいつ』が、地面をのたうち回っていた。
一見すると、そいつは色が黒い人間。だが、右腕がありえぬほどに伸びており、地上を伝って襲い掛かろうとしていたのだ。右手五本の指も、それぞれが長く伸びている。まるで五つ頭の黒い大蛇のよう。了が薙ぎ払ったのは、間違いなくこの腕だろう。
そいつは残った左腕も、右腕同様に三倍くらいの大きさに膨らませ、右腕同様に伸ばした。長大に伸びた左右の腕が、計十本の指が、森の中、緑滴る空間を薙ぎ払い、蹂躙する。
それを見て、近江はぎょっとした表情を浮かべていた。指先の爪が空中を切り裂くさまは、悪夢以外の何物でもない。
蛇の胴体のように、『影』は腕を伸ばすと……。
近江に、撃退士にと、その腕を振り下ろした!
「!」
切り刻まれる。そう覚悟した一瞬。
近江は再び、ぎょっとした表情を浮かべた。
虚空から、十数本の「鎖」が出現し、黒い腕に、指に、そして『影』の本体にと、がっちり絡まっていたのだ。白銀の鎖は、『影』とは対照的に神々しい銀色に輝いている。
「『審判の鎖』……緊縛プレイは嫌いかい?」
凛々しく言い放つは、アサニエル。不敵に微笑み、影へと鋭い視線を向けている。
その『影』に好悪があるかはわからいが、近江が見たところ……明らかに鎖で縛られるのは好みでない様子。何とか逃れないかともがいているところに、弥彦が進み出た。
その手に握るは、小さな宝石の破片。表面に刻まれたルーン文字を、弥彦は空中に指で描く。
「……電撃よ、わが指先に集い、わが敵を撃て。汝、怒れる蛇のごとく!」
指先から弾かれるように……強烈な電撃が、弥彦より放たれる。それはまるで、空中を突き進む蛇。光に包まれし神々しい大蛇は、鎖でとらわれた黒い大蛇のような『影』に直撃し……空気とともに爆裂させた。
倒れ、動かなくなった『影』。
『審判の鎖』の効果も切れ、森林の地面に転がった。
「た……倒したの、か……?」
近江がおっかなびっくり近づく。動きはない。
改めて、ほっとした。その時。
「!」
『影』が、最後の力を振り絞り、とびかかった。
よけきれない。一撃を食らう覚悟をした、その時。
「『封砲』!」
強烈なエネルギーの一撃が、ヒロの手にした武器から放たれた。
彼が放ったその一撃が、正真正銘、『影』への引導となった。悔しげに蠢き……『影』はその動きを止めた。
「だ、大丈夫、ですか?」
白龍三節根を手にしたヒロが、息を切らせつつ近江に問いかけた。
『影』を倒したのち、時間をかけて追加調査を行ったが、怪しい存在は発見されず。
撃退士たちは状況終了と判断し、その場から撤退した。
その後も、近江や自然センターの人間がこの周辺を改めて調査するも、動物の変死は起こらなかった。
原生林に、平和が訪れた。それを感じ取ったかのように、森には爽やかな風が吹く。
動物たちにも、平穏を。釧路の自然が、そうつぶやいているかのようだった。
「今日の戦いで……」
そして、依頼を終えた後。
「……ボクも少しは、強くなれたかなあ……?」
森を眺めつつ、ヒロは静かに思っていた。