「…………」
沈黙とともに、佐藤 としお(
ja2489)は公園内を捜索していた。
公園は、山腹に続くハイキングコースに、麓のキャンプ場、およびログハウスと、自然の魅力を満喫できる作りになっていた。冬の、雪が厳しい時期には閉鎖されており、現在はその閉鎖期間中。
「どうした?」
一緒に探索している天城 空我(
jb1499)が問いかけた。
「あ、いや。何でもないですよ」
しかし、本当のところは、何でも「ない」わけでなく。
なんでも「あった」。
リョウメンスクナ。二人の人間から生み出された天魔。
最初に対面した時に伝わってきた「怖気」。あの理由が分かったような気がした。
そして……今まで、いささか呑気に構えていたのは否めないが、それでも油断はしてなかった。
していなかったのに……自分たちの攻撃は通じなかった。
美亜さんが近くにいると、無力化するかもしれない。しかし、無力化しなかったら?
「……佐藤殿。ひとつ……言わせてもらえるか」
沈黙を、空我が破った。
「自分は、かの敵と相対してはいない。故に、こういう事を言えるのかもしれぬが。自分が報告書を呼んだ限りでは、佐藤殿や他の皆には、決して油断や落ち度があったとは思えぬ。もしも……己が行動に何やら落ち度を感じておられるのなら、それは杞憂だと心得られよ」
空我の言葉は、佐藤の落ち込みとともに……停滞した気持ち、空気を払拭した。
「……ありがとう、ございます。それじゃ、さくさくっと見つけちゃいましょうか!」
ハイキングコース内の、ないしはそこに多数存在する洞窟。佐藤と空我とがそこを探索している最中。
中津 謳華(
ja4212)は桃香 椿(
jb6036)とともに、別の場所……キャンプ場の客が宿泊する、ログハウスが建っている場所を探索していた。
思った以上にログハウスの数は多く、探すのは一苦労しそうだ。
「あんのクソッタレが」と、椿はぶつくさつぶやいていた。
前回、彼女はリョウメンスクナに校舎へ叩き付けられ、重傷を負わされたのだ。
「傷跡でも残ってお嫁にいかれへんごとなったら、どない責任とるっちゅうねん!」
しかし、中津もまたそのムカつきには、ある程度の同意はしていた。己の力を過信しているわけではないが……自分の一撃がまったく通用しなかった事から、再戦し、己の手で倒したいという思いを抱いてはいる。
が、認めねばならないだろう。「奴」はおそらく、何度正面からぶつかったところで、勝てる相手ではない。
それに、勝手な動きは出来ない。美亜……リョウメンスクナの攻略には、彼女の存在が必要不可欠。彼女を探し出し、説得できねば。……おそらく自分たちの勝利は無い。
「……こちらのログハウスも空のようだ。次に、行くぞ」
「こっちも空のようやね。はい、次々」
まだ確認すべきログハウスは残っている。二人は確認を急いだ。
だが。
ひときわ大きなログハウス。そこからさして離れていない場所。
そこから、低いうなり声とともに……何かが動く音が、響いていた。
「……どうやら、ここにはいないようだねえ」
アサニエル(
jb5431) の指摘に、リーゼロッテ 御剣(
jb6732)はうなずく。「生命探知」を用い、あちこちに手をかざしているアサニエルだが、どうやら空振りのよう。
「さてと、どこに囚われているんだろうねっと」
ここは、キャンプ場。ログハウスに泊らず、テントを張ったり、寝袋で眠ったりする事を好む、キャンプ客向けに解放されている場所である。
シーズンにはおそらく、ここにはキャンプの客であふれていた事だろう。その中には、美亜と、その両親、そして……。
「アサニエルさん。今度の事件……どこで、何を間違えたんでしょうね」
ふと、そんな言葉が自分の口から出るのを、リーゼロッテは聞いた。
「……さあね、正直それは、わからないさ。自分らは事件の当人じゃあない。何を言っても、今の時点じゃ推測にしかならないだろうよ。でも……」
「でも?」
「でも、少なくとも一つだけ、確実にわかってる事はある。……美亜を、助け出さなければならない、って事だ」
その一つだけの、確実な事。今はそれを行う事に、全力を注ごう。アサニエルがそこまで言った、その時。
「……アサニエルさん、これは?」
リーゼロッテが、キャンプ場の隅に生えている、大きな樹に目をやった。
そこには、神社の絵馬のような小さなイラストボードが、いくつも吊り下げられていた。
近くの看板によると、この樹は「幸せの木」で、近くの売店から木製のイラストボードを購入し、恋人や家族でここに吊り下げると、幸せの願掛けになるのだという。
その一つに、リーゼロッテとアサニエルは……視線を奪われた。
「美亜さん?」
洞窟の中、佐藤が問いかける。
「……あなたは……撃退士の、佐藤さん?」
「覚えてくれてましたか。はい、そうです!」
洞窟のいくつかを探っていくうち、そのうちの一つに「異様さ」を感じ取った。
内部を進むと、いきなり狭くなり、その狭くなった部分に木材やドラム缶や、その他様々なガラクタが詰め込まれていたのだ。そして、その先からは音が。
調べてみると、そこには美亜がいた。どうやら狭くなった洞窟の入り口に、無理やり色々なものを詰め込んで、美亜を閉じ込めていたようだった。
「少し待たれよ、今、お助け申す」
空我が、詰め込まれた木材を抜き取る。どうやらかなりの莫迦力で、近くにあるものをこの洞窟内に押し込んだ様子だった。
「ええ、待っててくださいね。今……そこから出してあげます!」
そして、あなたの不幸も終わらせます。佐藤は心の中でそう付け加え、空我とともにガラクタの除去に取り掛かった。
この十分後。
咆哮が、響いてきた。
それは、ログハウスの方から聞こえて来た。
「彼」にして「彼ら」は、怒りを感じていた。
その頭の中には、様々な想いが巡っていたが……それらの想い、悲しみと後悔と空虚とを覆い尽くすように、「怒り」がいっぱいに広がっていた。まるで、心の中に無理やり何かを注ぎ込まれ、考える力を失わされたかのように。怒る事しか考えられなくされたかのように。
「彼ら」は、己のテリトリーを決めていた。気に入らない相手はみな殺してやった、邪魔者はみな消してやった。そして目的のものも手に入れた。
あとはそっとしておいてほしいだけ、放っておいてほしいだけ。なのに……煩わしいやつらが、うろちょろとちょっかいを出してくる。気に入らない。実に気に入らない。
そんな気に入らない連中の二人が、目前にいた。間違いない、少し前に叩きのめしてやった連中だ。なんとなくだが覚えがある。
再び、「彼ら」に怒りの火がついた。奴らが何者だろうか知った事か、みんなまとめて、叩き潰してやる!
そして今、「彼ら」は追っていた。
椿と、中津とを。
地響きを立てつつ、双頭の巨体が動く。
双頭がそれぞれの方向を向き、自身が叩き潰すべき相手を、敵の姿を認めんと、顔が動く。
「奴は!?」
「追ってきとる!」
椿の声を聞き、中津がちらりと後ろを見た。
彼女のいう通り、あの悪夢の権化たる双頭の巨人が、自分たちへと迫りくる様子が見えた。
見たところ、その巨体は以前に相対した時より、巨大になっているようだ。大き目のログハウスと同じか……あるいはそれ以上の大きさ。丸太で堅牢に組まれたそれを、ただの一撃、軽く手で払っただけで、怪物はそれをばらばらに破壊してしまった。
あんな相手に、自分は立ち向かっていったのだ。中津は少し前の自分の行為を、勇敢だと誇らしく思うと同時に……無謀だとも思った。改めて、あんな相手に正面からぶつかって勝とうなどと思うのは、無謀で無茶以外の何物でもない。
自分を追い、迫る双頭の巨人。今のところは、想定内。
この後の作戦が、うまくいけばいいが。
リョウメンスクナが、立ち止まった。
そして、そいつが立ち止まるのを、アサニエルとリーゼロッテ。佐藤と空我とは見た。
「奴が……リョウメンスクナ、か」
初めて見るそいつの姿に、空我はしばし言葉を失った。話に聞く以上に、恐ろしげだ……。そのように感じざるを得ない。怪物が漂わせる「怖気」に、しばし……たたらを踏んだ。
その怖気から回復するのに、空我は時間をかけすぎた。……五秒もかかったのだ。
更に三秒を用い、己の精神に火を灯す。自身の身体を、戦闘のために作り替える。
そして、彼は己もまた発した。刃のごとき鋭き気を。
壊したログハウスから、長い丸太を握る。
それを振りかざし……一気にすべてを薙ぎ払わんと、リョウメンスクナは迫ってきた。
だが……丸太を振りかざしたその時、動きが止まった。
双頭の巨人は見たのだ。空我と、佐藤とともに……美亜がいるのを。
「…………止まった?」
美亜が、そいつを見据え……つぶやく。そして、それとともに……確信した撃退士たちは、戦闘を開始した。
…………
「お願いです。力を貸して下さい」
佐藤と空我は、美亜を救出後。すぐに合流したアサニエルとリーゼロッテとともに、美亜へと協力を依頼していた。
「美亜さんがいると、あの怪物は動きが鈍くなり、戦う力も半減する。あいつを倒すため……協力してほしいんです」
すぐに美亜は、うなずいた。
「わかりました。何をすれば?」
…………
美亜の協力、それを無駄にはしない!
「直撃、させるっ!」
佐藤がアサルトライフルで、アシッドショットを撃ちこんだ。
すかさず、リーゼロッテが銀色の曲刀、抜刀・閃破の鞘を払う。アウルの刃が放たれ、それはリョウメンスクナの皮膚へと切り込み、多大なるダメージを。
痛みと悲しみを感じさせる咆哮が、二つの頭から響いた。
だが、すぐにそれを怒りのそれに変化させると、駆け出し……振り上げた丸太で、リーゼロッテへと叩き付けた。
「くっ!」
しかし、それはかすっただけにとどまった。以前に比べ、狙いは正確ではなく、ただ力任せに振り回しているのみ。直撃をかわすのは、リーゼロッテにとっては容易極まりない。
「ひとまずは、大人しくしてもらうよ!」
追撃を許さず、アサニエルが「審判の鎖」を解き放つ。地面より飛び出した鎖が、リョウメンスクナの手足と胴体に巻き付き、怪物の動きを封じた。
その様子を、美亜はしっかりと見ている。
美亜のすぐそばで、中津は彼女を護衛していた。護衛しつつ、彼はリョウメンスクナからも目を離さない。
彼は、怪物の動きが鈍くなっているのを確認した。動きが、明らかに鈍く、めちゃくちゃになっている。
前回の、直接戦闘における動きと異なり、まるで左右の半身が勝手に意志を持ち、互いに勝手な行動をしているかのよう。もっと言うなれば、左半身は逃げ出したいようなのに、右半身は飛び出して攻撃をしたがっているよう。
「はっ! これでもくらうとよ!」
結晶化させたアウルを鞭のようにして、椿が叩き付ける。したたかに打ち据えられ、リョウメンスクナの右半身に大きな傷が刻まれた。
「はーっ!」
間髪入れず、空我のデュランダルでの一閃。左半身にも、刃が深く切り込まれ、リョウメンスクナの肉が切り裂かれた。
どす黒い血潮があたりにふりまかれ、怪物の口からは、苦しみと……哀願さえも感じられるようなうめき声が。
もはや、リョウメンスクナのその動きは、戦いのそれではない。自棄になり、手足をめちゃめちゃに振り回しているだけの、無駄で意味の無い動き。
放り投げた丸太が、美亜へと迫ったが。
それが届く前、中津は蹴り飛ばした。
「剛の盾を名乗っているのは、伊達ではないのでな……やらせはせん!」
だが、中津のその言葉にも怪物は動じず、ふらついた足で、美亜へと迫る。
その前に、空我は立ちはだかった。
「……開放(エーミッタム)」
彼の、光纏の「風」。それが、空我のデュランダルへと集まっていく。
が、必殺の一撃を放とうとした瞬間。
リョウメンスクナが、予想外の行動を取った。
……転がったのだ。狙ったうえでの故意か、つまずいた故の偶然か、それは定かではないが。怪物は自身の身体を巨大な塊と化し、転がったのだ。
「ぐっ!」
一瞬判断を迷った空我は、そいつに弾かれ、後ろざまに吹っ飛ぶ。
だが、美亜へと迫る双頭の巨人の前には、中津が居た。
「貴様の相手は……俺だ!」
宙を舞い、彼はその流れるような足運びで……スクナの右側の頭部へと、蹴りを放った。
「はーっ!」
最初に対戦した時と異なり、今度は確実な手応え……いや、「足応え」あり。
まるで、首の骨が折れたかのように、右頭部がだらりと下がる。
残った左頭部は、哀願するように、嘆くように……悲しげな声を出していた。そしてなおも、左腕を伸ばしてくる。
しかし、怪物は徐々に力を失い、やがて……動きを止めた。
「……み……あ……」
差し出された左腕が、地に落ちるその一瞬前。
「……すま……な……い……み……あ……」
怪物の左の頭部は、確かにそう言った。
「…………」
美亜は、それを聞いていた。聞きつつ、ただ茫然と立ち尽くしていた。
「……あの、お客さん。伸びますよ?」
店主が言葉をかけ、皆はようやく気付いたかのように割り箸を手にした。
全てが終わり、皆はラーメン屋に入り、湯気の立つ丼を注文していた。ここは、一流どころの店。味も最高で、国内のみならず、海外からも客が来て、人気も高い。
事後処理が終わった後。美亜は……重助の友人の、大学教授が引き取る事になった。後の事は全て任せて欲しいと、彼が申し出てきたのだ。
しかし、任務は大成功に終わったのに、皆の心の中には……勝利の充実感も、昂揚感も無かった。
あるのはただ、憐憫の情。そして、苦々しい想い。
「本当に悪かったのは、一体何だったんだろうねぇ……」
アサニエルが、ぼそりとつぶやく。
父親? 孝一? 賢治? それとも……?
賢治と孝一は、光に背を向け、罪を重ねた。人の命を奪った。それについては責を負い、咎を受けねばならない。
しかし……胸中に残る、この割り切れぬ想いはどうしたものか?
「あのイラストボード。……運命の歯車が狂わなければ、あんなふうに、みんなでずっと仲良くいられたでしょうに」
自分が見つけ、美亜に手渡したイラストボードの事を思い出し、リーゼロッテもつぶやいた。
キャンプ場近くの、「幸せの木」。そこには、在りし日の苗代家の家族四人が書いたボードが吊るされていた。
『いつまでも、みんなで仲良く』そう書かれたボードが。
「……せめて」と、祈るようにリーゼロッテは手を合わせた。
「せめて……その魂に、安らかな眠りを……」
その言葉を聞いた佐藤も、鎮魂の思いを新たにするとともに、ラーメンの丼に向かっていった。
ラーメンは美味だったが……わずかに佐藤は感じていた。
苦々しさを。悲しみの苦々しさを。