「……さて」
依頼後に、またラーメンの店に……今度はカレーラーメンの店に行ければと考えていた佐藤 としお(
ja2489)であったが。目前の山を見て、少しばかり心が折れそうになった。
不幸中の幸いで、山の麓と中腹部にあった警官たちの遺体は回収された。
この山にはかつて、自然散策用のハイキングコースが設けられていた。今は閉鎖。猟師なども足を踏み入れる事はなく、当然人の気配もない。
またもちらちらと雪が降り始め、山に更なる雪化粧が施されつつある。寒いのもそうだが……あの「双頭の巨人」がいる可能性が高い中に、これから入りこまねばならないのだ。
最初に相対した、あの巨人……呪いのリョウメンスクナかどうかはわからないが、とにかくあの双頭の怪物に関し、わかっている事はほとんどない。判明しているのは、あいつは恐ろしく巨大で、怪力を持つ事くらい。
自分たちを含め、仲間たちは全員「あいつ」を見ていた。あの双頭に浮かべた、憤怒と悲壮の表情。
あれは一体? ひょっとしたら、見殺しにされた「孝一と賢治」とやらが?
「……わからないことだらけ、ですね。なら、するべき事は一つ」
これから乗り込み、居るんなら相対する。それを実行すべく、佐藤は一歩を踏み出した。
「今のところは、周囲には何も見かけません」
遠方をテレスコープアイで、森田良助(
ja9460)が確認する。今のところ、動く物は見当たらない。
しかし、見当たらないが、森田は感じてはいた。「危険な存在が潜んでいる」という、警戒させる「気配」、近寄りがたい「気配」を。
先日に降った雪が解けきらず、更に降り積もっている。雪の白が、威圧的な闇にも感じてしまう。
それは、アサニエル(
jb5431)も同じだった。雪のみならず、寒さもまた、自分たちを阻むかのよう。登山靴や防寒着などで完全防備しているも、寒さは布地を通りアサニエルに伝わっていた。
「…………」
「どうしました?」
リーゼロッテ 御剣(
jb6732)が、傍らの友人に声をかける。
「あ、いや。何でもないよ。ちょいと、考え事をねェ」
リーゼロッテに声をかけられた三島 奏(
jb5830)は、明るい声で返答した。が、その考え事はあまり良い事ではないのは見て取れる。
「…………やーれやれ。まあ、あたいは捜索に向かんけんね、敵が現われたら頑張らせてもらうばい」
そう言うと、桃香 椿(
jb6036)は手にした水筒から、ノンアルコールのビールを喉に流し込んだ。
こうして、再び集まった六名は……それぞれの想いとともに、山へと入っていった。
目的地は、山小屋。亡くなった紅林刑事と警官たちは、まずそこに向かったという。
おそらくは、「孝一と賢治」の二人も、そこに居るか、あるいはそこに何か手がかりを残しているかもしれない。事実を知るためには、そこに向かおう。
話し合いの結果、そのように決まった。そして山に踏み込み、小一時間。
アサニエルは「生命感知」で、工場の時のように周囲に対し、何か感知できないかを探っている。
「……少し、吹雪いてきたようですね」
寒気が、佐藤を襲う。皆を襲う。まだそれほどひどくはないが、急がねばならないだろう。
地元警察から借りた地図によると、今進んでいる道で正しいはず。そして、スキルを用いた周囲の探索でも、何も感じ取るものはない。
先を急ぎながら、佐藤は……霧島から聞いた、事件の情報の事を思い出していた。
「つまり、そのボスが見殺しにしたのが『賢治と孝一』と考えてよろしいんですね?」
「はい。そして、かの警官が言っていた『逃げ出した二人』も、『賢治と孝一』じゃないかと思われます」質問した森田へと、霧島刑事は返答する。
「まだ、二人のものと思われる写真は見つかりませんが……判明したら、皆さんにお伝えします」
「となると……二人は火事現場からゲート方面に逃げ出して……」
「……ディアボロに。そう考えるのが、妥当じゃあないかナ?」アサニエルと奏の推測に、リーゼロッテもうなずく。
「でも……なぜ、あんなに、怒りと悲しみの表情をしてたんでしょう……?」
リーゼロッテが疑問を口にするが、その場にいた全員がかぶりを振った。
「そこまでは……。とにかく、我々警察の方でも、別の方向から『賢治と孝一』を調べたいと思います。まずは……」
山小屋を調べられるように、宜しくお願いします。霧島はそう締めくくった。
「……まあ、僕らが調べなきゃ先に進まない、って事か。やれやれ、っと」
ふっと溜息などをついてみるが……佐藤は、発見した。
動物の死体を。
「……なんなん、これ」
皆が無言の中、椿がその沈黙を破った。
骸は確かにキタキツネ。だが……それはまるで、食い散らかされたように、ズタズタにされていた。
死体の血は既に固まっており、獣臭もする。おそらく、死後一時間ほどは経っているだろう。
近くには、血痕が。それは近くの岩場にまで続いている。その岩に残されているのは、鋭い爪痕。
「……工場の『あいつ』と同じかどうかはわからないけど」アサニエルもまた、つぶやく。
「この爪痕を残した奴は、間違いなく凶悪で、強力な奴に違いないね」
そして、嫌でも思わせた。この凶悪で強力な奴と、おそらくはすぐに戦う事になるだろう、と。
佐藤の「索敵」でも、何も引っかからない。そのまま、一行は先に進み……。
その視界に、山小屋を捕えた。
近づくにつれ、その建物の様子が見えてくる。霧島によると、それは山の地質・環境調査のために建てられたもので、内部には簡素な宿泊施設と資料整理の部屋があるのみ。それほど大きなものではない。
やがて、撃退士たちは目前に、小屋を臨む位置に。
「……なんや、ずいぶんと薄汚れとるばい」
「そうさね。とはいえ……ちょっと前までに、何かが中に入ったみたいだねェ」
椿は壁に注目し、奏は扉に注目した。
扉は、無かった。内側から何者かにより、吹っ飛ばされたかのように、破られていたのだ。
アサニエルの『生命探知』をかけるも、内部からは何も反応はない。佐藤が内部を覗きこみ、『索敵』をかけたものの、やはりなにも見当たらない。
「……クリア。少なくとも、中には何も居ないようです」
小屋内部はかび臭く、ほこりまみれ。残されていたのは、紙屑同然の書類やらパンフレットやらの古紙。壁も壁紙が一部はがれ、床にはうっすらとほこりが積もっていた。
「……部屋は、これだけかい?」
「そうみたいですね。奥に二つ部屋がありましたけど、あったのはやはり書類や紙切ればかりでした」
アサニエルの質問に、リーゼロッテが答える。少なくとも、今のこの時点では……生きている存在は自分たち以外にはいない。
「ガスは通ってないし、電気と水道は、すでに止められてるみたいですね。でも……」
「でも……どうも少し前に。誰かが来たのは間違いなさそう……かな?」
森田に続き、佐藤が指摘する。実際、靴跡と、ぼろ布を毛布のようにして寄せた痕跡が見られたのだ。ほこりの積もり具合から、そんなに前の事ではない。間違いなく、自分たち以外の何者かが小屋に入り、ここで時間を過ごしたに違いなかろう。……おそらく、「賢治と孝一」が。
「その、『賢治と孝一』とやらがここにたどり着いたとしてサ、そいつらはここからどこに行っちまったんかねェ?」
奏が、疑問を口にする。見たところ、二人の、あるいは片方の死体は無い。おそらくは出て行ったにしても、ひどく怪我を負っていたのに、どこをどうやって向かったのか。
「ちっ、なんや本当に面倒やね。ここまで逃げたドロボーは、どこに逃げたんやら。何かないんか……」
先刻より、手がかりを求めて台所や机の上などを探していた椿は、机の上の紙屑をかき回していたが……。
「!?」
全員に、戦慄が走った。
声が聞こえてきたのだ。吠える声が。
「……近づいてきている。後ろ……森の内部からだ! 早いよ!」
アサニエルの「生命探知」が、接近する何かを捉えた。それはすなわち、小屋の裏口の方。
全員が小屋から出た、その直後。
黒い、巨大な塊が宙を舞った。
それは、小屋を飛び越え、撃退士たちを飛び越え、小屋の前の、多少広くなった場所に降り立ち……立ち上がった。
「こいつ……はっ!」
椿が言葉を放つ。そいつは、双頭だった。ばかでかい体躯を、太い両足が支えている。分厚い胸板に、丸太よりも太い両腕。そいつの頭部があるべき場所には頭が無く、代わりに両肩に……二つの頭が突き出ていた。
「違う……あれは!?」
リーゼロッテが叫ぶ。そいつは確かに、「双頭」。しかし、あの工場で見た巨人ではなかった。
目前の双頭の怪物は、「熊」に似ていた。全身を薄汚れた体毛が覆っており、多少の変化はあるものの、手足の作りは熊のそれ。腕も、二本一対のみで、胸部には腕は無い。
そして何より、そいつの「顔」。そいつの「頭」は二つだが、「顔」は三つあったのだ。
両肩から生えている双頭は、それぞれが醜く歪まされたキタキツネの頭部。
そして、腹部には。埋め込まれるようにして、熊の顔がそこにはあった。体毛に隠れて、ぎらつく双眸と口以外はよく見えない。しかし、確かにそこにあった。
その様子を、森田はカメラで収め続ける。まちがいない、工場で撮ったあの映像の巨人とは、明らかに異なる。
三つの顔が吼え、そして、……駆けだした。
「っ!」
怪物は、予想以上の素早さで駆けだすと、撃退士の一人へ……奏へととびかかった。
「しまっ……」
『た』と言う前に、怪物の鉤爪が付いた太い腕が一閃。
奏の胸元が、ざっくりと鉤爪で引き裂かれた。そのまま、巨大な腕による打撃が、彼女を後方へと吹っ飛ばす。
後ろざまに飛ばされた楓の先には、リーゼロッテがいた。彼女が奏を受け止める。
「……大丈夫?」
「ああ、これしき!」
自分を受け止めてくれた親友の瞳が紅くなり、目つきも鋭くなっているのを奏は見た。
「このぉっ!」
怪物に追撃はさせない。怪物の後方に回り込んだ森田が、怒りの声とともに、構えたヨルムンガルドの引き金を引いた。
キタキツネの頭、ないしはその片方が撃ちぬかれた。
続き、佐藤もまたアサルトライフルで発砲。もう片方の頭蓋に、弾丸がヒット。
だが、撃ちぬかれつつも二つの頭は、後ろを向き……佐藤と森田とを睨み付けた。
「ほら、よそ見するんじゃあないよ! 緊縛プレイといこうじゃないか!」
怪物へと、アサニエルは虚空より出現させた鎖を向かわせ、巻き付ける。
『審判の鎖』が怪物の全身に固く巻き付き、その動きを止める。
「ふん、楽しませてくれるんやろうね。さあ……満足させてや!」
裂光丸の鞘を払いつつ、双頭の怪物へと踏み込んだ椿が、その刃を一閃。
胸部と、腹部の顔とを切り裂くが、分厚い皮膚が深く切り込ませない。
しかし、それでも痛手は与えたのか。怪物の咆哮の中に、悲痛な声が混ざっているのがわかる。
腹部の顔が、憎々しげに椿を睨み付け、唸り声を上げる。
だが、椿に向かう前にリーゼロッテが立ちはだかった。その手には、白銀の曲刀、「抜刀・閃破」が握られている。
迎え撃たんと、怪物もその右腕を振りかざした。一見人間のそれと同じような拳だが、指先には鋭い爪が。
それが凄まじい勢いで、リーゼロッテへと振り下ろされる。
「……『血喰』ッ!」
だが、リーゼロッテの身体には既に、アウルが満ち満ちていた。そのまま、鋭い一刀を振り上げ、刃が怪物の肉体に切り込まれ、喰い込み、切り裂く!
怪物の右腕が両断され、地面に転がった。
腕からどす黒い血潮が吹き出し、怪物の三つの口からは、悲痛な声が出た。それは少し前までの、恐怖と力に満ちたそれではない。明らかに弱り、勢いがなくなったそれ。
『審判の鎖』に全身を縛られ、怪物はなおも迫ろうと一歩を踏みしめたが。
「忍法『胡蝶』!」
森田が形成した、無数のアウルの蝶。放たれたそれが、怪物に引導をわたした。
事後。
撃退士たちは、とあるラーメン屋、ないしはその座敷席に上がり込み、注文したラーメンが来るのを待っていた。
麓から離れた場所にある、隣町の、そのまた隣の峠のラーメン屋。そこはカレーラーメンがうまいとガイドブックに書かれており、佐藤はチェックを入れていたのだ。
あれから周囲を調べ、下山する時にも天魔は居ないかを調べたところ……なにも無かった。おそらく、事態は集結したと見て良かろう。警察に報告し、引継ぎを行い、その帰りに寄ったのだ。
しかし……今回のこれは終わったとしても、事件はまだ解決していない。それどころか、振り出しに戻ったと言っても過言ではない。
「大丈夫かい?」
「ああ、大丈夫。ったく、ひどい目にあったもんサ」
奏が、アサニエルに答えていた。奏の負傷は浅くはなかったが、アサニエルのライトヒールで回復したのだ。
「にしても……」
椿は、先に注文したアルコール抜きのビールで口を潤している。
「あの二つ首、誰が作ったんかな? 前からなら、目撃者はおったはずやし」
「ああ、それですが」と、椿の疑問に、佐藤が答える。
「この山とその周辺は、ここ数年は人の出入りがほとんど無かったので、目撃者自体の数がほとんどゼロだったようなんですよ。遠くから見た人も、普通の熊と思ったんじゃないかと」
「なら、三か月前にゲートこしらえた悪魔が作った、ディアボロ……って事で、間違いないんでしょうか?」森田も、会話に加わる。
「熊とキタキツネを素材にして、この双頭の怪物を作ったなら……人間を素材にしても、同じようなものが作れない理由は無いね」
アサニエルもまた、会話に加わった。死にかけた二人の人間が、逃げ延びた先にいたのが悪魔。山の動物を材料にしてディアボロを作っていたのだとしたら、「賢治と孝一」をそのまま放っておくとは考えにくい。
「……ですが……」
「ん? どうした、リーゼ?」
神妙な顔のリーゼロッテに、椿は心配そうな顔を向けた。
「……工場で見た『双頭の巨人』の顔には、表情が浮かんでいました。怒りと、悲しみの顔が。二人だとしても、いったい何が、あんな表情を浮かべさせていたのでしょう?」
そうだ。あの憤怒と悲哀の表情。あれは全員が見た。
あの表情の原因は、何なのか。
「……やれやれ、たぶん長い付き合いになりそうだよ」
大きくため息をつきながら、アサニエルはぼやく。
やがて、うまそうな匂いとともに、ラーメンが運ばれてきた。
おそらく、本番はこれから。解決にはありったけの気力と体力が必要になるだろう。それを補充するかのように、佐藤はラーメンどんぶりに取り掛かった。
警察の調査で、山と森林には天魔の存在が無い事が確認された。
「……何が起こっているのかわからないが。必ず……真実を明らかにしてみせる。必ず、な」
紅林の墓前に手を合わせながら、霧島は誓っていた。