『……先日より北海道に停滞している低気圧の影響で、日中は晴れますが、夕方よりまた雪が降りだし、夜半には大雪になる事でしょう……』
この天気予報から、任務遂行する日中ならば大丈夫だろう……と判断した佐藤 としお(
ja2489)だが、大丈夫ではなかった。
「やれやれ……これはちょっと困りましたね」
晴れるどころか、空には雪雲がいっぱいに広がり、ちらちらと雪を降らせている。
「……とはいえ、これ以上泥棒を放置もできないでしょうし、何より……双頭の『何か』もこれ以上、放置する事も危険。ならば……」
やるしかない。この任務が終わったら、熱い味噌ラーメンを食べて身体を温めよう。そう決意し、佐藤は……目前の山を見上げた。
「う〜、寒いっ!」
雪を踏む音を響かせつつ、佐藤は雪山を進んでいた。
「寒いですねえ、佐藤さん」同行している森田良助(
ja9460)が、その言葉に相槌を打つ。
防寒着に身を包んではいるものの、それでも「寒さ」は染み込んでくる。
そしてそれは、上空のアサニエル(
jb5431)も難儀させていた。
天を舞うその姿はまさに天使。実際、天使である彼女は、その背に「光の翼」を顕現させ、手にしたペンライトで佐藤と森田とを誘導していた。いたのだが……。
「……くっ……ちょっとばかり、身に染みるね……」
雪とともに冷気が、空を飛ぶアサニエルに容赦なく襲い掛かり、彼女を辟易させた。
「そのまま真っ直ぐ……そう、その先には大きな岩があるから、ちょいと曲がって」
アサニエルの指示に従い、佐藤と森田は先を進む。
「……あの、佐藤さん」
だが、森田が立ち止まった。
彼の元へ近づいた佐藤は……凍りついた。体がではなく、心が。
目前に、死体があったのだ。
「……犬、ですね」
ややしばらく経って、森田が口を開く。
アサニエルもまた、上空からそれを見つけ、降り立った。
「……殺されてから、時間が経ってるようだね。けど……」
「けど……『異様』です。この死体」
佐藤が、アサニエルに続き言った。
その犬の躯は、首が後ろ前になっていたのだ。明らかに……事件の発端となった「何か」と同じ殺害方法で、犬は殺されていた。
「…………」
背筋に冷たいものが走るのを、三人ははっきりと感じた。それは吹きすさぶ寒風のせいだけではない事を、皆は悟っていた。
「雪、降ッてきたねェ」
三島 奏(
jb5830)は車を運転し、道を進んでいた。
道路は、木々が茂る山の斜面脇に通っていた。あと二十分ほど走れば、山を通り抜けるトンネルに入る。
車の後ろには、日産タイタンに乗った桃香 椿(
jb6036)が。そのピックアップトラックは椿本人がリクエストしたもので、支給された時に嬉しそうに頬ずりしていたのを奏は見ていた。
「……ッて、どうした? なンだか思いつめた顔してるよ?」
静かなのが気になり、隣の助手席に座っているリーゼロッテ 御剣(
jb6732)へと声をかける。
「え……あ、なんでもないです」
「ふーン……まあいいけどサ。悪い予感でもするのかい?」
「ええ、ちょっと……」
実際、変な感覚をリーゼロッテは覚えていた。『リョウメンスクナ』というのが、どっか食べ物か何かのような響きがするからと、この依頼を受けたのだが……今と貼ってはその動機をちょっと後悔しそうなくらい、「嫌な感覚」が自分を苛んでいる。
この「嫌な感覚」が何なのか。正直……わからない。ひょっとしたら、勝手に怖がっているだけかもしれない。それで済めば良いのだが。
「……ま、行ってみないとわからないわよね」
が、いきなりブレーキが踏まれ、リーゼロッテは我に返った。
「な、なんですか!」
「……あれ、一体なンなンだ……?」
道の脇に「それ」が、姿を現していたのだ。
「それ」は、巨体だった。目測で、10mくらいはあるだろう。重々しく、下敷きにされたら……まず、無傷ではすまない。すむわけがない。
「……なぜ、こんなところに『倒木』が?」
道路脇に、木が倒れていたのだ。
しかし、その根元の折れた面はまだ新しい。枝もまだ茂っている。少なくとも、倒れるほど枯れた木ではない。自然に折れて倒れたものとは考えにくい。まるで……何かが、生えていた木に無理やり手をかけ、倒したかのよう。
幸い、道路脇へと車を寄せれば、通り抜けられる位置に倒れている。
「……行くよ。『奇妙』ではあるけど……ここで留まッてるわけにもいかないからねェ」
言葉とともに奏が、倒木を避けて車を進ませる。
が……リーゼロッテは倒木を横目に見て、先刻の不安感がより大きくなるのを否定しきれずにいた。
「……これは、また……」
うめくように、佐藤はつぶやいた。
山を越え、廃工場を裏から臨む場所。山の斜面の藪に身を潜めた佐藤と森田、アサニエルの三人は、目前の廃工場へと視線を向けていた。
そこは、確かに廃工場。しかし……かなりの広さ。広い敷地内に、いくつもの棟や建物、施設が建っている。それらは汚れ、くたびれ、この位置からでもガタが来つつあるのは見て取れた。が、それでいて取り壊しに至るほどではない頑丈さも保っている。
それらは、小さな道路をはさみ、フェンスで外界と隔てられていた。
「しかしまあ、なんでまたほったらかしにされてるのかねえ。立て直すか取り壊すか、はっきりすりゃ良いものを」
アサニエルが疑問を呈する。佐藤と森田もまた、それに関しては同意だった。
後で聞いた話では。この工場を所有してる会社は、経営縮小の関係からここを閉鎖。しかし、取り壊しも資金がかかるため、放置され現在に至る……との事だった。
ここから見ている限りでは、おそらく侵入するのは容易。しかし、広い内部のどこに、泥棒たちのボスが居るのか、盗品を隠しているのか。そこまではわからない。
「……車班の皆さんに、工場裏に到着したとメールを送っておきました。それじゃあ……」
行きましょう。森田の言葉と共に、皆は立ち上がった。
「……到着、したようやね」
森田のメールを受信。運転しつつ、椿はその文面を確認した。
支給されたタイタンのハンドルを握りつつ、彼女は目前の、奏とリーゼロッテの二人が乗った車を追う。
じきに、工場に着く。しかし……どうにも胸騒ぎがして仕方がない。今のところ異常はない。……先刻の「倒木」以外は。
「……さて、げに恐ろしきは、泥棒か、それとも……」
不安感を紛らわそうと、椿はつぶやいた。
裏口のフェンスの一部を破り、アサニエル、佐藤、森田は内部に侵入する。
「さてと、どこにいるのかねぇ……って、こりゃ、いったい……?」
「生命感知」を用いたアサニエルだが、予想外の反応に驚愕していた。
あちこちから、生命の反応を感知したのだ。そのうちの幾つかは、すぐそばから反応し……それらは、近づいてくる。
とっさに身構えたが。
「……猫?」
薄汚れた数匹の野良猫が、みすぼらしい姿で近づいてきたのだ。猫たちはアサニエルたちの姿を認めると、逃れるかのように姿を消した。
「……野良の犬猫が、暖を取るために潜り込んでるみたいですね。やれやれ」苦笑交じりに、佐藤が安堵する。少なくとも……危険な存在ではない。
工場内部は薄汚く、薄暗く……黴臭い匂いが充満していた。がらんとして……人の気配は全く感じられない。
後で何かの役に立つだろうと、森田はデジタルカメラにて工場内部の映像を撮り続けている。
それからしばらく、三人は「生命感知」を何度かかけつつ探索を続けていた。多く反応するも、その多くはねずみや野良の犬猫。少なくとも、追っている泥棒の親玉の反応ではない。
そして。
「……どうやら、今度は当たりじゃあないか?」
工場敷地内の、中心部にやや近い場所。アサニエルはそこで……一つきりの、生命反応を感じ取ったのだ。
その反応がある場所へ、静かに、音を立てぬように……次の部屋へと続く、鉄の扉を開いた。
工場前。
怪しまれぬ場所に駐車し、奏はリーゼロッテと椿とで、工場を見張っていた。
工場前の正門は固く閉じられているが、その前の地面には……車両のタイヤ痕が。
「……中に、誰かが潜んでいるのは間違い無さそうだねェ……」
しかし、リーゼロッテの様子を見ると……先刻より、顔を曇らせている。
「どうした? 具合でも悪いの?」
「いえ……ただ、さっきから嫌な予感がして……」
「ああ。あたいもさっきから、妙に胸騒ぎがするばい」
リーゼロッテに続き、椿も同じ事を。
ただの杞憂かもしれない。奏もまた、そうである事を願っていた。
が、数刻後。
その願いは覆されることになる。
『……サツかと思ったら、ガキ二匹にねえちゃん一人かよ』
スピーカーから、声が響く。
まさに当たり。佐藤と森田とアサニエルが扉を開けたそこは、盗品の置き場に改造されていた。
扉の向かい側。高さ五m位のところに、工場全体を見下ろすようにして部屋が据えつけられていた。おそらく元は、工場全体を監視する施設だったに違いない。
森田は盗品をカメラで映し、そして周囲にもカメラを向ける。……相変わらず、人の気配はない。
声の主へと近づこうとするが、男が拳銃を向け、発砲してきた。佐藤たちはすぐ、物陰に隠れる。
『てめえら、何者だ。……ここに来て、ただですむとは思ってねえだろうなあ?』
部屋の窓から、男が顔を出す。凶悪な面構えの男だ。間違いない、泥棒たちのボスだろう。
「あー、こちらは敵じゃあありません。俺たちは、あなたを保護に来ました」
佐藤が、声をかける。
「あなたのお仲間が、全員殺されたんです。ここも危ないから、あなたを助けに来たんですよ」
『なんだと?』
「それに、あなたの仲間の……賢治さんと、孝一さんも狙われてるそうです。だから、命が惜しければすぐに」
佐藤の言葉が終わらぬうちに、再び銃声が。
『そんな嘘でオレを騙すつもりか? オレは絶対捕まらねえ!』
「……まったく。自分の命より、捕まらない事の方が重要なのかい?」
「呆れたやつですね。まあ、強引にでも取り押さえて……」
アサニエルと森田とが相談するが……銃声が無い。
「……まずい! 逃げたようです!」
それに気づき、佐藤はすぐに後を追った。
ボスを追い、階段を上って部屋に入る。
そこには、開け放たれた扉が。そして、別の建物に逃げ込む男の姿が。
「逃がさないよ!」
アサニエルが光の翼でそこから飛び、佐藤も扉から降りる。森田もすぐ、それに続いた。
籠球かした、倉庫らしき建物。アサニエルの目前で木の扉が閉められ、内側から鍵を掛けられた。
「アサニエルさん、下がって!」
駆けつけた佐藤が、拳銃で鍵を吹き飛ばす。
扉を開いた、その時。
「「「!」」」
三人は、絶句した。
何かが飛んできたのだ。
それは、人間だった。もっと言ってしまうと……それは、三人がたったいま、追っていた男。泥棒たちのボスだった。
すぐに横に退いて、それをかわす。雪の上にボスの身体が転がり、壁に叩き付けられて、勢いは止まった。
「……な、なんだ?」
アサニエルが、困惑した声をあげる。男は……片腕だったのだ。右腕がなかった。
加えて。腕は「切断」されていなかった。「引きちぎられて」いたのだ。
胴体を追うかのように、ちぎられた右腕が建物内から飛んできた。
すぐにアサニエルが、男へと駆けつけ……ライトヒールをかける。
「くっ……いったいなんなんだ!」
男は痙攣し、今にも意識を失いそうに。
「大丈夫ですか!」
銃声を聞いて、リーゼロッテ、椿、奏もかけつけた。
「どうしたァ!? 奴は?」奏の声に、森田が指し示す。
「倉庫の中です! 中に……何かが!」
開かれた扉から、内部へと視線を転じる。そこには……悪夢が広がっていた。
「……あれは……一体……?」
椿はそれを見て、言葉を失う。
扉の奥、開けた広間。巨体が、そこにはあった。扉から入る光だけでは全容は見えないものの、そいつの身長は少なくとも三mはある。
波打つ筋肉と、荒れた浅黒い肌。太くしなやかな両腕は、触られただけで破壊されるような錯覚を起こさせる。
……いや、胸部からも小さな腕が一対生えていた。この巨人は、腕が四本あるのだ。
そして、頭があるべき位置には頭は無く、両肩に一つづつ……歪んだ、人間の頭部が備わっていた。
暗くて良くは見えなかったものの、右側の顔は憤怒、左側は哀しみの表情を浮かべているように見える。……少なくとも、リーゼロッテの目にはそう見えた。
そして、撃退士たちに見られながら……双頭の巨人は咆哮し、手近にあった巨大なフォークリフトをひっつかみ、投げつけてきた。
「やばい! みンなにげろォ!」
奏が叫ぶのと同時に、まるで赤子が投げつけた玩具のように、巨大で重い重機が軽々と飛ばされ……雪降る中に転がった。
撃退士たちはそれを回避するも、戸惑っていた。……これほどの力を持つ相手に、どうやって戦うべきか?
体勢を立て直そうとする撃退士たちの前で、そいつは……鉄骨に手をかける。破壊音とともに、鉄骨がもぎ取られた。
「なっ……!?」
リーゼロッテは、言葉を失った。
そして、次の瞬間。
建物自体が、崩れ落ちた。
「…………」
撃退士たちは目前の瓦礫の山を、複雑な心境とともに見つめていた。
建物自体が老朽化していたため、先刻の怪物が柱となっている鉄骨をもぎ取った時。自重に負けて崩れてしまったらしい。
すでに警察の現場検証が始まっている。が……。
「……この建物の地下。すぐ近くに下水道の本管があると、さっき聞きました。ならば……」
もしそこに逃げ込んだとしたら……「あいつ」は生き延びているかもしれない。
佐藤の言葉に、皆がうなだれた。
「……あの、片腕をもがれた男。ライトヒールで応急処置を施してはおいた……けど、助かるかどうかはわからない、とさ」
苦々しく、アサニエルが言った。
少なくとも、泥棒たちが盗んだ品物は取り戻せた。その中には、仏像。そして……事件の発端となった、件の双頭ミイラもあった。すでにトラックに積み込み、運ぶ準備はできている。
泥棒たちのボスも、生死の境を彷徨っているが捕まえる事は出来た。そして……双頭の「何か」が存在することも。
だが……あの「双頭の巨人」は一体なんなのか。
「……ディアボロか、サーバントかもしれないけど……」
森田が、撮影した映像を見つつつぶやいた。鮮明な映像は撮れていないが、「あれ」の存在感は皆の心に鮮烈な印象を残していた。まるで、楔を打ち込まれたかのように。
「……とりあえず、味噌ラーメンでも食べに行きませんか?」
佐藤が沈黙を破った。
「おそらく、これでは終わらないでしょう。それに備えて……鋭気を養っておきましょう」
その言葉に、皆はうなずいた。
……あの「双頭の巨人」とは、再び必ず会いまみえる。その時のために……備えておかなければ、と。