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窓外に小青(jz0167)の背中を見送り、川上が静かな声で尋ねた。
「今更ですが、宜しかったのですか?」
部屋の壁にもたれ天使アヴィオーエルは目を閉じたままである。
「このままで私が天界へ戻れぬ事は、お前にも分かるだろう。ならば賭けてみるまで」
恐らくクー・シーは乗って来る。用心深いあの女も、自分が使徒にした哀れな小娘を前に動揺しているのは間違いない。
「承知しました。ではせめて元原住民としてお手伝いしましょう」
「余計な手出しはするなよ」
目を開いた天使が川上を睨みつけた。
「勿論です」
川上は丁寧に頭を下げる。
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京都市東部の閑静な住宅地に、池永邸の本宅はあった。
撃退士達は綺麗に整えられた庭を見渡せる応接室に集まっている。
部屋の壁には、中国風の衣装を纏った女性を描いた掛け軸があった。
「この絵は池永んに似ておるの〜」
ハッド(
jb3000)は豪勢な応接室の佇まいも全く臆するでなく、興味の赴くままに室内を見て回っている。
その時、ドアをノックして長身の老人が入って来た。
「この度は色々とご迷惑をおかけしております。池永です」
軽く頭を下げたのは池永家の当主、大仙である。
かなりの高齢と見え、細身で顔色も優れないが、矍鑠としており、目にはまだ強い力を湛えていた。
「あなた!」
意外な声の主は、真弓だった。聞いたことのない取り乱した声音である。
「起き出したりして、いけませんわ。どなたか!」
直ぐに家の手伝いと思われる人々が駆けつけ、慌ただしく当主を連れだした。
「すみません、お待たせしまして。部屋に姿が見えなかったもので」
真弓が座に加わった。
グリムロック・ハーヴェイ(
jb5532)は紅茶のカップを手に、真弓の様子を窺う。もういつも通り柔和で、どこか感情が欠けたような横顔だ。
ただゆっくりと真弓と小青が言葉を交わす時間を作ってやりたい。それだけのことがこんなにも難しい。
(一緒に生きたいのか、それとももう興味がないのか)
過去、責任、資格。それよりも大事なのは、今真弓がどうしたいかということだろう。
六道 琴音(
jb3515)が控え目に、だが毅然とした態度で沈黙を破る。
「小青と会って話をする際の、護衛をお受けします」
これが皆で出した結論だった。真弓が琴音を見る。
「ですが、私達にとって危険が伴う任務です。真弓さんにも半端な態度で臨んでほしくありません」
届いた手紙は『クー・シー』宛で、日本語だった。彼女の元の名を知る者は少ないはずで、小青もアヴィオーエルも会話はできても日本語を書けるかは疑問である。
ならば第三者の存在は否定できない。代筆なら、そこに小青の意図があるかも不明である。警戒は必要だ。
「過去の事に拘りすぎていては、事態が好転するとは思えません。今どうしたいのか。それをはっきりさせた上で、小青と会って頂きたいのです」
このやり取りを月居 愁也(
ja6837)がポケットのボイスレコーダーに残している。
(池永さん、小青と一緒にいたいとは言わないんだよな)
愁也は真弓のこれまでの言動にずっと引っかかりを感じていた。
突き放す。だが、話を聞こうと言い出す。
もやもやしたものがずっと晴れず、愁也を苛立たせていた。
真弓の本音を聞き出して、小青に教えてやりたい。その為の録音である。
だがついに愁也は我慢しきれず、身を乗り出す。
「そもそも池永さんはなんで小青を使徒にしたんですか?」
少なくともその頃は大事にしていたのではないか。でなければ堕天した後まで、小青が追っては来ないだろう。その時の気持ちを思い出してもらえないだろうか……?
「あの子はもうずいぶん昔に、死にかけていたのを拾ったのです」
そこに通りかかったのが、クー・シーだった。
「後で親に売られたと聞きました。そこで余り良い扱いは受けていなかったようです」
真弓が今は遠い過去を見るような目をする。
「このまま死にたくないなら方法があると言いました。但し、人間ではなくなると。あの子は迷わず人間を捨てることを選びました」
天使たちも未知の地球で、案内役が欲しいところだった。そして小青は使徒となったのだという。
話を聞きながら、夜来野 遥久(
ja6843)には真弓の中にまだ何か迷いがあるように感じた。
何とかそれを引き出したい。いや、共有して、解決したい。それは他の皆も同じ考えだろう。
だから。
「いっそ小青も天使も討伐すれば、貴女は安全ですね」
敢えて厳しい声で叩きつける遥久。真弓は特に表情を変えなかった。
「でも話を聞こうというのなら、そうしたくはないのでしょう」
櫟 諏訪(
ja1215)が穏やかな口調で続く。
「真弓さんは、小青のことをわざと突き放していませんかー? 一緒に歩ける未来だってあるかもしれません。このまま仲たがいしちゃったら、悲しいのですよー……?」
諏訪の懸念は、真弓がわざと小青に討たれる事を選ぶのではないかということだった。
今の主に手柄を立てさせれば、天界での小青の地位は安定するかもしれない。
その為に差し出せるほどに真弓の命は軽いものなのだろうか……?
それまで竜見彩華(
jb4626)は真弓の言葉を黙って聞いていた。
(使徒の小青さんに感情移入しちゃうなんて、撃退士失格かな……)
だが小青が哀れでならなかった。
差し伸べられた手に掴まった時、きっと小青は幸せだったのだろうと思う。
それが人間を否定する事だとしても、幸せでありたいと願う事はそんなにいけない事なのだろうか?
遥久の言葉にも表情を変えない真弓の姿が、不意にぼやけた。
「本当に『邪魔で捨てて行った』っていうのが真実で、もう小青さんに手を差し伸べるような情はないってことですか?」
気がつくと彩華は立ちあがっていた。否定して欲しい。その願いが小さな拳を震わせる。
「学園だって楽園ではないけれど、他よりはましなはずです! 報酬なんかいらない、先生たちも説得します。だから……!」
大きな瞳に涙を溜めて言い募る彩華。
真弓が穏やかな微笑を浮かべる。
「ありがとう、竜見さんは優しいのですね」
真弓はゆっくりとその場の全員を見渡した。
「わたくし、幾つに見えます?」
唐突な問いだった。誰も答えない。
「これでもこちらの当主の数倍は生きているのですよ」
天使は外見の成長を止めることができる。
「先ほどの竜見さんのお言葉ですけれど、半分は正解で半分は間違いです。捨てて行ったのは事実で、手を差し伸べるだけの力はもう残っていないのですわ」
真弓の表情が翳った。
彩華が目を見張る。だが、引き下がらない。
「それでも……小青さんの気持ちはどうなるんですか? 彼女の望みもまだちゃんと聞けていないのに。最初から諦めるの、いぐねえす!!」
雪室 チルル(
ja0220)は面倒なことは嫌いだ。考えるより先に動いて、真っ直ぐ目的に到達するのがチルルだ。だから真っ直ぐに真弓を見据えて、質問をぶつける。
「じゃあ小青ともう一度契約を結ぶのは、前に行ってたやり残し? それが終わってもできないのね」
真弓が頷く。
「どのみち現在の主との契約が優先されます。アヴィオーエルが契約を切るか、あるいは彼が死なない限り、小青は誰とも契約できません」
「そう」
チルルはそれ以上細かな事を尋ねるつもりはなかった。
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出発の準備のために、真弓が居間を出て行った。
「あたいは小青が騙し打ちして来るってことはないと思うわ」
そう言いながらチルルが腕組みする。
「怪我したばっかりだし、自分を庇ったんだから天使も小青を信用してるんじゃない? ほんとに呼び出したのが小青なんだったら、今回が話をする最後のチャンスじゃないかしら」
それまで黙って経過を見ていたジュリアン・白川(jz0089)が口を開く。
「関われば、嫌でも楽しいとは言い難い事情を知ることになる。だから諸君を巻き込みたくなかったのだが、そうも言っていられないな」
椅子に深く掛け、足を組みかえた。まるで何かを覚悟するように。
「実際の所、ある程度透過術を使うだけで昏倒する程に、彼女の天使としての能力は失われているんだよ」
堕天によるエネルギー吸収の大幅な減少。怪我の回復にかかった生命力。そして、加齢。
「あの絵だが」
白川が先刻ハッドが見ていた絵を指さした。
「以前、真弓さんはこの絵を求めて、ひとりで結界内に入ってしまってね」
学園生が白川と共に捜索に駆り出された件である。
「これは真弓さんをモデルに池永氏が描いたらしい。天界を捨てた理由、京都にいたい理由。全てにおいて彼女の中で優先されるのは池永氏だ」
その間にハッドは応接室を抜け出し、実に堂々と立派な廊下を歩いて行く。
暫くして、ようやく捜していた真弓と遭遇する。
「池永ん、少し聞きたい事があるのじゃ」
「なんでしょう?」
ハッドの質問に真弓が目を丸くし、そして小さく笑った。
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借り受けた装甲車は念のため、南要塞の跡地から少し離れた場所に停める。
素早く降りてきた諏訪のアホ毛が揺れて、周囲に敵がいないことを確認した。
「大丈夫みたいですよー?」
「ま、池永んが小青んのコトをちゃんと思っていたことを伝えられれば、思いの行き違いは回避できるじゃろ〜。邪魔をさせねば良いのじゃ!」
ハッドは潜行し、先に行った。
諏訪は真弓が車を降りるのを助けながら、小声で囁く。
「思うんですけど、捨てたことよりも、また突き放そうとしたことがよほど罪なんじゃないですかねー? ……過去は変えられなくとも未来は変えられますよー?」
真弓はただ黙って頷いていた。
瓦礫が積み上がる要塞を見据え、遥久は生命探知を使う。
この前の遭遇時に小青と充分会話ができなかったのは、天使が余りに早く現れたからだ。
小青にその気がなくても、天使に知らせる『何か』がここにはあると見て間違いない。
グリムロックは一団より少し遅れて続いた。
(俺は説得には向かないからな)
それでも差し伸べられた手の優しさに救われた一人として、小青の気持ちは理解できる。
もし小青が真弓と共に生きたいと願うなら、それは天界ではなくてもいいはずだ。
(どちらにせよ、小青が話をする時間ぐらいは確保してやらなければ)
前回の様な襲撃に邪魔されることなく。
改めて周囲を囲む建物を見渡すグリムロックに、琴音が声をかけた。
「今の所大丈夫なようです」
琴音は遥久と時間をずらして生命探知を使っていた。
(私の私の実力ではひっかからないかもだけど……)
グリムロックと頷き合うと、それぞれが仲間をフォローする位置に分かれて身を隠す。
先頭を歩いていた愁也が呻いた。
「来た、小青だ」
小柄な少女が瓦礫を踏んで近づいて来る。……サーバントはいない。
小青の鋭い瞳が一同を順に眺める。その視線が自分を向いたとき、突然愁也は手を目の前で合わせ、そこに額をつけるような仕草をした。
「こないだは悪かった、ごめん!」
小青は明らかに面喰っていた。
「あれは俺達が勝手にやったことで、ただ、ちゃんと話をしてほしかっただけなんだ! 奇襲は真弓さんの意図じゃない、信じてくれ!」
愁也は必死だった。その必死さに小青が足を止める。
「手紙読んでくれた?」
チルルが声をかけると、小青が頷くのが見えた。まだ警戒を解いてはいないが、直ぐに攻撃してくるつもりはなさそうだ。
「じゃあ聞きたいんだけど。あんたは池永を天界に連れて帰りたいのよね? その後、池永が無事って保証はあるのかしら」
小青がぐっと唇を引き結ぶ。そしてチルルにではなく、真弓に向かって声を上げた。
「それがご心配だったのですか? でしたら大丈夫です。アヴィオーエル様も約束してくださいました。天使様のお約束は絶対です。そうでしょう?」
誇りを重んじる性格の天使は、不名誉を好まない。それは確かだった。
その場の皆が真弓の言葉を行動を、息を詰めて待っていた。
「お前ごと天界を捨てた私を、ずっと気にかけてくれていたのですね」
穏やかな声だった。
「そうです、私は人間に惹かれお前を捨てました。そして今の私は、お前を生きながらえさせるだけの力も持っていません。私をまだ生かしておく理由が、新しい主を得たお前にありますか?」
「クー・シー様……!」
顔を歪め、小青が声を絞り出す。武器を手にする気配はない。
「おそばに居たいと、そう思うことがご迷惑なのでしょうか!? 他の天使様に従った私は、もう……」
「ならば」
真弓が白い手を差し伸べた。
「一緒に来ますか? ……お前はもっと辛い思いをするかもしれませんよ」
小青は迷わなかった。
少女は真弓がよろめくほどの勢いで、飛びついて来たのだ。
「最初っからそうすりゃ良かったんだよな!」
愁也が満足そうに言った。が、その笑顔が直ぐに険しいものになる。
「見逃してくれるつもりはないようだな」
「そのようですねー?」
白川と諏訪がそれぞれの銃を具現化する。索敵にかかったのは、やはりアヴィオーエルだった。
白い翼を広げ、真っ直ぐ突っ込んでくる先はただ真弓のみ。
一方の真弓は無言のままで小青をつき飛ばした。羽衣のような白い光を纏い、きつい目で天使を見据える。
「だめーっ!!」
彩華が召喚したティアマットの巨躯が真弓の視界を塞いだ。真弓は思わず一歩あとじさる。
捨て身の攻撃で命をすり減らしても、誰も幸せにはなれない。
「早く、今の内に逃げてください!」
「こっちだ」
グリムロックが小青を助け起こし、先を急がせる。
「気をつけてください! サーバントも来ます!」
琴音が近付く数体を感知し、鋭く警告する。
「我輩はバアル・ハッドゥ・イル・バルカ3世。王である!」
ハッドは魔法書を開き、雷の剣でヴォーパルバニーを背後から貫いた。
「頼むよ。もう重体はご免だからね!」
「お任せください。万が一の際もアフターケアは万全に」
楯を具現化した遥久の笑顔に白川が一瞬暗い表情になりつつも、天使に向け射程の長い一撃を見舞う。
当てる必要はない。僅かでも時間を稼ぐ。
「……小癪な!」
天使はティアマットに視界を遮られ、目標を逃して苛立っていた。そこに面倒な攻撃が脇を掠めて行く。
「あの連中を押さえろ!」
天使の命令に、グレイウルフ達が激しい勢いで駆け出した。
「そうはさせるか!」
天使に牽制攻撃を続ける白川を庇い、愁也が踊り出た。狩り漏らして近づいた敵は、遥久が確実に仕留めて行く。
そこにエンジン音が近づいて来た。
「長居は無用、逃げるわよ!」
装甲車からチルルの声が響いた。
車内では真弓と小青はひたすら無言だった。
気まずい沈黙に、ハッドが手を突き出す。
「池永んから聞いたのじゃ。好物じゃろ〜? 食べるがよいのじゃ!」
小青は月餅を手に、戸惑うように真弓を見上げた。
●
土埃を巻き上げ装甲車は走り去った。
「……まあなんとかなるかね」
そう呟き、川上は物影に消えて行った。
<了>