●
ダンス会場は半ば埋まりつつあった。
会場の隅の長机に、スーツにネクタイ姿の人物が二人。意味ありげに立てられた名札には暮居 凪(
ja0503)、カタリナ(
ja5119)の名前があった。
「マイク音量大丈夫……? チェック、1、2……。よし、初めまして。私、暮居です」
きりりと眼鏡を光らせ、凪がアナウンスを始める。
「カタリナです。今年もまたはじまりますね、暮居さん」
「そうですね、カタリナさん。昨年度は圧倒的な熱烈さで、とあるカップルが勝利を収めましたが――」
続く凪の説明にカタリナが頷く。
「成程、見どころは多いわけですね。どんなダンスが見られるか、今から楽しみです」
昨年参加した者は首を傾げながらも、二人の語りに耳を傾けていた。
開始時間までもうすぐ。
理事長のジュリアン・白川(jz0089)は廊下を歩いて来る百々 清世(
ja3082)の姿に眉を顰めた。
「あ、りじちょ……」
言いかけた清世に近づくと、やおら白川が首元に手を伸ばした。
「……カラーはきちんと止めて形になるように出来ているといつも言っているだろう!」
「あ〜息しにくいじゃん? 踊るのに酸欠になるじゃん?」
ぼやく襟元のネクタイが、容赦なく締められる。
「いいかね、君のことをくれぐれも宜しくと言われた以上、私には責任がある。私の目の届く範囲でいい加減なことは認めないからな!」
なんだかんだで保護者役らしく念を押し、白川は会場に入って行った。
こういう場でのお決まりの挨拶と拍手。やがて静かな音楽が流れだす。料理も次々と運び込まれて来る。パーティーの始まりだ。
黒のフォーマルスーツに身を包んだ石田 神楽(
ja4485)は談笑する理事長を遠目に見ていた。
神楽の目はいつも笑っているように見えるが、どこか油断ならない雰囲気が漂う。
「今年も変わらず、豪華な年越しですが。学園の資金運用には疑問が残りますね」
「神楽さんがどう金持ちになったかと同じ位の疑問やな」
宇田川 千鶴(
ja1613)がシンプルなラインの白銀のドレスの裾捌きも優雅に歩み寄り、両手に持ったグラスのひとつを神楽に差し出す。
「ありがとうございます。別に何も不思議はありませんよ」
神楽がグラスを受け取り微笑む。
「男は好きよな、陰謀とかさ」
大体予想はつく、と言わんばかりの口調の千鶴。
親が金持ちだとかは聞いたことはないが、神楽がここにいるということは、自身が資産家だということだろう。
学園の資金の話題にも何か意味があるのだろうが、気にしても仕方ない。
笑顔の下に何が隠れていようと、千鶴は神楽の傍にいることを選んだのだから。
「あ、これ美味しいですよ」
「……おおきに、ありがとうさん」
「すみません、ちょっと失礼しますね」
神楽が取り分けてくれたケーキを口に運び、千鶴はその背中を見送る。
「……なんや、不思議な人やね」
音楽が円舞曲に変わった。正装の若者たちがダンスホールへと移動して行く。
「あーあ、飯食う気もなくなっちゃう」
人波に紛れ清世は早々にカラーを外しネクタイを緩めた。
「ちょっとだけならばれないっしょ。まあでも、折角だし踊らないのも勿体ないか……」
そこで夢屋 一二三(
jb7847)が目に入った。
「俺と一曲、どう?」
白いドレスに身を包んだ一二三はビスクドールのようだった。白い肌を縁取る金の髪、深い深い蒼の瞳。
「ワルツは、学業の一環なのよね……いいわ」
少し考えるように首を傾げたが、結局一二三は清世の手をとる。
踊れないことはない。だが、組んで踊るのは少し自信がない。
(足を踏まないようにしなくちゃ)
それでも慣れているらしい清世のリードに任せているうちに、大好きな音楽が一二三を包み込む。
やがて余計なことは全てどこかへ飛び去った。
ウィル・アッシュフィールド(
jb3048)は銀髪をきちんと纏め、燕尾服を隙なく着こなし、スピネル・クリムゾン(
jb7168)の前に立つ。
「踊って貰えるかな」
差し出した手の袖口から覗くのは、彼女の名の宝石。
「ほぁ……ウィルちゃん王子様みたいなんだよ〜」
スピネルは少しどぎまぎしながらウィルを見上げた。ウィルはほんの少し口元を緩める。
「王子にだってなって見せるさ。声を掛けてくれた姫君がそう望むならな」
躊躇いがちにスピネルが手を重ねた。その手首にも揃いのブレスレット。純白のドレス、純白のリボンに薄紅色の髪が花の様に映える。
「えっと、ダンスパーティーなんて初めてなんだよ? 上手く踊れるかな〜」
「大丈夫だ。こういう場では男の方がリードすることになっているからな」
ウィルは自然な動作でスピネルを導いていく。
「こっちこっち! ささ、お手をどうぞ!」
少しおどけた調子で、ロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)がフィーネ・アイオーン(
jb5665)に向かって手を差し伸べた。
(……何だか少し浮かれているようですね?)
フィーネは内心で苦笑するが、今日は彼のエスコートに従うことに決めた。
「ふふ、よろしくお願いしますわね」
ロドルフォは少し大振りながら、巧みに隙間を縫って踊る。
「あら……ロドルフォ?」
フィーネが抑えた笑い声を漏らす。気がつけば爪先は見えない床を踏んでいた。
「何だか今日は気分が良いんです」
二人はまるで花畑で遊ぶ番いの蝶のようにふわふわと宙を漂う。
「ビールがもうないの?」
雀原 麦子(
ja1553)の声に、バーカウンターの中で給仕担当が平伏する。
「いいわ、すぐに届けさせるから」
何を隠そう、世界のビール市場を牛耳る麦子の実家。来年からは学園と交渉しビールをもっと大量に用意させねばと思った所で、控え目に声がかかった。
「宜しければ、踊って頂けますか」
龍崎海(
ja0565)が生真面目に麦子を誘う。
麦子は海の様子を素早くチェック。きちんとした服装、真摯な物腰。
「いいわ。喜んで」
麦子は麦色のドレスの裾をつまんで、海の手を取った。
(……見事なまでのアルコール分解能力だな)
踊りながら、心中で麦子のことをそう評する海。
海は代々続く医師一族の御曹司であり、自身も医者を志している。
このパーティーで魅力的な女性とお近づきになれれば……という目論見もあったのだが、つい麦子の飲みっぷりが気になってしまった。
海自身は、酒はたしなむ程度。性格的にも酔って醜態をさらすような真似は到底できない。
「……何か?」
麦子が怪訝そうに尋ねる。海は小さく笑っていたらしい。
「いえ。ダンスがお上手だなと」
「ふふ、ありがと♪」
「もう少しお付き合いください」
先日覚えたステップで、海は見事に麦子をリードする。
パーティーが想像以上に華麗で、天谷悠里(
ja0115)はぼうっとなってしまった。
(やっぱり場違いなのかな……)
悠里の実家も貧乏ではないが、この学園のレベルはケタ違いだった。
お姫様のようなドレスを着るのは嬉しかったが、着慣れているかどうかは一目でばれる。しかも男性とワルツを踊るなんて、到底無理としか思えない。
(踊れたらこういうパーティーも楽しい……のかなぁ?)
その悠里の前に、タキシード姿の人物が進み出る。
「宜しければ私と踊って頂けませんか、ユウリ?」
「えっ……?」
相手はシルヴィア・エインズワース(
ja4157)だった。
「シルヴィアさん、どうして……」
「ふふ、ドレスを着て踊るのは飽きました。今年はちょっと変わったことをしてみようと思いまして」
悪戯っぽく笑いながら、シルヴィアは悠里の手をとる。
「ユウリも私が相手の方が踊りやすいでしょう?」
流石先輩、お見通しだ。
「よ、よろしくお願いします」
つっかえそうになる悠里を、シルヴィアは巧みに導く。欧州の貴族社会で育ったシルヴィアは男性パートも完璧だった。もともと音楽が好きな悠里も次第に軽やかに踊りはじめる。
「結構楽しいですねっ。シルヴィアさんのお陰です」
悠里は心からの笑顔を向けた。
「ではベストカップル、狙ってみますか?」
二人はくすくす笑い合う。
●
プロの音楽家に混じって、学生もワルツを演奏している。
その一人、仁科 皓一郎(
ja8777)はヴァイオリンを弾きながら踊る人々を観察していた。
(流石、というべきか。上物揃いってカンジかねェ)
目が合った女子学生が微かに頬を染めるのに、軽い笑みを返す。だが皓一郎が上物と評したのは、彼女のネックレスだ。
彼にとっては退屈凌ぎの一環、趣味の怪盗。こうして弦をかき鳴らしながら、心の琴線を震わせるお宝を探索中なのだ。
メインは宝石だが、狙うは美女のみ。理由は明白。
(ソッチのが楽しいだろ? ……だが、見てくれだけじゃツマラナイ、てねェ)
お宝の価値と身につけている当人の価値。両方で心擽られる相手を何食わぬ顔で探し続ける。
不意にざわめきが起こった。
(あァ……あれはかなりの上物、か)
学園の中でも特別な者しか入れない上層階から降りて来たのは、広院王国の第三皇女、森浦 萌々佳(
ja0835)である。
階段の下にたちまち男子学生の人だかりができた。
萌々佳は正直、げんなりしていた。自分の地位やバックボーンしか見ていない男達に。そしてその中で微笑んでいる自分に。
青空・アルベール(
ja0732)は手の届かない星を見るように、萌々佳を目で追い続ける。
「どうしたんだろう……あんまり楽しくなさそうなんだな」
天涯孤独の身になって、理事長の計らいでこの学園に来て数年。避け続けていたパーティーに顔を出す気になったのは、ひとえに彼女故だったからだ。
「一度でもいい……萌々佳さんとダンスしたい!!」
イエス、フォーリン・ラブ。青空はある日見かけた萌々佳に、無謀にも一目ぼれしてしまったのだ。
上等のスーツを借りてなんとか体裁を整えたものの、人垣は想像以上だった。
だが、ここで諦めるわけにはいかない。
メンナクこと命図 泣留男(
jb4611)は取り巻きの中、萌々佳に近づく。
普段愛する黒の代わりに、彼は純白のスーツに身を包んでいた。
「嗚呼……だが、美しすぎるマイ・シナジーで陶酔Day」
赤いバラを胸に刺し鏡に映る自分は、色眼鏡なしに完璧すぎた。いや本当に、普段絶対に外さないサングラスも外して見たのだから間違いない。
今宵彼は、華麗な花盗人。ここにも怪盗が一人潜んでいたのだ。野郎(警備員)を倒すのも女を落とすのも三秒で充分だ!
「フ……今宵は俺のナイトメアで酔えばいい!」
計算し尽くした角度で差し出す赤いバラ。流し目も完璧だ。
「あ、そーゆーの間に合ってますんで」
笑顔で断った萌々佳は、次に差し出された物に目を止めた。可愛い猫のぬいぐるみが、素朴な花束を抱えている。
「き、今日一日、私のヒロインになって欲しいのだ!」
真剣な緑の瞳が萌々佳を真正面から見据えた。
「だめ、かなー……?」
萌々佳が不意に微笑んだ。今宵初めての心からの笑み。
「いいですよ〜」
それはほんの気まぐれだったかもしれない。けれど萌々佳の心中で何かが起きたのは確かだった。
●
グラスを手に喧騒を眺め、フレデリック・アルバート(
jb7056)は壁際に佇んでいた。
「日本に来てまでダンスパーティー、ねえ」
深蒼のネクタイが英国式フォーマルスーツに良く映えているが、フレデリックには着心地の良い衣装ではなかった。仕立てが悪いわけでは決してない。気持ちの問題である。
談笑の輪から外れただぼんやりしていると、突然の聞き慣れた声。
「お手をどうぞ、……躍ろうぜ」
どこか不遜にすら思える目の輝き。アラン・カートライト(
ja8773)だ。フレデリックは呆れ顔でその手を見つめる。
「……お相手には困ってないだろう? 君は」
続く軽い溜息。僅かの躊躇いの後、敢えて淡々と言葉を続ける。
「そもそも、男同士はマナー違反。この上なく目立つだろ」
咎めだてを装った気遣い。ここは人目がありすぎる。
「困ってねえからこそ、踊りたい奴を誘うんだ。何が悪い?」
アランが鼻を鳴らした。普段なら咲き乱れる花から花へ飛びまわる。だが今夜踊りたい相手は、想い人唯一人。
「……どうなっても知らないよ、俺は」
「別に構わねえさ、いっそ今夜の主役を奪おうか」
向かい合い、耳元に囁く。心を偽るのは今宵限りだと。
全てが白日のもとに晒され、それで世界中から謗られるとしても――。
「エスコートは任せろ、安心して身を任せりゃ良い」
お前は俺に全てを任せてりゃいい。俺が全部引き受けてやる。
優雅で切ないステップ。束の間の興に、身を任せる。
秘密を抱えた者は他にも。
「やるならとことんとは言ったけどな……」
月居 愁也(
ja6837)がほとんど自棄でモデル立ち。
「ベストカップル賞? こうなったら狙うよ、勿論」
瞬きすると長い睫毛が風を送る。結い上げた髪には華麗な髪飾り。華奢なドレスの胸は特殊メイクで美しいカーブを描き、ヒールの足はつるつるだ。実は下着まで完璧である。
「ドレスもとても良く似合っていますよ、愁也」
夜来野 遥久(
ja6843)が魅惑的な笑顔で親友を褒めた。
「エステサロンに送りこんだのは誰だっけ?」
「さて、何のことでしょう」
だが向かい合う正装の遥久に、愁也は全ての努力が報われたような気になる。
(やっぱ遥久が一番カッコイイよな)
女役だろうがなんだろうが、オトコマエの親友がエスコートしてくれるなら完璧にやり遂げるぜ!
ふと愁也が長机の二人に目を止める。
(あれ? 毎年あんなのいたっけ……まあいいや)
遥久に目くばせし、華麗なポージング。凪が思わず声を上げた。
「私の想像以上の改装です。よくできましたっ!」
直後、咳払いしカタリナに話題を振る。
「このように今年はなかなかの激戦ですね。どうですか、カタリナさん」
「実はこの席に座るの初めてなんですよ私。緊張しますね」
そこに背後から控え目な声がかかり手が出てきた。咄嗟にカタリナが相手の手を捻る。
「うわっ!」
「わ〜ぉ、あたしの後ろから急に話しかけると、危ないですよ〜?」
中山律紀(jz0021)が慌てて机に手をついた。
「いや、これ。落ちてましたよ!?」
律紀が必死で何か書きつけたメモを振る。
「……すみません」
今度はカタリナが咳払いして、メモを受け取った。
「では、これからも参加される方の健闘に期待しましょう」
「そうですね」
二人は手元の紙に何やら書きつけながら、謎の実況ごっこを続ける。
(……あの二人、あそこで何やってるんだろ?)
律紀が首をかしげた。
●
華やかな表舞台を支える裏方はまさに戦場だ。贅を尽くした料理が次々と会場へ運び込まれる。
「え〜と……これはこの方がいいかな〜」
星杜 焔(
ja5378)が添え物の位置を直した。一見高校生の様だがこれで三十路の教師。担当は技術家庭科だ。例えバイキング形式でも、提供する物は完璧に仕上げたい。
「では差し入れを持っていきますね」
大きな風呂敷を手ににこにこ笑う。
「私が運びますので〜後はよろしくお願いします〜」
焔は厨房を後にした。
「お姉様〜ここだったんですね!」
通路を駆けて来た歌音 テンペスト(
jb5186)に、大八木 梨香(jz0061)が振り向いた。
「あら、歌音さん。ちょうど休憩を頂いたところです」
警備担当の印である腕章と儀礼服の二人が並んで歩く。
「今の所は特に問題はなさそうですね」
ふと梨香は、柔らかく暖かな手が自分の手を握るのに気付いた。
「平和を守りましょうね……愛の力で」
「えっ」
何故か歌音が潤んだ瞳で梨香を見つめていた。
「いや、あの……あら、星杜先生!!」
渡りに船とばかり、梨香が声を上げる。
「おや、梨香くんは今年は警備なのか。なんだか勿体無いねえ折角のお祭りなのに」
微笑む焔。歌音は内心で舌打ちした。
「今年で高等部も終わりだろう? 悔いが残らないようにね。そうそう、これ差し入れだよ。皆で食べなさい」
「有難うございます」
梨香は嬉しそうに風呂敷包みを受け取る。
「大八木お姉様、じゃあいっしょにいただきましょう。ふ た り で」
歌音が腕を引きならがら焔の背中を見送る。
(あの教師……怪しい!)
歌音のセンサーが反応した。
怪しいの意味は、デキているの意味だ。
そうとは知らない星杜 藤花(
ja0292)は、少し寂しげな壁の花。
(焔さん……まだお料理頑張ってるのかしら……)
学園でも一部の者しか知らないことだが、焔は藤花の夫である。教師と学生の間は関係を明かすこともできない。
(でも……今日一緒に踊る位は、構いませんよね……?)
藤花は薄青のドレスの裾を弄びながら、焔をひたすら待っている。
「……待たせてしまった、かな」
気遣うように声をかけた焔に、藤花はふわりと微笑む。
「大丈夫ですよ。それよりも今日は無礼講、なんですよね……先生?」
「うん、無礼講……だよ」
藤花が差し出した手を取り、焔はそっと小柄な背中に手を添えた。
「その、とっても綺麗だ」
藤花が大きく目を見張り、そして嬉しそうに頬を染める。
ワルツは続く。清世は音楽を背に廊下に出た。
「あーあ、やっぱちゃんとしたのは疲れるわ……と、大八木ちゃんどこ行くのー」
「あら百々先輩。こんばんは、良い夜ですね」
梨香が風呂敷を下げたまま丁寧に挨拶する。その余りの場違い感に、清世は悪戯心を刺激された。
「踊らねぇの? 楽しいのに」
「今日は警備担当ですので……」
理事長と昵懇らしい清世は、梨香にとっては遠い存在だ。それでなくても華やかな噂の絶えない清世のようなタイプには少し気後れしてしまう。
「えー、いいじゃん。一曲くらいなら、ばれなくない? ほらほら」
「あ、あの、ええええ!?」
何だかんだで腕をとられ、少しおどけたワルツのステップ。
「じょうずじょうず〜♪ でもその顔……!」
ひとしきり踊った後も強張ったままの梨香の顔。清世が笑いながら梨香を解放する。
「んじゃあと頑張ってね〜」
「……あの、有難うございました」
梨香はぺこりと頭を下げる。こういうときちゃんと対応できない自分が少し情けなかった。
●
音楽が不意に途切れる。
「10! 9! ……」
揃って声を上げ、カウントダウン。
「……何のつもりかね?」
背中に突きつけられた固い感触に白川が薄い笑み。背後に立つのは愁也だった。
「いえ、少し理事長に踊っていただこうかと」
愁也が引き金に力を籠める。
「……2! 1!」
パァン!
「ハッピーニューイヤー! 新年初どっきり、楽しんでもらえました?」
万国旗を肩から外し、白川が軽く溜息をつく。
「君のドレス姿の方がサプライズだね。ともかくハッピーニューイヤー」
「本年もどうぞ宜しくお願い致します」
遥久が声をかける。談笑する二人を横目に、愁也が小さく肩をすくめた。
「……ま、本当のどっきりは他にあるんだけどね」
遥久の笑顔が嫌に輝いていた。
かわされる新年の挨拶が、突然悲鳴に変わる。
「全員武器を捨てて両手を上げろ〜♪」
ダダダダダ。火を噴くマシンガン、飛び散るグラス。
騒ぎの元は麦子だった。
「さあいらっしゃい、警備部♪ 退屈しのぎぐらいはさせてよね!」
海がすぐ傍の凪とカタリナに退出を促す。
「この場は離れてください。念の為です」
マイクを持ったまま立ちあがる二人。
「おおっと、世界最高峰の警備部VSお嬢テロリスト! この勝負は見逃せませんね!」
「現場の中山さん、そちらからのレポートお願いします!」
「えっ」
勿論カメラを構えていた律紀だが、いきなり振られ困惑する。
「ええと、その、理事長今の御心境は如何ですか!」
突き出されたマイクに、白川の落ちついた声。
「まあ危機対処の訓練としては初歩的な物だがね。皆、頑張りなさい」
「これも教育のうち、ということでしょうか」
遥久も落ちつき払って小首を傾げた。その視線に意味深なものを感じながらも、白川は頷く。
「そういうことだね」
「成程。興味深いですね。宜しければもう少しお伺いしたいものです」
銃弾飛び交う中、禍々しい笑みが交わされる。
この騒ぎを黙って見逃す手はない。メンナクはひと際豪華な髪飾りを見つけ、そっと忍び寄る。
「ちょっとワイルドな女も嫌いじゃないぜ」
「あぁ?」
すぽん。愁也の頭から髪飾りと一緒にカツラがもげた。
「今夜の名残に赤い花か。悪くない」
「ちょ、俺の完璧なズラがっ!」
白いスーツがひらりと身を捻る。そのまま会場を突っ切ると、バルコニーからFly Away!
「俺はメンナク。ブラッカーの帝王は夜の翼で君臨するのさ!」
隠していたグライダーを広げ、ポケットからキラキラ輝く宝石を大量に覗かせながらメンナクは華麗に飛び去った。
「萌々佳さん、あの大きな赤い宝石……?」
メンナクのポケットから覗いていた宝石に、青空が慌てて萌々佳を振り返った。
「ああ〜いいんですよ、あんなの。あなたのくださったこれが残ったなら」
――心の籠らない宝石なんかより。
萌々佳は猫のぬいぐるみをしっかり胸に抱き、優しく微笑む。
「それよりも、もっとあなたのお話をきかせてくださいな〜」
青空は胸に満ちる幸福感にうっとりする。
騒動に警護隊が集まって来る。
「真実はいつもじっちゃんの名にかけて謎は全て犯人はお前だ! 隠してるものを出せえい!」
歌音がやおら、傍らのドレスの下に潜り込んだ。悲鳴を敢えて無視し、梨香はひたすら廊下を駆ける。
皓一郎は忍び笑いと共に紫煙を吐いた。
「あー……ムキんなって走ってンな。面白れェわ、ホント」
麦子が暴れ出したので、目ぼしい品は容易く手に入ってしまった。これでは退屈凌ぎにもならない。さて、この無聊をどうするかと思っていたところだ。
「チョッカイかけられちまうの、待ってるみたいだねェ」
豪華なネックレスがするりと滑り落ちる。
「えっ……!?」
梨香は慌てて落ちてきた物を受け止めた。と同時に、ひらりと降りてきた全身黒ずくめの影に思わず身を引く。
「ど、どこから!? これはなんです!?」
「こんな夜に、野暮はナシってェことで」
宝飾品を握りしめた手を不意に掴まれ、梨香が目を見張る。
「え、あの、ちょっと……」
「一曲付き合えよ。そんでその後、おまえさんに捕まンなら、悪くねェ」
耳元に囁かれ、梨香の顔が一気に紅潮する。
「か、からかってるんですねっ……!」
だが振り払う手に力が入らない。煙草の匂いが近かった。
「大八木お姉様ーっどこですか!」
「おっと」
歌音の声に、皓一郎は手近の柱の影へ。だがそこには先客がいた。
「何やってんだ、お前」
アランが背後にフレデリックを庇いながら、皓一郎と梨香を見比べる。
「よう、カートじゃねェか。お楽しみのトコ悪ィが、ちっと誤魔化しといてくンねェ?」
「きゃっ!?」
アランの方へ梨香を押しやり、皓一郎は風のように立ち去った。
「……あの野郎、この貸しは高いからな」
等と言いつつ、梨香を紳士的に支えてやるアラン。
「お姉様、ここにいましたね!」
「ひゃあ!?」
続いて歌音が鼻息荒く飛びこみ、梨香に迫る。
「私本当は犯人とかどうでもいいの。というかお姉様は大変なものを盗んでしまいました……それはあたしの心です!」
「お前、案外やるな」
アランが梨香をしげしげと見た。
「何がですか! それどころじゃないんですって! 怪盗とお嬢テロリストが!! とにかく失礼しますッ」
踵を返した梨香に、歌音が背後から飛び付いた。
「寝室はいつも一つ!」
「ぎゃあああ!?」
アランが溜息をつき、フレデリックを手招く。
「いいのか? あれ、放っておいて」
「後で必要な情報はくれてやる。今は邪魔されたくねえんだよ」
折角の夜がえらい騒ぎになって来た。
●
セキュリティサービス他と楽しく戯れた麦子は捕獲された後、理事長を前にこう言った。
「サプライズよ、サプライズ♪」
「……後日ゆっくり話を伺うことにしよう」
「あ、ちゃんとビールは用意しておいてよね!」
からからと笑う麦子。反省の欠片もない。
騒動は収まったが、既に楽団は避難していた。
「ユウリ、一緒にどうですか」
「え……っ」
シルヴィアの誘いに、悠里が乗らない訳があろうか。ピアノの連弾で奏でるワルツ。
「上手ですよ、ユウリ」
「有難うございます!」
ダンスは勿論とても楽しかったけど、憧れの先輩と一緒に演奏するのはとても素敵。
そこに神楽がチェロを手に千鶴を誘う。
「楽器がピアノだけでは寂しいですね。一緒にどうです?」
「あんまり上手やないけど」
千鶴が笑いながらヴァイオリンをとりあげ、奏ではじめる。
「何でもそつなくこなすし、ほんま変な人」
どこか掴みどころのない男だが、そんな相手を選んだのは自分だ。
「何か言いましたか?」
「なんでも」
唯一無二のハーモニーが、絡み合い、混ざり合って夜を満たして行く。
音楽が流れ、踊りが始まる。
「上手じゃないけど! でも、踊りたいんだ!」
青空の誘い方は洗練とは程遠かったが、萌々佳にはそれも好ましかった。
「喜んで〜」
危なっかしい青空のステップに合わせ、萌々佳は優雅に踊る。青空を落ち込ませないように、さり気なくカバーしながら。
「こんなに楽しいダンス久しぶりですよ〜」
「ほ、本当……?」
素直で真っ直ぐな気持ちは萌々佳に届いた。
届き過ぎて、後に第三皇女は国を捨て青空の押しかけ女房に収まるのだが、それはまだもう少し先の話である。
月の光が降り注ぐバルコニーへ、ロドルフォがフィーネを誘った。
グラスを手に、二人並んで月を見上げる。そっと窺ったフィーネの顔は、月の光を浴びて神秘的なまでに美しかった。
ロドルフォは不意に表情を改めると、膝を折って跪く。
「どうかしました?」
「ロドルフォ・リウッツィにとって、フィーネ・アイオーンが存在しない世界は意味がないんです」
フィーネの手を取り、掌に懇願の口づけ。
「俺は……これからも命張りますよ、きっと。貴女のために命を賭ける権利を、俺にください」
だが完璧なまでに美しいこの言葉が、フィーネの地雷だった。
「なんですって……?」
フィーネのこめかみの青筋が、月の光に浮かび上がる。
命を張る。そんな言葉を口にされたくない。ましてや実行するなんて。
「ロ−ド−っ? そこに正座!!」
「えっ……???」
何故か渾身の告白が説教タイムに突入。それも互いがあってこそ、ではあるのだが。
「……たく、やっと少し静かになったと思ったら」
アランがバルコニーでぼやく。どこもここも賑やかで、折角の時間が台無しだ。
「まあ新年のパーティーだからね……あれ?」
小さく笑ったフレデリックが、不意に黙る。
中ではない。違う場所から流れるヴァイオリン。その音色にアランがニヤリと笑う。
「仁科の奴、さっきの罪滅ぼしのつもりか? まあいい、踊ろう」
改めてアランはフレデリックの手を取った。
スピネルがウィルの袖を軽く引いた。
「ウィルちゃん……あたし下手っぴだけど……一緒に踊ってくれる?」
年の変わる瞬間を一緒に過ごせた。ただ日付が変わっただけのことなのに、とても特別な、何か新しい世界が開けたような気分になる。
だから思い切って誘ってみた。
「勿論だ……俺は君とが良い。君とでないと、駄目だ」
ウィルが静かに、けれど熱を籠めて言う。
不思議だ。自分が自分じゃなくて、なんだってできるような気がした。
「本当? あと……人前じゃ恥ずかしいからお外で踊りたいんだよ?」
「……こんなに月も綺麗な夜だ、月の夜空に踊ってみよう」
今なら空だって飛べる気がする。そう、スピネルと共に。
スピネルのドレスが、月光を浴びて淡く光を放つ。
「月の円舞曲なんてすっごい素敵なんだよ!」
共に空を舞いながら、ウィルはそのことを全く不思議に思わなかった。
「夢だってわかってても醒めなきゃ良いのにって……わがままかな?」
「君だけの我侭なんかじゃない。……こんなに月が綺麗な夜だから、な……?」
月が綺麗だ。
それは昔の人が優しく言い換えた、異国の特別な言葉。この意味を、スピネルは知っているだろうか……?
「どうしたの?」
「なんでもない。月が綺麗だなって」
いつかきちんと伝える日まで。今はそれだけ。
一二三は目を閉じて、流れ出る音楽に身を任せる。
月の光に導かれるように喧騒を離れ、夜空をふわりと舞う。冷えて澄み切った空気はどこまでも清浄だった。
一二三は自然と湧き上がる旋律を歌にして解き放つ。
新しい年が、素晴らしいものとなるように。優しい歌でその始まりの日を寿ぐ。
――やっぱり歌うのって素敵。
楽器の音と混じり合い、一二三の歌声は何処までも遠く高く響き渡って行く。
「美しい新年の始まりだね」
目を細め白川が呟いた。銃痕はとりあえず無視するつもりらしい。
「ではそろそろ。お約束の日、楽しみにしております」
「ああこちらこそ。楽しみにしている」
遥久と握手した白川が、ほんの一瞬怪訝な顔になる。
その感触は男のものではなかったからだ。だがすぐにいつもの微笑が戻った。
「……君の話には大いに興味がある」
見送る遥久の隣に愁也が並ぶ。
「いいのかよ? ばれたみたいだけど」
「寧ろ好都合です。何より理事長自身に興味がありますからね」
「げっ、マジで?」
意味ありげに目を細める遥久を、愁也が恐ろしい物を見るように眺めた。
今まで自分が女装したりして目を引き、誤魔化していた事実。遥久が本来の女性に戻る日が来るのか……?
愁也の気持ちを代弁するかのように、背後で花火が打ち上がる。
バルコニーから眺める花火は圧巻だった。
「すごいね、藤花。ほらまた上がった」
焔が藤花の肩を抱き、空を指差す。
「きれいですね……」
焔の腕から直接伝わる温もりに、藤花は心からの幸福を感じた。
おとぎ話のお姫様と王子様のように、正装で堂々と踊り、身を寄せ合う。
こんな夜がずっと続けばいいのに、と願わずにはいられない。
花火を眺めて願うことは、それぞれ。けれど幸せなこの時に思うのは一つ。
これが夢なら、どうか覚めないで――。
<了>