●小林の事情
約束のカフェには、小林哲也が待ち構えていた。
席に着くと黒須 洸太(
ja2475)は早速用件を切り出す。
「今ある状態でいいから、そのプレゼントの中身、見せてもらえないかな?」
彼女との関係を壊したくない一心で、このような依頼を思いついたのだろう。洸太は小林を素直な奴なのだと思う。それならばこちらが面白半分ではない本心で語りかければ、伝わるはずだ。
「プレゼントの中身を復元するためにも、情報が欲しいんだ」
熱心に語りかける洸太。
本当は、自分が悪いと思っているなら、謝るべきだとは思っている。
だがまずは小林の信頼を得なければ何も始まらない。
「ええと、その……」
「依頼を受けた僕達を信頼してほしいんだ、全力を尽くすから」
小林の目が落ちつきなく動く。
背筋をしゃんとのばし、真っ直ぐ見つめてくる御幸浜 霧(
ja0751)の視線を避けるかのようだ。
霧が口を開いた。
「とにかくモノがわからないことには。見せていただけませんか小林様? もちろん口外は致しません」
小林は、箱の中身の本来の状態を知らない。
だが自分の過失だけで中身がとんでもない物になったとは限らないのだ。
万一その物体に最初から難があったなら、彼女に恥をかかせるわけにはいかない。
なので、同年代と思しき霧に対してすぐに「はいそうですか」とは応じにくい。
霧は自分が信用されていない、と悟った。
少し目を伏せると、やおら上着の内ポケットから、切り出し小刀を取り出した。
きっと糸切り歯でハンカチを裂き、手早く左手の小指の根元を縛る。
この間、余りに自然な動作に、小林は絶句。
「……万が一にも、このわたくし、仁義にもとることなどあらば……そのときはこの通り。落とし前つけさせて頂きます」
鋭い刃物の切っ先を突き立て、霧は低い声で迫る。
ほとんど説得というより脅しに近い物があるが、霧の目はあくまでも真剣だ。
「わ、わかった! わかったから、それやめて!」
小林が折れた。
鞄から取り出した小箱の蓋を、そうっと開く。
「これは……時期的にはチョコレート、というところだろうか」
箱を覗きこみ、志堂 龍実(
ja9408)が呟いた。
確かにベースの色合いは、チョコレートである。ただ所々、カラフルなだけで。
「……そのようですね」
霧自身はそのような行事に心当たりはないが、学園中がどこか浮かれていたのは知っている。
なのでその日に渡されたプレゼントが、小林にとってどれだけ大事なものだったかも、推測はできた。
「大事にしすぎたのですね、小林様は。お気持ちはわからないではないですけれど……」
どろりと横たわる物体にため息をつく。
「一応確認しておくけど……森は料理とかお菓子作りとか、得意な方なのか。差し支えなければ教えて欲しいんだが」
龍実は小百合の女心を傷つけないよう、言葉を選んで尋ねる。小林は即答した。
「前に手作りクッキーを貰ったけど、すっごく美味かった!!」
同時にがっくりと肩を落とす。そう、やはり自分の過失の可能性が高いと思い至ったのだ。
袋井 雅人(
jb1469)が重々しく口を開いた。
「小林君、どんな形になっていようとも彼女の愛のこもった贈り物です。ここはひとつ、実際に食べてみませんか」
何を言い出すんだ。小林の目が見開かれる。
「いや、ちょっと待って! これどう見ても怪しいと思うよ!!」
「小林君だけに押し付けるつもりはありません。許可が得られるなら、私も味見に加わらせて頂きます」
「袋井君、君の犠牲は無駄にしないよ……!」
洸太が何故か目頭を押さえる。つい最近仲間をかばって大怪我をした男だが、こういう場合は躊躇わず崖っぷちで背中を押す。
小林は、依頼斡旋所のアルバイト大八木 梨香(jz0061)を心中で呪った。
何故こんな連中を俺の所によこした!?
……まあどう考えても八つ当たりではある。
「さあ、小林君! どんなにエキセントリックな味がしようとも、彼女の愛ですよ!」
茶色くて、赤くて、白くて、緑色の物体が、静かな存在感を漂わせていた。
●小百合の事情
その後、霧は森小百合のクラスへと向かった。
当人がいないことを確認すると、手近な女子学生に声をかけ、小百合と親しい者を呼び出して貰う。
「小百合ならさっき、帰りましたけど……」
女子学生が怪訝そうな顔をする。
「いえ、ちょっと教えて頂きたい事がありまして。先月の14日頃、森殿は何か贈り物を用意されていましたか」
「あー、バレンタインデーですか。彼氏の為に手作りのお菓子を作るって言ってましたけど」
霧が身を乗り出した。
「お菓子ですか。具体的には何を作ったのですか」
「そこまでは知らないですよ。……何かあったんですか?」
親友が彼氏にプレゼントした物をチェックしに来た見知らぬ女子を、明らかに警戒している。
霧には勿論そのような意図はないが、そう思われても仕方のない会話だ。
本当の目的を語ることができない以上、これ以上情報は引き出せないだろう。
「いえ、今担当している依頼に関する事なのです。詳しくお話できなくて申し訳ありません」
霧が丁寧に頭を下げると、依頼内容の守秘義務については弁えた撃退士、相手の女子学生もそれ以上は何も触れてはこなかった。
とりあえず、何かを作ったらしいことは間違いなさそうだ。
仲間にそう連絡を入れる。
霧に引き続き、洸太からの連絡が入る。
茶色くて赤くて白くて緑色だが、どうやら味はチョコレートらしいと。
「みんな、後はお願いするね」
紅華院麗菜(
ja1132)は、昨年の文化祭の出店で小林哲也、森小百合共に面識があった。
「……あの二人、なかなか一筋縄ではいかないみたいですわね。前回も楽しませて……もとい、ご迷惑をお掛けしたこともありますので、お力添えしたいと思いますの」
ちなみに麗菜、前回は逃げる小林を追い詰めて、危うくトラウマを植え付けるところだったのだがそれはともかく。
今回は、月乃宮 恋音(
jb1221)が小林の『急な依頼』に関係した後輩、麗菜とカタリナ(
ja5119)がその友人という役回り。恋音が『バレンタインのことで悩んでいること』があり、『できれば女子だけで話がしたい』ので小百合を紹介して貰ったという筋書きだ。
約束の喫茶店に、小百合がやってきた。
「……あの、今日は、わざわざ有難うございますぅ……」
恋音が顔を半ば隠す前髪の下で、目を伏せる。
元々初対面の相手と話をするのは苦手なのだが、依頼となれば苦手も乗り越える。
だがその頑張って話をしている様子が、呼び出した理由に説得力を持たせた。
「私達も今回は一緒に行動しています、宜しくお願いしますね」
カタリナが穏やかな笑みを向けると、小百合はにっこり笑って会釈した。警戒心のない笑顔だ。
「……え、えとぉ、早速なんですけどぉ……」
小百合と向かい合わせに座り、恋音が切り出した。
今年のバレンタインデーに手作りのチョコを渡した相手がいるのだが、本当に美味しかったのか、綺麗にできていたのか、自信がない。そういうような事を説明する。
「……美味しいって、言うに決まってますよねぇ……」
「そうですね、聞いたらたぶんそう言われますよね」
小百合が考え込むように言った。そこにカタリナが水を向ける。
「うん、やっぱり気になりますよ、ねー? 私の彼氏なんて、誕生日にケーキを焼いてあげたのですけど。勿体無くて食べられないとか言って、結局一番美味しい期間に食べてくれなかったんですよね」
カタリナがため息をついてみせる。
「大事にしてくれるのは嬉しいんですけど……こちらとしては、やはりベストの物を食べて欲しかったですね」
「気持ちは判りますけど、私ならちょっと残念だと思いますの……」
麗菜が『ありえないわー』という表情でカタリナを見ると、小百合が真剣な顔で頷いた。
「それ、すごく良く判ります。『美味い物は宵に食え』っていう言葉もあるくらいですもん。やっぱり、いちばん美味しいところを食べて欲しいですよね!」
カタリナは力説する小百合を、好ましい気持ちで眺める。
小百合は本当に小林のことが好きで、そしてやっぱり小林も小百合のことが好きなのだ。
だからこそ、今回のような問題も持ち上がる。
喫茶店の一隅が、何だかちょっと盛り上がって来た。
「そういえば森さんは、小林さんに何かプレゼントしたんですか?」
「えっ、あ、はい……」
慌てたように顔を上げ、カタリナを見る小百合。
「仲良しで羨ましいですね、どんな物をあげたんですか?」
「ええっと一応、手作りチョコ、ですけど」
どこか歯切れの悪い小百合に、恋音がそっと窺うように言う。
「……手作りですかぁ、やっぱりトリュフとかぁ……?」
「生チョコ風にしてみたんですけど……」
「……良かったらぁ……参考にしたいので、レシピとか教えてもらえますかぁ……?」
「いいですよー。えっと、材料は……」
小百合がメモを取り出し、さらさらと書きつける。
どうやらプレゼントしたのは濃厚な生チョコにフルーツソースを添え、甘酸っぱさを楽しめるようにした物だったらしい。
「ここのタイミングだけ間違えなければ、失敗はないと思うんです」
無邪気な笑顔でメモを手渡す小百合。
喫茶店を出て別れた後、カタリナは洸太に電話をかける。
「――だそうですよ? 小林さんにお伝え下さい。あんないい子に嘘ついたままでいいんですかって」
自分なら、ダメにしてもそう怒りはしないだろう。ただ、本当の事を言って欲しいだけだ。
優しい嘘より、真実が欲しいこともある。
そして最後に付け加えた。
「あと、小林さんと袋井さん大丈夫ですか。早めに薬を用意してあげてくださいね」
電話を切った洸太は、カフェのトイレを占拠したままの雅人を思い、ため息をつく。
味を確認する為に、小林よりも多く食べたのだ。ちなみに小林は、鬼道忍軍のスピードで、既に別の個室を求めて立ち去ったあとである。
龍実は、伝え聞いたレシピをチェックする。
「内容に問題はないな。大丈夫だ、これなら明日には持ってこれる」
合流したエルナ ヴァーレ(
ja8327)が、いつの間にか頼んでいたビールを片手に手をひらひらさせてみせた。
「となると、彼女に正直に言うのがやっぱり一番よねぇ……よし、あたいに任せて!」
小林を呼び出す時間と場所を取り決めると、今日の所は解散となる。
●真の解決
その翌日。
小林は屋上にやってきた。龍実が紙箱を差しだす。
「これ、頼まれてた物。材料なんか見る分には、森が余程の事をやらかしてない限り、再現できてるはずだ」
龍実は得意な料理の技量を生かし、非のうちどころのない『生チョコレート・フルーツソース添え』を作り上げてきた。
昨日の実食で危うくチョコレート恐怖症になりかけていた小林は、完璧に仕上がったチョコレートにも、一瞬眉をしかめる。
既に匂いが厳しい。
それでも頑張って意を決して口に運ぶ。
「あ……美味い」
もう一口。
「うん、なんか甘いチョコレートに、甘酸っぱいソースが凄くあう。なんだろこれ、苺じゃないな」
「フランボワーズ。木イチゴだな」
龍実が解説する。
「なるほど〜、昨日のは別にヤバくて酸っぱかった訳じゃないんだ……」
小林は満足そうだ。
「うん、有難う、すごく美味しかった! これでちゃんと感想が言えるよ」
そのときだ。
「そう、そのチョコは美味しいでしょう。しかし……」
エルナの声が高らかに響き渡る。
「それには足りないものがあるわ……それは、彼女の愛よ!!」
屋上のフェンスの上にハイヒールですっくと立ち、外套の裾を風になびかせ、小林を指さす。
そりゃ作ったのは龍実だから、そういう意味の愛はない。あったら困る。
「彼女は正直な愛をくれていたのに、あなたはそれに対して正直に返せなくていいの? 嘘や後悔を抱えたまま彼女と一緒にいていいの? あなたはそれで、本当に後悔しないの?」
崩れたチョコレートは、お互いがお互いを大事に思っていることの象徴だったはず。
今回誤魔化したとしても、これから後彼女と一緒にいて、小林自身が果たして、心から笑顔になれるだろうか……。
「……あの……。……騙してしまう形になって、それで、一緒にいて……。……本当に、大丈夫なのですかぁ……?」
恋音がその懸念を言葉にすると、小林は痛い所を衝かれたという表情になる。
重ねて麗菜は、小林の顔を覗きこむ。
「森さん、なるべく美味しい状態で食べて欲しくて、何度も連絡してたみたいですの。今更『美味しかったよ』と言っても、本当に喜ばれるでしょうか」
「僕達が出した結論は、そういうことなんだ」
洸太が静かに後を続けた。
「小林君から頼まれた内容とは、違ってるかもしれない。だからダメだと思ったら、そう判断してくれていい。だけど本当に大事だったのは物じゃなくて、気持ちなんじゃないかな」
小林は無言で立ち上がった。
頭を掻くと、意を決するようにため息をひとつ。
「……ちょっと怒られてくるよ。後日、失恋を癒す依頼が出たらヨロシク」
駆け出す背中を、フェンスの上で腕組みしたエルナが見送る。
「それでいいのよ少年……大丈夫、魔女の占いではあなたは今日ラッキーデーよ」
当たったためしがないと噂の占いで太鼓判を押すと、現れた時と同じ唐突さで、エルナは消えた。
……屋上のフェンスから。
青い顔をしながらも、結末を見届けたい一心で雅人はその場にいた。
ホッとして座り込むと、恋音に声をかける。
「つ、月乃宮さん、僕結構頑張ったと思いませんか。か、看病なんてお願いできませんでしょうか?」
「……私、ダァトですし……それに、ヒールも、お腹の痛いのには、意味がないと聞きました……」
恋音はあくまでも真面目に答えるのだった。
●斡旋所にて
報告に現れた一同に、梨香が軽く頭を下げた。
「お疲れ様でした。つい先程小林先輩から、『追加依頼はないと伝えておいて欲しい』と連絡が入っています。何のことか判りますか?」
どうやら上手く行ったらしい。
「良かった。末永くお幸せに」
霧が微笑む。
「でも結局、チョコレートが変質してしまったのはどういう理由だったんですか」
梨香の問いに、龍実が答える。
「生チョコだからな、基本は冷蔵保存だよ。冬場だし、当日持ち歩くぐらいは大丈夫だっただろうけど」
枕元に置いて寝た段階で人の熱でまずい状態だっただろうし、その後おそらく暖房の効いていた室内でデスクの明りに晒し続け、さらに数日放置した訳だ。完全にアウトである。
小百合が注意しなかったのか、小林が浮かれて聞き逃したのかは判らない。……小百合が何度も連絡してきた辺り、後者の可能性が高いだろうが。
「というわけでこれは大八木の分。ちゃんと冷蔵庫に入れろよ」
「えっ、いいんですか! 志堂先輩の手作りお菓子……!」
梨香は紙箱を押し頂くように受け取った。
<了>