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ドアベルの心地よい響き。
「いらっしゃいませ」
マスターのサガ=リーヴァレスト(
jb0805)は、入口に若い(たぶん)女性二人連れを認める。
「お酒とか飲んだことないー☆ 酔っちゃったらドウシヨウー! カタリナちゃん、どうしてそんなに落ちついてられるのぉー」
御手洗 紘人(
ja2549)……もとい、24歳OL、チェリーが希望と浪漫に胸を膨ら……? いや膨らませ、カタリナ(
ja5119)に腕を絡ませる。
銀の髪はサラサラで、玉のお肌はつるつる。リップはぷるぷる薄紅色、指先まで手入れは抜かりなく。難を挙げるとすれば自己主張が控え目な胸ばかりだが、それは何もチェリーだけが血涙を流している訳ではない。
お嬢様学校を出て、お世話になってる方の会社で社会勉強のために働いてまーす☆ という風情が全身から漂うが、さり気なく店内を見回す視線がそれを一層印象付ける。
まあ要するに、ほんの一瞬だが、狩人の目だったのだ。
(イケメンはいねがー!)
サガは幻聴を聞いた気がしたが、そこはプロ、穏やかな微笑のまま二人を迎える。
「2名様ご案内」
鴉乃宮 歌音(
ja0427)が店内を見渡せるテーブル席に案内する。
「ご注文は」
バーで働いていいのかと一瞬思ってしまう外見の歌音だが、実年齢は問題ない。
問題は『そういうお店ですか』と問いたくなる、妙に似合う白のフリルエプロンと頭で揺れるウサギの耳の方かもしれない。念のために言っておくと、歌音はれっきとした男である。
「ね、カタリナちゃん、こういう場所でか弱い女性に見せかける為のカクテルとかってあるかなー?」
「そうですね、やっぱり甘くて軽いお酒ですね」
カタリナは落ちついた様子で『少し待ってくださいね』という穏やかな微笑を歌音に向ける。
「ビールよりはカクテルなんか飲んで、やーん☆ 酔っちゃったーとか良いよね」
「ええ、とくに見た目のカワイイ物がいいと思います」
ひそひそ声で素早く交わされる女子(ハンティング)力アップの為の作戦会議。そこの男子、がっかりしないように。お互い様である。
結局お任せにした結果、テーブルに運ばれてきたのは、ピンク・レディーとチャイナブルー。
「わ、かわいい! こんなお酒あるんだー」
チェリーは薄紅色の液体の入ったショートグラスを掲げ、彼方を透かし見る。
その様子を千年 薙(
jb2513)はカウンター席から見るともなく見ていた。
(成程バーというのは、何ともこじゃれた場所よのう)
人間界へ降りてきて数年、悪魔といえども日本の法律上20歳まで飲酒は禁止され、その間アルコールを口にすることはなかった。
(居酒屋……へは行ったことがあるが、あそこは随分と騒がしかったな。……茶漬けは美味かったが)
人間というのは、色々と面白い。ただ食事をし、酒を飲むにも、様々な工夫を凝らす。
綺麗な色のグラスに思わず見とれるうちに、チェリーと目が合った。思わず声が出た。
「それが、カクテル、というものか」
ネットで見たことがある、カラフルな酒。果物や花を飾ったその画像がずっと気になっていた。
「そうなんだってーチェリーも初めて☆ 甘くておいしいよ」
テーブルについた薙は、歌音を呼ぶ。
「私にも、何か可愛いカクテルを頼む。何、アルコールには強いからな、色々見せておくれ」
そして置かれたのは、スクリュードライバー。
ある目的で有名な、口当たりは良いが飲みすぎ危険のカクテルだ。
「おお……これはなかなか……」
オレンジの櫛切りが飾られた華やかなグラスに、薙の目が輝く。
「と、こちらはマスターからです」
フルーツケーキのサービスに、華やかな笑い声があがる。
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隅のテーブルでは、夜来野 遥久(
ja6843)と加倉 一臣(
ja5823)が顔を突き合わせている。
一臣は当たり障りのない会話を続けながら、X・Y・Zのグラスを口に運ぶ。
珍しく一緒に飲もうと呼び出され、そぞろ歩きの途上目についたこの店に入った。
遥久はギムレット片手に、いつも通りの微笑といつも通りの軽口を叩きながらも、目に何処か迷いを宿していた。
サガはその微妙な雰囲気を感じ取り、歌音に耳打ちする。
「鴉乃宮君、此方をあのテーブルへ……」
歌音は表情を変えないまま、そっとグラスを遥久と一臣の間に置く。
「? これは……?」
「マスターからのサービスです。どうぞ」
大き目のグラスに白い花とストローが2本添えられているチェリートニック。……が、ひとつ。
意味ありげに頷き返すマスター。カップルの別れ話とでも思ったらしい。
(誤解だからね? あらゆる意味で違うからね……?)
一臣がひきつった笑みを返す間も、遥久は思案げにグラスを見つめている。
埒があかない様子に、一臣がついに冗談に紛らせて水を向けた。
「遥久ったら……上の空なんだから。もしかしてアタシたちの将来について大事なお話?」
気温が数度下がるような遥久の視線。相変わらず背筋の伸びる迫力だ。
「お前、卒業したらどうする」
一つ溜息を漏らした遥久が尋ねた。共に大学部4年、そろそろ卒業後の進路に無関心ではいられない。
突然の問いに、ほんの少しの間が訪れる。
が、一臣は微笑し、チェリートニックの赤が揺れるグラスを手にする。
「俺が目指す道を先に行く、先輩がいる」
(フリーランスの撃退士、か)
迷いのない言葉の意味する物を、遥久は察した。
「私は卒業後、起業しようと思ってる」
既に会社設立の為の準備も整いつつあること。現役撃退士としての活動も続けつつ、甘くはない道を進もうと思っていることを静かに語る。
「で、だ。……加倉、いつか私の会社で働く気はないか」
それはつまり、撃退士として、である。
相手が一つ所に留まる人物ではないことは知っている。だから、縛りつけるつもりはない。
「準専属という形で、というスカウトだ」
一臣はほんの少し、目を見張る。
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アラン・カートライト(
ja8773)が、桝本 侑吾(
ja8758)に笑顔を向けた。
「元気そうで安心したぜ、彼女出来たか?」
侑吾は大学時代と変わらぬ相手の様子に一気に時間が戻ったように感じた。自分は26歳、確か先輩は30歳になるだろうか。
「そちらも元気そうで何より。彼女は……続かないんだよな……。やっぱり女性は難しいな」
思わず苦笑い。そこでふと思いついたように尋ねた。
「そういえば、あの美人の妹さん、元気にしてるのか?」
「勿論元気だ、一緒に暮らしてる。もう何処ぞのレディと遊ぶ気はねえさ」
硝子の灰皿に灰を落とし、歌音を手招きする。
「白ワインのいいのがあれば。できればイタリア産かフランス産がいい」
その様子に、侑吾はやはり変わらないな、と思う。ワインの好みも、口調も。
ワインリストに目を走らせ、侑吾はアランの蘊蓄に耳を傾ける。そしてわざとリストの後の方に書かれた銘柄を指さした。
「久々にあった後輩に、ワイン位奢ってくれるだろ?」
悪戯っぽく笑って見せた後輩の申し出に、アランもにやりと笑みを返す。
「後輩の頼みを聞いてやるのも先輩の勤めか……OK、折角の夜だしな。これをボトルでくれ」
「どうも、流石アランさんだ」
だが抜かりなく付け加えられた一言に、侑吾は呆れたようにアランを見る。
「それと、あちらのレディ達にホワイト・レディを。俺からのプレゼントでな」
アランは身を屈め、耳打ちする。
「さっきレディと遊ぶ気はねえと言ったな、だが口説くのは例外だ。これはレディに対する礼儀なんだ」
「なるほど、是非。一緒に話の相手をして貰えると嬉しいな」
思わず笑ってしまった侑吾の腕をとって立ち上がらせると、アランは女性(のみに見える)テーブル席へと移動した。
「Good evening、同席しても構わないか?」
ワインボトルを手に、片目をつぶる。
チェリーの眼がきらりと光った。
「こういう所初めてなんですー☆ 良かったらバーでの楽しみ方教えていただけませんか?」
「お安い御用だ、まずはお近づきに一杯」
その間薙の視線は、アランのワインボトルに固定されていた。
(おお……あれは人間界のワインか)
その後、テーブルにワインボトルが次々と運ばれたことは言うまでもない。
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ブランデーグラスを片手に、ラグナ・グラウシード(
ja3538)はカウンター席に佇む。
年齢に似合わぬ苦み走った表情は、まるで演歌のカラオケ映像。流しの弾き語り募集という感じである。
誰も待っていない一人の部屋に帰るのも辛い。いっそ酔って色んな事を忘れてしまいたい。
そんな日は、そっとバーの扉を開くラグナである。
誰かと話すことが目的じゃない、誰かの存在を感じたいだけ。あ、でもちょっと話をするのもいいかも。
そこにドアベルの音が響き、ラグナはそちらに視線を向ける。
「いらっしゃいませ、お二人様ですか」
サガが呼びかけた。
そこに立っていたのは、久遠ヶ原学園大学部の講師ジュリアン・白川(jz0089)。
(……あれは講師の白川先生)
ラグナはその腕に掴まる女性に気がついた。
(ぬ……女性と二人連れとは、ぐぬぬ)
あれ、おかしいな、なんか目からグレナデンシロップが。
ここが屋外なら間違いなく、必殺の『リア充滅殺剣』が炸裂する所であるが、流石のラグナも大人の集う静かなバーでリア充を爆破するわけにはいかない。
というか、キリがない。あちらのテーブルなんか、よく見たら合コン状態だ!
(くっ……目の毒だ!)
ラグナは向き直り、マスターを縋るような眼で見た。
「涙を忘れるカクテルをくれないか」
「何でもお作りしますよ」
マスターの柔らかな声がささくれた心に沁みる。
ラグナは弛緩していく思考の中、己の身を省みる。
(……何故、私には幸せがいつまでたっても訪れないのだろうか)
容姿が悪い訳ではない。女性には常に紳士的である。それなのに。
(愛したことも愛されたこともない……淋しい)
それを素直に表に出せば、彼にはきっと違う道が開けているはずである。
だがしかし。
(やはり、リア充たちが学園に大量にいるせいだろうか……そうだ! やはり学園にはびこるリア充どものせいだ!)
改めてリア充どもに正義の裁きを。
そう心に決めたラグナに、声がかかる。
「突然失礼。もし宜しければ、あちらでご一緒しませんか」
遥久の微笑があった。学園内で時折見かけていたラグナに興味を引かれていたらしい。
男同士心おきなく飲むのも、一種のリアル充実。ラグナがそのことに気づく日は来るだろうか。
カウンター席に座った白川の隣に、見知らぬ娘もちょこんと座る。
これは一体誰なのだ。――とりあえず落ち着こう。
「ウォッカライムを……連れにはノンアルコールを何か」
見知らぬ相手だが、自分の隣に居る以上、放置もできまい。
歌音は慣れた手つきで酒瓶を開けながら、白川の様子を窺う。
シャーリーテンプルを娘の前に、生のライムを添えたウォッカのグラスを白川の前に置くと、訳ありげな理由を尋ねた。
「信じて貰えないかもしれないが……」
刺激で正気を取り戻そうとするようにグラスに口をつけ、白川がこれまでの経緯を語る。
「ウサギ? 偶に来るよ」
作り物のウサ耳を揺らしながら特に驚いた風もなく答える、歌音の大きな赤い瞳を思わず見返す。
「不思議な事もあるもので、やってくる客が『ウサギに連れてこられた』と漏らすんだよね」
もし娘が消えていれば、その正体は目の前の歌音だと思っただろう。
その時、突然肩を叩かれ、白川は我に帰った。
「よう先生。俺の事覚えてるか?」
振り向くと、最高の玩具を見付けたかのような満面の笑みを浮かべたアランがいた。
「君は……いきなり随分と老けたね」
「おいおい、何て言い草だ。あんなに愛し合った仲じゃねえかよ」
横の娘を盗み見ながら、白川の肩に腕を回し寄りかかる。
「待ちたまえ。私にはあらゆる意味に於いて君と恋愛関係になる理由がない」
色々おかしな事態が進行しているが、白川はその点についてだけは己を信頼できた。
「そうかそうか、あの事は言葉にするのも恥ずかしいか、相変わらず可愛い奴だな」
持っていたボトルを白川の頬にあてがい、アランは全く動じない。
「ところで、其方のレディは? ついに生徒に手出したのか……白川は止めて俺にしとけよ」
「いや生徒でもないし、そもそも記憶に……」
「少しは大人になって落ちつけよ、俺のような紳士を目指してな」
額を押さえ困惑の極みの白川を、ひたすらアランがからかう。
その時、傍らで黙っていた娘が突然椅子から滑り降りた。
「……?」
思わず見つめる白川とアラン。娘は手を挙げ、二人の額をポンと叩くと、踵を返す。
「????」
何故か妙にふわふわした感触だった。
だがその謎を気にする暇もなく、白川は両脇に軽い衝撃を覚える。
「あれ? もしかしてジュリアン先生だー横いいですー?」
「すみません、お邪魔します」
チェリーとカタリナに挟まれた。
「やあ、こんばんは。チェリー君大き……いや、随分大人っぽくなったね」
白川の視線がどこを見たかは、敢えて伏せておく。
「やーん先生ったらー☆ チェリー初めてこういうお店来たんだけど、ちょっと飲みすぎちゃったみたいー」
等と言いつつ、白川にしなだれかかる。
「……これはミスター白川、こんばんは」
今度は誰だ。もうどうにでもなれ状態で白川が顔をあげると、遥久の爽やかな笑顔。
「良い夜をお過ごしのようで?」
含みのある言い回しに、色々と言いたい事はあれど、言葉が出てこない。
「お客様は、先生でいらっしゃるんですね」
歌音が作ったギブソンを手に、サガが微笑む。
「ああ……そのはず、だ」
混乱してきた白川は、一つの結論を思いつく。
そうだ、これは夢なのだ。
ウサギ娘も、自分と同年代にしか見えないアランも、傍で微笑む大人のチェリーも。
そう思えば辻褄が合うではないか。
「……今のご時勢では大変でしょうね。私も適正はあったのですが、この仕事が気に入っていましてね……事によってはお客様の生徒になっていたかもしれませんね」
マスターの声が何処か憧れを伴って響く。
そこに流れるピアノの音色。一曲を弾き終えた遥久が、意外な提案をした。
「ご一緒にどうですか」
「いや、私はピアノは……」
聞くのは好きだが弾いたことはない。
言いかけた白川は、何故か自分もピアノが弾けるような気がしてきた。
そうだ夢なら、できるだろう。
軽快な、そしてどこかセンチメンタルなジャズの連弾がバーに流れる。
いつの間にか歌音のギターがそれに加わった。
「痛みを癒すラプソディー……できすぎだ」
ラグナがテーブルに突っ伏し、一臣がグラスを掲げた。
「……将来の雇い主に乾杯」
この曲が終わったら伝えよう。これからも共に、だが飽くまでも緩やかに。
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月の上では兎が薬を搗いている。
こぼれた薬は光の粒。眠る人々に降り注ぎ、一夜の夢が訪れる。
兎に枕蹴られて、目覚めるまでの……。
<了>