●準備OK
「うむ、天候も万全だな。これなら墨もすぐに乾く」
満足げにジュリアン・白川(jz0089)が天を仰ぐ。
午前中にもかかわらず、夏の強い日差しが降り注いでいたが、白川はぴっちりとスーツを着込んで汗一つかいている様子はない。
普段は駐車場に使用されている一角には、既に準備が整いつつあった。教室棟や渡り廊下が三方を取り囲んでおり、上手い具合に場を見下ろせる。数ヶ所に、パフォーマーとは別に駆り出された学生がビデオカメラを構えていた。
その会場の様子に、事前に話を聞きつけていた者だけでなく、通りすがりの学生たちも何事かと足を止める。
白川がハンドマイクを手に取った。建物に囲まれ、音響効果も抜群だ。
「それでは『パフォーマンス書道』対戦、開始だ。まずは【書演舞】の諸君、宜しく」
●一番手【書演舞】
赤い着物に黒袴、白い鉢巻・襷をきりりと締めたメンバーが登場する。
紙を囲んで三方に配置された和太鼓の力強い響きが、建物をビリビリ震わせた。
cicero・catfield(
ja6953)が、身長程もある長さの大筆を、墨汁の入ったバケツに浸す。
(こんな経験滅多に無い。楽しんでやろうじゃないか!)
地面に広げられた白い巨大な紙を、キラキラする瞳で見据えた。
那月 読子(
ja0287)、麻生 遊夜(
ja1838)、樋渡・沙耶(
ja0770)が少し離れた場所に据えた太鼓を、力強く打ち鳴らす。この日の為に時間を見つけて練習した演奏は、急ごしらえのチームとは思えない見事なものだ。
太鼓の音に後押しされるかのように力を溜めて、ciceroが一歩を踏み出した。
紙が皺にならないように足場を定め、全身を使って筆を走らせる。まずは横一直線に。
その端に力を籠めて、しっかりとめる。そのまま太鼓のリズムに合わせ、二文字目。事前に十分に馴染ませた筆だが、気温の高さに乾きが早い。
墨汁を入れたバケツの方へ移動する間に派手に宙返りを決めて見せ、見事着地したと見るや、ふたたび筆に墨を含ませ元の位置へ帰る。
観客から拍手と歓声が沸き起こる。
「良いパフォーマンスだ、こいつぁ気合入れてかねぇと」
順調に書き上げて行くciceroの姿に、遊夜の太鼓を打つ手にも力が入る。
黒々と力強く墨跡を残し、ciceroが筆を置き、バック転で移動する。
「読子さん、続きをお願いしますっ」
「お疲れ様です、では行ってきますね!」
リズムを途切れさせないようにタイミングを計ると、頷いた読子が演奏を抜ける。
ciceroが使ったものとは別の筆を取り、朱墨の入ったバケツに浸した。
「さあ、頑張って書きますよ!」
既に書かれた文字を上手く避けつつ、目立つ朱墨が余計な位置になるべく垂れないよう注意を払い、勢いをつけて駆け出した。
書き手唯一の女性ではあるが、その姿は勇ましく。どんっ!と力強く筆を置くと、小柄な身体が大きく見える。担当の、複雑な一文字に思いを籠めて筆を走らせる。
先に体を出し、腰を捻るようにして筆を進め、跳ねるところは体全体を使って筆を跳ね上げるように。
気温もさることながら、意識を強く集中させるために額には汗が浮かぶ。
書き上げた文字は、『絆』の一文字。
堂々と最後の一筋を書き終えると、書き上げた文字を華麗なジャンプで飛び越えて見せた。
着物の裾を乱さぬよう、器用に着地。筆を置くと、最後の書き手にバトンタッチする。
「後はよろしくお願いします!」
「お疲れさん、あとは任せると良い!」
読子をねぎらい、遊夜が太鼓を離れる。
筆をバケツに浸し、顔を上げると太鼓の前の沙耶が手を止めないまま、自分をそっと見遣っているのに気がついた。
ほとんど感情を表さない普段通りの表情の中で、瞳が『がんばって』と語りかけてくる。
(わざわざ手伝いに来てくれたんだ、無様な姿を見せるわけにはいかねぇ…!)
事前準備からずっと付き合ってくれた上に、今も演奏を盛り上げてくれている沙耶に、応えるためにも。
「さぁて…今、想いの全てをこの一筆にってな!」
気合を籠めて筆を振り被った。
既に仲間が書き上げた文字を迂回し、端の空白へ筆を置く。
腹に響く太鼓の音に負けじと、緩急をつけて筆を運ぶ。
制限時間を見計らいながら墨をつけ直し、その間にもくるりと回って筆を置き直して見せたり、空中回転で文字を飛び越えて見せたり。紙を踏み破かないように気をつけながらも、見る者を飽きさせないように工夫する。
やがて最後の一文字を、仲間との呼吸を合わせて書き上げる。
力を籠めた最後のとめと同時に、三方の太鼓が一際大きく『ドンッ!』と打ち鳴らされ、静寂が訪れた。
『一期一会の 絆 に感謝を』の文字が出来上がっていた。朱文字の『絆』が温かい。
一瞬の間の後、大きな歓声と拍手が響く。
この依頼で知り合った三人が心を合わせ、見事完成させた作品だ。
大きな拍手を送っていた白川が、ハンドマイクを取り上げた。
「和太鼓パフォーマンスと書道は王道だが、やはり訴えてくるものがあるね。
作品の完成度も、選ばれた言葉も実に素晴らしい。【書演舞】の諸君、お疲れ様だ」
再び拍手と歓声が空間に満ちる。
●二番手【零番隊】
「次も楽しみだね。【零番隊】の諸君、負けずに頑張ってくれたまえ」
裾に山型のだんだら模様の入った揃いの白地の羽織。全員が面を被り扇を手に進み出る。
山吹色の袴に羽織の模様は黒、ひょっとこ面を被る獅子堂虎鉄(
ja1375)を先頭に、蒼色の袴に銀模様、おかめの面の鳳 優希(
ja3762)、そして橙色の袴に桜色模様、狐面の権現堂 幸桜(
ja3264)だ。
華やかな袴は、それぞれのイメージカラー。
「ふむ、同じクラブのメンバーが揃ったのだね。これは息の合ったパフォーマンスが期待できそうだ」
メンバー紹介を前に、白川が身を乗り出した。
(シセロ隊士、今回はすまん!)
先に演技を終え控えるciceroに、虎鉄は心で詫びる。同じ部活の仲間だが、今回のメンバー構成上一緒に組めなかった。だがその分も、自分達が存分に魅せる気合だ。
並んで一礼するのを見計らい、黒子姿で脇に控えるカーディス=キャットフィールド(
ja7927)が一呼吸の後、拍子木を高く打ち鳴らし、持ち込んだラジカセのスイッチを入れる。
三味線と電子楽器による、ダンサブルでありながら和のテイストを感じさせる音楽が流れ出す。
息のあった様子で三人が扇を広げ、音楽に合わせて舞い始めた。カーディスが鈴で彩りを添える。
顔見せ代わりに踊り終えると、一斉に面を投げ捨て、声を上げつつポーズを決めて。
「破ッ!」
それはさながら歌舞伎の大見得。虎鉄の金の扇が夏の太陽を受けて輝いた。
同時に、全員が光纏。山吹色の雷、白銀、水の蒼が白い紙に映える。
パフォーマンスに送られる拍手を背に受け、筆を準備する。
「一閃組の零番隊の団結力を見せてあげようね!」
墨汁を浸した大筆を構え、幸桜が気合を入れる。優希が笑顔で答えた。
「一閃組の団結力を見せてあげるのですよー☆」
虎鉄が合図を送ると、三人が同時に紙の上に位置取る。
「一閃組の連携をとくとご覧あれ!」
一斉に筆を走らせると、まず最上段に『一閃組』の文字。
お互いのタイミングを合わせながら、その下に同時に文字が並べられていく。
青を含ませた筆に持ち替え、優希が進み出た。蒼の鳳凰が身体に絡みつくような光を身に纏う。
「姉上、がんばれ!」
扇を手に踊る虎鉄に軽く眼で合図すると、『一』の文字の下に、迷いなく、勢いよく『金城鉄壁』の文字を書き上げた。
優希が筆を置くと、墨汁を含んだ筆を構え、虎鉄が続く。
「一意専心ッ!」
トメ、ハネ、にも勢いを感じさせる筆跡で、勢いよく中央の『閃』の文字の下に『勇猛果敢』と続けて行く。閃くように山吹色の火花がその身体から弾ける。
最後に幸桜の文字で、『組』の下に橙の『一致団結』が並んだ。優しさの中に強さをにじませる、そんな幸桜らしい文字だった。傍らでは優希の放つ、青いオーラの光のシャワーが柔らかに降り注ぐ。
そこまで書いて尚、下段には余白があった。
虎鉄が普通サイズの筆を取り、進み出る。優希は右手に鈴を持って打ち鳴らし、左手に藤の扇子を広げ舞い続ける。
『超攻撃的天魔討伐部隊!』と虎鉄が書き終えるとするりと入れ替わり、優希が『命と絆と想いを護る魂!』と達者な文字で続けた。
その間に幸桜は、紙の余白に茶の筆で木を描くと、手足につけた桜色で桜の花を散らす。ひとつひとつの花を、舞うように祈るように描いてゆく。ちょうど描き終えると同時に、カーディスが用意していた桜吹雪をぱっと舞わせた。
目を引く見事な一連のパフォーマンスだったが、その分時間を食った。持ち時間はあとわずかだ。
再び筆を取った虎鉄が、力強く、早い手で仕上げの一文に取りかかる。
その間、優希は白川にウィンクを飛ばすとくるりと右回転をして、キラッ☆と可愛く可愛く(大事な事なので、二回)アピールしてみせた。それはありなのか、人妻。
『持てる力の限り進もう!』と虎鉄が書き終えると同時に、再び集った幸桜と優希が両脇に立ち、三人で右手を突き上げる。
「一閃組、見参ッ!」
制限時間、ジャスト。
拍手が沸き起こる中、幸桜が合わせに潜ませた小筆を取り出し、最後に書き添えた。
『男の娘もいるよ(ハートマーク)』
何食わぬ顔で列に戻ると、観客の男性陣に笑顔を振りまいた。書かねば判らなかっただろうに、最後の一文に真実を知らされてがっかりする男子学生達。それでも思わず笑顔に釣られて指笛が飛ぶ。
「久遠ヶ原ならではの光纏効果を活用したのは面白いね。
場を生かして、ちゃっかりクラブの宣伝というのも中々やるなというところか。
【零番隊】の諸君、これからもずっとその団結力で良い仲間であってくれたまえ」
白川が笑顔で労った。
●三番手【雪月華】
「さて、最後は【雪月華】の諸君だね。トリを頼むよ」
【雪月華】は唯一女子学生のみで構成されたチームだ。衣装は目にも涼しげな揃いの浴衣。
場に広げられたのは、和紙ではなく紺地の布だった。
「とっとちゃん、苧環さん、カタリナさんがんばろーねっ!」
女子の底力を見せてやらなくっちゃ〜!と、栗原 ひなこ(
ja3001)が明るく皆を鼓舞する。書道自体が不得手な分、パフォーマンスで盛り上げるつもりだ。
チームのリーダー格である雪成 藤花(
ja0292)が、その言葉にうなずくと気勢を上げた。
「「「エイエイオー!」」」
藤花はその出自もあり、書道自体には慣れ親しんでいる。それだけにこの課題に挑む意欲も相当なものだったが、奈何せんパフォーマンス書道というものが未経験だった。そんなプレッシャーもあって、少し緊張気味である。
苧環 志津乃(
ja7469)はそんな藤花の様子を気遣う。
「このメンバーだから作れた、そういう作品に仕上げたいですね」
その柔らかな声と、襟元を軽く直す優しい仕草に、藤花も顔をほころばせた。
(今しか出来ないこと、それが出来るのが青春でしょうか)
今日の実演までの練習を、志津乃は感慨深く振り返る。
ひなこはカタリナ(
ja5119)の様子をそっと窺った。
(カタリナさん正座で大丈夫かなぁ…)
ひなこが所属する放送部から持ち込んだ音響機器のそばで、きちんと正座で控えているカタリナ。他のメンバーより地味目の紺色の浴衣姿だ。日本文化を実地で見学するためとはいえ、その姿は異彩を放つ。
尤もこれは「和文化と異邦人」という演出を考えてのことなのだが。
ひなこの選曲した、可愛く程良いテンポのガールズポップが流れ始める。
藤花が白のポスターカラーを含ませた筆モップを手に、進み出た。ひなこと志津乃が、リズムに乗って優雅に舞う。
呼吸を落ちつけると、藤花は想いを籠めて、堂々と、筆を走らせる。
流れを大事に、多少のかすれも味のうち。その表情は真剣そのもの。
『君恋し もゆる思ひは 蛍火の』
流麗な崩し字が、紺の地に白く涼やかに浮かび上がった。
志津乃が次に筆を受け持つ。
音楽のテンポが上がり、ノリノリのひなこの隣で、ややおぼつかない足取りで藤花も踊る。
浴衣の裾を気にしながらも、慣れてくると時折挟むジャンプもスムーズになってくる。危うく転びそうになる所を、ひなこがアドリブで演出のように腕を取ってくれて、踏ん張れた。お互いの顔に、思わず笑みが浮かぶ。
流れるように筆を動かす志津乃は、筆先から生まれる文字に思いを馳せていた。
『夜の帳を てらすにも似て』
……君に恋をするこの気持ちは、夜の暗闇をほのかに照らす蛍の光のようにもえて、優しく心を照らしているのです……。
藤花が作り、カタリナの案を取り入れて完成したオリジナルの恋の歌。
それは今は逢うことの叶わない、いとしい人の面影を呼び起こして。
胸を締め付けるような切なさが湧きおこる。少しさびしげな優しい笑顔でそれを封じ、志津乃は書き終えた。
後は仕上げだ。
ひなこが蛍光塗料を含ませた筆モップを逆さに持ち、音楽に合わせて振るう。『蛍』の文字を、蛍光塗料の星が彩る。次は黄色の筆を振るうと、紺地の夜空に星が瞬いた。
それを確認して、志津乃が画面の右下に笹を、左下に水色で川を描く。
ついに明るい音楽が止まり、三人が同じ姿勢でポーズを取る。志津乃が特訓した、日本舞踊の立ち姿だ。
一瞬の間の後、静かなどよめきが場に溢れた。
●結果発表
「いずれも甲乙つけがたい、実に素晴らしいパフォーマンスだったよ」
上機嫌の様子で白川がハンドマイクを握っている。
やってよかった!充実感があふれる表情だが、よく考えたらこの男はほとんど何もしていない。
「中でも【雪月華】は、書道作品としての完成度に加え、恋する女性の輝き・切なさを蛍火に託すオリジナル短歌という古風な着眼点が、非常に面白い。
今回の表彰チームは、【雪月華】としよう。お疲れ様だ」
拍手喝采の中、白川が藤花、ひなこ、志津乃、そしてカタリナと握手した。
「ふわーっ、お疲れさまー」
ひなこが顔にまで飛んだ黄色い塗料を、手の甲で拭う。
「早くシャワーで落とさないと、コレ残ったままだと恥ずかしいよね」
「ふふ、顔だけでも落としましょうか」
志津乃が微笑みながら、絞った手拭いで拭ってやる。
「たまにはこういうのも楽しいですねっ」
浴衣を着替えて普段着になった藤花とカタリナが、手早く道具を片付けている。
「チームに誘ってくれてありがとうございます」
そこで改まったように、志津乃が丁寧に頭を下げた。
「素敵な方々と知り合えて、とてもうれしいです。機会を下さった先生にも、お礼申し上げたいですね」
びっくりしたようにひなこと藤花が見返すが、すぐにまた笑顔になる。
「それはお互い様ですよー!」
「でも先生、別に何にもしてない気がしない?」
交わす言葉は、温かく。ひとつの作品を作り上げた同士の繋がりを確かに感じさせた。
<了>