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「大八木さん、いまの画像って……白川先生だよね?」
若杉 英斗(
ja4230)が画面から目を離さないまま問うと、梨香は強張った笑いを浮かべた。
隣に座っていた歌音 テンペスト(
jb5186)がそっと指を伸ばし、梨香の手を両手で包みこむ。
うるんだ瞳で覗きこみ、ねだるように小首を傾げた。
「どっかで見たおっちゃんの背中な気がするお! 画像をもっと良く見せてお! 他にはないの?」
おっちゃん言うな。……と、どこかから苦情が来そうだ。
小田切ルビィ(
ja0841)はなにかを探るように梨香の瞳を見据える。
(目は口ほどに物を言う、っていうしな)
皆、梨香の挙動を奇妙に感じたのだ。
ファーフナー(
jb7826)も黙したままで梨香の挙動を観察していた。
(現在、休講が続いているようだが……何を隠している? 見せては不味いのは何故なのだ)
本人がまだ現地にいるなら、無関係とは言えないはずだ。
場合によっては情報を共有し、スムーズに依頼を成功させることもできるだろう。
(まさか学園と連絡が途絶しているのか?)
梨香はひとつ息を吐くと、感情の読めない表情を取り戻す。
「確かに似ていらっしゃいます。ですが確認は取れていませんし、そもそもその点については今回の依頼と直接関係ないのではないでしょうか?」
「え、なんで関係ないの?」
月居 愁也(
ja6837)が眉をひそめた。
「もし先生なら、ネフラウスさんと一緒にいる可能性は高いんじゃない?」
奇妙に感じたのは愁也だけではない。
ルビィは目を離さないまま踏み込んでみた。
「……なあ。本当は事情を知ってんのに、白川センセーに口止めされてたりしないか?」
梨香が答えるより先に、静かな声で雫(
ja1894)がただす。
「流石にあそこまで動揺されて、無関係とは思えませんよ? それに、前回の襲撃から見て楽な任務には成らないでしょう。身内から関係する情報を隠蔽されては、信頼して背中を預ける事が出来ません」
「だからです」
梨香が真っ直ぐに雫を見返す。
「捜索依頼が出るほどです。本来の調査任務でも充分危険なんです。それに加えて、ネフラウスさんの捜索をねじ込もうというのですから」
それから軽く目を伏せる。
「画像を出したのは私のミスです。信頼できないと仰るならそれはそれで仕方がないですね」
「大八木先輩、そんなふうに言わないでください。何か力になれることがないかと、皆思ってるんですから」
水無瀬 文歌(
jb7507)が気遣うように、優しく微笑みかける。
ともすれば険悪になりそうな空気を変える笑顔だ。
北風と太陽。風に抵抗するなら優しく温めてみようというところか。
歌音が近くにあったスタンドをずるずると引き摺り、向きを変えて梨香に当てた。
「正直に言うんだ……楽になるぞ?」
カツ丼でも持ち出しそうな雰囲気である。たぶん、やってみたかっただけだろう。
それまで黙って考え込んでいた夜来野 遥久(
ja6843)が、口を開いた。
「つまり、学園側も白川准教授と連絡が取れていないという訳ですね」
梨香が頷く。
「おそらくはそうでしょうね。私も学生です。斡旋所で皆さんよりほんの少し先に依頼内容を知ることができるだけですから、詳しいことは知らされていません」
今回は任務に専念してもらうほうが成功率も上がるはず。だから余計な情報は遮断すべきとして、謎の人物については伏せると決まったらしい。
「なるほど。では生還した学生の話を聞くことはできますか?」
遥久は質問を切り替えることにした。梨香が嘘をつく理由はなさそうだからだ。
「電話なら可能ではないでしょうか。……と、その前に、大事なことを忘れていました!」
生還した学生、というキーワードで、画像のショックから梨香がようやく立ち直った。
大事なこと、というのは、画像が送られてきた経緯である。正確には、ネフラウス達のそれまでの行動だ。
現在、京都結界内の状況――残っている建物や道路の状況、出現するサーバントの種類、結界の影響など――を確認するため、定期的に撃退署などが調査を行っている。
当然、人手は足りない。久遠ヶ原やフリーランスにも協力要請が出ていた。
ネフラウス達はその任務の途中、奇妙な映像が撮影されたとして画像データを送信。その後、件の人影に近づこうとして電波不良エリアで戦闘に入り、全滅寸前となった所で伝令が離脱し救援を求めた――ということだった。
「白川先生らしき人物は、その救援にかけつけた撃退士のひとりのようです。負傷者を抱え、撤退を優先したでしょうから、既にその場には居ないでしょう。ネフラウスさんが行方不明になった経緯は、救出したメンバーから後で聞いたことのようですね」
ファーフナーは目を伏せて話に聞き入っていたが、そこであることに気付く。
「正式な救援に応じたなら、参加メンバーは記録に残っているだろう。それに一部隊が全滅しかけるほどのサーバントがどんな種類だったのか確かめたい。当人でなくとも所属先に連絡は取れないのか」
梨香がPCを操作する。
「……近くにいたフリーランス部隊のようですね。代表者などは分かりますが、私では個人名までは確認できないようです……すみません」
「もし、白川准教授と仮定するなら……直属の上司である星教授なら何か御存知だったりしないでしょうか?」
遥久の言葉に、愁也が慌ててスマホを取り出した。
「あっ、そうか! 俺、確か連絡先聞いた!」
依頼の縁は、どこで生きてくるかわからないものである。
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結局わかったのは、現時点では星教授も白川と連絡がとれていない、ということだった。
英斗が何となく重い空気を払うように椅子に座り直す。
「まぁ、いいや。何を考えているのか、現地で直接白川先生にきけばいい事だからな」
連絡が取れない、学園にいないという事実は、逆にいえば人影が本人であることを否定していない。
少なくとも敵対していないなら、向こうから接触してくる可能性もあるのだ。
「という訳で、作戦について詰めよう。自分としては、人命最優先で行きたいと思う。撃退士が生存者を見捨てることは絶対にありえない」
守りを旨とする英斗には、これだけは譲れない。
「仲間のネフラウスは、必ず無事に連れて帰る」
もちろんこれは、自分の主義主張だけに基づいたことではない。
「捜索と調査を並行するのには賛成なのん」
歌音がノートから顔を上げた。
「行方不明になるまで周辺のことを色々見てると思うし。救助して話を聞ければ、調査にも有益だと思うのん」
会議の内容が多少不穏になって来たため、書きとめているのはマル秘用のノートである。
暗号のつもりか、全てひらがなで記されていて、多少読みにくいが本人が読めれば問題ないのだろう。
読めれば……だが。
そこでルビィが釘をさす。
「ネフラウスは本当に生きてンのか?」
当然、ルビィとて生きていて欲しいと思うのだが。
「仮に生きているとしたら……どういう状況だ?」
襲撃を受けて、部隊はほぼ全滅。囮になったまま潜行中なら大したものだ。
最悪なのは……。
「拉致されてた場合だ。残念だが、現状では連れ戻す方法は無ェ」
文歌がそれを受けて考えこむ。
「そうですね。生きていらっしゃるなら、なにか連絡があるはずです。でも拉致したとして、その者にどんなメリットがあるのでしょうか?」
愁也が唸る。
「ネフラウスさんの居場所、別れた地点から把握……携帯GPSは無理なんだよな。近くの地図はあるんだよね?」
「ええ。建物の損壊状況など、調査済みの内容は織り込み済みです」
梨香の答えに、雫が頷いた。
「現状、手がかりとなる情報が少なすぎてますね。行方不明者は生きていると信じましょう。その前提で、闇雲に調べるのではなく、手をつけられるところから手をつけませんか」
一同を見回す雫。
「謎の人影が見られた建物を調査しましょう。行方不明者が出たのもその近くなのですから」
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ファーフナーがなにかを探すように指を動かす。
煙草を欲しているようだが、さすがに教室では控えているらしい。
「その人影だが。支配地域内なのだから、一般人でないことは明らかだな」
鋭い光をたたえた瞳が、梨香を見据える。
「だが、調査は『可能であれば』などと歯切れが悪い。何かを隠蔽しているようにな」
その手元に、グラスが置かれた。中身は薄い青汁。
「……」
ファーフナーの視線が移動し、満面の笑みの歌音の顔へ。
「色は粗茶っぽいですがどうぞ」
笑ってはいるが、おっさんに対する歌音の扱いはあまりよろしくない。
すぐに梨香の隣に移動し、牛乳を置く。
「大八木お姉様、お疲れでしょう? それともあっためましょうか?」
あたしの愛で。
頬を染めて言いかけたところで、梨香は空気を読まず、ぐっとグラスを握って勢いよく煽った。
タン。
空のグラスを机に置き、プハッと息を吐く。
「私にも真相はわかりませんが、危険を冒すかどうか、現場に任せるということだと思います」
若干やさぐれてきたようだがそれはともかく。
「一般人は避難済みで、残ってたら生存は難しいって中で生きているなら、撃退士か天魔か、だよね」
愁也が言葉を選ぶようにして吐き出した。
「容姿、その他の条件から、俺が思い当たる人がひとりいるよ……「池永真弓」さんだ」
「なるほど。さっき大八木さんは『取り残された人の生存は難しい』と言ったけど、それなら話は違ってくるな」
英斗は幼馴染から聞かされていた依頼の話を思い返す。
「池永真弓さん……どんな方ですか?」
文歌が小首を傾げた。
「それは……」
愁也が何から語ればいいのかと言い淀む。
この京都では色々なことがあった。
そして今、まだ色々なことが起きているのは間違いない。
遥久が愁也に代わって答えた。
「堕天使です」
クー・シーという天使の、池永真弓としての経歴。
人間の男――池永氏のために堕天し、その庇護下で京都にいたこと。
天界に残した使徒・小青 (jz0167) が、封都作戦での敵将だったこと。
元の主を求め、小青は学園に身を寄せたが、余命幾許もない池永氏に付き添うため真弓は京都に残ったこと。
その真弓は、ザインエルの再来に際し通過用のゲートを開いた後、壊れた発信機を残して行方不明になっていること――。
「小青なら彼女の生存を認識できるはずです。……ですね?」
遥久が同意を求めると、梨香が頷く。ルビィが天を仰いだ。
「つまり、池永真弓は天界側についたってことか」
「それは違うと思う。少なくとも、真弓さんの本心からじゃないはずだ」
愁也が悔しげに顔を歪めた。
「池永さんとは絶対離れないはずだよ。でもあの人は一般人だから結界内じゃ生きていけないし。……何より、余命僅かって感じだったんだ」
そう、かなり弱っていた。あれからずいぶん経って、まだ生きていられるなら不思議なほどに。
「そりゃつまり、弱みを握られてるってコトか」
「でも戦う力もほとんどないって聞いてたから、真弓さんの利用価値がわからない。考えたくないけど……敵の罠?」
「でも誰をひっかけるつもりってンだ? それに罠ならもっと分かりやすくひっかけんじゃねェの」
ルビィの言葉は自問自答するようだった。同様に、考えこんでいた遥久が独り言のように呟く。
「ミスターはそれを単身探っておられた……?」
「それはないと思います」
梨香が口を挟む。
「画像がもたらされたのはつい先日です。先生の休講はそれ以前からですよね」
「ああ、そういえばそうでしたね」
遥久が苦笑する。
「ともかく、人影が池永真弓さんである場合、おそらく池永氏が共にいる可能性が極めて高い。迅速な保護が必要でしょう」
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しばしの沈黙。
そこにノックの音が響き、一同が入口を見た。
「まだいたわね。入るわよ」
ずかずかと入って来たのは、白衣をひっかけた長い黒髪の女。白川の上司、星教授だ。
「電話をもらって少し思うところがあったから」
手近の椅子に掛け、勝手に喋り出す。
「白川君は学園を退職するつもりなの」
「えっ……ええっ!?」
愁也が目を丸くする。
「今は休職扱いよ。……彼が旧体制学園の出身ってことは知っているかしら?」
遥久が静かに頷いた。
軍隊式の組織だった久遠ヶ原学園は、その後、現在のような学生主体の組織に変貌し成果を収めていることは学園生なら誰でも知っている。
「彼は言ってたわ。撃退士はただ誰かの指示に従うのではなく、自分で考え、行動するべきだって」
自分で考えろ。
自分の主は自分であれ。
「自分」を「学生」に言い換えれば、それはそのまま、期待された久遠ヶ原学園の姿になるだろう。
「彼もそうしようと決めたのでしょうね。――もう少し賢く振る舞える人間だと思っていたのだけど」
星は軽く肩をすくめた。
「今、彼はフリーランスと行動しているらしいわ。でも敢えて探さないようにね。今の京都でそんな余裕はないわ。ただ、もし会えたら――そうね、私の代わりに足ぐらいは踏んで来て頂戴。報告期待してるわ」
手をひらひらと振って、来た時と同様に勝手に出て行く星。
素直に「無事で帰れ」とは言えない性格だった。
改めて雫が切りだす。
「当日は陽動作戦を要請します。調査時間を確保するためです」
自分で考えろ。そう言われたのだから、遠慮なく要求を叩きつける。
「向こうは此方の侵入経路把握している可能性があると考えられます。そこで陽動部隊に今までと同じ経路で侵入してもらい、私達は新たな侵入経路を作成して内部に突入した方が発見される率は下がるかと思います」
「だが未知のルートは時間が読めんな」
ファーフナーが切りこむ。興味は示している。だが無謀に付き合うつもりもない。
文歌が片手を挙げた。
「調査自体は定期的なものですから、まだ調査が済んでいないルートをひとつ任せてもらえばいいのでは? うまく行けば救出まで頑張って、無理そうなら後続にまかせるのもいいと思います」
「うん。二次遭難は出来るだけ避けなきゃだよね」
歌音が青汁牛乳をすする。
「行動不能者が発生したり、明らかに手に余る数の敵と遭遇したら撤収。逆に言うとそこまでは粘ってみる、ってことでどうかな」
雫もここで命を賭けるつもりはない。より正確にいえば、命を賭けるのはここではない。
「陽動部隊にも無理はさせられませんから。作戦行動時間は、陽動部隊が退却を始めるまでといった所でしょうか。……どうですか大八木さん、可能ですか」
考えこんでいた梨香が、ハッと我に返る。
「あ、はい。それは今回、星教授の口添えをお願いすれば可能だと思います」
そこでちらりと、恐らくは無意識に遥久を見る。
「……実は先程の罠の件で思いついたのですが。大前提が間違っていた場合――人影が池永真弓さんではない、例えば別の天使だったらどうしますか?」
何事かをまだ考え込むように、梨香は自分の手元を見つめていた。
<続>