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マスター:樹 シロカ
シナリオ形態:ショート
難易度:易しい
形態:
参加人数:10人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2016/04/24


みんなの思い出



オープニング


 山の空気はしん、と静まり返っていた。
 息をするのも憚られるような、生あるものをを拒むような静寂。
 山桜の花弁が一枚、枝に別れを告げて無音のまま落ちて行く。

 その瞬間、鋭く空気を切り裂き飛びゆく物あり。
 続けて、高い衝撃音が響く。

 そしてようやく生き物の気配が戻ってくる。

 チチッ。
 小鳥が一羽、花弁を散らして飛び去った。



 指定の場所に到着した久遠ヶ原学園生達を、大きな荷物が待ち構えていた。
「随分と……重そうですね……」
 大八木 梨香(jz0061)はタブレットパソコンに表示された依頼の内容と、その荷物を見比べて目を見張る。
 大学部准教授ジュリアン・白川(jz0089)からの指示は、奈良県のとある場所へ赴き、用意してある荷物を運んで来るようにというものだった。
 大小様々な荷物はどれもずっしりと重く、少々軽いものは『取扱注意』との張り紙があり、傾けると中で何かがずれる気配がする。
 中山律紀(jz0021)は持ち上げた荷物を、そっと下ろす。
「うーん……これは真っ直ぐにして運ばないと、中身がめちゃくちゃになりそうだね」
「中身は生活物資、それから苗木だそうです」
 梨香は諦めたように溜息をついた。服装は学園指定のジャージである。
「これをこの先の山上のとあるお堂まで運ぶこと。それが課題なんだね」

 白川は山上で待っている。
 無事に荷物を運んでくれれば、そこで貸し切り状態で花見をしてもらって構わない。
 尚、荷物の中には、弁当なども入っているので楽しみにされたし――。

 梨香は気を取り直したように笑って見せた。
「ちょうど桜の盛りですし、楽しみながら行きましょうか」
 律紀もジャージ姿で空を仰いだ。
 早朝の空気が清々しく、胸に心地よいことがせめてもの救いか。


 だが白川が課題と呼ぶ内容が、そんなに甘いものであるはずがなかった。
 学園生達は大変な思いをして山を駆け上がることになる。



 穏やかな表情の老人が、いつの間にか縁側に出ていた。
「先生、少し休憩されては如何ですか」
 声をかけられた白川は、珍しく、困ったように笑う。
「先生はよして下さい。昔のことを知っている坂木さんにそう呼ばれると、どうにも落ち着きません」
「ははは。ですが今は先生でいらっしゃる」

 坂木と呼ばれた老人は、白湯を入れた湯呑をすすめた。
「どうですか。ここは余り変わりませんでしょう」
「そうですね……やはりここに来ると随分と気持ちが落ち着きます」
 老人の傍に腰掛ける白川は、いつものスーツではなく、神職の普段着のような白装束に浅葱色の袴姿である。
 脇に置いたのもライフルではなく、長大な和弓だった。

 老人は静かに目を伏せる。
「よくお越しくださいました。先生もさぞやお喜びでしょう」
 白川は一度頷いてから、不意に小さく笑いだした。
 老人は不思議そうな顔をする。
「どうでしょうね、喜んでる場合ではないかもしれませんよ」
 老人に笑いかけた白川の目には、いつもの不敵な光が宿っていた。


リプレイ本文

●手招く桜

 噂にたがわぬ光景だった。
 ファーフナー(jb7826)は僅かに目を細め、遥か山頂を望む。
 若緑の山肌のあちらこちらに、雲のような薄桃色の桜が枝を広げていた。
 風が吹き抜けると、目の前を花びらが踊りながら過ぎてゆく。
「吉野山の桜か、見事だと聞いてはいたが」
 春は山裾から山頂へと移っていくため、集合場所付近では先に咲いた花が落下盛んという状態だった。
 ……それはともかく。
「生活物資と苗木を寺に運ぶ……か。山籠りの修行でもするのか?」
 手近の荷物を開き、ファーフナーは中身を確かめる。
 弁当、米、木炭、野菜類に調味料、何かの甕、そして根元を藁でくるんだ苗木など。
(苗木か……何かの祈念にでも植えるのだろうか)
 宗教上の習慣というやつにはあまり詳しくはないが、わざわざ依頼に出してまで全く意味のないことをさせるとも思えない。
「只の荷物運びでは無い、という事であろうの?」
 小田切 翠蓮(jb2728)はくっくと笑みを含みながらも、集まったメンバーに自己紹介し、それぞれにメールアドレスを交換しないかと持ちかける。
「山奥故、電波がどの程度使えるかはわからぬが。何かあった時の用心じゃな」
「そうですね。では宜しくお願いします」
 梨香が頭を下げる。一応の連絡役ということになるようだ。
「もう、言うまでもない面子で申し訳ないですけれどー、なんというかガンバですよー?」
 いつも通りの笑顔で全てを誤魔化し、櫟 諏訪(ja1215)は穏やかに不穏なことを言う。
「あ、でも被害は多分ごくごく一部に集約しそうなので、そこは安心ですかねー?」
「ごく一部って……」
 しゃがみこんでいる律紀が片頬をひきつらせる。一部には入らないでおこう。そう心に決めたのは言うまでもない。

「ともあれ、荷物は全て“天地無用”じゃの」
 翠蓮はどこから持ってきたのか、『天地無用』と書かれた赤いステッカーをぺたぺたと荷物に貼り付けて行く。
「無事に山頂にたどり着いたとして、中身がぐっちゃんぐっちゃんでは意味が無いのであろう?」
「あ、お手伝いします」
「おお、では頼もうかの」
 六道 琴音(jb3515)は翠蓮からステッカーを受け取り、手際良く貼り付けて回る。
「それにしてもこの荷物、ここまではどうやって運んだのでしょうか?」
「これだけの荷物だし、トラックだろうね」
 律紀が頷きながら、ステッカーを貼り終えた荷物を脇によけた。
「それなら山頂まで運んでしまえばよかったのではないでしょうか」
 つまり、自分達が『山頂まで出荷物を運ぶこと』、それ自体に意味があるのだろう。

「一体何が山頂に待っているのか、楽しみですね」
 夜来野 遥久(ja6843)は意味ありげに微笑む。
 軽そうな荷物をより分け、さりげなく琴音と梨香の近くに回した。
 それから最も重そうな荷物を確かめ、ロープをかけてさっそく背負おうとする。
「あら、夜来野先輩。その荷物は分割した方がいいと思いますよ」
 梨香が声をかけると、遥久は輝く笑顔で振り返る。
「普段扱う武器が武器ですからね、これぐらいは問題ありません。お任せ下さい」
 そして容赦なく、傍らの月居 愁也(ja6837)を重い荷物の前へ押し出した。
「えっ、俺!? ……いや何でもアリマセン」
 黙々と軍手を嵌めて荷物を背負う、訓練された愁也。
「まああれだ。盾阿修羅で鍛えておいて良かっt……結構重いな? やっぱこれ、女の子きつくね?」
 愁也はそう思ったが、琴音と梨香は首を横に振る。
「私、意外と力持ちなんですよ。撃退士ですから、楽をするために来た訳ではありません」
 言いながら、琴音は自分が運べそうな中でもなるべく重そうな物を選ぶ。
「ええ。依頼を受けたのですし、ベストを尽くす必要があると思います」
 梨香も頷き、琴音に倣った。
「わかりました。でもどうしても辛い時は声をかけてください。無理はなさらないよう」
 遥久は相手の意思を尊重することにした。
 琴音は少しはにかむように笑い、梨香と並んで歩き出す。
「大八木さん、今日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ。六道さんと一緒で嬉しいです」
 ふふっと笑い合い、荷物を背負い直す。

 愁也は残った中から運び難いような物を選んで、背負いやすいように整える。
「ふたりとも無理は禁物だぜ? しっかし、久遠ヶ原の花見って、どうしてこう普通じゃねえんだろうな?」
 文句を言いながらも、仲の良い友人と花見というのは悪くはない。
 いやむしろ、道中が楽しみですらある。
「な、そう思わねえ?」
「どうして俺に振るかな?」
 加倉 一臣(ja5823)が強張った顔を向けると、すぐ傍でアスハ・A・R(ja8432)は他人事のように腕組みして虚空を見つめている。
「さて、この中の何人が無事に山頂に辿り着くのやら」
「待って、ねえ、荷物運ぶだけだよね!?」
 一臣が縋るような目で見上げるも、アスハはふっと微笑み首を振るばかり。
「One for All, All for One」
 普通、「ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために」と訳される言葉だ。
 だがアスハが一臣の肩に片手を置き、続けた言葉には不穏な気配が漂う。
「いいか。荷物の安否は、撃退士の安否より重い、だ」
「つまりあれか。荷物は回復できないが撃退士は回復可能だと――」
 反対側の肩に暖かな掌を感じ、一臣はそちらを見上げた。
「安心しろ。神の兵士はセット済みだ」
 遥久の神々しいまでの笑顔が眩しかった。
(これぜったいあかんやつや……)
 矢野 胡桃(ja2617)が顔を覆う。
 さっきの「おーるふぉーなんちゃらって」やつは、死なば諸共一緒に頑張ろうぜって意味じゃないと確信する胡桃。
 つまりは、撃退士墜とすも荷物落とすな。『一人はみんなのために(犠牲になって)、皆は一人(の犠牲)のために』である。

「どうも只ならぬ空気が漂っておるの」
 翠蓮が優雅に小首を傾げた。
「殆ど面識がない故に詳しいことは知らぬが、白川殿とは余程厳しい御方なのであろうなあ」
「依頼の遂行に、依頼人の人格は無関係だ。行くぞ」
 ファーフナーも実は白川のことをよく知らないらしい。
 ふたりの会話を聞きながら、律紀は指摘したものかどうかを迷う。
 そう白川は、胡桃を除く全員が授業に出ていれば顔を見ているはずの、大学部の教員なのである――!
「ねえ、荷物にお酒はないの?」
 どこまでもマイペースに、エルナ ヴァーレ(ja8327)が荷物をちらりとのぞき込んだ。
 あわよくば飲みながら重量を軽くし、楽に行こうという訳か。
 律紀が苦笑いした。
「あったとしても、もう先に誰かが担いだんじゃないですか?」
「えーっ! まあいいわ。……って、結構どれも重いわね!? いいわ、倒れたらりっくん背負って行ってね☆」
 ばちんとウィンクして見せる魔女。
「えー……なるべく倒れないようにお願いします。山の肥料になりたくないので」
「やあねえ。これぐらいの山で遭難したりしないわよ!」
 明るく笑うエルナは、元々ヨーロッパの山育ちだ。森の中を走り回って育ったという余裕が表情に表れている。
「さ、いそぎましょ。さっさと着いて山頂で花見で酒盛りよ!」
 エルナのこの明るい笑顔がどこまでもつのか……それはこの時点では、誰にもわからなかった。


●深山の道

 ルートは二手に分かれていた。
 いずれも険しさは変わりなく見えたので、半分の荷物だけでも無事であるようにと二手に分かれる。
 気がつけば、翠蓮、ファーフナー、琴音、そして梨香と律紀が黙々と山道を歩いていた。
「なんだかあっちはすごく危ない気がした」
 とは後の律紀の弁である。
「なんだ?」
 ファーフナーが、少し開けた場所にそびえる奇妙な像を見上げた。
「えっと、この霊場を開いたと言われる、修験者の像ですね」
 梨香が資料をめくって説明する。
 錫杖をついた修験者は2体の小鬼を従え、堂々たる様子で山を見据えていた。
「そうか」
 ファーフナーはそれだけ言って、また歩き出す。
 石像になってまで従わされる小鬼が少し不快だった。

 翠蓮が先刻の疑問を、梨香に尋ねる。かわりに答えたのは琴音だった。
「まさか。白川先生がそんな鬼のような所業をするハズがないですよ」
 澄んだ目が、信頼を物語る。
「だってもし罠何か設置したら、一般の登山客が危険じゃないですか。裏道とはいえ、誰も来ないとは限りませんし」
 実に常識的な判断である。
「なるほどの。まあ念のため、ということもあろう」
 荷物を下ろした翠蓮はにっこり笑い、闇の翼を広げた。
「ちと辺りの山道を偵察して来ようぞ。暫しここで待っているが良い」
 一同は少しその場で休憩することになる。
 山桜が微かな風にも枝を揺らし、至る所が散り落ちた花でいっぱいだ。
 持参した水で喉をうるおし、琴音が小さく息を吐く。
「綺麗ですね。……こうしていると、なんだか懐かしいです。子供の頃、妹と一緒によくこうして山道を上り下りしました」
「私も話には聞いていたのですが、実際に来たのは初めてです。ソメイヨシノとはまた違って、少し怖いぐらいですね」
 梨香がそう言って目を上げた。
 少し離れたところには、観光客が通る道があり、そのざわめきも聞こえてくる。
 バスがクラクションを鳴らして通って行くのもわかる。
 だがすぐそこに現実があるというのに、このどこかに引きずられて行きそうな静けさはなんだろう。
「さすがに天魔が出てきたりはしないだろうけど……」
 律紀が僅かに眉をひそめた。それほどに、不思議な空間だった。

 翠蓮は木々をすり抜け、辺りの様子を見て回る。
(あの娘はああ言うておったが……)
 では何故、荷物運びなどをさせるのか。
 修行というなら、何かしら仕掛けてあってもおかしくはない。
 そう思ってみれば、草に覆われた地面も、樹木に覆われた頭上も、なんだか怪しく思える。
「少し見てまいれ」
 呼び出したケセランをひと際見通しの悪い、湿った草原に放ち、戻って来た所で連絡を入れる。
「ここまでは問題ないようじゃな。滑らぬようにだけ気をつけて歩くがよい」

 ファーフナーと翠蓮が交替で飛び、慎重に進んで行く。
 だがふたりがすりぬけられた場所でも、張り出た枝で梨香は額を打ったし、律紀は木の根に躓きかける。
「大丈夫ですか」
 山が得意というだけあって琴音はふたりを気遣う余裕があったが、それでも中々の急な山道だった。
「……先を見て来る。その前に」
 ファーフナーは梨香の荷物を引き寄せると、『氷結晶』で作りだした氷の塊をビニール袋に入れてタオルに包み詰め込んだ。
「少し重くなるかも知れんが、腐らなくて済むだろう」
「ああ、そうですね。私、涼しくてラッキーです」
 歩いているうちに気温も上がる。念には念を入れた方がいいだろう。

 こうしてゆっくりながらも比較的順調に、一行は山道を進んで行った。


●敵、遍在す

 一方、別ルート組は。
「割と荷物重いですけれど、しっかり持って皆で頑張りましょー!」
 諏訪が明るく声をかけ、あほ毛レーダーを揺らして進む。
「ま、最初からあんまり気合入れてると、疲れるわよ〜」
 エルナはそれでも念のために光纏し、突然の事態に備える。慣れた場所では問題にならないが、片目だけで物を見ている以上、念には念をという訳だ。
 とはいえ天魔が襲ってくるわけでもなく、すぐ傍には観光客でごった返す道もあるため、暫くは野生生物に出遭うこともなさそうだった。
「さすがにジュリーの脅しにビビりすぎたかな?」
 一臣が緊張を紛らせるように言うと、アスハがフッと笑う。
「それならそれで、別に、運んでしまって構わんの、だろう?」
 どう見てもフラグです。本当に(

 やがてせせらぎの音が響き、どことなく緑が濃くなってくる。
「このルートの先には谷があるようですね」
 殿をつとめる遥久が、地図を確認して声をかけた。
「道は?」
 愁也が尋ねた。当然のことだ。
「ない」
「おい」
 何故か反応する一臣。
「しょうがないなあ」
 胡桃が少し大げさに溜息をついて、荷物を下ろした。
 このメンバーでは飛行でルート確認ができるのは胡桃だけなのだ。
「んじゃ荷物おねがい!」
「任せた、胡桃ちゃん! でも気をつけてな!」
 愁也に手を振ってこたえ、胡桃は低空飛行で先へ進んだ。

「んーと。特にこの辺りは問題なさそうだけど……」
 まあ踏んでないからアレだけど。
 それは自己責任だからしょうがないね。
 取り敢えず胡桃は、草に覆われた湿地を抜け、その先へ。そこで思わず声を上げた。
「わ、すごい!」
 はい、お待ちかねのいかにもヤバそうな谷川と崖でした。
 胡桃は急いで皆に連絡を入れ、報告する。
 ただし、途中の湿地帯のことは失念していた。

「ど、どうしたの、胡桃ちゃん……?」
 追いついた面々が泥にまみれていたのは、敢えて言うまでもなく。
「とりあえず向こうまで命綱を渡すから、ロープ貸して」
 胡桃はロープを受け取ると、頑丈な木の幹に結び付け、それから自分は素早く向こう岸へ。
 だがあと少し足りず、衛士の縛鎖を継ぎ足して対岸の樹に縛り付ける。
「さあ、綱渡りどうぞ!!」
 ふんすと鼻息荒く、ぐっとロープを引く胡桃。
「いや、ないでしょそれ」
 反応した一臣。何故反応したのか。
「出番だ、優秀な削られインフィであるお前ならできる」
 遥久がそっと背中を押してくる。
「生贄(あるいは偵察隊)として華々しく活躍……」
「まって、カッコに入ってないほうおかしいって!!」
「おや、本音と建て前が逆だったな」
 涼やかに微笑む遥久、目がマジだった。
「いや無理無理!! おかしいって!! どこかに絶対安全な道とか橋とかあるって!!」
「え? 無理? またまたぁ。おみおにーさんなら華麗に決めてくれるでしょ?」
 胡桃が対岸から煽る。
 だが谷は深く、かなりの高さがある。一臣は再び抵抗することに決めた。
「ほら俺、担当の荷物さ、『取扱注意』の分だしね? 落としたら大変だからさ!!」
 遥久は仕方がない、と肩をすくめ、続けて愁也の背中を押した。
「加倉が困っているが、お前ならできる、大丈夫だ」
「よし頑張ろう、加倉さん!!」
「アッーーーーーー!!!!」
 遥久の言葉に燃える愁也は一臣の手を引いて、思い切り踏み出していた。

 絶体絶命のふたり。必死の思いで綱渡りを始める。
 だが何故、胡桃が結び付けた部分を確認しなかったのか。
「あれ?」
 胡桃が思い切り引いたときにかかる力と、男ふたりの全体重が同じ訳もなく。
 みし。
 みしみし。
 結びつけられた木が軋む音がして、次第に根元があらわになってゆく。
「荷物ぅぅぅ!」
「荷物はやらせん!」
 胡桃とアスハの反応は早かった。
「空駆けよ風。執行形態顕現。特殊選剣:インノ」
 詠唱と同時に、胡桃は猛然と命綱を結びつけた樹に近付き、レガースで叩き斬る。
 対岸のアスハは雪村を抜き放ち、冷然と命綱を切る。
「「おいいいいい!?」」
 一臣と愁也の叫び声が山に響いた。
「NotいのちだいじにYesにもつだいじに」
 胡桃がふるふると首を振った。アスハが咄嗟に『異界の呼び手』で荷物「だけ」を確保する。
「危ないところだった、な……」

 どうにか服の端が崖から突き出た枝を掴み、愁也がぶら下がっている。
 その手が一臣の手を握り、どうにか引き上げていた。
「か、加倉さん……飛び降りれる……?」
「ごめんな、愁也……さすがに無理そうかな、って……」
 ごうごうと流れる川ははるか下。
「くっそう……ふぁいとぉーーーー!!!」
 額に青筋を立てて引きあげようとする愁也に、のんきな声がかかった。
「大丈夫ですか〜?」
 見れば、諏訪が対岸でロープをひっぱり、荷物を引いている。
「ちょ、諏訪君、どうやってそこに!?」
 愁也が震えながら尋ねると、諏訪は手ぶりで「迂回ルートがありましたよー?」と教えてくれた。
「先に言えよおオオオ!!!」
「ばっかねえ、ちょっと調べたらわかることじゃない?」
 こちらの岸で荷物を送っているのはエルナだった。
「だいたい、大事な荷物を危険にさらす訳が……って……」
「ごめん……もう駄目……」
 そこで力尽きた愁也の手が枝から離れた。落下する先は、どう見てもエルナの居る場所である。
「オミーさんもいるのよ? あたいがやられ担当になるはずが……ぎゃああああああ!?」

 ……何やら無駄に苦労しつつも、どうにかこうにか全員が対岸に渡った。
「やられ慣れてるってこういうとき、便利よねっ、て……そんなわけあるかぁー!!!」
 エルナの叫び声が山にこだまし、消えていった。
「お疲れ様でした。お陰で荷物は無事ですよ」
 遥久は笑顔で順に怪我人の傷を癒して行く。
「よーくわかったわ。荷物は命より重いのね……ッ!!」
「今更……だな」
 アスハが中身を確かめ、無事を確認すると改めて背負う。
「急ごう、か。そろそろ日が高いぞ」

 山頂はもうすぐそこだった。


●桜の結界

 空気が違う。それが第一印象だった。
「――これはこれは見事な奥千本ぞ」
 さすがに長く生きてきただけあって、翠蓮は気に呑まれるようなことはなかったが、それでも声は囁くような物になる。
 ファーフナーは普段から無口だが、さすがに一面の桜には気圧されていた。
 こちらが桜を見ているというよりは、桜がこちらを見ている。そんな錯覚すら覚えるほどに、そこは桜の領域だった。
 一方で、桜に見とれる余裕のできた自分に驚いてもいる。
 花鳥風月を楽しむようなゆとりもない生活。ただ自分を誰かに認めてもらうためだけに生きていた。
 だが今は――。
 そこでふと、友人を思い出す。
(あいつならどんな風に撮るだろうな)
 そう思いつつ、カメラを構えた。何度撮り直しても、自分の目で見た通りにならない桜の花をもどかしく思いながらも、何枚かを収める。
(本当にらしくない、な)
 この写真を見た友がどんな風に評するか、楽しみにしている自分が。だが、悪くはない、とも思う。

「おお、おんしが白川殿かのう?」
 翠蓮の声に振り向くと、庵から音もなく姿を現した人物に気付いた。
 金髪に、日本の神主のような装束。何ともちぐはぐである。
「お疲れ様でした。無事に依頼完了、というところですな」
 白川はそう言って、皆に中に入るように勧めた。
「あら、白川先生。見慣れない恰好をされていますね」
 琴音は丁寧に頭を下げた後、遠慮がちに様子を窺う。
「はは、似合わないだろう? 自覚はある」
「その風体から察するに、何かの修行の最中と見受けるが……今回の荷物運びの課題と何か関係があるのかのう?」
 翠蓮が興味深そうに目を細めていた。
「まあそんなところで。詳しくは後ほど」
 そこにようやく、敢えて困難を選んだ一団が到着する。
「じゃぱにーずまうんてん、べりべりでんじゃー……」
 荷物に寄りかかるようにして崩れ落ちるエルナ。ところでドイツ人じゃなかったか。
 胡桃は元気よくカメラを構え、白川に声をかけた。
「わー、白川先生、和装お似合い、です。はいちーず」
「ハハハ……」
 撮影した後、胡桃が遥久に向かってぐっと親指を立てたのを白川は知らない。
 一臣は縁側の弓に目ざとく気付いた。
「へえ、ジュリーが和弓って珍しい。その格好だとまるで梓弓みたいですね!」
「実は元々の得物は弓でね。銃は趣味だ」
「そういうモノですか……?」
 胡散臭い笑顔に、一臣が疑わしそうな目を向ける。
 そこで庵から人の良さそうな老人が出てきた。
「おやおや、皆様お疲れ様でございましたな」
「こちら、この庵の管理をしていらっしゃる坂木さんだ」
「「「よろしくお願いしまーす」」」

 ともあれ、全員が揃ったところで約束の花見である。
 庵のすぐ裏手にはおあつらえ向きの場所があった。
 そこでお弁当を広げれば、これまでの疲れも吹き飛ぶような気分だ。
「すごいですねー! この景色を独占ですよー、贅沢ですねー?」
 諏訪が言う通り、観光客は少し離れたルートを行くため、この付近にはほとんど近寄らないようだ。
「あ、花見ということで桜餅を持ってきたので、良かったら皆さんどうぞですよー! 先生もおひとついかがですかー?」
 諏訪が持参した荷物から、おいしそうな桜餅を取り出した。白川は少し申し訳なさそうな顔でそれを断る。
「有難う、私は遠慮させて貰うよ。皆でどうぞ」
 琴音がふと、白川が白湯しか飲んでいないことに気付いた。
「あら、白川先生はお召し上がりにならないんですか?」
「実は絶食明けでね。今日はまだ重湯なのだよ」
「え、何? 先生ダイエット!?」
 お弁当をぱくついていた愁也がすごい勢いで振り向いた。
「どうしてそうなる」
「や、嘘です、冗談です」
 白川に突っ込まれたためではなく、さりげなくこちらを向いた遥久の視線に身体を縮め、愁也は弁当に意識を戻す。
「ってあれ? 唐揚げ一個すくねえ!! 誰だやんのかコラァ!!」
「やーねーちっさい男は」
 エルナが坂木氏から勧められたお酒を飲みつつ、手をひらひらさせる。
 危険な食べ物はないだろうと思いつつ、誰かが食べている物の方が安全だと勘が囁く。信じられるのは自分の勘だけだ。今日、改めてそう確信したのだ。
「くっそ、魔女様以外の女性陣、苺あるよ!!」
 胡桃が早速食らいついた。
「苺ーーーっ! しゅやおにーさん、からあげあげるね」
「胡桃ちゃんはご飯も食べような? 梨香ちゃんも食べる? リンゴもあるよ!」
「では遠慮なくいただきます。……あ、私、剥きますね」
 梨香がリンゴを剥き始めると、琴音が器を借りてきてくれた。
「これ使わせていただきましょう」
「わ、すみません! 使ってしまって」
「いえ。私もいただきますから」
「ハーイ皆、こっち向いてー」
 声に振り向くと、律紀がカメラを構えていた。
「撮るよー! いちたすいちはー?」
「「にー!!」」
 ぱしっ。
 愁也が近付いて律紀のカメラを覗き込む。
「写真、良かったら後で貰ってもいい? ……へえ。結構本格的だなあ」
「あ、もちろんです! ……姉さんに言われて、結構あちこち取材にいくことがあるんですよねー。まだあんまり上手くないんですけど」
 律紀はカメラを山に向ける。
「人もいいけど、景色も上手く撮れるようになりたいなって」
「景色?」
「はい。街の姿とか、写真にならずっととどめておけるかなって……」
 律紀の快活さが一瞬だけ陰る。
 それは日々壊れて行く物への、彼なりの追悼なのかもしれない。
 ――少なくとも愁也はそう感じた。

 また改めて桜を眺める。
「すっげえ桜! こんなの初めて見たなあ、飲み込まれそうな感じだ」
 愁也が言う通り、覆いかぶさるような山桜の迫力は、どこか恐ろしい程である。
「ずいぶんと賑やかしに来たけど、花に浮世の咎はあらじってことで。許してもらえるかな」
 一臣が『西行桜』を引き合いに出す。白川は坂木氏の顔を見て笑った。
「招いたのはこちらだがね。さすがは加倉君、というとこころかな?」
「顧問のおほめに預かり光栄ですね」
 一臣は茶目っ気たっぷりに笑う。
 そこでアスハがふと気がついたように白川を見た。
「そういえば、こうしてまともな席は初めてだった、かな? よくお似合いで」
「有難う。もっと笑われることを覚悟していたがね」
「笑って良かったの、か」
 アスハが何故かそこで考え込む。
「そういえば、ここは白川先生に何か所縁のある場所なのでしょうかー?」
 諏訪が膝を乗り出した。
 目を細める白川は、どこか学園にいるときとは違って見えた。
「そうだね。皆も今の学園が、割合最近整ったということは知っているね」
 天魔の襲撃に対抗しうる存在を養成する機関。
 今でこそ久遠ヶ原学園が代表的な存在だが、そのシステムが確立するまでは、色々な方法で撃退士を鍛え上げていた。
「私が一番最初に預けられたのが、こちらの庵にお住まいだった修験者の先生でね。荷物運びは日課だったよ」
「日課」
 黙って聞いていた律紀が思わず呟く。
「その後、今の学園の前身の養成学校に移ってね。……あの頃、ひとりで山道を上ったり下ったりしていると、やはり自然の凄みを感じたものだよ」
「確かに……この桜も、ただ美しいというよりは……どこか荘厳で恐ろしい気もしますね」
 遥久が静かに頷く。「お住まいだった」というからには故人だろう。白川の師という人に逢ってみたかった、とも思う。
「まあそれ以来、リフレッシュしたいときにはこちらにお世話になっている。ちょうどいい機会だからね、君達にもここの素晴らしい桜を見て欲しかったんだ」
「それと、修行の山道ですねー?」
「ハッハッハ」
 諏訪の鋭い突っ込みを、笑ってごまかす白川。
「そうだ、苗木は明日植えてくれたまえ。ここの桜は古来、修行者が植えたものらしいよ。いい記念になるだろう」


●雑鬼調伏と厄払い

 全員が宿泊希望ということで、そのまま山にとどまった。
 夜になると桜の凄みは一層増す。
「夜は出歩かないように。桜にさらわれるからね」
 古風な篝火を用意しながら、白川があながち冗談とも思えない顔で注意する。
 恐らく迷ってしまう者もいるのだろう。
 風呂をすすめられ、順に小ぢんまりとした露天風呂を使う。
「おもわず『ああ〜』って声が出ますね〜?」
 諏訪が頭にタオルを載せて、日本酒を片手に歌うように言った。
 珍しい姿である。
「偶にはいいものだ、な」
 アスハもゆったりと湯に浸かりながら、窓の外に広がる桜を眺める。
「ここで足引っ張るとか、頭沈めるとかないよね……?」
 一臣が恐る恐る湯に入ると、アスハが振り向かずに呟いた。
「何、そろそろのんびりと、身体を休める必要を感じる年齢も近くて、な」
 ばっしゃん。
 一臣が湯の中で足を滑らせた。

 だがこの連中が、そのまま大人しく夜を過ごす訳もなく。
「休んで回復もできただろう、な」
 夜具を敷きつめた部屋でアスハが厳かに告げる。
「宿泊といえば枕投げ! 阿修羅の力見せてやるぜー!」
 大はりきりの愁也に、胡桃も枕を抱きかかえる。
「全力投球こそ正義! 機動力なら負けない!!」
 尚、胡桃は愁也を肉壁にする気満々である。
(ふふふ、皆さん浴衣帯に注意ですよ〜?)
 密かにアシッドショットを準備する諏訪。かなり本気だ。
「では僭越ながら私、加倉 一臣が始球式を……!」
「ひゅーひゅー! 待ってましたあ!」
 第一投、加倉、投げました!
 決まったー! 蕎麦ガラ枕が宙を飛び、顔面にヒット!
 最初の犠牲者は……
「さあ、持ち主は誰だ。名乗り出るがいい」
 部屋の温度が一気に下がる。
 枕を手に仁王立ちするのは遥久だった。
「……その枕は加倉さんのです」
「ちょ、連帯責任、連帯sぎゃああああああ」
 叫び声が細くなって山へと消えていく。

「……なにやってんだか」
 エルナは縁側で杯を傾け、篝火に燃え上がるような桜を見上げる。
「いいんですか? 皆さんと一緒じゃなくて」
 並んで腰を下ろし、律紀がツマミのナッツをほおばる。
「たまには、ね。……異国でも、やっぱり山の空気ってやっぱりいいわね」
 湿っぽくて冷えた空気を胸に吸い込み、エルナは目を閉じる。
 自分の知っている、針葉樹の香りとは少し違うけれど。人の手が入り過ぎない場所の空気は心地よい。
「そうだ。律紀君ももう飲める年齢じゃないの?」
「え?」
「ちょっと付き合いなさいよ! なによ、あたいの酌じゃ飲めないっての!?」
「えええええ!?」
 その後、意外にも(?)楽しく小宴会になったとかならなかったとか……。

 夜も更けた頃、ファーフナーは静かになった温泉を覗いてほっとする。
 ゆっくりと湯の中で手足を伸ばし、たまった疲れを癒す。
 実は日本に来て知った温泉の魅力に、すっかり取りつかれていたのだ。
「成程。桜というのはこうやって眺めるのもいいものだな」
 ほろほろと散る花びら。
 篝火の光を受けて、不思議な色気と香気を纏う。
 ふと湯殿に入ってくる足音に気付き、ファーフナーは一瞬身構えたが、すぐにそれが翠蓮だと知る。
「おお先客じゃな。構わぬか」
「……ああ」
 見れば翠蓮は手桶に日本酒の徳利を入れていた。
「折角の温泉、折角の桜じゃ。一つどうじゃ?」
「……貰おうか」
 必要以上に語ることもなく、ただ酒で唇を湿す。
 ほのかに桜の香りのする酒は庵の主が分けてくれたのだという。
「そうじゃ。明日の朝は朝餉の用意でもして進ぜようぞ。何、孫達が世話になっとるらしいからの」
「世話をしているつもりはないが」
 ファーフナーはふと口元を緩めた。もしかしたら世話をされているのかもしれない、と。
「その前に明日は座禅もしてみようと思う」
「おお、それはよい。わしもそうするとしようぞ」
 この雄大な自然の中での座禅は、さぞかし胸がすくことだろう。


●花の下にて

 昼間にお弁当を広げた場所に、愁也と遥久、そして一臣が並んで空を見上げていた。
 桜の隙間から漆黒の空の欠片が見える。
「気になるのか」
 遥久の問いに愁也がポツリポツリと答える。
「ここは綺麗だけど、北海道も、京都も、大変なことだらけだなって」
 愁也にとって、そして仲間にとって、いろんな出会いと別れがあった場所。
 そこに眠る連中も、さぞかし煩いことだろう。
「そうだな」
 遥久も出会った人々の顔を思い浮かべる。宙ぶらりんのまま漂う思いは、どこへ行くのか。
 もどかしい。
 けれど、今は機を待つことしかできないのだ。
 一臣は口を開きかけて、閉じる。
 それぞれに胸に抱えた想いはあれど、ときには踏み込まず見守ることも必要だと思うのだ。
 いつか必要なら手助けはする。それまではただこうして傍にいよう。
「願わくば」
 遥久が静かに言いさして、それから微笑んだ。
「次の春もこうして、桜の下で笑いあえるといいな」
「……うん」
 愁也が闇に隠れるようにして目をしばたたかせた。

 そこで不意に、何かを思いついて我に帰る。
「そういえばさ」
「なんだ?」
「帰りはさすがにバスだよな?」


 ――結論。
 帰るまでが「修行」でした。

<了>


依頼結果

依頼成功度:成功
MVP: −
重体: −
面白かった!:8人

二月といえば海・
櫟 諏訪(ja1215)

大学部5年4組 男 インフィルトレイター
ヴェズルフェルニルの姫君・
矢野 胡桃(ja2617)

卒業 女 ダアト
JOKER of JOKER・
加倉 一臣(ja5823)

卒業 男 インフィルトレイター
輝く未来を月夜は渡る・
月居 愁也(ja6837)

卒業 男 阿修羅
蒼閃霆公の魂を継ぎし者・
夜来野 遥久(ja6843)

卒業 男 アストラルヴァンガード
撃退士・
エルナ ヴァーレ(ja8327)

卒業 女 阿修羅
蒼を継ぐ魔術師・
アスハ・A・R(ja8432)

卒業 男 ダアト
来し方抱き、行く末見つめ・
小田切 翠蓮(jb2728)

大学部6年4組 男 陰陽師
導きの光・
六道 琴音(jb3515)

卒業 女 アストラルヴァンガード
されど、朝は来る・
ファーフナー(jb7826)

大学部5年5組 男 アカシックレコーダー:タイプA