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今すぐ出るか、朝を待つか。
「学園で保護しちゃえば、流石にあのしつこいシュトラッサーでも諦めるよね」
桐原 雅(
ja1822)がパチパチと瞬きした。
「此処の人たちにこれ以上迷惑も掛けたくないし。ちょっと眠いけど我慢して、迅速果断で行こう」
全員、異論は無かった。闇はこちらの姿も隠してくれる。バスは2台とも借り受けることにした。移動しながらの戦闘になる為、自ずと遠距離の得意な者が攻撃担当になるだろう。
佐藤 としお(
ja2489)は暫し考え、職員に頼み込んだ。
「ロープなんかあったらお借りできませんか」
「それから毛布と……かつら等はありませんか」
重ねて夜来野 遥久(
ja6843)が申し出るが、流石にかつらは無いという返事だった。
「そうですか、残念ですが仕方がありませんね」
その間に、乗員の分担も決める。雅が顔を上げた。
「ティンベルさんとネフラウスさんは後ろの車だよ」
ぼんやりと少し離れ気味に座っていたティンベルが、慌てて立ちあがる。
「えっ、あ、……ぎゃっ!?」
その拍子に自分の髪を踏んづけて転んだ。
「……ぷっ」
呆気にとられるか、笑いをこらえるかの一同で、情け容赦なく噴き出した者がいる。視線はティンベルから梨香に移った。
「あ……すみません。つい」
軽く咳払いし、梨香はいつもの表情に戻った。ネフラウスはティンベルの腕を掴んで助け起こす。
「落ちつけ。ティンベルが慌てても仕方があるまい」
「う、うん……」
「こんな時、緊張するなーていわれても、難しいやんな! でも安心してな」
戸惑うような視線を向けたティンベルに、小野友真(
ja6901)は少しおどけて片目をつぶって見せた。
「ヒーロー参上、ってな! お迎えにあがりました!」
簡単な自己紹介のついでに、軽く握手する。
運転は白川と幸広 瑛理(
jb7150)が担当する。
「地図は確認しておきたいですね。それから互いに連絡を取りやすくしておいが方がいいでしょうね」
「そうだね。基本的には1本道なんだがね」
白川がタブレットPCに地図を呼び出す。京都市といってもかなり山奥の為、ヘアピンカーブが続くものの分岐はほとんどない。
「どこで相手が待ち伏せしているか分からないですから。阻霊陣を使いましょう」
若杉 英斗(
ja4230)が言った。触れている物のみに効果を及ぼす阻霊陣なら、こちらの行動を気取られるのが少しでも遅くなるだろうという訳だ。
「成程ね。ではそうしよう」
とはいえ、普通のマイクロバスの装甲である。接近させないのが一番だ。
「それから白川先生には、ティンベルさんの乗るバスの運転をお願いします。いざとなったらもう1台を囮にして、逃げ切ってください」
英斗がじっと白川を見据えた。
「それはまた……」
「敵と遭遇するまではヘッドライトもなるべく切ったまま、暗視装置を使ってください。非常時です、道交法は無視しましょう。免停喰らったら俺が白川先生の運転手しますから」
飽くまでも大真面目に、そして熱心に主張する英斗に、白川は笑いを堪えながら頷いた。
「了解した。警察が来ないことを祈ろう」
「なあジュリー先生」
友真と瑛理が少し目配せをし、意を決したように白川を呼ぶ。
「あんな、ちょっとの間だけでもこの病院移転させられへんかな」
「ゲートを作られるのが心配です。ここにいる方々の感情は……きっと好まれるでしょうから」
ひそひそと話しかける声に、白川が不意に声を上げた。
「ティンベル君!」
思わずびくっと肩を震わせる友真と瑛理だったが、白川は笑っている。
「この近くゲートができる可能性は?」
「ないと思うよ。すごく作りにくいから」
それが何か? というような顔でティンベルが答えた。
「だ、そうだ。ゲートを開くには、色々条件があるらしくてね。ここはその心配はなさそうだよ」
友真と瑛理は顔を見合せながらも、一応は了承した。
先行車両は瑛理が運転し、雅、としお、遥久、友真、梨香が乗り込む。
狩野 峰雪(
ja0345)は後続車両に乗り込む前に、さりげなく梨香の傍に近付き、小声で言った。
「せっかくお休みをとってお友達に会いにきたのに、ゆっくりできなくて残念だったね」
梨香は驚いたように峰雪を見た。
峰雪は労わるように微笑んでいる。皆がティンベルを守ることで一致しているのは当然だ。だが梨香の友人や病院の関係者には、堕天使は厄介者でしかない。内心、忸怩たるものもあるだろうと思うのだ。
「有難うございます。でもいいんです。また来れば済むことですから。それに……」
「それに?」
梨香は少し考え込む。
「……今はたぶん、紗代ちゃんには、私も怖いんじゃないかなって」
峰雪が口を開くより先に、梨香が慌てて顔を上げた。
「あ、違うんです。色々思い出してしまうから、少し時間を置いた方がいいだろうっていうだけで。あとそれから」
梨香が思い出し笑いをこらえるような表情になる。
「……天使も色々なんだって、当たり前のことがやっとわかった気がします」
そこで突然、友真が梨香の肩を元気よく叩いた。
「梨香ちゃん、お疲れさんやったなー! 俺が来たし安心やろ? なんてな!」
「ええ、助かります。インフィルトレイターがいると今回は本当に心強いです」
「えーっそーゆー意味なん?」
不満そうな友真の背中を押してバスに乗り込みながら、梨香は峰雪に小さく会釈した。
そのバスの屋根の上では、としおが左右の窓を通したロープを引っ張っている。
「よし、こんなもんだろ。準備OK!」
ロープを手綱や命綱にして、屋根の上から攻撃しようというのだ。隠れるところは無く危険だが、攻撃を当てることについては有効だろう。
バスの内部では、遥久が毛布を前に唸っていた。
「どうなさったんですか?」
梨香が声を掛けると、遥久は毛布を紐で縛りながら答える。
「いえ、かつらがあればティンベルさんに見えないかと思ったのですが」
「ええと……銀蝙蝠は生命探知に近い方法で探るんですよね? 木偶人形では誤認してくれないのでは……」
そう言って、梨香は毛布を広げて羽織るようにすると、みつあみをほどく。長い髪が毛布に広がった。
「ティンベルさん程は長くないですけど、座っていれば少しは誤魔化せないかしら」
「暗さで誤認してくれれば幸い、ですね」
遥久も頷いた。
後続車両に乗り込んだルナ・ジョーカー(
jb2309)が、全員の顔触れを確かめる。
「ハンズフリーマイクのセットは大丈夫か?」
後続車両から返答が来る。
「もし何かあったら、ティンベルは伏せてるんだぞ。いいな?」
絶対、無事に学園に連れて行くから。言葉よりも雄弁に語るルナの瞳に、ティンベルは大きく頷いた。
「じゃ行くか」
一転、明るい笑みを向けると、ルナは前方の座席に移っていく。
●
バスは門を出る前に一時停止する。
門外周辺を確認し終えた雅がそこで乗り込み、再びバスが動き出す。バスの屋根からはとしおが索敵で周囲を窺っていた。
バスが走りだした後、森に潜んでいた銀蝙蝠が音もなく飛んだ。
木を避けることもなく闇の中を飛び、主の元へと。
「やれやれ、動きが早いな。門を出たところでいきなり眠ってもらうというのは、流石に甘かったか」
そう言う川上は何処か楽しそうだ。
「では最初の予定通りに行くか」
暗闇の中、使徒はサーバントを従えて動き出した。
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暗い山道を、2台のバスが駆け抜けていく。
『なるべく離れないようにお願いします、ミスター』
遥久からの依頼に、白川が思わず苦笑いする。
(酷い要求だな)
追従走行では後続車の運転手の方が緊張を強いられる。加えて、万が一睡眠にかかった場合に備え、先行車の最後尾にいる遥久の『聖なる刻印』の射程内に入れというのだ。
2台は最初の大きなカーブに差し掛かる。
(そろそろかな?)
峰雪は地図を想い浮かべ、稲妻の名を冠した拳銃を構えた。敵が建物を見張っていた場合、自分達を発見してすぐに移動すれば、この地点で追いつける可能性がある。
『異常なし!』
索敵を使ったとしおの報告だ。インフィルトレイターは多いが、極力無駄が出ないように順番に使っていく。
続いて助手席の友真が前方を睨みつける。
「ビビリの索敵能力なめんなよ……何か動いたらめっちゃ反応するし即見つけたらぁ……」
だが索敵では完全に隠れている敵は見つけられない。
遥久はふと、何かに探りを入れられているような気がした。
「生命探知を使います」
山には多くの命が潜んでいる。だが野生生物なら、こちらから遠ざかろうとする筈だ。近付いて来る物がいるなら、警戒すべきだろう。そのスピードが速いなら尚更。
「……来ました」
友真が遥久が感知した数、方向を後続車に携帯電話で報告。
「ほんまに来た! 蝙蝠やでぇ!」
前方から真っ直ぐ飛来する物が、ぐんぐん接近してくる。
瑛理が車内と、後続車へ注意を促した。
「飛ばしますのでご注意ください。左に曲がります!」
そう言うと同時にアクセルを踏み込む。
としおは屋根の上に身を伏せながらライフルを構え、『緑火眼』で蝙蝠を狙った。
命中。翼を半ばもぎ取られた銀蝙蝠が、ぐらりと傾く。
「お前ら邪魔しすぎなんだよ……と、何だ!?」
その瞬間、バスが大きく揺れた。ハンドルを握る瑛理の首が、前のめりに傾いている。
「っと、あぶなあ! しっかりやで!!」
友真が必死でハンドルを掴み、何とか脱輪を防ぐ。
「直ぐに回復を」
その間に遥久が『聖なる刻印』で瑛理の目を覚まさせた。
川上は近付いて来る車のエンジン音に耳を傾け、距離を測っていた。
「どっちだ」
撃退士たちはどうでもいい。目的はティンベルだ。
「どっちに乗っている?」
カーブを曲がって来る車を睨み、車道脇に立つ。
後方の車両には別の銀蝙蝠が接近していた。
「左から来る、頼むよ」
白川が暗視ゴーグル越しに睨む。一応拳銃を握っているが、極力運転に集中すべきだと判断したのだ。
英斗はティンベルに顔を向け、力強く頷いた。
「必ず守ります。俺達を信じてください」
阻霊符に力を籠め、更に細かく指示する。
「窓から離れて。揺れるからしっかりつかまっていてください」
ティンベルはネフラウスと共に、姿勢を低くして座席を掴んだ。
近付く銀蝙蝠を見据え、ルナがPDW SQ17を構えた。窓があるため、半身になるのは仕方がない。
「じっとしてても肉壁の1枚くらいにはなるだろうが……俺は攻める方が得意なんでね」
そう言ってバスのすぐ横に飛来した銀蝙蝠を狙った。『胡蝶』の攻撃は僅かに逸れ、蝙蝠はバスの側面を舐めるように飛ぶ。
「生憎、射手はひとりではないよ」
ルナの攻撃を避けた際に意識の逸れた蝙蝠を、峰雪のエクレールが撃ち抜いた。
「……それにしても、随分とあっけないな」
峰雪が眉をひそめる。
懸念通り、これが川上の仕掛けだった。
「ティンベル! どうした?」
ネフラウスの声が低く響く。振り向くとティンベルはぐったりと床に倒れていた。
蝙蝠はティンベルの居場所を確認し、睡眠を掛けるための捨て駒だった。
川上の放ったサーバントが一斉に後の車両目がけて飛び出す。
「そうはいかないんだよ」
雅は素早く先行車両の窓から飛び出し、跳ねるようにやってきた黒狼に華麗な『雷打蹴』をお見舞いした。
遠距離攻撃がない分溜まっていた鬱憤を、ここぞとばかりに叩きつける。
「今までの分の、お返しだよ」
転がる狼をしり目に踵を返して疾走すると、走り去ろうとするバスの窓枠に飛びついた。
「全く、無茶をするね」
峰雪が苦笑しながら、雅を引き上げる。
そのとき、不思議な歌のような低い声が流れてきた。
「なんだこれ」
そう言って英斗が何気なく振り向くと、ティンベルに異変が起きていた。
「どうしたのだ、ティンベル!!」
眼を見開いたままのティンベルの髪が床に流れ、青い燐光を放っている。
直後、車体に衝撃。ブラックハンターの矢が、バスのすぐ傍の道路を抉り取っていた。暗闇であちらも狙いが甘いのが幸いし、直撃は免れたようだ。だが以前と比べものにならない威力だ。
「ティンベル君の力が強制的に解放されているのだろう……食らったら終わりだ、走り抜けるぞ」
白川がアクセルを踏み込む。だが容赦なく次の矢が撃ち込まれた。今度は直撃である。
しかし、バスは走り続けていた。
「大丈夫か、若杉君!」
バックミラーに一瞬目をやる白川が見たのは、庇護の翼でバスを守り抜いた英斗の姿だった。
「大丈夫です、結構頑丈な方なので。このまま進んでください」
結構どころの話ではない。内心驚きながらも、英斗の傷が軽いことに安堵した。
見ると、先行車のブレーキランプが幾度も点滅する。
「先に行ってください!」
瑛理が片腕を突き出し、大きく振っていた。だが並んだバスの前には使徒が立ちはだかる。
川上がゆっくりと片腕を上げた。
峰雪は咄嗟に目を庇い、反対の手に握った銃に意識を集中した。
ルナはハイドアンドシークで闇に溶ける。川上の意識はバスに向いている。
「絶対に守ると決めたんだ!」
闇を練り上げたグローリアカエルが、心の叫びのように使徒を襲う。カオスレート差の生み出す猛攻は、川上の前に飛びだした黒狼を一瞬で葬り去った。
「無事に逃げきってみせましょう?」
先行車の上で、としおはスナイパーライフルを構えた。彼の周りにアサルトライフル、イクスパルシオン、ガトリング砲……持てるだけ持った銃が浮かびあがっていた。
「殺すつもりで行かないと、彼に引いては貰えないだろうからね」
バレットパレードの轟音。ほぼ同時に弾ける閃光。撒き上がる砂埃。
「皆、無事か!」
白川は全員の無事を確認すると、再びアクセルを思い切り踏み込んだ。
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そこから高速道路の入口まで、問題なくバスは走り抜けた。
頃合いを見て、峰雪がバスを1台現地へ戻したいと提案する。
「サーバントの残党退治していきたいんだ。残っていたら、野放しにして帰るわけにもいかないしね」
「お手伝いしましょうか?」
としおも気になっていたようだ。
更に遥久と友真が乗り込んだバスは、薄明かりの中、山道を辿った。
あちこちの地面が抉れ、サーバントが息絶えていた。
「一応、サーバントは全滅と見ていいのかな」
峰雪が呟いた。
「シュトラッサーは……分からないかな」
としおがひと際大きな穴の傍に大きな血溜りを見つけたが、使徒の姿は見当たらなかった。
遥久は川上の嘲笑を思い出す。
「人であることを捨てた貴方は、今、絶対的強者になれたと確かに言えますか」
理想は弱者の願望だと。ならばそれを現実にするのが撃退士だ。人として、人の為に使ってこその力だ。
「川上さんは、人間やめた事ほんまに後悔してへんのかな」
そう言った友真に、遥久が振り向いた。
互いの目に浮かぶものを認め、口にできなかった言葉で頷き合う。
帰ろう。東の空、光そそぐその先に。
そこで待っている人の元へ。
<了>