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覗き見た来訪者の姿に、佐藤 としお(
ja2489)は見覚えがあった。
「?、あの人は……」
さっき見たばかりだ。あの森の中で。
夜来野 遥久(
ja6843)が、感情を抑えた声で断言する。
「川上昇。シュトラッサーですね」
彼自身、顔が割れているのは承知の筈だ。
(一体何を企んでいるのか……)
桐原 雅(
ja1822)の白い頬が引き締まる。
こちらがこの場所で騒ぎを起こしたくない事を知っていて、仕掛けて来ているのかもしれない。
(だとしたら、ボクの嫌いなタイプの敵だね)
ルナ・ジョーカー(
jb2309)は、ティンベルが使徒の名に身体を硬直させたのに気付いた。
彼女には何か秘密がある。『何もできない天使』をこんなに手間を掛けて追い続けるとは思えないからだ。
「心配すんなって。お前は俺達がちゃんと守ってやるからさ」
ルナがニカっと笑ってそう言うと、若杉 英斗(
ja4230)も力強く頷いて見せる。
「一度受け入れたからには、ティンベルさんを見殺しにするような真似はしません。信じてください」
どのような形になろうとも、絶対に。英斗の本領は弱い物を守ることだ。
ティンベルは二人の顔を見比べ、小さく頷く。
リーガン エマーソン(
jb5029)とてその気持ちに嘘は無い。ただ現状を楽観視できる程、お気楽な人生を送って来た訳でもない。
(今、やるべきことは……)
この施設に居る一般人は、普通の状態ではない。彼らの心身を守りつつ、使徒の手からティンベルをも守り抜く。
その為には少し考える時間が欲しかった。
としおが一同を見渡す。
「はっきり言って、こちらから相手に何か条件を飲ませることは難しいと思うな」
いわば建物の中の人間全部が人質だ。こちらは使徒を暴れさせない手段しか選べない。
「ティンベルさん、ちょっといいかな」
狩野 峰雪(
ja0345)が穏やかな目で堕天使を見た。
「ここに居る人達は、力のない普通の人間であるだけでなく、ちょっと特殊な事情を持った人達なんだ」
戦う術を持たず、抗うこともできず、天使の災禍で住む処を追われ、心身に傷を負い、大事な物を奪われた人達。
峰雪はティンベルにはっきり説明するのがベストだと判断したのだ。
「ちょっと時間を頂戴」
ティンベルはこめかみを押さえ、固く目を閉じた。
遥久が視線で促すと、ことの成行きを見守っていたネフラウスが近付く。
「貴方達を護りたい。ですからご協力をお願いしたいのです。ティンベルさんは何故追われているのだと思われますか?」
ネフラウスは遥久の袖を引き、ティンベルに背中を向けさせた。
「さっき私が、傷を治したのは見ていたか」
「ええ」
訝しむ遥久に、ネフラウスが低く囁く。
「依頼の帰り道で拾われ、ここでまた戦闘。当然治癒術など残しておらぬ。この意味がわかるだろうか?」
「つまり……ティンベルさんの力で回復したと」
「そうとしか思えぬ。どうやら彼女は、余程特殊な力を持っておるようだ」
それが本当なら、使徒に追われている理由も納得できる。
「何処まで効果があるのでしょう」
「飽くまでも推測ではあるが。大八木に何も無かったのであれば、天使にのみ有効な力なのかもしれぬな」
遥久はネフラウスと共に、ティンベルの傍に屈みこんだ。
「少し宜しいですか」
ティンベルはびくりと肩を震わせる。
「いきなり我々を信じろというのは難しいと思います。ですがこのままではどのような形にせよ、使徒は来ます。ならば我々に賭けてみませんか」
「賭ける……」
「貴女と同じような少女をひとり、知っています」
こちら側へ来いと声をかけた。幸せにしてやると約束した。
だが自分達を信じた使徒は、信じたが故に深手を負い、眠り続けている。
「彼女の分も必ず貴女を護ります。絶対に死なせません」
あんな思いは沢山だ。信じられなくても、ティンベルが生き延びる為に自分達を利用してくれればそれでいい……。
怯えきっていたティンベルの目に、不意に力強い光が閃いた。
「その使徒はまだ生きてるんだ?」
「ええ」
遥久は堕天使の意図を掴みかねていた。
「目覚めさせたい?」
「勿論です」
ティンベルは暫く考え込み、視線を上げた。
「じゃあ取引してよ。あたしはその使徒を起こせるかもしれない。だから助けて!」
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峰雪が職員に代わって応対に出た。
「今行くので、少し待っててもらえるかな」
相手は意外とあっさり了承した。
峰雪は素早くティンベルのスカートに、マーキングをつける。
「これはお守りだよ。何処に居ても君を見つけるからね」
交渉相手と認めて貰えそうだという理由で、峰雪、リーガン、そしてさっき遭遇したとしおが出ていく。
「くれぐれも気をつけてください!」
英斗は扉の陰で3人を見送り、祖霊符に力を籠めた。
ルナが少しおどけた口ぶりで、ティンベルの傍らに立つ。
「じゃあ俺達も行くか。難しい話は、終わってからゆっくりすりゃいいさ」
「その通りですよ。さ、手でも繋いで行きましょうか」
瑛理も普段通りの柔らかな口調で、ティンベルに手を差し出した。
「さっきの戦闘の僕達を信じてください。絶対に守り抜きますよ」
「私も随分と助けてもらった。安心するが良い」
ネフラウスも続ける。遥久が事務室の扉を開けて一同を呼んだ。
「行けます」
音をたてず建物の奥を目指す。食堂には配膳用のエレベーターがある。2階からなら、外に出るのは容易な筈だ。
玄関先に立っているのは、何の変哲もない中年の男だった。
「先程はどうも……」
としおの言葉にも、相手は全く動じるそぶりを見せない。それどころか、何処か面白がるような口調で言った。
「学生さんにしちゃあ、随分と貫禄があるね? それとも先生かな」
視線は峰雪とリーガンを往復していた。
「失礼ですが、撃退署員の身分証明書をお願いしてもいいですか」
リーガンが丁寧に、だが堂々と質問する。と、相手が小さく笑った。
「俺のことは判ってるんだろう? 今更だな。で、こっちの要求は伝えてあるんだが、どうだね?」
「ティンベルさんを渡すことには同意しますよ」
としおが何気ない風で言った。
「ですが、さっきの騒ぎで怪我をしています。治療が終わるまでここで待ってもらえませんか」
正直なところ、としおは使徒相手に何か条件を飲ませることなど難しいと思っていた。
ここが人間にとって大事な施設であることは理解しているだろう。だからこそ正面から、撃退署員を名乗ってやって来たのだ。
――大人しく要求を飲め。さもなくば――
「丁寧なことだね。どうせ俺が直ぐ殺すかもしれないのに?」
薄笑いを浮かべる使徒、リーガンはその目を真っ直ぐ見つめる。
「対象は酷く怯えているので、落ちつかせなければ抵抗して暴れ出す恐れがありますからね。門外での引渡しに応じてくれるなら多少の助力も考えますよ」
勿論、口実だ。最初からこの約束を守るつもりはない。だがそれはお互い様だろうとリーガンは考えている。
峰雪はゆっくりと辺りを歩きながら、通話状態のままの携帯電話をポケットに忍ばせていた。辺りにサーバントは見えない。だが使途が単身で乗り込んで来た訳では無いだろう。
リーガンととしおを背後に、峰雪が一歩踏み出し囁く。
「実際、面倒な拾い物をしちゃったな、という感じでね」
手短に、堕天使がこの病院で騒ぐのは迷惑だと伝える。
個人的には病院内で戦闘するぐらいなら降参して引渡したいと思っているのだから、あながち嘘でもない。
「だから引取ってもらえると助かる。少しだけ待ってて欲しいんだ」
峰雪は最後の言葉だけは使徒から身体を離し、普通の声で言った。
「成程ね。では2分だけ待とう」
使徒は含み笑いを浮かべていた。
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幸広 瑛理(
jb7150)は手短に事の経緯を大八木 梨香(jz0061)に連絡する。
「皆さんは大丈夫そうですか? ……それは良かった。何かあったら直ぐに連絡してくださいね」
『有難うございます。桐原さんが来て下さったので、心強いです』
雅は職員を集め、事のあらましを簡単に説明した。
雅の中での優先事項は一般人の保護だ。その為には患者にはギリギリまで本当のことを伏せるにせよ、職員の協力は仰ぎたい。
「皆を守るし、いざというときは絶対に安全なところまで連れて行くよ。だから協力して」
「勿論です。どうぞ宜しくお願いします」
「あと……戦ってるところ見せたくないんだ。カーテンを閉じてもらっていいかな」
職員達は手早く患者を食堂に誘導した。中に堕天使がいることは流石に伏せられているが、戦闘が行われた事は既に知れている。患者達もどうなるのか分からない個室よりは、職員や撃退士がいる場所に居る方が安心できるだろう。
「大八木さんは2階から周辺警戒をお願いするよ」
「桐原さんは?」
「ボクは屋上に出るね」
私も……と言いかけ、梨香は口をつぐんだ。どちらかが残るべきだと分かったからだ。
紗代が自分を見ている。他の患者も見ている。梨香は雅の手を強く握った。
「お願いします。でも無理はしないでくださいね」
「わかってるよ」
そして雅は音も立てずに食堂を出て行った。
その後を追うように、頭からシーツを被ったティンベルを囲んで、ルナ、瑛理、遥久、ネフラウスが非常階段へ向かう。
「少しの間でもないよりはましでしょう」
遥久は瑛理に聖なる刻印をかける。銀蝙蝠は以前にも見ている、侮れない敵だ。
「じゃあ行くぞ」
ルナが非常階段の扉を開いた。遥久は生命探知で辺りを探る。
「おそらくは塀の外に」
生命探知では対象の大きさは分からない。建物の上を偶々飛んで行く鳩だって認識してしまう。
それでも不自然な塊は判別できる。
「来たよっ!」
雅の声が上から届いたと思うと、黒い影がさっと舞い降りていった。
生命探知で『探られた』ことを認識した銀蝙蝠が、不意に現れた雅に向かって来る。その数、2体。
「援護します」
瑛理がマライカMK−7を構え、躍り出た。
雅と瑛理に挟撃され、逃げ場を失った銀蝙蝠が慌てふためいたように羽ばたく。その間にも瑛理を狙って睡眠音波をぶつけるが、事前の聖なる刻印のお陰で耐えられた。
「こっちは任せろ!」
ハイドアンドシークで潜伏していたルナが銀蝙蝠の認識外からPDW SQ17で狙い撃つ。
元々素早さが取り柄の銀蝙蝠は、直ぐに討ち取られた。
「急ぎましょう。多分これで気付かれます」
瑛理がそう言うが早いか、駆け出した。
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「おや、久遠ヶ原の学生さんも中々人が悪いね。騙し打ちか」
使徒がそう言うと、全身に黄金の光を纏う。
「意志の疎通がうまく行ってなかったみたいだね」
峰雪はしれっと言い放った。
それには答えず、使徒は右腕を突き出す。スーツの袖の下から銀の手甲が現れ、閃光が放たれた。
轟音が玄関に迫る。そこに立ち塞がっていたのは英斗だった。
「そうはさせないッ!!」
庇護の翼で建物を守り抜く。
だが閃光が薄れた時、使徒の姿は既にその場に無かった。攻撃と目晦ましを兼ねた術らしい。
そして門には黒狼が姿を見せる。
「病院は絶対に守って見せる」
英斗は目に強い意志を湛える。白銀色の盾から突き出た刃を煌めかせ、黒狼の進路に立ち塞がった。
「やるしかないね」
峰雪も英斗に続く。
瑛理は走りながら前方を指さした。
「このまま走って、あの森まで!」
足がもつれるティンベルを、ネフラウスが支える。
背後の轟音は気になるが、振り返る暇は無い。
雅、ルナがすり抜けた後に遥久が出て、門に手を掛ける。力一杯動かすと、軋む音を立てて門が閉まる。
と思った瞬間だった。
内側から膨れ上がった光によって門が吹き飛ぶ。
「そう簡単にはいきませんか」
猛然と突き進む黄金の光を追って、遥久も駆けだす。
樹上や木の陰に潜伏していた狩人の矢が、森に入った者を狙って突き刺さる。
だがそれは自分の位置を知らしめていることにもなる。
「そう簡単には当たらないんだよ!」
雅は矢の飛んできた方へ接近、オンスロートの影の刃で切りつけ、隠れた敵をあぶり出す。
接近される前に素早く木の裏側へ回り込み、駆け寄る黒狼の鼻面にレガースの蹴りを叩きこんだ。
(いくら特殊な力があっても、堕天使一人始末するのに命がけってことは無い筈だよね……!)
これまでの学園のデータを見る限り、川上は冷静な性質で形勢不利と見れば直ぐに引いてきている。
ならば取り巻きをなるべく多く潰して、引いてもらおう。
雅が目立つ動きを見せる分だけ、敵の目はそちらへ向く。
「にしても、危ないですよ!」
としおは雅を狙う矢を、回避射撃で逸らした。
戦闘は避けたかったがこうなっては仕方がない。ティンベルが門外に出たなら使徒も追って来るだろう。理由がどうあれ、病院から離れてくれれば最低限の目的は果たせるのだ。
「きゃあっ……!」
ティンベルの悲鳴が響いた。すぐ傍を掠める矢に足がすくむ。
「ティンベル様、お選びください。ここで果てるか、私と戻るか」
使徒の言葉は丁寧だが、有無を言わせぬ調子である。
「今戻ればグラディエル様のお叱りを受けないようにも計らいます。さあ」
ティンベルは震えながらも、座りこむことなく使徒を睨んでいる。
「……では、御印を頂いて参ります」
使徒の手に巨大な槌が現れた。振り被った速さも、重さも、尋常ではない。
だがティンベルが潰されるかと見えた刹那、瑛理が割り込んだ。
(約束したんだ、絶対に守ると……!!)
黄金の槌が瑛理の肩口を砕く音が鈍く響く。
「無茶な……っ!!」
リーガンは次撃を繰り出そうとする使徒の手元を狙って、スターショットを撃ち込んだ。
相手が体勢を立て直す前に、瑛理から注意を逸らせようと駆け出す。そのリーガンに向かって、幾筋もの矢が向かって来る。
「かわしきれない……っ!!」
としおは回避射撃で何とか援護しようとするが、ティンベルを庇っている以上、リーガン自身が避けきれない。
「私の後ろへ!」
回り込んでようやく接近した遥久が、鉄壁の守りで立ち塞がった。
「面倒だな……」
使徒は正面に気を取られていた。
それを確認し密かに接近したルナは、磨き上げた技・神速剣を繰り出す。
「二度と過ちを繰り返さないと誓ったんだ。……負けてなるものか!」
鋭い一撃が使徒の腕を掠めた。
「……!」
使徒は僅かに身を屈め、ルナを睨む。ルナはその視線を真っ向から受け止めた。
「俺らを頼ってくれた奴を引き渡すわけにはいかないね」
「成程。麗しき理想、と言うべきかな」
使徒の薄い笑いはいつしか嘲笑に変じていた。
「理想は弱者の願望だ。いつかお前達も知るだろうさ」
ルナが口を開いた瞬間、使徒は黄金の光を爆発させて逃げ去った。
血まみれで倒れる瑛理の傍に、蒼白になったティンベルが座り込む。
「めちゃくちゃだよ……」
「約束はちゃんと、守らないとね……」
だから、君も。
その言葉は声に出さずとも堕天使の少女には伝わっていた。
<了>