●
転移装置を抜けると、冷えた空気が肌を刺す。
目的の建物は山沿いにあり、周囲にはぽつぽつと民家があるばかりの静かな場所だった。
塀に沿って門を目指すうち、大八木 梨香(jz0061)達がたてる物音が届く。
「よりにもよってこんな場所で戦闘なんて……勘弁して欲しいね」
桐原 雅(
ja1822)の白い頬に、僅かながら不快の色が浮かぶ。
建物は病院で、天魔の被害を受けた人が入院しているという情報だ。
かつて京都は天界勢力により、大きな被害を受けた。そのときに受けた心身の傷がまだ癒えていない人も多いだろう。そんな人々に戦闘の光景を見せることは避けたい。
(一刻も早く終わらせて、安心させてあげなくちゃ)
誰に語る訳でもない。だが雅の想いは、他の皆と同じ想いでもある。
塀は門前に続く道路で途切れる。リーガン エマーソン(
jb5029)は逸る気持ちを抑え、壁に身を潜め様子を伺う。
「中々に厄介な状況であるようだな」
門前に陣取る一団は、梨香、堕天使のネフラウス、そして未知の天使。
黒い影が道路と広場を挟んだ向かいの森から幾つも迫りつつあった。時折眩しい光を帯びた矢が、森の中から飛来する。梨香とネフラウスはどうにか盾を使い、それを受け止めていた。
「何はともあれ、まずは大八木やネフラウス達の身柄確保だな。既に消耗も激しいだろう」
リーガンの言葉に、狩野 峰雪(
ja0345)は僅かに眉をひそめて頷く。
「やはり狼型は吠えたり唸ったりして、病院内に声が届いてしまいそうだ。なるべく森の方へ誘き寄せて病院から離そうと思うのだけどね」
「賛成だ」
ルナ・ジョーカー(
jb2309)は既に身構えていた。普段と変わらない笑みを浮かべてはいるが、目には鋭い光が宿る。
「病院の中には一歩たりとも入れられねぇ。狼は運動能力も高そうだ、先に仕留めた方がいいだろうな」
「やはりそうなるだろうね」
佐藤 としお(
ja2489)も同意する。
尤も、これらのことは事前にある程度予測されていた。現状が確認できると、それぞれが準備に入る。
●
「ではそちらもお気をつけて」
自分に、そして雅に『聖なる刻印』を付与し、夜来野 遥久(
ja6843)が目礼した。
黒狼はこちらのスキルを封じる能力を持つらしいので、念には念を、という訳である。
「ありがとう、なんだよ。あとは光纏の輝きを出さないこと、なるべく音を立てないこと、だね」
「隠密行動は任せとけって」
悪戯っぽい笑みを見せながら、ルナは闇を纏う。
既にとしお、リーガン、峰雪は持ち場へと移動している。
「ではこちらも急ぎましょう」
若杉 英斗(
ja4230)が飛び出すのに、幸広 瑛理(
jb7150)が続いた。少し遅れて遥久も追う。
突然現れた新手に黒狼の注意が門前の3人から僅かに逸れる。
更に森の間近から、峰雪が長大な和弓を引き絞り、紫電を放つ矢を射かけた。
「さて、これでこちらへ来てくれればいいのだがね」
少し離れた場所で峰雪の矢の行方を確認し、リーガンは姿勢を低くして木々の間を走り抜ける。
(今回優先されるのは救助だ。とにかく数を減らし、向こうに不利だと思わせなければな)
見通しの悪い森だが、自分の姿も隠してくれる。
リーガンは峰雪の射線と自分の射線が味方に不利にならない場所を定め、音を消したライフルを構えた。峰雪が傷つけ弱った対象を、確実に仕留めるのだ。
梨香の目前で、1頭の黒狼が鮮血を撒き散らす。
「!?」
驚く間もなく、覚えのある声が自分を呼んだ。
「お待たせ、大八木さん」
「若杉先輩……!」
敵の前に立ちふさがる背中は実に頼もしかった。
「そっちの二人は……はじめましてかな。まぁ、詳しい挨拶はあとだね」
英斗は『聖なる刻印』を自身にかける。一か八か、間に合った。狙撃班のお陰で敵の意識が逸れていたのだ。
「良く頑張りましたね、大八木さん」
瑛理が鳴神の弓を構え、穏やかに微笑んだ。
「そちらは……いえ、とにかく詳しい話は後ですね」
「その前に少しよろしいですか」
追いついた遥久が赤に染まる天使の傍らに膝をついた。天使を庇うように支える堕天使ネフラウスが、目を見張る。
「貴殿には覚えがある。確か、この地で」
「あれ以来ですね。生活には慣れましたか、ネフラウス殿?」
遥久は穏やかに声をかけつつ、簡単に天使の傷を癒してやった。
「大八木さんもお疲れ様です。怪我はありませんか」
労わる様に肩を叩かれ、緊張がほぐれていく。梨香は僅かに頬を緩ませた。
「有難うございます。自分の傷は充分治せるのですけど、暇がありませんでした」
短い会話が交わされる間にも、戦闘は続いている。英斗が声を上げた。
「三人とも動けるか? ちょっとずつ森の方へ移動しよう」
「待ってください。森に近付くのは……」
梨香が言うにはこの場所ですら敵の魔法矢の射程範囲内なのだ。
「大丈夫、向こうに味方がいるからさ。それにここで戦闘を続けるのはまずいんだろう?」
英斗が目線で建物を示すと、梨香も唇を噛んで俯いた。
前方を英斗、後方を遥久が守る。側面を警戒するべく、瑛理は『闘気解放』で自分の力を高めていく。
(メインは本職のお二人に任せるとして。僕も壁に位はなれますかね)
少しずつ、一団は門前を離れつつあった。
●
黒狼の1頭が空に向けて遠吠えを上げた。それに別の1頭が続く。
「なんだか嫌な遠吠えだね」
雅があどけなさの残る顔をしかめた。煩いだけではなく、妙なプレッシャーを感じさせる声である。
「さっさと黙らせておいた方がよさそうだね」
敢えて敵の前に身を躍らせ、充分に引きつけたところで『氷の夜想曲』で一気に動きを封じる……筈だった。
だが黒狼の遠吠えが意識の集中を阻害する。
「ああもう、本当に嫌な声、なんだよ」
遥久に貰った『刻印』すら上手く働かない程の厄介な能力だった。周囲に集まった狼の爪が、容赦なく雅に襲いかかる。
「悪ぃ、利用させて貰うぜ!」
ルナが小さく口の中で呟く。狙撃班の攻撃と雅の姿に、黒狼の意識はルナを捉えきれなかった。
「お前らは……眠ってろ」
潜行状態からかけた『氷の夜想曲』が2頭の黒狼を巻き込み、冷たい眠りに誘う。
「こっちは不意打ちが本業でね? さてと、次はどいつにしようかね」
舞うように、踊るように。ルナは動きを止めた敵の間を縫って行く。睡眠効果は攻撃を受ければ解けてしまうので、ひとまずは放置だ。
だが目覚ましい効果は、敵の耳目も集める。森の中に潜んでいた黒い狩人は、ルナに狙いを定めた。
「なん……ッ!?」
冥魔寄りのルナに、天界に属する光の矢は脅威となる。肩を貫く激痛に、ルナが思わずよろめいた。
「ああもう、ここをどこだと思ってるんだっ!」
としおが苛立たしげに呟くと、ライフルを構えなおした。建物の中から見ている者がいれば、ルナが傷つけられたことは大きなショックとなるだろう。
としおはスナイパーライフルの射程一杯の位置まで移動した為、僅かに出遅れていた。だがそのお陰で、充分狙いをつけられる。
「ここからは飛ばして行くよっ!」
ルナを追う敵を狙って、『破魔の射手』を使う。その名の通り天の蒼炎を纏う弾丸が、黒狼を弾き飛ばした。
強敵の出現に、狼たちは右往左往し始めた。その間に雅は自分の力が戻りつつあるのを感じた。
「うん、もう大丈夫。今度こそ眠ってもらうよ」
意識を集中し、『氷の夜想曲』で黒狼を冷たい眠りへと誘った。
睡眠の効果は比較的長い。半分程の黒狼が眠ったところで、雅がルナを呼んだ。
「ジョーカーさんは一度下がって。ボクが引きつけているから」
目指すはハンターだった。
物陰から放たれる矢は脅威だが、逆に取り回しは難しいはずだ。その為には、一気に距離を詰めなければならない。
「すまん、足手まといはごめんだからな」
ルナは素直に後方へ下がり、雅はその間に注意を引くためにわざと敵の前を横切り、爪を牙をどうにかかわし、縦横無尽に駆け回る。
「良く動くね。だが流石に危険だな」
峰雪は援護すべく、雅の行く手の森を窺う。そこからはきっと、息を潜めて狙撃手が狙いをつけているはずだ。
●
堕天使たちを含めた集団と、ルナが合流した。
「こちらへ」
遥久がルナの傷の具合を確かめる。流石に一度回復が必要そうだ。
「頼む。桐原だけに頑張らせるわけにもいかないしな」
その間にルナは準備を整え、再び飛び出して行った。
ティンベルはその様子を蒼白になって見つめていた。震える指先は、ネフラウスの服の裾を固く握りしめている。
「案ずるな。我もこうして堕天して生きているのだ」
ネフラウスの言葉にも、怯えたような視線を向けるだけだ。
瑛理はその様子を伺いつつ、静かに目線を合わせ語りかけた。
「邪魔する物は蹴散らしますよ。どうして追われているのか、貴女に何があったのか。後でいいんです、教えてもらえませんか」
「だ……堕天しようとしたら、追われるに決まってるよ!」
そう言って目を伏せる。
遥久は寧ろ、ネフラウスがどこか腑に落ちないという顔をしているのに気が付いた。
「もし、何かできることがあるのなら力を貸してください。敵の弱点を知っているなど、何でも良いのですが」
ティンベルは激しく首を振る。
「あたしに何も出来る訳ない!」
瑛理はそれ以上追いつめるのは良くないと悟った。
「いいんですよ。無理はしないで」
だが興奮したティンベルは喚きだす。
「だって、だってあたしなんか、あいつらにやられそうになったぐらいで……ひぃッ!?」
言葉は悲鳴によって途切れた。
踊り上がるように飛び出した黒狼の1頭が、間近に迫ってきたのだ。
「大丈夫ですよ! 俺達の傍から離れない限りはね!」
英斗の言葉通り、黒狼の爪は『庇護の翼』で守られたティンベルに傷一つつけることは無かった。ネフラウスの前には遥久が自らを盾として立ち塞がる。
だが英斗の頬には一筋の赤い血が滲みでていた。
「若杉先輩!」
思わず声を上げた梨香を、英斗は小さく笑って制する。
「大丈夫、ほんのかすり傷だから。でもお返しはしなくちゃな!」
続けさまに飛びかかろうとする黒狼に向かって、プロスボレーシールドの槍を向けた。
「まとめて吹き飛ばしてやる! ディバインソード!!」
英斗の声と共に中空に現れた光の聖剣が降り注ぎ、冷たい刃で敵を切り裂いた。
「あ……ああ……!」
「……ティンベル?」
ネフラウスの声の調子が先程とは明らかに違っていた。
服の裾を握り締めたティンベルの指先から、『何か』が流れ込みつつあったのだ。
●
峰雪の援護を受けて、雅は森の中を駆けまわる。
初めこそ雅に向かって矢が飛んできたが、敵も同志討ちの危険を感じたらしい。多少は知能があるということは、恐れを知るということだ。
連携して雅を追う狩人を、弓を銃に持ち替えた峰雪が邪魔する。もちろん、同志討ちを避けたいのはこちらも同じことだ。
雅の姿を追って木の陰に潜んだ峰雪が、狩人と遭遇してしまったのは不幸な偶然だった。
「これは……参ったね」
峰雪は何処か他人事のように、掌にべっとりと付いた赤い液体を眺める。
「狩野さん、離脱してください! 援護しますから」
「そうさせて貰おう、後は頼んだよ」
としおの援護射撃を受け、峰雪は森を離れる。
一方ルナは再び潜行し、森へと。
弓を射ようと半身を表した狩人に音もなく接近すると、闇を練り固めたような『グローリアカエル』の銃弾をお見舞いした。
「やられっぱなしは性にあわねぇからな!」
必殺の、一度だけの攻撃。ナイトウォーカーの本領の闇討ちが成功し、狩人は身体半分を吹き飛ばされた状態でかろうじて立っていた。
そこにリーガンが迫り、止めを刺す。
「止めは早めにだ。気を抜けば次が来るぞ」
鋭く見渡した視線が、目の前を横切る何かをとらえた。
それは1m程の、鈍い銀色の蝙蝠だった。
木々の間を器用にすり抜けて飛ぶと、残り少なくなっていた狩人達が一斉に向きを変える。
「何だ? ……どういうことだ」
異変は黒狼にも起こっていた。
獰猛に襲いかかって来る1頭を、瑛理が『胡蝶』で抑え込む。前足を砕かれ、それでも尚牙をむいていた狼は、銀色の蝙蝠が空を舞うと突然後退りを始めたのだ。
「あれは……」
その銀色の影は遥久に胸騒ぎを覚えさせた。
「ティンベルさん、これは……これを使っているのは……?」
ティンベルが明らかに身体をこわばらせた。
「そう……だよ。あたしなんかよりずっと強い、あんた達の元仲間」
としおは木漏れ日の中に佇む中年のスーツ姿の男に、思わず首を傾げた。普通すぎる男の姿は、この場に余りにも似つかわしくない。
(まさかこいつがシュトラッサーなんだろうか?)
いざとなれば一戦交えることも辞さないが、なるべくなら今回はお帰り頂きたい。
そんな内心を隠し、敢えて笑顔を作って見せる。
「ちょっと今、取り込み中なんですけどね。何か御用ですか?」
男は自然に、余りにも自然に笑った。
「当面の用は済んだよ。久遠ヶ原の学生さん」
●
シュトラッサーの名は、川上昇。
学園の記録にも幾度か名が記されている男だった。
「あいつの主は、大天使グラディエル様だよ。堕天使を追っかけて狩るのが仕事。すごく怖い方なんだ」
遥久は負傷者の状態を見極め、最低限の治癒を施しながらティンベルが語る内容を聞いていた。
これは後に改めて報告を要するだろう。その前に。
「……どうしよう、ティンベルさんはとりあえず学園まで一緒に来てもらうか?」
英斗の言葉に、一同は頷くしかない。
「一度連絡を取ってみましょう」
鞄を開こうとする梨香の肩を、優しく叩く手があった。峰雪だ。
「大八木さんはここに大事な用があったんじゃないのかな」
梨香の顔が強張る。
「でも……私はネフラウスさんを学園まで連れて帰るまで同行する、と約束してるんです」
峰雪は穏やかに続けた。
「僕達が一緒だから大丈夫だよ。ここの後始末も任せて。さ、早く行っておいで」
遥久が上着を脱いで、ティンベルにかけてやる。
血に濡れた天使の衣が隠れると、黒に近い濃紺の髪だけが裾から覗く。
「こうしておけば、ネフラウス殿と同様、留学生で誤魔化せるでしょう。暫くは大丈夫ですよ」
「じゃあ少しだけ……宜しくお願いします」
ぺこりと頭を下げると、梨香は踵を返した。
としおはついさっきまで使徒が立っていた場所を眺める。
「いろんな使徒がいるんだな」
人間側につく天魔もいれば、天魔につく人間もいる。
悪魔の血を半分だけ受け継ぐ雅やルナの様な者もいる。
「でも、なんだかこう……変な感じなんだよ」
雅がベレー帽をグイと被り直した。これで終わったとはどうしても思えないのだ。
「だよな。でも深追いはマズイってのもわかるしなぁ」
ルナも消化不良という表情で、ごろりと地面に転がった。
その視線の先には雲間から漏れた光が一筋、何かを導くように地上へと差していた。
<了>