「群馬に来るのも久し振りだ」
山道にせり出す草を払いのけながら、千葉 真一(
ja0070)が言った。
「俺もだ」
龍崎海(
ja0565)が頷いた。
「アウルを増強する水‥‥か」
天風 静流(
ja0373)が普段通り、落ち着いた声で呟く。
「少しでも戦力が増強できるならいいことだよな」海が言った。
「正直、眉唾ですが‥‥」
天宮 佳槻(
jb1989)は首を捻る。
「アウルの正体自体、分かっていませんから、一概にくだらないとも言えませんが」
「真偽はどうあれ、確かめる必要はあるだろうね」
「すごく美味しいんだってね〜」
先頭を行く星杜 焔(
ja5378)が言った。
「あ、うん。楯岡さんはそう言ってたよ」
依頼者の楯岡 光人から直接話を聞いた春苑 佳澄(jz0098)が答えると、焔は味を想像するかのように喉を鳴らした。
「味見したいなあ‥‥料理にも使ってみたいよね〜」
「あはは、星杜くんらしいね」
佳澄は明るく笑って見せたが、次には表情を消して辺りの探索に集中し始めた。
その様子に、真一はかすかな違和感を覚える。
(前のめりというか‥‥思い詰めてるようにも見えるな)
クラブの部室で会ったときのような、屈託のない様子とは違う。
何となく気になって、真一は佳澄の隣に並ぶと軽く肩をたたいた。
「わっ、なあに?」
「気負わず行こうぜ。焦って一足飛びってのは往々にして何か見落とすこともあるしな」
「皆、いいかなぁ?」
そのとき、後ろから点喰 因(
jb4659)が全員に呼びかけた。
「どうしましたかぁ〜?」
神ヶ島 鈴歌(
jb9935)が先を促すと、因は手にしている地図に一度視線を落とす。
「どうも地図だと、こっちの方みたいなんだよねぇ」
彼女は自分で調達した古地図と、楯岡から託された地図の両方を照らし合わせながら、山道から外れた森の向こうを示す。
「道がありませんね」
「いや待て」
真一が脇に生えた背の高い草を払う。
「獣道だ」
下草のあまり生えていない範囲が、人一人通れる程度の幅のまま奥まで続いているようだった。
「それじゃあ、ここを辿っていってみようか?」
コンパスで方角を確認しながら因が言う。焔は一対の斧をその手に顕した。
「天魔が出てきたらやっかいな場所だね‥‥出来るだけ道を広げながら行こうか〜」
「足元が滑りやすそうだな。皆気をつけろよ〜」
真一が言い、一行は細い道を注意深く進み始めた。
●
獣道の先には、いくらか開けた場所があった。
ぬかるんだ土の先に崖があり、岩の切れ目からちょろちょろと細い音がする。海が言った。
「どうやら、これがその水かな」
染み出た清水は張り出した岩の上に落ちて幾らか穿ち、天然の岩皿を作ってそこに溜まっていたのだった。
「これが‥‥」
佳澄がかすかに声をうわずらせて一歩前にでた‥‥が、それをやんわりと押しとどめて因が先に水場へと近づいた。
(見た感じ、おかしな物はない‥‥かな)
水際に生えた苔を見ても、怪しい所はない。
「生き物は周りに普通にいるね」
海は生命探知の結果を伝えた。
「ここは彼らの水場なのかも知れない」
「じゃあ、少なくとも毒ではないのかな‥‥?」
「楯岡さんは、飲んでも害はないって言ってましたけど‥‥」
佳澄が不思議そうに口にしたが、それに答える者はいなかった。
「さて‥‥飲んでみるって奴はいるか?」
真一が声を掛ける‥‥と、真っ先に手を挙げたのは、歌音 テンペスト(
jb5186)だった。
「どんな方法で効果があるか分からないので、全部試してみようと思います!」
そう言うと歌音は‥‥乳白色の甘くておいしい液体と、カップ麺と、シャンプーハットを取り出した。
歌音チャレンジ1〜乳酸菌飲料
「普通の水で作るより美味しかったぴょん」
歌音チャレンジ2〜カップ麺
「お湯にしようか〜?」
焔が聞いた頃には、歌音は冷水をどぼどぼカップに注いでいた。待つこと三分。
「佳澄ちゃん、あ〜んしてちょ?」
「これ全然出来てないんだけど‥‥」
「あ〜ん!」
戸惑いながらも佳澄が麺を歌音の口に運ぶと、しゃくしゃくと歯切れのいい音がした。
歌音チャレンジ3〜全身洗浄
歌音は洗面器に水を貯めると、なんのためらいもなく服を脱ぎだした。
「ちょ、男子いるよ!?」
因が言ったが止まらないので、男性陣は回れ右。
「佳澄ちゃん、お背中流して欲しいんだお!」
歌音は全裸で訴えた。言うまでもないけど冬です。
「冷たいよ歌音ちゃん!」
「シャンプーハット付けてるから問題ないお!」
ものすごく関係なかった。
*
結果。
「びえっくち」
とりあえず目に見える変化として歌音の唇は紫色になった。
「ふお、風邪引くといけないし‥‥これ」
「ありがとうございます因お姉さま!」
因が渡そうと広げたブランケットに転がり込む歌音である。
歌音の様子に、取り立てて変化は見られない。
「あたしも、飲んでみます」
佳澄は水筒のカップで水をすくうと、喉に流す。キンとして清涼で、確かに美味しい水だった。
「帰ったら料理に使ってみよう〜」
焔はその場では飲まず、採取した。
「っと、ちょっと手にかかっちまった」
真一も魔法瓶に水を詰める。
「何がどうなるか分からないから、今は触れないようにしておこう」
海はビニール手袋を付け、慎重に採取。
「飲むよりは確かめたいこともあるしね」
静流も採取するのみ。
鈴歌は小瓶二つに水を入れた。
「何か匂いはするでしょうか〜?」
そうして嗅いでみたが、特に変わった匂いはしない。
(普通の水‥‥にしか見えないが)
佳槻はしばらく浸していた手をそこから出した。体温の低下によるかすかなしびれがあるばかりだ。
同じように水に触っていた因を見たが、彼女も苦笑するだけだった。
●
水の採取を終えた一行は、来た道を戻る。
「勉強で読んだ報告書に、天魔により水が変質していたというのがあったけど」
行きと同じ様に先を進みながら、焔が言う。「これも【群魔】の影響だったりするのかな」
「周囲の環境による影響‥‥というのは、考えられるかも知れないな」
海は水だけでなく、周辺の土なども採取していた。
「それにしても、この話を持ち込んだ研究施設というのは何なのでしょうね」
佳槻がぽつりと口にしたことは、何も彼だけが感じていた疑問ではない。
「確かに、情報の出方が随分間接的な感じはするな」
真一が後に続いた。因は問いかける。
「佳澄ちゃん、何か聞いてる?」
「いえ‥‥楯岡さんは内緒だと言ってたので」
「そうかぁ」
(佳澄ちゃんは随分その人を信頼しているみたいだけど‥‥あたしはよく知らない。だから、かな?)
その胸の違和感を、決して言葉にはせず。
*
獣道も終わりに近づいたところで、焔が足を止め、後続を制した。
皆それだけで息を潜め、道の先を見やる。
森の向こう、山道に居並ぶのは見紛うことなく、天魔であった。中央には差し抜ける太陽光を浴びて鈍く光る銀色の西洋甲冑が、こちらを見下ろすように立っている。
「‥‥銀仮面さん‥‥何故この森に?」
鈴歌が呟く。あれは伊勢崎市で二度まみえたサーバントだ。
「まるで私達が来るのをわかっていたみたいな‥‥」
だが、今理由を推測する時間はない。
「どうする?」
「もう気付かれているみたいだし‥‥突破するしかないんじゃないかな」
「へっ、だよな!」
真一は立ち上がり‥‥ふと思い出して懐を探った。
「春苑、これを任せても良いか」
「えっ?」
湧き水を詰めた魔法瓶を放り、真っ先に彼は飛び出していく。
海が阻霊符を発動する。森の中にいた複数の敵が木々の干渉を受け、ザ、ザと音を立て始めた。
「僕らも行こう‥‥出来るだけ一列にならないようにね」
焔は盾を現出し、獣道を押し進んだ。
「変身っ!」
獣道を逸れた真一は、手頃な位置の木の枝を掴み飛び上がりながら叫んだ。
「天・拳・絶・闘、ゴウライガぁっ!!」
お手製のマスクが彼をヒーローに仕立て上げる。着地した彼の前には天使の様なシルエットのスライムが一体、ふわふわと浮遊している。
「ゴウライソード、ビュートモードだ!」
真一は相手を見て、鞭状にしならせた蛇腹剣で切りつける。スライムの体半分ほどに刃が食い込んだが、相手はそのままの姿勢で触手を伸ばし、真一へ反撃を試みた。
「直接殴った方が早いかもな‥‥?」
一方佳澄は、真一に渡された魔法瓶を手に逡巡する。
「歌音ちゃん、お願い!」
魔法瓶を歌音にパスし、棍を手に駆けだした。
その様子を視界の端に置きながら、静流は視線を走らせる。
(弓でも狙えなくはないか)
木々の重なりはそれほどでもない。前に出る味方が多いこともあり、彼女は全体の状況に気を配ることに重点を置く。
因、鈴歌は焔とともに獣道を抜け、より開けた山道へ出ることを狙う。
だが銀仮面は、出口を塞ぐようにして待ちかまえていた。
「‥‥来るよ!」
焔の警告とほぼ同時に、構えられたランスの先端が発光する。獣道全体を塗りつぶす光が迸って焔を呑み込む。せり出した草と、幾らかの木をなぎ倒しながら抜けていった。
二人の阿修羅はものともせずに山道へと抜けた。
「またお相手お願いしますねぇ〜」
縮地の力で銀仮面の背後まで抜けた鈴歌は大鎌を横に薙ぐ。
相手を挟みこもうとした因だが、山道へ出た途端に別方向からランスの迎撃を受けた。
「ふおぉ、もう一体居たか」
全く同じ風貌の銀仮面の一撃。左腕に鋭い痛みが走ったが、重い傷ではない。
(‥‥何だろねぇ?)
普段より、気持ちが前へと押される感覚。
それは直前に佳槻に掛けられた韋駄天の力か、あるいは手を濡らした『水』の効果か。
はたまた目醒めたばかりの天魔の血によるものか。因には判断がつかなかった。
「薙ぎ払え!」
歌音は蒼銀の竜を背後に立たせ、段ボール製のバズーカで全米が泣いたと話題の歌音砲をぶっ放すと、エンジェルスライムが錐揉みして吹っ飛んだ。
見事なまでのクリティカル。湧き水を飲んで浴びてと無茶をした効果が出てきたか。
「わたしはネオテンペスト」
歌音はゲームのラスボスよろしくその場に仁王立ちした。
「この水は貴様等には渡さん!」
預かりものの魔法瓶を掲げて高笑いする様はさながら悪の女将軍か。
佳槻は召喚した鳳凰を傍らに、エンジェルスライムを引きつけていた。
ハーフの力を活かして、伸び放題の草の上を飛行する。
(少し敵の動きが鈍いように感じるが‥‥これが水の効果‥‥か?)
湧き水の冷たさを思い出しながら、彼は冷静に敵の様子を見極めていた。
(前回よりも数が多いな)
静流の頬を汗がひとつ伝う。対してこちらの人数はその時と変わっていない。
因と鈴歌がそれぞれ抑えている銀仮面に、静流をよく慕う後輩が正面から突撃を仕掛ける。
「佳澄君、無茶はするな!」
弓を引きながら、静流はその背中に声を飛ばした。
「大丈夫ですっ‥‥!」
佳澄は口中呟きながら、銀仮面へと棍を振るう。
事実として、佳澄の攻撃は相手によく当たり、銀仮面のそれは外れた。
(佳澄お姉ちゃんは水を飲んだから‥‥でしょうかぁ〜?)
間近でともに戦う鈴歌からは、まるで銀仮面が攻撃を躊躇しているようにすら見えた。
「そろそろ決めてやろうぜ!」
前線に合流した真一が景気よく叫ぶ。
佳澄の薙ぎ払いで動きを止めた銀仮面にねらいを定めて、気を練り上げ、飛んだ。
「ゴウライ、流星閃光キィィィック!!」
渾身の一撃で銀の兜が空に舞い飛ぶ。頭を失った銀の鎧はそのまま仰向けに倒れ込んだ。
大物の一体が倒れ、敵味方の戦力比はこれで大きく傾いた。
やがて残りの銀仮面も倒れ、味方の優位が決定的になった頃、海は荷物から先ほどの水を詰めたペットボトルを取り出す。
そしてまだ動いているスライムに中身をぶちまけた。
「敵に使ったらどんな変化があるのかも見ておくべきだよね」
あるいは力を取り戻したスライムが襲いかかってくるかもしれない。
海はいつでも身を守れるように構えたが、スライムは崩れかけの身体を維持するのに精一杯だった。
「効果はない‥‥ということでしょうか」
佳槻が八卦石縛風を放つと、スライムはあっけなく石の固まりとなって崩れ落ちたのだった。
*
「ふぁ‥‥」
佳澄が大きなあくびをした。
戦闘中、大いに意気軒昂だった彼女や歌音は、もうすっかり落ち着いている。
「いつもより力が出た‥‥気がしましたけど、気のせいだったんでしょうか?」
「本当に水を飲んだだけで強くなれるなら苦労はしないだろうね」
見上げられて、静流は苦笑する。
「そうなれるならそれに越したことはないが、結局は力をどう扱うかが大事な訳で。何だかんだで心持ちは大事な事さ」
そう言って、佳澄の肩を優しく叩いた。
(冥魔が撤退したここに天界勢力‥‥)
焔は考え込む。何故、ここに、そして伊勢崎市に彼らは現れるのだろうか。
●
「光人お兄ちゃん♪」
一行を出迎えた楯岡に、鈴歌が真っ先に飛びついた。
「湧き水、お持ち帰りしてきたのですぅ〜♪」
水を入れた小瓶の片方を、メモ紙付きで差し出した。「ついでに私の連絡先もどうぞぉ〜♪」
「ありがとうございます、神ヶ島君」
楯岡は片手を鈴歌の頭の上に優しく置きながら、それを受け取った。
「危険はないはず、と春苑さんに言ったそうですが、その研究施設は何をどこまで知ってたんですか?」
佳槻が質問をする。すると、楯岡はついと流し目のような視線を佳槻に向けた。
鈴歌が突然、びくりと身を震わせて楯岡から離れる。
「‥‥どうしましたか?」
「え? あれ? なんでもないのですぅ〜‥‥」
が、首を傾げてしまう。
(今、また怖い感じがしたのですぅ〜‥‥また?)
「水の成分自体は、すでに調べてありますよ。調査自体は初めてではありませんからね」
「では、今回は何を調べるのです?」
「さあ‥‥それは私には何とも。ああ、あなた方撃退士の感想を聞きたいというのはあったかもしれませんね」
話を聞きながら、焔は伊勢崎市にサーバントが現れる理由を考え続けていた。
伊勢崎市はかつてゲートがあった。そして天魔が開くゲートは、何処にでも開けるわけではないと聞いたことがある。
(このまま伊勢崎市が復興して、また人が集まれば‥‥天魔にとって美味しい餌場になる?)
目の前の、復興のリーダーともいえる男を前にして、焔は自らの想像に身震いした。
●
水について新しい情報なども出ないまま、しばらく経った。進んで毒見役をこなした歌音も、とくに変調をきたすといったこともなかった。
歌音は校内を歩きながら、ふと思う。
「最近、佳澄ちゃんを見ないんだお」
つい先日まで校内を元気に駆け回っていた少女を、学園で見かけることが少なくなった。
全く見ないわけではないから、何か継続的な依頼でも受けているのだろうか。
この久遠ヶ原では、そんなことも珍しくはない。だから、事件にすらならなかった。
──このときは、まだ。