堅いタイル張りの廊下の上を、靴音だけが通り過ぎていく。
獅号 了(jz0252)と、彼を護衛するという名目で同行する撃退士たち。
リュミエチカの待つ一室へ向かう彼らの空気は重い。
「あー‥‥だりぃ‥‥説得系は得意じゃねぇんだがな‥‥」
恒河沙 那由汰(
jb6459)が口をへの字にしていると、イアン・J・アルビス(
ja0084)がそちらを向いた。
「僕もあまり説得の類は得意とはいえないんですけどね‥‥」
イアンは生真面目な顔を見せつつも、那由汰に同意する。
「風紀としていつもやってることは、説得というより説教に近いものですし」
自由奔放を是としているかのような久遠ヶ原といえど、ルールはある。
学園には国籍や人種どころか種族から異なるひとびとが多数在籍し、ともに授業を受け、依頼をこなす。なにもなしでは破綻は目に見えている。そうならないためのもの。
天魔はディアボロやサーバントを作成・所持してはならない──このルールは、なかでも根本的なもののひとつと言えた。
「‥‥どう伝えたら良いのかな‥‥」
東條 雅也(
jb9625)はあてどもない道を求めるように、呟く。
彼はハーフだが、悪魔として生きていた。やがて魔界を離れ、この久遠ヶ原に来た。その点では、これからリュミエチカがとる──かもしれない道の先達だ。
だが、そのとき雅也が抱えていたものと、今リュミエチカが抱えているものは違う。
「んー‥‥」
九十九(
ja1149)は目を落としてタイルの継ぎ目を無意識に数えながら、考える。
「了さんの願いとうちらの望み、そしてリュミエチカの欲しいもの。これらが同じなら‥‥かねぃ」
「リュミエチカがどうしたいのか‥‥まずは、そこをはっきりさせなければいけないですの」
橋場・R・アトリアーナ(
ja1403)がそう言った。
「そうだな」
那由汰は天井を見ている。
「結局は、あいつが決めることだ」
「始めは、あんたが言いたいように言ってくれればいい。あたしらはそれをフォローしていくよ」
アサニエル(
jb5431)は獅号の傍に立ち、そう告げた。
「ああ‥‥」
普段から饒舌とは言い難い獅号だが、今日は特に口が重そうだ。
「しごー選手っ☆ミ」
反対側から、新崎 ふゆみ(
ja8965)が声をかける。
「だいじょーぶ。ふゆ‥‥ひょっとこ仮面( ゜3°)が、しごー選手をアトオシするんだよっ」
笑顔を向けるふゆみを見下ろし、獅号は緩やかに笑った。ツインテールの分け目にぽんと手を置く。
「ああ、頼りにしてるぜ」
●
校舎のずっと外れの外れ、誰もいないかと思えるような一角が、用意された場所。
開いた扉の先は、蛍光灯の均質な光にだけ照らされていた。
窓は目張りされ、外は見えない。灯りを落とせばあっという間に、この部屋は暗闇に包まれるだろう。
そんな部屋の中央で、リュミエチカは待っていた。
(ああ‥‥)
雅也はその姿を見て、顔を歪めた。
リュミエチカは椅子に座らされている。当たり前だが、傷つけられてなどはいない。
だが、幼い風貌の彼女が拘束具によって身を固められ、目隠しまでされている姿は痛々しいとしか言いようがない。
目を逸らしたくなる。
(でも、それは出来ない)
その様子がもしリュミエチカに知れたら、誤解されてしまいかねない。
だから雅也はあえて近づいて、声をかけた。
「こんにちは、リュミエチカ」
これまでずっと繰り返していた、相変わらずの挨拶。
「‥‥ん」
リュミエチカの顎が、かすかに動いた。
リュミエチカは一人で待っていたわけではない。彼女を後ろから取り囲むようにして、四人の撃退士が一緒にいた。
もちろん、監視のためだ。彼らは獅号たちが部屋に入ってきても顔を動かしもせず、ただリュミエチカの小さな背中を注視している。
正面にいないのは、彼女の『能力』を警戒しているからだろう。
リュミエチカの前には机が置かれ、向かい側にもう一つ、椅子が用意されている。獅号が座るためのものだ。
「椅子が足らないねぇ」
九十九は室内を見回し、壁際に椅子が積みあげてあるのを見てそちらに向かう。
「これでいいかねぃ」
彼は人数分の椅子を獅号の椅子の周りに並べた。
(後ろからも前からも取り囲まれていたんじゃ、落ち着いて話もしづらいだろうしねぇ)
九十九は端の椅子に座る。ほかのものもめいめいに座った。
獅号は、最初から用意されていた席に座る。
「‥‥久しぶりだな、チカ」
座って少し経ってから、挨拶する。
「リョー」
リュミエチカの声は、幾分掠れていた。独りにされてから、ずっと黙っていたのだろうか。
「チカの、目は見ないで」
小さく唾を飲み込んだ後、リュミエチカがそう告げた。
「『捕まって』しまうから。目隠しじゃ、防げないから」
背後の撃退士が小さく身じろぎした。
「初めて聞いたな、それ」
獅号は苦笑いする。「お前と一緒にいる間、俺はそんなこと気にしてなかったぞ」
「目を合わせなければ、捕まらない。リョーの持ってた、あれ」
「サングラスか」
リュミエチカは頷いた。
「あれつけてると、顔を見なくてもなにも言われないから、便利だった」
「自分から見ないよーにしてたってコト?」
ふゆみが問うと、リュミエチカの首がほんの少し動いた。よく見るとそこにも拘束具が絡んでおり、あまり顔の位置を動かせないようになっている。
「今はこんなだから」
その声は少しだけ哀しげに響いた。
「ねえ」
「なんですの?」
ふゆみは声を潜め、アトリアーナの袖を引いた。
「あの子が『能力』を使ったとき‥‥どんな様子だった?」
「ボクはかけられた瞬間、意識が飛んだみたいになりましたから‥‥よく覚えていないですの」
「リュミエチカは、呆然としていたように見えました」
首をひねるアトリアーナの代わりに、直近に居合わせた雅也が答える。
「まるで予期していないことが起きたかのような‥‥。何故、でしょうね」
「ふうん‥‥ありがと」
ふゆみは礼を言って、リュミエチカへと視線を戻した。目隠しのせいで、幼い悪魔の表情はあまりうかがえない。
「なんて言ったらいいか‥‥まあ、また会えてよかった」
獅号は机に片肘をつきながら、そんなことを言う。
「どうして、また会いたいって、言ったの?」
問いかけてきたのはリュミエチカの方だ。
「リョーは、チカの‥‥トモダチじゃ、ないんでしょう」
「トモダチか‥‥」
獅号は頭を掻いた。
「あのときは、ちゃんとした話が出来る状況じゃなかったからな」
肘を外して、身体を起こし直す。リュミエチカと正対し──ただし目は覗かないようにして、きちんと問う。
「お前の言う『トモダチ』って、つまりどういう存在だ?」
言葉を切って、リュミエチカの返答を待つ。
ぽつ、ぽつと、言葉が返ってきた。
●
「チカを産んだひとのことは、知らない」
リュミエチカは拘束具に身体を固められたまま語る。その声はか細い。
「でも、チカには『能力』があったから‥‥大人は時々やってきて、チカに命令した」
目を合わせることで相手を無力化できる彼女の能力は、敵対勢力を強引に支配するにはもってこいだ。
彼女がどのように使われていたのか──そのことは想像に難くないだろう。
「大人は必要なときだけ傍に来て、用が済んだら、すぐ帰った。‥‥チカは、ひとりだったから」
何かを迷うように、小さな言い淀みがあった。「だから、アルペンをつくった」
「ひとりを、紛らわせるために?」
アサニエルの言葉に、こくと頷く。
「『トモダチ』は、一緒にいてくれる存在。チカの傍にいて、チカを裏切らない。‥‥違うの?」
獅号は黙っている。
「申し訳ありませんが、僕的には違います」
答えたのはイアンだった。
「一緒にいて楽しかったりするのも必要なことですが、それだけではいい友人とは言えません」
リュミエチカの顎先がイアンの声の方を向いた。「じゃあ、なに?」
「一番大事なのは、自分が間違えたときにそっと諭してくれることです。都合のいいときだけ一緒に騒いで、諭そうとしたら裏切ったという人がもしいたら、その人は友人ではなかったということです」
喋りながら少し堅くなったかと、イアンはゴホンと咳払いをした。
「アルペンは、どうです? あなたを諭してくれますか?」
「‥‥そんなこと、しない。あの子たちは、なにがあってもチカに従うから」
リュミエチカは悪魔で、アルペンはディアボロだ。
対等でないのは、当たり前のことだった。
「絶対に裏切らない、なにがあっても従う。で、いつも一緒にいる、か」
那由汰がつまらなさそうに口を開いた。
「そんな都合のいい奴は友達じゃなく下僕じゃねぇか」
「げぼく‥‥?」
はっきり言ってやるべきだ。
「アルペンは『友達』じゃなくてただの『下僕』だ」
「違う。アルペンは、トモダチ」
語気を強めて抗弁するリュミエチカに、那由汰はなおも言う。
「了が友達じゃなくて、アルペンがそうだってんなら」
顔を近くして、はっきりと聞こえるように。
「おめぇは了を殺してアルペンにするのか?」
「そんなこと、しない!」
リュミエチカは叫んだ。椅子ががたんと大きく揺れて、背後の撃退士が緊張を高める。
「リョーは、殺さない。なんでそんなこと言うの!」
なおも椅子を揺らそうとするリュミエチカに『落ち着け』と意思を送って、那由汰は鼻息を飛ばす。
「なら、それでいいだろ」
「何が!」
「俺はおめぇにどうしろとは言わねぇ。どうしたいか、どうするべきか、てめぇでしっかり考えな」
困惑するリュミエチカをよそに、那由汰は黙り込んでしまった。
「‥‥あたしの感覚としては」
代わりにアサニエルが後を引き受ける。
「友達っていうのは例え距離が離れていても心がつながっていて、思い通りにならないけど思い遣り合う‥‥そういうものじゃないかと思ってるよ」
「‥‥離れていても?」
「ああ」
問い返しに首肯して、続ける。
「獅号だって、あんたの元から去っても常にあんたのことを気にしてたさね。もう一度会って話したい、争わないようにしたい。そう願ってあたしたちに依頼をしたのさ」
その行動は、アサニエルの言う『友達』そのものだ。
「あんたは、そう思わないかい?」
リュミエチカは、返事をせずに黙っている。
「難しいかねぇ。なら、もっと簡単な質問をするのさぁね」
続いて、九十九が口を開く。
「‥‥なに」
リュミエチカの声は、いくらかおびえを含んでいるかのように聞こえた。九十九は微笑んで、問うた。
「また、了さんとキャッチボールをしたいと、思うかねぃ?」
リュミエチカの動きが止まった。
「ヤキュー‥‥」
「リョーは、ボクたちに教えてくれましたの」
アトリアーナが言った。「キャッチボールをしているときのリュミエチカは、楽しそうにしていたって」
「そうだな」
再び、獅号が口を開いた。
「あのときの様子を見て、俺はお前が、実はそんなに悪いヤツじゃないんじゃないかって思うようになったんだ」
身を乗り出し、リュミエチカの顔を見る。もっとも意識を乗っ取られるわけにはいかないから、口元あたりを見るようにしているが。
「俺は、お前の思うとおりの『トモダチ』にはなれない」
リュミエチカの口が引き結ばれる。
「‥‥だが、アサニエルや、アルビスが言ったような‥‥『友達』なら、なれるんじゃないかと思ってる。それじゃ、ダメか?」
小さな沈黙。
リュミエチカの唇が、耐えきれなくなったかのように開いて。
「また、キャッチボール‥‥してくれるの?」
「それくらいなら、お安いご用だ」
獅号は安堵した笑みを浮かべた。
●
(まずは、良かった)
挨拶以来、ほとんど口を挟まずに様子を見守っていた雅也は、心の中でそう思った。
これでリュミエチカを学園に連れてきた、最低限の意義は通ったことになる。
(でも、獅号選手の望みを叶えるのは、これからだ)
リュミエチカが学園にとどまるためには、いくつかのものを捨て去らなければならない。
(俺はそうすることに何のためらいもなかった。でもリュミエチカは‥‥)
きっと、そんなことはない。
でも、そうさせなければ彼の望みは叶わない。
彼女は、それを望むだろうか?
*
室内の緊張が、いくらか和らいでいる。
「無事仲直りもできたところで、あたしらから提案があるよ」
アサニエルはそう言うと、獅号をみた。獅号は頷き、リュミエチカに向き直る。
「お前、学園で‥‥久遠ヶ原で暮らさないか」
「ここで?」
リュミエチカは抑揚のない返答をした。
「今のお前の立場は端的に言うと、人類の敵だ。俺個人はそう思っちゃいないが、世間から見ればそういうことになる」
「そんなの、チカはどうだっていいけど」
「俺が困るんだ。気軽にキャッチボールもしにいけない」
「‥‥そうなの?」
声のトーンが変わったので、獅号の声も幾分柔らかくなった。
「ここにいてくれるなら、会うのも楽だろ」
「制限がないわけじゃないけれど」
アサニエルはそう前置きしてから、補足する。
「学園の所属になれば、自分から獅号に堂々と会いに行くこともできるよ。時間の都合がつかないときは、携帯なんかで会話もできるさね」
「‥‥どうですか、リュミエチカ」
「じゃあ、そうする」
アトリアーナが問いかけると、リュミエチカは、あっさり頷いた。
だが、安心するにはまだ早い。条件を伝えるのはこれからだ。
「そのためには守ってもらわなければいけないことがあります」
「なに?」
イアンが言うと、リュミエチカは平板な口調で訊ねた。
「細かいルールは後々でいいとして‥‥最低限のことだけ、ここで言います」
唇を舌で湿らせて、イアンはひとつずつ、伝えていく。
「まず、学園に来るということは、冥魔勢力からは離脱する、つまり『はぐれ』になるということです。そのことを理解してもらうこと」
「‥‥別に、いいよ。そんなの」
リュミエチカはたいして興味なさそうに言った。
「そして同時に、僕たち人間の同志になることでもあります。僕たちは天界、そして冥・魔界と戦っている。学園はそのための組織です」
「場合によっては協力を求められるってことさね。もっともこれはある程度こちらの意思を尊重して貰えるから、できる範囲で構わないよ」
アサニエルが付け加え、リュミエチカは頷いた。
「それから‥‥」
ここが肝要だ。イアンはなんと伝えるべきか一瞬迷う。
「ディアボロを連れて行くことは出来ません。まして作成することは、学園側の規則違反です」
結局、そのまま口にした。
皆が反応を注視するなか、リュミエチカは顔色を変えない。
ただ、小首を傾げた。
「‥‥どういうこと?」
「アルペンを連れて来ることは出来ねぇ」
那由汰がもう一度、より伝わるように、はっきりと告げる。
「おめぇが学園に来るなら、処分しろっていうことだ」
しばらくの沈黙のあと、リュミエチカは聞いた。
「処分って、殺せってこと?」
沈黙を肯定と受け取るくらいのことは、リュミエチカにも可能だった。
「やだ」
険しい声で、拒否の言葉を口にする。
「アルペンは、リョーとは違うけど‥‥でも、トモダチだから」
「気持ちは分かります。でも、守ってもらわなければならない」
イアンは苦しそうに言うが、リュミエチカの様子は変わらない。
「新しく作らなければ、いいんでしょう? チカが言えば、人間だって襲わない。ケンカしないよ」
「それでは‥‥駄目です」
人間界には様々なルールがある。守るべきものから、出来れば守ってほしいという程度のもの‥‥これは、前者だ。
「このルールは、全員を身体的にも気持ち的にも守るものなんです。あなた自身のことも」
イアンは力説する。
ルールとは人を縛るためのものではない。守り育てるために必要だから存在している。
風紀も同じだ。だからイアンはそれを護る。壊してしまうことは、誰のためにもならない。
この幼い悪魔の少女に、どうやったら理解してもらえるだろうか?
「あんたにはもう、獅号っていう新しい友達がいるじゃないか」
アサニエルは諭すように。
「今まで友達という役割を押しつけていたんだ。本当の友達を、得たんだから」
「あのカバさんたちも、大事なトモダチだってこと‥‥ふゆみは、わかるよ」
少女は胸を押さえる。
「いままではずっとカバさんたちがチカちゃんを護ってきてくれた。そうだよね?」
リュミエチカは答えない。
「でも、これからは、ふゆみたちが護るから。しごー選手と一緒に護るから。あの子たちが誰かを傷つけてまで、えねるぎーをうばうヒツヨーはないんだよっ‥‥」
ディアボロの生は、死を前提に成り立っている。受け継ぐのではなく、奪い取ることで成り立っている。
アルペンがいる限り、リュミエチカはそのサイクルから抜け出せない。
「‥‥しずかに、ねむらせてあげよう?」
リュミエチカの口は固く結ばれ、動こうとしない。
「‥‥チカ」
やや間があって、獅号が口を開く。
「俺は、強制はしたくないんだ。お前がどうしても受け入れられないのなら‥‥」
「まって、しごー選手」
その言葉を、ふゆみは押しとどめた。
「新崎?」
ふゆみは獅号の方は見ず、リュミエチカに新たな問いを投げかける。
「ねえ、チカちゃん。チカちゃんの『力』って‥‥自分で使わないよーにすることは、出来ないの?」
リュミエチカの口が、薄く開いた。
「どうして、そんなこと聞くの」
話を聞きながら、思い返していたことがある。
リュミエチカの眼の力は強力だ。だが、使われたシーンは限られている。
目隠し越しにでも使えるほどのものなら、もっと有益に使う方法はいくらでもあったはずなのに。
アトリアーナが力を受けた時の様子を聞いたふゆみは、何故リュミエチカがそうしなかったのか、ひとつの結論に達していた。
「チカちゃんは、ホントーは自分の力‥‥スキじゃないんじゃないの?」
リュミエチカの椅子が、ぎし、と鳴った。
「チカは‥‥」
唇を噛む。
「この力があったから、生きてこれた。なかったら、本当に、ひとりだった‥‥でも」
小さく、声が震えた。
「でも‥‥この力のせいで、チカの目を見てくれるひとは、どこにもいなかった」
寒さをこらえるように、身体をギュッと縮こまらせている。
「チカにはどうにもできない。場所が変わったって、きっと、おんなじ」
「そんなことないよ!」
ふゆみが机をバンと叩き、立ち上がった。
「学園には、たっくさんの天魔のヒトたちがいる‥‥アウルの力をケンキューしてるところもある。そうゆう力を、セイギョするアイテム! 作れるかもしれない!」
「‥‥ほんとう、に?」
リュミエチカが、顔を上げた。
「可能性としては、かねぇ」
安請け合いするわけにはいかないので、九十九が釘をさした。
「それを抜きにしても、うちもリュミエチカが学園に来るのは賛成だねぇ。撃退士は普通の人より力を持ってる。恐れられ、遠ざけられる経験があるものも珍しくないのさぁね‥‥うちも、過去にはそうだったからねぇ」
だから、リュミエチカの気持ちも少しは分かるつもりだと、九十九は告げた。
「そういう人が、ここには多くいる‥‥きっと、リュミエチカにとって、いい場所になると、思うのさぁね」
「見下すなら、それは部下。見上げるなら、それは主人。‥‥そうじゃ、なくて」
ふゆみはなおも熱っぽく語る。
「真正面から、向き合っていけるのが『トモダチ』じゃないのかな?!」
そういうと机に手をつき、身を乗り出して。
「ふゆみは‥‥ひょっとこ仮面( ゜3°)は、そーしてみせるんだよっ☆ミ」
そして言葉通り、真っ正面から、リュミエチカの隠されている眼をのぞき込んだ。
「なに‥‥何してるの?」
リュミエチカが不安そうに聞いた。椅子がガタガタとなる。
「やめろ! やめさせて!」
「やめないよ‥‥っ?」
そう言うそばから、急に周囲の気圧が変わったかのように鼻の奥がつんとした。力を入れている感覚がなくなり、ふゆみは机から転がり落ちる。
派手な音がした。
「なんでそんなこと‥‥」
リュミエチカは呆然と問う。
「こーすることが正しいって、思うからだよっ‥‥」
まだぼんやりする意識を振り絞るようにして、ふゆみは答えた。アトリアーナが彼女を助け起こす。
「学園にくるなら、アルペンは連れてこれない。ずっと傍に居たリュミエチカのトモダチとはお別れしなくちゃいけない‥‥それはとても悲しいことですの」
トモダチに代わりはいない、とアトリアーナは言った。
「だから‥‥ここで新しい友達を作ってみませんの? リョーのところに遊びに行ったり、いろんなことを一緒にする友達を」
しっかりと、リュミエチカのことをみる。
「‥‥まずは、ボクと友達になってくれないですか、リュミエチカ」
「チカは‥‥」
リュミエチカは、戸惑っている。
その様子を、九十九はじっと見ている。
(彼女は‥‥ずっと孤独だったのだろうねぇ)
あまりにもずっとそうだったから、抜け出し方が分からないのだ。
孤独の沼にはまりきり、手を伸ばすことすら、出来ないでいる。
ならば、こちらで掬いあげてやるほかはない。
「うちも‥‥うちらも、友達にしてくれないかねぇ」
優しい声で、九十九は言った。
「一緒に了さんに野球を教えてもらうのも、悪くないと思うのさぁね」
「アルペンが友人でなかったとは、僕も言いません」
と、イアン。
「ですが、この学園で、あなたを諭してくれるような一番の友人を探してみませんか? もし今、僕の言うことが分からなかったとしても‥‥ここの人たち、この学園が教えてくれると思います」
雅也も、リュミエチカの為に言葉を紡ぐ。
「アルペンと別れるのは、君にとって辛いことだというのは分かります。でも、何かに出会えば、その何かと別れるときは必ず来るんです」
特に、自分が変わらなければいけない、変わろうとする時には。
「獅号選手が、愛着のあるチームを抜けて、単身アメリカに渡ったように‥‥」
「そうだな」
獅号は頷いた。
「だけど、離れたくらいじゃなくならないのが友達っていうものなんだ。アサニエルがさっき言ってただろ。離れていても繋がっていて、思い遣りあうってな」
雅也は小さく微笑んだ。
「無理強いはできません。でも、俺たちは君に学園に来て欲しいと思っていますよ」
「しっかり考えて決めな」
ぶっきらぼうに、那由汰が言った。
「自分で考えて、自分で決めるんだ。これから生きていくうえで、ずっと必要になることだ」
「アンタも、チカの友達に、なってくれるの?」
「‥‥別に断る理由はねえな」
リュミエチカに顔を向けられて、面倒臭そうに那由汰は頭を掻いた。
「ま、先にはぐれた先輩として相手してやってもいいさ」
「どうだ、チカ」
獅号が改めて問う。
「ここへ来るか?」
言葉は尽くした。
みな息を潜め、彼女からの返答を待つ。
「チカは」
かすかに震える声で、彼女は言った。
「ここに、いたい。‥‥ここにいても、いい?」
それが、答えだった。
彼女が望むもの。彼女自身が知らなかったそれを、ようやく見つけだした。
全ての言葉が、彼女をここへと導いたのだ。
張りつめていた空気がほどけていく。
「お前の望みは、俺の望みだ。リュミエチカ」
獅号は大きく息をついた後で、笑顔を浮かべた。
孤独の沼は消え、新しい世界が彼女の前に開けていく。
「ありがとうな、みんな」
獅号は椅子を立って振り返り、撃退士たちに心からの礼を述べた。
●
その後、彼らは久遠ヶ原の島を出て、リュミエチカが以前住処にしていた場所へ向かった。
「痛いところはないですか、リュミエチカ」
「ん‥‥平気」
リュミエチカは島の外で拘束具を解かれたが、彼女を監視していた撃退士はそのままついてくる。
「最低半年は、監視付きだ──まぁ、そのうち気にならなくなるさ」
那由汰が早速『はぐれ』の先輩として、教えてやった。
さらには、獅号もたっての願いで同行していた。
「あいつは、俺たちを信じてくれたんだ。今度はこっちの番だろうが」
そういって、学園側を黙らせていた‥‥球団には言ってあるのだろうか?
*
かつて獅号とともに幾日かを過ごした屋敷の前に、七体のアルペンがまとまって、主の帰りを待っていた。
「ヴォッ」
その中の一体がべたべたと身体を揺らしながら駆けてきて、リュミエチカに腹を突きだした。
「ん」
リュミエチカは屈み込むと、袋状になっているアルペンの腹に手を突っ込み、預けていたものを取り出していく。
獅号の私物だった帽子にサングラス、撃退士から渡されたボールにグローブ。
それから、マリア(
jb9408)に手渡された花束だ。
「ねえ」
全てのものを受け取ってから、リュミエチカはアルペンに向かって、問う。
「チカは、アルペンのトモダチ?」
「ヴォッ?」
アルペンは首を傾げただけだった。あるいは、リュミエチカにはもっと深い何かが伝わったのだろうか。
「なあ‥‥」
獅号が遠慮がちな声を出す。
「連れて行かなきゃいいんだろ? その辺に放していくとかじゃ、駄目なのか」
「同じことさね」
アサニエルは首を振る。
「野良ディアボロは討伐の対象さ。あたしらが見逃したって、いつかはそうなる。そうでなくても、主が居なくなれば野垂れ死ぬか、他の悪魔に見つかって使役されるか──」
いずれにしても、まっとうな未来など望むべくもない。
「チカは、アルペンをトモダチだって、思うから」
リュミエチカは、きっぱりと言った。
「大丈夫。ちゃんとやる」
リュミエチカが、アルペンの目をのぞき込んだ。その黄金色の瞳で、しっかりと見据える。
アルペンは一度瞬きをして、膝を折った。冬眠でも始めるかのように、その場に丸くなる。
リュミエチカはアルペンの鼻面を一度、愛おしげに撫でた。
そして──。
*
「終わった」
七体のアルペンを全て地に伏せさせたリュミエチカは、サングラスを嵌めてから、振り返った。
「もう、起きないよ」
「チカちゃん」
淡々と告げる彼女に、ふゆみが進み出て、手を差し伸べた。
リュミエチカがおずおずとその手を取ると、ふゆみはその身をそばに引っ張り寄せる。
「これから、ヨロシクねっ☆ミ」
精一杯の笑顔で、そう呼びかけた。
「リュミエチカ」
アトリアーナが声をかけ、近づく。彼女はなにやら取り出し、リュミエチカに手渡す。
「これ‥‥」
愛嬌のあるカバ面をした、小さなぬいぐるみだった。
「それなら、一緒にいても大丈夫ですの。あまり時間がなかったから小さいのですけど、もっと大きいのも作れますの」
そして、今度は別のぬいぐるみを取り出す。
「これは、ボクの栗太郎」
リュミエチカは目を瞬いて、まんま栗の形のぬいぐるみを見る。
「今度、一緒に作りますの。それで、アルペンと栗太郎も、友達になりますの。‥‥ボクとリュミエチカが、友達になったみたいに」
リュミエチカは、手のなかの小さなアルペンと栗太郎を、交互に見やっている。
「これも、よければ受け取ってくれるかねぇ」
九十九が差し出した手には、ミサンガが乗っている。
「友好の証、だねぃ。全員分あるから、後で皆にも配るのさぁね」
リュミエチカはミサンガを一本とると、しげしげと眺めた。
「これ‥‥何に使うの?」
「こうするものだねぇ」
九十九が一本のミサンガを自分の腕に収めてみせると、リュミエチカは見よう見まねで、同じようにする。
「よく似合ってるのさぁね」
九十九は微笑んだ。
「そう言えば、きちんと自己紹介をしていなかったねぇ」
最初に顔を合わせてから結構な時間が経ったが、名前を告げているものすら少数だ。
「普段は九十九と名乗っているけど、これは字でねぇ」
そう言って、彼は襟を正すような仕草をする。
「姓は岳、諱は雲。‥‥岳雲、さぁね」
「岳雲」
リュミエチカは、オウム返しに発音を真似た。
彼は細い目をさらに細めて、リュミエチカに手を差し出した。
リュミエチカはその手を取った。ほんの少しの戸惑いは、いつかは消えていくだろう。
「いい感じに落ち着いて、よかったよ」
アサニエルは身体を伸ばす。獅号の失踪から端を発した事件は、これで解決と言えるだろう。
「ああ‥‥」
獅号もゆったりとした返事をする。こんな穏やかな顔もするのかと、アサニエルは内心で思った。
「俺もこっちにいる間は出来るだけ顔を出すつもりだが‥‥出来たら、気にかけてやってくれ」
「風紀のことなら、僕が教えましょう。彼女が学園で暮らしやすいように」
イアンがきっちりと、そう答えた。
リュミエチカが雅也の元へ歩み寄った。
「良かったですね、リュミエチカ」
雅也は心からそう言った。
彼女はきっと、手放した以上のものを手に入れられるだろう。
リュミエチカはもぞもぞと身体を動かす。
「‥‥嘘じゃなくて、良かった」
雅也ははっとし、そして、笑った。
「ええ。本当に」
●
チカはずっと、寂しくなんかなかった。
でも、ときどき、寒かった。アルペンとくっついていても、どうにもならないくらいに。
今は、あったかい。みんなに囲まれていると、なんだかあったかい。
だから、チカはここにいる。ここにいたいって、思う。
今はあのころよりもっと、寂しくないから。
【探望】/終