獅号 了(jz0252)の少し後ろをイアン・J・アルビス(
ja0084)と東條 雅也(
jb9625)がついて走っていた。
(トレーニングの邪魔になるのもいけませんし)
イアンは黙々と走る獅号に声をかけることはしない。
雅也の方も走り始めに挨拶はしたものの、その後はイアンと二人で周りに目を配りながら獅号の後をついて走っていた。
海沿いを経て五キロほどは走っただろうか。獅号はゆっくりと足を止めた。
ベンチに腰を落ち着けて、イアンの用意してきたサンドイッチを食べる。
「うん、旨いよ」
「どうも」
早食いではないが、一口が大きい獅号の食べっぷりを見てから。
「まずは仕事として‥‥彼女の『眼力』のようなものについて」
イアンの方から説明が必要だった。リュミエチカを止めようとして、二度にわたって失敗したときのこと。雅也も目撃した光景だ。
「知っていることがあるなら、聞きたいところです」
サンドイッチのかけらを飲み込んで、獅号は考える仕草をする。
「俺は、今回アメリカから日本に渡って来たときの記憶がないんだ‥‥夢を見ているような感覚で、ぼんやりと覚えているところはあるんだけどな。記憶が切れる前、最後にはっきり覚えているのは、あいつの目だ」
二人は黙って話を聞く。
「次に意識がはっきりしたときはあの家だった。そのときあいつが言ったんだ‥‥『目を見るな』って」
「リュミエチカの目を、見るな、と?」
イアンの問い返しに獅号は頷いた。
「なぜ、獅号選手に警告したのでしょう?」
「さあな。ただ、こっちに来てからあいつは目を合わそうとしなかったな」
「例えば‥‥」
雅也が口を開いた。
「彼女の目に何らかの力があるとして、獅号選手にはその力を使いたくなかった、ということでは?」
「だが恐らくアメリカからこっちに来るまでの間、俺はあいつの『力』を受けていたんじゃないかと、思うぜ?」
「うーん‥‥」
力を使った後に力を受けないように警告するのではあべこべだ。
結局、ここでは推測以上のものは浮かばなかった。
「個人的な質問になりますが‥‥彼女はなぜ、獅号選手にあれほど執着したのでしょう?」
妨害したからといって、敵にあそこまで明確に怒りを向けられることは珍しい。イアンがそう伝えると、獅号は困ったように口をとがらせた。
「さあなあ。なんでか気に入られたんだろうが‥‥」
「‥‥心細かったのも、あったんじゃないでしょうか」
雅也には、リュミエチカは獅号を純粋に慕っていたように見えた。
「俺が感じる限り、リュミエチカは力は強いが、まだ幼い」
雅也がそう言うのを、獅号はじっと見ていた。
「そういえば、僕の事は何か言っていましたか?」とイアン。
「‥‥いや、特に言っていなかったと思うな。グローブを持ち帰った日は、ずっと上機嫌だったし」
あれだけ鋭く怒っていたのに、どういうことだろう。
●
「‥‥獅号、体の調子は大丈夫ですの?」
ジムへと同行する橋場・R・アトリアーナ(
ja1403)が見上げてくる。
「運動不足以外はいつも通りさ‥‥お前もトレーニングするのか?」
「何もしないのも手持ち無沙汰ですので‥‥」
ジャージ姿のアトリアーナは答えると、ベンチプレス用のバーベルを掴みあげた。
「危ないから、離れていますの」
「って、おま‥‥」
数十キロはあるだろうバーベルを、バットでも振るかのようにぶるんぶるんと素振りし始めた。
「ボクの武器は重いから、これくらいは必要ですの」
「はぁ‥‥つくづく撃退士って奴はなんていうか‥‥すげぇな‥‥」
獅号はしばらく呆然とその様子を眺めていた。
*
獅号が長時間漕いでいたバイクから降りた。腕や腹、腰回りの強化と続けてきて、すでに結構な時間が経っている。
「‥‥思ったより、ハードですの」
「ん、まあ鍛え直しだからな」
「向こうでは、どんな生活をしていますの?」
「一人暮らしだからな。気ままなもんだよ。言葉が通じなくても、結構何とかなるしな」
体を休めながら、二人は言葉を交わす。
いくつかの他愛ないやりとりのあと、アトリアーナはぽつりと言った。
「そうだ、助けてくれてありがとう‥‥ですの」
「助けてもらったのはこっちの方だぜ」
「あの時‥‥リュミエチカを止めてくれましたの」
「‥‥ああ」
無力化されていたアトリアーナに手を振り上げたリュミエチカを止めたのは、確かに獅号の声だった。
「あいつの形相がすごかったんで、慌てて叫んだんだ」
思い出すように遠くを見た獅号に語りかける。
「‥‥少し、一緒に居た時の事を聞かせて欲しいですの」
*
一通りの話を聞いて。
「リュミエチカがこのまま放置されることはないと思いますの。おそらく‥‥みつかり次第、討伐命令が出るはず」
そうなれば、撃退士であるアトリアーナの役目は、戦うことだ。
「それで、本当に後悔しない?」
獅号は一点を見据えている‥‥彼の中には彼の考えが、渦を巻いているのだろう。
「立場とかは関係なく、友達として‥‥聞かせて欲しいですの」
視線が動いて、アトリアーナを見た。
「‥‥わかった、少しだけ参考にさせて貰いますの」
●
「時間を作ってもらって悪いね」
「どうせ体を動かす以外は暇だからな」
アサニエル(
jb5431)は獅号と個室で向き合っていた。彼女の手元にはノート型端末とメモ帳。
「リュミエチカと接触したところから救出に至るまで‥‥覚えてる限りで構わないから、話してくれると助かる」
*
リュミエチカとの出会い、監禁されていた間の様子が語られる。
アサニエルは相づちを返しながら調書にまとめていたが、話が一段落したところで口を挟んだ。
「もう少し、あんた自身の意見や印象を聞かせてもらえるかね」
「俺の‥‥か?」
獅号は戸惑ったように聞き返してきた。
「個人的印象だって重要なのさ。主観意見の集積と分析が客観意見を形作るんだからね」
アサニエルは笑ったが、獅号はまだ抵抗があるようだった。
「だが、俺は天魔の事に関しちゃ素人だ。余計な事になるんじゃないのか?」
「一番近い所に居た人間の感じたこと以上に重要な情報はないさね」
机の上に身を乗り出し、顔を近づける。
「相手の情報っていうのは大概少ないし貴重なもんさ。それを伝えないっていうのは、こちらの領分への干渉じゃないのかね?」
「そういうもんかね‥‥」
獅号は改めて口を開いた。
「俺の印象は‥‥東條って奴も言ってたが、リュミエチカはだいぶガキなんじゃないかって事だ。天使や悪魔ってのは見た目よりも大分齢くってたりするのもいるんだろ?」
「そうだね」
外見年齢十七歳のアサニエルはにっこり笑った。
「あー‥‥だけどあいつは見た目通り、っていうか精神年齢でいったら見た目以上に幼い感じだ。だからいろんな事を知らないし、大した縁もない俺に固執したんじゃないのかな」
「‥‥なるほどね」
アサニエルは全てを調書にまとめ終え、ノート端末をぱたんと閉じた。
「方針が決まったら、また伝えるよ」
●
学園内にある野球用グラウンドに現れた獅号を、雅也と九十九(
ja1149)、それに新崎 ふゆみ(
ja8965)が出迎えた。
アトリアーナやイアンも、今は遠くにいて警備に当たっているはずだ。
「練習相手をしてくれるんだって?」
「経験者でなくて悪いがねぇ。少しでも選手としての感覚を取り戻す助けになれるといいと思ったのさぁね」
「ボールを受けてくれるだけでも助かるさ」
獅号は手にしたボールを片手でピュッと弾きあげた。
「こっちも慣らしながらだしな。ま、お前らなら全力で投げても問題ないだろ」
撃退士の身体能力の高さをよく知っていることもあり、軽い口調である。
(‥‥しごー選手、元気ない感じ)
このグラウンドは、かつて獅号と一打席勝負をした場所だ。あの時の獅号は、もっと気迫と自信に満ちあふれていたことを、ふゆみは思い返す。
(気になってるんだよね、あの子のコト)
*
九十九は野球経験が全くなかったが、投法の手ほどきをいくらか受けただけで、すぐにキャッチボールパートナーとしては問題ないレベルになった。
「お前らに教えると、自分にコーチの才能があるんじゃないかって勘違いしちまうな」
獅号は笑った。
いかにも無理がある様子に、九十九は心の中で嘆息する。
(さながら『抽刀断水水更流‥‥』って処かねぇ)
獅号の心境を古来の詩になぞらえながら、次第に強さを増す球を受け続けた。
「俺、打席に立ちましょうか」
獅号の投げる球がストレート軌道になったころ、雅也が声をかけた。
獅号はマウンドに立ち、九十九はキャッチャーボックスに腰を下ろした。
「久しぶりだな」
雅也を打席において獅号はゆっくりと振りかぶりってボールを投げ込む。風を切る音の後、九十九のミットが高い音を鳴らした。
「なんなら、打ってくれていいぜ」
「そう言われても‥‥」
(ただ振るだけじゃあ、打てないでしょうから)
当てにいくことだけを考えてバットを振ると、鈍い音がして、明らかに詰まったポップフライがファウルグラウンドに落ちた。
「腰が引けてるぜ」獅号が声をかける。「スイングは早いんだから、しっかり振り抜くようにしてみろよ」
(振り抜く‥‥)
言われたとおりバットを叩きつける。今度はきれいなライナーが、外野まで飛んでいった。
「そうそう」
獅号がほぐれた笑みを浮かべた。
「次は、ふゆみの番だよっ☆ミ」
雅也と交代でバットを持ったふゆみは、やる気満々。「どーせなら、おもっきりカラダうごかそっ★ミ」
一打席勝負を提案してきた。
「今回こそ打つんだよっ☆ミ」
二年前の対決では凡退しているふゆみ。こっそりスキルで強化しているのは内緒だ!
「悪いがノーサインだ、頑張って捕ってくれ」
獅号は急造捕手の九十九にそう言ってから構える。表情は真剣そのものだ。
初球は外角低め、ふゆみは手を出さなかった。
続いて二球目。肩の高さあたりの釣り球を、全力フルスイング。
「ほぉむらーん★ミ」
気合いとともに捉えた打球は──なんと言葉通り、外野フェンスを越えていった!
「お? ホントーに打っちゃった!」
大喜びでベースを一周するふゆみ。
舌打ちする獅号は、ほんの少し笑っているようにも見える。
ふゆみのホームインを確認すると、グラウンドの外にいたイアン達に向け、叫んだ。
「よお! お前らも打つか?」
唐突に声をかけられたイアンは戸惑うが。
「折角ですから、参加させてもらいましょうか」
そう言って、グラウンドへ降りていった。
*
最後のクールダウンを終えた獅号に、ふゆみが近づいた。
「どーして自分がコロされたり、感情を吸われちゃったりしなかったと思う? それってフツーないことだよ」
「ああ」
悪魔は人類に仇なす存在だと聞いていた。
特別なのは自分だろうか、彼女だろうか。それとも‥‥。
「あの子に何か、伝えたいこととかある?」
「うちらは天魔と戦うだけが仕事ではないのさねぇ」
九十九が後をついだ。
「後悔はさせたくないのさぁね。どうしたいか、願いを言葉にして欲しいねぇ」
獅号は汗の残る顔をタオルで覆うようにして拭う。
「‥‥少し、考えさせてくれ」
荷物をまとめてグラウンドから出ようとする獅号の前に、男が立つ。
「こうして面と向かって話すのは初めてだな」
恒河沙 那由汰(
jb6459)は下から上へと獅号をみると、言った。
「で‥‥お姫様抱っこされんのと普通に俺に掴まるのどっちがマシだ?」
●
数分後──上空三十メートルの高さを飛ぶ獅号の姿があった。
「手を放すなよ。拾いにいくのはだりぃからな」
「言われなくても!」
蜃気楼で姿を隠している那由汰の肩は、一度放したらもう掴めないような気がして、獅号はこれでもかとしっかり握りしめていた。
*
「おかげさまで、見たことのない景色だったよ‥‥すげー緊張したけどな」
空中散歩を終えた獅号はベンチにぐったりと座り込んでいた。
「今のでわかってもらえたかと思うが、俺は『悪魔』だ」
獅号は顔を起こした。
「リュミエチカと一緒のな。だが、こうして学園で生活している。そういう選択肢もあるっつー事は覚えておいてくれ」
リュミエチカをどうしたい? ってことはさんざん聞かれたか、と那由汰は笑う。
「まぁお前が望んだところでそれが叶うなんて無責任な事は言えねぇからな」
獅号の目を、挑発するように覗き込む。
「ただ、今お前の目の前にお前の望みを叶えうる力を持った者が協力すると言った場合、お前はどうする?」
獅号は那由汰の視線をしっかりと受け止めてから、席を立った。
●
今日関わったものたちが集められた。
「昼前に、橋場には言ったんだが」
獅号は頭の後ろをぼりぼり掻いた。
「俺は、リュミエチカと友達になりたい──とは、別に思ってない。ただ、このままでいいとも、思っていない」
「どういうことです?」
聞いたイアンの方を見て、獅号は続ける。
「あいつは、多分‥‥いろんなことを、知らないんだ。俺たちのことも、もしかしたら、自分自身のことも。だから、一方的なやり方しかできないんだ」
「つまり、どうしたいんだい?」
アサニエルが先を促した。
「あいつが人間の敵なのかは、俺にはよくわからない。このままほっといたらそうなるんだろうし、もしかしたら、とっくにそうなのかもしれない」
「いいんだよ、しごー選手」
ふゆみも背中を押す。
「シガラミとか、セキニンとか──そのヘンは、イッペンおいといていいから!」
獅号は頷いた。
「俺は、あいつともう一度話をしたい」
アトリアーナは目を閉じ、静かに聞いている。
「そのために、ここへ連れてきて欲しい。それが俺の希望だ」
「友達になるかどうかは、そちらの問題──あたしらのやることは、変わらないね」
アサニエルはそう言った。希望を叶えるためには、最低でも敵対関係を解消しなければいけない。学園に引き込むのと、ほとんど同義だった。
九十九は顎を撫でた。簡単な願い事ではない、が。
「個人の依頼も大抵の事は引き受けるのがうちらさね。まぁ、出来る限りの事はさせてもらうさぁね」
「だいじょーぶ、しごー選手」
ふゆみはウインク。
「ふゆ‥‥じゃない、ひょっとこ仮面が、きっとオタスケしてくれるんだよっ★ミ」
「やれやれ、人間っつーのは面倒くせぇな」
那由汰は立ち上がった。
「その気持ちをあいつに伝えなきゃなんねぇ。ひとつ協力してもらおうか」
●
獅号のメッセージを込めたビデオレターが作成された。
「これを見せれば、リュミエチカはこちらに来てくれるでしょうか?」
焼き付けられたDVDを手に、雅也。
「さぁな。少なくとも俺たちだけで何か言うよりはマシだろ」
那由汰は素っ気なく答える。
「‥‥たぶん、何か伝えるとか、話す機会はそう多くないと思いますの」
それでも、折角話してくれた思いを無駄にしたくはない。
次の出会いが少しでも穏便であればよい。大切な友人の為に、そう願うアトリアーナだった。