「よお、ひさしぶり。元気そうで何よりだ」
天険 突破(
jb0947)が声を掛けると、リュミエチカ(jz0358)は小走りで駆けてきた。
「トッパは、元気だった?」
「おかげさまで俺も健在だよ」
にかっと笑って答える。リュミエチカの頬が小さく緩むのが感じられた。
「ところで、砂浜にそのひらひらした服は大変じゃないか?」
リュミエチカは「そうなの?」と首を傾げた。
案の定、潮干狩りとは何なのか、は全然考えていないらしい。
「波打ち際で屈んだりすることが多いですから‥‥せっかくの服が汚れてしまいますよ」
美森 あやか(
jb1451)がやんわりと教えてあげた。
「今日は日射しも厳しいですし」
「ワンピースは終わってからの着替え用にしましょう」
と言ったのは樒 和紗(
jb6970)である。リュミエチカは彼女の方に目を向け‥‥しばし、無言でサングラスの中の視線を上下させた。
「‥‥カズサ」
「なんですか?」
「‥‥なんでもない」
今日の和紗の恰好は、小豆色のジャージに麦わら帽子。デザイン性皆無の黒い長靴を履き、首には汗を吸わせるタオルを巻いていた。
普段の凛と美しい和紗の姿とはある種かけ離れた、完璧『ガチ勢』な出で立ちであった。
(‥‥もしかして今の、本人か確認したのかな?)
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)は思わず吹き出しそうになるのをこらえた。それくらいギャップがあるということである。
「そんなことだろうと思ってな」
不知火藤忠(
jc2194)が口を開いた。
「妹分のお古だが、ジャージを持ってきた。よかったら使ってくれ」
「あそこにコンビニがありますね」
あやかは和紗に近づき、「樒さん、ええと‥‥」と何事か話した。
「‥‥そうですね、ではついでに買い出しもしていきましょうか」
「おっ、手伝おうか?」
突破が気軽に声をかけたが。
「女性のものですから、俺たちで行ってきますよ」
要するに替えの下着とか、そういうものである。これには突破も「任せた!」という他はなかった。
*
「リュミエチカちゃんもはい、被ってねー」
ジャージ姿となったリュミエチカの頭に、ジェンティアンはつばの大きな麦わら帽子を被せてやった。
「ん、似合う似合う♪」
「ああ、よく似合うな」
ジェンティアンと藤忠が揃って頷いた。ちなみに、藤忠もジャージに麦わら帽と、お揃いの恰好である。
「足元は、それでいいのか?」
藤忠は念を押すように聞いた。リュミエチカが履いているのは、やはり以前に選んでもらった赤いレインブーツだ。長靴と言えばそうなのだが。
「これは、これがいい」
「‥‥そうか」
だがリュミエチカがきっぱりと言ったので、それ以上追求するのはやめにした。
●
ジェンティアンとリュミエチカが並んで歩いている。
「しおひがり」「ひおしがり」
「しおしがり」「ひおひがり」
「ひおひがし」「ひおひがひ‥‥?」
「竜胆兄、どんどん遠くなってますよ」
「うん、僕もそう思ってた」
正解を教えてあげるつもりが、何故か自分まで正しく発音できなくなるというマジック。
「『ヒオシ』とは、またいいところに目を付けたな」
突破はいたずらっぽく笑って言った。
「あれだろ? え〜と『ヒじょうにオおきいシおまねき』的な。めちゃめちゃ強いらしいぜ」
「そうなの‥‥?」
「最強の敵かもしれないぜ、気合い入れて狩らないとな」
「こら、チカに嘘を教えるんじゃない」
藤忠がすかさず割って入った。「へへっ、悪いな」と軽く謝られて、リュミエチカは面食らっている。
「潮干狩りとは、砂浜で砂中の貝を採る海のレジャー‥‥だそうだ」
やや説明口調に正解を教えたのは、ファーフナー(
jb7826)だ。
「一応調べてきたが、実際に参加するのは初めてだ」
「実は僕もなんだよね」
ジェンティアンが乗っかった。
「考えてみたら行った記憶が無くてさ。なので一緒に初めて、頑張ろうね!」
*
「潮干狩りに適しているのは、干潮の前後二時間ずつ。時間が限られていますから、効率よく採っていきましょう」
レンタルした熊手とバケツを抱え、砂浜に仁王立ちする和紗。リュミエチカ、ジェンティアン、そしてファーフナーの初心者三人は砂浜に正座──はしていないが、大人しく彼女の言葉を聞いていた。
「波打ち際を狙うと良いですよ。こうやって‥‥」
和紗は屈み込むと、手本とばかりに熊手で砂浜を軽くかいた。すぐに波がやってきて浮いた砂を流していく──すると、縞模様の貝殻が二つほど顔を覗かせた。まだ半分埋まっているそれを、和紗は指で取り上げる。
「はい、これがアサリです」
「アサリ」
「意外と簡単に見つかるんだな」
ファーフナーが感心して言った。
「こっちの方が大きい」
もう一つの見えていた貝をリュミエチカが拾い上げて見せた。
「ああ、それはバカ貝ですね」
「バカガイ」
「これも食べられます‥‥狙うなら、アサリより大きい穴を探してください」
「マテ貝はちょっと特殊な採り方をします。こうやって‥‥」
スコップで掘り返した穴に食塩をさっと流し込む。すると‥‥。
「おっ、何か出てきたね!」
ジェンティアンの言うとおり、穴がぴょこっと盛り上がる。和紗がすかさずそこへ指を伸ばし、がっちりと掴んだ。
「相手が諦めるまで放しては駄目ですよ」
やがて、アサリなどとははっきりと形のことなる、細長い貝が引き上げられた。
「それでは、制限一杯持って帰れるように頑張りましょうか」
*
「チカ、ほら、タオルと‥‥軍手もしていた方がいいぞ」
「ん」
藤忠にタオルを掛けてもらうと、リュミエチカはその場に屈み込んだ。藤忠も一緒に屈んだ。
「穴を探すって言ってた」
「ああ‥‥だが最初は砂遊び感覚でも十分だぞ」
真剣に砂面に目を凝らしているリュミエチカの隣で、藤忠が軽く砂をかいて見せる。
「‥‥ほら、いた。一匹いたら近くに沢山いるぞ」
リュミエチカは屈んだままずりずりと藤忠の方へ近づいて、砂をかき始める。その様子に藤忠は微笑んだ。
「沢山とれたら、学園で料理して皆で食べよう。和紗がいるからな、きっと美味いものを作ってくれるぞ」
梅見のときの弁当はとても美味かったからな、と言うと、リュミエチカは首を上下させ、「いっぱい採る」と答えるのだった。
*
「ふんふん‥‥おっ、また見つけたぞ」
ジェンティアンは、和紗に教わった最初の方法で、波打ち際のアサリを拾っていた。
「ふむ‥‥確かに楽して数がとれる‥‥だが、やや物足りない」
どうせなら、もっと『狩り』っぽくいきたい。
「よし、大物狙いに切り替えよう」
大きな穴を探して目を凝らす──しばらくそうしていると、強い日射しでパーカー越しの背中や首がじりじりと焼けるようになる。
「だが、暑い‥‥!」
一度体を起こし、水分補給。
少し離れた場所で相変わらず屈み込んでいるリュミエチカが目に入った。
「チカちゃんも蒸したら我慢しちゃ駄目だよー」
声は返ってこなかったが、麦わら帽子が上下に揺れたのが見えた。
(ほかの皆も気にしてるみたいだし、大丈夫かな?)
今はファーフナーがそばにいて、一緒に砂をかいていた。
「最近はどうしていたんだ?」
見つけた貝を目で一回り確認してから、バケツに入れる。そうしながら、ファーフナーは聞いた。
「最近は、部屋にいた」
「そうか‥‥」
戦いの邪魔にならないよう大人しくしていた、というのは彼女なりの配慮ではあるが、少々後ろ向きさが勝っているようにも思える。
「一人でも、楽しく過ごす方法はいろいろとある」
だからファーフナーはそう言った。孤独の楽しみ方なら、彼女より先輩だろう──あまり自慢にはならないが。
「本を読んだり、音楽を聴いたり、DVDを見たり‥‥部屋の模様替えをしてみるのも、気分が変わっていいな」
「なんだか、雨の日の過ごし方と、似てる」
「‥‥そうだな。雨の日も、一人になることが多いから、だろうか」
去年の梅雨に、彼女とそんなことを話したことがあった。赤い長靴はそのとき購入したものだ。
「一人も嫌いじゃないけど」
リュミエチカは水辺で時折ぷく、ぷくと泡を立てる穴を見つめたまま、言った。
「いっぱいいた方が、楽しい‥‥ことが多い」
「そう、だな」
ファーフナーは同意した。それは彼女の変化であり、彼の変化でもある。
久遠ヶ原に来る前であったら、今日のように海のレジャーに自主的に参加するなど、あり得なかっただろう。
(変わったんだな──)
年若い彼女と、年を経た自分が、同じように『初めて』を知り、変化していく。
そう気づいたファーフナーは、微笑む。幼さ故に気づかない悪魔の少女は、また貝拾いに没頭していた。
*
「で〜てこいで〜てこい ふふ〜んふ〜ん♪」
ジェンティアンはマテ貝採りに標的を切り替えたらしく、即興の鼻歌混じりに穴に塩を詰めていた。
「♪ふ〜んふ‥‥と、そこだっ!」
にょきっと頭を出した貝をすかさず掴んで引っ張り出す。
「うん、これは楽しいね‥‥いっぱい採ろう」
そしてまた鼻歌が聞こえ始める。
「リュミエチカさん、はい‥‥飲んでください」
あやかが近づいてきて、持参の保冷バッグから取り出したジュースを差し出した。
「ありがとう、アヤカ」
リュミエチカは受け取ってから、不思議そうに首を傾げた。「でも、さっきも飲んだよ?」
「熱中症を防ぐコツは、喉が乾く前に水分補給、だ」
隣で実際に飲み物に口を付けながら、突破が言った。
「スタジアムのバイトとかと違って、休憩のタイミングも全然わからないからな。早め早めに飲んでおいた方がいい」
「ふうん」
あやかは彼女のバケツの方を見やった。
「結構、採れてるみたいですね」
大きめのバケツは、半分ほど採った貝で埋まっていた。
「カズサの方が、いっぱい採ってる」
少し離れたところで黙々と砂浜をかき続ける和紗のバケツは、既に貝が溢れかかっていた。
「すげーな」
突破はリュミエチカに顔を寄せた。
「なあ、こういう所って、透過能力でザクザク捕獲できたりしないの?」
「んー‥‥?」
リュミエチカは首を捻る。
「って、冗談だよ」
突破はすぐにそう言って、からから笑った。
「流儀に合わせてやるから楽しいし、後で美味しくいただけるってモンだ」
「そろそろ終了時間だそうだ‥‥和紗に負けないように、もうひと頑張りしよう」
「よし、じゃあこのバケツを残り時間でいっぱいにするとするか」
藤忠が言い、突破は腕まくりしてみせるのだった。
*
「大漁ですね」
全員の戦果をまとめて見て、和紗は満足そうに言った。
「ミソシル、作れる?」
「これなら、他にも沢山作れると思いますよ」
あやかも微笑んだ。
「向こうに水道があったから、貝は一度よく洗っておこう」
藤忠が示した方を、リュミエチカは向こうとして──。
「あっ」
こけた。
「大丈夫か? ‥‥すこしはしゃぎ過ぎたな」
ファーフナーが助け起こす。ずっと屈んだ姿勢でいたので足がもつれたらしい。
「着替えを用意して正解でしたね」
和紗とあやかは顔を見合わせるのだった。
●
学園に戻り、持ち帰った貝には砂抜きの処理をして、しばし。
「そろそろ下拵えを始めていきましょうか」
「そうですね」
あやかと和紗が立ち上がった。
「貝を使った料理か‥‥楽しみだな。俺は何をしようか」
「味噌汁、酒蒸し‥‥炊き込みご飯なんかもいいな。手伝えることがあったら言ってくれ」
ファーフナーと突破の後ろで、
「じゃあ僕は監督を──」
「竜胆兄にももちろん仕事がありますよ」
「あ、ダメ?」
というこちらはお約束。
「チカも、手伝う?」
リュミエチカはあやかに尋ねた。
「そうですね‥‥キャベツをざく切りにしてほしいのですけど、出来ますか?」
「よしチカ、一緒にやろう」
藤忠が呼ぶ。
‥‥そうして、七人が出来る部分を担当した料理が完成した。
「皆の腕は勿論、素材が新鮮だと余計に美味しいね」
アサリの味噌汁をすすって、ジェンティアンは晴れやかに言った。
「おっ、こっちは冷やしてあるんだな‥‥この季節だしこういうのもいいな」
突破はクラムチャウダーを口に運んでいる。
ファーフナーも一品一品味わいつつ、感心したように呟く。
「これが酒蒸しか‥‥キャベツを入れるんだな」
「ご飯のおかずになるように、野菜をとれるメニューにしてみました」
と、あやか。
「美味しいですか、チカ」
「貝は、ぐにぐにしている」
アサリの炊き込みご飯をぱくついている少女に和紗が聞くと、よくわからない返答がきた。だが箸を止めない辺りを見るに、気に入ったのだろう。
「マテ貝、僕が頑張っていっぱい採ったからどんどん食べてね!」
ジェンティアン推薦の細長い貝は、和紗の手で醤油バター炒めに。リュミエチカが区別できずに結構採っていたバカ貝は分葱と酢味噌和えに変身していた。
「ああ、どれも美味いな‥‥日本酒にもよく合う」
「藤忠ちゃん、いいもの飲んでるね?」
「俺の地元の酒なんだ。よかったら飲んでみてくれ」
『純米大吟醸 天光』と銘打たれたボトルを、藤忠は気前よく振る舞った。
「チカはこっちだ」
もちろん未成年者には烏龍茶です。
大人しくお茶を受け取るリュミエチカに、藤忠は問うた。
「チカはこれからやりたい事はあるか?」
「‥‥明日のこと?」
「いや‥‥もっと先のことだ」
不知火の当主を補佐する立場である藤忠はいずれ、学園を離れることになるだろう。
もちろん、それは当主本人を伴って、だ。
そうなれば、今のように頻繁に会うことは出来なくなるかも知れない。
「まぁ、まだ先の話だ‥‥それまで沢山遊ぼう」
「ん‥‥? うん」
藤忠は手の中の酒を飲み干す。
「お前は大事な妹分だ。何かあればすぐ言えよ? いつでも駆けつけるからな──俺も、あいつも」
特に、好きな奴が出来たらすぐ言うように──そう言って、藤忠はリュミエチカの頭をぐりぐり撫でるのだった。
●
「今は食べ物は傷みやすいので、冷蔵庫に入れて早めに食べてくださいね」
余った分をリュミエチカに渡しながら、あやかは念押しするように言った。
「いくらかは潮崎への土産にしてもいいかも知れませんね」
と、和紗。
「これから世界は、穏やかなものになっていくと思うよ」
ジェンティアンが言った。人と天魔の争いは山場を越えた。緩やかでも確実に、変わっていく世界の渦中に、いま全員が身をおいている。
(その変化を維持できるように‥‥子供たちが日常を普通に楽しむことが出来るように)
そう努めることが、これからの撃退士のひとつのあり方であるように、ファーフナーは思った。
「これからも、今日みたいな楽しい思い出を、たくさん作っていって欲しいな」
「ええ‥‥ですから」
ジェンティアンの言葉を受けて、和紗は微笑んだ。
「また、誘ってくださいね?」
「じゃ、またな!」
突破が声を掛けて、今日はお開き。
リュミエチカは、満腹感だけではないふわふわとした気持ちに包まれながら、寮へ戻っていったのだった。