「で、なければここに居ない」
働き者、という恵ヴィヴァルディ(jz0015)の評価に大炊御門 菫(
ja0436)はそう答えた。
「僕は単に戦いが好きなだけなんだけどね」
鬼塚 刀夜(
jc2355)は軽口を言った。
「互いに負けれぬ戦いだ。
三界の垣根を超え、今まさに紡いできた共通の願い‥‥果たさせてもらうぞ」
その手の旗が、意思の強さを示すように一際強い炎の輝きを放つ。恵は刀を構えた。
「彼らも天魔ハーフか」
恵の取り巻きに立つ男たちを見て、ファーフナー(
jb7826)が言った。風貌はまるで違うが、醸し出す雰囲気は先日相対した汎という男と通じるものを感じる。
おそらく、彼らも汎と同様に恵の実験下にあり、精神制御を受けているのだろう。
「恵は一体、何を成したいのでしょうか、こんな、人の尊厳を汚してまで‥‥」
雫(
ja1894)は表情を曇らせた。
「彼らは恵に利用されている。出来れば‥‥全員、殺さず捕らえたい」
「ここで時間を掛けすぎる訳にはいきませんが‥‥」
ユウ(
jb5639)が懸念を表明した。
「分かっている」
ファーフナーは苦しげに頷いた。
殺さぬように気を配るなら、当然戦いの難度はあがる。それはつまり──。
「善処はしましょう。ですが、手加減して何とかなる相手とも思えません。覚悟は‥‥決めておくべきです」
翼を広げた彼女は、上空へ飛び立っていった。
星杜 焔(
ja5378)はかつて友に託された銃を構えながら、恵を正面に見据えた。
「人間を愛しているって聞いたよ。‥‥なら全て人の為だね?」
「あの女か」
刀を手に前進する恵は、それだけ呟く。
恵とつながりがあった女性、源田が撃退士たちに語ったことのうち、あるいはもっとも重要だったかもしれない示唆。
恵は人を憎んでいない、という事実。
学園を出て、撃退士との対決姿勢を明確にしたかのように見える今でさえ、『人の為』に動いている。そうなのだろうか?
「撃退士は頼りにするべきと民衆に知らしめる事件が欲しいの? 天魔は信用できないと再認識させたいの?」
焔は訴える。
「きみ言い方が分かり辛いらしいよ‥‥もっとちゃんと話して欲しいよ」
恵は接近する。だが焔を間合いに収めようとする手前で、二人の男が割り込んだ。
「おっと、ここまでだぜ」
小田切ルビィ(
ja0841)と向坂 玲治(
ja6214)である。
「ったく、何か不満があるならきちんと声に出して伝えろってんだ」
玲治はいつも強敵を前にするときはそうであるように、口の片端を吊り上げながら言った。
「それとも‥‥そんな幼稚園児ですら出来ることが出来ないのか?」
「物事には時機というものがあるのさ」
恵は素早く動いた。静から動。鋭く踏み込み、刀を横に薙ぐ。玲治は手にしていた魔具を合わせて受け止めた。衝撃が脳に伝わったが、かろうじて踏みとどまる。
「‥‥お前はあの時の恵だな」
そう確信して、ニヤリと笑った。
恵は視線を走らせながら、「漉」と呼んだ。
大剣を構えた青年──漉は恵と歩調を合わせていた。
(彼は恵の護衛か)
ファーフナーは距離を詰めた。相手が大剣を振り上げようとするところへ最接近し、重い剣が振り切られる前に胸の中心に掌底を叩き込んだ。
弾き飛ばされた漉は、ファーフナーをギロリと睨みつけた。
「‥‥、するな‥‥」
口中でなにやら呟き、大剣を振り下ろす。ファーフナーではなく、おそらくは当初の狙い通りに、恵の前に立つ玲治とルビィを狙った。衝撃波が巻き起こる。
鳳 静矢(
ja3856)はその頃には、漉の右側面に立って間合いを測り終えていた。
「そちらも封砲使いか‥‥ならば、狙いは似たようなものか」
よどみない所作で刀を振り仰ぐ。
「恵の傍にいるのなら、悪いがまとめて討たせてもらう」
紫の鳳が、漉と、その先の恵をまとめて呑み込んだ。漉は大剣を翳してやり過ごした後、静矢のこともこれでもかと睨みつけた。
何か呟く。
「‥‥邪魔、するな‥‥!」
もう一人の痩身の男──『名』は旋という──は、恵と漉の動きに追随せず、柳が風に吹かれるような動きで一度後方へ下がった。
不審を感じた雫はヒリュウを召喚すると、上空へはなつ。旋の動きを見定めるのがひとつ、『他の恵』が隠れているかもしれないと思ったことがひとつ。
一方、刀夜は迷わず旋に接近した。緩急をつけて懐に飛び込み、抜きざまの刀を横に薙いだが、手応えはない。
「その目、見えてるのかな?」
走り抜けながら、相手の目が閉じられたままであることに気づいて問いかけてはみたものの、言葉での返事の代わりに飛んできたのは、鋭く伸びる魔法鞭の光だった。
「ま、強ければどっちだっていいけどね」
鞭をやり過ごすと上段から切り下ろし、直後にもう一度切り上げる。手応えはやはり薄かったが、相手の体は回避のために後方へ流れた。
ユウは普段の少女らしい風貌ではなく、角を生やし黒衣をまとった、いかにも悪魔らしい姿をさらしていた。加えて翼を顕現し宙に浮く様は、あるいは彼女の本来の姿──なのかもしれない。
刀夜の攻撃で旋の動きがある程度制限されている。
ファーフナーの全員生かしたい、という言葉は頭の片隅に残っている。
(ですが‥‥やはり手加減は出来ません)
旋が後方へ足をつく、その瞬間を狙って引き金を引こうと──まさにその時、右肩に刺すような痛みを感じた。
(っ! 攻撃をうけた?)
痛みに惑わされずに引き金は引いたが、旋は攻撃を予測していたかのように、後ろ足をついた直後に横へ飛んでいた。
それよりも──。ユウは叫んだ。
「気をつけてください、近くにもう一人‥‥狙撃手がいます!」
「もう一人‥‥別の恵か?」
ユウの警告を聞き、牙撃鉄鳴(
jb5667)が真っ先に考えたのはそういうことだった。
「天魔ハーフをもう一人連れている、ということも考えられます」
水無瀬 文歌(
jb7507)が別の可能性を提示した。
「とにかく、隠れているなら居場所を探さないと‥‥」
浪風 悠人(
ja3452)は恵を狙い定めていたライフルの銃口を右に動かした。
「ヒリュウの視界範囲には居ません」
雫が上空からの偵察結果を伝えた。屋根の上ではない──であれば、建物の中だろうか。
「俺は上をとる」
鉄鳴は翼を顕した。狙い撃ちにされないよう側道に入ってから飛行し、手近では一番背の高い建物の屋根の上に降りた。狙撃の態勢を整える。
(いくつか候補があるな‥‥)
周囲は多数の建物に囲まれている。位置の割り出しを行うためには、もう何発か、相手に攻撃させる必要がありそうだった。
「くっ‥‥どこだ!?」
地上に残っている悠人も、狙撃手の位置を割り出せずにいた。
「私が、生命探知で‥‥!」
文歌は意識を集中させたが、すぐに首を振った。
「ここからじゃダメです、もう少し近づかないと──」
「一緒に行きます」
敵の総数が分からない以上、彼女を孤立させることは危険だ。悠人は文歌とともに車道から歩道へあがり、建物に近づいた。
「‥‥気をつけて」
文歌たちの近くにいた焔は、逡巡した後で二人にそう声を掛け見送った。役割の違いも理由のひとつではあったが、ついて行かなかった理由はもうひとつ、彼の背後にあった。
(向こうにも狙撃手がいるのか‥‥鉢合わせにならなくて良かったぜ)
ミハイル・エッカート(
jb0544)は、三階建てビルの壁を駆け上がりながらそんなことを思った。焔はミハイルを支援する役目も担っている。
ミハイルはビルの二階部分に窓が開いている部屋を見つけて、そこへ身を隠そうと考えていた。窓の縁に手を掛けて、戦況をちらりと見やる。
まさにその時、恵がライフルを構えて銃口をこちらに向けているのが目に入った。
「まずっ‥‥!」
咄嗟の判断で空蝉を使ったのは、おそらく正解だったのだろう。恵の銃弾は身代わりの魔装とビルのタイル壁を盛大に打ち砕いた。ミハイルはその隙に建物へ体を滑り込ませる。
「ふー、油断大敵だな」
ほっとひと息。狙われた時の対処をしていたのは賢明であった。
恵の狙いがこちらから逸れていることを確認してから、窓越しに銃を構えた。
(恵は一般人を覚醒させる実験を行っていたというが‥‥)
その狙いはどこにあったのだろうか。
「一度、じっくり話し合いたいぜ」
その為にも、今は恵たちを制圧する必要がある。ミハイルは恵の足下を狙い、ライフルの引き金を引いた。
銃弾を防御した恵みが一歩下がるところへ菫が打ちかかる。
懐へ飛び込んだところで炎纏う旗を現出する。その目は恵を真っ直ぐに見据えている。
「ふっ!」
打ち込みの瞬間に強引に軌道を変え、最終的な狙いは足に。恵はこれも魔具で捌いた。
そこへ、玲治が飛び込む。
「──おおっ!」
恵が魔具の打突を警戒する仕草を見せたところに、彼はそのまま両手で掴みかかった。柔道の奥襟を取るような動きで恵のコートの襟を掴むと、もう一方の手を手首に伸ばす。魔具を封じようとする動きだ。
だが、恵は即座に狙いを察すると魔具を収納し、玲治の体を巻き込むようにして鮮やかに投げた。玲治は受け身を取るとぐるりと回転して起きあがり、恵を見て笑った。
「隙ありと思ったがダメか。ちょっと早かったかな」
「コートを破いたら弁償してもらうぞ」
恵は本気とも思えぬ発言をして、改めて刀を振りだした。
「あちらさんは今取り込み中だぜ」
視線が流れた位置にはルビィが立っている。その向こうでは静矢たちが漉を思い通りにさせまいと奮闘していた。
(足並みが揃うまでは耐えてみせるぜ)
味方は戦力を分散している。恵を集中攻撃できるようになるまでは積極的攻勢は控えるのがルビィの作戦だった。
*
漉と恵の間にファーフナーが入り込み、彼を近づけさせない。回り込んででも向かおうとすれば、焔の冷静な狙撃がついてくる。
そして、静矢が紫鳳翔を連続で撃ち放つ。衝撃波は漉と、その先にいる恵の二点を確実につないで放たれていた。
「‥‥するな‥‥」
漉は誰よりも静矢のことを、厳しい目つきで睨めつける。ファーフナーはその様子から、彼の限界を見て取った。
(汎ほどの耐久力はないのか‥‥このまま抑えられるか?)
静矢に顔を向けたままの漉へ、振るった鞭が右足へと深く絡みつき、その動きを縛った。
漉は歯を食いしばり、一歩踏み出した。鞭が食い込んで血が流れる。
「あの人の‥‥邪魔をするな‥‥!」
はっきりと、絞り出すようにそう言った。
鞭を振り払った漉は大剣を振りかぶり静矢へ斬りかかった。左胸に縦一筋の傷が刻まれる。
焔の狙撃が、漉の左ふくらはぎを撃ち抜いた。姿勢を保てなくなった漉は地面に潰れるように倒れた。
(彼らも、恵にただ利用されているわけではないのか‥‥?)
ファーフナーは疑問を持ったが、今それを問うても無駄だろう。
漉の背中にのしかかり、確実に意識を奪うための一撃を放った。
斬撃を浴びた静矢は押された様に左足を一歩引いた。脇が開き、胸ががら空きになる。
旋はその瞬間を絶好機と見定めて、雷を纏わせた鞭先を静矢の心臓に突き込んだ。
「大技を連発している厄介な男が隙を見せればそこを潰す‥‥」
しかし鞭は静矢の体を貫くことはなかった。雷はどこにも伝わらずに霧散する。
「そうだな私でもそうするさ」
危機の裏には好機。静矢は己の身で好機を作ったのだ。
刀夜が真っ先に切り込み、旋の隙をさらに広げようとトリッキーな動きで仕掛ける。
(今度こそ‥‥)
ユウは次の一撃で相手を止めるべく、上空から急降下した。旋は逃れようと体を捻るが、こちらの動きが一手速い。
当たる、と確信を抱き掛けたその時、再び銃弾が飛来した。構えた銃身の先を狙うような精密射撃にほんの一瞬、タイミングをずらされる。間に旋は身のこなしを完成させて、ユウの破壊的な一撃から逃れた。
だが、連撃はそれで終わらない。旋の表情がつと歪む。
そこには雫がいた。言葉は発さず、極力音も立てずに、静かに剣を振り抜いていた。横腹を斬り裂かれた旋は素早く後方へ跳んで距離をとる。
(あれだけ攻撃を重ねても必殺とはいきませんか‥‥)
ユウは再び高度をとりながら、歩道沿いに並ぶ建物をみた。きっとあのどれかに狙撃者がいるはずだが──。
「どうですか?」
「この建物にはいません」
悠人の問いに文歌は首を振った。生命探知はまた空振りだ。
悠人も目視で狙撃地点を探すが、限られた相手の攻撃機会でそれを見つけだすのは至難の業だった。
焦りを感じたその時、二人の先にある建物の窓ガラスが音を立てて割れた。
「‥‥新手か!?」
「いえ、今のは多分‥‥牙撃先輩です」
屋根に伏せて敵を探している鉄鳴からも、狙撃者の位置は発見できていない。
ただ、地上から探す二人よりはもう少し俯瞰的に、敵味方の動きも見えていた。
続けて別の建物の窓ガラスが割れた。
「あそこにはいない、ということかな」
「もう少し奥へ行ってみましょう」
生命探知を発動する。
「‥‥反応あります! 二階です!」
「‥‥文歌さんは入り口を」
悠人はライフルをしまい込むと、かがんだ足に力を込め、一気に飛び上がった。
*
明かりの無い室内に入ると視界が一瞬翳る。だが気配は感じられた。
「抵抗しないでください」
気配に向かって声を掛けるうち、暗さに慣れた瞳が相手を映した。
見た目に幼さを残す女性が、薄笑いを浮かべてこちらに銃口を向けている。
銃弾は間をおかず発射された。悠人の頬をかすめたそれが窓枠を弾く。
二発目を撃たせる前に、悠人は飛び込んだ。顕現した鎌の柄を相手に押しつけ、壁際に追い込む。少女はライフルの柄で悠人を殴りつけようと腕を振り回した。
「抵抗するなら、容赦しませんよ!」
「ふ、ひ‥‥ひひひ!」
少女は奇妙な笑い声をあげた。悠人から逃れようと狭い室内を動く。悠人は鎌を振り、少女を追いつめる。少女はその背に、翼を顕した。
「ふふ‥‥ふ!」
(逃げる気かっ──)
だが次の瞬間、少女の左胸に赤い華が咲いた。翼をはためかせることなく、少女はその場に膝を突く。
「‥‥炙り出すまでもなかったか」
鉄鳴の狙撃であった。
悠人は少女に駆け寄った。血塗れの少女に意識はないが、呼吸があることを確認して小さく息をついた。
*
(狙撃が止みましたね)
これでユウは、眼下の敵にのみ集中すれば良くなった。
だが、旋が厄介な敵であることには変わりない。現に萬打羅は一発も命中していないのだ。
(‥‥そろそろ、けりをつけなくては)
もし彼女の切り札が、残らず命中したならば──相手の命はないだろう。
だが迷いはしない。その為の覚悟だ。
雫が無音のまま、旋に仕掛けた。だが相手は閉じたままの目で軌道から逃れる。
「実は見えてるんじゃないの、やっぱり」
刀夜のフェイントにもしっかりついてくる──だが、二方向から同時に攻められれば、逃げる方向は自ずと限られる。
その道を塞ぐようにして、ユウは急降下した。
その手の拳銃が闇に染まり、漆黒の剣へと姿を変える。黒衣黒翼、黒剣の悪魔が男の頭上に影を作った。
「‥‥眠りなさい」
振り下ろされた剣を、旋は躱した。だが漆黒の刻はそれで終わらない。
目にも留まらぬ早さで切っ先が返される──躱す。さらに閃く──首筋に赤い線が走る。
それが、悪魔の剣速が男の身のこなしを上回った瞬間。
再び振り下ろされた剣が、男の右肩を捉えた。そのまま鎖骨を砕き、血しぶきをあげながら右半身をずたずたに斬り裂いた。
「‥‥大丈夫、まだ生きてるよ。死にかけだけど」
倒れ伏した旋の様子を確認した刀夜が告げた。
●
恵の剣閃が鋭く玲治を切りつける。光を纏った一撃は玲治が盾を犠牲にして放ったアウルの押し破り、彼の体へしっかりと届いた。
「ちっ‥‥大した威力だな」
玲治は余裕のある笑みはそのままに言った。
「だが、状況はそっちの不利だ。そろそろ観念した方がいいんじゃないか?」
「その通りだ」
反対側から同意したのは静矢。
「貴様の主張は聞いている‥‥確かにこの先も、まだ戦いは続くだろう」
刀の切っ先を恵に定めたまま、静矢は言う。
「だからといって‥‥目の前に見え手が届きつつある平穏を、貴様一人の想いのために壊して良い道理は無い」
「道理など知ったことか」
恵は平然とそう言い放った。
「ひとの未来はひとが作る。この世界に神はいない‥‥ならば俺たちは、足掻かなければならない」
「確かにそうだ。‥‥だからこそ」
静矢の怒りは、恵の傲慢さにこそぶつけられている。
「それぞれが歩む‥‥歩もうとする道を、貴様一人が全て決めるという必然もない!」
言葉尻を気合いに変えて、静矢が仕掛けた。ひと息で距離を詰め繰り出される魔法刃を、恵はかろうじて受け流す。
すかさず横合いからルビィが吶喊した。今がその機と見定めて、大剣にありったけのアウルを込めた突きを繰り出す。光闇のオーラを浴びて、さしもの恵も表情を歪めた。
「さぁ、そろそろお縄についてもらうぜ」
恵は反撃せず、囲まれることを避けて撃退士たちから距離を離した。
(何か仕掛けてくる‥‥?)
進行方向にいた菫は咄嗟にその動きを止めようとしたが、恵は巧みな動きで彼女を躱した。
「今なら狙えるよ」
「ああ、動きを止めるぜ!」
全身をさらした恵に、焔とミハイルが相次いで弾丸を撃ち込む。背中、そして右太股に着弾したが、恵は微動だにしなかった。
「安心しろ、今日は逃げる気はない‥‥死ぬまで付き合ってもらおう」
沸き上がるアウルによって体を発光させた恵は笑みを取り戻している。
「『死活』か‥‥」
「ああ──阿修羅っつったら、やっぱりソレが来るよな!」
ルビィの頬を汗が伝った。
*
恵が連れていた三人を無力化した後、何人かはそのまま周囲の捜索に移っていた。
「生命探知は、これで最後です」
文歌はそう言った後で、成果はないとばかりに首を振った。
「少なくとも、もう一人の恵がいるはず‥‥」
と悠人。地図を頼りに横浜ゲートへの道を探るが、元住宅地ということもあって側道も多く、身を隠す場所にも事欠かない。見つけだすのは一苦労だと思われた。
雫は再びヒリュウを空に放っていた。
情報通りの放棄区画らしく、人影は全くない。動物の姿もそれほど無いから、動くもの=怪しいもの、であるとはいえる。
(探しやすいといえば、そうかも知れませんね)
ヒリュウと視界を共有して少し。道の影に、何かが光を反射した。
「何がっ──」
次の瞬間、灼けるような痛みが走って視界が暗転した。共有が切れたのではなく、ヒリュウが何者かに攻撃を受けたのだ。
高度を下げさせ、建物を回り込む形で光を弾いた場所へ。
「いました‥‥」
後方で、いままさに仲間が抑えているものとは別の‥‥もう一人の恵ヴィヴァルディが、ヒリュウの瞳を通して雫を見据えていた。
*
死活を発動した恵の、踏み込んだ斬撃が菫を捉える。受けるために彼女が掲げた旗を折らんとするほど、力の籠もった一撃。
(重い‥‥鋭さが増した!)
それは、防御を捨てた故であろうか。
「こっちのことはもうお構いなしだな」
狙撃位置からミハイルが焔に声を掛ける。先ほどから恵は、銃弾をいくら受けてもこちらに目を向けようともしない。生命を捨てても惜しくない──そんな、捨て鉢ともいえる思考が透けて見えた。
「自分を犠牲にしてでも──ということか? ヤツは捨て駒になったのか?」
「わからないね‥‥」
焔はライフルのスコープから目を離した。瞳にハイライトが戻る。
「でも、死なせないよ」
ミハイルにそう告げると、距離を詰め始める。
恵は躍動する。死を覚悟した男は舞うように刀を振るうが、その体がボロボロなのは傍目にも明らかだった。
「アンタが見据えているもの──それはきっと俺たちと同じく、人類の未来だ」
切っ先に自身も斬り裂かれながら、ルビィは恵の眼を見て言った。
「手段は違ったけどな。協調路線は多くの犠牲を経てやっと実現したんだ。振り出しに戻させはしないぜ‥‥!」
ルビィ自身、油断すれば意識がぼやけかねないが、ここが勘所だ。己を奮い立たせて『その時』を待つ。
恵の最後の攻撃、それは玲治に向けられた。アウルの防壁を破って届いた刃が左肩に食い込む。
「俺を道連れにしようって言うのなら──お断りだ」
食い込んだ刃はそれ以上、先へ進まなかった。
恵は玲治を見て、一度ニヤリと笑った。刀の柄から手を離し、魔具が形を失った。
「今だ──!」
ルビィが動いた。倒れようとする恵に接近し、首筋を叩いた。
止めの一撃、ではない。それを回避するための、だ。
恵の瞳が動いて、ルビィを見た。
「‥‥何をする」
それを最後に、意識を失った恵はその場に崩れ落ちた。
「死なせずに済んだみたいだね」
焔が恵の腕をとって言った。大仕事を終えたルビィは、「ああ」と満足げに頷いた。
「アンタみたいな人材は、今後──天魔人との、よりタフな交渉が行われる中で、きっと必要になってくる。その為にも、生かして連れ帰らなきゃならねェんだ」
「身体検査をさせてもらうぞ」
ファーフナーが恵の体にとりついた。他の仲間との連絡手段など、何か情報を持っているかも知れない。
菫は周りを見た。
「ああ、頼む。もう一人の恵も、捕らえなければ‥‥動けるものはそちらへ向かおう」
菫は意識のない恵へもう一度視線を送った。
「違う焔だったかもしれないが、願いは同じだ」
相反する、確かな、同じ未来を見据えた意思。
「また違う方法を探すんだな‥‥何度だって、邪魔をするがいい」
それがぶつかるものならば、その度に止めて見せよう。
菫は旗を掲げ、次の戦場へと向かっていった。
*
「皆さん、こっちです」
雫の連絡を受けた仲間たちが追いついてくる。まずは悠人と文歌。
「恵は?」
「逃走を計っています‥‥そこを右に」
先行させているヒリュウに時折攻撃を仕掛けながらも、横浜ゲート方面へ逃げているようだ。
「見えました‥‥本当に恵さんです!」
遠ざかっていくコートの裾、それを着込んでいる男の姿。確かに、先ほどまで戦っていた恵ヴィヴァルディと瓜二つであった。
第二の恵は向かってこようとはせず、そのまま逃走を続ける。だが別の道から飛び出してきた影が恵に飛びかかった。
「見つけたよ、メグミン」
刀夜であった。問答無用の斬撃で進行方向を塞ぎ込み、足を止めさせる。
「身のこなしで分かるよ。きみはあの時のメグミンだね」
だったら言わせてもらうけど、と刀夜は刀を突きつける。
「僕の考えは変わらないよ──争いはなくならない。人類が滅んでも、ね」
恵は刀を顕し、こちらに向き直った。
「滅べば終わりさ。‥‥俺にとってはな」
「恵さん」
文歌が問いかけた。
「貴方は、アウルを持たない純粋な人という種の存在が危うくなることを危惧しているのですか?」
恵は答えず、攻撃に転じた。刀夜は振り下ろされた刀の軌道を捉えて逸らす。だがそれはフェイントだったようで、次の動きに転じるより速く、今度は彗星群が頭上から落ちてきた。刀夜は岩石の雨に体をえぐられる。
「いけません‥‥!」
雫が回復のために近づく。悠人はその動きの後ろでライフルを構えた。
(あなたにとって、俺の考えは取るに足らない綺麗事なのかもしれない)
でも。
「例え綺麗事と言われても、夢は綺麗な物の方が良いじゃないですか」
体に流れる血が沸き立つ。ありったけの力を込めて放たれた弾丸は、吸い込まれるように恵の胸へ届き、弾けた。
恵は大きく一歩後方に下がったが、それで倒れることはなかった。
「他人の夢をとやかく言うつもりはない。勝手にしろ」
至極尊大にそう言い放つ。
「だが俺たちが天魔と並び立つうえで不可欠なアウルは、未だ不明確な力だ。何も明かされていない」
己の血が滲む胸元へ手を当てた。
「早過ぎるのさ」
「それが戦争継続を望む理由か?」
ミハイルたちが追いついた。焔はそのまま前衛に立つ。
「アウルの研究は戦争後だって出来るだろう。戦争を続けて一番疲弊するのは人間じゃないのか?」
ミハイルは距離を保ったまま、恵に言った。
「自分に大義があるというのなら、なぜ学園に意見を出さなかったんだ?」
「意味のない行動は嫌いでね」
「でも、独りで道は創れないよ」
そう言ったのは焔である。
「俺は天使も悪魔も人も‥‥皆ヒトだと思っているよ。だって違う種同士に子は産まれないからね」
だからこそ、争いは起き続ける。その中でヒトは生きていかねばならない。焔は恵の真正面に立ち、はっきりと告げた。
「きみの考えも未来に必要なひとつだ」
だから連れて帰る、と。
「もう逃げ道はありません」
上空からユウが告げた。「まだ抵抗するのですか?」
「当然だ。俺は諦めるつもりはない」
「その考え方は嫌いじゃないね」
意識を回復した刀夜が刀を構えなおした。
「じゃあ、今度はこっちの番だよ!」
●
静矢は先へと捜索の足を伸ばしていた。
(二人居る‥‥ということは三人居てもおかしくない、ということだ)
『一人目』は明らかに足止めだった。その割には二人目が近くに潜んでいたことも気になる。
三人目‥‥それが本命なのだろうか。聳える結界を向こうに見ながら、静矢は足を早めた。
*
鉄鳴もまた、単独行動で捜索を続けていた。上空から索敵を行い、広範囲に鋭い視線をとばす。
微かに引っかかるような違和感を捉えて、鉄鳴はそこへ飛んだ。
果たして、そこには恵が潜んでいた。鉄鳴が一つ威嚇射撃を行うと、あっさりと両手を挙げて無抵抗の意思を示した。
「お前は俺を知っている恵か?」
「さてな‥‥知っているとも言えるし、知らぬとも言える」
鉄鳴が問うと、恵ははぐらかすような答えを返した。
「お前は‥‥お前たちは、戦争を引き延ばして何を望む?」
銃口を突きつけたまま改めて問いながら、鉄鳴は己の考えを述べる。
「それは‥‥『真の人類の勝利』ということか」
同盟によって得た不安定な一時の勝利ではなく──揺るぎない勝利。その形を恵は模索し続けていたのではないか。
その一端がアウルや天魔ハーフの研究だったのではないか。
恵は静かに、深く笑った。
「ベリンガムは確実に斃しておけ。あいつの思い通りにさせてしまったら元も子もない」
「さて──依頼はあるか?」
その問いは彼が恵と個人的に言葉を交わす度、繰り返されていた。
「俺もこの戦争を終わらせるのは不本意だ。俺の命の糧は戦場にこそあるからな」
「ひとつある」
恵は鉄鳴に近づいた。手の中の紙幣を一枚握らせると、依頼内容を告げた。
「‥‥いいのか?」
「憂鬱だがな」
眉尻を下げた恵の表情は、初めて見たかもしれない。
「案ずることはない。戦いはこの先も続く──お前の腹を膨らませてくれる程度にはな」
●
「身体検査の成果はあったか?」
「端末を見つけたが、ロックがかかっていて中はみれなかった」
戻ってきた菫に、ファーフナーが答えた。持って帰れば手がかりになるかも知れないが、この場ではどうしようもない。
「よいしょっと」
拘束具をつけられ意識のない恵の隣に、刀夜がもう一人の恵を横たえた。第二の恵だ。やはり意識はない。
「‥‥本当に瓜二つだな」
「きっとメグミンは水に漬けると増えるんだよ」
二人を見比べたミハイルが感心したように言うと、刀夜は肩をすくめた。
「一人いたら百人いると思え、ってね」
「百人はともかく、もう一人はいるかも知れないって話だったな‥‥」
玲治に答えるように遠くから声がした。
「三人目ならここだ」
鉄鳴と静矢であった。鉄鳴が肩越しに抱えていた人間を地面に下ろす。
「三人目、だね」
「二人だけでやったのか?」
静矢は首を振った。
「いや‥‥私が駆けつけたときには、もう勝負はついていたよ」
「この恵は、全く強くなかった。戦闘要員ではなかったと、自分で言っていたしな」
「それが‥‥三人目の恵?」
ファーフナーは近づいて男の顔を覗く。恰好も含めて、それは確かに恵のものだった。上着から漂う、微かなコーヒーの薫りも。
(たしかに、あの部屋で嗅いだもの‥‥だ)
「恵は‥‥人類が一枚岩でいるためには共通の敵が必要だ、と考えていたのだろうか」
腰を上げながら、ファーフナーは呟くように言った。
「実際、戦いによって撃退士はどんどん強くなった。戦争を続けることで、撃退士を更に進化させよう‥‥と?」
「究極的には、人間を全て覚醒させようとしていたのかも知れないな」
答えたのはミハイルだ。
「そうなれば、人間が天魔の糧にされることはない‥‥戦争に巻き込まれる原因もなくなるってもんだ」
「それが真意だったなら、やはり私は奴の前に立ち塞がっただろうな」
隣に並んだ菫がそう言った。
「へえ‥‥何故だ?」
「己を磨くのに、他者を利用しなければならない筈がないからだ」
確信を持って、きっぱりと言い切る。
「人は弱い‥‥だからこそ幸せのために足掻く力を、皆、胸に秘めているんだ」
「本当のところは、今は分からないけど‥‥いつか、聞き出せる機会もあると思うよ」
焔が言うと、ユウが頷いた。
「ええ、そのためには‥‥皆生きて戻らないといけませんね」
人類の──三界の命運を決める戦い。今はまだ、その道半ば。
神界で紡がれる未来は、果たしてどんなものになるのだろう。
あるいはそれは、恵の想像をも凌駕する姿となって、撃退士の前に現れるのかも知れない。
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「なるほどね‥‥それで、君はいったい、後何人存在するんだい?」
「同じ人間を作るというのは、飴を切るように簡単にはいかないものだ。俺は正真正銘、最後の一人さ」
例えがピンとこなかったらしく、青年は首を傾げた。
「さあ、苦労してきたんだ。話を聞かせてもらおう。
神罰の担い手よ、‥‥お前の意思はどこにある?」
恵ヴィヴァルディはあくまでも不敵な笑みを崩さず、そう問うのだった。