警戒はしてください、と念を押されて入室したものの、病室の汎はベッドの上で半身を起こしたまま、入ってきたものたちを一瞥しただけだった。
戦場で漲らせていた殺気は感じられない。右半分が包帯で隠された顔は、頬がそげ落ち、瞳も落ち窪んでいた。
「先日の戦いを、覚えているか?」
ファーフナー(
jb7826)が問うと、汎は傍らのメモ帳を取り上げた。そこには「YES」と「NO」がすでに記入されてあり、汎の指が「YES」を指し示していた。
「怪我の具合は、どうだ?」
大炊御門 菫(
ja0436)が尋ねた。すると汎は頁を一枚めくり、ゆっくりと書き付ける。
『気にするな』
「‥‥‥‥殴った私が言うことではなかったかも知れないが」
顔の包帯を見ながら、菫は小さく肩をすくめた。
(だが、あれは戦いだった)
そして、ここは戦場ではない。彼を気遣ってはいけない理由もないのだ。
「汎さんは天魔ハーフだと、お聞きしました」
浪風 悠人(
ja3452)が口を開いた。汎は小さく頷いた。
「俺も‥‥覚醒こそしていませんが、混血です。あなたと俺は仲間です」
汎はただ悠人のことを見ている。悠人は続けた。
「廃工場で、恵ヴィヴァルディ(jz0015)が人体実験をしていた痕跡を見ました。あなたは、その被検体だったのではありませんか?」
汎の答えは──『YES』。
「天魔ハーフとして覚醒するための実験だったのですか? 汎さんはその実験によってアウルに覚醒した‥‥?」
元々アウルの素養がないものが、強制的にアウルに覚醒する方法はない‥‥そのはずだ。だからこそアウル覚醒者は希少であり、年若いものたちでも戦場へ駆り出される理由のひとつにもなっている。
汎は大きく首を振った。
『俺はたまたま覚醒したにすぎない』
そして続けた。『彼の実験は多くが目的の成果を残せなかった』
「覚えていること、教えてください」
水無瀬 文歌(
jb7507)が言った。
「恵さんが何をしていたのか‥‥できるだけのことを」
「ゆっくりで構わない」
菫が付け加える。、汎はペンを繰り始めた。
●
「──よッ! 待ってたぜ。時間はあるかい?」
「おかげさまで」
小田切ルビィ(
ja0841)は学園で源田と顔を合わせていた。
「まずはコイツをプレゼントだ」
「‥‥学園新聞?」
手渡されたものを源田は一瞥する。
「俺は新聞部所属なんだ。よかったら後で読んでみてくれ、この学園の生の声が載ってると自負してるぜ。
さて、アンタは何が知りたい? ジャーナリスト魂にかけて案内するぜ」
ルビィは己の伝手を駆使して様々な生徒の声を源田に紹介した。
その中にはもちろん、天魔との共闘を心から認めていないもの、そして彼女と同じように、天魔は皆殺しにするべきと苛烈な意思をもっているものもいた。
「俺は、この世から争いがなくなることは永遠にない、と思ってる」
ルビィも源田に己の考えを語る。
「天魔人が一時的に和平を結んだとしても、小競り合いは続くだろうし、再び大戦が勃発する可能性は高い」
源田は何も言わない。
「所詮『平和』なんざ、争いと争いの隙間にある儚く脆いものだ‥‥それでもよ? ほんの束の間だとしても‥‥その為に天魔人が共存を模索する意味はある。
──その先に、より良き明日が在ると俺は信じてるぜ」
この戦いが終わって生きていたら、本格的にジャーナリストとしての道を進む──ルビィは夢を語った。
「眩しいわね」
「‥‥あン? 日差しがきついのか」
「あなたのことよ」
予想外のことを言われて、ルビィはきょとんとした。
「私たち‥‥『力無きものの声』は、そういう眩しい希望を持てなくなった人間の集まりよ。理由は様々、でも皆後ろ向きなのは同じ。だから、恵みたいな男に利用されたのね」
「それだ。恵はアンタたちに、何をさせようとしているんだ?」
ルビィは気を取り直す。
「彼は『状況』を変えようとしているのよ」
「‥‥」
「はじめは世論を操ろうとしたみたいだけど、私たちにそこまでの力はないと判断したのね。それで横浜へ送り込まれようとした」
「アクラシエルを動かす、その為の‥‥生贄ってワケじゃないよな?」
「さあね」
それで目的が果たせるなら、何でも良かったんじゃない──と源田は笑った。
「ひとつ言えるのは‥‥彼は私たちの思想には全く賛同していなかった、ってことよ」
●
『恵は様々な実験を行っていた。俺は積極的に協力していた』
「具体的には?」
『定期的なアウル能力の計測。血液や遺伝子情報の提供‥‥等』
「遺伝子‥‥」
文歌の脳裏に恵の姿が思い浮かぶ。だが、汎の顔立ちも背丈も、恵のそれとは全く異なる。
(少なくとも、汎さんが恵さんのクローン‥‥ということはなさそうですけど)
「恵が何を目的に、そうした実験を行っていたのかはわかるか?」
汎は『NO』を示した。ただ、すぐに頁をめくる。
『恵は撃退士の戦力を増強しようとしていた‥‥と思う』
「その根拠はなんでしょう? ハーフ以外に、何か作っていたということはありませんか?」
悠人の問いに一度頷く。
『実験場には、非覚醒者の姿も大勢あった』
『恵の目的のひとつは、彼らにアウルの力を付与することだった‥‥だが、それはことごとく失敗した』
覚醒者の数が増えれば、撃退士の戦力は単純に増えることになる。だがそこから先の思考は、汎には分からないということだった。
「恵には協力者がいたか?」
ファーフナーが続けて問う。汎は書き付けようとして、ペンを床に落とした。文歌がかがんで拾い上げ、手渡す。
『施設の職員はいたが、彼らは雇われただけだろう』
「疲れてきたか?」
質問に割り込むようにして、菫がそう聞いた。
「彼は療養中だ。この辺にしておいた方がいいだろう」
いつしか汎はベッドの背に寄りかかるようにして、疲労が溜まっているようにも見えた。
「そうか──そうだな、すまなかった」
ファーフナーが謝罪すると、汎はメモ帳をめくって見せた。『気にするな』
「最後に聞きたい。汎‥‥お前は何を望んでいる?」
汎はゆっくりと書き付け、見せた。
『勝利を』
(勝利‥‥)
果たして、それが恵も望んでいることなのだろうか。
「邪魔をした。ゆっくり休んでくれ」
菫が声を掛け、病室を後にした。
●
「さあ、ここからは私が案内しますよ、源田さん」
四人とルビィたちが合流した。文歌は明るい笑顔で源田に呼びかける。
「実際に戦っている人たちのこと、見て欲しいんです」
学園の、校舎が建ち並ぶ一角を歩く。学生たちが無軌道に過ぎゆくその光景は、どこにでもある学園風景と一見違いはない──種族の雑多さを除けば。
「ここでは天魔も人間も、同じ学園のルールに従って生活しています」
文歌は胸を張って説明した。
「ルールを破れば『生活指導』が入り、罰せられます。そこに種族の差はありません」
先の戦いの中でも彼女は訴えていた。それは人と天魔が同じ世界で暮らすために、ルール作りが必要だということ。
この学園はそのテストケースでもあるのだ。
「ここは?」
「この辺りは、初等部の教室が多いんです」
だから活気があるんですよ、と文歌。
「あの子たちも、戦いになれば前線へ立つことがあります」
無邪気な歓声が響く中で、告げる。
子供であろうと戦力になるなら、戦わせるのが戦場の現実。天魔との戦いにおいては、それだけ人類の戦力は逼迫しているのだ。
「もし、この先また全面戦争になれば、戦うのはこの学園のみんなです。犠牲もきっとでます‥‥この事だけは、覚えておいてくださいね」
*
「学園案内は終わったか」
騒がしい一角を抜けた辺りで、一人の男が待っていた──牙撃鉄鳴(
jb5667)。
「悪いが、二人だけで話がしたい。‥‥借りていくぞ」
「どうだ、この学園は」二人きりになると、鉄鳴が言った。「実にくだらない場所だろう?」
「くだらない?」
「ああ、そうだ──ここの連中は残されたものの痛みを全く理解していない」
鉄鳴は笑みを浮かべていた。彼には珍しいほどの、はっきりとした表情。
「あいつらは綺麗事を平気で宣う。力があるものの立場から、力の無いお前たちにも恨みの克服を強要する」
源田は答えず、次の言葉を待っている。鉄鳴は顔を近づけた。
「お前の恨みは‥‥俺が代わりに晴らしてやろう」
『何でも屋』を自負する鉄鳴は、力を私欲のために使うことを躊躇わない。
「もちろん相応の金は貰うが‥‥ギブ&テイクだ、悪い話ではあるまい」
源田は一歩退がった。
「私は、彼らに共感はしない」
窓から差し込む日差しが逆光となり、影のようになった鉄鳴を見据えている。
「‥‥でも、今日ここにきたのは、何かを否定する為じゃないのよ」
「仕事はどうする」
「それも、悪いけれど」言うほど申し訳なさそうにはしていない。「前に、別の誰かにも言ったわ。『誰かに頼って生きていくのはごめんよ』」
「ふん」
鉄鳴はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「それが答えか」
「でも、彼は‥‥恵は違うかも知れないわね」
鉄鳴は表情を消し、もう一度源田を見た。
「俺は恵ヴィヴァルディに協力し、戦争を続行することを望んでいる。だが──奴が何を隠しているのか知らなくては、こちらも警戒せざるを得ない」
情報が欲しい、と鉄鳴は言った。
「例えば、俺の考えが正しいなら──恵は二人、ないしそれ以上存在しているはずだ」
すると、源田は目を見開き、驚いた様子で「へえ」と言った。
「知らないのか」
「変装の類、ってこと? あなたたちが気づけないものに、私が気づけるはずがないわ」
恵とは何度か会ったが、彼女の前では常に一人だった、と源田は言った。
「ならば‥‥『ステルツォ』の本拠地はどこか、知っているか」
「それなら」
源田は頷いた。
「でも‥‥あなた一人に教えるのでは不公平ね?」
●
再び合流した一行は、ファーフナーの案内で学園の外を歩いていた。
「ここは‥‥」
そう声を上げたのはルビィ。文歌も目を見開いている。
そこは梅林であった。三月、多くの学生たちと花見に興じた場所だ。
「あの日‥‥満開の梅の花を皆と見た」
今は花は無く、新緑が一面を覆っている。
「学生といっても、考えていることは皆違う。だがあの日、この場所に集まったものは‥‥皆、梅の花を見て美しいと感じていた」
全てを同じにできなくとも。心から理解し合えなかったとしても。
同じものを見て、同じ感情を抱けるのなら。
「俺は半悪魔だ。人目を怖れ、自身を偽り、人を憎んできた。だが、今は‥‥」
傷ついていた彼の心は、学園に来て癒された。傷痕は今も残るが、そこに生まれたものがある。
ファーフナーは思い返すように頭上を見上げ、それから源田を見た。
「落としどころを見つけられないか」
マイノリティでも居場所を見つけられる道を模索したい。ここに集まった全員が、全てではないにしろ希望を叶えられる道筋が、きっとどこかに在るはずなのだ。
「源田さん」
悠人が呼んだ。「失礼します」と上着を脱ぎ始める。
「見てください」
生身の彼の体には、無数の傷痕が刻まれている。
「これまでの戦い‥‥俺は何度も死にかけました。撃退士は『無敵の超人』なんかじゃありません。人間の為に、命を懸けてここまで戦ってきたんだってことを、知って欲しい」
服を着直し、悠人は一歩前にでた。
「恵のように、人類側から敵に回るものもいます。複雑で危険な状況はまだ続いている‥‥俺はまず、同じ人類同士手を取り合いたいと、そう思っています」
頭を下げる。彼の前に立つ源田はしばらく無言でいたが、やがて口を開いた。
「恵は敵‥‥ね。誰にとっての敵なのかしら?」
そう言うと、くるりと踵を返した。
「行きましょう」
「源田さん!」
食い下がろうとした悠人の肩を、ファーフナーが抑えた。
「多分‥‥これでいいんだ」
●
学園へ戻る道を、源田は先頭になって歩いた。その隣に、菫が並んだ。
「誓ったんだ──果てぬと」
おもむろに口を開く。
「諦めず、進むことこそ、世界を変える力になると。誰も彼も許せるように進むのだと」
その手に旗を顕す。それは彼女の信念を映し、煌めく焔となってはためいた。
「この光が標、誰かの新しい道を照らすと‥‥信じているんだ」
「あなた、恵に少し似てるわ。目的に迷わないところとか」
源田は菫を見て、微かに笑った。
「『同じ様な考え方をしても、同じ道を進むとは限らない』‥‥きっと、あなたのことを言ったのね」
「恵さんは、目的に関してどんなことを言っていましたか?」
後方から文歌が聞いた。
「いろいろ言ってたわ。でも言い方が分かりにくいのよね、彼」
歩きながら、源田は肩をすくめた。
「ただ‥‥このまま戦争が終われば、それは人類にとって敗北だ、と」
「人類に、とって?」
おかしな話だ。
これまでの戦いの成果として、人類は三界同盟を勝ち取った。後は天王ベリンガムに勝利すれば、人類は天魔から搾取される運命から脱却できる。
恵がその程度のことを認識していないとは思えない。
「戦いが終わった後のこと‥‥を考えているのだろうか」
とファーフナー。
「天魔という敵がいなくなれば、撃退士が迫害される立場になる可能性がある。恵はそれを怖れているのかも知れない」
彼もまた、ファーフナーと同じ様な傷痕を持っているのかも知れない。だとしたら。
「恵は‥‥人間を憎んでいるのか?」
源田は足を止め、振り返った。ファーフナーを見つめ、深く笑みを浮かべた。
「逆よ」
「逆?」
問い返しには答えず、源田は正面を向き直し、告げた。「着いたわ」
「ここは‥‥?」
「いつの間にか、学園に入ってたんだな。つっても、この辺は使われていない区画じゃなかったか?」
ルビィたちが周囲を見回す。部室棟の区画をさらに過ぎた、無人のエリア。
「『ステルツォ』の本拠地。あの部屋よ」
「なッ──」
全員顔を見合わせた。
「行かないの?」
挑発するような源田の声。
「行こう」
菫が答えた。
「恵は複数人いる可能性がある。用心しよう」
そっとドアの周りに全員張り付き、突入の準備を整える。
「行きます!」
悠人がドアを蹴破った。だが──。
「誰もいない‥‥」
「それどころか、何もないな」
もぬけの殻だった。室内には紙切れの一枚さえ落ちていない。
ただ、漂うコーヒーの薫りだけが、そこに直前まで『何か』がいたことを示すばかりだった。
*
「この場所が割れた場合、本拠をどこに移すか聞いているか」
「いいえ」
鉄鳴の問いに、源田は両手を広げた。
「でも、予想はできるんじゃない? そうね‥‥ジャーナリストの卵さん」
「俺か?」
「あなたなら分かると思うわ」
指名されたのはルビィだった。彼は腕組みをして考える。
恵は『状況』を変えようとしている。彼が動かそうとしているものは──。
「あっ」
●
それから数日、恵ヴィヴァルディの消息は不明となった。
彼は──最悪のタイミングで、再び姿を見せることになる。