「恋音、ここですよー!」
「おぉ‥‥袋井先輩、その格好はぁ‥‥」
待ち合わせていた袋井 雅人(
jb1469)を見つけた月乃宮 恋音(
jb1221)は、彼の出で立ちに思わず節目がちな目を見開いた。
「お花見ですから、たまには和装でまとめてみましたよ」
「えぇ‥‥そのぉ‥‥とてもよく似合っておりますねぇ‥‥」
「今日はのんびり楽しむとしましょう。それでは、行きましょうか」
照れつつ褒める恋音の様子に微笑みを浮かべつつ、雅人は彼女をエスコートするのだった。
その先は、甘い香りの漂う梅の園である。
●
「‥‥もうすぐ冬が明けるんですね」
雫(
ja1894)は紅白の世界が風に揺れる様を眺めて歩きながら、ぽつりと言った。
ふと視点を変えれば、春は着実にそこまで来ていた。
「とりあえず、学生の方たちが出店を出しているということですし」
圧倒されるほどの梅の花にも漸く目が慣れてきた。
「食べ物を調達してきましょうか」
中等部二年、食べ盛りに育ち盛りである。
「どんな出店がでているのでしょうか?」
「いらっしゃいませ」
屋台の奥で、歌音 テンペスト(
jb5186)が無表情に挨拶した。
「テン子(愛情)です」
ここはパッピーストア久遠ヶ原支店(屋台)。ピーは放送禁止のピー。
ていうか何から何までパクリである。
「ここは何を売っているんですか?」
テン子は抑揚無く答えた。
「様々な色や形や柄のパンを売っています。大人向きの黒いパンとか定番の白いパンとか」
パンである。何も付け加える必要はない。
「お客さんなら可愛いめに苺柄‥‥ちょっと冒険して紐状の細いパンとか。生のパンとか」
「来て最初の屋台がこれとか問題ないんでしょうか‥‥」
パンだからね!
雫はげんなりしつつ、でもお腹は空いていたので白いパンを買うのだった。
次の屋台には、陽波 透次(
ja0280)の姿があった。どうやらコロッケの屋台のようだ。
「パンに挟んでコロッケパンというのもいいですね」
などと想像しつつ声をかけたが、店主の返事がない。
「あの‥‥」
「えっ‥‥と、あ、いらっしゃいあちっ!」
改めて声をかけると透次は漸くこちらに気付いた‥‥が、その拍子に器材の熱いところを触ってしまったらしい。
「大丈夫ですか?」
「ええ、指は平気です。失礼しました‥‥」
照れたようにこほこほとせき込む透次の様子を訝しみつつも、雫はコロッケを注文した。
揚げたてコロッケを包んでもらい、雫は屋台を離れていった。
「さて‥‥食べ物が両手から溢れる前に良い場所があると良いんですが‥‥」
一方透次は、雫を見送って小さくため息をついた。
(ボーッとしてちゃ駄目だな)
調理ミスとはらしくない。バットにあげた、少し焦げ色になったコロッケを見て自嘲する。
誰かを救えなかったことは初めてではない。
しかしその記憶は花びらのように散っては積もり、いつか心を埋め尽くす。
多分、それが今だったのだろう。
失敗作のコロッケをつまんで口に運ぶ。揚げすぎた衣がガリ、と固い音を立てた。
「もう春なんだね。花見の時期になるんだな‥‥」
黄昏ひりょ(
jb3452)は春苑 佳澄(jz0098)を誘って二人でここを訪れていた。
「梅のお花見は初めてだけど、すっごくきれいだね!」
「本当だね」
佳澄はひりょの隣から飛び出しては、また戻ってくる。これでもひりょより年上だ。そうそう、年齢の話と言えば‥‥。
「春苑さん、俺とうとう二十歳になったよ!」
「本当? ひりょくんおめでとう!」
二人は出店屋台を覗くことにした。
「やあ、いらっしゃい〜」
星杜 焔(
ja5378)が二人を出迎えた。隣には星杜 藤花(
ja0292)もいて、彼の作業を手伝っている。
「えへへ、今日のメニューは何かな?」
「今日はおむすびやさんだよ〜」
いつも通りの笑顔が返る。
「梅のお花見らしく梅尽くしにしてみたよ。詳しくは藤花ちゃんの書いてくれたお品書きもみてね‥‥あと今回はカレーはないのだ」
「あれ、そうなんだ」
「梅は香りを見る、と言いますからね」
と藤花。
「せっかくの良い香りと喧嘩してはもったいないですから」
「確かに、この辺一帯になんだか甘い香りがするね」
鼻からいっぱいに息を吸い込んで、ひりょは納得したように言う。桜の花見とはまた違う、梅の花見の楽しみ方である。
星杜夫婦の屋台で梅かつおのおにぎりと梅肉ソースの鶏唐揚げと、おまけに梅ヶ枝餅をゲットして、ひりょと佳澄は次の屋台を覗く。
「いらっしゃい」
「ロビンちゃん!?」
Robin redbreast(
jb2203)が屋台をやっていることに、佳澄は少々驚いた。Robinもまだ料理に関しては初心者レベルだったはずだからだ。
「おでんか‥‥。ずっと外にいるとまだ体が冷えるし、ありがたいよね」
敷居が入った四角い鍋の中から暖かな湯気が立っていた。
Robinが鍋から具を取り上げていくのを眺めつつ、佳澄はふと聞いた。
「どうして屋台を出そうって思ったの?」
「せっかくの機会だから」
お椀に具を移し、だし汁をひとかけ。食欲をそそる匂いがふわりと湧きたつ。
「料理で人に喜んでもらう‥‥それで生きていく方法もあるんだ、って」
過酷な組織の中で生きてきた彼女は、自分が生をつないでいくための手段が複数あるとは思っていなかった。
だが、久遠ヶ原での(様々な意味での)常識を超えた生活を送る中で、彼女は知ったのだ。
自分の未来にも選択肢があるということを。
「初心者お料理教室にも、ちゃんと通うことにしたんだよ」
「お料理教室‥‥って、あれか」
いきなり先生が不在になってしまったあの教室である。無事に子供も産まれたので、今はちゃんと教えてくれるはずだ。
果たしてRobinは豪快肉焼きうーまんから、繊細な技に彩られた料理の達人になれるだろうか。
「ふぇー‥‥」
佳澄は彼女の決断に、ただ感嘆の呻きを漏らすばかりであった。
隣では、天宮 佳槻(
jb1989)も屋台を出していた。
「これなあに?」
「餡子玉です‥‥知りませんか?」
その名の通り、餡を固めて球状にまとめたシンプルなお菓子である。
「歩きながらでも食べやすいように‥‥。あと、飲み物も用意してます」
焔たちと同様に、佳槻も飲み物に関しては、梅にちなんだものを用意していた。
「あっ、じゃあ‥‥!」
佳澄が佳槻に耳打ちする。紙コップを二つ受け取って、一つをひりょに渡した。
「二十歳になった記念! 梅酒のお湯割りだよ」
「‥‥ありがとう、春苑さん」
ひりょははにかみ、互いのコップを軽く打ち付けてから、自分の口へと運ぶのだった。
●
雅人と恋音の二人は、ゆったりとしたペースで梅の花園を散策していた。
「風に流れる梅の花‥‥なんとも風流ですね」
「えぇ‥‥そうですねぇ‥‥」
ふわりと風が運んできた白い花びらを受け止めた雅人は、その手を恋音に見せながらささやいた。
「ですが‥‥私の目にはこの梅の花よりも、恋音の方が綺麗に見えていますよ」
「お、おおぉ‥‥それは、そのぉ、ありがとうございますぅ‥‥」
赤面し、恋音は頬の熱を冷まそうと少しだけ小走りになる。
「先輩、あちらにも、そのぉ‥‥きれいな花が咲いていますねぇ‥‥」
「本当ですね‥‥ですがどうやら、写真を撮っている方がいるようですよ」
花の散る中、カメラを構えている人がいた。
「いえ、こちらはお気遣いなく」
相手はカメラをおろして微笑んだ。
「おぉ、これは‥‥黒井さん、でしたかぁ‥‥」
「こんにちは」
黒井 明斗(
jb0525)は、微笑みを浮かべて恋音と雅人に挨拶をした。
「今日は、梅の花の撮影ですか?」
「いえ、どちらかというと‥‥皆さんの様子を撮りにきました」
明斗は物思うように梅の木を見上げた。
「もうすぐ、区切りの戦いになるはずです。負けても勝っても、もう‥‥僕たちはその先に進まなければならなくなる」
瞳の奥に決意を滲ませたのは一瞬。
「‥‥なら、今のこの景色を心に刻んでおこう。そう思ったんです」
穏やかさを取り戻し、明斗はカメラを恋音たちに向かって構えた。
「というわけで、お二人の写真も一枚、よろしいですか?」
「恋音がとびきり綺麗に写るよう、お願いしますね!」
「え、えぇと、そのぉ‥‥」
「ふふ、お任せください。それじゃ、撮りますよ‥‥」
思い出の光景を、まずは一枚。
*
「ここがいいか」
「うん、梅の花が赤白混じってとってもきれいだねん‥‥ってことで、早く早く!」
飛鷹 蓮(
jb3429)がござを敷くのを、ユリア・スズノミヤ(
ja9826)がまちきれないとばかりに急かした。お待ちかねのお弁当タイム。
「ユリもんのおにぎり、具はなにかなー?」
木嶋 藍(
jb8679)が大きなお弁当箱をのぞき込むと、まんまるのおにぎりがめいっぱい敷き詰められていた。
「えっとねぇ、梅おかかでしょ、カリカリ梅ととろろ昆布に、梅と大葉、こっちはゆかり‥‥」
みごとに梅づくしの組み合わせとなっていた。──ただ、三人分にしてはやけに多いが。
「美味しそうなんだがこの量は‥‥」
蓮は思わず突っ込もうとして気付く。
「ああ、半分は君のか」
「えっへっへー☆」
ユリアは嬉しそうににぱっと笑った。
「んん、さすがのユリもんチョイス! どの具もおいひぃ!」
「頬袋ができてるよ、藍ちゃん」
「むむー!」
ぱんぱんになった頬をユリアにつつかれそうになって、藍はのけぞった。
「むぐむぐ‥‥あ、ちくわが」
「それは、藍ちゃん用だねん」
蓮は二人のやりとりを微笑ましく眺める。
「さて、木嶋が用意してくれたおかずも貰うとするか‥‥こっちも梅づくしだな」
大葉を巻いた鶏ささみに梅肉を合わせたものや、梅とクリームチーズのマフィン‥‥等々。ふきのとうのフリッターに梅おろしを添えた、春の気配の濃い一品もある。
「これは?」
「梅のシロップだよ」
それを聞いて、ユリアが歓声を上げる。
「わ、それサイダーで割ったら絶対美味しい!」
「もちろん用意してあるよー」
「さすが藍ちゃん!」
わいわい言いながら料理をつまむ。時折風が吹いては、梅の花の香りが運ばれてくる。
「みゅ、ほんわか梅日和だねん‥‥この香り、ポプリにできないかにゃあ」
「あとで綺麗な花びら、集めてみよっか」
「こんな風に、落ち着いて花見をしたのは久しぶりだな」
蓮は感慨深げに言う。
「‥‥まあ、何時も天真爛漫な『華』を愛でているからか」
「うみゅー☆ えへへ‥‥」
付け加えつつ、ユリアの銀色の髪を梳いた。
「さらりとした惚気ぶり‥‥!」
「こらあけび。‥‥藍、ここにいたか」
不知火あけび(
jc1857)と不知火藤忠(
jc2194)の二人がやって来た。
「あけびちゃん、藤忠さん、いらっしゃい!」
藍が二人とユリアたちを引き合わせる。
「私の大事な親友のユリもんと蓮さん、ほんっとに素敵カップルでしょ!」
「こんちきちー☆」
ユリアは蓮に寄り添い、惜しみなく熱愛っぷりをアピールした。
「あけびちゃんたちは、私にとって理想の家族なんだ」
「ん‥‥俺たちが?」
「大事同士、だものね」
藍に眩しそうに言われて、あけびたちは顔を見合わせた。
「うん‥‥まあ、姫叔父は私が守ってあげないといけないしね!」
「それはこっちの台詞だ‥‥まったく」
その様子に、蓮は微笑んだ。
「‥‥美しい空気だな」
あけびと藤忠はひとしきり藍たちの料理を楽しんだあとで場を辞していった。
「木嶋‥‥少しいいか」
「ん、なあに?」
改まって蓮に話しかけられ、藍は彼の方をみた。
「君のことも下の名前で‥‥藍、と呼んでもいいだろうか」
彼にとって、大切な存在。
何か言葉を当てはめるなら──護るべき『家族』。
だから、その証として。
藍は一瞬だけ大きく目を見開いたあと、笑顔をはじけさせた。
「大歓迎だよ、嬉しい!」
「ありがとう‥‥藍」
三人で、梅の花散る空を眺める。
「大切な恋人と‥‥大切な友人と共に花を仰げたことが何よりの幸福だな」
「みゅ‥‥」
「本当だね」
日々の気持ちは移ろいやすい──けれど、変わることのない絆もまた、確かにあって。
それは、こんなにも暖かい。
(今更、か)
微笑みはどこまでも穏やかだった。
*
梅花は微かな風に合わせてさざめき、すると花の隙間から日の光がこぼれる。
美しい光景──だが、ミハイル・エッカート(
jb0544)は全くそっちを見ていなかった。
「そこの梅ども、安心しろ。あとでちゃんと見るさ」
ミハイルの視線は先ほどからずっと釘付けになっていたのだ──そうそれは。
「だって俺の目の前に美しく咲く花が! つまり沙羅だ!!」
一点の曇りもない惚気節、お見事です。
「もう、ミハイルさんったら‥‥お弁当の準備ができましたから、座ってください」
真里谷 沙羅(
jc1995)はほんの少し眉尻を下げて微笑み、恋人を誘った。
「これ全部沙羅が作ったのか‥‥」
「ミハイルさんがスープを持って来てくれると言っていたので、今日はサンドイッチにしてみました」
感動に打ち震える様を隠さないミハイルに、沙羅はまた微笑む。
サンドイッチはトマト・キュウリ・ハムのオーソドックスなものに、あっさりとしたゴボウサラダ。もっちりしたベーグルサンドには照り焼きチキンなど、食べ応えのある組み合わせになっている。
もちろんポテトサラダや唐揚げといったおかずも用意されていた。
ミハイルは恋人の手料理に心躍らせながら、自分も用意した(ただしレトルト)スープを沙羅にも手渡した。
「いただきましょう」
早速サンドイッチを手にしたミハイルは、豪快にかぶりつく。
「ん‥‥旨いな!」
「スープも、体が温まりますね」
「サンドやサラダ類とスープの絶妙な調和具合‥‥味の打ち合わせしてないのにこんなに合うなんて、まるで俺たちのようじゃないか」
大まじめなミハイルである。
「あの‥‥もう少し近くにいってもいいでしょうか」
少し寒くなってきたので、と沙羅。ミハイルはもちろん、と頷いた。
「俺の体温は高めだ‥‥丁度いい暖かさを約束しよう」
肩を優しく抱き寄せると、彼女が掛けていたブランケットを広げなおして二人の膝の上に。
「どうだ?」
「本当に‥‥暖かいですね」
微かに頬を染め、沙羅は頷く。先ほどから飲んでいる梅酒のせいもあるのかもしれない。
「いい香りだな」
初めて気付いたように、ミハイルは言った。もちろん、それは梅と彼女の──いや、二人から漂う幸せの匂い。
「この花びら‥‥きれいですね。押し花にできそう」
風が運んできた花弁を拾い上げ、沙羅が言う。
「それはいいな。おみやげにするか」
「野花も集めて、栞を作りましょう。きっと喜んでもらえると思うわ‥‥」
体を寄せ合い、笑いあう二人であった。
*
樒 和紗(
jb6970)と砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)はリュミエチカ(jz0358)を連れた三人で歩いていた。
「陽当たりのいい場所で、和紗のお弁当を食べよう。きっと美味しいよ!」
ジェンティアンが言った。──ちなみに、作ったのは和紗でも、運んでいるのは(その他諸々の荷物も含めて)ジェンティアンであるが。
「でもその前に、屋台に料理を調達に行きましょう」
「食べ物はもうある」
リュミエチカは首を傾げたが、和紗は微笑みを返すのみ。
やがて着いたのは、透次の屋台であった。
「リュミエチカの好きなコロッケは外せませんから」
「‥‥おお」
「皆さん、いらっしゃい」
透次がコロッケを手早くパッキングする。
「リュミエチカさんには、バレンタインにチョコを貰いましたから──これは、お返しです」
「コロッケは、揚げたてが美味しい」
「ええ、サクサクホクホクですよ」
「和紗さん、チカちゃん!」
「ジェン、ここだったか」
あけびと藤忠がやってきた。
「トージにコロッケ、貰った」
「手作りか。とても美味そうだ」
早速見せにきたリュミエチカの頭にぽんと手を置く藤忠。彼とジェンティアン、そして屋台を挟んで透次が並んでいる光景を見て、あけびが言った。
「三人並ぶとザ・お兄さんって感じだね!」
「僕、弟なんだけどな‥‥」
賑やかな五人組が去ったあと、透次は微笑んでいる自分に気がついた。
(元気を貰った気がするな)
ぼんやりとしていた当初の陰鬱さは晴れたようだ。
「──守りたいものは沢山あるんだ」
その為には、心身の自己管理をしっかりこなさなくてはならない。
残り時間はしっかり屋台を頑張ろう──明日からまた全力で立てるように。
「沢山食べてくださいね」
和紗が広げた重箱弁当の彩りの良さに、あけびたちは歓声をあげた。
「チカちゃん、和紗さんの料理は本当に美味しいね!」
梅酢を使ったというちらし寿司を口に運びながらあけびが言うと、リュミエチカはただ頷いた──口の中がいっぱいで声を発せなかったとも言う。
「詰め込みすぎだ、チカ。ほら、ついてるぞ」
口元を拭ってやりつつ、藤忠も果肉がとろとろになった南瓜の煮付けに舌鼓を打った。
「ああ、これも絶品だな。ここまでとは言わないがあけびも精進しろよ」
「うぐっ」
藤忠が妹分たちを甲斐甲斐しく構う様子に、ジェンティアンは微笑した。
「和紗も料理始めたのは学園来てからなんだけどね」
「そうなのか?」
「職人気質だから上達も早かったんでしょ──うん、これも美味しいね」
重箱は瞬く間に中身を減らしていく。
「梅にちなんだカクテルでも作りましょうか──竜胆兄、準備を」
「はいはい。毎度のことだけどこき使うね」
苦笑しつつ、ジェンティアンは担いできた荷物を解く。
「カクテル! なんだか大人の気分だね!」
「カクテル」
「二人のは、ノンアルコールですけどね‥‥これは姫叔父の分です」
シェイカーの中に梅酒、カンパリ、アセロラドリンク。そして氷を入れて閉じたら、シェイク。
「カッコいい!」
とあけび。
「様になってるね‥‥和紗も二十歳になったし、バイト先でも本格的にバーテンダー出来るよね」
その様子にジェンティアンは自然と目を細めるのだった。
「ところで、カクテル‥‥僕の分は?」
●
「おっ、こりゃまた見事な梅の花だな!」
小田切ルビィ(
ja0841)は喜々としてカメラのレンズを差し向けた。
「桃で言うなら桃源郷‥‥『三国志演義』の一幕が現実になったみたいだぜ」
生まれの違うものたちが、お互いを支え合っていくことを誓う──そんな、有名なエピソード。
それはまるで、天使悪魔と手を取り合う道を選んだ自分たちのことのようでもある。
「来年、この梅を見る時期には‥‥天魔の人たちと真に手を取り合う関係になっているといいですね」
メイド姿の水無瀬 文歌(
jb7507)が立っていた。
「そっちも花見か」
「私は、今日は給仕役ですよ♪」
文歌はにっこり笑うと、バスケットから「お一つどうぞ」とケーキを手渡した。
「お‥‥ワリィな。そんじゃ、お返しに‥‥」
ルビィが文歌に向けカメラを構えると、彼女はすぐさまポーズを決めた──根がアイドルなので。
人の集まりからは少し離れた場所で寝ころんでいる少女がいた。
「ん、みんな楽しそうだね♪」
喧噪に耳を澄ませて微笑むのは桜庭愛(
jc1977)。梅の木の下にわざわざ布団を持ち込んで、その上に寝ころんでいる。格好は、いつものハイレグレオタードだ。
「──ふぁ」
梅の花と人々の賑わい、そして木漏れ日の暖かさ。露出した肌にそうしたものを受けながら目を閉じると、自然と眠気が襲ってくる。彼女にとって、ここは既に春の陽気だ。
「愛さん、こんなところで寝てしまったら風邪を引きませんか?」
通りがかった文歌に声を掛けられて、閉じていた眼を開いた。メイドさんは膝を屈めて、愛を見ている。
「大丈夫だよ。正義の女子レスラーは身体も頑健だからね!」
場所はともかく、格好はいつものことなので。
ふふ、と文歌は微笑み、じゃあせめて、とポットから温かい紅茶を注いだ。
「暖まりますから、飲んでくださいね」
「ありがとー」
愛は貰った紅茶をすすった。内側から体が暖められ、肌寒さが消えていく。
ひらりと舞った梅の花が、紅茶の上にふわりと乗った。
「おー、風流かな♪」
そしてまた目を閉じる。心地よい微睡みに、己を浸してゆくのであった。
文歌は給仕を一段落させると、電話をかけた。
『誰だ』
「アルグスさん、水無瀬です」
『‥‥待っていろ』
名前を告げると、それだけですぐ静かになった。そして、少女の明るい声。
『文歌さん、こんにちわあ』
電話を掛ける度、同じ流れである。
相手は、かつて大船にいた堕天使ミュゼット。今は親しくなった住民と共に戦火を逃れて地方へ避難している。
「梅の写真、みましたか?」
『みたよお。すっごくきれいだった!』
今日の様子。そして何気ない近況の話。
今のところ、新たに追っ手がかかった形跡もないようだ。
「お二人のように、共に戦える天魔の皆さんが増えてきたんですよ」
文歌はその胸に感じている手応えを、希望を持ってミュゼットに伝えた。
「誰もが、肩身の狭い思いをしない世界にしたいですね」
『‥‥うん』
闇色のコートと帽子の隙間から覗く瞳を、ミュゼットも同じように思い浮かべていたはずだ。
●
潮崎 紘乃(jz0117)は屋台に買い出しに出ていた。
「付き合わせてごめんなさいね、モブ子(愛称)ちゃん」
島外れのコンビニでバイトしていることが多いモブ子だが、斡旋所でも時々手伝うことがある。
「いえ。‥‥どの道、用があったので」
モブ子は紘乃の方は見ずに、淡々と答えた。首を傾げる紘乃は無視して、先に立って歩いていく。
それはテン子こと歌音の屋台であった。
「はっ、モブ子センパイ!」
愛しのセンパイのご来店に、歌音は飛び上がって感動を表現した。
「ご注文は──私!?」
「いえ、売り物をください」
モブ子は至って通常テンション。
しかし手と手が触れた一瞬、モブ子の心にビビビと電撃が走った。
(とさりげなく「」抜きでリプレイに既成事実をぶち込んでみるの)
「それでは」
──実際には電撃が走ったようにはとても見えないまま、モブ子は立ち去ってしまうのであるが。
「ああっ、今ならお得な丁(てい)ポイントがたまる丁(てい)カードがあ──!」
「そういうの、使わない主義なので」
すげない態度で登録用紙に本名を書いて貰うという野望はもろくも打ち砕かれ、歌音は生パンを咥えて歯噛みするのであった。
紘乃とモブ子が斡旋所職員の宴会場に戻ってくると、そこには数人の学生の姿があった。
「あら、恋音ちゃんに、袋井君ね」
「潮崎さん‥‥そのぉ‥‥お邪魔しておりますぅ‥‥」
恋音とぺこりと挨拶をする。
「えぇと‥‥よろしければ、お好きなものをぉ‥‥」
そしておずおずと、小分けにされたお弁当箱を取り出した。おにぎりの他、チューリップの鶏唐揚げ、魚のフライに卵焼き‥‥といった行楽向けのおかずが箱ごとに納められている。
「あら、いいの?」
恋音は俯きつつも頷いた。紘乃はタルタルソースが添えられたフライを摘み、口元へ運ぶ。
「‥‥うん、美味しい。恋音ちゃんはお料理も上手なのねっ」
「いえ、そのぉ‥‥ありがとうございますぅ‥‥」
「もちろん恋音のお弁当は今日も最高の出来ですよ!」
恋音はますます俯き、代わりに雅人が胸を張るのだった。
もう一人、巫 聖羅(
ja3916)もこの集まりに顔を出していた。
「ここ、とっても素敵なところね! 教えて貰ったお礼といったらなんだけど‥‥よかったら、私からもお裾分けよ」
彼女もまた、重箱にぎっしり入ったお弁当を持参していた。その中身は──。
「あら、ちらし寿司ね」
「洋風で作ってみたのよ。ちょうど雛祭りの時期だしね」
本来は桃の節句だが、梅の花の下で楽しむっていうのもなかなかいいじゃない、と聖羅は笑った。
「雛あられまであるのか。本格的だな、雛人形は──なくてもいいか」
「こっちを見て言わないでくださいね、牧田さん」
上司の無駄に気遣うような視線をシャットアウトする紘乃。
聖羅は用意した甘酒を一口すすった。
「兄さんはお弁当を持たせてあるからいいとして──おじさまはお昼の用意とかちゃんとしてるのかしら?」
「──なんだこりゃ、あられか?」
そのころルビィも、聖羅から渡されていた弁当をパクつきながら小休止していた。
(‥‥それにしても)
頭に浮かぶのは、先日の横浜ゲート近くでの一件。
恵ヴィヴァルディ(jz0015)が、エルダー派の天使であるアクラシエルに接触しているという事実。恵は、戦争集結に向けて邁進する学園へ待ったをかけようとしている──。
(対等な力関係にない協調路線は危うい物──それは事実だ)
ルビィには、恵の全てを否定しようという気持ちは湧かなかった。
(ある意味、必要悪であると言える‥‥が、放置する訳にもいかねェ)
危うければ壊せ、というものでもない。今の路線は、数多の学生が幾重にも道筋を重ねてようやく築き上げた架け橋のようなものなのだ。
「奴さんが何を企んでいるのか──しっかりと見極めさせて貰うぜ」
遅れてここへとやって来たファーフナー(
jb7826)は、ひとり梅の道を歩きながら、物思いに耽っていた。
彼が思うのもまた、恵の言葉である。
──思想は一人一人ばらばらだ。
そう、恵は言った。
(それはその通りだ)
人の思いは千差万別であり、他者の感情を思うまま支配することなど出来ない。
全員が納得する答えなどあるはずもないのだ。
(だが──)
「にゃーん」
不意に猫の声がして、ファーフナーは思考を中断した。
梅の木陰に、白猫が佇んでいた。だが目が合った瞬間に、相手はするりと踵を返して野山の向こうへ去っていった。
しっぽの先が、少し黒かったようにも見えた。
(あのときの猫、か?)
大規模戦に備えて保護された野良猫たちは、必要な処置を経てまた島内に放されたという。
まさか、礼を言いにきたという訳でもないだろうが──。
「おじさま! こんなところにいた」
今度は女性の声がして、聖羅がやって来た。
「お昼は?」
「‥‥ああ、そう言えば、何も食べてないな」
考え事に気を取られて、忘れていた。
「やっぱり‥‥おじさまの分も用意して良かった!」
聖羅はファーフナーの腕を取った。
「今日は『梅の花の下での雛祭り』よ」
「‥‥そうか」
そのまま引っ張られていくのであった。
●
和紗、あけび、そしてリュミエチカの三人は、花の咲き乱れる光景を並んでスケッチブックに描き留めていた。
「これだと思う場所を、感じるままに描けばいいですよ」
「感じるままに‥‥」
あけびはしばらく口をへの字にして考えたあと、おもむろに描き始める。
しばらくして、ふと気になり和紗のスケッチを覗く。
「わっ、すごい巧い!」
「ありがとうございます‥‥あけびのも、暖かな色使いでいいと思いますよ」
「‥‥そうかな?」
あけびは嬉しそうにはにかんだ。
「チカは、どうですか?」
リュミエチカは、やけにはっきりとした色使いで描いていた。紅いところは紅い。黒いところは黒い。
「ダメ?」
「いいえ。人によって感じ方は様々ですから」
微笑む和紗であった。
その様子を、ジェンティアンと藤忠は後方からのんびり眺めていた。
「もう少し毅然としないとな、と思うときもあるのだが‥‥つい甘くなってしまうな」
「あ、分かる。花よと愛でたくなるよねー」
妹分を見守りつつ、こっそり自慢しあう兄貴分の図。
*
「しかし、天・冥魔両陣営と同盟ですか‥‥学園に来た当初からは考えられない事ですよね」
梅の花を見上げながら、雫はしみじみと呟いた。
幾重の戦いを積み上げた先に見える、戦いのない世界を思いながら──屋台で買った餡子玉を口に放り込んだ。
「あ、美味しいですね」
(あの双子は幾つになっただろうか)
佳槻は屋台の手があいて、ふと考えた。
群馬県を『思い出す』ところから始まった戦いも、終結を見て早数年。
かつて言葉を交わした人物も、敵も、何人も彼の前を通り過ぎていった。
(次の春にはまた、誰かがいないかもしれない)
或いはそれは自分のことかもしれない。──そう思っても、怖くも哀しくもないのは、咲き乱れている花のせいだろうか。
「‥‥違う」
それは、
(自分が今ここで生きているからだ)
客から声がかかり、佳槻は仕事を再開した。
生の実感が手から伝わってくる。やはりただ花を見るのではなく、屋台をやることにして良かったと、佳槻は思った。
「戦いが終結した後も、皆で共に笑いあえる日々を過ごしたいって、そう思うんだ」
梅の花を見上げながら、ひりょは言った。傍には佳澄と、そして明斗がいる。
「ええ‥‥その為に、僕の目標も、これまでの戦いで少し変わりました」
「明斗くんの目標?」
「卒業後は、ずっと撃退庁に入ろうと思っていたんです」
だが戦争は終わりに向かっている。そうすれば、次に必要になるものがある。
「これから三つの世界で必要になるものは、外交です。自分は天魔との折衝を行う外交官になろうと、今は思っています」
「おお‥‥すごいな。応援するよ」
ひりょが言った。
その未来を守るためにも、今しばし戦いは必要だ。
「こうやって来年も再来年も、こんな平和な光景を見られたら良いですね‥‥」
梅見ににぎわう人々を眺めながら、藤花が言った。
「そうだね〜」
にこにこと同意する焔の脳裏に、両親がディアボロと化したあの日の光景は消えてはいない。それはずっと消えることはないだろうし、外でおむすびを食べる度、思い浮かべるのかもしれない。
(人の気持ちは千差万別──ただ)
賑わいの中で、ファーフナーは思う。
「美しいな、梅の花は」
「そうね、おじさま?」
(梅の花を美しいと思う気持ちは同じだ)
同じ思いを足がかりに、折り合いをつけていく。それが人の世というもので──天使や悪魔がそこに加わっても、変わりはしないと信じたい。
マイノリティを切り捨てるのではなく。着地点を常に模索していきながらも。
いつかの春。ここに三界の住人が集ったなら、その光景はきっと美しいものに違いないと思うのだ。