レティシア・シャンテヒルト(
jb6767)は手元の端末に時折視線を落としながら構内を歩いていた。
(情報ではこの辺り‥‥あっ)
さっと校舎の角から覗き見る。
「サビ猫さんです‥‥!」
道ばたのベンチの上で猫が丸くなって寝ていた。
少し観察してみると、時折耳をひくつかせたりしているようで、熟睡してはいないようだ。
(そうっと近づけば大丈夫でしょうか)
なるべく音を立てないように反対側へ回り、ベンチの背もたれ越しに接近する。まだ猫は丸くなったまま。
(もう少し‥‥)
と、突然サビ猫が飛び上がるようにして起きた。
しっぽをぴんと立てたサビが見ているのは道の向こう側──そこには、チャトラの猫がいた。こちらを威嚇している。
サビはふしゃあ、と鳴いた直後、ベンチからぴゅっと駆けだした。チャトラとは反対方向だ。
「あ、ちょっと待って──」
レティシアはサビの方を追いかけようとしたが、あっという間に暗がりに入り込まれて見失った。
当然、戻ってきたところにはチャトラの姿もない。
「うう、まさか猫さんに邪魔されるとは‥‥」
うなだれながら、目撃情報を仲間に発信するレティシアであった。
*
「ああ、ボテだろ。そいつだったらだいたいこの辺にいるよ」
「‥‥ボテ?」
学園に出入りする清掃作業員にファーフナー(
jb7826)が声をかけると、作業員はそう答えた。
「ぼてっとしてるからボテ。勝手に呼んでるんだけどね」
クリーム色の野良猫は、だいたいこの辺を縄張りにしていて、作業員からもよくおやつをせしめているらしい。
事情を聞いた作業員はそういうことなら、と猫用おやつをファーフナーに託してくれた。
「さて‥‥」
ファーフナーはケージの奥におやつを入れて地面に置くと、少し中身を残した袋を手にした。
今のところ、周囲に猫の気配はない。
試しに袋を振って、かさかさと音を出してみる。すると──。
「にぁーお」
のっそりとそいつは現れた。おなか周りがでっぷり、ぼってりしている。
一応、普段の作業員ではないからか、ファーフナーの方を見て小首を傾げている。が、ファーフナーがおやつを手にして屈むと、のってりと近づいてきた。おやつの先っぽを嗅がせながらゲージの方へ誘導してやると、ほとんど警戒もしないままゲージの中へ入った。
体が大きいので、おしりを外に出したままおやつを食べ始めてしまったが、ファーフナーが扉を閉めようとすると抵抗もせず中に入った。
扉を閉めても、暴れるでもなくおやつに夢中のようだ。
「本当に野良猫か‥‥?」
余りに簡単にいったことに驚きつつ、ファーフナーはケージを持ち上げた。
「‥‥重いな」
うちの猫とはえらい違いだ、とそんな感想を抱くのだった。
*
校舎の陰に、ひっそりと小さな猫が佇んでいる。
依頼書に書かれたどの猫とも違う、白と茶色のマーブルの毛並みをしていた。
マーブル猫は陰から、光の当たる道の方、一点を見つめている。そのマーブル猫の後方に、雫(
ja1894)がいた。
一息で近づき、捕獲できる距離にマーブルはいるが、雫は動かず、じっとその背中を見つめている。
やがて光の向こうから、別の猫が現れた。レティシアの目の前でサビを追い払った、チャトラの猫である。
チャトラはしっぽをゆらゆら揺らしながらマーブルの元へと近づいていく。
「にゃー」
──見慣れない奴、名を名乗れ。
とでも言っているのか。しかしマーブルは微動だにしない。
「にゃっ」
チャトラがてし、と猫パンチを繰り出した。するとマーブルは抵抗どころか避けることもせず、パンチを受けてこてんとその場に転がった。
そして戸惑うように顔を巡らせたチャトラも、前脚で一度自分の顔を撫でたかと思うと、倒れ込むようにしてその場に寝っ転がったのだった。
「はい、確保です」
密かに近づいていた雫がチャトラをゆっくり抱き上げ、自分の膝に乗せた。
マーブルの方は片手で持ち上げると、手荷物にしまい込む。こちらの猫は雫が創り出した偽物であった。
「上手く行きましたね」
自分の膝の上で寝息を立てているチャトラの背中を、雫は一度だけそっと撫でた。
(きっと、起きたら逃げていってしまうのでしょうね‥‥)
何故か動物に嫌われてしまう自分の体質のことは、苦々しいほどよく分かっている。
目を覚まさないうちに、と雫はチャトラをケージの中に入れるのだった。
*
陽波 透次(
ja0280)はベンチに腰掛け文庫本を読んでいた。
もちろん、ただ読書に耽っているわけではない。
(‥‥まだ警戒してるな)
道の向こうで、三毛猫がこちらの様子を伺っているのである。
透次は本越しに時折様子を確認しつつ、傍目には興味ない風に見せているのだった。
ミケは透次の隣に置かれたささみに興味を惹かれながらも、警戒しているのか一直線には向かって来ない。
(まだだ、もう少し)
すでにマーキングを撃てる範囲には入っているが、確実なのはこのまま隣まで来てくれることだ。
「にぁー」
不意にミケが鳴いた。
「しまった‥‥」
目が合ってしまった。
何かを悟ったのか、ミケはくるりと反転して逃げ出した!
「あけびさん、リュミエチカ(jz0358)さん!」
呼びつつ透次は銃を顕現して狙い定める。もちろん撃つのはマーキング弾であり、猫には傷一つつけるつもりはない。
「チカちゃん、そっち!」
陰からとびだした不知火あけび(
jc1857)の声。リュミエチカの方へとミケは疾走してきた。
リュミエチカは腕を出して捕まえにいったが、真っ正直なその動きを猫はあざ笑うように避け、彼女の腕を駆け上って肩からジャンプ。
そのまま校舎の雨樋にとりつくと、よどみない動きで二階へ上がった。
「すばしこい」
「なんの!」
呆然と見上げるリュミエチカを躱して、あけびが壁を駆け上がる。忍軍の技で壁に垂直に張り付いたまま猫へと迫り、相手が飛び降りる直前ですくい上げた。
「ぎにゃ、にゃ」
猫パンチ、猫パンチ。
「いたた、ちょっと待ってってば」
急いで地上へ降りる。
「透次さん、お願いします!」
暴れる猫へ透次が子守歌を歌って聞かせる。あけびの腕にとりついたまま、やがてミケはおとなしくなったのだった。
*
ミハイル・エッカート(
jb0544)の元に、レティシアから連絡が入った。
『シロクロさんを見つけましたよ』
「本当か? よし、すぐ駆けつけるから見張っててくれ!」
「あそこです」
まだ仔猫のシロクロは、道の端っこをくんくん匂いを嗅ぎながら歩いている。
「散歩中か、好都合だぜ」
ミハイルはライフルを持ち出すと、仔猫へマーキングを撃った。
「親猫が近くにいるはずだからな。このまま追跡だ」
「ところで、軍服かと思っていたのですが、その格好‥‥」
シロクロを尾行するミハイルを見直して、レティシアが言った。
「ああ、これは『にゃんこ親衛隊』の制服だ」
ぱっと見、軍人のコスプレをしているようだが、よく見ると腕章は猫のマークだし、そこかしこに猫のモチーフがあしらわれていた。
「隊員募集中だぜ」
現在、隊員は一人である。
シロクロは自由気ままに歩き回った。途中、マーキングを撃ちなおしたりしながら小一時間。
「おっ、ようやく散歩は終わりのようだ」
路地の中へと入っていく。どこかで調達したものか、空調機の隅に丸め置かれたカーディガンのような衣服の上でくるくる回ると、あくびをしてからころんと横になった。
「他の猫さんは‥‥いませんね」
レティシアが路地の中を覗いた。
「やっぱり、もう親離れが済んでいるのでしょうか」
ミハイルは納得いかない様子でしばらく唸っていたが、やがて頷いた。
「これ以上時間をかけても成果はなさそうだし、捕獲しよう。手伝ってくれ」
眠ったままの仔猫をケージに入れ、路地から出てくると女生徒が立っていた。
「さっき、猫いましたよ」
「なにっ、どこだ?」
「あっちです」
彼女が示したのは、反対側の建物の路地だった。
「金色の瞳の猫が、お二人の入った路地の方を覗いていました」
「そいつはきっとクロだな‥‥おっと、有益な情報提供感謝だ」
女生徒にチョコのプレゼント。
「ハッピーバレンタインだぜ」
ちょうどそんな季節である。
*
「猫と触れあうときは、あまり目をじっと見たら駄目なんだそうです。相手が警戒してしまうとか」
「目を合わせちゃ駄目なんですね!」
透次が端末で調べた猫の基礎知識を教えると、あけびはふんふんと頷いた。
「目を合わせないのは、チカは得意」
「だから、クロもあまり警戒しなかったのかも知れないですね」
「‥‥なるほど」
和気あいあいとした雰囲気で、歩く三人。
「透次さんって、ちょっとお兄さんみたいですよね」
「そ、そうですか?」
「トージはいろいろ知ってて、教えてくれる」
あけびばかりかリュミエチカにも同意されて、透次は頭を掻いた。
「‥‥あ! ほら、あそこの路地ですよ」
照れ隠しなのか、先へ行った透次を、あけびとリュミエチカは追いかけていった。
「あまり難しく考えなくていいですよ。依頼前のときと同じようにしてみてください」
「逃げちゃったら、私たちが追いかけるからね!」
透次とあけびに背中を押されたリュミエチカが、クロが潜んでいるらしい路地の中へと足を踏み入れた。
屈み込んで、暗い路地の奥を見てみるが、猫の姿は見あたらない。
(‥‥ファーフナーは、猫の立場になって考えろ、って言ってたけど)
自分より大きい存在に対して、どんな気持ちを抱くのか──考えてみるといい、と、分かれる前に言われていたことを思い出す。
といっても、リュミエチカには猫の立場というものはほとんど想像がつかなかった。
仕方ないので、
「にゃあ」
鳴いてみる。すると。
(あっ! いますよ、そこ!)
あけびが透次の袖を引っ張った。奥の方に、金色の瞳が確かに見えた。
クロはゆっくりとリュミエチカの側までやって来ると、差し出された指を舐める。引っ込めずにいると、ぺろぺろぺろと繰り返し舐めてきた。
「もしかして、抱っこできるんじゃないかな?」
あけびに言われて、リュミエチカは腕を伸ばしてみる。持ち上げられると、クロは軽く身じろぎしたものの、逃げてしまうことはなかった。
「捕まえた」
「お見事です、リュミエチカさん」
気が変わって逃げてしまう前に、クロはケージに入れられたのだった。
●
学園裏手にある山林エリアで、ミハイルが全力疾走していた。
「撃退士の本気を見せてやろう」
追いかけっこの相手はキジトラ猫だ。はっきりいって直線スピードではミハイルの方が速いほどだが、相手は小回りを利かせて木々をすり抜けるように逃げ回る。
結局、先回りしていた雫が相手を眠らせて確保した。
そしてもう一匹、サビ猫も、学園でチャトラに威嚇されてからこちらに逃げ込んでいたようだった。
「あけびさん、左からお願いします!」
「はい!」
透次とあけびが左右から猫を挟みうち。進退窮まった猫は幹の太い樹にとりつくと、一気に駆け上った。
「任せろ」
翼を顕現したファーフナーが猫の高さまで一気に飛び上がる。猫は驚いたのか、細い枝の方へと逃げて行き──、
「あっ!」
枝がぽきりと折れ、もろともに落下する。
猫は空中で一回転。
着地の目前、レティシアが滑り込んで見事に猫をキャッチした。
「はい、怖くないですよー」
猫を落ち着かせてやりながら、その独特の毛並みを撫でた。
「ふふ、やっと捕まえられました。怪我はしていませんか?」
●
「結局、シロは見つかりませんでしたね」
一行は猫を預けるための施設に向かっていた。伝説の? 白猫は結局、しっぽの先すら見せることがなかった──
「あら、あそこに‥‥」
レティシアが、施設の入り口辺りを指し示した。
そこには一匹の白猫が、風の溜まりのようにふわりと佇んでいた。
「え? あれって‥‥」
あけびが目を瞬かせる間に、白猫はふいと背中を向けて、悠然と歩き去ろうとする。
雫がすぐさま追いかけ、眠らせようとすると、それは他の猫と同じようにあっけなく、その場で目を閉じた。
「しっぽの先だけ黒い‥‥どうやら、この子が依頼書のシロで間違いないようですね」
雫は眠る白猫を抱き上げたのだった。
*
「何はともあれ、無事全猫捕獲達成だな!」
施設にケージを返し、ミハイルは満足そうに言った。
シロクロはクロの傍で毛繕いに勤しんでいた。クロの方は特に追い払うでもなく、見守るように座り込んでいる。
「やっぱり、親子なんでしょうか?」
「そんな気がするな」
ファーフナーには、疑問に思うことがあった。
それは、この依頼の依頼者のことだ。
──依頼者が不明?
──あー、ちょっとばたばたしてたんでな。報酬は先に振り込まれてるから、そこは心配してもらわなくて大丈夫なんだが‥‥。
というやりとりが斡旋所であった。依頼者自身に聞けば、猫の情報をより詳しく得られるだろうと思っていたファーフナーにとっては、盛大な空振りに終わった訳でもあるが。
(結局、誰が野良猫の保護を依頼したんだろうな)
ふと、施設の入り口で、こちらを待っていた(ように見えた)白猫の姿が頭に浮かんだが。
「──いくら何でも考えすぎだな」
「ファーフナーは、考え事?」
リュミエチカに声をかけられ、ファーフナーは疑問を脇に置くことにする。
「猫は、どうだ」
「よくわかんない。小さくって、にゃあって鳴く」
ファーフナーは微笑んだ。こうして他者の存在に目が向くようになったのは、彼女自身に余裕が出来てきた証だろう。
かつての──といっても大して昔ではない──自分自身を見るようでもある。
「俺は去年から、猫を飼い始めたんだ‥‥まだまだ猫については勉強中だがな。
リュミエチカも、いずれ一人で生きる自信がついたら、猫を飼ってみるのもいいかもしれないな」
「猫を、飼う」
リュミエチカは、サングラスの奥で瞳を瞬かせていた。
「いいな〜‥‥実に羨ましいです」
雫は部屋の入り口の方にいて、皆の様子を遠巻きに見ていた。
部屋から出さなければ猫と遊んでいいですよ、と施設の人に許可をもらったのだが、雫は自分の体質を理解しているので、自発的に猫から距離をとっているのである。
いつか、自分のことを怖がらない動物とか、見つからないかな‥‥。
そう思いつつ嘆息していると、膝をぽんと叩かれた。
「?」
見ると、いつの間にかチャトラの猫がそこにいた。チャトラはそのまま雫の膝の上に乗ってきて、スカートをぐしぐし押し込んでポジションを作っている。
「? !?」
雫が戸惑っている間に体勢を確保したチャトラはくるりと丸くなってしまった。
「雫さん、気に入られたみたいですね」
レティシアたちが寄ってきてそう言っても、猫は動く気配がない。
「えっと‥‥え? あの、この子‥‥どうすれば??」
あまりの事態に固まったまま、雫は戸惑うばかりなのだった。