ここに至るまでの経緯というものはあるだろう。
恵ヴィヴァルディ(jz0015)の思惑、真意というものはあるだろう。だが。
ひとを護るべき撃退士が天魔とともに立ち、ひとを結界の先へ連れて行こうとしている。
陽波 透次(
ja0280)にとって、それは受け入れられる光景ではなかった。
天魔が人々を取り囲んでいる様は、彼の心根に絡みつく凄惨な記憶を揺らし起こす。
「この所業‥‥この理不尽は、許さない」
それは彼がもっとも忌むべきものであり、彼の戦う理由。
常よりアウルをたぎらせて、彼はその身に光を纏った。
怒りは彼ばかりのものではない。
「もちろん向かうとも」
恵の挑発に、大炊御門 菫(
ja0436)は真っ向から答えて見せた。
正義感がそのまま受肉したかの如き彼女からしても、今の状況を黙って見過ごせるはずはない。
「行くぞ」
言いたいことは山ほどある。だが今すべき事はまず行動だ。
白銀の短槍をその手に振りだし、全速力で飛び込んでいった。
●
駆け行く菫の凛々しい背中、その先を見通して、牙撃鉄鳴(
jb5667)は長い銃身の先を持ち上げた。
アウルを込める。放電するかの様に光が散った直後、弾丸が飛び出し、恵を直接狙った。恵が顕現した刀を鋭く振るうとぎゃり、という金属がねじれるような音と発光があった。
(いい装備を使っていそうだな)
特に落胆するでもなく、鉄鳴は冷静に分析した。戦場での華々しい活躍が聞こえている相手ではないが、やはりその実力は侮れない。
距離を開けたまま、二人の視線が一瞬、交差した。
菫は四十メートルの距離を一息に駆けると、正面の骸骨兵たちに向かって彗星群を打ち込んだ。岩の下敷きになった骸骨はもろくも崩れた──が、敵は反撃を試みてきた。
右肩の砕けた骸骨兵が、槍を突き出してきた。体勢の崩れている今の菫では避けることも受けることも叶わない。
骸骨兵はリーダー格も含めて十体。集中攻撃を受ければ、さすがにただでは済まなかっただろう。
帽子を頭に乗っけた骸骨騎士が、他より一際豪壮な弓を菫に向けようとした──そこへもう一人の撃退士が飛びかかってそいつを押さえつけた。周辺の空気が瞬時に凍てつき、彼の下でもがいていた骸骨騎士の動きが止まる。
「随分好き勝手やってるみたいだな」
恵の方を見てそう言ったのは、向坂 玲治(
ja6214)。
「俺は俺のやりたいようにやる」
恵は突進してきた。玲治も菫同様、体勢は整っていない。
玲治は盾を顕現すると、迷うことなくアウルの力を込めた。爆散するかのように十字に散ったアウルの力が、恵の斬撃を代わりに受け止めた。
「だったらその分、俺も好き勝手邪魔するからな」
玲治はニヤリと笑う。
*
骸骨兵の列の向こうでは、巨鳥が一般人の拘束を始めていた。
「や、やめろ!」「助けてくれ!」
巨鳥が投じた光輪にとらわれ身動きがとれなくなった人々は慌てふためき、救いを求める。
「助けてくれる人なんていないわ」
そんな中で、源田と呼ばれていた女性はほとんどただ一人、平静であるように見えた。
「撃退士にすがるくらいなら、このまま連れて行かれた方がよほど、何かが変わる可能性がある。あの人が言っていた通りよ」
「そんなことない。私が力になるよ♪」
否定する声は戦いの向こうから響いた。
ハイレグ水着のコスチューム姿でポーズを決めた桜庭愛(
jc1977)は、曇りのない笑顔で源田を見た。
「憎い相手を利用して力を得ようとしているみたいだけど、その力は悲しみを誰かに味わわせるだけだよ」
それはきっと、源田本人が味わったものと同じ悲しみだ。
源田は色のない瞳で愛を見た。そこに感情はともらない。
(当然だ)
上空から俯瞰する鉄鳴は、内心で頷いた。
(あの女の憎悪は、綺麗事で溶けていいものではない)
だが愛は、胸を張った。
「だから、私が力になってあげる。そうね、友だちになろうよ♪」
それは団体のものたちにとって、少なからず予想外の申し出だったに違いない。撃退士を危険視することを公言している人々に向かって、友だちになろうと告げてくる撃退士がいるとは。
「信用できない? だったら、私がしている『美少女プロレス』を見に来てくれればいいし」
そこから私たちを知ってもらえれば、わだかまりは解けるはずだと、愛は言った。
しかし源田は、薄く笑うのみ。
「誰かを頼る人生は、もう御免なのよ」
それきり、ぷいと背中を向けたのだった。
「うーん」
愛は軽く頭を掻いた。まあでもとりあえず言いたいことは言ったし。宣伝もしたし。
「じゃ、後はお仕事ね。天魔にはさっさと消えてもらおうかな」
菫たちが抑える骸骨兵の掃討に加わるために駆けだしていった。
●
恵へと新たに透次が斬りつけた──否。それは分身である。
透次本人は恵からある程度距離を離していた。
(実践投入は初めてだけど‥‥)
刀を納め、新たに振り出したのは。
「力を貸せ、ティルフィング」
伝承の魔剣の名を冠した長剣。彼のために調整された幻の武器、アールトアームのひと振り。
魔剣を構えた透次は恵ではなく骸骨兵の群を狙った。菫と玲治の攻撃によって傷ついた兵隊たちの頭上に光の円陣が浮かび、直後に陣から落ちてきた光の柱によって骸骨共が打ち砕かれていく。
「わお」
まさに突撃せんとしていた愛は光景を目の当たりにした。
「負けてられないね♪」
骸骨兵の槍をかいくぐると、深く懐に潜り込んで拳を打ち込む。凝縮されたアウルが爆ぜる音が響いて、敵を吹き飛ばした。
恵の右手に握られたライフルが透次を狙った。透次は本能的にアウルを噴出させ、爆発的な加速で目前に迫っていた弾丸を回避した。
「空蝉の類か」
(‥‥隙ありだ!)
舌打ち混じりに呟く恵に、側面から菫が仕掛けた。
神速の踏み込みで恵の足下まで入り込むと、槍を振り上げる。頭を狙う、と見せかけて槍の軌道を操り、腿の辺りを斬りつけた。
(浅い!)
だが、手応えが無いわけではない。
続けざまに、上空から鉄鳴の狙撃。膝を狙ったが、直撃はしない。
菫が槍の石突きで地面を掻き上げ、土をまき散らした。恵の動きを一瞬でも妨害する。
「今度は俺だ」
入れ替わりに玲治が近接し、旋棍を叩きつけざま電撃を流し込む。恵は動きを止めなかったが──。
「やらせるか!」
直後、瞬時に活性化した盾を振るって恵のスキルを中断して見せた。
「ちっ」
「言ったろ、邪魔してやるってな」
*
斉凛(
ja6571)とファーフナー(
jb7826)ははじめ、後方にいた。
骸骨兵の殲滅を優先しているように見せつつ、敵の動きを見定めてから、二人は左右に分かれる。
河川敷の戦場は広い。二人は敵陣の端を迂回して一気に、捕獲されつつある一般人の元へと迫った。
射程に捉え次第、巨鳥へ攻撃を加える。加えて、上空からの一撃。
「でやぁああッ!」
左右ではなく、敵の頭上を飛び越えた小田切ルビィ(
ja0841)の、降下しながら放った痛烈な衝撃波が正しく天魔のみをとらえた。
一般人には風が抜けた程度ではあったが、彼らに事態の変化を伝えるには十分であった。
「人間の味方、撃退士が助けに参りましたわ」
満を持して凛が、流麗な態度で告げたのだった。
瞬く間に、三羽の巨鳥が地に伏した。
「さあ、動けるようになった方はこちらに!」
凛が呼ぶと、光輪に捕らわれていないものの大半は呼びかけに従い、まろびつつもこちらへ逃げてくる。だが、明らかに自らの意志でそこにとどまっているものもいた。それが源田だ。
「あなた、源田さんとおっしゃるのね」
攻撃を続けながら、凛がその背中に声をかけた。
(彼女の気持ちもわからなくはないの‥‥でも)
凛とて憎しみを知らぬ訳ではない。彼女は天使の手によって、生まれ育った村と、母親を失ったのだ。そしてそうでありながら、天界の血筋を受け継いでいる。
「わたくしも天使を憎んでた‥‥そして苦しかった。でもその苦しみと向き合って戦ったの。
天魔の殲滅を願いながらその身を委ねようとしてる貴方は、現実から逃げ出そうとしてるだけじゃないかしら?」
源田が凛を見た。その瞳には怒りの色がある。
「あなたには分からない。戦う力のあるあなたには」
「そうでは‥‥そうではございませんの」
凛の言った『戦い』は、アウルの力に拠ったものを意味していない。だが源田はそう解釈してくれなかった。
(何故ですの?)
「行っては駄目だ」
代わって声をかけたのはファーフナーだ。
「行けば、利用されるか殺される」
「分かってるわ、そんなこと」
源田の声は、徐々に感情が露わになって来ていた。
「だけど行くのよ。私は力が欲しいの。このままでは戦争が『終わってしまう』。あいつらと共存する未来なんて欲しくはないの。何の力もない声を上げているだけなんて、まっぴらなのよ!」
その言葉は研がれていないぎざぎざの刃のように、鈍くファーフナーの心に噛みついた。
学園で漸く見つけた希望。ありのままの自分が受け入れられるという未来。
だがそれは、久遠ヶ原という場所そのものが異質であったから故なのか。
(‥‥夢を見すぎたか)
自嘲の笑みを浮かべようとした、まさにその時。
「手を止めるな! まずはこの鳥を何とかしねェとな」
「──小田切」
信頼する友の声に呼び起こされた。
「もちろん、わかっていますわ」
凛も答えた。巨鳥はあと二羽。飛び立つ気配はまだない。凛は周囲に集まってきている一般人に向け告げる。
「手荒な事をして申し訳ございませんが、少々我慢して──」
彼女の世界はそこで唐突に揺れた。
*
凛を撃ち抜いたのは、恵のライフルから放たれた強烈なアウルの奔流であった。
一時、撃退士全員の視線が恵に注がれる。意識を失った凛を除いて。
「俺が今日、何のためにここにいるのかくらい、分かっているんだろう?」
恵は涼しい顔でそう言った。
「よくもっ‥‥!」
透次が飛びかかっていく。分身ではない、本人だ。魔剣の斬撃を、恵は刀を顕現して防ぐ。だが斬撃は烈風の如き速度で幾重にも重なって放たれ、相手の防御をすり抜けて直接斬りつけた。
玲治が、今度こそ恵を抑えてやろうと接近戦を挑む。菫は愛とともに、残っていた骸骨騎士に攻撃を仕掛けた。
「あと一つ──!」
ルビィとファーフナーが五羽目の巨鳥を斃した。だがそこで、ついに五人目の拘束を完了した残りの一羽が、大きく翼を広げた。
「うっ、うおお!」
光輪にとらえられたものたちの体も浮き上がる。その中には、団体のリーダーも含まれていた。
(今しかない!)
高度を上げられ、川の上に出られては例え巨鳥を落としたとしても拘束されているものたちが危険だ。ファーフナーは即座にアウルの鎖を飛ばす。鎖は巨鳥の体に絡みついたが──。
「くっ‥‥駄目か!」
手応えが緩い。抜け出されるのは時間の問題だ。
その時、光輪に捕らわれていなかった源田が、鎖を振り切り飛び立とうとする巨鳥に向かって駆けだした。
「駄目だ、行かせねェぜ!」
ルビィが背後から、彼女を強引に絡め取った。源田は激しく抵抗する。
「離して!」
「‥‥恨んでくれても構わないぜ。アンタを助けたいと思うのは俺のエゴだからな?」
「連れて行けというのはその女の意思だ。それを止めるのか」
「ああ、私は止めよう」
そう言ったのは恵で、答えたのは菫だ。
ただ待っているだけでは変わらない、それは正しい。菫自身、常に行動し、選択してきた。命をチップ代わりにして。
他人を完全に理解しきることなど出来ない。だからと言って‥‥いや、だからこそ。 己の選択の答えを、言い続けてゆく他はない。
「‥‥世界を変えるのは『生きている者』であるが故に」
「同感だ。‥‥なるほど確かに、お前とは気が合うようだ」
恵の気配がざわついた。思い通りにさせまいと、玲治が張り付く。魔具の閃きにあわせて、盾を振り抜く。
だが恵は大きく体を沈めて躱すと、刀の鞘で玲治の顎を跳ねるようにして打った。
「くぉっ‥‥」
玲治はつかの間、動きを止めてしまう。恵は彼の体を盾にしながら、再びライフルを顕した。銃口は、ルビィに。
「──ぅおおッ!」
源田を離せば、彼女は行ってしまう。ルビィは彼女を捕まえたまま彼女を護るために、恵が放ったアウルの奔流にほとんど自分から体をぶつけなければならなかった。
光が過ぎ去ると、ルビィは背中から大量の血を流しながら、くずおれる。
「なんで、そこまでして‥‥」
「言ったろ‥‥これは、俺のエゴだってな」
だがそれでも意識を手放さず、源田の腕を放すこともなかった。
その間に、いよいよ巨鳥は高度を上げ、飛び立った。
ファーフナーも自身の翼で追いかけたが、巨鳥の飛行速度は速かった。
川の上に出られ、攻撃をためらうほんの少しの間に、光輪に捕らわれた五名を引き連れたまま、結界の向こうへと消えていったのだった。
●
巨鳥が飛び去るのを見届けると、「俺の用は済んだ」と恵は後方へ飛んだ。
「逃げるのか」
怒りを抑えきれないままに、透次が問う。恵は冷ややかな笑みを返した。
「今の俺には、お前たちを殺す理由はない」
翻ってこちらは、負傷が深刻な者も多い。救助対象を抱えているし、何より恵は、まだ奥の手を隠しているようにも見える。
そこへ、上空から鉄鳴が降下してきた。刀を構え、落下の勢いをそのまま乗せたような強烈な突撃を恵に見舞う。恵も刀でそれを受け止めた。
「──、────」
「────」
顔と顔がすぐ間近にある、ほんの数瞬。互いの口元が動いたように見えた。
恵が刀を振り抜き、鉄鳴は離れた。
「この場にいるものでさえ、思想は一人一人ばらばらだ」
恵は愛を、菫を、そして鉄鳴を見た。
「だからこそ、今の流れに未来などない。お前たちも、よく考えてみるといい」
そう言い残し、土手の向こうへと駆け去っていったのだった。
(学園の協調路線を阻む‥‥それが奴さんの狙いなのは、間違いねェ)
結界を見つめて放心している源田を抱えたまま、ルビィは思考する。
問題はどういった『状況』を作りだそうとしているかだ。
(今日引き連れていた天魔は、サーバントだった。『ステルツォ』は天界の一部と密約を結んだ? あるいは、結ぼうとしている‥‥のか?)
そうだとすれば、相手はエルダー派か、王権派か。怪我のせいで頭痛がひどく、考えがまとまらない。
(この先の結界‥‥多摩川の向こうは神奈川県だ。てことは、『相手』は‥‥)
●
結界の向こうは、広大な天使の支配領域である。領域は川崎市や東京都の一部にまでかかっているが、その大半を占めるかつての大都市の名を冠し、こう呼ばれることが多い。
『横浜ゲート』と。
「ああ、約束通りだったね。分かった。私から出向くとしよう」
九龍城塞の奥の奥。連絡を受けた館の主は立ち上がった。
「さて‥‥どんな話を聞かせてもらえるのかな」
主天使・アクラシエルである。