秋晴れの空は、高く青く澄み渡っている。
日差しは包むように柔らかく、頬を撫でるそよ風には一片の厳しさすら感じられない。
(‥‥こんな日に)
鳳 静矢(
ja3856)は、依頼者たちの背中を見て、思う。
(彼らは故郷を後にするのか)
かつて、自分がそうしなければならなかったように。
●
「お久しぶりですね」
静矢は山里赤薔薇(
jb4090)とともに、清水に声をかけた。
「不甲斐ない結果となってしまって申し訳ありません」
「謝っていただく必要はありませんよ」
清水は目尻に皺を浮かべた。
「戦争ですからな。詳しい事情は知りませんが、相手も必死だということでしょう」
「‥‥こんなこと言えた立場じゃないけど、どうか希望を捨てないでください。必ず皆さんがこの町に戻ってこれるように私たちがしますから‥‥!」
赤薔薇はそう訴えると、ミュゼットに向き直った。
「ミュゼットさんも。肝心な時に駆けつけられずにごめんなさい‥‥」
「気にしなくていいよお。私も、アルグスも、こうして死ななかったんだし」
「アルグスさんもごめんね‥‥腕は大丈夫ですか」
「そのうち治るさ。‥‥不甲斐なかったのは俺も同じだ」
「この辺りも、戦いの舞台になったねえ」
ミュゼットが、ふと立ち止まった。
「なんだかもう、ずいぶん昔の事みたいに思えるよ」
視線の先には、道沿いを流れる柏尾川と、何本も並んで敷かれている線路の上をまとめて跨ぐ、跨線橋がある。
静矢も赤薔薇も、その戦いを知っている。水無瀬 文歌(
jb7507)が、無言でデジタルカメラを取り出し、橋を写真に収めた。
ここでは、堕天使の一人が死んだ。
「‥‥激しい戦いだったのだろうな」
ファーフナー(
jb7826)は、報告書でしかそれを知らない。
ミュゼットが何も言わないので、誰も口には出さなかった。
赤薔薇は心の中で、彼の姿を思い浮かべる。
(ごめんね、イングスさん。あなたのことも、絶対忘れないよ‥‥)
「さて、出来れば植物園にも立ち寄らせていただきたいですが‥‥」
清水が撃退士たちの方を見た。角を曲がって少し行けば、入場門がある。
「サーバントが潜んでいるかもしれません。まず先行している人たちが安全を確保してからです」 だから少し待ってください、と赤薔薇。
「ゆっくり行きましょう。皆さんの事は必ず無事に送り届けますから」
静矢の言葉に避難民たちは頷いた。
*
風にたゆたう精霊体・サンダーウィスプが、我が物顔で荒れた庭園を周遊している。
放たれた砲撃が小さな体のど真ん中に命中し、精霊体は声もなく爆散した。
「──よしっと」
木の陰で、バズーカの如く改造したアハト・アハトの銃口を向けていたラファル A ユーティライネン(
jb4620)は微かに口角を上げた。
ただ、その姿は傍目に見えない。蜃気楼に、俺俺俺式(おれさんしき)光学迷彩を重ねて使い、少なくとも視覚的には完璧に姿を隠している。
彼女は避難民たちから先行し、このエリアに残存する敵の掃討にあたっていた。植物園は小柄なサーバントが潜みやすいようで、接敵はこれが初めてではない。
それでも、避難民たちがここへ来たがるだろう、とラファルは承知していた。
「故郷に一秒たりともいられない奴らもいるってのにいー気なもんだな」
つい、そんな言葉が口をついた。
天魔の侵攻により故郷を手放したものは数多い。この世界で、彼らはそれほど特別な存在ではない。むしろ、こうして別れを惜しむ機会を得られるだけ、幸運でさえあるのかもしれない。
ただそう思いはしても、ラファルは彼らに苦言を呈そうとはしなかった。それが善しか悪しかは別として、彼らが思い出を残したいと考えること自体は、彼女にも理解できるからだ。
「ま、サーバントハントを楽しむには丁度いいわな」
結局はそういうことである。根っからの戦闘屋を自認するラファルなのだった。
「とはいえ、ここのサーバントもだいぶやっつけたか。後は──」
ラファルは次の敵を物色する。
「あっちか」
どこからか戦闘の音が聞こえてくる。それほど遠くはないと、ラファルはそちらへ移動していった。
小田切ルビィ(
ja0841)もまた植物園内で、別のサーバントと接敵していた。
過去にもこの地域で出現が確認されていた、ロウスナイプである。
ルビィは放たれた弾丸を大剣の腹で弾き飛ばすと、低空を滑って一気に距離を詰めた。大剣を振り上げ、相手のメタリックなボディめがけて、思い切り叩きつける。
ロウスナイプは真ん中から盛大にひしゃげた。だが絶命はせず、半端に折れ曲がった砲身から、ルビィに向けて雷光が迸り出た。
「ッ! ‥‥テメェ!」
まともに浴びたが、それだけでどうこうというものでもない。大剣を今度は横に振り払うと、サーバントはくるくると回って飛び、人工の池の中にボチャンと落ちた。
「ちぇっ、終わってたか」
その直後、ラファルがやってきた。スキル効果が切れ、姿を現した彼女はロウスナイプが落ちた池を覗きこんだが、もう敵は浮かんではこない。
「ここは大体片付いたな。そろそろツアー客を中に入れてもよさそうだぜ」
「‥‥ああ」
ルビィはどこか落ち着かない様子で、下を向いて答えた。
*
「ここも、見納めだねえ」
「撃退士の皆さんとも、ここで小さな宴を楽しみましたな。その後の騒動で、しっかり礼を言えませんでしたが。あの時は、ありがとうございました」
清水が振り返って、静矢たちに頭を下げた。
ルビィは少し離れた場所でその様子を見ていた。
(──結局、俺たちは何もできなかった)
イングスが命を散らしたこと。
横浜ゲートを攻略できなかったこと。
そして、ギジー・シーイール(jz0353)を連れ戻せなかったこと。
それらすべての出来事を、彼は目の当たりにした。
(彼女の大切なものを何一つとして護ってやることが出来なかった‥‥まともに顔を合わせられねェ)
強い自責と後悔が、彼の胸中を支配していたのだった。
「ねえ」
想像以上に近くで声がして、ルビィは驚いた。
「ちょっと、お顔、見せて?」
いつの間にかミュゼットがすぐ傍まで来ていて、彼の顔を覗きこんでいたのだ。
「やっぱり、怪我してる」
ロウスナイプの雷を浴びて、彼の顔は軽度の火傷を負っていた。ミュゼットはそこへ、手を伸ばす。
だが手を翳したまましばらくじっとしていたかと思うと、唐突に手を引っ込めた。
「あ‥‥」
力を失った今の彼女は、簡単な癒しの術も使えないのだ。
「怪我は、私が治しますよ」
ミュゼットの肩に手を置いて言ったのは、文歌である。
文歌の治療を受けながらも、ルビィはミュゼットの事を気にしていた。
「せめてギジーを連れ戻すことに成功してりゃ‥‥」
つい零れた言葉に、ミュゼットは吸い込まれるように顔を向けた。
大きなすみれ色の瞳でルビィをまっすぐ見る。
「ギーちゃんは‥‥どうなったの?」
「‥‥知りたいのか?」
ギジーは生死不明だ。だが、彼が見た光景は──。
ミュゼットは懇願するような目つきで、頷いた。
「分かった。俺が見たことは正直に話すぜ」
●
ミュゼットを囲み、一行は横浜ゲートでの戦いと、ギジーの最期の光景を、ありのままに語った。
「ギジーさん、最後に『これで、俺は天使として死ねる』といって回廊から飛び降りて、その後行方知れずです‥‥」
文歌はそう言って、胸を押さえた。
「──そうなんだ」
ミュゼットは、時折頷く程度で静かに話を聞いた後、それだけ言った。
「死んだとは限りません。また現れる事があるかも」
赤薔薇は訴えた。ギジーの死体は、見つかっていない。
「うん」
ミュゼットの頷きはしかし、彼女の言葉を肯定するような響きを含まなかった。
「──くそッ」
ルビィは足元を蹴り上げる。
「どうすりゃよかったんだ‥‥? 横浜ゲートで相対したとき、どうすればギジーの心を動かすことが出来たんだ‥‥?」
「ミュゼットさんが待ってる、そう伝えても‥‥ギジーさんは全く刀を引く素振りを見せなかった‥‥。ただ、最後に見た顔は晴れやかだったように思います」
文歌の言葉の後、少しの沈黙が流れる。
「俺は、深い関わりはなかったが‥‥」
ゆっくりと次の言葉を口にしたのは、ファーフナーだった。
「ギジーは、身分や外見に捕らわれず、自分自身を認めてくれたミュゼットに感謝しながらも、自分と関わることで、ミュゼットまでが差別されることを恐れたのかもしれない」
彼の言葉に、ミュゼットが跳ねるように顔を上げた。
「思い当たることがあるか?」
ミュゼットは答えなかったが、ファーフナーは自分の考えが全くの的外れではないと感じて、続ける。
「生まれや外見、差別など、自身の努力では如何ともしがたいことがある。ギジーは、ミュゼットの好意を受け止めるのに相応しい存在になりたいと望んでいた‥‥のかもしれない」
「その為に『ネメシス』に所属した‥‥?」
「全部、推測だがな」
『ネメシス』は秘匿された組織であった分、地位よりも実力が重んじられたのだろう。周囲から忌避されていたというギジーが実績を作ることが出来るのは、そうした場所しかなかったのかもしれない。
「ギーちゃんはね」
ミュゼットが口を開いた。
「俺は天使だって、天使であることに誇りを持っているって、よく言ってたよ。だから、私のためだったのかは、分からないけど‥‥きっと、そういうことだったんだと、思うよ」
何が正解であるのかは、分からない。
ただ、時はひたすらに過ぎゆくものであり、選択を行える機会はその一瞬に、一度しかない。
ルビィは痛いほどに拳を握り込んだ。その痛みさえ、今この一瞬だけのものである。
「‥‥そろそろ、行こうか。あまり同じ場所にとどまっていては、またサーバントが出ないとも限らない」
静矢が促し、一行は植物園を後にした。
●
再び、川沿いを西に進む。静矢はミュゼットの隣に立った。
「清水老人の申し出のこと‥‥悩んでいるのかな」
「あう‥‥聞いてた?」
この道中の冒頭、清水がミュゼットに告げた事‥‥家族として、一緒に来ないかという誘いの事だ。
「清水さんの事は、嫌いじゃないけど‥‥どうしたらいいのかなあって」
「今は状況が悪い」
静矢は渋い顔をした。
「これから天界魔界の両方の勢力の行動が激化するし、その中でも堕天使狩りは続けられるだろう」
アクラシエルは健在だし、アナエルも取り返されてしまった。いずれ態勢を整えれば、『ネメシス』はまた動き出すはずだ。
「そうなれば、ミュゼットさんやアルグスさんが狙われないとも限らない‥‥彼らにしてみれば堕天使は須らく同じだろうしな」
ミュゼットが狙われるということは、すなわち一緒に暮らす清水たちを危険にさらすことと同義でもある。
「せめて、アルグスさんの怪我が完治するまでは、学園にいてはどうですか?」
文歌が言うと、アルグスが「俺を気遣ってもらう必要はない」と強がりを言った。
「この世界でも、悪魔や天使は恐れられたり憎まれたりは避けられない」
そう言ったのはファーフナーだ。
「差別や偏見という意味では、学園内に居たほうが安全だ、ただ──」
静矢が手を上げ、皆を制した。
「この先にサーバントが複数集まっていると、小田切さんから連絡が入った。私は援護にいく。ファーフナーさんは、引き続き皆さんの護衛を頼みます」
「分かった」
静矢は先へ駆けていく。ファーフナーは槍を振り出し、こちらへ向かってくるサーバントがいないか警戒を強めた。
「ミュゼットさん、こちらへ!」
避難民を集めた文歌が呼んでいる。だがミュゼットはファーフナーの背中を見つめたまま。
「‥‥ただ、なあに?」
と問うた。
「ただ──」
上空からふわふわと、こちらへ漂ってくる小精霊の姿が見える。だが同じく護衛に残っている赤薔薇がライフルで撃ち抜くと、それはあっさりと霧散した。
「種族を越えて受け入れてくれる清水氏との出会いは、かけがえのないものだと思う」
警戒を続けながら、ファーフナーは言った。
「ギジーにとってのミュゼットのように」
自分を受け入れてくれる人や、場所。それは誰しも簡単に見つけられるものではない。
(そして、誰もが同じであるはずもない)
彼にとってのその場所は、久遠ヶ原であるのかもしれない。だが──。
「後悔の無いよう、よく考えるといい」
「‥‥うん」
一つ頷いてから、ミュゼットは避難民たちのところに戻っていった。
静矢たちが駆け付けると、ロウスナイプが三体、まとまって浮いているのが見えた。今はルビィが敵を引きつけているようだ。
「どうやらあれで終わりっぽいぜ」
アハトを担いだラファルが告げた。彼らの背後には南北に流れる境川がある。川を越えれば、人類勢力圏。目的地の藤沢駅は目前だ。
「では、手早く片付けるとしよう──お前たちの相手は私だ!」
静矢は刀を構えて敵に突撃していった。
●
「今日は、ありがとうございました」
無事に駅へ到着した避難民たちは、笑顔で頭を下げた。
「これを‥‥」
文歌はデジカメから記録メディアを取り出し、清水に渡した。
「あの町の風景をいつでも思い返せる、手助けになればと思って」
文歌は清水の手を取り、言に力を込める。
「皆さんがあの町の風景や文化を忘れない限り、町は無くならないですよ。‥‥皆さんがまたあそこへ戻ってこれるように私、がんばりますねっ」
「──ああ、このままじゃあ終われ無ェ」
ルビィもその瞳に決意の炎を燃やしている。
「横浜ゲートを、このままにはしておかねえぜ‥‥!」
「はい。絶対に、取り戻して見せます。皆さんの故郷を」
赤薔薇も。そして静矢も。
「いずれ必ずまた戻ってこれるようにします」
「ありがとう。だけど皆さん、無理はしないでくださいよ」
清水はそう言って、頭を下げた。避難民の中には、涙をこぼす者もいた。
そして、ミュゼットは、清水の隣に立っていた。ファーフナーが問う。
「‥‥行くのか」
「うん」
何かが吹っ切れたのか、ミュゼットは晴れやかな顔をしていた。
「せっかく忠告してくれたけど‥‥ごめんなさい」
「いーんじゃねぇの。したいようにするのが一番だろ」
「ああ、結局はミュゼットさん次第だ。決めたのならば、言うことはないよ」
肩越しに腕を組んだラファルが軽く言い、静矢は微笑みを浮かべ、頷いた。
「危険は実際あるだろうが、清水夫妻はそれも含めて引き受けてくださるそうだ」
「そんなことで尻込みするくらいなら、そもそもここまで残り続けとらんさ」
清水はからからと笑った。アルグスはふ、と小さく息を吐くと、赤薔薇へ言った。
「事が済めば返そうと思っていたが──そんなわけだ。これはもうしばらく、借りておく」
腕を捲った場所に、以前贈られた腕輪が嵌められている。
「ミュゼットさんを、しっかり護ってあげてくださいね」
今日、ひとつ、町が消えた。
取り戻すための戦いは、これからもまだまだ、続いていく。