横浜ゲート、支配領域南部。一時期撃退士側が侵攻拠点を築いていた付近で、サーバントと撃退士の戦闘が発生している。
──それだけならば、ギジー・シーイール(jz0353)自身は動かなかったかもしれない。そのままサーバントに任せ、推移を見守っていたかもしれない。
だが、撃退士の群れに混じって、つい先日まで大船を護っていた堕天使、アルグスの姿があるとの報告を受けた。
「‥‥舐められたものだな、俺も」
ギジーが季節を問わず身につけている白いマフラー、その口元が揺れて歪んだ。
●
ギイィ、ギイィと不快な摩擦音が幾重にも重なって響く。それは敵の歩兵、ロウパイクが群れなして進撃する音である。
「はあっ!」
鳳 静矢(
ja3856)がそのただなかへ向け刀を振り抜いた。紫光が敵を薙ぎ払う。巻き込まれた敵の大半は、その疑似生物らしからぬ光沢のあるボディを破損させつつも、また体を耳障りに軋ませながら起きあがった。
「とーからんものはおとに聞け、近くばよって、目にも見よ! ──って、あぁもううるさいなあ!」
その騒音は、高らかに名乗りを上げようとした桜庭愛(
jc1977)の声を掻き消さんとするほどだった。
「せっかく鎌倉だからさ、武士っぽくいこうと思ったの──にっ!」
愛は口をへの字に曲げながらもダッシュし、ロウパイクと並んでこちらに向かってきていた浮遊物体──ロウスナイプに向かって回し蹴りを放った。長い黒髪がしなり、ハイレグの水着から伸びた白く艶やかな足が美しい弧を描いて敵を打ち据える。
足を下ろした愛は、騒音が一瞬止んだのを見計らって声を張り上げた。
「私の名前は桜庭愛♪ 悪いけど此処から先には一歩もいかせない」
ファイティングポーズを作り、居並ぶ敵を笑顔で挑発する。
かくして敵は、愛へと襲いかかった。
パイクが柔肌を貫かんと突き出した槍の穂先を間一髪で避けた。すぐ次が来る。槍の柄を掴んで強引に押し下げるが、更にスナイプの射撃に捉えられた。太股に耐え難い熱を感じ、愛は刹那に顔を歪ませる。
「桜庭さん!」
突出しかけていた彼女の元に静矢が追いつき、愛を包囲しようとしていた歩兵の一体を蹴散らすと、彼女の隣に立った。
「敵の数が多い。単独行動は危険だ」
「私は囮の囮だもの」
愛は強気な姿勢を崩さず言った。
「あの子に目的を遂げさせてあげたい、それだけだよ」
「それは私も同じだ」
静矢もまた、敵を見据える冷静な瞳は揺るがない。
「その為にも、簡単に倒れるわけにはいかない」
「わかってる」
味方に増援はない。誰かが倒れたら、それっきりだ。愛の返事を確認すると、静矢はひとつ頷いた。
「ならば、足並みを揃えよう。‥‥こちらが殲滅するくらいの勢いで攻めねば、ギジーも罠を疑って早々出てこまい」
状況的には、こちらが攻め手だ。静矢は刀を正眼に構える。愛も合わせて身構えた。
「さぁ‥‥行くぞ!」
そして改めて二人は、敵の群れに飛び込んでいった。
*
今は無人の大船駅舎から大通りを北東に抜けると、道路が多重に交差している地点ががある。結局囮役を務めることになったアルグスの希望により、そこが『釣り場』となった。
ある程度開けており視界が確保できるが、開けきってはいない。周囲には建物が多く残っており身を隠す場所も十分にある。
その一角に、ミュゼットと、狗猫 魅依(
jb6919)、水無瀬 文歌(
jb7507)の三名が隠れ潜んでいた。
来るべき時──ギジーが出現したその時まで、ミュゼットの存在を明らかにせず置くことが、今回の作戦では肝要となる。魅依と文歌はそれぞれに気配を薄める技を用いつつ、戦場の近くにあって戦闘からは疎外されていた。──ただし、文歌は召喚獣を別に差し向けていたが。
「ミュゼットさん」
口元を真一文字に引き結び、硬い表情のままただ一点を見据えている堕天使に、文歌が声をかけた。ロウパイクが移動の度に発する騒音のせいもあり、小声で会話をするくらいなら気づかれる心配もない。
「決心が‥‥揺らいでいますか?」
そう尋ねたのは──戦いの前、鷺谷 明(
ja0776)が彼女に語りかけた言葉があったからだ。
いよいよ戦地に赴く、その直前。明はミュゼットにこう言った。
「ギジー・シーイールは殺しを好んではいないだろうがその仕事に誇りを持っている。言っていたろう。忠節こそ我が悦び、とな」
明が発し、ミュゼットが伝えた問いへの答え。ギジーは、堕天使を狩る『仕事』に嫌悪や抵抗を感じてはいない──そればかりか。
「彼にとって主のために罪を背負うのは法悦であるかもしれん──お前はそれを曲げさせられるだけの何かを持っているのか?」
「それは──」
「持っていると思えないのなら、説得なんてするものじゃない」
ミュゼットは大きな瞳を伏せ隠した。数瞬の間をおいて、何かを言おうと口を開きかけたところで、明はくるりと背を向けた。
「まあ私は彼と戦場でしか会ったことはないし、私の目は結構節穴だ。判断材料の一つとして心に留め、したいようにするがいいさ」
享楽主義者を自認する笑顔の陰から鋭く突き込んだかと思えば、飄々とした態度でからりと躱す。戦いのときと変わらない明の態度に、ミュゼットは目を白黒させたのだった。
‥‥その様子を思い返した文歌の言葉に、ミュゼットは、小さく首を振った。
「ううん。決心は‥‥変わらないの。でも」
また正面を見る。
「私の声は、ギーちゃんには届かないかもしれない。そうしたら、ここまで協力してくれた皆に申し訳ないなあ、って」
「そんなこと‥‥」
文歌は改めてミュゼットを観察したが、不安や、怯えといった様子は見えなかった。しいてネガティブな言葉を用いるならば‥‥。
(諦め‥‥? ううん、そんなはずない)
だが、幼い容姿に似合わないほどの落ち着きを感じるのは、事実だった。
「もしこの戦いでギジーがネメシスを抜けて堕天使になる道を選んだとして」
やりとりを聞いていた魅依が、あえてそう口にする。
「ミュゼットさん、あなたは天使たちを殺したギジーを許し、共に罪を背負う覚悟はありますか?」
そうなる保証など、どこにもない。
だが、少なくとも──。
「もちろんだよ」
ミュゼットが明るさの籠もった声で答えた。
ギジーが組織を離れ──「殺すことをやめた『ギーちゃん』」になるのだとしたら、彼の居場所はミュゼットの傍しかありえない。
それが魅依の認識だ。
そうなる保証などない。
だが少なくとも、ミュゼットはその未来を望んでいる。
「思っていること、伝えたいこと、最後まで諦めずにギジーさんへ伝えてください」
「うん。わたし、がんばるね」
文歌の言葉に力強く返し、ミュゼットは再び戦場へと目を向けた。
この先に訪れる、唯一にして最後の機会。その瞬間を待つ。
●
堕天使アルグスは、三本の道路が交差するほぼ中央にいた。
周囲は視界がよく通り、敵の動きなども見やすい。ただ、それでギジーの接近に気づけるかという保証はないが。
ギジーをおびき寄せる『釣り餌』である彼は、近接攻撃主体の得意な戦い方を封印し、ほぼ定点にいて味方の支援に当たっていた。彼が倒れてしまったら、作戦自体が成り立たなくなる。また、ミュゼットから離れすぎるわけにもいかない。そうした理由だ。
彼の背後にぴったりつく形で、文歌の召還したストレイシオンが護衛となっていた。
「可能な限り背中を誰かに預け、背後から攻撃を受けることがないようにしてください」
作戦開始前、魅依から言われたことだ。
彼女はこれまで、ギジーが目標を襲う瞬間に何度も居合わせた。ほぼ例外なく背後から忍び寄り、近距離からの強烈な一撃で致命傷を与える──それが、ギジーのもっとも得意とする暗殺手段であることを踏まえた指摘だった。
彼の左右には、明が事前に設置した罠、邪毒の結界が敷かれている。結界がギジーに通用するかは未知数だが、サーバントには有効だろう。これでアルグスは、警戒すべき方向をある程度絞ることが出来る。
最前線で静矢と愛が躍動を続けている──とはいえ。
「さすがに敵地。数も多いね」
愛の背中へライトヒールの光を送りながら、明はいつも通りの笑みをたたえ呟いた。彼は愛たちとアルグスのちょうど中間地点に立ち両者の支援を行う立場だ。
「さてさて、切り札を隠したままでどこまで保つかねえ?」
この状況をさも楽しむように。明は飛んできた銃弾を躱す。だが、回復を優先する彼の脇をすり抜けて二体のロウスナイプがアルグスの元へ向かった。
「やらせないのですよぅ!」
鳳 蒼姫(
ja3762)が、アルグスへの射線を塞ぐようにして彼の前に立った。布槍を振るい銃撃を叩き落としたが、敵の一体は更に接近すると、雷撃を放ってきた。
「‥‥!? っく」
ミュゼットの隣で息を潜めていた文歌が小さく呻いた。
広範に飛び散る稲妻は蒼姫のみならず、その後ろのアルグス、そして文歌が感覚を共有する小竜をも巻き込んだのだ。
「このっ!」
蒼姫は面を怒らせて、目の前まで来ているスナイプを睨みつけた。だが彼女が反撃する前に、背後から振り下ろされた大剣によって小柄な敵は地面に叩きつけられた。
「大丈夫か!?」
遊撃位置から舞い戻った小田切ルビィ(
ja0841)は蒼姫と、その後ろのアルグスに声をかける。
「このくらいでやられるほどヤワじゃない。心配するな」
「へへッ、そうかい」
アルグスが動じていない様子を見せると、ルビィは満足げに言って鼻をこすった。そして素早い動作で武器をアサルトライフルに持ち替えると、接近しつつあったロウパイクへ向けアウルの弾丸をばら撒いた。
「──ま、今回はヨロシク頼むぜ。相棒‥‥!」
軽いジェスチャーと共にそう言い置いて、ルビィは再び前に出た。とはいえ、アルグスとは適度な距離を保ち、すぐに戻ってこられる位置どりだ。
蒼姫はその間に、迫っていたもう一体のスナイプを魔法で撃ち落としていた。マウスピースからぷは、と口を離してアルグスを一瞬見やる。
「‥‥必ず護ってみせるのですよ!」
再び攻撃へと意識を集中した蒼姫の背中を、アルグスは落ち着いた眼差しで見ていた。
「ああ──その時までは、よろしく頼む」
*
前後の状況に絶えず意識を向けながら、明は忙しく働いていた。回復の合間に、横合いから新たに現れた敵集団の戦闘に向け放つのは低級なる亡者ども。亡霊が機械然としたサーバントに取り付き、その動きを封じ込める。
見計らったように、そこを中心として爆発が起きた。巻き込まれたパイクの一体は、起き上がるとダメージでより大きく不自然になった駆動音を響かせながら、どこかから飛んできた攻撃の主を捜す。
だが結局見つからなかったようで、集団はそろって明の方へと向かってきた。
静矢や愛は前線で別の敵を相手にしている。ここは自分も集中した方が良さそうだ、と明は眉間に力を込めた。
「いやあ、なんか失態続きだから真面目にならんと‥‥何、最後に勝てば総取りだ」
あくまでも飄々と。
「敗北も敗北で得るものはあるが、やっぱり勝利の方が気持ちいいものだ」
迫る敵を丸ごと呑み込むような笑顔で向かっていった。
Robin redbreast(
jb2203)は着弾を確認するのもそこそこに、別の物陰へと向かって移動していた。幼い頃から──今だって戦士と呼ぶには十分だが──こうした戦い方には慣れている。
(ファイアワークスだけでは足りないね。使い方、気をつけないと)
今のところ姿を見せるのはロウパイク・ロウスナイプのみだが、さすがに数が多い。他の範囲スキルは味方を巻き込む危険があるのだ。
(ギジーはどこに潜んでいるか分からないね。どこかで監視しているんだろうけど)
敵は大船駅舎方面をのぞく三方から現れており、敵将の位置を匂わせる要素は今のところない。
(ギジーはここで、何をしていたんだろう?)
天界勢は鎌倉を失っている。横浜南部を整備し、南への防備を固めている──そう考えれば自然だ。だが、Robinは彼の行動に、それだけではない何かを感じていた。
堕天使追悼組織『ネメシス』の構成員であるギジー。かつて暗殺組織の一員であったRobin。
同じ『組織の道具』であるからこその違和感だったかもしれない。
(もしかしてギジーは、大船に‥‥ミュゼットに固執しているのかな)
『道具』は抱かぬもの。
それは感情だと、Robinは思った。
●
闇の中でギジーは、戦況を伺っていた。
(堕天使の周りは固めているな。‥‥だが、隙がないわけではない)
堕天使討滅は『ネメシス』の基本方針であり、彼にとっては悲願である。
(仕事を果たすことこそ、俺の存在意義。その為ならば、この身が傷つこうと厭うことはない。とはいえ──排除できるものはしておくか)
ギジーはサーバントに短く指示を与えた。
「行け」
*
三体のロウパイクが並んで足を止め、長槍を突き出してくる。
愛は槍がついてくるのを確認しながら、左へ回り込むように走った。パイクどもも腰から上を回転させて愛を追いかけるが、端にいたものから順に隣の味方が邪魔になって槍をつっかえさせた。
「へへん、こっちこっち!」
がしゃがしゃとまた騒々しい音を立てて体勢を立て直そうとするパイクを愛が挑発する。その反対側に、静矢が回り込んでいる。
おあつらえ向きに並んでいる敵を前に、静矢は刀を振り抜いた。紫光がほとばしってそれらをまとめて薙ぎ払う。
愛も槍をかいくぐって距離を詰めると、軽快なステップワークで四角い箱のような相手を蹴っ飛ばす。相手は箱から伸びた短い足をよろめかせると、仰向けにひっくり返って動きを止めた。
「どれくらい倒せばいいのかな?」
「もちろんギジーが現れるまで、だが‥‥さて」
愛に見上げられて、静矢は周囲を見渡した。目標となる天使の気配はまだどこにもない。
「あまり様子見が過ぎるとその分だけ貴様の手駒が次々減るぞ、ギジー!」
静矢は見せつけるように大きな動きでロウパイクを一匹斬りとばしながら声を張った。
もちろんギジーの返事はなかったが、代わりに──。
「‥‥避けろ!」
静矢と愛のいる辺りに向け、煙を噴き上げミサイルが飛んできた。二人が左右に飛んで避けると、ミサイルは数m先のアスファルトに突き刺さって小さな爆発を起こした。
「新手か。あいつは確か‥‥」
ミサイルの飛んできた方向から現れたのは、黒光りする全身鎧姿のサーバント、ロウジェネラル。
「気をつけろ、そいつは自爆するぜ!」
「ああ、直撃するとたいそう痛い。受けた本人が言うんだから間違いない」
後方から、ルビィと明の声が飛んできた。
「そうだったな‥‥気を付けねば」
静矢は刀を握りなおした。
ジェネラルは重厚な大斧を見せつけるように右手に構え、こちらに接近する。真っ正面に立ち塞がったのは、愛。
「‥‥」
右手を上に向け、指を内側に向ける仕草を繰り返す。続けて握り拳に親指を突き出し、その指をゆっくり下に向ける。
表情のない全身鎧に挑発ポーズの重ね打ちがどれほど効いたかは分からないが、ともかくもジェネラルはそのまま愛に襲いかかった。
振りかぶった大斧を叩きつけてくる。愛はステップで躱して懐に潜り込むと、首筋に回し蹴りを叩き込んだ。が、相手は揺らがない。肩の装甲部分が音を立てて開くと、露出した機構から光が走った。
「あうっ!」
光は愛のわき腹を焼いた。倒れ込み、転がって距離をとる。
「桜庭さん!」
なおも愛に向かおうとするジェネラルの注意を引こうと、静矢が背面からジェネラルに斬り付けた。相手は向きを変えず、無造作に大斧を静矢に向かって振るってきたが、間一髪で躱す。
「くっ‥‥他のサーバントとは出来が違うな」
自爆するというだけではない、単体で十分強力なサーバントだ。
「そんなの‥‥関係ない」
愛は熱を持ったままのわき腹を押さえながら立ち上がった。彼女の瞳は揺らぐどころか、熱い決意によって燃え上がっていた。
「強力なら、なおさら。あっちへ行かせるわけにはいかない!」
もっともまずいのは、アルグスが居るところまで侵攻されて、自爆されることだ。誰かが抑えなければいけない。
愛は果敢に飛び込んだ。蹴りを打ち込み、ステップで右に逃れる。重厚な鎧騎士を翻弄するため、定点にとどまらず攻撃を躱し続けようと試みた。静矢は不測の事態に備えて最接近はせず、すぐ距離を離せるよう気を付けながら愛を援護する。
ジェネラルは鎧を傷つけられながら愛を狙った。横薙ぎにされた大斧を躱しきれないと判断した愛は逆に距離を詰める。刃で切り裂かれることは避けたものの、柄の部分が左腕をしたたかに打ち据えた。
「このおっ!」
愛は執念で吼え、背中を向けて体当たりした。敵の姿勢が崩れ、片膝をつく。
だがその直後、立てた膝から飛び出したミサイルが愛に直撃し、小爆発を起こした。愛は声なく、仰向けに倒れる。
静矢は意識を失ったらしい愛を回収しようとしたが、屈んだままのジェネラルが胸の装甲を開いた。
「まじィ、爆発するぞ!」
兆候に気づいたルビィが声を張り上げる。だが彼自身が援護に向かうことは出来なかった。これ以上アルグスから離れてはギジーの出現に対処できない可能性がある。それでは本末転倒だ。
「くっ‥‥」
引くべきか飛び込むべきか。静矢は一瞬の判断を迫られる。
──それを救ったのは、物陰から放たれた一筋の砂塵だった。砂塵に巻かれたジェネラルの体表面が光沢を失い、彫像の様になる。
「今のうちだよ」
一瞬だけ気配を顕わにしたRobinが告げた。その隙に、静矢が愛をジェネラルの傍から拾い上げる。
静矢が離れた直後、ジェネラルは石化から回復し、爆発を起こした。
●
自爆による閃光と轟音が、一瞬戦場を支配した。ギジーが動いたのは、まさにその時だった。
気配を殺したまま、ぎりぎりまで物陰を進み、目標──アルグスの死角から飛び出す。
(──ちっ)
内心で舌打ちする。ここまでさんざんサーバントをけしかけても、アルグスの背後から護衛の竜が退くことはなかった。
だがそれでも、ギジーにはアルグスを屠れるという自信があった。相手はそれほど生命力が強いというわけではない。背面から仕掛けるよりは条件はシビアになるが──。
(俺なら、やれる)
数秒後には、結果が知れる。
*
ロウジェネラルの爆発に巻き込まれたものがおらず、撃退士たちは安堵した。ただ、愛は戦闘不能だ。
サーバントは逐次増援があり、完全に駆逐するのは難しそうだった。
「どうするね?」
「ここまでやッたんだ。引き下がるわけにはいかねェ──」
明の問いにルビィが続行の意思を示した、まさにその時。
アルグスの背後で、彼を護ることに注力していた文歌の小竜が突如、うなり声をあげて長い首を巡らしだした。
「来たのか!」
「ギジー・シーイール!」
アルグスの前方にいた蒼姫も、その動きで気づいた。地を這うほどの低い姿勢で急接近してくる黒い影に。
影──ギジーは、一直線に小竜の足下まで辿り着くと、左足を踏ん張ってステップした。小竜は翼を広げてアルグスを護ろうとしたが、その脇をすり抜けられる。
身を翻した蒼姫が、アルグスとギジーの間に入り込もうとしたが、届かない。
「──くっ!」
せめても腕を伸ばしたが、その下をかいくぐられた。
ギジーが到達したのは、アルグスのすぐ右隣。しつらえてあった邪毒の結界が発動したが、果たして効果はあったのか。
鞘にかけていた左手が鯉口を切った。そこから斬り付ける動作は一瞬。
横からでは、突く動作では急所を狙いにくい。──ならば、斬り伏せる。
ギジーの右手が動き、血飛沫が舞った。
刃は、右肩からアルグスの体を切り裂いた。鎖骨を砕き、肋骨を断ちながら肺へ到達し──止まった。
帽子に半ば隠れたギジーの細い目が見開かれた。
深手ではある。だが致命傷ではない。
「かかったな」
敢えて、ギジーの一撃を受け止めたアルグスは、激痛に顔を歪めながらも、笑った。
「さあ──ミュゼット様」
「ミュゼットさん!」
味方が倒れても戦況を見守るしかなかったミュゼットは、文歌が呼びかけたときにはもう意識を集中していた。気配がざわめく。衣服の裾が波打ち揺れて、空色の髪が逆立つ。
ギジーの背中を映す、すみれ色の瞳から、光が散った。
「うぅぅぅうう‥‥ぁああああっ!!!」
自らの限界を超えて放つ、力。
ほとばしる光が、ギジーを呑み込んだ。
*
愛を下ろした静矢は、周囲の状況を見やる。
サーバントを積極的に殲滅するうち、アルグスたちとは結構な距離が空いてしまっていた。あるいは、ギジーがそうなるようサーバントを仕向けたのかも知れない。
ミュゼットの放った『天雷』の光自体は静矢の元にも届いていたが、その力までは及んでいない。つまり、彼の周囲に残るサーバントは、動きを止めていなかった。
「行くといい、こっちは引き受けよう」
逡巡する静矢の背中を押したのは明だった。新たに顕した聖杭をその手に悠然と最前線に立つ。
「頼む!」
長く言葉を交わす余裕はない。静矢は駆けだした。刀をしまい、弓をその手に。
明はそのままサーバントに対峙した。
「さあ、クライマックスだ。ここから先は雑魚が活躍する余地はない」
居並ぶのはロウパイク、ロウスナイプの群れだ。これなら攻撃をためらう必要もない。
明は不気味に微笑んだ。
「結末はさて、どう転ぶかねえ?」
「ここで抑えねば次は無い‥‥!」
静矢は動きを止めているギジーへと向け、弦を引き絞る。左右の腕に乗せた光闇のアウルが集って一条の矢となった。
「彼女等が身を挺して臨んだ貴様の討伐だ‥‥逃しはしない!」
全力を込めた矢は紫光の緒を引いて放たれた。
「‥‥がっ‥‥!」
ギジーは、アルグスの胸に刀を食い込ませたまま、身動きを封じられていた。
そこへ、静矢の放った一撃が飛来し、右腕に直撃した。相手は歯を食いしばった姿勢まま、逃げることも倒れることも出来ずにいる。
「続きますよぅ! ギジー、喰らいませい!」
蒼姫は至近距離からマジックスクリューを放った。魔法の渦はギジーの頭部に当たり、相手の脳を更に揺らす。
「ようやっとご対面だな、ギジー‥‥!」
ルビィは大剣を肩越しに構えた。アウルの輝きが剣身を覆い、闇と光のコントラストを生み出す。
「‥‥全力で行かせてもらうぜ!」
大剣が突き出される。剣先はギジーの左胸、心の臓があると思われる場所を目指した。闇色のコートが破れ、露出した肉が切り裂かれる。固い手応えを感じたところで止まった。
急所に、明確な傷口が刻まれた。
物陰に潜んでいた文歌と魅依は、ミュゼットが力を解放した直後、飛び出していた。
文歌はギジーを拘束しようと、彼の背後に回る。
そして魅依は、練り上げた力を放つ先を、慎重に見定めていた。
ルビィが穿った左胸に力の限り攻撃を撃ち込めば、あるいはギジーを殺せるかも知れない。
(でもそれでは──)
ミュゼットがギジーを説得する機会を作り出すことが出来ない。
可能な限り、殺すことなく。意識を奪うように。
ギジーを『殺さない』ことは、この場に集ったものの多くが暗黙のうちに共通認識としていたことだった。
魅依は潜伏中に溜め込んだ力をすべて、己の腕の先に集めた。それらは冥魔の象徴、闇の光となって空間をひしぎながら顕現し、一柄の武器を形作っていく。
偽神器−邪槍『イルエンレヴィアス』。
「堕ちなさい、この一撃で」
力が放たれた。
魅依はギジーの右側面に立ち、そこから腹部を狙った。邪槍はわき腹から、ギジーの右上半身を食い破った。
一瞬のうちに幾度も強力な攻撃を浴び、ギジーは見るも無惨な状態となった。夥しい量の血を流し、並の人間なら──いや、撃退士でもここまで負傷すれば、そうそう意識を保てないだろう。
ギジーは、刀を両手で握りしめたまま。
目玉がぎょろりと動いて、魅依をみた。
「‥‥殺す気で来るべきだったな」
有様を見れば信じられない速さで、ギジーの身体が半回転した。
「あっ!」
背後から取り付こうとしていた文歌が振り落とされる。ギジーの刃から解放されたアルグスが、力なくその場にくずおれる。
そして大きな踏み込みで、魅依の眼前へ迫ろうとした。
「ギーちゃん!」
魅依をかばうように身を投げ出したのは、だれあろうミュゼットであった。既に戦う力を失ったはずの彼女は、無謀にもギジーの刃がすぐ届く位置に己をさらしたのだ。
「ばッ、」
ルビィが色を失い、彼女を引き戻そうとする。しかしギジーの行動はまだ終わっていない。
ギジーは、かつてイングスがRobinの前に立ったときと同じように。そのまま刀を振るう。
──刃は、ミュゼットの眼前で止まった。
「──ッか野郎! ミュゼット!」
ルビィが彼女の腕をとり、強引に引いた。抗えるはずもなく、ミュゼットはその背に追いやられる。
「危なかったのですよぅ! ‥‥でも」
蒼姫はギジーをみた。覗き見える両の眼は、まだしっかりと光を保っている。
静矢が、蒼姫の隣に立ってギジーに告げた。
「‥‥少しくらい彼女の話も聞いてやれ」
ギジーは返事をしない。だが、鋭い視線でミュゼットを見据えながらも、彼女の次の言動を待っているようであった。
「私はね」
ミュゼットはルビィの背中越しに、大きな瞳を揺らがせずギジーを見ていた。ギジーの刀の切っ先は、多量の出血の影響か、微かに揺れている。
「ギーちゃんに謝らなくちゃって。ずっと苦しんでいたのを、私は知っていたはずなのに。
あの時──あなたが居場所を見つけたんだって思って、嬉しかったの。でも」
「『ネメシス』は間違いなく、俺の居場所だ」
「堕天使を殺すのがお仕事なんて、おかしいでしょお!? ギーちゃんには、そんなの向いてない」
「お前に、何故そんなことが分かる?」
「分かるよお! だって、私はずっと、あそこで──」
まくしたてていたミュゼットは、そこまで言って感極まってしまった。
「ギジーさん!」
代わりに、居ても立ってもいられないとばかりに文歌が叫んだ。
「ここにこんなにも貴方を思ってくれる人がいますっ。貴方が今の主さんに出会うずっと前から‥‥」
願いを込めて、言葉をつなぐ。
「ミュゼットさんの、想いに応えてっ」
ギジーは、刀を構えたまま、呟くように言った。
「お前と過ごしたあの場所は──俺にとって唯一の安らぎだった」
ミュゼットの瞳が潤む。ギジーの刀の震えは、止まった。
「だが、引き返すことは出来ない。俺は天使だ。そのことを証明出来る場所は、我が主──アクラシエル様の元にしかない」
ミュゼットは、ただギジーを見つめている。
「またジェネラルが来た。すまんがそろそろそっちにも雑魚が行くぞ」
明の声が対話の限界を知らせる。
「それが、あなたの答えですか?」
魅依が表情無く聞いた。ギジーは答える代わりに、ミュゼットに告げた。
「力を使い果たしたお前は、もはや死んだも同じ。二度と会うことはないだろう。‥‥せいぜい余生を長らえろ」
翼を顕現し、低く後方へ飛んだ。
「──行かせないよ」
そこには、Robinが居た。攻撃態勢を整えていた彼女は、ギジーを再び拘束しようと電撃を放つ。
ギジーは瞬時に刀を抜き換え、迎え撃った。光を切り裂き、直撃を免れる。
「ギジー、あなたは『組織の道具』には向いてないかもだね。ミュゼットの言うとおり」
視線を合わせた刹那に、Robinは言った。
「あたしと違って、あなたには感情があるからね」
ギジーはなにも答えず、Robinを躱して更に後方へ逃れていく。
「ここまで来て、逃がすかよ──!」
「ミュゼットさん!?」
ギジーを追おうとしたルビィだったが、蒼姫のせっぱ詰まった声に足を止めた。振り返ると、ミュゼットが膝をついている。
「大丈‥‥夫、つかれた、だけ‥‥」
そして意識を失った。文歌があわてて抱き止める。
これ以上は、こちらの撤退が難しくなる。意識のないものたちを護って退くより他なかった。
●
「そう‥‥うまくいかなかったんだ」
意識を取り戻した愛は、顛末を聞いて下を向いた。
「みんな、ごめんね。大変な思い、させちゃったね」
ミュゼットも申し訳なさそうに顔を伏せている。
蒼姫が場を取り繕うように、明るい声を出した。
「でも、ミュゼットさんもアルグスさんも護れて、良かったのですよぅ☆」
「‥‥そうだな」
静矢も同意した。
ミュゼットに外傷はなく、意識を取り戻した後はすぐに元気になった。
アルグスは重体であり、決して楽観できるものではないが、ひとまず命に別状は無いとの診断だった。
「それも、みんなのおかげだね」
ミュゼットは顔を上げた。
「こんなこと言っちゃ悪いかも知れないけど‥‥言いたいことはちゃんと言えたし、そんなに後悔は、してないんだあ」
「ミュゼットさん‥‥」
文歌は胸を押さえた。
「ギジーは、また別の戦場に出てくるでしょう」
魅依が冷静な口調のままで言った。
撃退士と対峙すれば、戦いは避けられない。
「もう、私は戦場にはいけないよ。戦う力はもうないし、お爺さまが今度こそ許してくださらない」
割り切ったように。
「いいのか?」
ルビィが念を押しても、ミュゼットは「うん」と頷いた。
「後は、みんなにお願いするしかないから。
ギーちゃんを‥‥ギジーを、止めてあげて」
ミュゼットの、やけに澄み切った表情を、Robinは無言で見つめていた。
「やれやれ、これが今日の結末か。総取りにはほど遠い。‥‥とはいえ」
明は笑顔を崩さない。
「また明日もそうとは限らないがね」
横浜を巡る戦いは、既に佳境を迎えていた。
【神罰の徒】/了