ギジー・シーイール(jz0353)率いる軍勢が進軍しているとの報を聞いて、園内の市民たちはざわついていた。
「大丈夫です。皆さん、落ち着いてください」
「ここはアキたちが絶対、死守するのですよぅ☆」
川澄文歌(
jb7507)や鳳 蒼姫(
ja3762)が声を掛け、広場に集められた彼らを落ち着かせている。
パニックを起こすものがいないのは、彼らがある意味で「襲撃慣れ」しているからでもある。皮肉な理由だが、とにかく今はありがたい。
「イングス、どっちのギジーが本物かは分からないのお?」
ミュゼットは端末に呼びかけている。話し口もどことなく、焦りがあるようだ。
『遠目から確認しただけではなんとも。近づいてみれば分かるでしょうが‥‥』
イングスの返事を聞き、焦れ気味に唇をとがらせる。
『もう敵がきます。俺はこのまま北上してくる敵を抑えます』
『あたしもここで迎撃するね』
通信にRobin redbreast(
jb2203)の声が割り込んだ。
『敵の数も多いから、後何人か送ってくれると助かるかな、よろしくね』
「ギジーは闇に潜んで標的を仕留めるタイプだったよな?」
「その通り。隠密バックスタブが大得意さ。さて──」
小田切ルビィ(
ja0841)が確認するように口にすると、鷺谷 明(
ja0776)が答えた。
「そんな輩が、最初から姿を見せるというのはあるのかねえ?」
「そうだね」
顎に手を添えて頷くのは鳳 静矢(
ja3856)。
「山小屋の時のような遮蔽物のない状況ならともかく‥‥」
今回は草木の繁る植物園。周囲は住宅地だ。身を隠す場所は十分にある。
「案外、どっちも偽物だったりしてな!」
ルビィが言うと、ミュゼットの肩がそわと跳ねた。
「またどこかに潜んでいる可能性は十分に考えられるというわけだ。気をつけるべきだね。特に、堕天使の諸君は」
明がミュゼットと、次いでアルグスを見て言った。
「正直に言うと私を狙ってくれれば楽なのだがね」
明は不敵に笑みを貼り付けたまま、さらりと言ってのけた。
「何にしてもまずは彼らを止めねば」
静矢の言う彼ら、とは、隣接する中学校から南進を始めたという避難民たちだ。
「私も行きます」
すでに体を向けている静矢に、文歌が言った。
「うむ‥‥ローリングスフィアタートル以外に、隠れている敵がいないとも限らないか」
もしかすれば、それはギジーかも知れない。
「ミュゼットさん、私たちはイングスさんたちと合流しましょう」
山里赤薔薇(
jb4090)がミュゼットへ右手を差し出した。
「避難民の人たちは川澄さんと鳳さんに任せましょう。大丈夫、あの二人ならやってくれます」
「ミュゼットさん」
その背中に、文歌が声をかけた。
「園内を移動するときは、なるべく飛行した方が良いと思います。特に南の方は植物が多くて、隠れやすい地形でしたから」
「わかった‥‥ありがとおね」
文歌はミュゼットの返事を確認すると、静矢とともに駆けだした。
「私たちも‥‥」
「その前に、ひとつだけ」
ミュゼット、アルグスとともに南へ発とうとした赤薔薇を、明が制した。
「堕天使諸君に問うことがひとつ。汝、何を以て快と為す?」
「‥‥カイ?」
突然の問いに、ミュゼットはぽかんと聞き返した。
「悦楽、あるいは快楽。まあ私はどんなことでも楽しめてしまうわけだけど。君たちは何を快として今を生きているのかと思ってね?」
ミュゼットは、答えに詰まった。
「ミュゼット様」
アルグスが注意を引いた。すでに敵は近づいている。
「ご、ごめん、終わってからでもいいかなあ?」
「もちろん。宴のうちに聞いておけば良かったのだが、今思いついたものでね。詮方なし詮方なし」
明はからからと笑い声をあげた。
「後は、ギジー・シーイールにも問うてみたいところだね」
まあ会えたらの話だけれど。
本物のギジーは果たして、どこにいるものか。
●東・正面入り口前−1
(‥‥来ましたね)
狗猫 魅依(
jb6919)の視界にサーバントの姿が入った。最初に認識したのはロウスナイプ。魅依にとっては見慣れた相手だ。
その奥に、こちらは見慣れない、黒光りする全身鎧が二体、いかにも重厚そうな足取りで正面入り口を目指している。
そしてそれらを先行させて一番後ろを歩いているのが、豚の顔を持ち、コートに身を包んだ男の姿だ。
(ギジー・シーイール‥‥確かに、そう見えますね)
距離のある状況では、魅依にも判別はつかなかった。佇まいはそれらしいが──。
(誘っているようにも見えますが‥‥)
魅依は入り口の外にあって、すでに物陰に身を潜めている。先手をとることは可能だが、一人で仕掛けるのではいかに潜行の技があっても、反撃を食らうのは免れない。
武器を構え、息を殺して仕掛ける機を待ち受ける。
一方、入り口前では明がなにがしかの術式を行っていた。
「これでよし。君たちはここに入らないように注意してくれ」
明はまた不敵に口の端を吊り上げた。
「よく分かりませんが、了解なのですよぅ☆」
蒼姫が敬礼のような仕草で応える。ルビィも深く詮索する時間はないと考え、前を向いた。
「もうあちらさんがご到着だ」
彼らの正面に二体の全身鎧。その周囲にロウスナイプが浮かんでいる。
ルビィはその奥、マフラーと帽子で表情を隠しているギジーへと、挑発めいた笑みを見せた。
肩に担いでいた大剣を握るその手に力込め、挨拶代わりに大上段へと振りかぶる。
「さて、本物かどうか──見定めさせてもらうとするぜ!」
刃の切っ先が振り下ろされ、放たれた衝撃波が迫る全身鎧を呑み込んだ。
ルビィの派手な歓迎を皮切りとして、敵味方が動き出す。
「行きますですよぅ☆」
蒼姫は入り口の奥から、思い切り楽器を吹き鳴らす。クラリネットの包容力のある音とは別に、敵を薙ぎ払う衝撃がほとばしり、射撃体勢に入っていたロウスナイプを弾き飛ばした。
さらに別方向からも刃が飛び、スナイプの側面に深々と突き立った。疑似機械生命は浮遊する力を失い、地面に落下する。
それは魅依の放った一撃である。彼女は敵の目が自分に向く前に、別の地点へ向け移動を開始している。
一方で全身鎧──ロウジェネラルというのは後から残骸を調査した結果判明することになる名称だが、その敵を真っ向から迎え撃とうとするのがルビィだ。
「ここから先へは入れさせねェぜ!」
避難民たちが集まっている園入り口を背中に控え、ルビィは啖呵を切った。
封砲を浴びた一体もその程度では動きを止めてくれる様子はなく、二体はほとんど足並みをそろえて向かってくる。
そこへ、横合いから明が切り込んだ。常人離れした筋力でもって鎧の横腹を殴りつけると、材質不明の重鎧がへこみ、隙間から機械の配線のような構造が露出する。
「へえ、こいつも機械なのか。作成者の趣味かね?」
明は感心したように言ったその直後、反撃があった。
ルビィの正面にいたジェネラルの膝がバクンと開き、露出した弾頭が即座に発射される。
そして明の攻撃を受けたもう一体は、肩の装甲を展開させた。目玉のような装置から、彼に向け光線が走った。
「おおっと」
明はそれをひらりと避けた。はずれた光線が地面を焦がす。
「結構危なかったな」
「こっちもなかなかの威力だぜ」
ルビィはミサイルの直撃は避けたものの、ごく小範囲に広がる爆風を避けきれなかった。腕のあたりに裂傷と火傷が生まれる。
サーバントとはいえ、なかなかの強敵であることは知れた。だが──と、ルビィは剣を構えなおす。
「耐えられない程じゃない。このまま抑える──!」
明もまた、余裕を残した表情でちらと先を見やった。
ギジーらしき存在は一定の位置から動かず、戦況を見つめるようにじっとしている。
「これを片づけたら、先ほどの問いを投げるとしようか」
「お二人が大きいのを抑えてる間に、アキは狗猫さんとロウスナイプを片づけるのですよぅ☆」
一人後衛にいる蒼姫はそう言ったが、相方となるべき魅依は別の場所に潜んでいて、返事はない。
「なんかちょっと寂しいですねぃ‥‥とにかく! 他の戦況も気になりますし、バンバンと! 行くのですよぅ!」
気を取り直して、マウスピースに息を吹き込むのだった。
●南・跨線橋手前ー1
大船駅からつながる鉄道の線路、そして目前の柏尾川をまとめてまたぐ橋の手前で、Robinと堕天使のイングスが敵を待ちかまえていた。
「イングスは飛べるでしょ? その方が戦いやすいなら、そうしていいからね」
「いや、俺たちが分かれるのは得策ではないだろう」
Robinへと背中を向けたまま、イングスは答えた。
「こっちは今二人しかいない。幸い、敵はほとんど橋を渡って来るようだ。俺が抑えるから、そっちは自由に動いて数を減らしてくれ」
「わかったよ」
園内から赤薔薇たちが向かうとの連絡は受けていた。だが、敵が射程に入る方が早い。
接近を続ける巨大なゴーレムの陰に隠れるようにして浮かぶロウスナイプが、こちらへ向け射撃を開始した。イングスは盾をかざして弾丸を明後日の方向へと弾く。
敵陣のさらに後方から、青い尾羽の鳥が二羽飛び立った。二羽ともが橋の袂へは向かって来ずに、北西の方向へと飛んでいく。
「今の‥‥」
Robinの視線が鳥を追って流れたが、すぐにイングスが「気にするな」と呼びかけた。
「あちらにも仲間が向かっているのだろう。ミュゼット様たちが来るまで、ここを護ることだけを考えた方がいい」
あちこち心配できるほど余裕もないしな、と続けて言ったその言葉からは、一緒に巡回を始めた頃の固さが少し抜けているように、Robinには感じられた。
「そうだね」
Robinは頷き、魔具を振るう。すぐ前に立つイングスと、そしてゴーレムの巨体をも利用しながらロウスナイプの射線を制限し、狙われない位置取りから範囲攻撃で敵を灼いた。それでも狙われたときは、イングスが身を挺してかばってくれた。
(ギジーに動きはないね)
橋の奥で、ギジーらしき姿の存在は戦況を傍観している。
(本物が別の場所から来るとしたら‥‥どこから来るかな?)
死角となりそうな場所を時折警戒しながら、Robinは攻撃を続行した。
●北西・中学校そばー1
静矢と文歌はともに全速力で園内を西に駆けた。今は葉を繁らせるばかりの梅の木が並ぶ地帯を一瞬で駆け抜け、隣接する中学校舎を右に見ながら疾走する。
すぐに敷地を区切るフェンスが見えてきた。もう少し南に行けば通用口がある。
「川澄さん、私は先に行く」
静矢は文歌にそう告げると、そのままフェンスに向かった。両の足にアウルを集中させ、跳ぶ。
五メートルはあろうかというフェンスを触れもせずに飛び越えて、反対側へ着地した。
「えっ、と」
置いて行かれた文歌は逡巡した後、フェンスに飛びついた。
道路に降り立った静矢は、北側に気配を感じた。何かを「させよう」とする意思。催眠の波動だ。
「あれか‥‥」
南進する避難民たちも、すぐに見つかった。何しろ百人前後の大人数だ。
彼らに近づくほど、波動ははっきりと静矢に響いた。ならば、あの群の中に波動を生み出しているスフィアタートルがいることも間違いない。
だが、問題は‥‥。
「くっ‥‥通してくれ!」
静矢は避難民たちの中に割って入っていこうとしたが、それは簡単な事ではなかった。彼らは密集している上、静矢に正面に立たれると邪魔をされると感じるのか、彼を押し退けようとするものも多くいたのだ。
もちろん静矢がその気になれば押し退けられるのは彼らの方であるのだが、正気を喪っているとはいえ一般人にそこまで手荒な真似も出来ない。
「静矢さん!」
追いついてきた文歌が、なにやら空を示している。
「あれは、サーバントか?」
青い尾羽の鳥が二羽、こちらに向かって急接近してきていた。
「だが今は、タートルを見つけだす方が先決だ」
静矢はそう判断し、なおも避難民の群の中に割って入る。文歌も同様に考えたらしく、静矢とは別方向から群にとりつこうとする。
鳥型のサーバントは避難民たちの上空まで到達すると、一度大きく旋回をした。
「!」
直後、尾羽の先が光って、氷の針が撃ち出された。不意打ちに警戒していた静矢は即座に反応し、刀の刃で針を受け止める。
弾き飛ばさなかったのは、周囲にいる一般人を考慮してのものだった。
「──ぁっ」
だが、その声を聞いてはっとする。静矢のすぐ後ろ、密着するような位置にいた男性の腿に、氷の針がはっきりと突き立っていたのだ。
(人が多すぎる!)
狙われたのは、静矢のごく周辺だけだった。サーバントも一般人を素材、あるいは飼料のようなものと考えている以上、むやみに攻撃することはないのだろう。だが、これだけ密集していては例外も生まれる。
「静矢さん、私が行きます」
人混みの中をするりと抜けて静矢のそばへ寄った文歌が、小声で告げた。彼女は潜行スキルで気配を隠し、身を低くして人の群に紛れることで、サーバントの索敵をかいくぐっていた。
「静矢さんはあの鳥を引きつけてもらえませんか?」
(確かに、このままでは怪我人を増やすことになってしまうか)
自分の周囲に一般人がいる状況を、これ以上継続するべきではない。
「わかった」
静矢は同意すると、避難民の群から飛び出した。「こっちだ!」上空の鳥に自分の存在を見せつけながら、距離を開いて敵を引きつける。
(今のうちに‥‥!)
文歌は潜行を継続しつつ、避難民の間をすり抜けて奥へと進んでいった。
●東・正面入り口前−2
ロウジェネラルが大斧を強烈に叩きつけた。だがそれは地面を砕いただけで、標的にされていたはずの明は平然とそこにあった。
「当たらないねえ」
正面からの通常攻撃ならば、形代を使わずともそうそう食らわない自信があった。
ルビィは敵の攻撃を捌きつつ、側面に回り込む。そうすると、明を狙った直後の個体もまとめて二体のロウジェネラルが直線に並んだ。
「隙だらけだぜ!」
大剣を振り抜き、封砲に敵を呑み込ませる。──衝撃波が過ぎ去っても、それらは倒れることなく動いて、また内蔵武器を各々の肩・膝から発射した。
「ちっ、さすがにしぶといな」
舌打ちするルビィの脇をすり抜けるようにして、ロウスナイプが入り口脇から進入を試みた。
「やらせないのですよぅ!」
その先を護っている蒼姫は、射撃の銃弾を肩口に浴びながら反撃した。痛みは旋律に乗せず、あくまでも軽やかに。音の魔法は機械を揺さぶり破壊した。ロウスナイプは飛行する力を失って入り口の壁に激突し、そのまま落ちて動かなくなった。
タイミングを同じくして、やはり突入の素振りを見せていたスナイプを魅依が撃破した。
(これで‥‥)
残るは全身鎧二体と、ギジーらしきもの。
「ふむ」
明は敵の肩から放たれたビームを紙一重で躱した。
「思ったよりも押し込みが足りないな。仕掛けが無駄になってしまう」
そううそぶくと、ロウジェネラルに急接近し、足をかけて体を入れ替えた。全身鎧の巨体を、入り口側に一歩、押し込むように。
『そこ』へ進入した途端、サーバントの体が淡く輝いた。明があらかじめ準備していたその場所だ。
邪毒の結界。
淡い輝きが消えると、全身鎧は急に油が切れたかのように動きがぎこちなくなった。何かが干渉しているのか、ギシギシと不快な音も聞こえる。
「チャンスですねぃ!」
好機を逃さず、動きを止めた敵に撃退士たちは攻撃を集中する。明が杖をフルスイングすると、兜ごと頭がもげて地面に転がり落ちた。
これでやったか、と思った瞬間。
全身鎧の胸部が上にスライドし、中の機構を露出させた。中心に光が走るのを、明の他、ルビィも間近で見た。
もう一つの内蔵武器。このタイミングで見せるということは──。
「まずっ──」
ルビィの警告が発しきられるよりも早く、閃光がはじけた。
距離を離していた蒼姫の元には光の他に爆風と轟音が届き、他の音すべてをかき消した。
「まさか‥‥」
爆風をやり過ごした腕を解き、目を瞬かせて見やると、立ち上る煙に紛れて男の背中が見えた。ルビィだ。
「大丈夫ですか!?」
「ああ‥‥なんとかな」
蒼姫に振り返ったルビィの額から右目にかけて、血が大量に滴っている。
「まさか、自爆するとは思わなかったぜ」
追いつめた全身鎧の爆発に呼応するように、傍にいたもう一体も爆発した。発生したエネルギーは主に上方へ吹き上がるように放たれたため、それほど広範囲に影響があったわけではないが、近接していたルビィは巻き込まれた。
そして、明も。
「──大丈夫だ、息はある」
倒れている彼の様子を調べて、ルビィは蒼姫に告げた。だが、この場での戦闘復帰は難しいだろう。
ロウジェネラルの三つ目の内蔵武器──自爆攻撃の可能性を少しでも考慮できていたものはいなかった。ルビィと明の立場を分けたのは、単純に耐久力の差だ。
ルビィは屈めていた腰を上げた。この場に残った最後の敵を鋭く見やる。
「これもアンタの指揮なのかい?」
そこには、サーバントをすべて失ってもなおそこに立つギジーの姿があった。睨めつけられても微動だにせず、かといって逃げる気配もない。
ルビィは翼を顕すと、風を纏わせ一気に飛んだ。
「ミュゼットの幼馴染のギジーってのは、アンタのことなんだろ?」
その名をわざわざ口にしても、深く帽子を被り込んだ異形の男はぴくりとも反応しなかった。
「この期に及んでダンマリか。いくら何でも──」
眼前に大剣をかざし、急降下する。
「そりゃないだろ!」
『それ』が偽物と断定したルビィは、落下の勢いを剣速に乗せて、容赦なく叩きつけた。布槍を顕現した蒼姫もタイミングを合わせるようにして接近し、魔法を撃ち込んだ。
そして背後から、無数の刃がその背に突き刺さる。
幾度かの攻撃を浴び、ギジーの姿を模しただけのサーバントは、大した反撃も出来ないままにあっけなく活動を停止した。
「‥‥やはりハリボテでしたか」
周囲に敵がいなくなり、気配を明らかにした魅依はどこか不満げにそう口にした。
「他所でギジー発見の報告はありませんか?」
「どこからも特に連絡は来てないのですよぅ」
蒼姫も困ったように眉根を寄せる。
「今更ここに出てくるって事はないだろ」
ルビィが言った。サーバントの増援の気配もなく、ここには堕天使もいないのだから、その可能性は限りなく低いのだ。
意識が回復しない明は避難民たちに面倒を見てもらうことにして、三人は戦闘が継続しているらしい南へと急ぎ向かった。
●北西・中学校そば−2
青い尾羽の鳥の一羽が、甲高い啼き声ひとつ響かせ、静矢に向かって急降下してきた。翼の先に鋭く尖った羽がいくつも生えており、その切っ先で傷つけようとする。
静矢も刀を正眼に構え、すれ違いざまに斬りつけた。互いの刃が互いの肉をいくらか切り裂いて、瞬時の接触は過ぎ去りゆく。
手応えはあったが、鳥は上空へと抜けていった。間髪を入れずに、上空に残っていたもう一羽が静矢の周辺に氷の針のシャワーを降らせる。
今は周囲に一般人がいない。静矢は刀で遠慮なく針を弾き飛ばした。敵は素早くはあるものの、攻撃力はさほどでもない。静矢一人でも、時間をかければ撃退は可能だろう。
だが、いま彼の関心はそこにはない。
(まだか、川澄さん)
背後の民衆との距離を測りつつ、その中にいる仲間の成果を焦れて待った。
文歌は集団の中で、人を避けながら中心部を目指していた。
彼女の肌にも届く催眠の波動は、奥に進めば進むほど強くなる。波動の主は、やはりそこにいるはずだ。
やがて、文歌はたどり着いた。ローリングスフィアタートルは、避難民の一人に抱えられて、集団の中心であたかも王のように鎮座していた。
周囲の人の多さもあり、接近しなければ攻撃できない。文歌は背後からタートルに近づいた。
不意の一撃を、その回転するスフィアに放とうとした瞬間、ドォォォオン‥‥という、空気を低く振るわせる音が耳に届いた。
(今のは‥‥?)
いずれかの戦場の音だろう。感じた不安を振り払い、文歌はスフィアを打ち砕いた。
*
「蒼姫から連絡があった。とりあえず、正面入り口は片づいたようだよ」
文歌とともに鳥サーバントを撃破した後で、静矢はそう言った。
「ギジーさんは‥‥?」
「まだわからない、が‥‥」
正面入り口にも、こちらにも、結局ギジーの姿はなかった。となれば。
「皆さん、意識は大丈夫ですか?」
「あ、ああ。何とか‥‥」
文歌が呼びかけると、避難民の一人が答えた。催眠からは回復したものの、その影響でまだ少し意識がぼやけているようだ。
「この先の通用口を開けてもらいますから、皆さんは植物園に一時避難してください。私たちは、残りの敵を片づけにいきます」
それでも静矢が告げた内容は伝わったようで、先頭の男が号令すると、それに従ってぞろぞろと移動を始める。
「彼らはこれで大丈夫‥‥私たちも急ごう」
そこまで見届けて、静矢と文歌は再び駆けだした。
●南・跨線橋手前ー2
赤薔薇は全速力で駆け抜けた。薔薇の花咲く園を、香りに気づく間もなく突っ切って、瞬間移動でさらに距離を稼ぎ、ほんの二十秒ほどで南側の橋の手前で繰り広げられる戦場へとたどり着いた。
Robinとイングスは二人ともまだ健在で、橋の入り口でサーバントを抑えている。赤薔薇はそこへ合流すると、イングスが立つ位置より少し前にスリープミストを発生させた。
「早かったな」
イングスが少々驚いた様子を見せる。盾をかざして攻撃を防ぐ役目は継続しつつ。
「イングス! まだ平気!?」
赤薔薇の到着よりややあって、ミュゼットとアルグスが上空から合流した。ミュゼットは地上に降りるとイングスのそばへ寄り、彼がここまでに負った傷のいくらかを癒した。
「これが俺の役目ですから」
回復を受けてもイングスの負傷は目立ったが、全く平然と彼はそう言った。
「あいつ‥‥!」
アルグスは上空から橋の先を見やった。
そこには、正面入り口での戦いと同じように、ギジーの姿をしたものが佇んでいる。
ミュゼットもそちらを見た。「ギーちゃん」口元が動いた。
「あのギジーは偽物かもしれない」
すかさず、赤薔薇が言った。「慎重に行動しましょう」
「そうだね、罠かもしれないよ」
Robinもミュゼットを諭すように続けた。
「機会を待とう、みんなを信じてね」
ミュゼットは二人を交互に見て、安心させるように笑みを浮かべた。
「うん。‥‥まずは、ここを切り抜けなきゃね」
Robinとイングスが増援の到着まで耐えきったことで、ここでの戦局は俄然有利になった。
イングスは相変わらず積極的に前線に立ち、攻撃を引き受けた。近接戦を得意とするアルグスも、翼を駆使しつつ直接攻撃を仕掛けてゆく。
彼らのおかげで、Robinと赤薔薇はほとんどターゲットにされることなく、敵の掃討に力を注ぐことが出来た。
「あのゴーレムはかなり頑丈だよ、集中攻撃しないと倒せないかも」
Robinははじめから頭の部分がないゴーレムを見据えつつ、赤薔薇に言った。二体のうち一体はすでに左腕が砕け落ちていたが、まるで意に介さずこちらへ圧力をかけてくる。
「そうですね‥‥」
赤薔薇は答えつつ、視線を動かした。橋の下、川のあたりに目をやる。そこに敵影はない。
(ギジー、あなたには二度と堕天使たちを殺させないわ)
眼前に佇むその姿は、撃退士たちが攻撃を仕掛けないせいか、まるで行動する気配を見せなかった。それよりも、赤薔薇は潜行による不意打ちを強く警戒していた。
*
ここまで、ギジー本人と断定できる存在は、三つの戦場のどこにも現れていない。
彼はどこにいるのだろうか。
──どこかにいるとするならば、何を狙って行動するだろうか?
*
左手後方から、ドオォォオン‥‥という大きな音が響いてきた。
「正面入り口の方だね?」
Robinははっとした。何があったのだろうか。
イングスたちから数メートル後方に位置取って弓での援護を続けていたミュゼットも、つられるようにしてそちらを見た。
「ミュゼット様」
イングスが名を呼び、戦闘に集中しろとたしなめる。「わかってるよお」ミュゼットは拗ね気味な声で答え、彼が抑えているゴーレムへと矢を放った。
そのとき、赤薔薇はミュゼットを見ていた。彼女に迫る黒い風──いや。
黒い影に、気がついた。
「ミュゼットさん!」
直接彼女をどうこうするには、赤薔薇はミュゼットから距離を離してしまっていた。ただ、声は彼女に届く。
ミュゼットは振り返った。目前に迫る、黒。その中に光る、銀。
ミュゼットの瞳は一瞬だけ揺れた。影の中の光は、揺らがない。
影の中から延びた刀の先端が、ミュゼットの喉元へ寸分の狂いなく、突き立てられた。
ギジー・シーイールは、目を見開いた。
刀の柄を握りしめた己の両手に、予想外の固い感触が返ってきたからだ。
肉を切り裂くそれとはほど遠い、まるで鉄壁を叩いたかのような──。
「──防いだだと」
切っ先は、狙い通りミュゼットの喉を捉えていた。だが少女の面影を残す、彼女の白い喉元には、ほの赤い筋をつけたのみだった。
「ギーちゃん」
ミュゼットは、懐かしい声色でそう呼んだ。直後。
「ぐぅっ‥‥!」
彼女を中心に光がほとばしった。残っていたサーバントが縛り付けられたように動きを止める。
もちろん、ギジーも。
「みんな! お願い!」
ミュゼットの叫びに、アルグスとイングスは即座に反応した。すぐさま身を翻し、渾身の力でギジーに斬りつける。
赤薔薇とRobinも、すぐに理解した。ギジーを無力化し捕らえる、今が絶好の機会なのだと。
赤薔薇の放った電撃がギジーの体を灼いた。まともに浴びて、ギジーは苦悶の表情を浮かべる。
Robinも限界まで闇を濃く纏った。光を呑み込む弾丸を撃ち込むと、ギジーの右肩の肉がぱっと弾け、赤い血を散らした。
ミュゼットは飛びすさり様に矢を放った。ギジーの左太腿に命中する。
「やったか!?」
だがアルグスがそう口走った直後、
「──がぁっ!」
ギジーは絞り出すように吼え声をあげ、刀を一閃させた。まだ動く。
「それなら、もう一発──」
Robinは再びグローリアカエルの発射態勢をとる。ギジーはそんな彼女に鋭い視線を向けた。
一気に距離を詰め、斬り捨てようとする。
滑り込むように、イングスが二人の間に割って入った。
ギジーは意に介さず、直前にミュゼットを狙った時と同じように刀を突き出した。イングスは手にしていた槍で刃を弾こうとしたが、かなわず。鋭い突きが、彼の喉にまともに突き立った。
ギジーが刀を引くと、大量の血液が散り、イングスはたたらを踏んだ。
半身になってRobinの方を見やると口元を動かす。
音はでなかった。──a、o、u。
その声なき声を末期として、堕天使イングスはその場に崩れ落ちた。
「‥‥っ」
光景を目の当たりにしたRobinは小さく息を吸った後、闇の弾丸を放つ。ギジーは瞬時に刀を抜き返ると、迎え撃った。弾丸に刃を合わせ、絶妙に威力を殺す。
「よくも、イングスさんを!」
激昂した赤薔薇が突っ込んできたが、守りに徹したギジーの刀は彼女の雷をも切り裂き、威力の大半を減衰した。
「──はぁっ」
続けて二つの攻撃を捌いたギジーは、ひとつ息を吐く。
そこへ連なる、もう一つの攻撃。
極限まで高めた冥魔の力で形作った槍──邪槍がギジーの腹めがけて伸ばされた。正面入り口から駆けつけた、魅依の必殺の一撃。
ギジーは歯を食いしばりながら、三度刀を振り抜いた。邪槍の切っ先に刃が食い込み、受け止める。
だが、音は消えなかった。邪槍は軌道を逸らされ、空へ弾かれたが、そのさなかにギジーの左肩の肉を大量にえぐり取った。
(効いた──何故?)
軽いとは思えぬ負傷の故か、あるいは別の何かか。
「くっ」
ギジーはふわりと宙に浮くと、大きく後方へ飛んだ。
「あっ、ギジーがいるのですよぅ!」
蒼姫とルビィも、魅依からやや遅れて現れた。だがその時には既に、ギジーは橋の奥へと退がりつつある。
「この──逃がすかよ!」
退路を守るように道を塞いだゴーレムに、ルビィが大剣を激しく突き込んだ。それで一体はぼろぼろに崩れ消えたが、もう一体はなお立ち塞がる。
ルビィは風の翼を再び顕し、ゴーレムの巨体を飛び上がって躱したが、そのころにはギジーとは明確な距離が開いていた。
「静矢さん、ギジーさんが‥‥!」
「ああ、だが‥‥ここからでは間に合わないか!」
文歌と静矢も大通りに曲がり、全力で駆けつつ状況を把握したが、後退するギジーを止める有効な手だてはすでにない。
「くそっ‥‥!」
舌打ちするルビィの横に、ミュゼットが並んだ。そして、声を張り上げる。
「ギーちゃん! ギーちゃんの楽しいことってなあに!?」
唐突な問いである。
だがそれは戦いの直前、明が彼女に問うたことだった。
「私はねえ、みんなとお茶を飲んだり、お菓子を食べたり、お花を見たりして! 笑い合ったりしてるときが、一番たのしいなあって、そう思うの!」
ギジーは、動きを止めた。体を巡らし、ミュゼットに向き直る。
「俺は『ネメシス』の聖裁官、ギジー・シーイール」
低いが、思いの外よく通る声でギジーは言った。
「我が主の望むことを為す、それこそ俺の悦びだ。──忘れるな、ミュゼット」
●
この戦いの後、ギジーはしばらく活動のなりを潜めた。
そしてその間に敢行された【Operation;Britz】によって鎌倉ゲートが解放され、横浜と鎌倉、二つのゲートに挟まれていた大船の状況にも変化が訪れることとなる。
<続く>