避難指示によって営業を停止した植物園の、いまは開放されている正門をくぐって中に入る。
「炊き出しはあっちでやってますよ」
一行を誘った清水が荷物を抱えた右腕をあげた。
「おお、確かにそのようじゃ」
小田切 翠蓮(
jb2728)はしたり顔で頷く。
「これは参加せぬ訳にはいくまいて」
早速広場へ向かっていった。
「ふむ‥‥そういうことなら、私も一役買うとしようか」
「アキもお手伝いするのですよぅ☆」
落ち着き払った物言いの鳳 静矢(
ja3856)と、その隣で朗らかに宣言した鳳 蒼姫(
ja3762)の二人も続き、ほかのものも三々五々に園内へと進む中‥‥Robin redbreast(
jb2203)がミュゼットの袖をついと引いた。
「いま、外の偵察はイングスひとりなのかな?」
「そうだよお」
「ふうん‥‥じゃあ、あたしは一緒に見回りしてようかな」
遊ぶことはまだ、あまり慣れてなくて──Robinは申し訳程度に微笑むと、園の外へと踵を返した。
●
芝生の敷かれた空間は広々としていて、人が多く集まってはいても開放感に溢れていた。
「小さい子もいるんだにぇ」
狗猫 魅依(
jb6919)の言うとおり、人の間を縫って子供たちが歓声を上げながら駆け回っていた。
「炊き出しのテントはあそこかのう」
広場の際に仮設のテントがあるのを見つけ、翠蓮は清水から野菜の袋を預かり向かう。
「さあ、食材と人手の追加じゃぞ。伊達に長生きはしておらぬ故、カレーでも豚汁でも何でもござれじゃ!」
唐突に現れたあやしなる美貌の男性に周囲が戸惑っていると、翠蓮は眼帯に隠されていない左目を柔和に細めてみせた。
「『同じ釜の飯を食った仲』とやらに儂もなって良いかのう?」
「やあ、これは天使様。ようこそお出でなさいました。まずは一杯」
一方、ミュゼットは別の市民から歓待を受けていた。一升瓶を差し出され、困惑している。
「こりゃどうも。遠慮なくいただこう」
背後からすっと現れた鷺谷 明(
ja0776)がミュゼットの代わりに酒瓶を受け取った。ついでに紙コップを複数拝借すると、そのうちの一つを、後ろの方で所在なさげに立っていたアルグスへと放り投げた。
「君も飲みなよ、アルグス君」
アルグスは胡乱げな視線を返したが、「アルグスぅ‥‥」とミュゼットに心配そうな目を向けられると諦めたように側に寄ってきた。
「食え、飲め、遊べ、死後に快楽はなし、とね」
明はアルグスの肩をぽん、と軽くたたくと、互いのコップに酒を注ぎ、早速あおる。
そして、なんだこりゃ安酒だな、と言って笑い、二杯目を注いだ。
「生きているのだから笑わなければ」
戸惑うアルグスにそう告げて、また酒をあおった。
*
魅依は上空へあがり、双眼鏡越しに周囲の様子を警戒していた。
「とりあえずだいじょ〜ぶ〜」
端末から仲間に連絡を送り、下方の広場を見下ろした。
「んみ‥‥らっこ」
謎の言葉を残して魅依は地上へ降りていった。
そのころ地上では、ラッコの着ぐるみをきたシズらっここと静矢が子供たちの総攻撃を受けていた。(謎でも何でもなかった)
「ラッコだ!」
「ラッコだー!」
「Oh! rakko!?」
手にした白板には『みんなで仲良く押さず駆けず並んでね!』と書かれていたが、突然の着ぐるみ登場にテンションが振り切れた子供たちの目には入らなかったらしく、蹴るわ叩くわ飛びかかるわの大騒ぎである。
「ほれ、行儀良く並ばんか」
「並べない子にはアキの特製おにぎりはごちそうしてあげないのですよぅ」
翠蓮や蒼姫が呼びかけ、さらに子供たちの親が引きはがしてようやく騒ぎは一段落した。静矢はさして気にした様子もなく、落ち着きを取り戻した(空腹を思い出した)子供たちをシズらっこのまま列に誘導している。
「豚汁だってアキ特製なのですよぅ☆」
「何がとくせいなのー?」
おにぎりと豚汁を受け取った女の子が無邪気に問うと、蒼姫はにっこりと特上の笑顔を見せた。
「もちろん、愛情がいーっぱい、入っているのですよぅ☆」
●
「この土地の警備は初めてなんだ。色々と教えてくれたら嬉しいな」
イングスと合流したRobinは、二人連れ立って柏尾川沿いを東に歩いていた。
「構わないが‥‥俺に任せてくれて構わんのだが」
「あたしは‥‥仕事をしていた方が、気楽だから」
自然な気持ちとして、そう口にする。
イングスはその言葉にちらりとRobinをみたが、「そうか」と言っただけでまた先へ歩き出した。
イングスは周囲を警戒しながらも、Robinにこの辺りの地形や、以前の戦闘の跡、また敵サーバントの特徴といった辺りを淡々と教えてくれた。
「アルグスとイングスは、ミュゼット様って呼んでいるけれど、ご主人様なのかな?」
「そうだ」
会話が途切れたところでふとRobin聞くと、即答が返ってきた。
「俺とアルグスは天界でもミュゼット様にお仕えしていた」
その声には、ある種の誇りのようなものさえ感じられる。Robinは続けて聞いた。
「ミュゼットはギジーをネメシスから離脱させたいみたいだけど、アルグスとイングスはどう思っているのかな?」
「俺たちの使命は、主であるミュゼット様が願いを叶えられるよう、微力を尽くすこと。それはあいつも同じであるはずだ」
つまり、主の願いが自身の願いでもあるということだ。イングスはふと足を止めると、Robinへと顔を向けた。
「その為には、お前たちの協力が必要だ。──どうか、よろしく頼む」
大柄な体を折り曲げ、Robinへ頭を下げる。
「そっか‥‥叶うといいね。あたしもお手伝いするね」
Robinは穏やかな声で言い、二人はまた周囲の警戒へと戻っていった。
●
炊き出し会場では、山里赤薔薇(
jb4090)がむくれていた。
「撃退庁は、この町の現状を本気で理解しているのでしょうか」
「まあまあ‥‥これでも食って落ち着くがよかろう」
翠蓮が彼女を慰めようと、豚汁の椀を手渡した。
「向こうは向こうで、精一杯やっておるのじゃろうし‥‥こればかりは仕方あるまいて」
赤薔薇たちはミュゼットや清水の了承を得て、撃退庁に増員や監視カメラの増設といった支援を打診したのだ。だが答えはすべて「検討する」──事実上のゼロ回答であった。
「なんだか、ごめんねえ」
ミュゼットが申し訳なさそうに言った。余計な苦労を負わせていると思ったのだろうか。
「これは、こっちの問題だから‥‥」
赤薔薇は豚汁をすすって気持ちを落ち着かせると、話題を変えた。
「ミュゼットさん達はなぜ堕天したの」
ギジー・シーイール(jz0353)を堕天使追討組織である『ネメシス』から脱退させたいなら、堕天せずに説得した方が良かったのではないか。
問われると、ミュゼットは困ったように眉尻を下げた。
「私が、こっちに降りてきたのはねえ、天界で──」
ミュゼットが語ってくれた内容は、聞き慣れない単語も多く詳細は掴みにくい。
「要は、君んちのお家事情が絡んでいるってことか。だいぶ端折られた気がするけど」
一升瓶を抱えた明がざっくりまとめる。
だからナーマイルさん達に続いて堕天したんですね」
赤薔薇の言葉に、ミュゼットは頷いた。
「ギジーのことは、降りることを決めたあとで、知ったから‥‥」
長い間、ギジーとは音信不通だったのだと説明する。
「ギジーさんとは幼馴染さんみたいなものなのですねぃ」
と言ったのは蒼姫だ。「アキと静矢さんも幼馴染なのですよぅ☆」
「お二人は、恋人さんなんですかあ?」
ミュゼットが問うと、まだシズらっこの格好をしている(そして、時折子供達に絡まれている)静矢は白板に「夫婦です」と書いて見せた。ミュゼットは手を叩いた。
「わあ、いいなあ」
その瞬間は無邪気な少女のようでしかなかった。
「ギジーを離脱させる、とは言うが‥‥儂の見た所、ギジーが『ネメシス』を裏切るとは思えんぞい? 敵ではあるが‥‥相当に忠義心の篤き男と見た」
翠蓮の言葉に、ミュゼットはにわかに表情を引き締め、「うん」と答えた。
「私がギジーさんに会ったとき、『主の命に従う』って言っていました」
川澄文歌(
jb7507)がいつの間にかそこに合流していた。文歌は問う。
「主の心当たりや、なぜそうまでして主さんの命に従うのかわかります?」
すると、ミュゼットは二、三度瞬きをし、詰めたものを吐き出すように、言った。
「ギジーは、あんな見た目だから‥‥天界では、あんまりいい思いはしてなかった。あからさまに嫌い、って言うひともいて。
でも、最後に会ったとき、ようやく自分の居場所をみつけた、って言ってたの。そのときはわからなかったけど‥‥きっとそれが、『ネメシス』のことなんだと思う」
下を向き、呟くように言うミュゼットは、何かを後悔しているようでもあった。
「ギジーめが再び仕掛けてきた時、ミュゼット殿は彼奴と何処まで戦える?」
‥‥恐らく、迷わば命取りとなるじゃろう。
翠蓮の再びの言葉には、ミュゼットは顔を上げ、決意のこもった目をまっすぐ向けた。
「それは、大丈夫。ギジーを止めるために戦う、そのために、私たちはここにいるの」
「助けたい、んですよね」
文歌はミュゼットを優しく見下ろし、言った。
「私も恋人がいますから、好きな人を助けたいっていう気持ち、分かります」
「ふえ!? す‥‥好きな人、って、ち、違うよお!」
ミュゼットは目をまん丸に見開き、真っ赤になって否定した。
「ところで天使の結婚適齢期ってどのくらい?」
明が酒の入ったコップを持て余しているアルグスに聞いた。
「やっぱり『500年も生きてない若造が結婚なんて早すぎる』なんて言われたりするの?」
「別に年齢は関係ない。そいつが後継を持つに相応しい精神を育んでいるかどうかだ」
「ふうん」
明は自分のコップを空にすると、また次を注ぐ。
「天魔って人文科学系の研究が不十分なように思えるんだよねえ。要因は個体数が少ないのと長命だから世代交代が起こりにくいことかねえ」
肴代わりの戯れ言、とアルグスは聞き流そうとしたが、なかなかどうして鋭い指摘ではある。
何か答えようかと思案していると、赤薔薇がこちらへ寄ってきた。
「アルグスさん」
「‥‥何だ」
「こっちへ」
赤薔薇はアルグスの腕を取ると、人のいない方へと引っ張っていった。
「ところで、川澄ちゃんはどこへ行っていたのですかねぃ?」
「先に園の周辺を見ておこうと思ったんです」
当初は文歌も炊き出しを手伝う、という話だったのだ。
「それで‥‥皆さんにお伝えしておきたいことが」
文歌は険しい顔を見せた。
*
「あなたがそんな腑抜けてたら、ミュゼットさんが困る。もっとしゃんとしなさい!」
地面に這いつくばっているアルグスに、赤薔薇が厳しい言葉を投げつけた。
断っておくが赤薔薇が一方的に彼をいたぶっているのではなく、実戦形式の特訓という名目だ。だが、怪我は完治したはずのアルグスの動きは明らかに鈍かった。
「‥‥くそっ」
短刀を手に、アルグスは立ち上がった。
「なんとかしたい、とは思っているんですよね」
「当たり前だ」
アルグスは悔しげに顔を歪めている。
「俺はミュゼット様の剣だ。この命を投げ捨ててでも、ギジーの奴を‥‥」
「苦言を呈するようですが少なくともギジーが相手にいる間は自分の身を守ることも考えてください」
木々の合間から声がした。見れば、魅依が立っている。
だが、アルグスが認識している彼女とは、大分雰囲気が異なっていた。
「自分をあの人を守るためだけのものと思わずに、あの人と生きるためにいるんだと思って」
魅依は淡々と、しかしはっきりした物言いでアルグスにそう告げた。
「ミュゼット様と、生きる‥‥?」
「あれとの戦いですでに二度死にかけた小娘からの忠告ですよ」
言うべきことは言ったと、魅依は手に持っていた拘束具を体につけ直した。
「‥‥じゃーねぇ」
そして、広場の方へと戻っていった。
「何だったんだ」
「アルグスさん、これを」
魔具を納めた赤薔薇が近づいてきた。
懐から取り出したのは、腕輪であった。なかなか可愛らしいデザインである。
「ん、これって‥‥まさか、お前」
「そういうことではなく」
赤薔薇は釘を差した。
「この『ロヴンの腕輪』は、抵抗力があがるんです。差し上げるので良かったら使ってください」
差し出された腕輪を、アルグスはじっと見据えた。
「感謝する」
そして受け取り、その腕に嵌めた。
●
文歌達は、清水を伴って園内のある地点にいた。
「これです」
文歌が見せたのは、草陰に転がっているサーバント‥‥の、死骸である。
「さっき見つけて、倒しました。‥‥横浜でもこれを見ましたよね」
亀の甲羅から、棒状の物質が延びている。その先についていた球体は、今は砕けてしまっているが。
ローリングスフィアタートル。横浜ゲート展開時に市民を眠らせていたサーバントだ。
「休眠状態で、ここに隠れて‥‥隠されていました」
「これ一体とは限らぬのう」
翠蓮が顎先を撫でる。
「園内は、大丈夫だと思います。一通り見て回りましたから」
文歌の言葉に、一同は顔を見合わせる。
「この天魔は市民を攫う目的で置かれていたのだと思います」
シズらっこの着ぐるみを脱いだ静矢が、清水に言った。
「此処も安全とは言えません。避難経路や避難所の策定は万全でしょうか?」
「広い場所や安全そうな場所はできるだけチェックしておいた方がいいのですよぅ」
「ああ、そりゃあばっちりだ。こっちもここまでの戦闘で、何度も避難してるからな‥‥それより」
清水は静矢と蒼姫に、懇願するような視線を向けた。
「すぐにここから避難させるのは、ちょっと待ってくれねえか。大人はともかく、子供達のストレスを発散させてやれる機会は、今はそう多くねえんだ」
●
「皆さんこんにちは! 久遠ヶ原学園アイドル部。部長の川澄文歌です!」
足場を作っただけの即席ステージで、住民提供のカラオケマイクを手に文歌が呼びかけた。
「今日は、皆さんのリクエストにお答えしていろんな歌を歌いたいと思います! 何かリクエストはありますか?」
集まった人々から拍手が起こる。文歌の背後では、再び着ぐるみ姿となった静矢&蒼姫が愛嬌を振りまいている。
「ほれ、もふもふじゃぞ。触りたいものは順番にの。もふもふじゃぞ〜」
一方ではケセランを召喚した翠蓮が『ケセランともふもふ触れ合い&写真撮影会』を実施中で、こちらにも人が群がっていた。
そんな催し物はお構いなしに、相変わらず走り回りじゃれ合っている子供達もいる‥‥よく見ると、魅依が混ざっている。
「みんな、強い人たちなんだねえ」
彼らの様子を見て、ミュゼットはそう呟いた。
*
「‥‥イングス」
川向こうを見やったRobinが、鋭さを持って呼びかけた。
「ああ」
彼もほぼ同時に気づいたようだ。
イングスは空へ上がった。──より詳細な動きを知るために。
「すぐに知らせなきゃ」
Robinは端末を操作する。
園内にいる撃退士達の端末から、一斉に通知が鳴り響いた。
<続く>