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マスター:嶋本圭太郎
シナリオ形態:シリーズ
難易度:難しい
形態:
参加人数:6人
サポート:2人
リプレイ完成日時:2016/05/31


みんなの思い出



オープニング

 久遠ヶ原学園の斡旋所で、職員の牧田は地図を開き、難しい顔をしている。
「‥‥より大きな都市が、か。確かにな」
「なんですか?」
 潮崎 紘乃(jz0117)は、上司へコーヒーを運んできたついでに声を掛けた。
「ああ。先日の調査依頼だ。堕天使が護っている町の話があっただろう」
 牧田はいくらか顔を上げ、紘乃に地図を見せた。
 それは何の変哲もない、横浜南部から鎌倉にかけての地図だったが、紘乃は思わず顔をしかめた。出来たばかりの横浜ゲート、その支配領域が、無骨な黒いラインで示されていたからである。
「先日の調査地域はここだ」
 牧田が地図を示した。鎌倉市の北端、横浜市栄区と接するあたり。
「大船駅‥‥は、放棄されたんですよね」
「ああ。駅舎は結界の外だが、事実上領域と接しているからな。とても使えん」
 かつては複数の路線が乗り入れるターミナル駅だった大船駅。黒いラインはその上端をかすめるようにして引かれていた。
「人が残っているのはそこよりもう少し西‥‥地域で言えば玉縄のあたりだな」
 紘乃は頷いた。そこまでは、彼女も承知している話である。
「それで、何が『確かにな』なんですか?」
「こっちだ」
 地図上の牧田の指がまたいくらか西に動くと、そこには。
「藤沢駅──」
「直線距離で三キロってところだ。ぎりぎり避難区域の外だが‥‥」
 藤沢もまた、横浜に近接する都市の中では規模が大きい。駅のそばには市役所もあり、今も数十万の人が市内で暮らしている。
「大船を放棄すれば、次はここが狙われる──堕天使ミュゼットは、それが念頭にあった、ということだろうな」
 牧田の言葉に紘乃が頷こうとしたとき。

「ミュゼットじゃと!?」
「きゃあっ!!??」

 まったく予想外に響いた老人のしゃがれ声に、紘乃は文字通り飛び上がった。

「い、いたんですか、おじいさん」
「おじいさんではない。(ズズーッ)ナーマイル・オーグスじゃ」
 半年ほど前に久遠ヶ原に保護された堕天使の老人は、コーヒー(紘乃の分)を啜りながら名乗った。
「ええと、今日は呼んでいませんけど」
「そんなこたぁどうでもいいわい!」
 明らかな困り顔の紘乃を、ナーマイルは勢いだけで一喝すると、さらに彼女に迫った。
「それよりも、今ミュゼットと言ったか?」
「え、ええまあ──言ったのは牧田さんですけど」
「そのミュゼットというのは、たいそう可愛らしい、空色髪の、見ているだけで気持ちがほっこりするような、素晴らしい品格の天使ではなかったか!?」
「わ、私は直接見たわけじゃ──」
 唾がかかる距離でわめくナーマイル。紘乃は助けを求めて牧田を見たが、彼女の上司は素知らぬ顔で地図を見ながら自分のコーヒーを口にしていた。ああもう!
「ほ、ほっこりしたかどうかは知りませんけど、青い髪で女性の堕天使だそうですよっ!」
 なんとかそこまで伝えると、ナーマイルはようやく紘乃から体を離した。
「間違いない」
「はあ、もう‥‥何がですか」
「それは、わしの孫娘じゃ!」
「はあ?」

 ‥‥あまりのことに、思わず素の返事をしてしまった。

「潮崎、感情が出てるぞ」
 牧田に冷静に突っ込まれて紘乃は我に返ったが、ナーマイルの方はそれどころではないようだった。牧田の方に向き直ると、真剣な表情で訴えた。
「頼む! ミュゼットを保護して、わしの元へ連れてきてくれ!」
 だが、牧田は取り合わなかった。
「久遠ヶ原への保護は、すでに打診済みです。ただ、断られましたが」
「なぜじゃ!」
「さあ。理由も明かしてはもらえませんでした。──心当たりがあるなら、むしろ教えていただきたいですね」
「む、それは──知らん」
 牧田の冷ややかな目に見据えられるとナーマイルは一瞬口ごもったが、すぐにそう答えた。
「とにかく、ミュゼットのことはよろしく頼む。コーヒー、馳走になったな」
「あれ、私の!? いつの間に!」
 紘乃が目を白黒させている間に、ナーマイルは立ち去っていった。

「ふむ‥‥」
 顎の下をぽりぽり書きながら、牧田は考える。
(あのじいさんより、孫娘だっていうその堕天使の方がまだ余地がありそうだが‥‥)
「まあ、そっちは学生に期待するしかないか」
「え、何ですか?」
「いや‥‥町へ送り出した学生たちは上手くやっているかな、と思っただけさ」
 それだけ答えて牧田はまたコーヒーの入ったカップを持ち上げる。紘乃は珍客によって空にされた自分のカップを釈然としない思いで片づけ始めた。



 大船駅から川沿いに西へ一キロほどいった所にある三階建てのビルが、堕天使たちの住処となっていた。

「お茶が入りましたよお」

 ドアが開くと、やや間延びした声がして、大きなトレイを両手で抱えた少女が部屋に入ってきた。堕天使の一人、ミュゼットである。
 瞳が大きく幼げな顔立ちをしていて、実際にまだ若い天使なのだという。もっとも、話し方に緊張感が足りないのは素の性格であろうが。
 水色、あるいは空色という表現の合う色素の薄い髪の毛を揺らしながら、紅茶の注がれたカップとお菓子の皿を満載したトレイを危なっかしく運んでいる。おまけに裾の長い法衣のような服を着ているので、踏んづけて転びやしないかと見ている方が緊張してしまう。
「ミュゼット様、俺が持ちますって」
 黙ってみていられずに側で声を掛けているのは堕天使のもう一人、アルグス。こちらも若々しい少年のような容貌をしている。
「いいの、私がおもてなしするんだからぁ。アルグスもあっちで座ってて」
「しかしですね‥‥ああほら零れますって」
「しーずーかーに! 集中できないでしょお」

 そんなやりとりの様子を眺めているのが撃退士──つまり、君たちである。

 横浜の支配領域の目前にあるこの町を、堕天使だけで護りきることなど到底出来ない。そこは彼らも理解していた。彼らの同意を得て、久遠ヶ原からも撃退士が送り込まれたのだ。
 町を護る為、あるいは住民をより離れた都市へ避難させるため。それが目的の大きな一つ。
 そしてもう一つは、彼女ら堕天使の目的を知ることである。
 何故、この地に留まり続けるのか。サーバントを撃退し町を護るという行為によって住民の信頼を得ているものの、ただ慈愛の精神によってそうしているのではないのだろう。

 ただ、こうして親しげにお茶を振る舞われはしても、そうした確信をつく話題には答えてもらえない。それが、今の堕天使と撃退士の関係であった。

 それにミュゼットはともかく、おつきの堕天使──アルグスなどはこちらを信用しきっていないことがあからさまで、時折鋭い視線を差し向けていた。

 もう一人の堕天使、長身でがたいのいいイングスは、今町へでて周囲の警戒に当たっている。

 そのイングスがサーバント襲来の一報をもって飛び込んでくるのは、ほんの十五分ほど後のことであった。



「なるほどな。こんな所に拠点があるのか」

 大船の町を見通すどこか。闇色のコートと帽子を深く着込んだ天使、ギジー・シーイール(jz0353)は厳かに呟いた。
「この『先』を狙うには邪魔になるか。それに」
 口元を覆い隠したコートのしわが動く。笑ったのだろうか。

「より多くの人間を集めよという主命‥‥そして堕天使を狩る『ネメシス』の使命。この地であれば、いずれも叶えられましょう」
 今ここにはいない、敬愛する彼の主へ向けて。
「朗報を、お待ちください」
 流れ消える声と共に、ギジーは闇へと溶けていった。


リプレイ本文

「‥‥これが堕天使たちの護る街、ですか」

 窓の外を覗き、鳳 蒼姫(ja3762)がぽつりと呟いた。

 横浜ゲートに近接する街、大船。その前線と言える場所にあるビルの室内である。

「さあ、温かいうちに召し上がれ! お菓子もありますよお」

 人数分の紅茶を何とか零さず配り終えたこのあどけない堕天使は、一仕事終えたとばかりに満足げな笑顔を浮かべていた。
「ああ、ありがとう」
 鷺谷 明(ja0776)が真っ先にカップを取り上げ、軽く香りを嗅いでから口に運んだ。
「結構いい茶葉じゃないのかな、これは?」
「街の人から貰ったんだよお」
 ミュゼットは得意げに小さな胸を反らした。「淹れ方もね、教えて貰って‥‥」
 そこへ狗猫 魅依(jb6919)が袖を引くような仕草でミュゼットの注意を向けさせた。

「いりやなとなーまいる、しってる?」

 ミュゼットはその言葉に動きを止めた。朗かな様子がひゅっと引っ込んだようだ。
「ナーマイル・オーグスじゃ。知っておるのか?」
 小田切 翠蓮(jb2728)が確認するように尋ねたが、知らないのならばこんな反応はするまい。
 ミュゼットは、逆に尋ねた。
「みんな、‥‥知ってるの?」
「ナーマイルは、今はわしらと同じ場所‥‥久遠ヶ原におる。息災にしておるよ」
 おんしの祖父だと言っておるが、と付け加えると、ミュゼットの顎が小さく縦に動いた。
「いりやな、とやらはわしは知らぬが」
 と翠蓮は言って、魅依を見た。
「いりやなも、家族?」
「イリヤナおばさまは、同じ一族で‥‥お世話になった方、かな。むかし、よく抱っこしてもらった‥‥よ」
 それを聞いて、魅依は小さく眉根を寄せると、頭を下げた。
「あのにぇ‥‥ごめんなさい」

 イリヤナ・オーグスは、かつてナーマイルと同様に久遠ヶ原への保護を打診してきた堕天使である。魅依は彼女を保護する為に派遣され‥‥失敗したのだ。

 ミュゼットは魅依の謝罪を受け、哀しむことも、憤ることもせず。
「そお‥‥そおなんだ」
 ただそれだけ、呟いたのだった。

「あの、ミュゼットさん」
 少々切羽詰まった声色で呼びかけたのは、山里赤薔薇(jb4090)。
「ミュゼットさんたちは、『ネメシス』に狙われている可能性が高いと思うんです」
 蒼姫が大きく頷いた。
「たとえば‥‥ギジー・シーイール(jz0353)とか、ですねぃ」

 ミュゼットが蒼姫を見、入り口に控えていたアルグスが気色ばんだ。
「何だと?」

 次の瞬間、もう一人の堕天使であるイングスが、サーバント襲来の報とともに飛び込んできた。



 イングスの報告では、住民は既に避難を開始しており、混乱は起きていないとのことだった。撃退士たちは堕天使とともにサーバントと直接相対すべく、すぐ傍を流れる柏尾川を右手に東進する。程なく、敵の姿が見えてきた。
 まず目に入ったのは、トリプルアイズジャイアントゴーレムの規格外の巨体だ。
「にぅ? ‥‥あれ、みたことあるよ」
 魅依が小首を傾げた。ゴーレムの足下を浮遊するサーバント、ロウスナイプは、過去数回にわたってギジーが使役していることが確認されている。
 他のものも資料から、あるいは知人から聞いていたことがあっただろう。彼女の言わんとしていたことはすぐに理解された。
「これは、ますます可能性が高いのですよぅ」
 と蒼姫。その姿は今、視界にはないが、そのことが逆に警戒心を刺激する。
「ミュゼットさん」
 赤薔薇が名を呼び、早口で告げる。
「ギジーは神出鬼没でどこから狙ってくるかわからない。常に警戒してください」
 もちろん、私たちも警戒しますが──赤薔薇の言葉を、ミュゼットはどこか浮ついた表情で聞いている。
 それでも、最後には赤薔薇に向かって「うん、わかったよ。ありがとうねえ」と口にした。

「まずは小物から排除するのがよいかのう」
 翠蓮が敵の陣容を見据えて言った。
「その間、ミュゼット殿らには巨人の抑えをお願いしたいが」
 翠蓮が横長の目を細めて見やる。イングスがそれに応えた。
「承った」

「サーバント、来ます」
 ずっと正面を見つめていた翡翠 雪(ja6883)が淡々と告げた。
「行きましょう」

   *

「タイミングが善いのか悪いのか。いや、悪くはない。私たちが居る時に来たのだから、決して」
 迫り来る敵を目前にして、雪は自らを叱咤するように呟いた。
 阻霊符によって透過を阻まれ、敵は川沿いの道路を道なりに直進してきている。
「大軍ではない‥‥が、嫌な布陣です」
 そして、胸の奥が引っ掻かれるような、妙な感覚。
 生命探知に、異質な反応はない。背後に堕天使たちの気配を感じながら。

「私は盾。全てを征し、そして守る。いざ!」

 彼女の盾は今、その胸にある。その手には魔法書をかざした。
 その横を、明が追い抜くようにしてさらに前に出た。
「機械的、といえば聞こえはいいが言い換えれば遊びが無いということでもある。機能美もまた良いものだが‥‥ううむ、何か違うんだよねえ」
 つるりとした流線型のボディのロウスナイプだが、あまりお気には召さなかったようだ。とまれ。

「まあいいや。さあ、撃ってくるといい。全部躱してやるから」

 余裕綽々、状況を楽しみつつ敵を挑発する。並び立つ雪とは態度もスタイルもまるで違うが、共通するのは優秀な前衛であるという点だ。

 巨人の影で、ロウスナイプが射撃を始めた。明は言葉通りに躱し、雪は真っ向から受け止め弾く。
(ん〜こっからだとまだちょっと遠いですねぃ)
 明たちの後方にいる蒼姫は、楽器型魔具から口を離した。代わりに精神を集中させると、彼女の周囲を水のように流れ落ちていた蒼色のアウルが、ぱっと霧状に変化した。
「行きますですよぅ?」
 霧が蒼姫の周囲から散り、目標へと飛来する。それは無数の鋭い刃となって敵を穿った。ロウスナイプの外殻が歪み、やはり機械的な内面が露出した。

「ぎじー、どこかにゃ?」
 魅依は、ギジーの存在について確信に近いものを感じていた。サーバントを前面に配し、自身は隠れる。その手口を、彼女は目の当たりにしたからだ。
 狙いはもちろん、堕天使だろう。
「あるぐすといんぐすも。せにゃか、大事」
「心配するなら、ミュゼット様を気にしてくれ!」
 アルグスからはそんなつれない返事だった。
「みぅー‥‥こっち」
 魅依はミュゼットの手を引き、道路の中央に引き寄せた。最も警戒すべき敵の所在が知れない今は、とにかく物陰から離れることが有効だったからだ。

   *

 石の巨人は、さして広くない道路をほぼ占有して前進していた。
「そこまで! 先へ侵入することは認めません」
 雪が果敢に巨人の前に立つ。三つ目がぎょろりと雪を捉えると、左足をブランコのようにぶうんと振り抜き、彼女を蹴り飛ばした。
「ぐぅあっ‥‥!」
 シールドスキルでダメージこそ抑えたものの、体は浮き上がって後方へと飛ばされた。態勢を立て直し、元の位置に戻ろうとすると、そこには赤薔薇がいた。
 雪よりもさらに小柄な少女が巨人を仰ぎ見る。
「動きを止めます!」
 大鎌に巻かれた布から魔力の余波が散り、電撃が走った。雷が瞬く間に巨体をくまなく駆けめぐると、巨人はぜんまいを抜かれた人形のように棒立ちになった。
「お見事!」
 雪と立ち位置を交換した赤薔薇は目線を上げた。狙いは十メートルの高み、巨人の頭部だ。

「くらえ、このぉっ!」

 魔力を込めた渾身の一撃が、石頭をかち割った。生命力の要を砕かれた巨人はバランスを崩してよろめき、フェンスを突き破るように川へと落ちたのだった。

「‥‥ほ! これは吃驚じゃのう」
 建物の隙間を縫って前線へ迫ろうとしていた翠蓮は、瞬く間に巨人を崩した赤薔薇の手際に感嘆の声を上げた。
「これは、わしも気張らねば。‥‥見せ場が無うなってしまうわ」
 翼を広げ側道を飛び、敵の横腹へ。そこにはロウスナイプの他に、もう一種類のサーバントの姿があった。
 機械人形という呼び方がふさわしい、二足歩行のサーバント。
(見覚えはないの。じゃが‥‥吹き飛ばせば同じ事!)
 人形二体に、スナイプ一体。瞬時に射程内の敵を認識し、側道を飛び出しざまに溜め込んだ魔力を爆ぜさせた。

「あっちも機械的だが‥‥機能美とは随分かけ離れてるねえ」
 明はロウスナイプの射撃をひょひょいと避けつつ、人形を様子見。
 翠蓮の範囲攻撃に巻き込まれなかった二体は、攻撃をするでもなく、ガショガショと音を立てて何やら踊っていた。形容し難い、不自然な動き。
「‥‥ふむ」
 明は一旦前線から離れた。「狗猫君?」
「んみ?」
 気配を薄めていた魅依が彼の傍に顔を出す。明は彼女に聖なる刻印を打ち込んだ。
「何か仕掛けてきそうだ。何だろうねえ?」
「‥‥ありがとー」
 また魅依は気配を隠した。他に刻印が必要なものはいないか見回したその時──。

「野郎、馬鹿にしやがって!」

 憤慨した声を挙げたのは、堕天使のアルグスだった。
「アルグス!」
 後方からミュゼットが叫んだが、彼は主の声を無視して、人形へと斬りかかる。人形は突撃を軽く躱すと、あざ笑うかのように飛び跳ねながら後方へ逃げた。アルグスが追う。
「行かせては駄目です!」
 雪が叫んだ。人形は自分たちの進撃ルートを逆走している。彼女自身も追いかけようとしたが、そこへ拳が降ってきた。川へ落ちた巨人が、再び動き出したのだ。
「まだ動くのですか」
 頭部を失った巨人は、残された生命を消費しきるまで動き続ける。これを放置していては、この先──本当に護るべきものたちが居るところに被害が出てしまう。
「ゴーレムは私が抑えます! 誰か、彼を!」
 その呼びかけに、まず明が応えた。アルグスを正気に戻す手段は彼しか講じていない。
「アキも行きますですよぅ! ここで護り切れなかったらとんでもないことになる気がするのですよぅ‥‥」
 一呼吸の間に増大した危機感に喘ぐようにしながら、蒼姫は明を追いかけた。

 アルグスはそこそこ足が速く、今は全く周囲を警戒していないので、明でも追いつくのは容易ではなかった。
 何とかぎりぎりで刻印の射程に収めてそれを打ち込んだが、それでもアルグスは足を止めない。
「堕天使がこうまで挑発に弱いとはねえ‥‥あっまずい」
 困ったように笑いながら走っていた明が一瞬表情を引き締めた。人形が不意に左に曲がり、姿を消したのだ。当然アルグスはそれを追う。
 人形がどこへ逃げていたのか──ここまでくれば、もはや自明であろう。

 路地を曲がった明が目にした光景は、彼が予測した中で最も可能性が高く、且つ最悪に近いものだった。

 力なく腕を垂らした堕天使アルグスが、背後から刀で腹部を刺し貫かれている姿──。
「一足遅かったな」
 アルグスの背後にいたギジー・シーイールが、明を認めて一言呟いた。

「‥‥やれやれ、まさかこんな所に隠れていたとはね」
 明は軽い調子で言いながら、相手との距離を測った。ここからでは、アルグスにまだ息が残っているのか伺えない。
 ギジーは無表情に明を見据えたまま、一言「これが俺の仕事だ」と言った。
 そこへ、蒼姫が飛び込んできた。
「ギジー・シーイール!」
 豚面の天使を目にした直後、蒼姫は問答無用でマジックスクリューの発動態勢に入ったが、発射は見送らなければならなかった。
 ギジーが刀で貫いたままのアルグスの体を持ち上げ、盾のように翳したからだ。
「むむむぅ‥‥!」
 口元を歪めてうなる蒼姫をたっぷりと牽制してから、ギジーはアルグスの腹から刀を抜いた。何の抵抗もなく、堕天使の体は地に落ち伏せる。
「‥‥‥‥ぅ」
 落ちた直後、かすかに呻いた。ギジーが目だけでその姿を見やる。
「まだ生きていたか。直前に正気に戻っていたな」
 だが、すぐに視線を外した。
「‥‥同じ事だ。じきに死ぬ」
 そして明と蒼姫を順に見据えながら、ゆっくりと後ずさった。
「まさか、逃げる気ですか!」
 蒼姫が憤然と叫んだ。
「おいおい、そりゃないだろ。愉しいのはこれからじゃないのか?」
 明は杭状の武器を見せつけるように手のひらで弄びながら、ギジーを誘う。
「‥‥そういえば、その豚面。なんか前に思いっきり斬りつけられた記憶があったな。お礼参りはまだだったろ?」
「今日の目的は達した」
 対し、ギジーはあくまでも冷静だった。
「残りの堕天使の命は、次の時まで預けておく──」

「アルグスぅ!」

 その時、部下の名前を叫びながら、ミュゼットが路地に飛び込んできた。少し遅れて、魅依がその後ろについている。
 ミュゼットは地に伏しているアルグスを見るなり飛んでいこうとして、蒼姫に止められた。
「離して、今ならまだ──」
「そこにギジーがいるのですよぅ!」
 押さえつけられて、ミュゼットはようやくギジーの姿に気づいたようだった。途端に抵抗する力が抜けて、少女は呆然と呟く。
「ギーちゃん‥‥」
「ぎー?」
 蒼姫はびっくりして目を丸くした。
 呼ばれたのは、間違いなくギジーだ。その証拠に、ギジーはこの場で初めて泰然とした態度を崩し、ミュゼットを見ている。
 眉間に皺を寄せ、目に力を込め──何らかの強い感情がそこにはあった。

「ミュゼット‥‥そうか、お前も堕ちたのか」

 ギジーは刀の切っ先をミュゼットに向けた。
「覚えておけ。堕天使は全て『ネメシス』が狩る。それが天の意志だ」
 ギジーが大地を踏みしめた。その気迫に全員が身構えたが、向かっては来ず、逆に後方へ飛ぶと、また別の路地へと姿を消した。



「それで、アルグス殿は‥‥?」
「無事ではないけど、命は助かったみたいだ」

 戦場に残ったサーバントを撃退した後で翠蓮が尋ねると、明はそう答えた。
「ミュゼット君の特殊な力だそうだよ? 好きなだけ使えるわけでも無いみたいだけれど」
 そのミュゼットは今、眠っているアルグスの頭を抱えて、疲労の色をいっぱいに浮かべていた。
「みゅぜっと、へーき?」
「うん‥‥だいじょうぶ、だよお」
 気遣う魅依に向ける笑顔も力ない。

「最大戦力を伏兵とは‥‥相変わらず天魔は、手勢を捨て駒にするのがお好きなようで」
 巨人を抑えきった雪が、忌々しげに言い捨てた。アルグスを襲った後自分は速やかに引き上げた事からも、サーバントは初めから捨てるつもりだったのだ。

「ミュゼットさん、やはり一度、学園に来て貰えませんか」
 赤薔薇がミュゼットの前に立ち、真剣に訴えた。
「もっと密接に協力しあわなければ、この先‥‥」
「それに、おんしの祖父だというナーマイル殿も、随分会いたがっておるようじゃぞ?」
 翠蓮も近くに来てそう付け加えたが、ミュゼットは首を振った。
「今は‥‥お爺さまには会えないの。お爺さまは、きっと許してくれないから」
「‥‥どういうことかの」

 ミュゼットは顔を上げ、言った。

「私がここにいるのは、ギジーに会うため‥‥彼を、『ネメシス』から離脱させるため、‥‥だから、だよ」

 すみれ色の大きな瞳は、揺れることなくまっすぐ前を向いていた。


依頼結果

依頼成功度:普通
MVP: 紫水晶に魅入り魅入られし・鷺谷 明(ja0776)
重体: −
面白かった!:6人

紫水晶に魅入り魅入られし・
鷺谷 明(ja0776)

大学部5年116組 男 鬼道忍軍
蒼の絶対防壁・
鳳 蒼姫(ja3762)

卒業 女 ダアト
心の盾は砕けない・
翡翠 雪(ja6883)

卒業 女 アストラルヴァンガード
来し方抱き、行く末見つめ・
小田切 翠蓮(jb2728)

大学部6年4組 男 陰陽師
絶望を踏み越えしもの・
山里赤薔薇(jb4090)

高等部3年1組 女 ダアト
諸刃の邪槍使い・
狗猫 魅依(jb6919)

中等部2年9組 女 ナイトウォーカー