Robin redbreast(
jb2203)は淡い翠の瞳を細め、呟いた。
「今日は特にお仕事もないから、どうしようかな‥‥?」
ふわりと降って湧いた、空白の時間。少女はほんの少し、戸惑い気味に考えて。
数刻の後、自室に戻ったRobinは早速、購入してきた生地を広げ始める。
「今日は、裁縫の日」
ということにした。
北方の遊牧民族の出であるRobinがいつも身につけている民族衣装は、なんと彼女の自作であった。
ずっとそうしてきたのだろう、慣れた手つきで生地を裁断していく。
あっという間に裁断を終えると、針と糸。
ミシンはない。贅沢を禁じられていた彼女にとって、最低限の道具だけで生活することは当たり前だった。
「‥‥」
一度布に針を通すと、もう言葉もない。Robinはただ淡々と、針を繰っていく。ちくちく、ちくちく‥‥。
●
「フッフッフ‥‥今年こそはツチノコを見つけるわ!」
そんな目標をぶち上げてきたのは雪室 チルル(
ja0220)。
「事前情報によると、は虫類、それもヘビの仲間は大体4〜5月頃が冬眠明けらしいのよね!」
つまり同じは虫類と思われるツチノコも、この時期冬眠から覚めてる可能性が高い。
「さらに言えば気持ちの良い春の日である今日ならさらに倍率ドン! よね!」
とにかくチルル的には今日はツチノコ探しに絶好の日和であるらしい。
チルルは学園の裏っ側の、とある山林に踏み込んだ。あの、立ち入り禁止、って‥‥。
「監視の目は事前に調査済みよ!」
‥‥この女、確信犯である。
ツチノコ発見に燃えるチルルを止める者などありはしない。藪をつつき、岩の陰に回り込み、木のうろを覗き込んでは目標を探す。
そしてついに! 茂った雑草をかき分けた瞬間に、目の前を横切る何かが!
「ツチノコね!」
チルルは断言した。はっきり見えたわけではないが断言した。
それが視界にいたのは一瞬、すぐ別の藪に逃げてしまったが、要は追いかけて捕まえてしまえばいい話。
「今こそあたいの力を見せる時ね!」
目を爛々と輝かせ、チルルはツチノコ? を追って藪の中へと飛び込んだ。
──なお、山林で暴れ回る姿が監視カメラにばっちり映っていたそうな。(怒られました)
*
浪風 威鈴(
ja8371)が野道を歩いていると、不意に脇の藪から何かが飛び出してきた。
「あ‥‥」
キジトラ模様の猫であった。
近づこうとすると、猫は逃げるようにぴゅっと駆けだした。
「猫ちゃん‥‥どこいくの」
もちろん、威鈴は追いかけた。
全力で野道を逃げる猫、そして威鈴。
野道が舗装路に変わっても追いかけっこは続く。猫は路地を曲がり、フェンスを乗り越え、塀の上を駆けたが、威鈴は猫に負けない機敏さでその後を追う。
猫のスピードが落ちてきた。これは捕まるのも時間の問題──となったところへ。
「威鈴!」
猫の尾っぽだけ見て疾走していた威鈴だったが、その声にぴたりと停止する。猫はその隙に建物の隙間へ逃げていった。
「悠人‥‥だぁ‥‥」
心から嬉しそうに、にぱっと笑いかけるその相手は彼女の伴侶、浪風 悠人(
ja3452)であった。
「今日はすぐ見つかって良かったよ」
きっといつもこうやって彼女を捜しているのだろう。
「何かあったの‥‥?」
威鈴が問うと、悠人は息を整え、表情を引き締めた。
「大事な話があるんだ」
威鈴と悠人は、ぽかぽか陽気の中を並んで歩いていく。
「つくばにゲートが出来たのは知ってるだろ」
悠人はゆっくりと語り出した。
「周辺で、既に多くの人が犠牲になっている。今までと同じ戦い方じゃ‥‥被害を食い止められない」
静かで、しかし深い意志の感じられる彼の口調。威鈴には、感じ取れるものがあった。
「また‥‥依頼‥‥で大怪我‥‥するの‥‥?」
何かを哀願するように、上目遣いの彼女の視線。悠人の胸は痛んだが、ここで折れてはいられない。
「必ず‥‥必ず、生きて帰ってくるから」
これまで何度も大怪我をして、その度に彼女を悲しませた。だけど、今も彼はここにいて。
これからも、きっと彼女の元に帰ってくる。
その強い決意を受け止められるのもまた、嫁である威鈴しかいないのだ。
「‥‥わかった」
威鈴が小さく頷くと、悠人は努めて明るい声を出す。
「よし、じゃあ今日は何でも威鈴の好きなことに付き合うよ」
「なんでも‥‥?」
「‥‥うん」
「なら‥‥買いに‥‥行くの」
威鈴は悠人を連れ、とある神社へ。
「‥‥御守り‥‥」
買ったばかりのそれを悠人の手に、包むように渡し、威鈴は言った。
「約束‥‥守って‥‥ね?」
*
悠人と威鈴が見つめ合っている先の拝殿には、山里赤薔薇(
jb4090)がいた。
「お願いします」
「うむ」
赤薔薇が丁寧にお辞儀すると、装束の男が仰々しく祓串を振り、なむなむと赤薔薇にはよくわからない言葉を呟く。
何かというと──なんと死者の霊を降ろすという『口寄せ』であった。赤薔薇にはどうしても、もう一度会いたい相手がいたのだ。
それは──。
儀式が終わった。
男はゆっくりとこちらを振り向き、そして、言った。
「‥‥私は、レガ(jz0135)じゃ」
(‥‥‥‥じゃ?)
語尾に違和感を覚えたものの、赤薔薇は再び見えたレガ? と言葉を交わすのだった。
ひとしきり雑談した後、赤薔薇は荷物を開けた。
「いろいろ、持ってきたんだ」
それは、オルゴール。小さな音色を奏でる小さな箱を、レガは気に入ってくれていたようだった。
ひとつひとつ箱を開いていく。
目を閉じると、あの悪魔がまるで本当に、側で腰を下ろし共に聞き入っているように思えた。
「あなたは敵だったけど特別な悪魔だったよ。今度生まれ変わったら仲良くしようね」
言葉がメロディと混ざり合い、溶け消えてゆく。
やがて最後のオルゴールの音が止む。目を開けると、すぐ近くに感じていたレガの気配はもう、どこにもない。
それでも赤薔薇は空を見て、あの時言えなかった言葉を口にするのだった。
「ありがとう‥‥レガ」
*
学生寮【風鈴荘】の、陽当たりのいい縁側で、Rehni Nam(
ja5283)はのんびりひなたぼっこしていた。
(‥‥‥‥ぼへー)
普段なら、時間のあるときはヴァイオリンの練習をしたりするが、あまりにも陽気がのどかでそんな気にもならない。
「おやキジトラさん‥‥いらっしゃいませー」
姿を見せたのはキジトラ模様の猫だった。風鈴荘によく来る猫の一匹だ。
今日はどこかでよっぽど走り回ってきたのか、なんだか足下がよたついている。
Rehniが膝を叩くと、キジトラさんは素直にぴょんと飛び乗ってきた。体にくっついていた葉っぱを取ってやるとキジトラさんは満足そうに伸びをし、膝の上で丸くなる。
「今日は素直さんですねー」
背中を撫でてやりながら、側に置いてあった麦茶を一口。
「ああ、あの雲はなんだかソフトクリームに似てますね‥‥」
緩やかに流れる雲を見て、ぼんやり呟く。あれはサッカーボール、あれは狐、あれはお魚‥‥。
「‥‥そうです、今日のお夕飯は自家製散らし寿司と、デザートにコンビニのソフトクリームにしましょう」
キジトラさんが相づちを打つように、「にゃ〜」と鳴いた。
「キジトラさんもそれで良いと思いますか」
猫の背なでなで、再び空を見上げるRehni。
(ぼへー)
風鈴荘の縁側は、まったく至極平和であった。
●
「いらっしゃいませ、『椿』へようこそ♪」
木嶋香里(
jb7748)が切り盛りする和風サロン『椿』は今日もよく繁盛していた。
「お邪魔するわァ。お茶と‥‥お煎餅があったらお願いするわァ」
席に通された黒百合(
ja0422)は、周囲を見回してニヤリとほくそ笑む。
「散歩のついでに立ち寄ってみたけどォ、ここでも良さそうねェ‥‥♪」
そして、取り出したのは古めかしくも繊細な日本人形であった。
「お待たせいたしました♪」
やがて注文品を運んできた香里が、まず最初に目を留めた。
「わあ、素敵な日本人形ですね♪」
「どうもォ‥‥♪ 愛称は『輝夜』よォ‥‥」
黒百合が言うと、それまでテーブルの上で直立していた輝夜が、小首を傾げ、それからゆっくりと腰を曲げて挨拶をした。
「すごい、動くんですか?」
香里が目を丸くすると、黒百合が満足そうに微笑む。
実は勝手に動いているわけではなく、黒百合がどうやってか操作しているのだが、傍目には分からないようだ。
なおも愛らしく動く輝夜の様子に、周囲の客も何事かと目線を向け始めた。
「こんにちはーーーーっっ!!!!!」
そこへドアがズバァンと開いて、ダリア・ヴァルバート(
jc1811)が現れた。
「和風カフェ‥‥サロンですか! ステキですね!」
ダリアはうきうきと『椿』の中を見渡す。すると黒百合のテーブル周辺が盛り上がっているので、吸い寄せられるようにダリアはそちらへ向かった。
「あらァ、新しいお客様ねェ‥‥♪」
黒百合の視線がダリアを向くと、テーブルの上の輝夜が折り目正しくご挨拶する。
「おおお!? 何ですかコレ!」
「こんなことも出来るわよォ‥‥?」
黒百合がお煎餅を取り上げて輝夜に差し出すと、両手で受け取った輝夜がぱりぱり食べ始めた。
「なんと! 素晴らしく可愛らしいのですが食べたものどうなってるんですかね!?」
「さァ‥‥? どうなってるのかしらァ‥‥?」
方々からのぞき込もうと奮闘するダリアを見ながら、黒百合は上機嫌にくすくす笑うのだった。
「独りでに動く不思議な人形‥‥これはいいな。噂の種になりそうだ」
人だかりから少し距離を置いて、逢見仙也(
jc1616)が耳をそばだてていた。
情報集めが趣味の仙也は、今日もこんな風に周囲の人々の何気ない様子から、風聞のネタになるような会話や出来事を拾って回っているのだ。──気配を隠して。
何故隠れているのかというと、集めた内容によっては身の危険を感じることもあるから‥‥らしい。
仙也が黒百合たちの様子を観察していると、店主の香里がこちらへ近づいてきた。隠れてここにいるので、当然ながらなにも注文していない。
気づかれる前に、と仙也はそそくさと『椿』を後にした。
「さてと、次はどこへ行こうかな‥‥?」
人の集まっていそうなところを探して、またひっそりと歩き出すのであった。
●
リュミエチカ(jz0358)はたっぷりぼーっとした後で、ようやく校舎から出てきたところだった。
「チカちゃんじゃなーい!」
「マリア(
jb9408)」
リュミエチカはほんの少し口元を緩めてその名を呼んだ。
*
「チカちゃん、折角可愛いのに、いつも制服じゃ魅力半減よぉ?」
マリアはリュミエチカを連れアパレルショップを訪れていた。
「たくさん可愛い服があるじゃなーい」
声を弾ませて店内へ進むマリア。リュミエチカはとことこ後をついて行く。
「ほらぁ、これとか‥‥これとか。こんなのもいいかしらねぇン?」
目の前で、マリアが何着かの服をさっさっさと移動させていく。
「ん〜じゃあこれ! チカちゃん、この服試着してみてン」
「‥‥わかった」
言われるままに試着室に入り、渡された水色のワンピースに着替えて出て行くと、マリアが「思った通り、よく似合うわぁ♪」と歓声を上げた。
「桜色のストールも巻いて‥‥ね、素敵じゃなぁい? どうかしら、気分は」
「‥‥スースーする」
呆然と答えるリュミエチカ。
「ついでにリボンをバレッタに変えて‥‥リップは‥‥」
マリアが取り出したのは、彼女がつけている濃いカラーではなく、淡い桜色のリップだった。
「‥‥はぁい、完璧♪ 普段と違う自分を楽しんでみるのも良いデショ?」
マリアに全身仕立てられたリュミエチカは、とりあえず目は覚めたようで、サングラスの奥でしきりに瞳を瞬かせていた。
*
その格好で少し町を歩いてみたら? とマリアに促されたリュミエチカは、言われたとおりに町中を歩く。
と、また声をかけられた。
「やっほ、リュミエチカちゃん♪」
「ジェン‥‥こんにちは」
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)はさわやか笑顔でリュミエチカの挨拶を受け止めた。
「今日はずいぶん可愛らしいね。どこかへ行くところ?」
「‥‥歩いてた」
要はヒマ、ということらしい。僕も暇だしよかったら、とジェンティアンはリュミエチカを近くのカフェへ誘った。
「今日はホントにいい天気だね」
「ん」
二人はカフェのテラス席に腰を落ち着けた。
「ここのスパイシーなサンド気になってたんだけど、甘いのある店って一人だと勇気いるんだよね」
「そうなの?」
店員さんがメニューを置いていった。
「付き合って貰ってるから好きなの頼んで?」
バレンタインのお礼も兼ねて、とジェンティアン。
リュミエチカは幾分遠慮がちに聞いた。
「‥‥コロッケ、あるかな」
(‥‥あれは竜胆兄、と‥‥)
向かいの子は誰だろう。
偶然通りがかった樒 和紗(
jb6970)が思案しているとジェンティアンと目があった。と思ったら、『おいで』と手招きされた。
「お邪魔します。‥‥初めまして、ですね?」
ジェンティアンの隣に腰を下ろし、和紗は向かいの少女に挨拶をした。
リュミエチカという、中学生くらいの女の子。可愛らしい格好に、サングラスだけがちょっと異質だ。
宜しくお願いしますと礼をすると、相手も律儀に頭を下げた。
「和紗、何か頼む?」
「そうですね‥‥リュミエチカは、何を頼んだのですか?」
「コロッケ」
「コロッケ‥‥ですか?」
「合宿の時も喜んで食べてたよね。好きなんだ?」
「ん」
微かに頬を赤らめて頷いた。
「俺は、あまり量は食べられないので‥‥あ、でもこれは新メニューですね。バイト先の参考になるかも‥‥」
「カズサは、働いてるの?」
今度はリュミエチカが質問してきた。
「ええ、バーで住み込みでアルバイトを」
なおも悩んでいる和紗に、ジェンティアンが助け船を出した。
「食べきれない分は僕が引き受けるよ」
「ですが‥‥」
「残すの悪いからって食べられないの、勿体ないでしょ」
和紗は観念したように、小さく笑った。
「では、季節のベリーのパンケーキを」
やがて料理が運ばれてきた。和紗の頼んだパンケーキは、メイプルシロップが別添になっていた。ジェンティアンは微かな望みをつないだが、和紗はシロップを取り上げると皿へだばぁ。
ジェンティアンは絶望に打ちひしがれた。顔には出さないが。
「ところで、今日は何故二人で?」
「そこで、会った。カズサはどうしたの?」
「俺は、バイトまで時間があったので──」
他愛ない会話が花開く。ジェンティアンは二人がそうして語らっているのを微笑ましく眺めつつ──。
一方では和紗から渡ってきたパンケーキを命がけで喉の奥へ押し込んでいたのだった。
後半の会話内容はあまり覚えていないらしい。
●
「‥‥っくあ‥‥。こんな時間か」
午後の太陽に少々主張激しく起こされて、小田切ルビィ(
ja0841)は固まっていた体を伸ばした。
「原稿は‥‥そうそう終わったんだよな」
昨晩、真夜中過ぎまで掛かって脱稿し、反動で今まで爆睡していたことを思い出す。
今日の予定は特になし。──戦士にも偶にゃそんな日があって良い。
「だがまぁ、折角のいい陽気だ。このまま部屋で燻ってンのも勿体ねえぜ」
ルビィは手早く身支度を整えると愛用のデジタルカメラを手に取った。
「フリー取材だ。テーマは『春の日の一瞬』ってところだな」
*
【不良中年部】ではミハイル・エッカート(
jb0544)と真里谷 沙羅(
jc1995)が、部室に使っているプレハブ小屋の掃除を敢行していた。
「ミハイルさんのおっしゃる通り、猫の毛が多いですね」
「ああ、近所の猫が入ってくるからな‥‥黒スーツに猫の毛は大敵だ」
ソファに、床にと粘着式のクリーナーを転がしながら。
「そうですね‥‥いつもより念入りに掃除しましょう」
「頼むぜ。猫の毛なんかくっつけていたらハードボイル度が下がるからな」
ふと耳に留まって、沙羅は小首を傾げる。
「ハードボイルド‥‥度?」
「ハードボイル度、だ」
猫の毛取りが一段落したら、窓を開けて風を入れる。草の匂いが混じった春の風が、沙羅の髪をそよと揺らした。
「本当にいい天気‥‥」
思わずうっとりしていると、窓の外から「でわあっ!」と素っ頓狂な声が。
何事か、と目をぱちくりさせていると、ミハイルが窓の外へ声をかけた。
「あけび! 何かあったのか?」
‥‥ややあって、「いや、あの、ちょっと畳返しの練習などを‥‥」ともごもごしながら現れたのは、不知火あけび(
jc1857)。
「あけびさんも、今日は気合いが入っていますね」
小屋周りの草刈りを買って出たあけびはジャージに長靴、手袋と完全装備だった。
「いやあ、子供の頃慣れさせられたといっても好き好んで触りたくないなー、と思ったので‥‥そしたら思いの外大きいのがいたのでさっきはつい」
「?」
何がいたのか、はあまり言いたくないようなので無理に聞かないことにする。
「もうひと頑張りしてくれ。それが済んだら、後はお楽しみだぜ」
沙羅の後ろから覗き込んでいるミハイルが、ハードボイル度の高い笑顔を見せた。
*
川内 日菜子(
jb7813)は、黙々とコースをランニングしていた。
(日々の体力作りは、基本中の基本だ)
撃退士として十全の働きをするために、こんな時でも彼女の思考はぶれることがない。
鍛えられつつもしなやかな肌には健康的な汗が流れ、春の日射しをはじいて煌めいていた。
腕に巻いたデジタルリストバンドの表示を確認しながら、ペースを調整する。
(もう少し上げてもいいか‥‥ん、あれは?)
向かう先の公園に、見知った人影が。
「さあ、春苑さん‥‥打ってきてくれ」
「わ、分かりました!」
春苑 佳澄(jz0098)は真剣な面もちで棍を構え、鳳 静矢(
ja3856)と相対していた。
「たあっ!」
気合いと共に飛びかかる。静矢は鞘に納めたままの刀で難なく棍を受け止めた。固い音と手応えが返る。
「こんな風にね」
落ち着いた様子で静矢は言い、鞘の先を佳澄へ向けた。
「手加減するのでやってごらん‥‥行くぞ」
言うやいなや距離を詰め、振りかぶる。
「あっ、わっ」
佳澄は反射的に体を引こうとし、それから慌てて棍を持ち上げた。が、遅い。
鞘は簡単に防御をすり抜け、佳澄の肩を軽く打った。
「ふむ‥‥まずは基本の動きを体に覚えさせるところからだね。もう一度いこうか」
そこへ、日菜子がやってきて声をかけた。「何をしてるんだ?」
「やあ、川内さん‥‥春苑さんに、少し手習いをね」
「鳳先輩がね、『シールド』の技を使えるようになったらどうかって」
「阿修羅にはない科目だが、あれば防御の幅が広がる‥‥今後に備えて覚えて損はないと思ってね」
静矢と佳澄が口々に説明するのを聞いて、日菜子は目を見開いた。
「それは聞き捨てならないな」
「‥‥え?」
きょと、と固まる佳澄に、日菜子はふっと相好を崩した。
「私自身、受け防御を主軸にして戦う阿修羅だ。春苑がこの道へ来るというのを黙って見過ごすわけにはいかないさ」
「おお、では川内さん‥‥先達の目で春苑さんに助言してあげてくれるかい」
こうして、佳澄の特訓の相手は二人になった。
*
「ちぇっ、ヒナちゃんは今日も春苑とデートかー‥‥」
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)は愛しの相棒が別の相手に付きっきりになっているのを遠くから見て、つまらなさそうにげしっとケリを入れた。何を蹴ったかはご想像にお任せします。
「くっ、何も思いつかねー」
降って湧いた暇な時間を、ラファルははっきり持て余していた。
「不良中年部のボロハブでも冷やかしにいくかな‥‥」
そういや今日は大掃除とか言ってたっけ。
ペンギン帽子の中に手を入れぼりぼり掻きながら、ラファルはその場を後にした。
*
龍崎海(
ja0565)は豪勢な宴の会場にいた。
美しい衣装に身を包んだ女たちが代わる代わるやってきては杯に酒を注いでいく。
一緒に勧められる料理は、木の実に茸に山菜に、と非常にヘルシーだったが、どれも十分に旨かったため海に不満はなかった。勧められるまま、酒と料理に舌鼓を打つ。
やがてすっかり満腹になると、とりわけ美しい姫君が来て膝を貸してくれるというので、言葉に甘えて海は横になった。
(なんだか、夢みたいだな‥‥)
満腹感が心地よい眠気を引き起こす。もう少しこの幸福を味わいたいと思いつつ、海の瞼は次第に重くなっていく──。
目を開くと宴は影も形もなく、重なる緑の葉に遮られた木漏れ日がきらきらと瞬いていた。
「ふぁー」
伸びをして体を起こす。枕にしていた木の根を撫でながら。
「いい夢見たな」
この木は、先日ちょっとした騒動で傷が付いてしまい、海がスキルで治療したのだった。昼食後に様子を見に来たところ、うっかり眠ってしまったというわけだ。
先ほどの豪勢な夢は、もしかしたら治療のお礼に木が見せてくれたもの‥‥。
「とかだったら、面白いな」
すっかり元通り聳える大樹の下で、海は穏やかに笑うのだった。
公園は、陽気に誘われてやってきた学生たちで賑わっている。
そうでなくとも、木々や草花がめいっぱいに光を浴びようと緑を広げて、春の賑わいを見せていた。
パウリーネ(
jb8709)はそんな公園のベンチに腰掛けて、大きな紙袋の中をがさがさと探っていた。
「あっ‥‥買い忘れあるし。今日は朝から困憊する事があったというのに‥‥」
傍らには、封がされたままの黒い手紙がひとつ。ちらと視線を送って、ため息を吐く。
その拍子に紙袋から林檎がひとつ、転げて落ちた。
「ん?」
転げた林檎は偶々そこで写真を撮っていたルビィの足に当たって止まった。
「落とし物だぜ」
「ああ‥‥ありがとう」
パウリーネは林檎を受け取ると紙袋に戻し、別の林檎を取り出した。
「これは、お礼だよ」
「‥‥いい天気だねー‥‥好みではないけれど、とても良い。春らしくて‥‥」
パウリーネが目を細めて遠くを見た。ルビィもつられてその先を見る。
そこでは何の事件も起きてはいない。ただ日常の、穏やかな空気が流れている。
「ただ過ごすだけの時間というのも大切だよ。明日が不確かだって、それを得る自由はあって然るべき‥‥」
「ああ‥‥そうだな」
同意しながら、ルビィは改めて思っていた。
この『何でもない日常』こそが、幸せというものなのだろうと。
そして、それを護ることこそが、命を賭すべきことなのだと。
(少なくとも、俺にとっては‥‥)
ふと、先日出会った堕天使・ミュゼットの事を思い出す。
危険な場所に留まるあの堕天使にも、命を賭すほどの何かがあるはずだ。それは‥‥。
思いを馳せていると、不意に端末が着信を告げて、ルビィは引き戻された。
「どうかしたかい?」
パウリーネがこちらを見上げている。
「いや、こっちのことだ。林檎、サンキューな」
「ああ、良い休日を」
ルビィは端末を手に、そこから去っていった。
パウリーネは再び黒い手紙に目をやった。
「‥‥休日は休日であるべきだ」
そしてそれを、紙袋に突っ込んだ。
*
ファーフナー(
jb7826)は、この穏やかな午後を自室で迎えていた。
彼もまた、今日はフリー。
「さて‥‥どうしたものかな」
しばしの思考を経て辿り着いた答えは、「料理でも作ってみるか」というものだった。
端末を使い、ネットでレシピを検索する。
(ほう‥‥便利だな)
和食を作ってみることにした。
必要な材料をメモしたファーフナーは、買い出しに出る準備を整えたところで、はたと気づく。
「そう言えば、ここには鍋がないな」
それどころではない。包丁も、お玉も、さらに茶碗もお皿も、何もかもが足りていなかった。
かつて、ファーフナーにとって食事とは活動に必要なカロリーを補充する作業でしかなかった。酒は嗜んでいたが、後は腹が膨れればいい、くらいの感覚だったのだ。
それが今では自分で料理をしてみようかなどと思う。この齢で、たいした成長であった。
「‥‥もう少し大きい方がいいか」
外出したファーフナーだが、向かったのは食料品店ではなかった。まずは足りない調理器具を揃えることにしたのである。
鍋にフライパンに、包丁に‥‥一つ一つ時間をかけて吟味し、選別する。いざとなると、意外と凝り性なのだった。
「調理デビューは、またいずれ‥‥だな」
この分では、買い物を終えたら夜になってしまうだろう。ファーフナーは少々自嘲気味に呟いた。
すると、端末が着信を告げた。
*
「うーん、何を作ろうかしら‥‥」
巫 聖羅(
ja3916)は青空を見上げながら歩いていた。
(学食とかで手軽に食べられるから、ついそっちで済ませちゃうのよね)
と、そんな日々への反省も兼ねて、久し振りに手料理に挑戦! ‥‥と決めたのだが。
(一人分って何気に難しいのよねぇ)
献立に悩みつつゆっくり歩いていると、通りすがりの家族の会話に天恵を得た。
「‥‥久し振りにカレーも悪くないかも!」
そうと決まれば。聖羅は端末を取り出した。
「一人で食べるのも味気ないものね☆」
まずは実兄のルビィに電話をかける。
『晩飯? ‥‥暇だからな、別に構わねぇぜ』
それから、おじさまと呼び慕うファーフナーに。
『丁度いいタイミングだな‥‥ああ、こっちの話だ。夜になったら向かおう』
「よぉーし、気合い入れて作るわよ!」
腕まくりの聖羅。目の前には購入した食材と、大量のスパイス。
「やっぱり少しは辛い方が、おじさまたちも好みよね。スパイスは多めに‥‥」
大量のスパイスがみるみる鍋の中に消えていく。
聖羅が愛を込めて作ったカレーは、湯気に混じる辛みが目に染みるほどであったという。
「味は?」
「いや、え‥‥味?」
それどころじゃなかった。
●
「うむ、今のは良い動きだったよ」
光纏を解いて、静矢が佳澄に笑いかけた。
「これで形にはなっただろう。後は実戦だね」
「ありがとうございます!」
佳澄は礼を述べたが、立ち上がるには日菜子の肩を借りなければならなかった。
「ごめんね、日菜子ちゃん」
「春苑は基礎体力に課題があるな。受け防御は魔具を確実に操る技術のほかに、体力も重要だぞ」
「うん‥‥」
佳澄を支えてやりながら、日菜子は続けた。
「その気があるなら、基礎体力作りも手伝おうか」
「本当に?」
と、そこへ。
「ヒナちゃーん」
「ん、ラルじゃないか」
「あ、日菜子ちゃんの‥‥」
ラファルは軽く手を振って挨拶すると、二人の前でニイと笑った。
「これから不良中年部でイベントだぜ。‥‥一緒にどうだ?」
*
「あたし、お邪魔じゃないのかな?」
「いいって、人は多い方が盛り上がるしな」
途中、少々人気のない道を通る事になった。すると‥‥。
「あれ?」
「は、春苑さんっ」
道の真ん中で途方に暮れていたのは、黄昏ひりょ(
jb3452)。
「どうしたの、こんなところで‥‥」
「良かった、春苑さんが女神様に見えるよぉっ」
ひりょは佳澄を見つけると、半泣きで駆け寄ってきたのだった。
「‥‥ひりょくん、方向音痴だったんだ」
「うう、面目ない」
佳澄と並んで歩きながら、ひりょはがっくりうなだれた。
「天気がいいしせっかくだから‥‥と思ったんだけど、案の定だよ」
佳澄はくすりと笑いながら、ひりょの肩を優しく叩いた。
「でも、こうやって会えたんだから、良かったんじゃないかな?」
「ところで、これ‥‥どこへ向かってるの?」
ひりょが尋ねたとき、道の先からたなびく煙が目に入った。それと、なにやら香ばしい匂い。
「あっ、もう始めてやがるな。まてまて、俺に仕切らせろ!」
「おい、ラル!」
駆け出すラファルを、日菜子が追いかけていく。
*
「おっ、戻ってきたか。そろそろ肉がいい感じだぜ」
すっかり草刈りも済んだプレハブの外で、フライ返し片手にミハイルが微笑んだ。
「どんどん焼いて、どんどん食おうぜ。食材は持ち込みも歓迎だ」
「私は、旬のタケノコを持ってきました!」
あけびがどんっと立派なタケノコを披露した。もちろん下処理は済ませてある。
「たーのもーっっ!!!」
勢いよく駆け込んできたのはダリアである。
「BBQと聞いて! 色々買ってきましたよ!!」
袋を漁って、中身を取り出していく。
「マシュマロか。こういうの焼いて食べるのも美味しいんだよね」
「はいあけびさん、後で是非一緒に‥‥。あと、ピーマン買ってきました」
ミハイルの動きが止まった。
「お肉ばかりではなく野菜も食べないといけませんよ」
「沙羅の言うことはもっともだだがそれはピーマンである必要性はまったく」
「あと、健康食品の名目で売られていたよくわからないうねうねした物体も」
「ダリア、ちゃんと食べるんだろうな!?」
ラファルが近づいてきて、謎の物体をひょいと取り上げた。
「よし、こいつで闇BBQしようぜ。ピーマンも入れて。もちろん部長は強制参加な」
「面白そうですね!!」
「俺は断固としてピーマンは食わんぞ!!」
ミハイル周辺が騒がしくなる中、沙羅が肉と野菜を盛った皿を手に佳澄たちの方へとやってきた。
「はい、そちらの方も召し上がってくださいね」
「あ、ありがとうございます」
佳澄は礼を言って受け取った。いつの間にかあけびも近くへ来ている。
「こうやって皆でわいわいするのって好きだなー」
騒動は温かく見守る()つもりのようだ。
「うん、いいよね。こういうの」
はにかむようにしながら、ひりょが同意した。
「一人になりたい時もあるんだけど、常にそれだと寂しくて。人って複雑だよね」
今はこの騒がしさが、とても心地よいのだ。
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青かった空が次第に赤く染まり、太陽がゆっくりと窓の外に沈んでいく。
熱心に針を繰っていたRobinは、すっかり手元が暗くなっていることに気づいて顔を上げた。
「今日はここまでにしておこうかな」
ほんの少し、満足げな微笑みと共に。
何でもない、の春の日は、こうして過ぎていくのだった。