●
――これは、僕のせいだ。
●
「いいえ、違います」
御堂・玲獅(
ja0388)は少年に歩み寄り、しとやかな動作で彼の涙を払った。
「あれは天魔です。貴方ではありません」
頭を撫でられた少年が言葉に詰まり、顔を俯かせる。
少年を名無鬼から隠すように、ノスト・クローバー(
jb7527)が立ち塞がった。
「直接では初めまして、そしてやっと会えたね」
先日の依頼でも、こうして睨み合った。
そのときと同様、目玉はニィィ、と微笑むように目を細めた。
「少年、お前に非はない」
フェンス際に歩み寄っていた翡翠 龍斗(
ja7594)が、眼下で暴れ回る巨人を見てから言った。
「だが倒した後はどうする?」
「……え?」
「何がしたい?」
「……」
反応がないとわかるや、翡翠は再び眼下に目を向けた。
――リハビリには丁度良さそうだ。
そんなことを思いながら、放つ。
翠色をした髪が金に、瞳が朱色に変じた瞬間、彼はフェンスを飛び越えるために跳んだ。
「一部リミッター解除……さぁ、愉しい時間の始まりだ」
翡翠は、垂直の校舎を駆け降りる。
流れ星のように帯を引く光纏を引き連れながら、地上へ突撃する。
建物を攻撃していた巨人が頭上を見上げたときにはもう、翡翠は懐に飛び込んでいた。
「ボディがガラ空きだ。吹っ飛べ」
着地と同時に放った拳が巨人の腹にめり込み、巨体が吹き飛ぶ。
巨人は体勢を整えると、即座に腕を伸ばして反撃してきた。
学校の校庭を瞬時に横切る一撃と翡翠の間に、屋上から降りてきた御堂が割り込む。
盾で防いだものの、衝撃で腕が痺れていた。
次いで、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)とテレジア・ホルシュタイン(
ja1526)も降りてきた。
「恐ろしいほどの強さの敵ですわね……」
御堂の緊張から敵の強さを察して、長谷川が呟く。
それを聞いたテレジアが「でも、退くわけにはいきません」と光纏を発動させる。
「先ほどの少年の願い、叶えてあげなければ」
「もちろんです。……倒しましょう!」
長谷川が拳闘の構えを取る。他の撃退士たちも、武器を発現させた。
●
「どうして……」
屋上から見ていた少年には、彼らの行動が理解できない。
足止めではなく、本気で倒す――その必要性が、少年にはわからなかった。
その姿に、カイン 大澤(
ja8514)は苛立つ。
「下らねえ私怨と、ソレにつけ込むクソ天使か。ざまあねえな」
言われた少年は閉口するしかない。
「抵抗もせず、強くなろうともせず、最後の最後まで人頼みか。良い身分だな。望んだ結果だろ? 喜べよ」
「ち、違う……」
少年の情けない声に、再びカインは舌打ちする。
「……見てろ、クソ餓鬼」
カインは一方的に話を切り上げ、屋上から飛び降りた。
落ちている最中、黒鉄の大剣を発現させる。
着地後、敵に顔を向けられたカインは、巨人に手招きしながら言い放った。
「お前の怒りなんてこんなもんだ」
●
『……でも、ランプの方も無視はナシ、か』
屋上を飛び回る目玉が、名無鬼の声を中継している。
「ランプを壊せば収まる可能性があるんでしょお? だったら、狙わない手はないわ」
Erie Schwagerin(
ja9642)は光纏発動時の真っ赤なドレスに身を包みながら、屋上を踊るように走っていた。
屋上のあちこちに、彼女の放ったファイヤーブレイクの焦げ跡が残っている。
オズワルド(
jc0113)に目玉を集めてもらってから範囲魔法を打つ予定だったが、事前に見破られて散開された。
御堂の生命探知が失敗したため、命中を重視した雷で地道に目玉を狙っている。
『この間、そこの狼人間に見つかったからねぇ。感知系は対策したよ。範囲魔法も警戒済みだ。……一気にドカーン、本物を見分けてアッサリ勝利、これでクリアできたらゲームがつまらないだろう?』
声は、全ての目玉から発せられている。
「ゲームだって言うんなら、ルールがあるんでしょ?」
追い掛けている目玉に向かって、オズワルドが問い掛ける。
「人を『選ぶ』のには、何かわけがあるの? あるとしたら、理由はひとつだけ? お前は……名無鬼は、無差別にサーバントを作ってるわけじゃない。困ってる人を助けるようなフリして、余計に苦しめてる。そこには、何かわけがあるの?」
『難しいことを訊いてくるねぇ』
オズワルドの攻撃を掻い潜りながら、目玉が答える。
『たぶんだけど、人の裏側を見たいんだよ。うまく繕ってるけど、人間の裏側はドロドロだ。物欲、色欲、怠惰、憤怒……一皮剥けば天魔なんかよりよっぽど性質が悪いはずだ? その子みたいにね』
屋上の隅に避難していた少年が、顔を強張らせる。
『キミの怒りのおかげで素敵なサーバントが産まれた! ふふふっ、あははは、っ!』
オズワルドがゴーストバレットで目玉を撃ち抜いたが、他の目玉はなおも、飛びながら笑い続けている。
「若い子を苛めて嫌だねぇ……」
少年が戦闘に巻き込まれないように、彼を守っていたノストがため息をつく。
そして、涙している彼に向かって言った。
「君は願っただけだ。誰だって苦しいことや嫌なことがあったら、なくなってしまえと思うこともある」
「そうよぉ。願いを持つな……なんて、無理な話よねぇ」
目玉に狙いを定めながら、Erieも会話に加わる。
「虐められれば逃げたくなるし、仕返ししたくもなるわ。そこに付け込んでおきながら、アレがこの子の怒りそのものですってぇ? 笑わせてくれるじゃない」
黒く変色した眼球の中で翠色の瞳が輝いた瞬間、目玉が雷光に撃たれて落ちる。
「そういう風に作られてるサーバントってだけなんでしょぉ♪」
名無鬼からの返事は、ない。
「ボクぅ? あなたも真に受けないの。人をからかって面白がってる天魔なんて何考えてるか分かんないんだし、本当のこと言ってるとも限らないんだからぁ」
『いやいや、その子が願ったのは本当さ。本人が一番わかってるはずだ』
「……人の心をくすぐるのが大好きみたいねぇ、あなた」
Erieの攻撃が雷光から、飛来するギロチンの刃へ変わる。
真っ二つにされても、目玉はけらけら笑っていた。
うぅ……、と頭を抱える少年に、再びノストが話しかける。
「俺は、はぐれ悪魔だ。昔は人の魂を摂取していたこともあるが、今はそれを悔いている」
爽やかな笑顔で人をからかうのが好きな彼が、真剣な表情をして語っている。
「一度の過ちで取り返しがつかなくなるならば、撃退士として今、この場にいない。過ちを犯したならば悔い、そして先へ進めばいい」
『たった一人で? 無力な子供が?』
「一人で駄目なら誰かに頼ればいい」
『自分たちがいる、ってわけかい。立派な心掛けだ! ……でもねぇ』
全ての目玉が、一斉に目を細める。
『ヒーロー気取りのお仲間は本当に、アレに勝てる?』
●巨人
校庭に砂煙が舞っている。
地面はところどころ抉れていた。
走りにくくなってしまった校庭を、縦横無尽に駆け回っているのは撃退士たちだった。
「――ッ!」
気迫を短い呼吸に込めて、後衛のテレジアが矢を放つ。
放たれた矢は空を裂き、巨人の両足へ着弾する――その直前に、腕で庇われた。
巨人の足には前衛がつけた裂傷がある。
再生能力を持つ敵の治癒を遅らせるための攻撃だったが、先ほどから命中率が芳しくない。
「ヌァァアぁぁぁ!!」
遠距離からの攻撃を嫌った巨人の目が、テレジアに向く。
攻撃に備えてシールドを準備した瞬間、巨人が再び悲鳴を上げた。
中距離の間合いから放った翡翠の飛刃が、テレジアへの攻撃を止めたのだ。
だが、巨人が持つ別の腕が翡翠を狙う。
撃退士と対峙した瞬間、巨人は両肩から新たに二本の腕を生やしていた。
それぞれが別々のタイミングで攻撃を仕掛けてくるのが厄介だった。
憤怒と共に、巨人の腕が一瞬で伸びる。
およそ10m程度の距離を瞬時に詰めた拳撃を、翡翠は皮一枚で避ける。
回避と同時に、翡翠は敵に目掛けて突撃した。
同様に、長谷川とカインも別方向から接近した。
磨き上げた拳の一撃と同じく、一直線に立ち向かう長谷川に対して、カインは敵と接触する手前で曲線の動きに変えた。
巨人の周辺を回り込むように、手にした刃を巻き込むように身体を回転させながら、巨人の脇腹を斬り払う。
次いで勢いを殺さず、力任せに大剣の軌道を横から縦に変えて、脚部へ剣を打ち下ろした。
さらに飛び込んできた翡翠が裂傷を抉るべく、蹴りを放つ。
さすがに堪え切れなかったか、がくんっ、と巨人の膝が落ちた。
その絶好機を逃すはずがなく、黄金色の風と輝きが砂煙を吹き飛ばす。
光の正体は、長谷川の光纏だった。
ありったけのアウルを右拳だけに集中させて放つ、黄金の右ストレートが巨人の腹に炸裂した。
(さっきよりも手応えありですっ!)
命中させるのは二度目だ。
先ほどもカインの斬撃、翡翠の飛び込み、テレジアの援護を受けて叩き込んだ。
タイヤを殴ったような屈強さは変わらないが、内側まで「入った」感触があった。
「ぐ、ォォ――」
スタンまでは至らなかったものの、ダメージの重さは見て取れた。
時間が経てば、この傷も再生してしまう。長期戦になれば不利になる。
殺るなら、ここしかない。
「翡翠さん!」
長谷川の叫び声を聞く前に、翡翠は既に動いていた。彼も同じ気持ちだった。
周囲を舞っていた光纏を闘志で束ね、黄龍と成った瞬間、翡翠が突進と共に全身全霊の一撃を放つ。
後のことを捨てた全力の一撃が、長谷川の拳の跡ごと巨人の肉体を抉る。
さらに、長谷川も続く。
先ほど右拳に込めた量と等しい光纏を、全身に行き渡らせる。
そして五秒間のみ、彼女だけが連撃を放つ時間を作りだす。
拳の嵐は獣のように壮絶で、しかし蝶が舞うように美しかった。
「ぐっ……」
五秒が終わる。翡翠も巨人のそばで反動に耐えている。
――どうか?
「あぶねぇ!」
うずくまる長谷川に向けた、巨人の打ち下ろしをカインが大剣の攻撃で受け止める。
どうにか交差させて止めたものの、別の腕が動く。
『残念。MAXHPにチョット足りないね』
巨人の肩に、目玉が止まっていた。
そこから生えている手が、左右に大きく伸びていて、
『集めて範囲攻撃でドカン。ゲームの基本だよね』
丸太のような腕を振り回すダブルラリアットが、三人を吹き飛ばした。
●
凄まじい衝撃が、範囲外にいたテレジアに最悪の想像をさせた。
「みなさん!」
今までの比じゃないほど、砂煙が立ち込めていた。
しかし強い風が発生したため、視界はすぐに晴れた。
「……っ!」
前衛三人が倒れているのを見た瞬間、テレジアは走った。
仲間ではなく、巨人に向かっての直進だ。
「来なさい!」
弓矢を放ち、巨人を仲間から遠ざける。
伸びてくる腕の攻撃をシールドでやり過ごしながら、時間を稼ぐ。
そうすれば、彼女が――御堂がなんとかしてくれるはずだ。
「しっかりしてください!」
重体のカインに、御堂が癒しの光を注ぎ込む。
回復が先か、テレジアが倒れるのが先か――正念場だった。
●
『下は劣勢だね。残念なことに、ゲームはキミたちの勝ちになりそうだけど』
ノストのナイフで羽根を切り刻まれた最後の目玉が、悔しそうに発言している。
目玉が持っていたランプは現在、オズワルドの手の中にある。
「ランプを壊して! 早く!」
少年が懇願するが、オズワルドはランプを見下ろしたまま微動だにしない。
ノストもErieも、それに関して何も言わなかった。
「どうして……?」
三人は誰ともなく、困惑する少年に校庭を見るよう促した。
●
あと一撃なら、根性で耐える。
そんな決意を抱いていたテレジアを、癒しの光が包み込む。
「お待たせしました!」
御堂の回復魔法だった。
テレジアが振り返る。
瞬間、彼女の両脇を翡翠と長谷川が駆け抜けていった。
「俺の命にはまだ届かん」
「まだ……まだですわっ!」
二人とも、不屈の精神で気絶状態から自ら這い上がった。
二人の突撃を援護するように、テレジアも再び矢を放つ。
『……なぜ、そこまで必死になれるんだい』
「愚問だな。武人である以上、目指すは遥かなる頂。俺を満足させる敵を探し、乗り越える……ただ、それだけだ」
「最後まで勝利を目指して戦う、当然ではありませんか。まだリザインする局面では無いでしょう?」
翡翠が飛刃を放ち、長谷川が拳を振るう。
「……何に必死になるかは人それぞれ、理由もまたそれぞれです」
巨人に照準を合わせながら、テレジアも言の葉を穿つ。
「中には理解に苦しむものもあるかもしれません。しかし、それが人間。興味がおありでしたら、観察してみるのも一興かと」
矢が、巨人へ飛んでいく。
それを追いかける人影が一つ。
「腹が立つんだよ……どいつもこいつもくだらねえ勘違いしやがって」
歯を剥いて、カインが吠える。
「何が勇気や信念を与えてやるだ? 違うだろう! 思い上がってんじゃねえ! そんなもん見せたってなんにもなりゃしねえ! 必要なのは、その根性叩き直して勇気は自分で振り絞るもんだって教えてやることだろうが!」
激情と同時に、殺戮衝動が湧き上がる。
解き放てば元に戻れる保証はない。
(……だが、一番示さなきゃならないのは俺だ)
屋上まで聞こえるように、もう一度吠える。
「逃げだした先にはなにもないんだよ、残るのはズタズタになった心の傷だけだ、だから自分で勇気を振り絞って、あの野郎の言葉をお前自身が否定しろォ!」
前衛に追い付いたカインが、巨人の正面に飛び込む。
そして敵の膝を踏み台にして跳んで、顎をカチ上げるように、膝蹴りをぶち込んだ。
●
彼らの意地を目にした少年は、泣くのを止めていた。
フェンスに手を掛けながら、彼はきちんと理解していた。
「……そっか。逃げちゃいけないときが、あるんだね」
少年の手を握っていたノストが、頷く代わりに軽く手を握り返した。
Erieも少年の背後に立って、両肩に手を添えた。
「あなたは自分を虐めていた子を助けてと願ったわ。充分に立派よ、胸を張りなさい。……でも、今度は願うばかりじゃなくて、自分で叶えなさい。化け物相手だと厳しいでしょうけど、同い年の子となら向き合えるものね?」
少年が頷く。
「よし、イイコ♪」
少年の心については、解決したと考えてよさそうだった。
残る問題は、目標としていた巨人討伐を達成できるかどうか、である。
(……残念ながら、少し厳しいように見えるね)
思案顔のノストが、ちらりとオズワルドを見る。
加勢すべきかどうか悩んでいる彼の手から、ひょい、とノストがランプを拾い上げる。
「壊すよ。目標を果たして得ようとしたものは、もう手に入れたわけだしね」
ノストの提案に、オズワルドとErieも首肯した。
全身を緑色の光纏で輝かせた後、ノストはランプをナイフで破壊した。
『……次こそは、もっと深い絶望を』
名無鬼の捨て台詞を中継した目玉も、まもなく絶命した。
●
少年の事件後については、「最終的に転校してやり直すことになった」とだけ報告書に記載されている。
保護者と学校の要望で、経緯は記載されていない。
余談になるが、御堂・玲獅が事件後も彼のために長く寄り添ったことは記録に残らずとも、関係者の記憶に強く刻まれている。
●そして、数年後
夕方の高架下で、青年と少年が話している。
少年は膝を抱えて泣いていて、青年は何かを話しかけている。
「俺もね、いじめられたことがあるんだ。でも、ある人たちに教えてもらったんだ……、……」