●月曜日
「ファラさんて、君?」
紅茶を楽しんでいた ファラ・エルフィリア(
jb3154) に声を掛けて来たのは、見た事の無い男子生徒だった。
「遊べる所を探してるってきいたんだけど」
ニコリと上品に微笑み、ファラは頷いた。
お高めなカフェには、やはりお高めな感じの生徒ばかりが入って行く。自分に縁は無いなと、ガラス越しに猫をかぶるファラを見た真龍寺 凱(
ja1625)はその場を離れた。
手早くメールを打ち、辺りを見回した目は少し先のコンビニの外に立っているチャラそうな生徒を捉えて止まる。
さて、こっちはこっちで当たってみるか。
鼻を鳴らして笑った顔は、とてもじゃないが未成年には見えなかった。
「ファラさんに接触した生徒がいるみたいよ」
卜部 紫亞(
ja0256)はそう言うと、パタンと携帯を閉じた。
「喰い付き早い魚がいたもんだ」
「ほんとですねぇ……」
呆れた様な表情で息を吐くラウール・ペンドルミン(
jb3166)と雨霧 霖(
jb4415)は、並んでキーボードを叩いている。
戦いが無いとスリルが足りなくて退屈、という話をバラまいたファラの『お嬢様のフリして釣り上げ作戦』は見事成功したようだ。
「ファラ君はパス入手、真龍寺さんは独自調査に移ったようだ」
打ち込む文字は、ファラの欄の火曜日の所に潜入の文字を叩く。それを見ながら、バルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)は襟を正した。
「さて、我はファラと同じ店に行けばよいのだな? ……何やら懐かしい姿よな」
苦笑しながら言うその姿は、ぴしりと皺の無い貴族然としたスーツ姿だ。
「あの店は夜はバーになる。昼間もお高いが、夜は更に、だ」
そう言いながらラウールはプリントした地図をバルドゥルに渡し、それからすぐにモニタに向き直った。
●火曜日
「署名無しだからな、無理でしょう」
パスを翳しながら言う大野に、卜部は溜息を吐いた。匿名の相談者から斡旋所に齎されたブラックパス、あわよくば使えないかと思ってきたが無駄足だったようだ。
また、匿名の相談者から直接話を聞けないかと交渉もしてみたが、その身元を明かすことはでいないと断られてしまっている。
「みんな隠したがるのねえ」
「犯罪ですから」
斡旋所側の調査は全く進んでいないのが現実だ。誰も彼もカジノに行っていることは隠したがり、あまり表立って動くとその動きは生徒を通してカジノ側に伝わりかねない。
「斡旋所の体では調査は出来ない、ということね」
「まあ……平たく言ったらそうなります」
調査は、自分達が行う以外にないようだ。成果のないことに溜息をつき、卜部は今頃優雅に紅茶を飲んでいるであろう仲間の姿を思い浮かべた。
「長谷川さん?」
その頃優雅にロイヤルミルクティーを楽しんでいた長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)に、一人の生徒が声を掛けていた。
「そうですわ」
「君、ギャンブルしたい貴族だって話聞いたんだけど」
雨霧が事前に流しておいた噂が、功を奏していた。
長谷川という貴族出の先輩がギャンブルの出来る所を探している。『貴族出の』という所にポイントを置いた噂は、更に「いつも決まった店で紅茶を飲んでいる」という誘導文句もつけ、そして今、たらした釣糸に掛かった魚が彼女の元に現れたのだ。
「君、秘密守れる?」
長谷川は一瞬きょとんとした顔をし、それからすぐに『秘密』という言葉にワクワクした輝かしい笑顔を放った。
「ええ、秘密を守るのは得意ですのよ」
金髪美女の笑顔に顔を緩めながら、生徒はポケットから黒いトランプを一枚取り出す。
「これ持って、今日の八時過ぎにあそこの建物の脇に来て。いいとこ入れてあげるから」
潜めた声に合わせるよう、長谷川も声を落とし、不思議そうな顔を作って囁く。
「いいとこってどこですの?」
「……カジノだよ、内緒の」
ぱあっと更に輝くその笑顔の裏側を、生徒は知る由もなかった。
●水曜日
パソコンルームの机の上、大きく広げられた紙にペンで四角を書いたラウールが、そこに正面口と裏口を書き足していく。夜の闇にまぎれ上空から偵察した、カジノの見取り図だ。
「じゃあまず私が」
そう言って長谷川が、昨晩入ってみての大まかな構造を書き記す。裏口から入って真っすぐな廊下、それに沿ってずっと歩いて行くと階段があり、それを上るとカジノルームに通じている。
「二階? 我が通されたのは、一階だったぞ」
なんとなく気落ちしていたバルドゥルの冴えない表情の原因はこれだった。彼個人のミッションとして、夜の高級バーで賭場を探している話をして潜入……のつもりだったのだが、上手く話に乗ってくれた人に誘われ火曜の夜に通されたのは正面玄関だった。そこではたと彼は気付いたのだが、
「十八歳未満に賭博させるから、裏カジノだもんねー♪」
無邪気な紅鬼 姫乃(
jb3683)の言葉に、益々肩を落とす。そう言えば大学生であったバルドゥルの個人作戦はここで失敗していた。
「と、とにかくっ! 裏と表では階が違うっていう事だね!」
「それから、カメラはかなりあったよ」
「階段はまだ上にも通じていましたわ。事務所が三階にあるのではないかしら?」
潜入出来た二人はさくさくと見取り図に書き込んで行く。
「そう言えば、賭けボクシングはどうだったの?」
それを見ながら卜部が問うと、真龍寺が大きく頷いた。賭けボクシング作戦に乗り気だった彼はうずうずと吉報を待っていたのだが、
「ダメでしたわ。なんだかどなたに言っても苦笑いされまして」
面白くなさそうに告げられた言葉に、その肩が落ちる。
「そういえば、紹介用のパスは手に入ったのか?」
パソコンに向き合っていたラウールがくるりと椅子を回して皆の方を向き直ると、長谷川とファラはお互い顔を向け合い、それから二人とも首を振った。
「全ー然。もらえなかったよ」
「何回か行かないとダメなのかもしれませんわ」
期間中にパスが得られる保証は無い。だとすれば、全員潜入しての作戦は白紙に戻る。
「さて、では練り直しねえ……」
卜部がそう言って考え込むと、ラウールが立ち上がった。
「校内調査はやる価値がありそうだ。ネット上でそれっぽい書き込みが結構ある」
それっぽい、というのは店の名前や何をしたのかは明記していないものの、大枚擦ったような表現の書き込みだからだ。
「なるほど。斡旋所としての調査でなければまた違うと言う事であるか」
「上手い事そんな連中を捕まえられたら、話を聞いてそれを録音……ってことも出来る訳だな」
ニヤリと笑って拳を叩く真龍寺の前日までの報告が無いことを誰も気には止めなかった。が、実は「どっか遊ぶところ知らねえか?」とガラの悪そうな連中に話しかけた所、カタギでなさそうなダーツ店から始まり、いかがわしい店に引き込まれそうになって、最終的には目的のカジノの通常フロアに案内された事を、彼はそっと十七歳の胸にしまったのだった。
●木曜日
「姫乃の出番なのー♪」
早朝、物質透化で建物内に潜入出来た紅鬼は、そのまま床まで降りようとして天井裏で止まった。みんなが作った見取り図によれば、この真下が事務所と思われる部屋だ。何も無ければまっすぐ降りていいが、カメラがあったらどうしよう。
そう思い顔だけを静かにつっこんでみると、懸念した通り事務所の中には天井にいくつかのカメラがあった。そして、部屋の壁には沢山のモニタと、……いないとばかり思っていたスタッフの姿。
「(んー……思ったようにはいかないの……)」
すると、一人だけそこにいたスタッフがふと立ち上がり部屋から出て行ってしまう。これはチャンス、とは思ったものの部屋に降りる事は出来ない。考え込んだ紅鬼は、スタッフが戻って来るまでの時間、天井からそのモニターの写真を撮り続けた。
●金曜日
紅鬼の持ち帰った写真は拡大され、すぐさまファラと長谷川がその画像でカメラの位置と方角を割り出した。
「これはまた、節操の無い事であるな……」
バルドゥルがつぶやいたように、ほぼ死角の無い状態にカメラが設置され、フロアの全ては把握されている状態だ。
「映らないのは無理じゃない?」
確かに紅鬼の言うとおり、カメラの死角を通る事は出来ない。とにかく素早く、出来るだけ隠して、撮る瞬間が映っても怪しまれないように撮るしかない。
「俺らの方は一人目星が付いたぜ。今日の夜会って話を聞いてくる」
「カジノ近くのファミレスよ。話は私が聞いて、彼には外で待機しててもらうわ」
卜部と真龍寺の調査成果も今晩中に上がるようだ。すべての段取りは今のところ順調、あとは今晩の潜入で証拠を押さえれば完了である。
「さあ、それじゃあ……ケツの毛毟ってやろうじゃないか」
ニヤリと雨霧が言うと、全員がニヤリと笑った。
●決戦は金曜日の夜
「負け過ぎ……仕送り無くなっちゃうよぉ」
「そういえば、こないだ小テストあったじゃんか」
「レポートの提出って来週だっけ」
あちこちで、耳を澄ませば声が聞こえる。長谷川はテーブルを物色するような素振りでその中を歩いている。
会話の内容は完全に十八歳未満だ。そして向こうでは、ファラが携帯をいじるフリをしながら手早く写真を撮っている。
高校生らしい会話、顔まで映った遊戯中の写真、この二つに今卜部たちが集めている証言。これだけあれば十分だろう。
ふと離れた所のファラと目が合い、お互いに小さく頷いて歩み寄る。
「なんだか、見られてるみたいなの」
そう小さくつぶやいて、ファラはすっと長谷川から携帯電話を受け取る。
スタッフの目が、二人に時折向けられるのは長谷川も感じていたらしかった。
「気を付けましょう」
階下の通常フロアにいたバルドゥルは、その不穏な動きに気付く。
周りにいたスタッフたちが一様にインカムに集中する素振りを見せ、それから何人かはスタッフ専用口の向こうへと消えていく。
時間を見ると、事前に打ち合わせた時間だ。素早く取り出した電話でラウールに掛けると、一コールでつながる。
「動きがあった。スタッフが数人二階に向かったである、外へも出るやもしれない」
「わかった」
短い早口で答えを返すと、電話はすぐに切れた。
長谷川と別れたファラはトイレへと向かう。トイレ内にはさすがにカメラはなかったが、それでも念のため個室に入り鍵をかけると、腕時計を見て時間を待った。
20:30。デジタルの表示が変わるのと同時に、壁からにゅっと紅鬼の手が現れる。
「時間どおり!」
「くぅ〜♪ 姫乃応援してるよ、頑張ってね!」
「ぅー! あたしお嬢様無理! 肩凝るの、ヤ!」」
「似合ってる似合ってる」
そう言ってファラの持っていた二台の携帯電話を自分の持っていた二台と交換し、ニコニコと笑う紅鬼の目が、急にすっと細くなる。
「どうしたの?」
「……スタッフさんが二階に向かってるって。姫乃も逃げるね!」
外に抜けた紅鬼の耳に、鉄のドアの音が届く。慌てて屋上へ向けて飛び上がるが、ほんの少しだけスピードが足りない。
「(見つかっちゃう〜……わっ!)」
屋上の縁を掴もうとしたその手を待機していたラウールが掴み、力任せに引き上げると、その速さで何とかスタッフ達を出し抜き紅鬼の体は屋上に到達する。
「はぁー。ドキドキしたぁ♪」
「今日の運勢は『何事も際どい』だったから焦ったぜ」
「えー、その占い際どいねー」
階下では数人の足音が歩き回っている。どうも警戒されているようだな、と、ラウールは紅鬼から受け取った携帯電話を女物のかわいらしいバッグに入れて口を閉じた。
「じゃあ姫乃は静かになったら帰るね♪」
「ああ、お疲れ」
手を振る紅鬼に小さく手を振り返し、ラウールは真下に人がいなくなった瞬間を狙って飛び立つ。
カジノのビルから学園に向かって三軒目、その建物と建物の隙間で手に持っていたバッグをぽいと手放すと、それを真下でキャッチしたのは雨霧だ。そこは卜部と真龍寺が被害者との密会に指定したファミレスの影。バッグを掛けて、何気なく大通りに出ればそこには真龍寺が立っている。
「どうだったんだ?」
腕を組んで、硬い表情でカジノを見ている真龍寺に、バッグを持ち上げてにこりと笑って見せる。
「そちらはどうなんだい?」
ガラス越しに店内を見ると、卜部が一人の生徒と向き合っているのが見える。手元にICレコーダーがあるのが見え、同意の上で録音しているのが分かった。
「あとは、入ってる連中が無事帰ってくりゃオッケーだな」
「そうだね。まあ大きなトラブルになることはないとは思うのだけれど」
段取り上、録音や撮影がバレた時のために、携帯電話の交換案を通したのだ。帰り際にチェックされても、彼女らの手元には何の証拠も残らないのだから、きっとそんなことにはならないはずだ。
「そうなったら、俺が飛び込んでって暴れてくりゃいいんだろ?」
何かの間違いがあっても、そうならないといいなあ、と雨霧は心配そうにその笑顔を見ていた。
●翌週
事後報告会と言うことで、『ケツの毛毟り隊』と斡旋所の大野はパソコンルームに集まっていた。
実はカジノはこの数日前から開いていない。少なくともあの場所からはいなくなったのだが、それが一斉検挙の結果なのか、その答えを聞くための報告会なのだ。
「結論を言うと、ガサ入れは成功」
おお、とメンバーからは声が上がるが、大野の顔は何となく冴えない。
「ただし、ギリギリ」
「ギリギリってなどういうこった?」
「感づかれてた、ってことだ」
実はカジノ側の逆調査が学園に入っていたのだと大野は言う。
「調査終わってから、誰もカジノに行かなかっただろ」
マークしていた客が、ある日を境にぱったりと来なくなった。それを訝しんでカジノ側は自分達寄りの生徒を使い調査を始めていたらしい。
警察に提出した土曜日以降は集まったりもしなかったため決定的な証拠にはならなかったようだが、探りが入ったという可能性を取り、捜査実行の数日後には逃げる算段を立てていたというのが警察からの報告だった。
「ツメが甘かったわねぇ……」
ふう、と卜部がため息をつくと、他の数人も同じようにため息をついた。それはギリギリバレる寸前だったという恐ろしさと、それでも検挙は成功したという安堵の入り混じったものだった。
「まあ、とにかく裏カジノの排除は成功だ。お疲れ様」
そう言って大野が部屋を出ていくと、バルドゥルが小さくぽつりとつぶやく。
「こういったものは無くなりはすまいが……犠牲者が少なければよいな」
それからしばらく、金持ちな生徒が最近おとなしいという噂と、大人が夜暇そうにしている姿がよく見受けられるようになった。
久遠ヶ原島は、一時の静かで健全な夜を過ごしている。
無くなりはしない甘美な誘惑が再びやってくる日を待つ人間を、影の部分に抱えながら。