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日中だというのに高い木々は屋根のように枝葉を伸ばし、影を作る。
すぅっと吸い込む外気はひんやりとして胸に沁みる。日が当たらない所為か、ぬかるんではいないまでも地面は湿っていた。
村人から一応の情報収集は行えたものの、本人たちと面会することは叶わなかったが、大きな病院の集中治療室へと搬送されていると聞き……仕方ないと言う他ない。息のある奇跡に感謝すべきだ。
村人から得た位置情報により、先のディアボロの出現ポイントへと足を踏み入れる。
「村人の弁によるとこの辺りのはずだが……」
道らしい道もない。人がただ何度もそこを通り踏み固まっただけのところだ。普通に獣も横行するだろう。辺りを注意深く見回し、思ったほどの勾配がなかったことに頷き呟いたのは、ルドルフ・フレンディア(
ja3555)
「何、俺様達が来たからには朝飯前よ!」
と村人たちには胸を張ったが、虚勢である。事実彼はもっと用心深く、作戦を練ることに集中していた。
「このくらい大きな猪と」
「違う違うこのくらい」
村人の話はどんどん大きくなるばかり。恐らく考えているものよりは巨大そうだ。
そのことを思い出し、短く唸ったルドルフの背後で
「なるほど、これは存外歩きやすいものよの」
とんとんっと山に入る際、パンプスからスニーカーに履き替えてその歩き心地を確認していたのはフル・ニート(
ja7080)だ。
敵が同じポイントに戻ってくるかどうかというのは微妙だが人っ子一人居ない場所だ。入り込んだ撃退士たちに寄ってくる可能性は高い。それゆえ、少しでもこちらが有利な立ち位置を確保するために余念はない。
●
「―― ……」
誰が一番に気が付いたかは分からない。全員が、ふっと息を潜めた。特定の臭いがするわけではない、けれど天魔の存在は独特の空気を孕んでいる。
何時からそこに居たのか、奴らは食らいつく者を求めるように彷徨っていた。
気温が低いわけでもないのに、奴らから吐き出される呼気は白く煙る。興奮状態にあるように、大きく体を上下させている姿を確認して
「出おったなボタン鍋。各自展開、作戦開始だ!」
ルドルフの台詞にそれぞれ目配せをした彼らは予定の配置に付いた。
―― ……きゅっ
自らの魔具を木の幹に括り付け、地表ぎりぎりに這わせて距離をとり身を潜めたのは氷月はくあ(
ja0811)、それより後方対角線上で狙いを定めたのは雨宮アカリ(
ja4010)
「目標を確認。数は四。十時の方向よぉ。距離は大体十メートル前後」
ぽつぽつと確認するように呟いたアカリの声に全員が頷く。囮及び誘導役となる犬乃さんぽ(
ja1272)が、故意に大きな音を出した。
それは戦闘開始の合図だ!
大きな蹄が地面を大きく抉り、突然目の前に現れたさんぽへと標的を定める。大猪のサイズは目測でも二メートル弱。覆い被されば、さんぽよりも大きい。移動速度は小型のものよりも大猪の方が早いかも知れない。追いつかれるかどうかの距離を保ちさんぽは、はくあの罠を目指す。
―― ……キュンッ! バシッバシュッ!
大きく広がろうとした小猪に向かって、アカリがライフルを放つ。傷は負わせられなかったが、誘導は成功だ成功だけど……。
「!!」
ゴフゥっ!! 火を噴いた。予想より火力強い。さんぽが慌てて身を横に逸らしたところで、りんっ! と愛らしい鈴の音が響いた。
「昨日までのあたいは死んだ、ここにいるあたいは昨日より強い!」
悠然とはくあの罠の奥に立ちはだかった御子柴天花(
ja7025)は、にやりと口角を引き上げ続けて
「こー見えてあたいの刀さばきは結構やばいのだぜ!?」
とすらりと抜き放った刀身を迫り来る猪に構えた。猪急には止まれない。
「今度も突破できると思うなら……してみるといいよっ!」
タイミング良く、はくあはワイヤーを引き絞った。小猪に効果の程は図れなかったが、大猪には効果合ったようだ。足を弾かれ体勢を崩した大猪は、醜い鳴き声をあげ、ザザーーッと滑り落ちる。そして、敵が立て直す前に
「っ!!」
ザシュっ! 先に木の上にて待機していた翡翠龍斗(
ja7594)の一撃が直接叩き込まれた。悲鳴のような声を上げた大猪は大きく頭を振る。ぼとぼとっと湿った土が赤く滲むが、すぐに立ち上がり威嚇するように唸り、前足で強く踏み込むと狙いを龍斗に定めた。
「さあ、ワンちゃん。成敗してやるのじゃ!」
もう隠れている必要もない。後方より、出てきたフルは仲間の援護のために聖骸布拡散を使用。柔らかな黄金色のベールが仲間を包む。
(今は……怯えを殺せ! 俺は、皆を護るのだ!)
内なる不安を掻き消すようにルドルフは首肯する。
ころころと三方向に再び広がり転がった小猪へと、細かい攻撃が続く。致命傷を負わせる為というよりは、一カ所に散った奴らを集め一息に仕留める作戦だ。
んんーーっ! くはぁっ!!
と小さな体から吐き出された炎は、フルの腕を掠めた。
「熱いのじゃ、痛いのじゃ、我は痛いのは嫌なのじゃ〜」
慌てて後退したフルは、リビングワンドを引っ込め魔法書へと持ち替えた。それを庇うように、前に出た八辻鴉坤(
ja7362)は別方向から放たれた炎をシールドにて防ぎ打ち消し、クロスファイアに持ち替えたはくあの一撃が小猪を弾いた。
「いいぞ皆の衆! そのまま戦線を維持だ!」
ルドルフの激が飛び、多くの傷を負わせ一箇所に三匹を追い詰めたその時、三匹は同時に重心を後ろ足にかけ仰け反ると、ぐんっと頭を振って……
「危ないっ!」
―― ……ゴウッ!!
炎を吐いた。重なった炎は火柱となり真っ直ぐに彼らに向かって放たれる。
「……っ!」
(重いっ!)
反射的に前に出た鴉坤はシールドを展開したが、先ほどの非ではない。ずるずるっと後退し打ち消されるとほぼ同時に膝を着いた。
次の攻撃に備えなければと、皆が構えた瞬間
「いっくよーっ! 幻光雷鳴レッド☆ライトニング!」
紅い電光が走り小猪に直撃。さんぽの蛍丸が稲妻を落とした。湿った地表の水分が蒸発して白煙を上げる。それが晴れ残ったのは、三つの黒い塊だった。
どんっ!!
激しく鈍い衝撃音は地鳴りのように響いた。
仲間から大猪の驚異を払い続けた龍斗に、多くの手傷を負わされた大猪は渾身の力を込め力強く走り込みそのまま突っ込む。
「ぐ……、はっ」
その勢いは、龍斗を高く弾き上げる。
刹那目を疑いヤケに時がゆっくりと流れている気がした。
―― ……させないっ!!
続けて二本の牙を振り上げた大猪に、天花が切り込み、アカリ、はくあ、フルが撃ち込んだ。
「ギャウゥゥッ」
突然の衝撃に大猪は弾かれ地面を削る。
「龍斗殿!」
地面に叩きつけられた龍斗に駆け寄ったルドルフは、安否を確認しつつライトヒールを施した。柔らかな光が包み込み、龍斗は「げほっ!」と直ぐに意識を取り戻す。そして、安否を確認する仲間の声に頷く。
大猪は動かない。
しかし絶命したと思われた大猪が、ぴくりと動を成した瞬間。
跳ねるように立ち上がった龍斗が大猪を叩き斬った。
―― ……ズン……ッ
巨体が地面へと横たわる。
もう、二度と動かない。
「これで、終わりか? お前が傷つけた人の痛みはこんなものじゃないぞ!」
冷たい笑みを浮かべた龍斗の頬から、獣の血がつぅっと流れ顎の先からぽたりと落ちた。
●
黄昏時、会場は和やかな空気に包まれた。
―― ……パンッ、パンパンッ
軽い音が響き、わぁっと歓声が上がる。
「商品独り占めは悪いわよねぇ」
余ったコルク玉を手の中で弄びつつ、艶っぽく微笑んだアカリに的屋の主人は気を悪くすることもなくにこにこ。
「流石撃退士様だ。けんどぜーんぶ、持って行かれたらあとがないからな、これでどーですか」
いってどんっ! とテーブルに載せられたのは巨大な兎のぬいぐるみ。これはこれで持ち運びに困ると思うのだが……
「おふぅー! すごぉい! うーしゃぎぃ」
はぐはぐと露天の食べ物をパクつきつつ歩み寄ってきたのは天花だ。
「欲しければどうぞぉ」
子ども神楽の要請時に、あたいは大人の女だから〜と天花が言い切ったのを思い出して、アカリの頬が緩む。
村へ戻れば撃退士様々だった。
必ず仕留めて戻ってくれると信じ切っていた村人たちの祭りの準備は万端。歓迎ムードも重なって、あれやと言う間に疲れなど感じている暇もなく、はくあとフル、そして、参加人数が少ないのに気が付いたさんぽが、変化の術にて姿を変え子ども神楽に加わった。
「子ども神楽なのには、東洋の神秘的理由があるはずだもん……だから、村人さんには内緒だよ」
と、さんぽは素敵笑顔を添えて。
「兄さん、和笛、龍笛だがね、吹けるのかい?」
「ん、ああ。人並みには……」
何の弾みか、そんな流れに持ち込まれた龍斗はこれまで人数が足りなくて(酷いときは録音を流していたらしい)仕舞われてしまっていた和笛を持たされることになってしまった。
―― ……控え室兼練習室:体育館。
「そうじゃそうじゃ、そこで右にこう、じゃの」
「こ、こうかな? でも、上手だね」
「否、我は神事の場に慣れておるだけじゃ。異教徒の我にもその門を開く、心広きことじゃ」
一通りの動きを習ったあとフルとはくあは個人練習。普段使い慣れない足裁きに戸惑いつつもなんとか形になっている。
「ああ! お嬢ちゃん、そんな勢いよく舞わないで、そうそう流れるような所作で上手い上手い」
「ぼっ、ボク男だから」
練習中。ずっとお嬢ちゃん呼ばわりされていたさんぽは、もう何度も訂正をいれているのだが
「分かっとる分かっとる」
これは確実に最後まで、お嬢ちゃんで通されるだろう。
「お、兄ちゃんたちお疲れさんっ! 何もない村だけどよ、酒は上手いよ。何せ水が良いからね」
手作り感あふれる神楽殿の傍で直に始まるだろう式典を待っていた、ルドルフと鴉坤に歩み寄ってきた老人はそういって二人の手に紙コップを握らせ、並々と地元産の清酒を注ぎ込む。
溢れるぎりぎりまで注ぎ終えると、次の飲み手を探すため老人は挨拶もそこそこにその場を去った。
口元に運ぶとふわりと立ち上る、独特の酒の香。
すっと瞳を細めたルドルフは、ふと隣りに気が付く。
「鴉坤殿……貴殿の……いや、何でもない」
それは水だったのか、とは流石に聞けない。
ルドルフのその様子に鴉坤は軽く首を傾けたあと、すでに空になったコップを軽く振って微笑むと「言葉通りだ」と嬉しそうだ。美味いらしい。
そして、夜の帳が降りる頃。
―― ……シャー……ッン……
鈴の音が高く鳴り響く。
舞台の角を囲むよう配置された篝火の炎がゆらりと映し出す世界はその荘厳さを際だたせた。
ここで行われる童舞は、発祥当時はそれなりの意味を持っていたはずだが、今は見せるものとしての意味合いが強いのだろう。能面を被ったようなメイクは簡略化され、薄化粧。
すっと唇のみに引かれた朱が美しい。
神々しく鳴り響く笙の音に、龍斗が奏でる龍笛が重なる。初見での演奏でもそこそこものにしていたが、重なり合う音は大気を介して何処までも響き渡り、辺りを清浄な場へと清め広げた。
爪先まで行き届いた足運び、巫女装束の流れる裾の動きまで操っているかのような、見事な舞は、屋台で賑わい散り散りになっていた人々まで集めた。観覧していたお年寄りが数名、手を合わせて拝んでいたことは、恐らく成功の証だろう。
付け焼き刃とは思えない素晴らしい出来だった。
●
神楽の終わりと共に、見物班は先に沢へと降りた。
野外とはいえ、人の集まる場所は熱気を含んでいたのだろう。離れると川面から上がってくるひんやりとした風が心地良い。
蛍はちらり、ほらりと、音もなく飛び交っている。
会場はまだまだ賑わっているというのに、少し離れただけで声を出すことすら憚られるのではないかという静寂が支配していた。
さらさらと流れる川の底で、小石が転がる音まで聞こえた気がする。
皆が愉快そうに笑っていた。
走り回る子どもたちも、大人も、老人も。この地を訪れたものが皆こうして穏やかに楽しんでいられるのは、天魔の驚異が去ったから……。
それを成し得た撃退士たちが居たからだ。
「んーっ! あたいたち大活躍だったよねー」
ぶんぶーんっと両手を振り回し、ひょいっと立ち上がった天花が声を上げた。静かだったのは、何か食べていたようだ。
「なんじゃ、ここにおったのか」
天花の声に呼ばれたように、神楽参加組が沢に降りてきた。
「ふふー、どうだった……かな?」
はにかんだ笑顔を見せたはくあに
「三人ともバッチリ決まってたわよぉ♪ あなたも良かったわぁ」
アカリが、手にしていたかき氷を持ち替えて、ゆるりと手を振って微笑んだ。
「写真も撮っておいたから、戻ったら渡すよ」
にこりと手にしていた使い捨てカメラを見せた鴉坤に、あたいも撮って〜と天花が挙手する。じゃあ、みんなで撮ろうか。と話がまとまった。通りがかった、村人にシャッターを頼んで……
―― ……パシャリ
「……あ」
フラッシュに驚いたのか、どこに隠れていたのか、ふわああぁっと蛍が舞い上がった。
「凄いな……」
誰とも無しに声を上げる。足下には鏡面の様に川面に灯る光。眼前には星が踊るように明滅を繰り返す小さな生命が息づいている。
見上げた空には、ミルキーウェイがくっきりと浮かび上がる。まるで別な空間、幻想世界にでも飛び込んだような妙な浮遊間を覚えた。
「これが蛍の光かや〜。我はこれが見てみたかったのじゃー♪」
手を伸ばせば届く位置に、星が降りてきたようだ。無邪気に掬うように両手を伸ばすフルや、はくあ、天花の姿を見ると自然と頬が緩む。
「蛍の光は人間の魂、そのものに思えるな」
感慨深げな龍斗の言葉に、もう一度空を仰いだ。
「よ〜し! 出店せーはしよーぜ」
「ボクも父様の国のお祭り初めてなんだ」
明るい天花の声とさんぽの嬉々とした声に、私も、我も行くのじゃーと続く。
その後ろ姿を追いかけるように、のんびりと歩きながらルドルフがぽつり。
「……やはり、荒事は苦手だ。だが……こうして目の前に守り抜いたものがある。負けるわけにはいかぬよな」
「じゃあ、今夜はそれを満喫しよう」
ぽんっと肩を叩いた鴉坤に、当然だとばかりにルドルフは頷いた。
殿を歩き登り切った先のガードレールに体重を預けたアカリは、そんな楽しげな仲間たちを見る。
「自分たちの守った平和を目の前に、美味しいかき氷をパクつけるなんて幸せだわぁ。ねぇ少尉?」
ふ……っと、昔のことを思い出し半分くらい溶けてしまったかき氷のカップを揺らした。
しゃりっと氷の崩れる音、初夏を感じさせる心地よい夜風。
その景色を彩るように儚い光が飛び交う。
ここには沢山のご褒美があった。
何より自分たちの手で勝ち取った幸福の時が人々の笑顔に紛れ、優しく流れていた…… ――