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玄関フロアに日曜大工道具他が山と積まれた。
要望のあったもの、その他必要そうなものを集めたらこうなったらしい。お互いに作業の確認と、連絡先の確認を行って「何かあったら連絡してくれ」とその場を後にした依頼の仲介人である月見里叶(jz0078)を見送り作業開始。
件の高林和真の部屋。
彼の部屋は非常にシンプル。六畳一間の隅にパイプベッドが置いてあり、正方形の小さなテーブル。その上にはモバイルパソコンが置いてある。座椅子は切なく一客しかない。あとは本棚にテレビなどのオーディオ機器が並んでいるだけだ。
がたがた……
「やっぱり建て付けが悪いのかな?」
調べる序でに窓のレールの掃除をしながら注意深く観察しているのは、千明志鶴(
ja4337)
こんこん、こんこん……
志鶴に窓を頼んで、壁やら床を入念に叩いたり撫でたりして調べているのは、羽鳴鈴音(
ja1950)
「つまり人なら、侵入ルートがあるはず……」
しかし、特に変わったところはない。ひょいとベッドの下も覗いたけれど、別段怪しい本もないし、狭いながらに割と小綺麗だ。収穫なし、ですねぇと鈴音が腰を上げたところで
「あ、大丈夫ですかぁ?」
脚立に乗ってカーテンレール辺りまで見ていた志鶴に気が付いた鈴音は、ぱたぱたと歩み寄ってそれを支える。
「ありがと」
倒れそうだったわけではないが、お互いににこり。作業続行。
各所に移動したメンバーを見送って海柘榴(
ja8493)と佐野七海(
ja2637)も、まずは明るいうちに雨漏りの修復に取り掛かった。
「これ、を、一緒に運べば良いでしょうか?」
「はい。ありがとうございます」
ほんの少しだけ歩みを緩め、海柘榴は七海に配慮しつつ大型の荷物(脚立等)を持って二階に上がった。廊下の突き当たりの天井から屋根裏には上がれそうだ。丁度、高林の部屋の前だから、志鶴や鈴音の気配も感じ取れる。
「少し離れて下さいね。埃が落ちると思います」
脚立に上がった海柘榴は、七海にそう伝えたあと口元を抑え、勢いよく天井裏へと続く跳ね扉を開いた。ぼふっと白だか灰色だかの埃が舞う。
「気を、つけて下さいね」
おずおずと労ってくれた七海に、丁寧に返事をし海柘榴は薄暗い闇の中へと身を進めた。ややすれば、目も暗闇に慣れてくる。暗いお陰で廊下の光彩が妙に多く入り込んでいるところが見つかり、辺りに注意を払いながら膝で前進。
そっと触れると湿っている。見上げて目を凝らせば、上からも光が落ちてきているところがある。雨漏りの原因を突き止めるのは、なかなか骨のいる作業なのだが、とりあえず、目で見て分かる部分を何とかすればその場しのぎにはなるだろう。
「荒れ放題って言葉がピッタリ……」
掃除道具一式を抱えて、庭へと対面した道明寺詩愛(
ja3388)と峰岸シトラ(
ja8289)は二の足を踏む。小さなジャングル。どこから手を着けるかな? と思案せずにはいられない。これでは一階の住人は、窓もろくに開けられなかったのではないだろうか?
「とりあえず、目の前から、ですよね……」
曖昧に微笑んで告げたシトラに、詩愛も頷き鎌を構える。
まずは進入経路の確保から、のようだ。
ざくざくざくざく、無言で黙々と手を動かす、単調な作業だ。刈っては隅っこに置いた一輪車に積み上げる、刈っては……を、繰り返す。屋根の上からは、小気味良いトンカチの音がする。雨漏り修理も順調なようだ。
ふぅっと二人が同時に息を吐いたところで、頭上から大きな音がした。びくりと見上げると、半身乗り出した志鶴が、ごめんごめんと手を振っていた。
「建て付け直したら、滑りが良くなりすぎちゃって……あれ?」
丁度外側の左右の窓が重なった辺りに何か絡まっている。よいしょっとそれを引き抜くと
「動物の毛? でしょうか」
ひょっこりと顔を出した鈴音の声に
「犬、猫、イタチ? 犬は上がれないよね。猫はない。猫はないよ」
ぶつぶつと猫案は否定しつつ思案する。そんな二人を見上げていた、詩愛とシトラの足下から、にぃにぃと細い声が聞こえた。顔を見合わせた後、声のする方へと身を屈め草を掻き分ける。
「猫ですね」
見ただけで分かるが、どちらからともなく再確認。
つぶらな瞳が三匹分。二人をきょとんと見上げている。これが犯人? 犯猫? 高林の部屋の真下、ではあるけれど、まだ足下も覚束無い仔猫にこの木なり、壁が上れるだろうか?
「一応写真撮っておきます」
いってケータイにて撮影。
ピロンッとシャッター音がしたら、びくりと震える。栄養状態悪く弱々しいという感じではないし、逃げ出す様子もないから、野良猫がここで産み育てているのかもしれない。とりあえず、その周辺はそっとして置くことにした。
「……この、辺りならお邪魔になりませんか?」
殆どの作業が終了した頃に、ずるずると七海がホースを引っ張ってきた。
「雨漏り修繕の最終確認に水を撒いてみる、という、ことだった、ので……」
よいしょっとホースの先を上に向けて、手元のレバーをかちりっ。
ばばばばばばばば…………勢い良く壁に直撃。壁漏れはなさそうだ。
「もうちょっと上、です。ええと、」
片づけが終わったシトラが、気遣わしげにホースの先をちょこっと持ち上げて屋根まで届くように修正する。続けてジェットより、シャワーが良いだろうとかちんっと回した。
「ありがとう、ございま、す」
おずおずと礼を告げた七海に、いえいえと答えたとこで「あ」という声が屋根と二階、そして二人の傍から上がった。
「虹だよ、虹」
人工的に出来た小さな虹。
それは頑張ったご褒美というように、小さな和みをもたらしてくれた。
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アパート内、その周辺の調査報告を全員でするころにはお日様は傾いていた。屋根裏にも特に変わったことはなく、庭には仔猫が居たことと、高林の部屋の窓には動物の毛が絡んでいたことくらいだ。
他の部屋も、特に荒れている風はなく、至って普通。適当な私物を持ち込めば直ぐに生活が始められるくらいだと思われた。
『猫のことは和真に聞いてみるよ。もうすぐそっち着くから一旦休憩。風呂とか入っとけよ』
途中経過の報告をメールすると叶からはそう返信があった。
「いい匂いだけど、どうして味噌汁……」
「今朝それなりに持ち込んでたみたいだからさ、それ以外と言えば……あと助六、巻き寿司と稲荷がある」
合流した叶からの差し入れは微妙だった。その空気を察したのか急いで付け加える。
「希望のあったシュークリームもあるぞ。でも数が一人一個しかなかった喧嘩しないように」
言った後、もうこれ以上重ねるのは得策ではないと行き着いた叶は
「あと、これ」
朝打ち合わせしておいた、簡単な夜間の見回り表を全員に配布し空いている時間には出来るだけ体力温存のためにも休むようにと纏めて別れた。別れ、た…… ――
「あれ?」
全員出払ったと思ったら七海の姿が残っている。
「私は、高林さんと一緒で良いです」
「―― ……ええと、俺は月見里だけどな? うん」
「はわっ?! いっ今の無しですっ」
ぶはっと瞬間湯沸かし器の如く、七海は茹で上がった。
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――午前一時過ぎ。
ぺらっと持ち込んでいた『ラーメン特集』の雑誌のページを捲りつつ、缶コーヒーを傾る。テーブルにはお菓子の袋も開けられ、かなり寛いで見える。その要因は、この部屋の所為だろう。一階の一番奥――先ほど皆で順番に使った風呂場などがある隣になるが――出て行った生徒は余程焦っていたのか、多少散らかっていたものの、生活に必要そうなものは大抵揃っていた。
廊下からは微かな物音がする。今見回りしているはずの、海柘榴たちだろう。
(それにしても、反応ない方が良かったのか、あった方が良かったのか……)
巡回時のことを思い出し詩愛は短く溜息を吐く。念のため行った生命探知はメンバー以外を捉えることはなかった。
「月見里、どこ行くの?」
お互いにそーっと部屋を出てきたところで鉢合わせした。
「俺は外回ってくるよ。七海寝てるし」
くいっと出てきた扉を指した叶に、志鶴は「ああ」と頷き廊下をそっと歩きながら話を続けた。
「高林から連絡あった?」
聞かれて叶は微妙な顔をすると、スマホを取り出した。軽く画面をタップして目的のものを出すと志鶴に見せる。
『可愛い猫だな! 貰い手も探しといて』
どこまでも他力本願だ。志鶴は大げさなくらいがっくしと肩を落として「知らないってことかー」とうなだれた。
じじっ
廊下の明かりは気を使って絞る必要もなく、最初から薄暗かった。
三カ所、オレンジ色の電球が天井からぶら下がっているレトロな感じだ。そして、歩を進めるごとにどんなに注意をしても床板が軋み、アパート全体が泣いているような気がする。
その微かな振動に呼応するように、自分の影が長く短く伸び縮みする様は余り気持ちの良いものではない。
そんな中、海柘榴は廊下の掃除をしていた。
(この様な汚れなどメイドとして許してはおけません……即行処分です。駆逐ですね)
ぎゅっぎゅっと床に残った白い痕へモップを押しつけ、それにしても……とふと顔を上げる。
(この白い痕、一階の方が濃く残っていますね。二階にもありましたが、極わずかでした)
巨大なナメクジでも通った跡のように続いている。
最初は雨漏りからくる腐食かと思ったが、雨漏り被害が床に酷く及んでいたのは寧ろ二階だ。海柘榴は、思いついたように膝を折り、つっと床を撫でる。そしてその指先を軽く擦り合わせ、顔を近づけると何かに気が付いた。
(あら……これは……)
――午前二時前後
どんなに警戒していても、穴というものは出来るものだ。
「うわあぁぁぁぁっ!!」
野太い悲鳴がアパート内に響いた。夜の静寂を纏っていた空間が一気に打ち破られる!
仮眠中だった者も跳ね起きて、全員が慌ただしく声のした場所へと駆けつけた。
「出たーっ! って、人間?」
勢いに乗って叫んだ志鶴他、集まったメンバーは目を丸くする。
対峙した相手が握っているのはドアノブ。しかも一階最奥。詩愛が陣取っていた部屋だ。もちろん、詩愛も室内から彼を見極めるように見ている。足下が微妙に緊張している。ことによればいつでも蹴り上げそうな雰囲気だ。
「行動の理由を教えてください」
ぴんっと張った声でそう問い掛けた詩愛に、向き合った男は不機嫌そうに答える。
「それはこっちが聞きたい! この部屋はおれの部屋なの!」
なんですと? 全員の頭に疑問符だ。ちらと最後尾にいた叶に視線が集まるが、ふるふるっと横に首を振られた。
「それなのになんで女の子が居るの? いきなり居候系?」
「で、でも、ここには高林さんしか、住んでないって……」
びくびくと声を掛けたシトラに男は肩を竦める。
「二階の奴だろ? あいつ、いや、他の奴らもそうだけど、会ったことないし、知らなくて当然かもな。おれももう居ないと思ってたし」
彼の話はこうだった。
この寮の生徒はバイトで生計を担っている者ばかりで、自分は実入りの良い夜のバイト――大喫煙所の掃除――をやっていて根本的な生活の時間帯が違っていたらしい。
「廊下の白い汚れは煙草の匂いがしました。彼の言葉は本当だと思います」
海柘榴の台詞に全員首肯して続きを促す。
こんな寮だから、人の入れ替わりも激しくて長く空き部屋があるのも珍しくない。だから、お互いあまり気にしていなかった……とも。
「それが、どうして高林さんの部屋に入ったんですかぁ?」
鈴音の問い掛けに、嫌なことでも思い出したかのような渋面を作る。
「雨が降ってたんだ。帰ってきたときに、ふと見上げたらあの部屋の窓が開いてて、そこに」
一旦切って、彼はすっと腕を伸ばす。
「その猫が入ろうとしてたから、」
猫? きょろきょろとすれば一点で全員の視線が釘づけられる。
「さ、佐野。その猫何っ?!」
「えっ、とですね。この子は叫び声が聞こえるのとほぼ同じ頃に遊びに来て、何かあってはいけないからそのまま連れてきました」
七海の腕に大人しく抱かれた成猫から片時も目を離すことなく、じりじりと志鶴は距離を取った。
「野良猫が侵入って言うのも良くないだろ? 部屋の物が濡れるのも拙いだろうし、一応起こしてやろうと」
ノックしても何の返事もない、仕方ないと思ったけど念のためとノブを握ったら不用心にも鍵が掛かっていなかったという。
「それで注意を促そうと思って声を掛けたんですね……」
「そしたらあいつ、起きるどころか人の顔見て失神しやがって。確かに、多少雨に濡れてたけど」
失礼だろ? と重ねて眉間の皺を濃くする。
結局のところどこが悪いと問われれば――依頼人だろう。やれやれと脱力系の溜息を落とす。
「でも、まあ、天魔の仕業でも、なかったですし」
「良かったといえば良かったよな」
安心したのか、こそりと欠伸をした七海から感染するように、続けてちらほら欠伸を噛み殺す音がした。
「休もう。和真には俺からキツく言っとくから、その、悪かったな」
どこをフォローして良いのか分からない叶の台詞に、そうだねーと弱い笑い声がしたのと何か他の音が重なった。
―― ……え
顔を見合わせ、音がした方を注視する。背にしていた階段の方だ。ぽっかりと空いた暗闇の奥から、ヒタ……ッ、ヒタ……ッ、と床を踏む音がする。
ヒタ……ッ、ヒタ……ッ、
降りてきている。降りて……何かが近づいて……ごくりと誰かが生唾を飲み込んだ音がした。
ほわりと鈍く光る玉がぬっそりとした白い固まりを写しだ、す。
うっ! 息を呑んだ瞬間っ! ちかちかっと廊下の明かりが点滅し、ばちんっと落ちた。
「う……うぅ、うぐぁ……」
「っ?!」
今度は玄関側からちらちらと明滅する光と共に、ギ……ッ、ギ……ッ、片足を引きずりながらゆらりゆらり。大きく左右に揺れながら近づいてくる人の姿。
長い髪が無造作に前に流され、その表情は読めない。
ギ……ッ、ギ……ッ、
突き出された白い腕が、不規則な体の揺れにあわせて怪しく、何かを求め縋りつくように揺れる。
階上から降りてきていた影が廊下に……ぶわさぁぁっっ!
「ひっ!」
「出たーっ!」
―― ……あれ?
「ね、ね、吃驚しましたかぁ?」
「……なーんてね、冗談ですよ?」
ふんわりと、床の上に大きな白いシーツが舞い降りると同時に、目の前にはにこりと無邪気に笑った鈴音が……廊下の奥には、前流れてきていた、長い髪をするりと後ろに流し、整えつつ愉快そうに微笑んだ詩愛の姿があった。
ははは……乾いた笑いが辺りに響く。
大丈夫だ。誰もシトラの後ろに若干隠れ気味だったとかはない。彼らの名誉のために……そんなことは決してないと重ねておく。
――後日。
あの猫は高林がバイト先で餌付けしていた猫だったことが判明した。今は仔猫と共に里親探しをしている。